あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

池上本門寺の春まつり

2017年06月30日 05時37分37秒 | 神社・仏閣
2017.4.2訪問。4月初めの日曜日。例年ならば桜の見頃の最盛期ですが、今年の桜の開花は遅かった!目黒川の桜洗足池の勝海舟夫妻のお墓池上本門寺(←今ここ)です。東急池上駅から徒歩で池上本門寺へ向かうと、一帯で春祭りが開催されてました。トップ画像は塔頭。鬼子母神を祀ってっる模様。
お釈迦様の誕生を祝う灌仏会は4月8日です。桜の季節にあちこちのお寺で甘茶が振舞われたり、お釈迦様の誕生仏像や花を飾ってるので見た事あるかも?
 
せっかくなので参拝。

池上本門寺の総門に到着。
総門:総門は、寺社へ参詣する人が最初に通る門。昭和二十年4月15日の空襲で焼け残った数少ない古建築の一つ。
主柱間5、3メートルもある。正面に掲げられた扁額「本門寺」は、寛永四年(1627)本阿弥光悦の筆。

総門の柱。観察すると、なんと!柱が切り貼りですっ。木造建築ってダメになったらそこだけ取り除いて、切り貼りして、継ぎ足して、結局長持ちするよなぁ〜。柱を眺めてひとしきり感動したら、参道の石段を登る。

此経難持坂加藤清正公の築造寄進。母の7回忌に当たる慶長十一年(1606)、追善供養のため、祖師堂を建立寄進し、合わせて寺域も整備したので、その時の築造。元禄年間 (1688-1704)に大改修。階段の名前は、『妙法蓮華経』の此経難持の96字にちなむ。
この石段も切り貼りの跡が。石段も切り貼り可能なのか〜。

仁王門(三門):昭和二十年4月15日の空襲で焼失。昭和五十二年再建。
門の正式な名前は三解脱門。三種の解脱を求める者だけが通れる。
元々の旧三門は、慶長十三年(1608)に2代将軍徳川秀忠が、五重塔と共に建立した。

大堂(祖師堂):昭和二十年4月15日の空襲で焼失。昭和三十九年に鉄筋コンクリーと造で再建。天井に川端龍子の龍図がある。制作途中で画家が死去。奥村土牛が開眼させ未完のまま開眼法要をした。
焼失前の旧祖師堂は、加藤清正が母の追善供養で寄進した。

祖師堂から山門を振り返ってみた。手前に人が集っているのは、甘茶が振舞われています。多分お釈迦様の誕生仏に甘茶もかけたようなかけなかったような??もう忘れてしまったわ〜。

訪問した4月2日は、池上本門寺の春祭りでして、いろんな催しをやってました。
祖師堂と山門を結ぶ参道の脇では、花瓶に花が刺して並べてありました。この角度で桜が咲いてる時に撮影できたらよかったんだけどね。

画像左奥に鐘楼が。
鐘楼堂:加藤清正の娘で御三家紀州藩祖徳川頼宣公の正室となった瑶林院が、正保四年(1647)に寄進した。
昭和二十年4月15日の空襲で、鐘に亀裂と歪みが生じる。

多分この鐘。

霊宝殿
:平成十三年完成。本門寺の霊宝を保全。毎週日曜日に展示分の閲覧ができる。日蓮の真筆も展示してある。拝観料300円。

経堂
:現存の経堂は天明四年(1784)に再建されたもの。昭和二十年4月15日の空襲の焼失を免れた。

今日のブログの説明文は、池上本門寺のWEBより抜粋しました。
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座間市桜百華の道2017.6.27現在

2017年06月29日 06時07分25秒 | アジサイ散歩
芹沢公園でアジサイを堪能した後、暗く厚い雲を見て予定を変更。おうちに戻る事にしました。そういえば、一昨日麻溝公園から戻る時にさがみ仲良し小道のアジサイを紹介したけど、相模原市から座間市に入ると仲良し小道は座間桜百華の道に名前が変わります。ここは元から桜が綺麗な場所でしたが、近年大きく古くなりすぎたソメイヨシノを撤去し、1.6km.約64品種・220本の桜が植栽され、いい散歩道に変貌しました。とはいえ、今は6月下旬、さすがに桜はもう咲いてません。今の桜百華の道はどうなってるのか?気になったのでおうちに戻りがてら歩いてみることに。
南側の旧日産工場側(もうすぐイオンモールが開店する道側)から北上するコースで歩き始めてすぐ。素晴らしいピンクのアジサイが出迎えてくれました。

桜百華の道で説明すると、早咲きの河津桜や寒桜が植栽されてる場所です。

見応えあるなあ〜。







すっかり嬉しくなって歩き始めたのですが、アジサイゾーンはすぐに終了。
次に出会うのはこれら。
 
ヘメロカリスなど。この道は周辺にある学校や幼稚園の花壇にもなってる模様。名札が●●幼稚園とか刺さってます。実際に園児に世話は無理そうなので、保護者や先生が世話してるのかな?お散歩してる利用者には嬉しい限りなのですが。
やがて、またアジサイゾーンに変化しました。



おそらく一番多い一般的なアジサイですが、最後のきらめきの段階に移行してます。色がパステル調でとても綺麗だけど、私のショボい携帯電話でどれ位再現できるかなぁ〜??

試しに撮影したので画像を貼り付けてみる。


 

 
思いがけず楽しかったです。当初は芹沢公園から栗平のひまわりの成長具合見て、県立谷戸山公園へ移動。かにが沢公園から自分ち土産のお肉屋さんのメンチコロッケという散策予定でしたが、空模様があまりに不穏なので挫折。せっかくだから〜と。急遽立ち寄った桜百華の道が当たりだったのは良かった!もうけた!ようやく自転車こいでも腰が痛くなくなったので、あちこち走りたいところですが、すでにアジサイも終盤。花菖蒲は見頃すぎになってるのが残念だなあ〜。せっかく近所に鑑賞ポイントがいくつもあるのに。また来年とか。残念すぎ〜。
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アジサイの穴場発見!その名は芹沢公園

2017年06月28日 05時51分55秒 | アジサイ散歩
2017.6.27午後 1:30頃訪問。座間市はひまわりで栗原会場は約10万本(祭り期間:7/21~26)。座間会場は約45万本(祭り期間:8/10~8/15)が開花します。我が家から栗原会場に行くには、日産の座間工場を道沿いに。芹沢公園の鉄橋の先に栗原会場があります。鉄橋から見下ろしては、毎回芹沢公園に一度散策したいなあ〜。と思っていたのですが、工事が続いてまして。最近ようやく工事が終わったようなので散歩に出かけました。自転車は整備されたばかりの駐輪場に預け、いざ!って〜〜〜!!こ、高低差〜〜!!鉄橋から公園を見下ろしていたから、わかっちゃいたのですが。実際に行ってみたら予想以上に高低差がありました。だからか、目的地の湿性植物コーナーに続く散策路ではほとんど人に会いません。怖いくらいです。後悔した頃にようやくアジサイが見えてきました。

初訪問です。期待してなかったけど、今まで来たことないのが悔しいっ!素敵〜~っ。まずは湿性植物コーナーの画像をご覧ください。

















素敵でしょ?湿性植物コーナーの端は、芹沢皮が流れてまして、そこは蛍の幼虫とエサのカワニナが放流されてるみたい。夜来ると今なら見えるかも〜??

