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あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

大和市泉の森公園のあじさい2019/6/20

2019年07月31日 05時27分28秒 | 大和市泉の森公園
座間市芹沢公園のあじさいと楽しんで大和市泉の森公園へ移動。近道のハズ。と始めての道を選択したらシャトレーゼ座間ひばりが丘店を見つけた。お手頃価格の和洋菓子で、昔はうちの近所にもあったのですが、いつの間にか閉店となったチェーン店に再会。おもわず立ち寄り一番人気のどら焼きを購入しちゃいました。
大和市泉の森公園に12時20分到着。
長く緩やかなあじさい道。
これ何て植物だっけ?
木陰や水場に小さな白い花の群落。ちょうど見頃のようで、公園のあちこちに群落を形成してました。
水車からこぼれ落ちる水音が素敵。
半夏生の群落。まだ黒いバッタは見つからない。あれも見頃があるのかな?
花しょうぶ。ショボいのは見頃を逃したからか?それとも今年はここも花が少なかったのか?わからんが、絵にならんのは確か。
池の岸を歩く。
釣り客がちょうど魚を釣り上げた。
トンボ。近づいても飛ばなかった。もしかして孵化したてかも?
堤の上から。
かたつむりを見つけたので。
日陰は光量が足りずピンボケしちゃったよ。
あじさい越しの水車を撮影に来た。まさかの水田があった。
ついでに民家園にも寄ってみた。
なぜかコスモスが少しだけど咲いていた。
謎の実がついている。
山あじさいと古民家という程で撮影。ごはんを食べて帰宅。早めに帰る。無理するとろくなことないからね。ポンコツな私。
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座間市芹沢公園のあじさい2019/6/20

2019年07月30日 06時02分06秒 | アジサイ散歩
2019.6.20、靴のインソールを作ったので、試してみたいとお出かけ。どうせならとリュックにパンとお茶を詰め込んで自転車を走らせる。
信号待ち。塀に日産ヘリテージコレクションの横断幕があった。名車300台を無料で見学できるので車好きなら一度は見物するといい。おススメだよ。
芹沢公園のあじさい見物に来た。実は今年2度目。前回は6月6日に見にきたけれど、その時はみだあじさいに色がついてなかったんだよね。それから2週間が経ち再訪したら綺麗だった。画像増量で貼り付けます。











大満足〜。さ、次だっ!
芹沢公園は中央が窪地で、斜面の上の駐輪場がある。
あれ?きのこ!!もしかして、梅雨の長雨で出てるんだろうか?気になるなあ。
時刻は11時42分。ここから大和市泉の森公園の近道を探したいんだよねえ。
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相模原公園のあじさい2019/6/18午前

2019年07月29日 05時36分52秒 | 相模原公園と麻溝公園
昨日の記事は隣接の麻溝公園で、今日は相模原公園です。6月は水道みちを抜けて菖蒲田に直行するので、メタセコイアやサカタのタネグリーンハウスに立ち寄るのは久々でした。花しょうぶ田では今年は見なかったカルガモが、温室周囲の水路に2羽。けど子ガモの姿はない。トップ画像左下にカルガモが2羽います。
5月には花文字で「令和元年」も文字を作ってあったけど、6月に入ってリニューアルした模様。紅白の市松が芝生やメタセコイア並木の緑に映えますね。
 

サカタのタネグリーンハウスは、サカタのタネがネーミングライツをとってるので、最新の花が置いてありまして、今年はウズアジサイの新色かな?
2階へ。
展望台からの眺め。ここのベンチに座ってぼ〜と眺めるのが好きです。
窓の前で撮影。
 
2階では小さな展覧会が催され、訪問時は押し花を展示してありました。
モンシロチョウと草花。
足の赴くに任せ散歩してると、まさかのアジサイを見つけた。
長らく相模原公園を散策してますが、この道にあじさい並木があるって知らなかったわ〜。
早速に撮影。種類は少ないけど、背景の林の緑が効いている。いい感じになるよう構図に取り入れてみよう。




ふう満足。来年は忘れないようにこの道のアジサイを見に来よう。
ではメタセコイアを見物に来た時のお約束画像をどうぞ。




6月だと両側のメタセコイアの影も短めで緑が綺麗です。
温室周辺の水路に赤とんぼを見つけた。あれ?6月なんだけどな。君、なんでいるの?なぜに赤いの??秋になると赤くなるアキアカネとは別種の赤とんぼなのかな?
時刻は11時過ぎ、暑くなってきました。
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麻溝公園のあじさい2019/6/18

2019年07月28日 05時35分56秒 | 相模原公園と麻溝公園
連日で記録投稿です。6月18日は青空でした。そりゃあもう散歩せねばならんやろう。
トップ画像は近所の米軍住宅。敷地の周辺はフェンスで覆ってます。撮影箇所だけ古いタイプのフェンスなので中が見える。綺麗な黄色い野花が満開です。遠目からの撮影ですが分かります?
麻溝公園に9時52分到着。
昨日(6/17)の記事で紹介済みですが、水道みちのアナベルです。
駐輪場から坂を下りると、柏葉あじさい。
ハナムグリが花粉まみれになってます。
樹林広場で今年初めて紹介するは城ヶ崎あじさいです。
説明板発見:城ヶ崎:東伊豆で発見された八重咲きのガクアジサイ。交配親にもなっている品種で花色は酸性土で青、ガク片に縞が入る。 ガクアジサイ」
あ!かたつむり発見!イラストなんかではあじさいとかたつむりってセットか!というコンビですが、実際にあじさいに乗るかたつむりってほとんど見たことない。
実はこの後、相模原公園を散歩しました。自転車を麻溝公園の駐輪場に預けてるので散歩が終わったら麻溝公園に戻るわけで。その時に、あじさいシーズンには来たことなかった公園管理事務所の広場を通ったら!まさか!!の初見のあじさいがたくさんあってびっくりです。なので、来年以降のために、時系列ではなく場所でまとめて投稿します。
でもなんで来たことなかったかなあ?たぶん管理事務所が斜面花壇の上部分にあるからだ。高低差があるとめんどいのでほとんど通らないんだわ。

