2019年1月27日、海老名の巨木と歴史散歩をしました。南の本郷にある有馬のハルニレ椿地蔵のツバキ内宮・豊受大神大谷観音堂のカヤ(今ここです)到着は11時36分。相模川の河岸段丘を全部降りてしまいました。
かながわの名木100選の石碑発見:大谷観音堂のカヤ
幹が2本に分かれた珍しい巨木で、樹林の中にあってひときわ堂々とそびえている。「相生のカヤ』とも言われて親しまれている。
樹高:20メートル 胸高周囲:7メートル 樹齢:約400年(推定)
カヤは宮城県から屋久島の山地に生える常緑高木で、幹は直立し、よく分枝し、横枝は水平に出る。
樹高35メートル、胸高周囲8メートル、樹齢約1000年に達するものもあると言われている」
何はともあれまずは参拝。
観察する。本堂になんか掛け軸に良い言葉を書いた書がいくつも下がってます。事前調べでは「大谷観音堂は平安時代の1180年に創建されたと伝えられている。子宝に恵まれる観音堂として地域の人々に親しまれている。近年老朽化が進んでいたが、それまで無人だった観音堂に住職が入ったのをきっかけに修復され、すっかりきれいになった」と、図書館で借りて来た巨木の本に紹介されていた。
なんか生活感のあるお堂は実は珍しいと思う。そこここに生活感が溢れてていい感じだ。
カヤの巨木を観察。観察していると、年配の男性が自転車でやってきた。
あ!違うわ。ご住職が戻ってこられたんだ。ご挨拶すると返事を返して下さった。
ところでカヤの大木は根元付近で二股に分かれてるのが特徴的。一説には1570年(元亀1)に兵火に焼かれて枯れたカヤを伐採したところ、新しい芽が2つ伸びて二股になって生長したと伝えられてるとか。
元亀元年(1570)といえば、小田原北条氏?攻め方はどこだろう?武田か上杉か?おそらくその辺り。いや、御由緒の説明板も撮影したけども、表面をガラスかアクリルでガードがかけてあり、撮影画面は光が反射して読めなかったんだ〜。
あれ?二股の向こうに富士山が見える。ここ、相模川の河岸段丘の下にあるので、普通ならば視界が遮られるのですが、道路の向こうは整地されたまっすぐな田んぼが並んでます。あれだ。土地改良で出来た土地なんだろうなあ〜。
まだ正午前だけど、巨木と富士山を眺めながら観音堂の東屋であんパンと熱いお茶でお昼ご飯をいただく。時刻は11時56分、変電所北バス停に10時10分に到着したから、歩き始めて1時間半か〜。
さて、元気もでたので出発です。最後に観音堂を振り返る。
ン?あれ?あの白いのは何??
一旦道路まで出たのを引き返す。説明板発見:立木観音の由来
義功和尚の知り合いに霊感豊かな女性がいた。ある日のこと、お堂にお参りに来た。そして「境内に有縁無縁の観音さまがあるといいわね」といって立ち去った。
平成18年、境内のえの木を枯らしてしまった。
枝を切り過ぎたのである。「すまないことをした」と和尚は悔やんで、このえの木を見ると「すまん、すまん」と手を合わせて謝っていた。
ある日のこと、夢に立木観音が現れた。
「そうだ観音さまを彫るのがえの木の供養になる」と二年かかって完成させた。その後霊感女性の言葉を思い出した。
「この立木観音はこの境内に必要だったのだ」と。不思議なご縁である。
制作期間:平成18年9月ー平成20年12月 彫刻:小林義功」
へえ〜。ってか、和尚さんの名前が義功で彫刻が小林義功ということは、和尚さんが自ら彫ったのですね。
さてと、改めて3つ目の巨木目指し出発です。
大谷観音堂前を走るバス道とはほんの200メートルで分かれ、再び相模川の段丘を緩い上り坂で上る。
もうね〜〜、痛めてる腰にも右足にも高低差はよくないけども、それが昔道なのです。高低差は諦めようよ。自分。
昔道なので、道路の真ん中に桜の木が残されてても、そういうこともあるんだよ。
ぼやきますが、見晴らしはいいんだ。何しろ富士山が見えてるからね。
ウォーキングしたのは1月27日でした。スカッと晴れてます。