昨日はいつ雨が落ちてきても不思議じゃない空模様でした。さっさか撮影してさっさか撤収するつもりだったのですが、厚木基地の飛行機が練習してて何度も周回してるのですよ。なんとかアジサイと飛行機を絡めて撮影できないか?と。試してみました。

携帯電話だと、飛行機が小さすぎる。結構低空飛行してるんだけどな〜。ちなみに日本の自衛隊の機体です。なぜなら機体に日の丸ついてるもの〜。

公園のマップです。マップからは分かりませんが、公園の左右を貫く道が谷の一番底。左右に斜面がある公園です。

天候が悪いのもあり、ほとんど散歩する人がいません。だって、こんなに綺麗な見頃のアジサイなのに、他に人がいないんですよ。穴場でしょ?もうびっくりですわ。

上の画像左下に見える赤いアーチが芹沢鉄橋です。帰りは坂道を上らねばならない〜。ヘロヘロになってしまったので、この後栗原会場のひまわりの現在を見に行くつもりが、中止です。雨が落ちる前に帰りたいっ。
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相模原公園の花菖蒲開花情報2017.6.27現在

2017年06月27日 08時17分49秒 | 相模原公園と麻溝公園
麻溝公園で真っ白いアナベルが満開の群落を楽しんだ後、隣接する相模原公園の水無月園へ移動。前回訪問した時に生まれたばかりと思われるカルガモの親子がまだいるか?確認に行きました。
相模原公園にカルガモの親子が!(2017年6月14日)の記事 この時は花菖蒲が満開でした。あれからもう2週間も経ってるのね。

相模原公園の花菖蒲はすでに見頃を過ぎていました。ちょうど花柄などを除去し、来年に向けて職員さんがお手入れしてました。
また来年ね〜。カルガモ親子も姿が見えません。前回訪問時は前日の夜から早朝にかけて土砂降りだったせいで、水無月池の水があふれ、花菖蒲田も水に浸かってましたが、昨日はもはや畑のよう。カルガモ親子はどこへ行ったのか〜??などと黄昏てましたら、トップ画像の説明板を見つけました!
え?もしかして花菖蒲もらえるの??マジで?でも、バケツ空っぽなんだけど〜??出遅れたか〜。残念〜〜。
またしても黄昏ていたら、お手入れしてるおじさんが「花菖蒲欲しい?」と声をかけてきた。
もちろんじゃ!
なので力一杯「欲しいですっ!」と主張したところ、最後に咲き残る花菖蒲の蕾を切って手渡してくださいました。
ううわ〜〜~っ!!う〜れ〜し〜い〜ゾォ〜〜!!
おじさんが「茎から滴ってる水が服についたら落ちないから、ティシュで包んで持ち帰ってね」と助言をくださったので、ウエストポーチを探ったら、テッシュ入ってました!本当はこの後相模原公園の噴水や温室を見に行くつもりだったけど変更じゃ!おうちに戻って花菖蒲を花瓶に入れないとイカン!
とはいえ、昨日6月27日午後3時ごろの花菖蒲の開花状況をお知らせしなくてはっ!

既に江戸系と伊勢系はお手入れが終わり花がありません。
あ。上の画像に写り込んでる蕾の花菖蒲3本がおじさんにいただいた花菖蒲です。帰宅後花瓶にちょい砂糖とキッチンハイター1滴入れてテーブルに飾っておいたら、朝起きたら1輪花開きました。あと2つも咲くかな?咲くといいなあ〜。
さてと?自転車を預けた麻溝公園に戻ってきました。ここから我が家に戻るには、水道みちを行くか?さがみ仲良し小道を行くか?のほぼ2択。せっかくなので仲良し小道を選択したら〜!!道が廃止工事中で立ち入り禁止に成ってました!うわ〜、立て看板は大分前から出てたけど。秋になるとススキやセイタカアワダチソウの鑑賞ポイントで、サザンカも大きな木になりならぶ姿は秋から冬にかけての楽しみだったのに、なくなってしまうのか〜??改修工事でなく、廃止と書いてあるから工事が終わっても望み薄かも〜?何を作るんだろか?
さてと?仲良し小道は相模原南区から座間市の方に続き、座間に入ると桜百華の道に名前が変わります。アジサイは相模原市の市花なので、あちこちに植栽されてまして、工事区間を過ぎるとアジサイをまだ楽しめます。







上の画像奥にあるのが村富線。ここまでは仲良し小道の左右にアジサイや季節の花が多くあり散歩に最適です。
 
さすがにぼちぼち花色が褪せてきてますが、最後の美を愛でるのは日本人が得意とするところ。アジサイの間からトカゲが顔を出してたり、お楽しみポイントを探しながら行くのも楽しいです。
 
傍に既に夏の花がスタンバッテます。キョウチクトウには青空が似合う。

 
その後3つの蕾は1日ごとにちゃんと開きました。
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麻溝公園でアナベルが見頃2017/6/26現在

2017年06月26日 17時09分47秒 | アジサイ散歩
2017.6.26午後14時半頃撮影。
アナベルは、アジサイの季節のラストを飾る真っ白いアジサイです。まずは麻溝公園のアナベルをご覧ください。

奥でちょいピンクのはピンクのアナベルです。

今が見頃の最盛期かも?アップで撮影しても綺麗です。





アナベルは麻溝公園を横断する水道みちの花の谷で咲いています。ここは他の花も綺麗だったのでご覧ください。

クレマチスと。

変わりアジサイですね。

せっかくなのでタワーを入れて。橋の上から谷に咲くアナベルを見てるグループが。

上の手前の白いアジサイは「潤水」という名前。

麻溝公園のグランドの縁に咲く青いアジサイですが、ここはもう見頃過ぎ。でもアーチ状に咲くノウゼンカズラだっけ?これは今が見頃です。

グランドの縁のアジサイは見頃過ぎなのですが、南の駐車場の内側のみ見頃です。
ここのアジサイはちょっと変わってるので、おススメです。

しかし、手前に植えられたつつじが大きくなりすぎて、見づらいので、汚れてもいい服でみてください。



フィールドアスレチック場の外周のアジサイ順路へ。



今年はダメみたい〜。すでに見頃から見頃過ぎです。でも今年は花が小さくて数が少ないのね。残念〜。
 
ガクアジサイの中央の小さいのがすでに咲いてるからさ。この後は色あせていくのみ。お早めに〜。



水道みちに戻ってきました。橋の上から花の谷を見下ろしてみた。

こちらのノウゼンカズラは色違い。
花の谷では夏の花がすでに見頃になってます。

これ、何だっけ?下のはムクゲだと思うけど、上のは〜って??
あ!モンキアゲハだっ!

この木って蝶々を寄せる木なんだよね〜。携帯電話しか持参してないので、これ以上の望遠撮影は出来ません。上の画像も切り出したし。
この後、相模原公園の花菖蒲の現在を見たくて行ってみた!明日の記事で紹介しますね。
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五重塔特別開帳

2017年06月25日 05時26分01秒 | 歴史散歩
2017.4.2訪問。
目黒川の桜洗足池の勝海舟夫妻のお墓池上本門寺今ココ)です。
池上本門寺も桜の名所ですが、この日の目的は別でした。池上本門寺春まつり 五重塔特別開帳(2017.4.1&2の2日間限定)
池上駅から徒歩で池上本門寺に向かう。

到着したら調度五重塔の解説が行われていました。
記事は6月23日に書いていて、既に2ヶ月以上経ってます。どこまで記憶を呼び起こせるか?不安ですが、頑張っておもい出してみる〜。

まずは池上本門寺のWEBにある解説文には五重塔:関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち一番古い塔である。
本塔のそもそもの発願は、のちの徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願にあった。文禄2年(1593)のこと、15歳の秀忠公が悪性の疱瘡にかかり、一命も危うい容態に陥ってしまった。そこで、熱心な法華信者であった乳母岡部の局(のちに正心院)が、大奥より池上へ日参し、厚く帰依していた第12世日惺聖人に病気平癒の祈願を託され「心願が成就した暁には御礼に仏塔を寄進する」との念でひたすら祈った。その甲斐あって快癒し、将軍となった後、その御礼と、合わせて武運長久を祈り、慶長12年(1607)に建立、翌13年に上棟式を厳修した。
開眼供養の大導師は第14世日詔聖人、大願主が正心院日幸大師(岡部の局)、普請奉行は幕臣の青山伯耆守忠俊、棟梁は幕府の御大工の鈴木近江守長次、鋳物師は椎名土佐守吉次である。いわば幕府の御声がかりで建造された当時第1級の塔である。にもかかわらず、江戸建築が確立する前の桃山期の建立であるため、特に構造上は、過渡期の特色が濃厚である。桃山期の五重塔は全国で1基だけであり、文化遺産としての価値は極めて高い。
当初、大堂の右手前、現在の鐘楼堂と対の位置に建てられたが、直後の慶長19年(1614)の大地震で傾き、元禄15年(1701)、5代将軍綱吉公の命で現在地へ移築、修復された。
その後、数度の修理を経て、平成9〜13年、日蓮聖人立教開宗750年慶讃記念事業の一つとして、全解体修理が施され、全容を一新した。」
上の画像をご覧ください。中央に仏様たちが見えますね。1階は金箔が貼られ、極彩色が施されています。