赤いあじさいの説明板発見:メリットシュープリム:装飾花は濃いピンクから赤ではベンは一重のテマリ咲き。
説明板発見:黄斑ガクアジサイ:装飾花は淡い青色で一重。白斑入りガクアジサイにまれに出る黄色の斑入り部分を挿し木で増殖し固定した品種。 ガクアジサイ」
説明板発見:アレキサンドリア:装飾花は淡い紫色一重で密集したテマリ咲き。上部で多花性があり庭木用品種の特性を持つ。日本で作出された園芸種。」

説明板発見:ハーモニー:装飾花は薄緑から真っ白になる一重テマリ咲きの円錐花房。集合化はいくつかの装飾花が組み合わさったように盛り上がる豪華な花。 柏葉アジサイ」
上の画像の背後に、あじさい圃場があります。
説明板発見:白斑入ガクアジサイ:装飾花は淡青色一重、ガク咲きで江戸時代からある古品種。葉に白の斑が入り、稀に黄色の斑が入ることもある。」
説明板発見:花火:装飾花は白または白に近い極淡青色でやや細い剣弁八重のガク咲き。花柄が長いのが特徴で花火を思わせるのでこの名がある。 ガクアジサイ」
説明板発見:ホンアジサイ(オタクサ):シーボルトが持ち帰った”オタクサ”の里帰りした特別な株。フランスのあじさい研究家コリン・マレーさんから故山本武臣先生を通して相模原市に寄贈されたもの。ガクアジサイ」
オタクサって聞いたことがある!けどこれがそうなのか!知らなんだ〜。
あ。ちなみにね。オタクサと名付けたのはシーボルトさんですが、長崎に住んでた時、愛人だった遊女「お滝さん」から取ったとか。淡いブルーと白の色合いが、着物、それも浴衣のようです。
最後にこれ。
説明板発見:ピンクアナベル:アナベルの改良種で花色がピンクで咲く。集合化はアナベルに比べ小型である。 アメリカノリノキ」
時刻は11時7分、身体に異常が出る前に帰らないと!
おまけ:
この日、旅行会社の新しいツアーの発表会が隣の町田市でありました。参加しての帰り道。ふと見上げたらヘリコプターが飛んでいた。けどフォルムがまさかまさかの。

あれ、オスプレイじゃね?
慌ててカメラを構えたけど、1枚だけ写せたのみ。たぶん横田から厚木基地へ向かってるんだと思うけども、あれ??既に横田にオスプレイって配置してあったっけ?
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麻溝&相模原公園2019/6/17午前

2019年07月27日 06時03分41秒 | 相模原公園と麻溝公園
2019/6/16に東村山市で巨木と花しょうぶと歴史散歩をしました。翌日、朝一に接骨院へ行きそのまま麻溝公園と相模原公園で軽く1時間の散歩をしました。既に1ヶ月以上まえの事ですが、来年以降の記録として咲き具合を記事にしておこうかと。
10時半、麻溝公園の駐輪場に自転車を預け、水道みちを相模原公園の菖蒲田に向かって歩く。今年はピンクアナベルの花数が多めだけど、細い。倒れかけてます。
潤水。見頃。ここは直射日光が直撃する場所ですが、綺麗に咲いてるなあ。
潤水の側にラベンダー。香川照之の昆虫すごいぜで紹介されていたクマバチ。あの番組でクマバチは刺さないとあったので、すぐ近くから撮影した。ら。ピンボケした!お〜い。
相模原公園の菖蒲田に到着。今年は江戸系は綺麗です。
全景。手前のメインは奥の半分を植え替えたようで、今年はイマイチのままだなあ。
ボリュームゾーンの撮影。ようやく菖蒲田に水が入ったけど、今年はカルガモ親子は姿を現さず。
水道みちに戻った。赤爪草とか。
麻溝公園の樹林広場に戻った。駐車場側の西洋あじさいがようやく見頃を迎えた。
これは、ポージィブーケシリーズな模様。
ベニガクかな?
ウズアジサイが見頃。こいつが見頃になると、あじさいのシーズンの終わりが近づいてるなあと思う。
いつもいい画像がゲットできる遊具とあじさい。

そして私が密かにモデルテーブルと呼んでる場所。女性グループがスケッチを楽しんでます。

グラウンド。芝生に見えるけど、本当はシロツメグサ多めです。
アスレチック場周辺のあじさい順路。白いのはトーマスホックです。説明板発見
トーマスホック:装飾花は白一重テマリ咲き。イギリスの園芸雑誌に日本からの新着品として紹介された古い品種です。 ガクアジサイ」

説明板発見:ブラウマイゼ:装飾花は濃い青色。一重の大輪、ガク咲き。ブルースカイとも呼ばれスイスで作出されたテラーシリーズの一つ。 西洋あじさい」
サンセット:装飾花は鮮やかな赤色。ガク咲きであるが、装飾花が多く半テマリ咲きになることもある西洋あじさい。

11時30分、早めに散歩を切り上げて帰宅です。

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ドラえもんファン化した登戸駅

2019年07月26日 05時39分40秒 | ヒーロー&怪獣&妖怪
2019.6.16訪問。東村山散策を終え、西武新宿線久米川駅に15時15分頃到着。東村山経由で国分寺駅。JR中央線乗り換えで立川駅。南武線乗り換えで登戸駅。小田急線に移動。と?小田急登戸駅がドラえもん駅になっていた。
そういえば、藤子・F・不二雄ミュージアムがオープンした頃にもそうなってたなあ。
リンクしたのは2011年11月22日の記事です。
現在はこんな感じ。

