あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

2017年紅葉のフォトチャンネル

2017年12月31日 05時43分49秒 | 紅葉散歩
4月に買い替えたMacが壊れました。起動しないので、そのMacに入れてある画像が読み込めません。ので、なおるまでしばらくブログ更新をお休みします。を昨日の記事の最後に書いたのですが、さすがに悔しいので、古いMacAirを取り出して簡単に今年の紅葉散歩のアルバムを作りました。
詳しい解説や画像の吟味はまた今度にして楽しんで下さい。
2017年紅葉


今年も私のブログを閲覧下さいましてありがとうございました。出来るだけ早くブログを再開できたらと思います。年末の際の際で壊れたので、来年早々にMacに持ち込みたいです〜。

あけましておめでとうございます。
壊れた〜となってから全く更新出来てません。アップルに電話して教えてもらった通り電源入れようとしたのですが、電源が入りません。ハードがいかれちゃったようんです。
取りあえずは次の日曜に原宿のアップルに持ち込むことになりました。そこで調べてから〜となりますので、まだしばらく新しい記事を投稿出来ません。
軽傷ならばすぐになおると思うんだけども。前回は読み込み済の画像だけでなく、読み込み済みのソフトまでまるっと消えちゃいましたからね。どうなることやら〜。正月早々ごめんなさい〜のお知らせですみません。 2018.1/5

続報です。今日原宿のジーニアスバーにMacを持ち込みました。電源が入らないとかカーソルが凍り付くの現象を現場で再現出来なくて、検査ツールで調べたら「バッテリーの消費じゃないの?」ということになり、バッテリー交換することになりました。
Macを預けてきたので、交換が済むまで引き続き記事投稿出来ません。
ちなみに、バッテリー交換は税込み¥21,384−かかるそうです。マジか〜。これで勝手に電源落ちたり、電源が入らないとかなくなると許すけども。バッテリー??なんか、Macのバッテリーって、最近問題になってたアレとは違うんか??
ともかくも、早く復帰して欲しい。古いMacは残存容量がほとんどないんじゃ!だから新しいソフトのアップデートも難しいんじゃ!ってな事で、中間経過でした〜。

あ〜、アップルサポートから連絡がきた。
曰く「修理情報を更新する。修理の処理を続けるにはさらに手続きを行う必要があります。トップケース。ボトムハウジング。¥57,240也」
え〜と??
どゆこと??
ダンナ曰く「マックは薄いから弱いんだよ。外側をそう取り替えするみたい」
で。有償修理を希望するか?修理せずに製品を返却して欲しいか?取り合えずオプションを電話で確認するか?選べと。
む〜ん。
前回はバッテリー交換で¥21、384ー(税込み)必要ってジーニアスバーで言ってたよね?その上に¥57、240−(税込み)が必要なの??8万もかかるんですけど〜??Macってお金かかりすぎ〜。
で、今ここです。
まだまだ記事を投稿までが長い模様。
昨日は天候も悪いしふてくされて、ブログのカテゴリーを新設してました。
「相模原・座間・大和市」のカテゴリーから新しく「相模原公園と麻溝公園」を作り記事を移動。
花見散歩」からカテゴリーを新しく「梅散歩」を作り記事を移動しました。
途中で古いMacAirの残存メモリーが1GB以下になり作業を中断しちゃったのでこの後作業を継続再開します。
あ〜、Mac!これで5代目?本当に脆弱だよな〜。薄さより頑丈さを求めたいけども。無理なんだろうなあ〜。

紅葉散歩」「花見散歩」「桜散歩」のカテゴリーから新しく作った「新宿御苑」「昭和記念公園」のカテゴリーへ記事を移動しました。(2018.1.9現在)
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国立科学博物館の日本館

2017年12月30日 05時58分21秒 | 上野・根津・湯島・神田
11月3日文化の日の訪問。地球館見学の後日本館へ移動。まずは重要文化財の建物から鑑賞する。