客が多くてベストポジションから撮影できませんでしたが、柱も金箔で覆われてました。なんと!1階内部は塔ができた当初のオリジナルなんだって。

上の画像は仁王門から五重塔へ向かう道なんですが、実はこの道路は元禄の大修理の時に、もともと五重塔が建っていた場所から現在の場所に塔を引いてった名残なんだって。道路の幅が五重塔の幅ということですね。
む〜。この書き方だとわかりにくいか〜。
五重塔は移動する時に全てを分解して再度組み立てたわけでなく、1階はそのままに引き家で引っ張ったらしい。なぜにわかったか?というと、平成の大修理で1階には釘穴が1個しかないと気付いたからだって。一旦分解すると、そこに釘穴が出来る。再度組み立てる時には長持ちさせるために、別の場所に釘を打つからそれで判断できるとか?木造建築って実は凄い。長持ち。

この角度からだとひき屋で引っ張った道がわかるかな?

塔高29、37メートル。方三間五重塔。せっかくなので、五重塔の周りを回ってみた。どの角度から見ても美しい塔です。全体に赤い五重塔があったんだ〜。と、感動です。

そういえば、五重塔って何ぞや?の解説もありました。
五重塔は仏塔です。そもそもは、仏教発祥の地インドで、お釈迦様の遺骨を祀るために紀元前3世紀頃から造られはじめたストゥーパが起源です。
インドのストゥーパはお饅頭の形をしてまして、中国→朝鮮半島→日本と伝搬する中で、ストゥーパが形を変え仏塔になりました。ってかもう豪華な木造楼閣ですね。そもそもは石造でしたが、日本に到達し形を変えて木造へ。池上本門寺の仏塔は、五重塔ですが、他に三重・七重・九重もあります。実はこれらの塔にもストゥーパの名残がありまして、塔の上に立ってるピックの先みたいなあれ。そのとめ金になってる部分が半円のお饅頭の形をしてるでしょう?これがそう。言い換えると、五重塔で大切なのはこのとめ金みたいな半円のお饅頭と1階部分だけ。あとは飾りです。だから三重だろうが七重だろうが実は数はどうでもいい。そこは資金の差です。ぶっちゃけすぎ。
池上本門寺の五重塔は、国の重要文化財指定です。

五重塔の前に特設テントがありました。

特別ご開帳限定のお守りと、限定のご朱印状のテントです。

上の画像にお守りとご朱印のお値段が書いてありますので、ご興味のある方は参考に。今、ご朱印帳を持参して集めるのがプチブームだとか?日本人って昔っからそういうの大好きだよねっ。

ちなみに、本来ならば上の撮影ポイントから桜の海みたいな感じで、五重塔が見えたハズなんだ〜。2017年の桜は咲くのに時間がかかったからねえ。がっかりでした〜。

4月2日は春まつりが池上本門寺と塔頭のあちこちで開催されていました。明日はその様子を紹介します。
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勝海舟夫妻のお墓と西郷隆盛の留魂祠

2017年06月24日 05時30分15秒 | 墓所巡り
3度目の訪問でようやく撮影できた画像です。(撮影失敗の訳は昨日の記事をご覧ください)
2017年4月2日に洗足池を訪問。桜広場の一角に勝海舟夫妻のお墓があります。

説明板発見:勝海舟夫妻のお墓
勝海舟、諱は嘉邦、初め麟太郎。後に安房または、安芳と改め、海舟と号した。文政6年(1823)江戸に生まれる。幕臣として万延元年(1860)咸臨丸で渡米。海軍奉行となり、明治元年(1868)江戸開城に尽力する。
維新後は海軍卿、伯爵、枢密顧問官などを歴任し、漢詩、書を好み、高橋泥舟、山岡鉄舟と共に幕末の三舟と称せられた。
洗足池やその周辺の風光を愛し、明治32年(1899)没後遺言によりこの地に葬られた。
別荘洗足軒(現在は大森六中)で次の歌を詠まれた。
『千束村の別所に 楓樹数株を植えて うゑをかば よしや人こそ 訪はずとも 秋はにしきを 織りいだすらむ 染めいづる 此の山かげの 紅葉は 残す心の にしきとも見よ』(飛川歌集より)
洗足池駅から西廻りに散策路を進むと、壁に説明板がある。
 
勝海舟別邸(洗足軒)跡
勝海舟(1823−99)の別邸は戦後間もなく焼失しましたが、茅葺器の農家風の建物でした。
鳥羽・伏見の戦い(1868)で幕府軍が敗れると、徳川慶喜より幕府側の代表として任じられた海舟は、官軍の参謀西郷隆盛(南洲)と会見するため、官軍の本陣が置かれた池上本門寺に赴きました。
その会見により江戸城は平和的に開けた渡され、江戸の町は戦禍を免れたのです。海舟は江戸庶民の大恩人と言えるでしょう。
その際、通りかかった洗足池の深山の趣ある自然に感嘆し、池畔の茶屋で休息したことが縁となり、農学者津田仙(津田塾大学創始者、梅子の父)の仲立ちで土地を求めました。明治24年(1891)自ら洗足軒と名付けた別邸を建築し次のような歌を詠んでいます。
池のもに 月影清き今宵しも うき世の塵の跡だにもなし
晩年海舟は晴耕雨読の生活の中で、楓、桜、松、秋の草々などを移し替え次のようにも読んでいます。
うゑをかば よしや人こそ訪はずとも 秋はにしきを織りいだすらむ
明治32年(1899)77歳で没しましたが、「富士を見ながら土に入りたい」との思いから、生前より別邸背後の丘に墓所を造りました。
石塔の「海舟」の文字は徳川慶喜の筆と伝えられています。当初は海舟一人の墓所でしたが、後に妻たみも合祀され、大田区の史跡に指定されています。
勝海舟夫妻のお墓に隣接し、西郷隆盛の祠があります。

説明板発見:『留魂祠(りゅうこんし)
祭神:南洲西郷隆盛
例祭:毎年9月24日
由緒:明治維新の英傑、西郷南洲(隆盛)勝海舟の両先生は、大政奉還後の江戸城の明け渡し交渉によって、江戸の町を戦火より救われ、首都東京の基を築かれたことでも著名ですが、勝先生は、晩年、この洗足池畔に洗足軒と呼ぶ別邸を設けられ、南洲先生と日本の将来について歓談されたと伝えられます。南洲先生はその後、明治10年(1877)の西南の役により、故郷鹿児島において子弟3000余と共に逝去されましたが、これを惜しまれた勝先生は、追慕のため南洲先生の漢詩を建碑され、さらに明治16(1883)年、この魂魄を招祠して留魂祠を建立せられました。留魂祠の名は、漢詩「獄中有感」野「願留魂魄護皇城」に由来するものです。
この留魂祠は、元東京南葛飾郡大木村上水下川(現、葛飾区東四つ木1−5−9)の薬妙寺境内にありましたが、勝先生のご意思により、大正2(1913)年、石碑と共に現在の地へ移されました。右となりには勝先生ご夫妻の奥津城(墓所)があり、維新の両雄は今なお相並んで我が国の将来を見守っておられるのです。 南洲会』
石碑が留魂祠の側にあります。留魂碑です。