エスカレーターがどこでもドア。
行き先案内板がドラえもんカラー(鈴つき)
ホームへの階段が空という程でタケコプターをつけたキャラが飛んでます。

確か、小田急の到着&発車音もドラえもんメロディーが採用されてたハズ。登戸駅発藤子・F・不二雄ミュージアム行きのバスもあったハズ。
エスパー魔美号の記事を見つけたのでリンク貼っておくね。
確か別バージョンのドラえもんバスもあったハズ。今でも走ってるかどうかはわからんが。
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東村山市の野火止用水

2019年07月25日 05時56分43秒 | 歴史散歩
2019.6.16散歩。東村山散策も今日で最終回です。トップ画像は野火止用水をまたいで延びる万年橋のケヤキ。推定樹齢500年。この木は野火止用水を作った時に既に大木でした。用水をまたいで根が伸びてる有様は、巨木好きにお勧めの木です。
さて東村山市の南端に流れる野火止用水。正福寺の国宝・千体地蔵堂の歴史ガイドさんは「子供の頃には用水に水がなくて、底を歩いていた」と語っていた。今はせせらぎが流れていて、用水沿いはいい散歩道です。
あ!アサギマダラ!!なぜ6月にここにいる!?急いで写そうと携帯を構えましたが、見失ってしまった〜。やっちゃったぁ〜。
ところで、野火止用水とは?ご存知ですか?私は以前新座の平林寺さんの紅葉を見物に行った時、敷地に沿って流れてたのを思い出した。
wikiによりますと、「野火止用水は、東京都立川市の玉川用水から埼玉県新座市を通り新河岸川(志木市)に続く用水路である。川越藩主松平信綱は、多摩川の水を羽村から武蔵野台地を通す玉川上水を開削した。その後、玉川上水から領内の野火止(新座市)への分水が許され、承応4年(1655)に主に飲料水や生活用水として利用され、後に田用水としても利用される野火止用水を作らせた。」とあります。これが出来たので新田開発が出来たんですね。
東村山市を流れる野火止用水は、結構大きな木があります。開削当時から立ってる木も幾つか残ってるのですかね?
恩多野野火止水車苑。説明板発見:ここには、1782年(天明2)頃より1951年(昭和26)まで直径7、5メートル、幅0、9メートルの大きな水車(ヤマニ水車と呼ばれていた)があったが、当時は現在ある水車と異なり上流で堰を止め、回し堀で導水し水車を周り、精米、精麦と製粉の動力源として利用してきた。
この水車は東京都の「ふるさと、ふれあい振興事業資金」を活用し農業。生活及び動力源として用水を利用した生活を理解するために設置したものであり、かつてあった水車を再現したものではなく、公園的要素を盛り込んだ庭苑とした。」
公園内にあった東屋でおやつ休憩後、お散歩再開。
大岱稲荷神社に14:51到着。大岱稲荷神社は、京都の伏見稲荷から神霊を勧請されました。
ふむふむふむ。賽銭箱はあれだね。
これが万年橋のケヤキの折れた枝で作った賽銭箱か。
参拝して社殿の飾りを見上げる。
隣は公園で、ここで休憩してもよかったなあ。さっき水車苑で休憩したばかりなのでここは眺めるだけだけど。
説明板発見:神社名:稲荷神社
御祭神:宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
由緒:寛延年間当麻喜重氏の祖先名主当麻喜太郎氏が京都伏見稲荷を勧請し、当村の鎮守に祀せっれた。毎年四月十四日例祭日となっている。
稲荷神社のいわれ:「いなり」の神は五穀成就の神として秋稲穂が立派に稔ると、これを刈り取り束ねて肩に荷って神に捧げたところから、「稲を荷う(になう)」という文字を使った。
宇迦之御魂命を主神としウカとは「清浄或いは立派な食物」の事でこの清浄な食物の根本は稲である。この稲は「生き根」のことで人々の生命を養い育てる力を持っているための名で、すべてのものを生かす力を魂と名付ける。神名は「人々の生命を養い育てる根源の力」を称えたもの。この生命の祖神から御神徳は、
1)人々の生命を守り育ててくれる祖神
2)五穀食物の守り神
3)商売繁昌、商取引の守り神
4)一年中の幸福守護の神
5)人々の不浄、穢れを祓いこれをお守り下さる神等、私達を生かし下さる神と云える。
(参考資料北多摩神社誌)」
野火止用水の岸に残る大きな切株。中央が空洞の跡がある木です。枯死したのかな?
訪問は2019年6月16日で、野火止用水にもあじさいがあった。
わかるかなあ?用水を川魚が群れを作っていた。何かしら?モロコかな?
15時4分新青梅街道に出た。信号待ちをしてると、道の向かいに大きな緑の塊に気づく。あれは小平霊園です。道を渡ると用水が消えた。野火止用水は新青梅街道の向こう側で暗渠になったようだ。西武新宿線久米川駅に到着。さすがに猛暑日とあっては体力が削られてしまい、東村山駅に戻るのをやめてここで散歩を終えた。
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巨木探訪・万年橋のケヤキ