ちなみに日本館の建物内は常設展示になってます。一部1階の北翼部分は企画展示室になってます。訪問時には「日本人画家が描いた日本の植物」展でした。ボタニカル画は見応えがありました。2016年9月から2017年3月にかけて英国キュー王立植物園で作品展をした時の作品からセレクト展示だそうです。ちなみに、企画展示室は毎回違うので科学博物館を訪問した際に立ち寄るのを楽しみにしてます。何しろ企画展示室の作品展は毎回観覧料は
建築家の入館料のみなのですよ。この日は文化の日なので、そもそも常設展は無料で観覧できたのです。
日本館は建物が重要文化財です。旧東京科学博物館本館でした。
関東大震災の復興事業で昭和6(1931)年9月に竣工。
ネオ・ルネサンス様式。設計は文部省大臣官房建築家の技師。
鉄筋コンクリート造り(一部鉄骨鉄筋コンクリート造り)地上3階(一部4階)、地下1階建て。飛行機形の平面を持ち、機首部分に車寄せ玄関、主翼と胴体の交差部分にドームを戴く3層吹き抜けの中央ホール、主翼部分に陳列室、尾翼部に講堂を配す。3階陳列室は窓を作らず、トップライトからの採光。平成20(2008)年6月重要文化財に指定。

1階中央ホールから見上げて撮影。ステンドグラスが見える。これは小川三知の主宰する小川スタジオの製作で、意匠は伊東忠太とされています。

近くから見たいから3階へ移動する。

北翼へ。フタバスズキリュウの骨格標本が出迎えてくれる。北翼の奥へ。

見下ろして撮影。
見上げて撮影。
凝った造りです。
さて、建物の紹介はこの辺にして、展示物を幾つか。2階北翼の展示物。
白い犬は忠犬ハチ公の剥製。右奥の黒い犬は南極の昭和基地に置き去りにされて生きのびたジロの剥製。
左からキコウジ・キコウジ白色突然変異株・クロコウジ・ベニコウジコウジカビ 日本ではコウジカビを使い味噌・醤油・日本酒を作っています。日本人の食とは切り離せないコウジカビ。
ええ。地球館で化石を見て「ドロップアイテム〜」とかで盛り上がってた私。コウジカビを見て「食品生産の必須アイテムね〜」とか。ええ加減ゲーム脳から離れたい。

左奥の石は「ブラタモリ」でよく出てくるチャートです。
チャートがどうやってできるか?チャートはどこにあるか?の図解です。ちなみに、チャートは火山の左海底にある長方形のオレンジと薄緑の石です。
同じく石の種類。画像上部中央のが安山岩。その左が流紋岩。右が玄武岩。

前回科学博物館を訪問したのは今年9月「深海展」でした。この時深海の生き物標本も多く展示してあったんだけどね。標本が干物みたいで色が抜けててガッカリでした。日本館に海の生き物を紹介してあって、ふと、メンダコを見つけてしまった。

深海400メートルの表示がある。展示物は剥製なんだろうか?それとも擬似剥製なんだろうか?でもこんなメンダコならば「深海展」でガッカリしなかったわ。

これは剥製になる前の標本でしょうか?上の段右から2つ目の標本はアオアオバトです。大磯の照が崎には夏の早朝に毎朝アオバトが群れてやってくる。いつか観に行こう!と日々のデーターを集めてる人のWEBページをブックマークしてます。朝6時には家を出ないと見れないから、まだ本物のアオバトを見たことないんだよね。
国立科学博物館基本情報
開館時間:9:00−17:00(金・土曜は20:00まで開館)
入館料:常設展620円(小中高生は無料)
休館日:毎週月曜・年末年始

さて11月3日のお散歩は、上野の西洋美術館→国立科学博物館→白金台の明治学園礼拝堂・インブリー館・記念館の文化財見学と続くのですが、実は3月に購入したMacが壊れました
仕方ないので緊急手段で前に使ってた古いMacBook Airで書き込んでます。でも新しいMacに読み込んだ画像は古いMacは容量が無過ぎて読み込めない〜。あ〜、年末も際の際になって壊れるな〜〜!!なんか、見た事ない道路標識にこんな18のないのが真っ黒の画面に出た〜〜。ナニこれ〜〜!!ってな状況でしばらく記事投稿出来そうにありません。
すんません。こんな所で。今年も私のブログをご覧いただきましてありがとうございます。来年もよろしくお願いします。Macがなおったら復活します。ごめんなさい。
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国立科学博物館の地球館