説明文発見:西郷隆盛敗死後1周忌を記念して、海舟が私費を投じて建てたものです。海舟の没後、その墓の側に移された。
留魂碑の表面には、隆盛の漢詩一首が故人の書体で刻まれ、その背面には、海舟の自筆で碑建立の動機が記されている。
海舟が留魂碑にえらんだ隆盛の漢詩は、文久3年(1864)、薩摩藩国父島津久光の怒りを蒙り、沖永良部島に流罪とされた時の作で、「獄中に感あり」と題する七言律詩であった。
表面:
洛陽知己皆魂為鬼 洛陽の知己 皆鬼となり、
南嶼俘囚独窃生 南嶼の俘囚 独り生をぬすむ
生死何疑天附与 生死何ぞ疑わん 天の附与なるを
願留魂魄護皇城 願わくば魂魄を留めて皇城を護らん

意味:洛陽、ここでは京の都。そこにいた知友はすでに鬼籍に入ったが、
私は南海の小島に囚われの身となって、独り生きながらえている。
生くるも死ぬるも、天が与えたさだめであることを、なんで疑うことがあろうか。
できることなら、死んでも、私の魂をこの世に留めて、天子さまの皇城をお護りしたい。

海舟が留魂碑にこの詩を選んだのは、隆盛の揮毫したものが遺っていたことにもよるが、なんといっても<死後もこの世に魂魄を留めて、天子の皇城をお護りしたい>という隆盛の忠誠心を人々に広く知らしめ、それによって逆賊の汚名を晴らしたいという切なる願いによるものであった。

裏面の海舟の文章を刻んだ部分:慶応の戊辰の春、君は大軍を率いて東下す。人心は鼎沸(ていふつ)し、市民は荷担す。我は之を憂えて一書を屯営に寄す。君は之を容れ、更に令して、兵士の驕傲(きょうごう)を戒め、府下百万の生霊をして塗炭に陥らしめざるなり。是れ何等たる襟懐(さんかい)ぞ。何等たる信義ぞ。たまたま往時の書する所の詩を見るに、気韻高爽として、筆墨淋漓たり。恍として其の平生を視るが如し。之を欽慕して自ら止むを能わず。石に刻み、以って記念碑をつくる。ああ、君は我をよく知り、而して君を知ること我に若くはなし。地下にもし知る有らば、きんぜんをもって一笑せんか。
意味:慶応戊辰、明治元年の春、君は大軍を率いて東海道を下り、江戸に迫ってきた。そのため、人心は動揺し、市民は荷を担いで逃げ出すありさま。私はこうした人民のことを心配して、君のいる軍営に手紙を届けた。君は私の手紙の趣旨を受け入れてくれたばかりでなく、更に命令を下して兵士たちに狼藉を働かないように戒告した。これは何という広い心であろうか?なんという厚い信義であろうか?たまたま私は、君がこの昔書いた所の詩を見たが、高く爽やかな気韻があり、鮮やかで勢いのある筆墨の跡があり、平生の君の姿を見るようであった。ために、君を敬慕して、自ら選んでこの詩を石に刻み、記念碑を作った。ああ、君はよく私のことを知り、そして君を知ることでは、私にかなうものはあるまい。地下にて君がこの記念碑を知ることができたならば、きっと君は頬ひげあげて一笑するであろう。』
な、長い〜。でもこの石碑はあちこちにある石碑の中でも秀逸です。歴史好きなら涙してもおかしくないっ!だって、表面が西郷隆盛筆。裏面が勝海舟筆。しかも石碑自体を勝海舟が自腹で作成し、自分の墓の隣に移すって大概でしょ?よっぽど江戸無血開城を実現させた英雄が、西南の役により評価が地に落ちて江戸(東京)に住んでる人々に悪し様に言われるのが悔しかったんだろうなあ〜。男の友情ですかね?「最後のあたりの君はよく私のことを知り、君を知ることでは私にかなうものはあるまい。」の部分が涙を誘うよねっ。初回に知って、ぜひとも記事にしたい!と思ったのに、撮影に失敗し、1年で都合3回も通ってしまいました。あれだ。この石碑は、高幡不動の新撰組の石碑に通じるものがあるわ〜。あれも感動的ですよ。
近藤勇・土方歳三殉節両雄碑(2010年6月6日)の記事
高幡不動はアジサイの名所でもあります。今からアジサイを見に行こうと思ってる方、高幡不動を訪問した際は、ぜひとも新撰組の石碑をご覧ください。所在は、土方歳三の立像の隣にあるでっかい奴です。



所在地は上の地図の右端中央です。
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洗足池桜巡り

2017年06月23日 05時07分34秒 | 桜散歩
今日は2017年4月2日の桜巡りから、洗足池を紹介します。
今年の桜は開花はしたものの、咲き進むのにとても時間がかかりました。例年ならそろそろ見頃?という4月2日に、目黒川の桜を東急池上大橋駅から中目黒駅までそぞろ歩きました。こちらの様子はすでに投稿済み。
目黒川の桜見物(2017年4月5日)の記事
この後、1日乗り放題の東急ワンデーオープンチケット660円を使い、洗足池駅へ移動。洗足池も桜の名所なんですが、訪問したら、全く咲いてなくて、4月の怒涛の桜散歩連載のブログ記事に投稿してもつまらん!と記事にするのを見送りました。それを思い出したので、書いてみます。
実は、洗足池を訪問したの、この1年で3度目です。初回は初訪問で去年、2016年6月4日。九品仏浄真寺さんへ(2016.9.2)の記事
この時は、九品仏寺目黒不動尊林試の森(昼食)洗足池公園(勝海舟のお墓)というお散歩コースでした。
目黒不動尊続き(2016年9月6日)の記事こちらの記事にアジサイの季節の目黒不動の画像があります。本堂の裏にある大きな大日如来像の周辺にアジサイがたくさん植栽されていて、フォトジェニックです。
この時、どう携帯電話をいじってしまったのか、林試の森で望遠拡大して撮影したハズのアジサイの画像から帰宅途中の電車の中までの画像が丸ごと消失しちゃいまして、記事にできなくて、洗足池は紹介できませんでした。
2度目は2016年12月7日、その日、清泉女子大学構内にある旧島津公爵家袖ケ崎本邸洋館の見学に当選しまして、いそいそと出かけました。
旧島津公爵邸見学(2017年4月1日)の記事
最寄駅が五反田だったので、またまた東急ワンデーオープンチケットの出番です。
この時は旧島津公爵邸見学洗足池の勝海舟のお墓国立科学博物館付属自然教育園で紅葉散歩というお散歩コースでした。
ところが!!島津公爵邸の内部が観れる!と浮かれて、携帯電話の操作を誤り、変なボタンを押してしまったのか??マイクロミニSDカードに画像記憶できてなくてですね。それに気づいたのが、洗足池に到着後だったのですよ。あれこれ試し撮影しても再生できなかったので、以後携帯電話の撮影を諦め、デジカメだけで撮影したので、洗足池の記事にできなくてですね。悔しくて、1年で3度目の桜の季節狙いで訪れたら、桜が咲いてないという有様です。キ〜〜~っ!!
んでも、来年以降に桜散歩を繰り延べにしても洗足池は見所が多いので今回4月の画像を使って紹介します。

千束八幡神社の鳥居です。
鳥居って、神社の参道に立てるものですよね?でも画像の赤い鳥居は池に向かって立ってます。池の縁のギリギリに立って撮影しました。これって、船で参拝前提かしら?という風体ですが、現在はすぐそばまで住宅街です。昔はどうかわかりませんが。もしかして、沼地だったら船で参拝ありやもしれんけども?

