旧品川宿文化財ウォークラリー6つ目のチェックポイントは、品川寺さんです。受付時刻は14時15分から15時45分の間です。私が到着したのは、15時10分。う~む。遅れ気味なのが挽回出来ないわ~。
さて、品川寺さんに到着してまず目に着くのは、でっかい地蔵像です。
あ。ガイドさん発見!「すみませ~ん。説明お願いします~」
「はいはい。かつて江戸の入口6カ所には、江戸六地蔵がありました。品川寺さんはその一つです。街道の出発点に設置されていました」
ン?何やら見覚えが…。もしかして松平定信の墓を見に行った霊厳寺さんとか???
「あ、それ正解です。霊厳寺さんは水戸街道の出発点です。他には、台東区浅草の東禅寺さんが奥州街道の。新宿の太宗寺さんは甲州街道の。巣鴨の真性寺さんは旧中山道のです。ここまで地蔵像が現存しています。現存していないのは、富岡八幡宮内にあった永代寺さん。こちらは千葉街道の出発点でした。永代寺さんは幕末維新の廃仏毀釈の時、廃寺となりました」
そうなのか~。でっかい地蔵像って結構あちこちにあるけど、あれ、意味あるのも混じってたのね。
「地蔵像の全身と台座には寄進者の名前がたくさん刻まれています。品川寺の六地蔵は一番古く、宝永5年(1708)に造立されたもので、像の高さは現存するものの中で一番大きく、275センチあります。
かつてこの地蔵像は、笠をかぶっていましたが、今は残っていません」
ちなみに江戸六地蔵とはWIKIによりますと、宝永から享保にかけて江戸市中の六ヶ所に造立された銅造りの地蔵菩薩座像とあります。

さてコピーによりますと、品川寺の創建は大同年間(806-810)といわれる真言宗醍醐派の別格本山で、江戸三十三観音札所の第31番です。本尊の水月観音は秘仏で、弘法大師(空海)が教えを説きながら東国を巡っているとき、この地域の領主品河氏に与え、応永2年(1395)の足利・上杉の合戦で、上杉軍として参戦した品河一族滅亡後は、この寺に安置されたといわれます。毎年9月には、柴燈護摩(さいとうごま)という火渡りの荒行が行われます。」だとか。
では境内へ進みましょう。
って??あれ?ここって何だか変わった造りだなあ…。山門をくぐるとぽっかり大きな空間が空いてるわぁ?
あ。人だかり発見!

人だかりは梵鐘でした。ガイドさん発見!
「こちらの梵鐘は、明暦3年(1657)に造られたものです。周囲に六観音が浮き出されています。


慶応3年(1867)、パリ万国博覧会に出品され、日本に返される途中、行方不明となりますが、のちに、スイス・ジュネーブのアリアナ博物館にあることがわかり、昭和5年(1930)に返還されました。このため「洋行帰りの鐘」の愛称で呼ばれるようになりました。
鐘は階段を上がった先にあるのですが、鐘と同じ高さの視線の先に何やら像が見えます。

「あれは何ですか?」
「戦争の時、連れていかれた軍馬や軍犬の慰霊の像です」
へえ?と話を聞いてた人のうち年配の男性が近くで撮影しようと向かったのですが、
「ダメです。そこは安全確保出来ないので立ち入り禁止です」と。ガイドさんからストップがかかりました。
見れば像が乗ってるのは駐車場の屋根部分。しかもほんのり手作り風味。
「あ!立ち入らないで下さい。立ち入り禁止の札が出てるでしょう。守って!」
何ごど~?おじさんはとっくに戻って来てるじゃん??と。
見れば、ガイドさんは下方を見下ろして注意してます。
釣られて私も見下ろす。
と。あったのはぽっかりとした空間でした。
実はこの空間の立ち入りをガイドさんは咎めていたのです。
「守っていただかないと、次から文化財説明に使えなくなるじゃないっ!」と。ガイドさんはぷりぷりしてます。
でもさ~。なぜただの空間に入っちゃあいけないのか?説明もないと何が悪いか?分からないもの~。品川寺さんも文化財ウォークラリーのスタッフもそこが抜かってるのでは??
実はですね。旧品川宿の歴史散歩を楽しんでいるのは私たちが参加している旧品川宿文化財ウォークラリーの参加者だけではありません。あちこちで小グループや個人客の観光客と合流しては離れるを繰り返してるのだ。だからガイドさんも「文化財ウォークラリーの参加者ですか?」と確認をとってから説明を始める人もいるし、私たちもラリー参加者だと分かり易いように、観光案内所でいただいた東京オリンピック開催決定のファイルを手に回ってます。これが目印なのね。
さて。品川寺さんのぽっかりと空いた空間ですが、実はこここそ毎年9月に行われる柴燈護摩の火渡りの場所だったらしい。帰宅後調べてみました。お寺の大事な行事で、神聖な場所という事だった模様です。
そんなん…。地元民ならともかく、観光客は分かり易い場所に立て札でも立てておいてくれないと。そもそもお寺巡りとか、歴史巡りとかしてる人ばかりなのだから、そういう蘊蓄は大好物なの。書いておけば喜んでぽっかり空間を迂回するのにな。
さて。鐘撞き台を降りて次に向かうのは参拝です。これをやらないと次へ行けない~。