2019年07月24日 06時07分21秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.6.16訪問。13:37出発。久米川辻から最短コースで南下。長閑な田園風景を見ながら散歩と思ってましたが、道中はずっと新興住宅街で、歩いて楽しいという場所じゃなかった!
途中、こんもりとした森があったので、何だろうか?と道をそれたらそれはご当地ソース・東村山黒焼きそばソースポールスタアさんでした。欲しいっ!お店を探す。あった!けど店には「移転しました」と地図を貼ってある。行こう!と思ったら、日曜日は休日なんだって。残念〜。
さらに南下。トップ画像の空堀川の脇の石橋供養塔に14:06到着。直進してすぐ、かつて地蔵庵に吊るされていた半鐘を見上げる。
今半鐘がかかってるのは消防団の壁です。北山公園の菖蒲まつり会場で配布していた『ココミテ東村山』オススメコースその4野火止用水を歩き木漏れ日に癒されるコースに合流したので、解説通りに歩いてみる。
14:19、ようやく目的の万年橋のケヤキが見えてきた。久米川辻から徒歩40分もあった。だいぶん、いやこの日は猛暑日で相当に疲れた。
上の画像に信号が写り込んでるので、巨木の大きさが分かるかと。
巨木の本によりますと、「万年橋のケヤキ:東村山市の天然記念物。
樹高20メートル・幹の直径2メートル・推定樹齢500年の巨木で、幹は真っ直ぐ立ち、地際から7メートルから上の幹に交互に直径20センチほどの中枝が伸びています。その先端には小枝が密生、枝張りは東側に7メートル、西側に6メートルあって、樹冠は縦に長い卵型です。樹高20メートルという高さ、道の太さと中枝のバランス、密生する小枝、樹冠の形から、樹勢の衰えた老木ではないことがわかります。」とある。
けどもこの巨木の見どころはそこではない。
分かりますかね?なんとか撮影できないか?と撮影ポイントをさぐったのですが。
ケヤキが野火止用水のギリギリに立ってるのだ。いや、違う。根っこが浮いてるの。
うお〜〜〜!!ひとめで木が立ってる環境を表現出来る撮影ポイントはないものか?
む、ムズイ。

根っこが野火止用水をまたいでます。それはもう橋の幅を渡すほどに根があります。巨木の下を川が流れてる光景はなかなかに見応えがあります。
ちなみに、1996年の台風で地上4メートルで折れた枝跡。この折れた枝を使った賽銭箱がある大岱(おんたい)稲荷神社へ行こう。野火止用水をたどると5分程で行けるハズ。
あ。説明板発見:万年橋のケヤキ東村山市指定天然記念物
指定:昭和44年3月1日指定
所在地:東村山市恩多町1丁目1−1先(私がこの木の所在地を探すのが大変だったので、所在地の住所も書いておきますね)
野火止用水は承応4年(1655)川越藩主人松平伊豆守信綱が。領地である武蔵国新座郡野火止新田(埼玉県新座市)の飲料水として、同国多摩郡小川村(東京都小平市)で玉川上水と分水した用水です。別名伊豆殿堀とも呼ばれます。
万年橋のケヤキは、この用水岸にあります。用水を掘る時このケヤキが大木であったため、その根の下を堀りすすんだ話や、また用水ができたときケヤキが植えられ、土橋づたいに根が延びた話などいろいろありますが、根が向かう岸に達しあたかも橋のようだったことから、万年橋のケヤキの名で、地元に親しまれています。」
上の画像左側は橋の上です。橋いっぱいに根が覆ってます。
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梅岩寺の4つの紋と増上寺の石燈籠

2019年07月23日 06時01分01秒 | 神社・仏閣
2019.6.16参拝。目的は大ケヤキとカヤでした。国宝正福寺の千体地蔵堂を見学に立ち寄った際、ガイドさんに梅岩寺さんの見どころを教えていただきました。曰く「紋が4つあるから探してごらん。八十八箇所の石像があるよ」でした。
その前に忘れそうなので先に梅岩寺さんの基本情報を紹介します。
山号:芳林山
寺号:梅岩寺
宗派:曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所:狭山三十三観音 霊場9番・10番
御由緒:応永5年(1397)に真言宗寺院として創建された。
その後戦国時代を経て、曹洞宗に改宗された。
ふまえて、トップ画像は梅岩寺の山門です。屋根の軒丸瓦に注目。丸に二引きの模様がありますね。寺紋でなく武将の家紋がついてると仮定して調べたら、これは足利将軍家の紋です。足利氏の二つ引両、新田氏の一つ引両が有名。
他に紋がついてそうな場所は?

振り返る。あ。まだ参拝してなかった!先に巨木でワイワイしちゃいました。反省。
あ。屋根の上に紋がある!
え〜と??ズーム!
わかるかなあ?
中央の屋根の中央に燦然と金色に輝いてるのが徳川の家紋三つ葉葵です。
で、その真上に先ほど出てきた丸に二引きの足利家の家紋。
その上、屋根の一番上に輝く3つの丸。これが全部違ってます。
左にあるのが五三の桐。もしかしたら五七の桐かもしれんが目を凝らしても判別できない。で、五三の桐が家紋の武士といえば、豊臣秀吉です。
屋根の上の中央は三つ葉葵だと思う。で、右端は?なんだこれ?
〜〜〜調べたは調べた。家紋のWEBで植物家紋を90ページまでチェックしたわ。けど決定打がない〜。梅鉢のような5つ丁子のような?瓜にしては形が細いなあ〜??などと。ギブです。どこの家紋なんだろうなあ?ガイドさんにもっと詳しく聞いておくんだったあ〜〜!!
さてと次だ。八十八ケ所の石仏は、山門から本堂をつなぐ参道の両脇に並んでます。
説明板発見:新・四国石仏 東村山市指定・有形民俗文化財
指定:昭和55年3月
江戸期、特に中ごろから霊場巡り、巡礼が庶民の間に盛行し、近くは坂東・秩父に、遠くは四国八十八ケ所詣でなど、いわゆるお遍路が行われました。
四国への霊場巡りは現代とちがって数ヶ月もかかり、経済的にも身体的にもそれはたいへんなことで、だれでもが実行できるものではりませんでした。そこで地元に八十八ケ所の石仏を造立し、四国まで行かなくとも、同じに功績が多くの人に得られるようにしました。
これを新・四国石仏といいますが、この石仏は文政7年(1824)に久米川村の榎本権兵衛が建立し奉納したものであり、現今、完全に八十八体として残されているものはこの近郷になく信仰史のうえからも価値があります」ですってよ。選んだのは私の故郷の70番前後の石仏です。
鐘楼と十三仏信仰の石仏。新しいですね。
このあたりまでほうほうほうと呑気に見てたらば!
これはっ!!もしやせんでも芝増上寺の徳川将軍家に奉献された石燈籠ではなかろうか!?
いや〜〜!!東村山市のあちこちにあるんだね。
いや、決めつける前にチェックだ。
形は寛永寺や増上寺の石燈籠です。傘の部分に三つ葉葵がついてるし。
胴部分を読んでみた。
右から奉献 石燈籠 両基
武州 増上寺
有章院殿 尊前
正徳六年 丙申四月三十日
従三位下行〜〜〜読めない
解説いきます。
やはり芝増上寺に奉献された石燈籠でした。
有章院殿は第7代将軍徳川家継のことです。
正徳6年4月30日は、1716年6月19日で、家継の死没日でした。
ちなみに家継は6代将軍家宣の四男として宝永6年(1709)生まれなので、8歳での死亡です。死因は風邪による急性肺炎だったとか。
その後ろに石燈籠を奉献した人の冠位・知行地・名前がくるのですが、冠位の従三位までしか読み取れません。だいたい大名の位階にあたります。
 
