2018.6.9、
八景島のあじさい祭を楽しんで11時31分出発。
朝通り過ぎた
海の公園の砂浜が満ち潮で海面があがってます。
あ!自動販売機が海の公園仕様です。公園にぴったりなので、背景に海を取り込んで撮影してみた。カテゴリーも今日の記事は「面白い自販機」に分類。
シーサイドラインの海の公園柴口駅近くの彫刻。これは何だろうか?カエル?トカゲ??
11時49分海の公園を後に。さて、京急金沢文庫駅に戻ります。
途中で朝通り過ぎた称名寺さんに寄り道。時刻は12時4分。
参道の桜並木の木陰が嬉しい。もうね。体感で30度超えてる。暑さにやられてへばってます。
称名寺さんは2度目の再訪。前回詳しく記事にしたので、ささっと流す。
前回ガイドさんに教えてもらったから、山門と収まってる仁王様のサイズが合ってない理由も既に知ってるし。
前回は晩秋の訪問で、池の脇のイチョウが黄色く染まってましたが。
称名寺の秋(2012年12月31日)の記事 こちらの記事に黄色いイチョウと池の美しい画像があります。
6月の称名寺さんの緑は綺麗ですね。背後の山の緑も美しい。
む!これは美しくないっ!橋から見下ろした水面には、亀がいっぱい浮かんでます。全部外来のアカミミガメに見えるんだけども?そして大きな声で鳴いてるのはウシガエル。これまた外来種。あれだ!テレビ東京の池の水を抜く番組の出番じゃなかろうか?
あそこの草庵(釈迦堂)の屋根に北条のミツウロコが見えます。
説明板発見:
国指定史跡 称名寺境内 大正11年10月12日指定
称名寺は、金沢山称名寺と号し、真言律宗の別格本山として西大寺末の律院で、本尊には木造弥勒菩薩立像(鎌倉時代、重要文化財)が安置されています。
本寺は、
金沢北条氏一門の菩提寺で、草創の時期は明らかにしていませんが、正嘉2年(1258)、金沢氏の祖と称されている
北条実時(1224−1276)が、六浦荘金沢の居館内に営んだ持仏堂から発したと推定されています。
その後、称名寺の基礎が定まるとともに伽藍の整備が着手され、実時の子、顕時(1248−1301)の時代には、弥勒堂、護摩堂、三重塔などが建立され、さらに、顕時の子、貞顕(1278−1333)は伽藍の再造営を行い、元亨3年(1323)には、苑池を中心として弥勒来迎板絵(重要文化財)に荘厳された金堂を初め、講堂、仁王門など、七堂伽藍を備えた壮麗な浄土曼荼羅に基づく伽藍を完成させました。
しかし、元弘3年(1333)、北条氏の滅亡により鎌倉幕府の崩壊を契機として伽藍の維持が困難となり、江戸時代に入ると双剣当時の堂塔の姿を失いました。
大正11年、称名寺の内界である中心区域が国指定を受け、更に、昭和47年境内背後の丘陵を含めた範囲が指定されるとともに、昭和62年には、庭園苑池の保存整備事業が行われました」
こんなに由緒あるお寺の浄土の池が、外来生物に占領されてるのはイカンのでは?カメとオレンジの鯉しか泳いでないよ?
前回訪問時黄葉していたイチョウ。なぜか根元まで葉っぱが茂ってる。ひこばえにしては変だな?
ベンチで休憩。水面を渡る風で火照った肌が冷めてきもちいい。ああ、このままお昼寝してぇ〜。
でもダメなのだ。横須賀に行かねばならん!
時刻は早くも12時21分。
急ぐので金沢文庫を抜けていく。時間があれば、ここの展示も見たかった!よくばり散歩を計画しちゃったからね〜。諦めよう!