あれ?またまた参道を見つけてしまった。どうすっかな〜?視線の奥に石段が見えた。けどもその手前に白梅があるではないか!もう梅の咲く季節なんだね。ふらふらと観梅するべく参道を進む。時刻は12時11分。
かながわの名木100選の石碑発見:大谷観音堂のカヤ
幹が2本に分かれた珍しい巨木で、樹林の中にあってひときわ堂々とそびえている。「相生のカヤ』とも言われて親しまれている。
樹高:20メートル 胸高周囲:7メートル 樹齢:約400年(推定)
カヤは宮城県から屋久島の山地に生える常緑高木で、幹は直立し、よく分枝し、横枝は水平に出る。
樹高35メートル、胸高周囲8メートル、樹齢約1000年に達するものもあると言われている」
何はともあれまずは参拝。
観察する。本堂になんか掛け軸に良い言葉を書いた書がいくつも下がってます。事前調べでは「大谷観音堂は平安時代の1180年に創建されたと伝えられている。子宝に恵まれる観音堂として地域の人々に親しまれている。近年老朽化が進んでいたが、それまで無人だった観音堂に住職が入ったのをきっかけに修復され、すっかりきれいになった」と、図書館で借りて来た巨木の本に紹介されていた。
なんか生活感のあるお堂は実は珍しいと思う。そこここに生活感が溢れてていい感じだ。
カヤの巨木を観察。観察していると、年配の男性が自転車でやってきた。
あ!違うわ。ご住職が戻ってこられたんだ。ご挨拶すると返事を返して下さった。
ところでカヤの大木は根元付近で二股に分かれてるのが特徴的。一説には1570年(元亀1)に兵火に焼かれて枯れたカヤを伐採したところ、新しい芽が2つ伸びて二股になって生長したと伝えられてるとか。
元亀元年(1570)といえば、小田原北条氏?攻め方はどこだろう?武田か上杉か?おそらくその辺り。いや、御由緒の説明板も撮影したけども、表面をガラスかアクリルでガードがかけてあり、撮影画面は光が反射して読めなかったんだ〜。
あれ?二股の向こうに富士山が見える。ここ、相模川の河岸段丘の下にあるので、普通ならば視界が遮られるのですが、道路の向こうは整地されたまっすぐな田んぼが並んでます。あれだ。土地改良で出来た土地なんだろうなあ〜。
まだ正午前だけど、巨木と富士山を眺めながら観音堂の東屋であんパンと熱いお茶でお昼ご飯をいただく。時刻は11時56分、変電所北バス停に10時10分に到着したから、歩き始めて1時間半か〜。
さて、元気もでたので出発です。最後に観音堂を振り返る。
ン?あれ?あの白いのは何??
一旦道路まで出たのを引き返す。説明板発見:立木観音の由来
義功和尚の知り合いに霊感豊かな女性がいた。ある日のこと、お堂にお参りに来た。そして「境内に有縁無縁の観音さまがあるといいわね」といって立ち去った。
平成18年、境内のえの木を枯らしてしまった。
枝を切り過ぎたのである。「すまないことをした」と和尚は悔やんで、このえの木を見ると「すまん、すまん」と手を合わせて謝っていた。
ある日のこと、夢に立木観音が現れた。
「そうだ観音さまを彫るのがえの木の供養になる」と二年かかって完成させた。その後霊感女性の言葉を思い出した。
「この立木観音はこの境内に必要だったのだ」と。不思議なご縁である。
制作期間:平成18年9月ー平成20年12月 彫刻:小林義功」
へえ〜。ってか、和尚さんの名前が義功で彫刻が小林義功ということは、和尚さんが自ら彫ったのですね。
さてと、改めて3つ目の巨木目指し出発です。
大谷観音堂前を走るバス道とはほんの200メートルで分かれ、再び相模川の段丘を緩い上り坂で上る。
もうね〜〜、痛めてる腰にも右足にも高低差はよくないけども、それが昔道なのです。高低差は諦めようよ。自分。
昔道なので、道路の真ん中に桜の木が残されてても、そういうこともあるんだよ。
ぼやきますが、見晴らしはいいんだ。何しろ富士山が見えてるからね。
ウォーキングしたのは1月27日でした。スカッと晴れてます。
あれ?またまた参道を見つけてしまった。どうすっかな〜?視線の奥に石段が見えた。けどもその手前に白梅があるではないか!もう梅の咲く季節なんだね。ふらふらと観梅するべく参道を進む。時刻は12時11分。