2017年12月29日 05時15分42秒 | 上野・根津・湯島・神田
2017.11/3訪問。上野の西洋美術館の常設展を鑑賞後、隣の国立科学博物館へ移動する。11月3日文化の日は、国立科学博物館の常設展の入館料が無料になるのです。
ちなみに、常設展は重要文化財になってる日本館の地下1階に入口があります。今日・明日と国立科学博物館を紹介します。今日は地球館を。地球館は地下3階・地上3階・屋上からなります。入館してまず最初に向かったのは日本館地下1階ラウンジ。ここで早めのお昼ご飯です。当日は入館無料ですから利用客が多い。でも回転も速いのでテーブル確保です。持参のパンとお茶で手早くいただいてから地球館へ。
まずは地下3階からスタート。見学者が多いので展示物一つ一つをじっくり見るのではなく、心の琴線に触れたものだけをじっくり見ることにする。

一つ目。アポロ11号が持ち帰った月の石など
まさか上野にアポロが持ち帰った月の石があるなんて知りませんでした!まあ、石のサイズはショボいんだけどね。上の画像の左上のガチャポンの容器に似てるのに入ってるのがアポロ11号の月の石。右の大きめのガチャポンのがアポロ17号。で、中央のメダルが時の首相佐藤栄作書の月に置いてきたメダルのレプリカです。
はやぶさ2が現在小惑星に向かって飛行中ですね。あれ、打ち上げる前に希望者は自分の名前をはやぶさに載せて一緒に飛びませんか?と言うイベントがありまして、小惑星に置いてくるか?地球に戻ってくるか?2択でした。私は置いてくる方を選択しましたよ。ええ。あ。在住の相模原にはJAXAがあって、イベントも多いんです。
で、大阪万博で月の石を見るために何時間も並んだ人は、上野の月の石がある!と知ったらそれ見たい!と思うよね?って事で選んでみた。
2つ目は同じく地下3階の日本の科学者コーナーから。ノーベル賞受賞者の実績紹介パネル
毎年秋になるとノーベル賞の発表があります。ここのところ例年のように受賞してるので、ありがたみが薄れてますが、どんな研究が評価されたのか?興味深く見ちゃいました。画像紹介は世界初のホルモン「アドレナリン」を発見した高峰譲吉氏です。私は降圧剤を日々飲んでるので、「アドレナリンとエフェドリン」と題されたパネルをつい選んじゃいました。難しくてパネルはよくわからんかったけどもな。アドレナリンとエフェドリンの分子構造が似てるのは理解したわ。
地下2階へ移動。
3つ目は放散虫です。
NHKの「ブラタモリ」でしょっちゅう出てくる放散虫です。毎回地層や石に強く興味を示すタモリさん。で何度も出てくる放散虫。それってどんなの??と思ってたので、つい写してしまいました。
地下2階は地球誕生から反映し絶滅した生き物の紹介フロアです。
サーベルタイガーとか聞いたことある。

絶滅した生き物なので、展示品は化石になります。石の中に埋もれてるかつての生き物の痕跡を掘り出してクリーングして組み立てて入館者に見せてくれる。撮影のチョイスはアルマジロっぽいの。一押しは鎧です。鎧の手前の化石が鎧の持ち主。中身です。
最近ゲームのRPGとかのジャンルのラノベにはまってたのですが。鎧見たら「あ。アイテム!」って思っちゃいました。ドロップ品にしか見えん。骨もそこらにあるし。この鎧ならいい盾が作れそう〜。
 
もう化石のツノがドロップアイテムにしか見えなくてね。化石見てニヤニヤしてる気持ち悪いオバハンになっちゃいました。ブハッ!イカンイカン。笑ってる場合じゃ〜〜。自重自重。
ちなみに、地下1階の恐竜の全身化石展示は入館者に大人気です。地下1階は建物の2/3が特別展示フロアになっていて、1/3が恐竜化石展示に当てられています。