訪れた4月2日は、トップ画像にあるように、しだれ桜さえ咲いてないという有様でしたが、桜祭りが開催されてますので、屋台も並んでました。

千束八幡神社の裏手に馬の像が。

池月像。
説明板発見:池月発祥伝説の由来
池月とは「宇治川先陣物語」にある名馬の名である。
治承4年8月(1180)頼朝、相州石橋山の合戦に敗れて安房に逃れこの地の豪族、千葉常胤、上総介広常、等の参向を得再挙して鎌倉に向かふの途次ここ千束郷の大池に宿営し八幡丸の丘を本陣として近隣諸豪の参陣を待つ。折からの皓月池水に映るを賞でつる折ふし何処方よりか一頭の野馬、頼朝の陣所に向かって飛来りいななく声、天地をふるはすばかりであった。
郎党之を捕まえて頼朝に献ずるに馬体あくまでたくましく青き毛並みに白き斑点を浮かべあたかも池に映る月影のごとくであった為、これを池月と命名して自らの料馬とする。
頼朝先に磨墨を得、今またここに池月を得たるは之征平軍すでに成るの吉兆として勇気百倍し来れりという。士卒之を伝えて征旗を高く掲げ歓声やまざりしとか。
当八幡宮の別名を「旗上げ八幡」と称するはこの故事による。寿永3年春 (1184)頼朝木曽義仲を京師に攻む。義仲宇治、勢田の両橋を徹し河中に乱杭逆茂木を設けて寄手の渡を阻まんとす。この時鎌倉出陣に際し各々頼朝にこふて賜りたる名馬二頭の中、梶原景季は磨墨に、佐々木高綱は池月に跨りともに先陣を争った。史書にいう宇治川先陣争いである。
池月一台の晴れの場所でこの一番乗りの功名が今に至るまで名馬の誉れを伝えている。
この池月の誕生地が当八幡で会って、即ち池月発祥伝説の起こりである。
古くより里人の間に語り継がれ大井町線の駅名に(今の北千束駅)、また町会名にもなっていたが今はない。
とおき治承の昔より光芒すでに八百秋、時代の変遷と共にこの伝説の忘失を惜しみ後世に伝えんとする。
尚磨墨を葬せし磨墨塚は南馬込に現存する。」

洗足池の周りに桜があって、見頃だと池の水面を取り入れていい感じに撮影できたんだけども〜??

奥に弁天島と弁財天社が見えます。祭りの日曜なので、桜は咲いてなくとも人出はすごく、上の画像の散策路に座りお昼ご飯しました。ベンチが空いてないっ!縁石に腰掛けました。

桜は咲いてなくとも花見の宴会はするのが日本人。ここは桜広場です。この脇に勝海舟夫妻のお墓があります。こちらは明日、別記事立てで紹介しますね。3度目の訪問でようやく画像ゲット出来たので、思入れがあるんですよ。

洗足池に沿って散策路があり、ここは御松庵妙福寺さんです。

日蓮聖人の袈裟懸けの松の石碑です。松自体は代替わりしてます。何しろ日蓮といえば、鎌倉幕府に喧嘩を売って処刑されそうになったり、逮捕されたり今でいう危険思想の宗教家という扱いだった時代です。さすがに700年近くも前では松は残ってません。

こんな感じで。白鳥の足こぎボートがあるので、池から見る桜も素敵なポイントかも?訪問した2017年4月2日はまだ開花前だったので、桜の位置は確認できなかったけどね〜。
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白山神社の富士塚

2017年06月22日 05時21分09秒 | 歴史散歩
白山神社の金色の目の狛犬とあじさい祭り期間中だけ入れる富士塚が見たくて文京区にある白山神社へ。トップ画像の右下が富士塚です。

当日はあじさい祭り開催中で、境内ではジャズ演奏中。富士塚上りの行列に並びつつ、音楽を楽しむ。

なぜに期間限定でしか入れないのか?と思ったら、富士塚に上がると、近所の家の中が見えてしまうから。ご近所のプライベート保護のため、あじさい祭りの期間限定公開してるようです。
白山神社の富士塚は、たくさんのあじさいが植栽されています。



ようやく順番が回ってきて上りだしたけども腰が〜~っ!!階段がぁ〜〜!!
撮影してる場合じゃないや!みんな登るの待ってるんだからさ。

普通、富士塚は富士山の溶岩を使って、富士信仰のシンボルとして小高い山を作ってある。でも白山神社の富士塚に溶岩は見当たらないなあ〜。あるのかもしれないけど、あじさいを始めとした植物が多く植栽されていて、隠れてるのかも〜??
ちなみに、江戸時代にはどの富士塚の山頂からもかつては富士山が見えたんって。今は神社の敷地のすぐ外まで家が立ち並び富士山なんか全く見えません。ちなみに、現存する富士塚のうち、都内最古とされるのは、1789年の造られたと言う、鳩森八幡神社の千駄ヶ谷富士(渋谷区)です。
千駄ヶ谷の富士塚(2012年4月14日)の記事 こちらの記事に画像があります。ここは『ブラタモリ』でタモリさんも登ってたような〜?
なんと!都内には100か所余りも富士塚があるそうで。
私が他に登った富士塚は、品川神社さんの富士塚です。
サプライズな品川神社(2014年1月27日)の記事 こちらの記事に、品川神社さんの富士塚の画像があります。ここの富士塚は、明治に入ってからの造成。
白山神社の富士塚の山頂にある浅間神社の御社。
帰り際、ふと、富士塚の方へ目をやれば、富士塚があじさいに追われてました。

綺麗に見える場所はなかったのだけど、雰囲気は分かります?

角度を変えて。ギリギリまで民家が迫ってます。なるほど、これでは普段から富士塚に登り放題には出来ないですね。近所トラブル間違いなし!な環境に富士塚はある模様。
帰り道、東京メトロ南北線の本駒込駅近くの道路で発見。近所に緒方洪庵のお墓と江戸5不動尊の目赤不動があるのか〜。すんごく心惹かれたのですが、もう腰の痛さが限界で、お家買えるぅ〜〜。
永田町で東京メトロ南北線から半蔵門線に乗り換える。表参道駅下車。ホーム向かいにやってきたのは、クレヨンしんちゃんのラッピング電車でした!
久々〜。
 
慌てて携帯を出して撮影したのですが、腰が痛くて走れませんっ!あっちゅー間に出発しちゃいました。
帰宅後、お布団の上でゴロゴロしつつ柔軟をやってると、足を思い切りひねったら腰が『コキッ』と音がして、急激に痛みが消えた。もしかして骨がハマった??ラッキ〜!!
数日後、またまた柔軟してたらまたまた腰がコキってなってついに腰が曲がるようになりました!長かった〜~っ!!
毎月病院を受診したら体重測るんですが、5月と6月では3キロも変動ありました。減ったのはもしかせんでも筋肉な模様。私の筋肉返して〜~っ!!脂肪は返却不可で!
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白山神社であじさい祭り

2017年06月21日 05時28分11秒 | アジサイ散歩
2017.6.11訪問。
ベトナムフェスティバル会場の代々木公園イベント広場から文京区の白山神社の境内まで、東京メトロで移動したらまる1時間かかった。小田急東京メトロ切符を利用したので東京メトロ南北線本駒込駅を利用したので仕方ないね〜。都営地下鉄白山駅を利用すれば、もう少し時間短縮出来たかも?というのも、本駒込駅から白山神社の行き方がややこしくて、迷いそうになっちゃいました。旦那がスマフォで案内してくれなかったら、もっと時間かかってたかも?

白山神社での目的は、1)金色の目の狛犬が見たい。 2)期間限定公開中の富士塚に登りたい。 の2つです。
ダンナについて坂道を上っていくと、東洋大学に到着。その前の細い道を進むと、白山公園があった。訪問した6月11日は、あじさい祭りをやっていて、白山公園では、ぺんてるのお絵描き会をやってました。

上の画像は白山公園から見た白山神社です。まずは参拝したい。
うわ〜〜~っ!!参拝するのに行列が出来てる〜~っ!!これに並ぶのか〜??東京の人って本当に行列好きだよなあ〜。
ともかく、狛犬はどこだ??