次。右から武州増上寺
文昭院殿 尊前
正徳二年壬辰年十月十四日
従三位下子播磨子平朝臣織田氏秀
彫りがよくて最後まで読めたけど!!
まずは最初から、増上寺です。これも!
文昭院殿は6代将軍徳川家宣です。
正徳2年10月14日は家宣の死没日で、1712年11月12日にあたります。
けどさ。播磨は播磨守だと思う。平の朝臣もまあいい。時代が違うからな。けど織田って?すぐに人物特定すべく織田家の家系図を調べました!けども!!わから〜ん。多すぎ〜。織田=信長の家系と思った。冠位も従三位だと大名確定だし。けども「氏秀」が見つからんのじゃ!なんでや〜〜!!
だいたいさ、石燈籠の最後の部分は彫りが薄くなってしまい読み取れないことが多い。たま〜に読み取れると嬉しそうに探るんだけども、確定できればそれはそれで楽しいんだけども。
もう分からん〜。時刻はすでに13時30分、出発します。

参道で振り返って地図を眺める。次の目的地まで最短コースでいくか?当初の予定通りに満ち満ち楽しそうな道でいくか?
久米川辻:旧久米川村の中心だった場所。期待して目指したけど、今はただの道だった。時刻は13時37分。ここから一気に南へ移動。結局最短コースを選択しました。
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巨木探訪・梅岩寺の大ケヤキとカヤ

2019年07月22日 05時19分32秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.6.16東村山市の梅岩寺さんに13:10到着。
説明板発見:梅岩寺のケヤキ 東京都指定天然記念物
指定:昭和37年3月21日
曹洞宗梅岩寺境内の南、塀の内側に列植えされているケヤキの大木のうち、表門の脇にある一際大きい木が都の天然記念物に指定されているケヤキです。
樹高:27メートル 幹回り7、3メートルあり、都内でも有数の巨樹です。
幹は地上約3メートルのあたりから数本の大枝に分かれ、分岐部にはシュロなどの着生植物が生育し、古木に趣を加えています。
『新編武蔵風土記稿巻之121』、久米川村梅岩寺の条には「門、芳林山ノ三字ヲ篇ス 周囲二条許ノ古槻(にじょうばかりのこっき)、或ハ一丈二尺許ノ椵樹(かじゅ)、門ニ入テ左右ニアリ」と記されています。当時から有名な巨木であったことが窺われます。」とある。
実はだね、大きな木ではあるのだけども周囲を囲ってあり、いつものハイライトになるダンナのていで撮影できない。

なんとかサイズ感のわかる構図を探す。
なんとかわかるかなあ?
ちなみに、上の画像左手が大ケヤキで、右に写ってるのがもう一つの巨木カヤです。

こちらはハイライトになるダンナの構図で撮影できました。
説明板発見:梅岩寺のカヤ 東村山指定天然記念物
指定:昭和44年3月1日
梅岩寺のカヤは都内でも有数のカヤの大木で、目通り幹囲約5メートル。高さ約30メートル。樹齢は概ね600年です。
新編武蔵風土記稿・久米川村梅岩寺の条に「周囲二丈許の古槻、或いは一丈二尺の椵樹、門に入て左右にあり」とありますが、槻はケヤキ(東京都指定天然記念物)であり、椵はこのカヤを指すと思われます。
カヤは一位科に属し、常緑樹で枝も多く、うっそうとしています。」とある。
これさ、ダンナが横に立ってないと、木のサイズ感が伝わらないだろうなあ〜。ダンナがまるで小人みたいです。身長175センチあるんですが。
なんとか、カヤのてっぺんまで入る場所を探しました。
こちらは旧参道から見た画像です。もうちょい先で振り返り撮影しとけば、大ケヤキに並んで立つ他の大きなケヤキも写せたのになあ。失敗した〜。
さて、正福寺さんでであった歴史ガイドさんに教えていただいた梅岩寺さんの4つの紋を探さないと。
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熊野神社さんの隣でお昼ご飯

