日野本陣到着。
係の人が「少し待っていただければ、ガイドします」と声かけてくれた。ガイドさんは来場者に順繰りに説明してくれるのだ。
待とう!
来場者はトップ画像の場所で靴を脱ぎます。んでもって新撰組の羽織は来場者の撮影用。き、着たい~~っ。でもダンナは全く乗り気じゃない。あ~あ。ダンナに新撰組萌えはなかったか…。
なんで日野本陣が新撰組ファンの集まる場所かと言うと、ここは佐藤彦五郎の住まいでもあったのです。そして彦五郎の奥さんは、土方歳三のお姉さんでした。
「はい。ガイド希望のお客様、集まって下さい」
約8名。
ガイド「この建物は嘉永2年(1849)正月18日に日野宿の大火で焼失してしまった主屋にかわるものとして建設され、元治元年(1864)12月から使用された建物です。」
へえ~。んじゃ、沖田総司や近藤勇が佐藤道場へ出稽古に来てた時って、調度建築中ってことか??
調べてみる。
土方や近藤が京へ上洛したのは、文久3年(1863)2月でした。
ガイド「みなさんは新撰組ファンですか?」
勿論全員該当する。二人組のお嬢さんは井上源三郎記念館を訪れた後来たそうで。
そうなのです。日野には新撰組のファンが憧れのポイントがいくつか点在してます。隊士の井上源三郎の資料館。土方歳三の生家に開設されている土方歳三資料館。佐藤彦五郎新撰組資料館などなど。でもこれらは開館日が限定されていて、毎月第一・三日曜日のみ。開館時間も12時から午後4時まで。と非常にシビアです。んでもって、私が訪問した4月7日は運良く第三日曜日に該当していて、新撰組ファンが多くそぞろ歩いてました。
さて、話を戻そう。
/本陣の玄関の間。
ガイド「あの扁額が読めますか?」
私「たぶん…。『すなわち武。すなわち文』ですかね?」
ガイド「正解っ!たまに読める人いるんですよ。意味は文武両道。建物が出来た時に贈られたそうです。歳三はこの下で昼寝したと伝わっています。寝転がりたい方はガイド終了後、心置きなく寝て下さい」
面白い人だ。つーか、ガイドさん。アナタ、新選組ファンですね。
でも土方歳三もあの扁額を見上げてたんですね?すごい。期待通り!エピソードでて来るなあ。
ガイド「玄関を見て下さい」
あ。式台がある。さすが本陣屋敷。
ガイド「式台の上で沖田総司が四股を踏んだと伝わってます」
????と頭の中でハテナマークが浮かぶ来場者に説明を重ねる。
ガイド「新撰組が京都から引き揚げて来て、慶応4年に甲州勝沼へ赴く近藤や土方を見送りに沖田は日野までついてきたようです。既に結核を発病していた総司に彦五郎が「総司、具合悪そうだな、大丈夫か?」と尋ねた所、総司は式台で四股を踏んでみせ、「大丈夫です」と答えたと伝わっています。」
式台で四股を踏む来場者を止めるためか、屋内から式台には降りれなくなっています。式台はチケット掲載画像の三角屋根の建物の正面玄関にあります。
ガイド「こちらに市村鉄之助が2年暮らしてました。」
名前を聞いて閃く新選組ファン。
私「もしやして、函館から歳三の写真を持ち帰った人ですか?」
ガイド「そうです。土方歳三は死期を覚ってたのでしょうね。小姓を勤めていた鉄之助を遺髪と写真を渡し、船に乗せました。『日野の家族の元へ届けてくれ』と伝言して。彦五郎と姉に鉄之助の行く末を頼んだのでしょう。彦五郎はこの部屋に2年鉄之助をかくまいました。維新後、新選組は朝敵と看做され、日野は新政府からキツい取り調べを受けましたが、かくまいきりました。」
彦五郎さん素敵です。
ガイド「彼は本当は京へ上洛する沖田や土方、近藤らと共に行きたかったのに、家のことを考え日野に踏み止まったのです」
確か、京で財政に逼迫した新選組は彦五郎にお金を何度か無心したんじゃなかったっけ?違ったか??
土方歳三の小姓を務めた市村鉄之助は、3カ月かけて日野へたどりついてます。確か、この時わずか15か16歳じゃなかったっけ?違ったか??
私の知識はあちこちの新選組の本やらドラマやらアニメやらの寄せ集めなので、嘘とホントが入り交じってて、真贋が怪しいんだよね。あはは…。
上の画像左奥に、白と青の模様の襖があります。これは日野本陣が建った時からあった襖と同じ柄なんですって。
………。新選組が京都で名を上げた時に着てた羽織と同じ色の組み合わせだと思うのは私だけか?
/本陣見取図
見取図の右のピンクで囲った部分が鉄之助が2年匿われていた部屋です。
ガイド「この部屋は彦五郎と歳三の姉のぶさんの夫婦の部屋です。歳三は甲州へ赴く前にこの部屋で姉に『これからどうなるのか?』と心のうちを吐露したと伝わっています」
ガイド「のぶさんは47歳で沖田総司と同じ結核で亡くなっています。彦五郎は俳句が趣味で、のぶさんを偲んで読んだ句が伝わっています」
句をガイドさんは紹介してくれたんですが、書き控えるのを忘れてしまいました。確か、庭はかわらないのに、隣にあなたがいない云々って感じだったような…。
日野本陣の裏手に観光協会があります。こちら、新撰組のグッズてんこ盛り。更に日野宿散歩のちらしも置いてあるので、ついでに立ち寄ると楽しいかも。
日野本陣と新選組スタンプがあったよ。
本陣は旧甲州街道と川崎街道が交わる角に建っていて、裏手は日野用水路があります。これ、歴史ある用水路で、ここに佐藤彦五郎新撰組資料館。南へ下ると新撰組のふるさと歴史館がありますが…。限界で~す!足が。お家まで2万歩コースでーす。んでもってついつい入館料をケチってしまいました。
で、チョイスしたのがお金のかからない大昌寺。
こちらに佐藤家のお墓があるのです。土方歳三の姉と佐藤彦五郎のお墓に詣でる新選組ファンが多いのか、墓所の入口に佐藤家の墓の所在地図がありました。ついでなので手を合わせてきた。
最後に立ち寄ったのは日野駅からすぐの宝泉寺。こちらも新選組所縁の寺。井上源三郎のお墓があります。井上源三郎は新選組に加わり、池田屋事件でも活躍。鳥羽伏見の戦いの後、淀千両松の戦いで銃弾を受けて死亡。源三郎の首を日野へ持ち帰ろうとした甥の井上泰助は、首が重くて大変だったとかで、仲間に諭され近くにあった寺に首と刀を埋葬したとエビソードが残る。WIKIに掲載された記事から計算すると、泰助はこの時わずかに10歳!!…記事が間違ってるんじゃないかと思いますけど、10歳の子どもに例え叔父とはいえ大人の生首を大阪から日野まで運ぶのは無理です!でも泰助くんはちゃんと叔父、井上源三郎の戦死を日野の井上家に伝えてます。偉いよな。
んでまたもや日野用水路に沿って歩き宝泉寺を訪れたのですが、このお寺平成に入ってから檀家さんが張り切ってあっちこっち綺麗にしてるようで、もうピカピカでした。萌えが発動しなくって画像も撮ってない。
それなりに歴史散歩も満足したので、帰り道についでに町田で買い物をして少し早めの帰宅となりました。
いつか下調べをしてから新選組散歩に再挑戦したい…。なんか萌えが昇華しきれなかった…。