本殿を進んでると、渦あじさいが綺麗だったのでパチリ。ってか、あまりに人が多いので、否応なく接写です。

あった〜。これは本殿に向かって左側の狛犬です。訪問した6月11日はムシ(6月4日)の日に近いからか、歯の相談代が開かれていました。6月1日に治療が終わったばっかりなので、私はパスですね。
行列を挟んで本殿の右側の狛犬も撮影する。

あじさい祭りだからか、狛犬の周りに綺麗なあじさいが飾ってあるので、ちょっと撮影する。



綺麗なんだけどね。腰が〜~っ!!かがめないので、携帯を差し出してシャッターだけ切った!もう構図とかどうでもいい。
実は狛犬目当てのカメラマンも多くて、数枚撮影して場所を譲る。

手水舎に咲くあじさいと祭り提灯。

境内にはステージができていて、ジャズ演奏を楽しみながら境内を見て回ってます。

みんな上手だなな〜。5月の昭和記念公園から立川駅散歩の時も、駅周辺を始めあちこちから音楽が聞こえてましたが、本当にうまいです。田舎だとヘタの物好きレベルなんだけどね。

なぜか、孫文の石碑がありました。
さてと?もう一つの目的、富士塚はどこかな?
境内をぐるりと回ったものの、見つからないので、総合案内の老人に尋ねてみた。
なんと!最初の白山公園の側にあった。続きは明日。
あ。総合案内で老人から第33回文京あじさい祭りのチラシをいただきました。そこに白山神社の紹介文が載ってました。
白山神社:948年に加賀国(今の石川県)白山此●(口偏に羊)神社からの勧請で送検した神社で、地名「白山」の元にもなりました。
東京の鎮護と万民の安泰を祈る東京十社の一つです。境内や隣接する白山公園には3000株のあじさいが植えられ、毎年6月中旬「文京あじさい祭り」では様々な催しが開かれます。主祭神は菊理姫絵命、他2柱です。
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ベトナムフェスティバル2017

2017年06月20日 05時17分41秒 | ベトナム旅行記
2017.6.11訪問。
明治神宮の御苑で花菖蒲と清正の井戸を見物した後、代々木公園に移動。ベトナムフェスティバル2017(6/10~6/11 10:00-20:00が代々木公園のイベント広場で開催。
数年前、ダンナが一人参加した事があり、その時の様子を聞いたらば「政府の広報的なイベントで、あんまり見るとこなかったよ」と答えが返ってきたので、期待せずに。でもフォーの屋台くらいあるでしょ?そこでお昼ご飯〜。とその程度で代々木公園沿いの道路に沿って歩道を歩いていたら、人がどんどん増えてきました。
〜〜〜、事前にダンナに聞いてたイベント規模じゃないんじゃ〜??歩道には、ベトナムの街中でよく見かけた露店が出てます。道路に直接品物を並べてるし。客は日本語話してないし。これは〜!!日本に出稼ぎに来てるベトナム人が大勢押しかけてるんじゃないかな??
イベント広場に到着すると??人で一杯〜。うわ〜〜っ!!
何はともあれ、お昼ご飯!!飲食ブースはどこも行列が出来てます。
と、とにかくフォーが食べたいっ!できたら鳥のフォーを!!
屋台の上の画像を頼りに探します。


こんなお好み焼き風のベトナム料理。



並んだ!とりあえず行列が短いのを選んだ!鳥のフォーをゲット(¥400)したのの、購入してから失敗に気づく。
汁物は立てって食べれない〜。
会場にはベンチや机を設置してる区画はあるんですが、人が多すぎて全く足りてない。あ〜、机と椅子を確保したいのだけれども〜〜。
空きを確保するのも大変でした。しばらく待って、撤収後の机を即確保。
急いで食べて同じように椅子を求めてさまよってる人に譲ります。ちなみに、こういう場合、麺のフォーじゃなくて、フランスパンのサンドウィッチなバインミーにしとくべきでした。

お腹がふくれたら、会場を回る。

あ!バーバーバー(333)ビール発見!
このビールは南ベトナムのホーチミン市のスタンダードなビールです。しかし価格がぁ〜。
確か、2016年4月に旅した時、スーパーで333ビール購入したら333ビール1本は9700ドン(¥57)でした。
1本500円ってどんだけ〜??ボリボリッ!!さすがに懐かしかろうと、これを買うのは負けた気がするわ。
この後、ベトナム航空のブースで、ベトナム旅行冊子とベトナム航空の機体を印刷したうちわをいただきました。うちわの裏は、7月&8月臨時便運行決定!成田ーダナン直航便だそうですよ?
これいいなあ〜。確か、成田ーハノイ&ホーチミン市は飛行時間が6時間かかります。ダナンは中間にありまして、最近有名になりつつあるビーチリゾートです。まあ、南シナ海の波が直撃するので、場所によると波が大きい。後、日本では有名な観光地、ホイアンが近いので、ついでに観光も出来て便利です。
さて、同じベトナム航空のブースで、スマフォに何か登録したら、ベトナムの笠(ノンラー)をプレゼントというイベントもやってました。下のフェスのパンフレットの一番上で女性が被ってる笠がノンラーです。私はベトナム旅行で買ったから、見てただけだけど。持ってなかったらとっても悔しかったかも〜。でもスマフォ持ってないんだよね〜。
ベトナム航空のブースの向かいに、フェスティバルの総合案内のブースも。
落ち着いて見たかった〜。こう座ってブース案内を見れる場所もない混雑具合です。

ベトナムはフルーツ王国です。日本ではお高いトロピカルフルーツがでっかくて極旨で、更に安いっ!でもさ〜、イベントで売ってるフルーツは、ビールと同じくお高いの。み、見るだけじゃ〜。



お土産物販ブースはこんな感じの商品がありました。
 

 
最近日本で人気のココナッツオイル。ココナッツオイルって気温が高いと液体になるんだよね〜。
 
ベトナム雑貨。荷物紐を組み合わせて作成した買い物カゴです。ホーチミン市のベンタン市場でも並んでました。

リゾート用の服〜。今からの季節には日本でも普通に使える。

ホイアン旧市街は世界遺産の街。ランタン夜祭が有名です。下がってるのがランタン。あとは手仕事ですね。少数民族の作った刺しゅうの小物は雑貨屋さんの人気商品です。

実はベトナムは世界第2位のコーヒーの産地。お土産にコーヒー粉を買ってきた人も多いのでは?私も買いました!
ダンナが会社でベトナムコーヒーの入れ方も教えてもらった!とかで、ベトナムコーヒー専用のアルミの、上の画像のね。これもベトナムで買ってきましたよ。
そして私が欲しいのはバッチャン焼きと蓮茶です。
しかし、バッチャン焼きは売ってなかった。蓮茶は買いました。

上の画像の右下のが蓮茶のティーパック(¥350)です。ちょい高いけど、これしかなかったんだよね〜。
さてと、人混みが嫌いな私はもうスゴスゴとベトナムフェスティバルの会場を後に。東京メトロ明治神宮前駅から移動です。目指すはアジサイ祭り開催中の白山神社です。

今日の記事の画像は、画像フォルダの読み込みで、画像サイズを640ピクセルから変更し、480で読み込んでみました。
私が使ってるMacBookは小さいので、縦画像だと上下が画面に全部入らない。画像が大きいのはいいんがけど、ちょっと大きすぎる。試しに480で。閲覧してくださってる方の感想はいかがですか?