2019年07月21日 05時30分22秒 | 神社・仏閣
2019.6.16徳蔵寺さんの板碑保存館を12:35に後に。どこでお昼を食べるか?に頭が一杯で、徳蔵寺さんの前にあるパン屋さんマドンナの土偶パンを買い忘れる痛恨の失敗!や。やっちまったぜ〜。
久米川村の鎮守熊野神社さんに12:47到着。地図を見たら神社に隣接して公園があったのだ。そこなら食べれるハズ。
画像では分かり難いけど、画像のパンの向こうには西武西武園線があります。黄色い車両を眺めつつパンとお茶のお昼ごはんです。
さてと、熊野神社さんへ移動。
説明板発見:久米川町の鎮守熊野神社
御祭神:伊邪那岐命・伊邪那美命・天照大神・(須佐之男命)
由緒:創建は定かでないが、言い伝えによると本社は新田義貞が久米川合戦の時、後詰を置いた所とされる。また、文明18年(1486)聖護院門跡道興准后が東遊の際、神前で、「里人のくめくめ川と夕暮れになりなば、みずはこほりもぞする」の歌を読まれたとされる。「東村山市史」
さらに、熊野神社境内から応永32年(1425)の青銅製鰐口と水鳥形香炉が初件されてることから、鎌倉・室町時代から社殿が存在していたと考えられる」
とりあえず参拝。13時7分出発。次の目的地は楽しみにしてる梅岩寺さんのカヤとケヤキの巨木です。

道の向こうに大きな木が見えた。信号待ち。
どの木も大きいなあ?どれが目的の木なんだろうか?あれ?手前に何か石塔がある。
庚申塔だった。

説明板発見:梅岩寺の庚申塔・東村山市指定有形民俗文化財
指定:平成3年(1991)7月24日
江戸時代のころより庶民の間に庚申信仰がさかんになり、ムラムラには庚申講結成されその講により庚申塔が数多く建てられました。
庚申信仰とは、庚申の日の夜に三尸(さんし)という三匹の虫が眠ってる人間の体を抜け出し。天帝に悪業を告げて命を縮めるというので人々は夜、眠らずにいて虫が出てゆくのを防ぐという道教の思想に基づくものです。
この梅岩寺の庚申塔は、現存する市内最古のもので延宝5年(1677)の年号が記してあります。天和2年(1682)に没した梅岩寺3世一宜高策大和尚が建立したと思われます。
また、右手の石塔には、天保2年辛卯4月吉日 馬頭観世音 総村中 の銘があります。」
13:10梅岩寺さん到着。
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徳蔵寺の板碑保存館

2019年07月20日 06時07分43秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019.6.16訪問。東村山市にある徳蔵寺に保管されていた板碑・石器・土器などを保存するため、昭和43年(1968)9月に鉄筋、校倉造り、2回建ての保存館が完成した。
また、保存館に屋根を乗せ、内外装の工事が行われ、平成15年(2003)1月に改装再会館しました。
1階〜石器・土器・国分寺瓦・古銭等を展示
2階〜元弘の碑を中心に、板碑約170基、宝篋印塔、五輪塔、道標などを展示。
ということで2階へ上がる。
板碑の隣に表面に書いてあるものを解説してある。
一対の比翼碑の右側。
アップにするとこう。おとといの記事で、正福寺さんにある貞和の板碑の解説を、東村山市ふるさと歴史館に解説展示してありました。わかりやすいので再掲載。板碑の表面にはこんなことが刻んであるんですね。
板碑のほか、五輪塔も展示。
解説あり。

宝篋印塔。
解説あり。
けど見逃してはいけないのはこっち。
元弘の板碑(国指定重要文化財・大正3年8月指定)
大切にしまってあるので、表面に何が書いてあるかわからんのです。
でも右側に全文が書き出してありました。
分かります?ガラパゴス携帯だったので、念のため2枚撮影したのですが、どっちもピンボケしてました〜。仕方ないので、3段組の表面を上段から書き出してみる。
1段目:光明真言
2段目・右から:飽間斎藤三郎藤原盛貞生年廿六
   2行目:於武州府中五月十五日令討死
   中央3行目:元弘三年発酉五月十五日 敬白
   4行目:同孫七家行廿三同死飽間孫三郎
   5行目:宗長冊五於相州村岡十八討死
3段目・右から:勧進玖阿弥陀仏
   ・左端:執筆遍阿弥陀仏
元弘の板碑の手前に置かれてるのは位牌です。板碑に書いてある3名を弔うものです。
説明文発見:元弘の碑について
「元弘の碑」は、新田義貞が鎌倉の北条高時を攻めたとき、共に戦い、府中の分倍で討死した飽間斎藤三郎藤原盛貞・同じく孫七家行・村岡で討死した飽間孫三郎宗長の3戦士の供養塔で、元弘3年(1333)5月15日の日付で建立された。
当初は、八国山の麓を通る鎌倉街道(脇道)が「小高くなった所」の山裾で、東に久米川古戦場を望み、街道を通る人にも参拝できる位置に建立されたと思われる。
ときが過ぎ、江戸時代初期、八国山にあった徳蔵寺の土地に永春庵が建立され、元弘の碑は境内に移され、3戦士に戒名をつけ、手厚く供養されるようになった。
然し、元弘の碑を守っていた永春庵の遷化(宝暦11年・1761)後衰微し、その後取り壊され、徳蔵寺境内に再建され元弘の碑も徳蔵寺の境内に移された。
『江戸名所図会』天保5年(1834)〜7年(1836)には、門を入って左側に永春庵があり更に進むと本堂があり、本堂左手の奥に塚があり元弘の碑が描かれている。
このように、「元弘の碑」と「徳蔵寺」と「永春庵」は、昔から深い繋がりを持ちながら、現在に至っていることがよくわかる。
「元弘の碑」は『太平記』に書かれている新田義貞の鎌倉攻めという歴史上の出来事を実証する貴重な資料としてその存在価値は大きい。」とあります。
ということで、地図です。
地名が読めるように大きく貼り付けてみました。中央に黄色になってるのが徳蔵寺さん新田軍の陣地だったのね。黄色の右手にあるのが狭山丘陵で、先ほど北山公園から見上げた小高い山がこれにあたります。あれはトトロに出てきた山だけじゃなかったのね。
そういや、新田義貞の進撃はあっちゅー間で、鎌倉北条方はあっちゅー間に駆逐されちゃいましたね。
守るに固く攻めるに難しい鎌倉を、新田義貞は稲村ヶ崎から干潮を利用して海岸沿いに進み、九品寺に陣を張り、北条高時の館があった現宝戒寺さんまで一気に攻め落とし北条一族を滅亡させ鎌倉幕府を終了させた(1333年5月下旬)けども。
各地で転戦。箱根や湊川で敗北し、最後は南朝の後醍醐天皇の息子恒良親王・尊良親王を奉じて北陸の越前藤島で戦死(1338年8月17日)しちゃました。37〜8歳没。
徳蔵寺板碑保存館
拝観時間:9:00−17:00
拝観料:高校生以上200円
休館日:毎週月曜日
時刻は早くも12時35分。お腹が空いた〜。たべれるとこ〜。
地図を眺めて近くの熊野神社さんの隣に公園を見つけたので移動。
熊野神社さんの12時47分到着。まずは参拝です。
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徳蔵寺さんの増上寺の石灯籠が!