ン?何これ??え~と…。ジュネーブ・アベニュー??ン?そういやそういう通りがさっきあった!
ン~?あ。分かった!洋行帰りの鐘の縁でこれがあるんだ~。たぶんそう!
さて。本堂なんだけど…。

どうにもお寺の建物に見えない外観です。
東京、つーか近郊も含んで鉄筋コンクリート建てとかビルとか変わった外観の神社仏閣ってあちこちで見かけるので、神社仏閣巡りの楽しみの一つでもあります。

品川寺さんの建物も変わってますね~。お詣りに行くと建物に入れるようになってました。せっかくなので仏像を近くで鑑賞してみました。
満足ですう~。

帰ろうとしたら、何やら立派なイチョウの木があります。

説明板発見:品川寺のイチョウ(品川区指定天然記念物)
本樹は幹周り5、35メートル。樹高25メートル。指定樹齢約600年という古木であるが、整然とした樹姿を見せ、その樹勢も極めて旺盛であり、幹や大枝からは、多くの乳が垂れている。
本区内の数あるイチョウのなかでも、ひときわ目立つ存在であり、かなり離れた地点からも眺めることができ、壮観である。
また約600年という樹齢は、本寺が歴史の古い寺であることを実証するもののひとつである。
(平成15年3月31日) 品川区教育委員会」だそうで。

あ。山門のそばに宝篋印塔発見!つーか、ここのは亀の上に乗ってるのね。
さて、ウォークラリーはまだチェックポイントは残ってます。先を急ぎましょう。
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さて、品川寺さんに到着してまず目に着くのは、でっかい地蔵像です。
あ。ガイドさん発見!「すみませ~ん。説明お願いします~」
「はいはい。かつて江戸の入口6カ所には、江戸六地蔵がありました。品川寺さんはその一つです。街道の出発点に設置されていました」
ン?何やら見覚えが…。もしかして松平定信の墓を見に行った霊厳寺さんとか???
「あ、それ正解です。霊厳寺さんは水戸街道の出発点です。他には、台東区浅草の東禅寺さんが奥州街道の。新宿の太宗寺さんは甲州街道の。巣鴨の真性寺さんは旧中山道のです。ここまで地蔵像が現存しています。現存していないのは、富岡八幡宮内にあった永代寺さん。こちらは千葉街道の出発点でした。永代寺さんは幕末維新の廃仏毀釈の時、廃寺となりました」
そうなのか~。でっかい地蔵像って結構あちこちにあるけど、あれ、意味あるのも混じってたのね。
「地蔵像の全身と台座には寄進者の名前がたくさん刻まれています。品川寺の六地蔵は一番古く、宝永5年(1708)に造立されたもので、像の高さは現存するものの中で一番大きく、275センチあります。
かつてこの地蔵像は、笠をかぶっていましたが、今は残っていません」
ちなみに江戸六地蔵とはWIKIによりますと、宝永から享保にかけて江戸市中の六ヶ所に造立された銅造りの地蔵菩薩座像とあります。

さてコピーによりますと、品川寺の創建は大同年間(806-810)といわれる真言宗醍醐派の別格本山で、江戸三十三観音札所の第31番です。本尊の水月観音は秘仏で、弘法大師(空海)が教えを説きながら東国を巡っているとき、この地域の領主品河氏に与え、応永2年(1395)の足利・上杉の合戦で、上杉軍として参戦した品河一族滅亡後は、この寺に安置されたといわれます。毎年9月には、柴燈護摩(さいとうごま)という火渡りの荒行が行われます。」だとか。
では境内へ進みましょう。
って??あれ?ここって何だか変わった造りだなあ…。山門をくぐるとぽっかり大きな空間が空いてるわぁ?
あ。人だかり発見!