昨日はこの記事の閲覧数が多くてびっくりしました。
記事中につけてる解説が具体的なのは、2016年4月にベトナムへ行ったからです。ブログの左の柱のカテゴリーの2つ目にベトナム旅行旅日記と、最新フォトチャンネルの2つ目にベトナム旅行の画像100まいがあるので、興味がありましたらご覧ください。
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明治神宮御苑の花菖蒲と清正の井戸

2017年06月19日 05時27分36秒 | 花見散歩
2017.6.11訪問。
明治神宮御苑の花菖蒲を見るのって、今回が初めて〜。相模原公園の花菖蒲と違う品種ってどんな感じかな?楽しみ〜。
まずトップ画像が目に飛び込んできた。う〜ん?もしかして見頃過ぎちゃった??今年は近所のアジサイの開花の指針にしてる麻溝公園ではアジサイの開花が遅めなのでいけると思ったんだけどな〜。

明治神宮御苑の花菖蒲:
御苑の花菖蒲は、明治26年(1893)、明治天皇が皇后の昭憲皇太后をいたわるために植えさせたものです。
明治神宮の花菖蒲は、現在約150品種・1500株が咲きますが、「江戸系」の品種が多く、特に江戸時代に数多くの名花を作出した菖翁こと松平定朝の「菖翁花」を見ることができます。
16枚の花菖蒲田は、江戸時代は家臣子女が米作りの大切さや苦労を学ぶ稲田でした。




雅な名前が付いています。相模原公園の水無月池にも名札が刺さってますが、御苑の花菖蒲は見てないなあ〜。まあ今年の相模原公園の江戸系は株分けしたばかりで小ぶりだから詳しく観察してないけどな〜。

訪れた6月11日のお昼前には、ちょうどお手入れ中。花柄摘みもやってたのね。

気づいたのですが、御苑の花菖蒲田は、土手が泥で出来てました。あと、柵が竹で出来てます。確か花菖蒲田の途中の
橋も枠は竹で出来てたような〜?

観覧客が思ったより多かったです。

花菖蒲を楽しんだあとは、目的のもう一つ。清正の井戸です。携帯電話の待受画像を撮影するのだ。と、でもさ〜、行列が出来てました。順番を待ってると、後ろのグループの話が聞こえてきた。
オバ1:「清正の井戸のご利益が欲しいの」
オバ2:「宝くじ当たるかしら〜?」
オバ1:「宝くじといえば、京都の●●さんがすごいのよ〜」
オバ2:「遠いわ〜。近いところだと?」
オバ1:「そうねえ。品川の●●さんもよく当たるんだって」
へえ〜へえ〜へえ〜と。聞くともなく聞いていたのですが。どうもオバサンの記憶は自分のいいように改変もされてるようで。
オバ1:「清正の井戸の水を飲めばいいのかしら?」
オバ2:「そうじゃないの?」
そこへ第三者のおじさんの声が聞こえてきた。
オジ1:「清正の井戸の水は飲めないみたいだよ?」
オバ1:「でもちょっとくらいならいいんじゃないの?」
オジ1:あそこで警備員が見てるからダメじゃないかな?」
オバ1&オバ2「ンまあ〜」
私の記憶が確かならば、まずは携帯電話で撮影して、その画像を待受にすると金運上昇じゃなかったかな?
そしてここは東京でも1、2を争うパワースポットだったハズ。前回、ベトナムのフエの川に落としてさよならした携帯電話の時は、ご利益を受けるには?を下調べしたのですが、あれから数年。記憶の詳細はおぼろげ。でも行列は前方で傾斜を下ってるので、前の人が何をしてるか観察してると?水を飲んじゃいませんが、清正の井戸の水に手を浸けてます。
よし!同じことをしよう!
まずは清正の井戸の撮影。


次は、清正の井戸の水で手を洗う。
警備員:「井戸の中に手を入れないでください」
と注意されたので、井戸の水があふれてる部分へ手を〜〜〜手を〜〜!!
ゴァ!グゥ〜〜〜!!こ、腰がぁ〜〜!!
激痛に耐えて手を浸けました。
整形外科でレントゲン撮影したら、腰骨の4こ目と5こ目の間の椎間板が狭くなってて、仙骨が正常値30度、私は63度です。これが敗因で腰がとても痛かった!!
まあ、目的は果たしたので、撤収〜!!

ダンナが北門から出るというので、大鳥居を撮影してみた。やっぱりここの鳥居は素敵です。サイズはともかくこれ、木製なんですよ。ちなみに、花菖蒲の季節は東門も開いてます。
南参道を原宿駅方面へ。明治神宮の静けさが嘘のように大にぎわいです。代々木公園へ向かうと、向かいの代々木体育館でも何か催しをやってました。代々木公園前の道路に沿って進むと?ベトナムでよく見かけた路上露店が出てました。
あ!ベトナムの甘味、チェーを300円で売ってる!欲しいけどっ!!周りにたくさん人がいて、全部日本人じゃないわ〜。ベトナム人だわ〜。あれ?前にナマステインディアで来たけどさ、ベトナムフェスティバルってベトナム人の来場率高すぎない??
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明治神宮参拝

2017年06月18日 05時18分01秒 | 神社・仏閣
2017.6.11参拝。
腰が痛くてしばらく動きたくなかったのですが、一度明治神宮御苑の菖蒲が見たいと思って実現してませんでした。理由は御苑の入場料が500円もかかるから!最近我が家の財布の紐はギュギュ〜〜っと閉まってまして、少しでも節約したいのですよ。なのに、なぜ今年は行く気になったのか?と言うと、ベトナムのフエの川底に沈めてさよならしてしまった私のフェイバリット携帯電話の待受が明治神宮御苑の清正の井戸の画像だったからです。携帯電話は川に落としたので、あの画像も二度と戻ってきません。なので、再度清正の井戸の画像が欲しいんだな〜。ってな事で、2つも理由があるんだからと先週末の代々木公園のベトナムフェスタと併せて行ってきました。
うちからの最寄駅は、小田急線の普通電車の停車駅の小田急相模原駅です。よって最寄駅から座って乗車できたのですが、鶴間駅を過ぎたあたりでどうにも腰が痛くて辛抱我慢できなくなり、ダンナに「新百合で急行に乗り換えて立っていきたい」とお願いして乗り換えました。なんつーか、立つぶんには腰は痛くないんです。座ると痛い。寝た姿勢が一番楽〜。という情けない有様が、5月の里山ガーデン&ズーラシア散歩から続いてまして。さすがに少しマシになったのでお出かけしたものの、自分が思うよりまだまだ痛さが続いてました!ってな事で、代々木上原駅で急行から普通に乗り換え、参宮橋駅で下車。
あれ?参宮橋駅の改良工事をしたのかな?出口が変わってました。参宮橋駅から明治神宮の西参道へ向かいます。
私たちのすぐ前を外国人の若い二人連れの男性が行くのですが、彼らが一生懸命撮影してる。一体何を写してるの??
通りすがりにスマフォを覗けば新宿DOCOMOタワーでした〜。
ンン??それ、キミの国に似たのないの??
西参道入り口に到着。江戸城に劣らない見事な石組みを眺めつつ明治神宮の境内へ。
前を行く外国人がアゲアゲ気分でスマフォを向けたのが、武道の鍛錬をしてるグループです。子供らは上下白の道着を着てますが、指導する大人はしたが袴。手には竹刀(もしかしたら木刀かもしれんが。遠くて判別出来ません〜。
やがて手水舎が見えてきました。社殿まですぐそこ〜〜〜。
ん??
何かおかしい。

うわっ。スクリーンじゃん!!社殿が〜〜。何してるの??
ともかく、参拝が先か!と手を合わせます。そこへ、結婚式の列がやってきました。花嫁さんスクリーンで覆い隠した社殿を見て「こんなはずでは〜〜??」と思ってるんだろうなあ〜。気の毒〜。
社殿の周囲では訪問時に盆栽の展示中。気に入ったのを少し撮影しました。
 

 
さてと?先を急ぎます。時刻はすでに10時半。急がないと、御苑が混雑しちゃいます。


ん?木の鳥居が新しくなってます。

これ、いつ新しくなったんだろう?ンン??木の鳥居の足元にテントが見えますか?拝殿がスクリーンな訳が判明しました。
明治神宮では現在、鎮座100年記念事業の一環として、社殿の銅板屋根葺き替え工事をしてるそうで、拝殿も同じく銅板屋根の工事が今年11月20日ごろまで続くそうです。その後、順次平成31年秋まで続くそうで、テントでは銅板の寄付を募ってました。へえ〜へえ〜へえ〜。