2019年07月19日 05時41分48秒 | 神社・仏閣
2019.6.16東村山市散歩。12:07徳蔵寺さんに到着。トップ画像右手の建物が目的の板碑保存館です。入館する前にまずは参拝。
あれ!!
この石灯籠の形はアレじゃないの!?
すぐに胴を確認すると?
右から、奉献石燈籠
武州増上寺
惇信院殿 尊前
宝暦十一年辛巳六月十二日
堀田ーーーーーーーーとある。
これは芝増上寺に奉献された石燈籠で、惇徳院は9代将軍徳川家重のことです。
宝暦11年6月12日は家重の死没した日で、1761年7月13日にあたります。
その後に冠位・領地・名前がくるんですが、大概奉献した人の名前は小さめに彫られてて読み取り出来ません。
つまりこれは増上寺にあった9代将軍の墓所の前に並んでた石灯籠です。戦後、焼失した徳川家墓所。跡地を買ってホテルを建てたのが西武。石灯籠は石なので焼けても残りました。邪魔だったので、希望した寺院に配った歴史があります。徳蔵寺さんにも配られたんですね。あちこちにあるなあ。
またあった!少しスリムな石燈籠。時代が違うかも?胴を確認。
奉献 石燈籠 両基
武州 増上寺
文昭院殿 尊前
正徳二壬辰歳 十月十四日
従三位下 左ーーーーー読めない〜。
調べた。
文昭院は6代将軍徳川家宣です。
死没は正徳2年10月14日(1712年11月12日)
従三位は大名クラスの大分冠位が高い人ですが、同じく判読できないので誰かわからん。
もひとつあるなあ。
今度はどこまで特定できるかな?
武州増上寺 文昭院殿 尊前
正徳二年壬辰十月十四日 その次は全く分からん〜。曲面に彫ってあるからなあ。
もう一度角度を変えて撮影だっ!
従三(もしかして五)位下關前????もしくは下関備前守藤原〜??ダメだぁ〜〜。あ〜、拓本取りてえ〜。でもさ、関前ってさ。どこかで聞いたような〜??『居眠り磐音』じゃないの?あれ??関前藩って本当にあったの?調べた。豊後関前とう場所らしい。けどこの石燈籠が本当に関前なのか分からん〜。そもそもさ。西武が配った石燈籠は、2万基もあったようなので、ならそんなに大事なものじゃなかったのかなあ?私は日本史専攻してないので、その辺の大事さがよくわからんのだよねえ。
ま。いいか。
さて、参拝。そして板碑保存館の入り口を探す。と?社務所の入り口に「保存館入館希望の方はブザーで呼んでください」的な張り紙を見つけた。
押す〜!
おばさんが奥から登場。一人200円の入館料を支払う。と「入り口は開けてあるのでご自由にご覧ください」とのことなので移動。

板碑保存館の1階は、東村山市の史料展示だった。石器・土器・国分寺瓦・古銭など。画像はお茶壺。2階へ向かう。

徳蔵寺:福寿山と号し、臨済宗(禅宗)大徳寺派に属し、本尊は白衣観世音菩薩、開山は壁英宗趙禅師・寛永12年(1635)示寂。開山年は、元和(1615〜1623)年の頃と思われる。江戸末期には赤坂の種徳寺末であつた。
当寺は、もと板倉氏(旗本か)の屋敷であったと言われ、土塁や堀の跡が残っていたという。
境内からは、中世の文化財である板碑も発掘され、また、昭和55年(1980)、本堂改築にあたって基礎工事中、宝篋印塔(鎌倉時代・供養塔)が数基発掘されたことなどから、この地は開山以前から歴史的に重要な位置にあったと考えられる。
住所に小字「西宿」とあることから、中世鎌倉街道の重要な宿場であったと思われる。」(パンフレットより抜粋)


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トトロとふるさと歴史館

2019年07月18日 05時55分55秒 | ぶらぶら散歩
2019.6.16北山公園の菖蒲まつりを楽しんだ後、正福寺千体地蔵堂のガイドさんに勧められた
徳蔵寺の板碑保存館へ行こうとまつり会場で配布してた東村山まち歩き発見マップを広げてたら、「どこへ行きたいのですか?」と観光ガイドさんに声をかけられた。菖蒲まつりの最終日は北山公園・正福寺さんに観光ガイドさんがいらっしゃったのだ。もうラッキーです。北山公園の辺りは、むかし道で、細い曲がりくねった道ばかりなんだ。北山公園の菖蒲見物に来たのは実は3回目なんだけど、前回2回とも迷った私。無事に目的地まで行けるのはとても嬉しいです。
ガイドさんはまち歩きマップをみて悩んでる。目的地まで迷わず簡単に案内できるほどの道がないという。ので、途中まで一緒に歩いて道案内してくださることになった。
すぐに人がすれ違えるほどの細道に入った。途中で振り返り「トトロでメイちゃんが歩いてたモデルの場所かも?」と。