人だかりは梵鐘でした。ガイドさん発見!
「こちらの梵鐘は、明暦3年(1657)に造られたものです。周囲に六観音が浮き出されています。


慶応3年(1867)、パリ万国博覧会に出品され、日本に返される途中、行方不明となりますが、のちに、スイス・ジュネーブのアリアナ博物館にあることがわかり、昭和5年(1930)に返還されました。このため「洋行帰りの鐘」の愛称で呼ばれるようになりました。
鐘は階段を上がった先にあるのですが、鐘と同じ高さの視線の先に何やら像が見えます。

「あれは何ですか?」
「戦争の時、連れていかれた軍馬や軍犬の慰霊の像です」
へえ?と話を聞いてた人のうち年配の男性が近くで撮影しようと向かったのですが、
「ダメです。そこは安全確保出来ないので立ち入り禁止です」と。ガイドさんからストップがかかりました。
見れば像が乗ってるのは駐車場の屋根部分。しかもほんのり手作り風味。
「あ!立ち入らないで下さい。立ち入り禁止の札が出てるでしょう。守って!」
何ごど~?おじさんはとっくに戻って来てるじゃん??と。
見れば、ガイドさんは下方を見下ろして注意してます。
釣られて私も見下ろす。
と。あったのはぽっかりとした空間でした。
実はこの空間の立ち入りをガイドさんは咎めていたのです。
「守っていただかないと、次から文化財説明に使えなくなるじゃないっ!」と。ガイドさんはぷりぷりしてます。
でもさ~。なぜただの空間に入っちゃあいけないのか?説明もないと何が悪いか?分からないもの~。品川寺さんも文化財ウォークラリーのスタッフもそこが抜かってるのでは??
実はですね。旧品川宿の歴史散歩を楽しんでいるのは私たちが参加している旧品川宿文化財ウォークラリーの参加者だけではありません。あちこちで小グループや個人客の観光客と合流しては離れるを繰り返してるのだ。だからガイドさんも「文化財ウォークラリーの参加者ですか?」と確認をとってから説明を始める人もいるし、私たちもラリー参加者だと分かり易いように、観光案内所でいただいた東京オリンピック開催決定のファイルを手に回ってます。これが目印なのね。
さて。品川寺さんのぽっかりと空いた空間ですが、実はこここそ毎年9月に行われる柴燈護摩の火渡りの場所だったらしい。帰宅後調べてみました。お寺の大事な行事で、神聖な場所という事だった模様です。
そんなん…。地元民ならともかく、観光客は分かり易い場所に立て札でも立てておいてくれないと。そもそもお寺巡りとか、歴史巡りとかしてる人ばかりなのだから、そういう蘊蓄は大好物なの。書いておけば喜んでぽっかり空間を迂回するのにな。
さて。鐘撞き台を降りて次に向かうのは参拝です。これをやらないと次へ行けない~。

ン?何これ??え~と…。ジュネーブ・アベニュー??ン?そういやそういう通りがさっきあった!
ン~?あ。分かった!洋行帰りの鐘の縁でこれがあるんだ~。たぶんそう!
さて。本堂なんだけど…。

どうにもお寺の建物に見えない外観です。
東京、つーか近郊も含んで鉄筋コンクリート建てとかビルとか変わった外観の神社仏閣ってあちこちで見かけるので、神社仏閣巡りの楽しみの一つでもあります。

品川寺さんの建物も変わってますね~。お詣りに行くと建物に入れるようになってました。せっかくなので仏像を近くで鑑賞してみました。
満足ですう~。

帰ろうとしたら、何やら立派なイチョウの木があります。

説明板発見:品川寺のイチョウ(品川区指定天然記念物)
本樹は幹周り5、35メートル。樹高25メートル。指定樹齢約600年という古木であるが、整然とした樹姿を見せ、その樹勢も極めて旺盛であり、幹や大枝からは、多くの乳が垂れている。
本区内の数あるイチョウのなかでも、ひときわ目立つ存在であり、かなり離れた地点からも眺めることができ、壮観である。
また約600年という樹齢は、本寺が歴史の古い寺であることを実証するもののひとつである。
(平成15年3月31日) 品川区教育委員会」だそうで。

あ。山門のそばに宝篋印塔発見!つーか、ここのは亀の上に乗ってるのね。
さて、ウォークラリーはまだチェックポイントは残ってます。先を急ぎましょう。