さてと、御苑入り口の御苑北門に到着です。入苑料を支払うと、小さいパンフレットを頂けます。
スタンプもあった。画像がピンボケになっちゃたのですが、スタンプのサイズが大きい、画像の左の小さいのがいただいたパンフレットです。そこに由来が印刷されてました。
明治神宮御苑:この御苑は御祭神・昭憲皇太后(明治天皇のお妃様)にゆかりの深い由緒ある名苑です。江戸時代(1603~1867)の初めは熊本藩主加藤家下屋敷の庭園で、その後、彦根藩主井伊家にうつり、三代将軍徳川家光も訪れています。明治維新(1868)後、皇室の御料地隣代々木御苑と称せられました。
広さは約83.000平方メートルあり、小径が熊笹の間を縫い、武蔵野の里山の面影をとどめています。
では早速〜。

隔雲亭:数寄屋造(茶室風)の木造家屋は昭憲皇太后のご休憩所として明治天皇が思し召になったものです。残念ながら戦火で焼失したので、昭和33年に篤志家により建替えらえました。

南池まで続くなだらかな斜面は芝生で覆われ、ツツジが配植されています。

四阿:南池を望む小島に設置してある。釘を使わない建て方が素敵〜。
 
ここが原宿や代々木の隣にあるとは思えない。まるで山の中にいるみたいです。

南池:(広さ8.300平方メートル)と称される自然の古池で井伊家時代から「お泉水」と言われていました。
四阿から見えた南池の様子。池に浮かんでる植物が気になって、見やすい場所へ移動する。予想通りなら嬉しいな。

釣魚台:睡蓮です。釣魚台からすぐそこで咲いてました。

奥にもう一つ。ピンクの睡蓮が咲いてましたが、ちと遠すぎて花色もわかりづらい〜。
ところでですね。この5月ともなると女性は紫外線が気になるのか?先月のバラ巡りの時もあちこちで日傘の花が咲き誇ってました。撮影には日傘が邪魔で邪魔で。使ってる本人は気にならないのでしょうが。画面構成をぶっ壊してくれるんだよね〜。
そしてこの釣魚台では更に困ったオバさんがいました。
釣魚台はあまり広くありません。御苑に入り最初のお花スポットで、この時も大勢が睡蓮を楽しんでいました。そこへ、水際の最前列で突然オバさんが日傘を開いたんです。周りに人がいっぱいいるのに、断りもなく、呼びかけもせず、いきなり傘がバッと目の前に広がりました。もう怖いわっ!!目に傘の骨の先端が突き刺さりそうになったじゃないかっ!!周囲への心配りはどうした?呆れちゃう〜。でもオバさんは今じぶんがいかに危ないことをしたか自覚が全くありませんでした。おばさんのグループだったから注意するのを躊躇してる間に、おばさん達がトークを始めちゃったので、早々に退散しましたが。なんだかな〜。
明日は本日の目的の1番目。明治神宮御苑の花菖蒲を紹介します。
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麻溝公園のアジサイ順路の開花状況2017.6.14現在

2017年06月17日 05時41分54秒 | アジサイ散歩
相模原市麻溝公園はアジサイの名所です。公園内に約200種類7400株があり、樹林広場、フィールドアスレチック外周に植栽されています。樹林広場は山アジサイ中心で、昨日紹介した記事になります。
今日紹介するのがフィースドアスレチック外周のアジサイ順路の現在の開花状況です。トップ画像はグランド側の駐車場に隣接するポイントで、去年までなかった新設のアジサイ小道から撮影しました。ここ、アジサイと3月はクリスマスローズがたくさん咲いてる場所なのですが、今までは順路の道から遠くで咲いてて側から見れなかったんだよね。おススメ。

アジサイ順路に戻りました。しばらくガクアジサイ?山アジサイが続きます。ここのアジサイは背が高い。頭の上で咲いてるからさ。上の画像のようにしたから見上げて撮影できます。
その後はタマアジサイの一大群落です。現在、タマアジサイ周辺にもアジサイ小道の整備が進んでますが、現在は立ち入り禁止です。アジサイの季節にタマアジサイが咲いてるところを見たことないのですが、当たり前でした。日向薬師や北鎌倉で見たタマアジサイは、彼岸花やハギが咲く時期に花をつけてました。つまり季節違いだったのね。今咲いてなくて当たり前でした。ってなことで、前回、公園の外周の柵に咲くクレマチスを紹介しました。その内側にあるアジサイ順路に咲く西洋アジサイの現在の開花状況です。
 

 

 アジサイは中央の部分に小さい花が咲いて花が咲くというのが本当らしい。色が付いているのは実は花びらじゃないんだって?撮影したのはすでに綺麗に色がついてるのを選びました。
ここのアジサイ順路は左右にたくさんのアジサイが植栽されていますが、道路側のアジサイは少し斜面の上になってまして、アスレチック場側のアジサイしか楽しめません。道路側のアジサイを見るには、公園の外へ出て、公園の柵から見下ろすように見てください。
フィールドアスレチック場のアジサイ順路を楽しんだ後、麻溝公園を東西に横切る水道みちに咲くアジサイを見に行きました。



水道みちは公園内で一旦坂を下り登るように通ってます。高低差を利用して画面を構成します。



高低差を利用して、アジサイをしたから見上げて撮影しました。白いアジサイはアナベルと言って、西洋アジサイの中では遅めに見頃になる品種です。

この辺りは多くのアナベルがありまして、いい撮影ポイントなのですが、カップルが〜〜!!ロマンチック衣装をつけた女性を、男性が撮影してて〜。つまりモデル撮影してる最中です。もう邪魔にしかならんので数枚撮影して立ち去りました。時刻は15時17分。この日は青い空と灰色の雲が交互に空を流れてくコンディションだったので、太陽の位置の参考にはならないと思うけども。これから麻溝公園にアジサイを見に行かれる方の参考になりましたら嬉しいです。
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麻溝公園のアジサイ開花状況2017/6/14現在

2017年06月16日 05時15分12秒 | アジサイ散歩
相模原公園で満開の花菖蒲を楽しんだ後、アジサイの名所の隣接する麻溝公園へ。

前回訪問は6月6日でした。山アジサイの変化を楽しみます。

ほんのり紅色に色づいてきました。

感じるのは例年に比べ開花進行が遅いのかな?それとアジサイの木が高いです。ここは山アジサイを植栽してるエリアなんですが、アジサイの背が高くなると撮影が大変です。

これと次のこの画像は、携帯を頭の上に差し上げてシャッターを押しました。

幸いいい画像になったけど、使い物にならない画像もいっぱいよ〜。山アジサイって剪定したらダメなのかな?専門家の出番な気がする。

私的に一押しのアジサイがこれ。画像奥の木に巻きついてるツルアジサイです。地味なんだけどね。
アジサイの名所へ何箇所も行きましたが、ツルアジサイはここ麻溝公園でしか見たことありません。まあ、地味な品種だからあっても気づいてないだけかもしれませんが。訪問したら、頭上も確認してね。

この撮影ポイントは、日差しが強いと影がくっきりとなりアジサイの花色がほとんど出なくなります。花曇りか小雨の日に訪問したら行ってみて?後。上の画像中央奥の丸い花壇も是非にチェックしてね。
レモンウェーブという変わった葉のアジサイがあります。これまた他では見たことありません。花は地味なんだけどね。

二つ上の斜面花壇。橋を渡った先で山アジサイのポイントを振り返ってみた。
夏の花が既に咲き出してます。これ、何て名前の花だっけなあ〜??

タワーと絡めて撮影。

グランド周りのアジサイも、昨夜から早朝にかけての雨で元気になってます。

画像に写ってませんが、グランドでバトンの練習してました。かわいい女の子だったから是非画像に取り入れたかったんだけど、遠すぎて米粒になっちゃったよ。

グランド周りのアジサイはまだ色づき中の場所も。品種が違う??見頃までもう少しかな?明日は、アスレチック場にあるアジサイ順路の開花状況をおしらせします。ここは、アスレチック場の木の影になるから遅めに咲くんだよね〜。
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