確かに!メイちゃんが大きなとうもろこし抱えて歩いててもおかしくない道じゃん!
細い用水路に出た。
「川を越えて道沿いに進む。小学校の外周を周り左折。まっすぐいくとふるさと歴史館があります。直進して西武の踏切を超える。次の信号を左折。すぐに徳蔵寺さんがあります」
〜〜〜分かった気がする〜。
奥に見えるのがガイドさんと別れた橋。用水路の街路樹は桜です。ここで道を曲がるので振り返って撮影。
化成小学校にあったしの保存木。
画像奥へ直進。画像奥に見える緑は諏訪神社さん。
説明板発見:諏訪神社
御祭神:健御名方命
由緒:野口実来(つぶれや)に、前川の洪水の時、流れ着いた御神体を、大門廻(おおせど)と字名で呼ばれる桜井利兵衛(現桜井長寿氏の先祖)がお祀りして、古くは諏訪明神と言われてきた。貞享2年に、六反歩の境内地とともに、西宿(現諏訪町)の鎮守様として寄贈した。と、代々桜井家の言い伝えられてきた。
明治の神仏分離令が施行されるまで長く徳蔵寺の管理下にあり、むかしは素晴らしい杉林があって、現在の徳蔵寺本堂は諏訪神社の杉材にて建立されたと伝えられている。
午前11時40分、東村山市ふるさと歴史館到着。
ここで正徳寺千体地蔵堂のガイドさんの言葉を思い出した。「板碑に興味あるなら、ふるさと歴史館と徳蔵寺さんがオススメ」ここじゃん!偶然にも途中にあったので入ってみよう!
特別展は「税金の今昔」一般展は東村山の歴史。
 貞和の板碑
正徳寺で覆い屋の中に本物は収まっている。覗き見たあれね。
 比翼の板碑
レプリカ展示の隣に説明板があった。
「比翼碑は双式板碑、または連碑などと呼ばれ、対になっている板碑で2基で一対や、1石で2基、3基彫ったものもある。
この比翼碑は2基1組で延文4年(1359)に造られた。主尊は連座に乗った阿弥陀三尊で、光明遍照十方世界、念仏衆生、摂取不捨の があり男女2人の逆修供養の碑で、ともに高さ97センチ、幅28センチ。
この碑は久米川4丁目白山神社の墓地にあったものである。 市指定有形民俗文化財 昭和46年3月指定)
館内の冷房がとても嬉しかった〜。さてと、11時50分出発。西武の線路を越えて
信号を左折してすぐに徳蔵寺さん。12時7分到着。さて、板碑保存館の受付はどこだろうか?
目的地を見つけるのに集中してしまい、道路向かいにあったホームベーカリーマドンナさんで販売してる縄文土偶パンを買い忘れた〜〜!!まち歩き発見マップに載ってたのにぃ〜〜!!
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東村山菖蒲まつり2019.6.16

2019年07月17日 05時53分20秒 | 花見散歩
2019/6/16 10:26北山公園に到着。WEBで開花情報を追いかけていたので、今年の花しょうぶはお花畑にならなそう〜というのは知っての訪問です。
公園入り口のテントでアンケートに答えたらうちわプレゼントのイベントをやってたので参加した。
アンケートに答えていただいたうちわと東村山市の観光マップです。
さて菖蒲の花数が少ないならば、工夫して撮影しよう!という事で画像増量貼り付けします。
その前に、トップ画像の下部に写ってる花の紹介。睡蓮です。池いっぱいに咲いてた。
すぐそばの会場ではお琴の演奏が行われてました。その調べを耳にしながら撮影を楽しむ。

今年の菖蒲まつりは6月1日〜6月16日 午前10時〜午後4時の開催でした。けど6月8・9日には19:00-21:00にライトアップイベントを開催したみたいです。ちょうちんもその名残かな?
花しょうぶが一番固まって咲いてるのは、予備の場所っぽい。けどここの見どころは花でなく、奥の鉄塔なのだ。昨日の記事で紹介した最近まで都内唯一の国宝だった正福寺さんの千体地蔵堂。ガイドのおばさんが「北山公園から見える鉄塔は、トトロで猫バスが走ってたもの」と言ってたんだよね。トトロといえば、宮崎アニメ『となりのトトロ』です。
そういや、北山公園の裏山もトトロに登場してたと言ってたような?
この山ですかね?



花数が少なくとも美しさは変わらない。けども、真夏のような日差しはダメだぁ〜〜。はんなりとした紫色なのに、塊にしか見えん。辛い。
北山公園と裏山の間に、西武遊園地行きの黄色い電車が走ってます。おやつ休憩してたら走ってきたので、急いで撮影した。
休憩後、まつり期間中だけ設置される見晴台へ上がってみた。園内の菖蒲の花が今年はショボいのが分かると思うのよ。
振り向いたら逆向きの電車がやってきた。黄色い西武の電車と、あじさいのコラボ画像をカメラに収めようと、たぶん写真愛好のグループだろうなあ。結構な人数が撮影を楽しんでました。
時刻は11時11分、あっちゅー間に時間が過ぎるので予定通り万年橋の大ケヤキまでたどり着けるかボチボチ心配になってきたなあ。
北山公園の出口で、徳蔵寺さんへどうやっていくのか?テント内で配布してたココミテ東村山MAPを広げていたら、「どちらまで行きたいのですか?」と聞かれた。緑のジャンパー着用は、観光ガイドの男性でした。
「先ほど正福寺千体地蔵堂でガイドさんに徳蔵寺さんの板碑保存館をススメられたんだけど、ここからどう行けばいいかわからないんです」と答えたら、ガイドさんは考え始めた。最短コースを考えてくれてるらしい。この辺りはむかし道なので、曲がりくねってるし、細道も多いので解りにくいんだって。でも私にはラッキー。迷わずに行けそ〜。
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