2018.11.25訪問。まずは目的の巨木探訪から。
イチョウが4本あるんですけど??と、外からみて迷ったけど、中から見ると、男イチョウが飛び抜けて大きい。
説明板がなかったので、売店の巫女さんに尋ねてみたけどご存知なく、「年配の宮司なら知ってるハズ』と言われたので、聞くつもりで行ったら、七五三対応でてんてこ舞いされてたので諦めた。で、記事にするためWEBの海で調べたところ、大宮八幡宮のイチョウ(雄株)
東京都指定天然記念物(昭和8年10月指定)
樹高:28、5メートル(区内のイチョウでは、松林時のものに次いで2番目の高さ
幹周り:361センチ 直径:115センチ 推定樹齢:不明
ではイチョウが一番カッコよく見える場所を探す。
ちなみに、この木は銀杏ができない雄株です。画像の門は神門で、門の左右にイチョウがあります。雄株の反対には雌株がある。でも雌株は細い。まあ、大概有名なイチョウは雄株ですが。でも大宮八幡宮のイチョウは夫婦銀杏で、縁結びのパワースポットなんだって。そして珍しい復縁のパワースポットでもあるとかなんとか。こちらは銀杏の情報をWEBで探してたら見つけました。
訪問時、境内には七五三の着物を着た子供らと両親祖父母の一家総出の参拝客も多かった。ちょうどこの日まで菊花展も開催されてたし、見どころ盛りだくさんです。
参拝した後、境内図に乗っていた源義家お手植えの松を探すことに。「源」だから、あちこちに笹竜胆を見かけます。鎌倉にはほとんど笹竜胆の社紋をみないからなんとなく嬉しい。
あれ?この木は〜??
説明板発見:菩提樹
松平秀康(1574−1607)は、徳川家康の次男として生まれ、始め豊臣秀吉の養子となり結城の姓を授かる。のちに関ヶ原の戦功により越前藩主に封ぜられ、松田秀康と名乗る時に、清涼院を側室に迎える。
清涼院は当宮を崇敬し、ご参拝のおりに、この菩提樹を植樹されたと伝えられている。」
ビッグネームが目白押し!え〜と?関ヶ原の戦いが1600年だから、この菩提樹は400年近く前に植えられた模様です。そうなんだねっ。ならば全景が撮りたい。しかし境内は現在七五三客が多くて。
悲しいことに逆光になっちゃいました〜。
まさか、これが源義家お手植えの松??あれ〜??
調べた!「源義家=八幡太郎は、1039年生まれの1106年死没」となると、今から900年近く前。松はそこまで長生きしない。900年ものの松が現存してたら、もっと有名になってるわ〜。
説明板はあるけど、これ、読めるかなぁ〜??挑戦する。
頑張りましたが、挫折しました。でも、背後の細い松が後継だと思う。
そばには小さな祠がいくつか並んでます。一対の狛犬。これさ、ど〜みても笑ってる!ほんわかする。
む!また立て札がある。今度は読めるかな?
共生の木
榧木に犬桜が寄生しています。
古代よりの武蔵野の社叢の中で稀なる二つの木が一本の⚫️で結ばれ、枝が合い生きていている姿は、まさに共生じ示唆している御神木です」
つまりどゆこと?二種類の木ってことだよね?下から見上げてもよくわからんな〜。もうちょい犬桜が紅葉すれば分かりいいハズだけど。たぶん、枝の感じから一番下の、右に伸びてるのが犬桜じゃなかろうか?あれだけ枝ぶりが違うし。
時刻は11時29分、次行ってみよう!
あれ〜??八幡橋はどこだろう?北へ抜けたら神田川にかかる北参道にあるハズなんだか??
実はですね、大宮八幡宮の北の神田川では結構大規模に工事をしてて、工事中は塀を巡らせてあり、川の対岸が見えません。どこに橋があるのかもわからん。仕方なく道なりに進むと、橋はあった。でも八幡橋じゃない!御供米橋って書いてある〜。
仕方ないので渡りました。御供米橋の先はケヤキ広場です。いい感じに色づいてるし、ベンチもある。ここでお昼ご飯も悪くない。
てなことで、早めのお昼ご飯にしました。時刻はまだ11時40分。公園に行こう!の情報では、和田堀公園のバーベキュー場の紅葉が綺麗とあったので、まずはバーベキュー場を探さないと!
