自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

尋常でない質問攻め/いかばかりかはあやしかりけむ

2014-02-01 | 環境>教育

わたしの学習作風は予習重視で、調べて得た疑問点をあくる日教室で解消するというやり方だった。
そこまでは普通だったが教師に質問する回数が異常だった。
周りの迷惑なんか考えたこともなかった。
田舎者めが、と心中思っていたクラスメートがいたかもしれない。
先生もうるさいやつだと思ったかもしれない。
恥ずかしながら100%自己肯定的だった。
一度だけ自慢できる発表をしたことがある。

古文の時間。更級日記の一節。
「四月つごもりがた、さるべきゆゑありて、東山なる所へうつろふ。道のほど、田の、苗代水まかせたるも、植ゑたるも、なにとなく青みをかしう見えわたりたる。
山のかげ暗う、前近う見えて、心ぼそくあはれなる夕暮、水鶏いみじく鳴く」
ここまでは東山の鄙の様子、読み飛ばして結構、水鶏をくいな(くひな)と読み替えて
ください。くひなたたくは雅語。
たたくとも誰かくひなの暮れぬるに山路を深くたづねては来(こ)む 

世良先生を刮目させた自説。「くひな」 を 「く鄙」の掛ことばと解釈して
たたくとも誰かく鄙の暮れぬるに山路を深くたづねては来む
と並べ替えた。
戸を叩いたとしても誰がくいなのようにかように日暮れてしまった鄙に山路を深く訪ねて来ようか(直訳)

先生は恩師の玉井幸助先生に伺いを立てると言われたが、調べた結果ほかにそんな語法が見つからなかったので断念された。

今回は珍説に終わったが、何事においても素人は素人ゆえに、えてして専門家が考え付かない発見をすることがある。

 




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