本丸広場に建てられた大嘗宮一般参観後、北の丸公園を抜けて九段下駅からメトロに乗ろうと思う。最短コースで!けども、最短コースの歩道橋は通行禁止になっていた!大勢が一度に乗ると危ないので措置を取ったんだと思う。となると、乾門側の信号から迂回。あ!そうだ!あの像を見て行こう!
現在は国立近代美術館工芸館となった建物は、かつての近衛師団司令部でした。以前投稿済みです。その時、そばにある像の正体がわからなかったんですが、ひょんなことから判明しちゃいました。
それは去年上野の寛永寺の徳川将軍家の霊廟拝観に参加した時、徳川慶喜謹慎の葵の間も見学しまして。幕末、寛永寺の最後の輪王寺宮に就任したのが伏見宮邦家親王の第9王子の北白川宮能久親王(わかりやすくいえば、明治天皇の義理のおじさん)です。で、この人が像のモデルです。
リンク貼っておきますね。記事にも書きましたが、徳川慶喜は寛永寺で謹慎生活を送ったのち水戸へ。その後彰義隊と官軍の間で上野戦争が勃発。巻き込まれてしまう。維新後、伏見宮家預かりとなった後、ドイツに留学。帰国後陸軍に入り、日清戦争で近衛師団長として台湾に出征。現地で若くして死亡。という経緯でここで銅像になったのでした。
この人、イマイチ巻き込まれ人生なのか、ドイツでも現地の人と結婚しようとしたりと、うかつな振る舞い。身分や義務を考えず周りに流されて行動した挙句異国の地で戦没したとは。仮にも皇族。明治天皇の義理のおじさんだったのに。
さてと、どうせなら通り道だし北の丸公園の紅葉も見て行こう!
撮影時刻14時30分。
うん、遅かったよ!ここは画像右側に千鳥ヶ淵の石垣がありまして、そっちが少し高いんですよ。で、影が伸びててモミジの木々が日陰になってます。
何枚か撮影したのですが、ピンボケでなかったのはほんの僅か。残念です。
見上げた頭の上はまだ日差しが届いてたんですが。
さてと、ここでようやくお昼ご飯です。日比谷公園を出た時はまだ11時40分だったから。まさかの!14時半まで食べられないなんて思わなかったよ〜。肩を落としボソボソ食べてたら、何かが足元に集まってきたよ。
まさかな〜?と思いつつ、パンを一欠片足元に落としてみれば、一瞬で争奪戦が繰り広げられた!凄いわ。かわいいスズメとはいえ野生ですもの。何つーの?コロコロしてるスズメが多い訳が分かった気がする。かわい面白く、おかげて気分も上がりました。
んん??武道館の屋根がおかしい気がする。
あ!やっぱり補修中だ。屋根に人影が見えるもの。
そういや、ここのイチョウも巨木だったよ。
む〜ん。ここも既に影が〜!!
まだ一部に青い葉が残っている。
これが1本の木なのか?2本がまとまってるのか?よくわからん。もう疲れて頭が回ってない!
『大イチョウを検索したところ、環境庁の皇居外苑ニュースがヒット!2015年11月30日の「北の丸公園樹木めぐり」に、<イチョウの巨木>推定樹齢が200年以上とも伝えられる日本武道館前の大銀杏〜と書かれてました。
そうか。樹齢200年以上ということは、北の丸公園が江戸の頃からここにあったんだね。え〜と?wikiによりますと、北の丸公園には後三卿の田安徳川家が1731年(享保16)に、清水徳川家が1759年(宝暦9)に上屋敷を構えるようにあった。と出てたよ。(2020.2.23文章追加しました)』
北の丸公園の見取り図発見。地図の右肩に乾門が見える。中央を右斜め上に走る道の先が、本丸広場に続く北桔橋門。ちなみに、中央下にある8角形が武道館です。左下に抜けて左斜め上に4つ青い四角があるのが九段下駅の入り口です。
本当は、田安門を抜けたら道の向かいの靖国神社のイチョウ並木を見物するつもりだったけど、もう気力が湧かん。まだ3時だけどもう帰ります!