参道入り口にあった説明板によりますと神社本庁別表神社 多摩乃大宮・武蔵国八幡一宮 大宮八幡宮
御祭神:応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
御由緒と御神徳
大宮遺跡の存在でも明らかなようにこの大宮台地は古代より神霊の坐す聖域でありました。
社伝によれば第70代後冷泉天皇の時、天喜年中(1053−57)鎮守府将軍源頼義公が奥州兵乱平定の途次、この地で長男の八幡太郎義家等と共に白雲八ツ幡の瑞祥をみて戦勝を祈願され、平定後の康平6年(1063)源氏の祖神である京都・岩清水八幡宮の八幡大神を勧請、当宮が創建されました。
以来多くの人々の崇敬が篤く神域も殊の外広大でありましたので、武蔵の国三大宮の一つ「多摩の大宮」と呼ばれていました。
源氏一門の徳川家康公も江戸開府にあたり当宮にも参詣。以降歴代の将軍より崇敬され朱印30石を賜りました。
御祭神親子三神の御神威により子育て(安産)守護、家庭円満、厄難よけ、所願成就の神として信仰が篤く、近年は神々の記憶とわが国の歴史へ誘う、東京の重心「東京のへそ」「子育て厄除け八幡さま」と讃えられています。
なお大宮、方南、和田、松の木の各氏子地域の氏神様であります。
イチョウが4本あるんですけど??と、外からみて迷ったけど、中から見ると、男イチョウが飛び抜けて大きい。
説明板がなかったので、売店の巫女さんに尋ねてみたけどご存知なく、「年配の宮司なら知ってるハズ』と言われたので、聞くつもりで行ったら、七五三対応でてんてこ舞いされてたので諦めた。で、記事にするためWEBの海で調べたところ、大宮八幡宮のイチョウ(雄株)
東京都指定天然記念物(昭和8年10月指定)
樹高:28、5メートル(区内のイチョウでは、松林時のものに次いで2番目の高さ
幹周り:361センチ 直径:115センチ 推定樹齢:不明
ではイチョウが一番カッコよく見える場所を探す。
ちなみに、この木は銀杏ができない雄株です。画像の門は神門で、門の左右にイチョウがあります。雄株の反対には雌株がある。でも雌株は細い。まあ、大概有名なイチョウは雄株ですが。でも大宮八幡宮のイチョウは夫婦銀杏で、縁結びのパワースポットなんだって。そして珍しい復縁のパワースポットでもあるとかなんとか。こちらは銀杏の情報をWEBで探してたら見つけました。
訪問時、境内には七五三の着物を着た子供らと両親祖父母の一家総出の参拝客も多かった。ちょうどこの日まで菊花展も開催されてたし、見どころ盛りだくさんです。
参拝した後、境内図に乗っていた源義家お手植えの松を探すことに。「源」だから、あちこちに笹竜胆を見かけます。鎌倉にはほとんど笹竜胆の社紋をみないからなんとなく嬉しい。
あれ?この木は〜??
説明板発見:菩提樹
松平秀康(1574−1607)は、徳川家康の次男として生まれ、始め豊臣秀吉の養子となり結城の姓を授かる。のちに関ヶ原の戦功により越前藩主に封ぜられ、松田秀康と名乗る時に、清涼院を側室に迎える。
清涼院は当宮を崇敬し、ご参拝のおりに、この菩提樹を植樹されたと伝えられている。」
ビッグネームが目白押し!え〜と?関ヶ原の戦いが1600年だから、この菩提樹は400年近く前に植えられた模様です。そうなんだねっ。ならば全景が撮りたい。しかし境内は現在七五三客が多くて。
悲しいことに逆光になっちゃいました〜。
まさか、これが源義家お手植えの松??あれ〜??
調べた!「源義家=八幡太郎は、1039年生まれの1106年死没」となると、今から900年近く前。松はそこまで長生きしない。900年ものの松が現存してたら、もっと有名になってるわ〜。
説明板はあるけど、これ、読めるかなぁ〜??挑戦する。
頑張りましたが、挫折しました。でも、背後の細い松が後継だと思う。
そばには小さな祠がいくつか並んでます。一対の狛犬。これさ、ど〜みても笑ってる!ほんわかする。
む!また立て札がある。今度は読めるかな?
共生の木
榧木に犬桜が寄生しています。
古代よりの武蔵野の社叢の中で稀なる二つの木が一本の⚫️で結ばれ、枝が合い生きていている姿は、まさに共生じ示唆している御神木です」
つまりどゆこと?二種類の木ってことだよね?下から見上げてもよくわからんな〜。もうちょい犬桜が紅葉すれば分かりいいハズだけど。たぶん、枝の感じから一番下の、右に伸びてるのが犬桜じゃなかろうか?あれだけ枝ぶりが違うし。
時刻は11時29分、次行ってみよう!
あれ〜??八幡橋はどこだろう?北へ抜けたら神田川にかかる北参道にあるハズなんだか??
実はですね、大宮八幡宮の北の神田川では結構大規模に工事をしてて、工事中は塀を巡らせてあり、川の対岸が見えません。どこに橋があるのかもわからん。仕方なく道なりに進むと、橋はあった。でも八幡橋じゃない!御供米橋って書いてある〜。
仕方ないので渡りました。御供米橋の先はケヤキ広場です。いい感じに色づいてるし、ベンチもある。ここでお昼ご飯も悪くない。
てなことで、早めのお昼ご飯にしました。時刻はまだ11時40分。公園に行こう!の情報では、和田堀公園のバーベキュー場の紅葉が綺麗とあったので、まずはバーベキュー場を探さないと!
参道入り口にあった説明板によりますと神社本庁別表神社 多摩乃大宮・武蔵国八幡一宮 大宮八幡宮
御祭神:応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
御由緒と御神徳
大宮遺跡の存在でも明らかなようにこの大宮台地は古代より神霊の坐す聖域でありました。
社伝によれば第70代後冷泉天皇の時、天喜年中(1053−57)鎮守府将軍源頼義公が奥州兵乱平定の途次、この地で長男の八幡太郎義家等と共に白雲八ツ幡の瑞祥をみて戦勝を祈願され、平定後の康平6年(1063)源氏の祖神である京都・岩清水八幡宮の八幡大神を勧請、当宮が創建されました。
以来多くの人々の崇敬が篤く神域も殊の外広大でありましたので、武蔵の国三大宮の一つ「多摩の大宮」と呼ばれていました。
源氏一門の徳川家康公も江戸開府にあたり当宮にも参詣。以降歴代の将軍より崇敬され朱印30石を賜りました。
御祭神親子三神の御神威により子育て(安産)守護、家庭円満、厄難よけ、所願成就の神として信仰が篤く、近年は神々の記憶とわが国の歴史へ誘う、東京の重心「東京のへそ」「子育て厄除け八幡さま」と讃えられています。
なお大宮、方南、和田、松の木の各氏子地域の氏神様であります。