1階へ移動。パンダのホアンホアンの剥製
ちょうど今月上野動物園で子パンダの公開が始まりましたね。実は上野で飼育されていたパンダで3頭の子パンダを産んだのがこのホアンホアンです。古いよ〜。1980年代だから日本はバブルど真ん中!ホアンホアンは1997年に老衰で死亡。で、今はここで見れます。
カージナルスの剥製。
剥製には和名と英語の名札がありまして、英語でカージナルス。とありました。
スポーツ好きですか?USAでカージナルスといえばどこのチームを思い出します?
野球好きならば、セントルイス・カージナルスですね。アメフト好きならば、アリゾナ・カージナルスです。ちなみに和名はショウジョウコウカンチョウ。どっちも赤と白のユニホームです。で、ついつい撮影しちゃいました。動物園や水族館でも大概名札がありますが、読むときは英語名も読んでみて。たまに和名とかけ離れてとっても笑える英名を持つ奴がいます。

ムシキング好き?私は昆虫好きです(蛾を除く)。甲虫はかっこいい。やっぱりカブトムシはいい。画像では全く伝わりませんが、標本になってるカブトムシは日本のカブトムシと比べでかいです。いや〜、生きてるカブトムシが見たい〜。ヘラクレスだっけ?や、アトラスかな?どっちもかっこいいわ〜。
2階へ移動。科学技術のフロアです。教科書で見たことのあるあれこればっかりです。

田中久重作、重要文化財万年時計(和時計)です。
TBSの日曜9時のドラマ『JIN』にも出演してましたね。JIN先生に豆電球をもらったり、手術中に手元を照らす無尽灯を作ったりしてました。で後に田中久重は「東芝」の創始者になるのです。天才です。JIN先生は現代から過去にタイムスリップした設定でしたが、田中久重も幕末に生きた人とは思えないオーパーツな作品を発明してます。万年時計を現在の技術で再現しようとして、「愛・地球博」では失敗したらしい。
伊能忠敬作日本地図です。え〜、日本史的には「大日本沿海輿地全図」です。伊能忠敬は足かけ17年かけて1816年に完成。ちなみに、出発時にすでに55歳。いつだったか、国立博物館の平成館1階の床に、伊能忠敬の地図を貼り出してたことがありまして、つい自分家を探してしまいました。当時の小田急相模原は街じゃなかったわ〜。鶴間とか見つけたけどな。確か、黒船のペリー提督が「我が技術で地図を作成しましょう」と言われた時の幕府は、伊能忠敬作の地図を見せ、「すでにあるからいいです」とぎゃふん!と言わせたんだよね。確か。いや〜、伊能忠敬の地図がなかったら、日本はアメリカの植民地になってたやもしれんね。地図測量してあげようと恩着せがましく言って絶対スパイしてたはず。あれこれ情報収集されてたら?と思うとゾクッとするわ。
江戸時代庶民の間で流行した変わり朝顔のスケッチ。確か変わり朝顔って基本突然変異だから世代交代しない。でも日本人って植物には変に情熱を注いでしまう人種なんですよ。何年前か、モロッコを旅した時に、マラケシュの日本語現地ガイドさんが「花の名前を聞くのは日本人だけ。ガイドのために勉強した。モロッコ人もフランス人も花の名前に興味ない」とぼやいてたのを思い出したわ。で、1回こっきりしか楽しめない突然変異の花は尊いけども来年も見たいのが植物を愛する日本人なのです。私らは突然変異を放置しない。品種改良に走るんだよね。とはいえ、朝顔ってあまりに咲いてる時間が短いので知識として変わり朝顔を知ってはいても、実際に咲いてる変わり朝顔はなかなか見ない。で、スケッチで残したんだね。まさか科学博物館で見られるとは思わなかったなあ〜。
からくり人形です。
からくり人形の最高峰は多分からくり儀右衛門こと田中久重作の作品でしょうが、上の画像は違うんじゃないかな?これはからくり人形としてはメジャーはお茶運び人形です。着物を剥いで中の構造が分かる形での展示です。現代ではともかく、江戸時代に作られたの。これ。すごいと思いません?
平賀源内作エレキテル
平賀源内さんは私の田舎、四国は香川県出身。高松藩に仕える藩士でした。だから讃岐の子は源内さんのあれこれを昔話で学ぶ。まあ子供向けなので、実は高松藩を止めた後、他家への再仕官ができなくなった末、発明三昧の道へ〜とかは昔話には入ってませんでしたが。ちなみに、エレキテルは源内さんの発明品ではない。もともとはオランダで発明されたものが、江戸に持ち込まれ、源内さんは壊れたエレキテルを修理したし復元したのだ。ちなみに、源内さんが死去した1779年は安永8年、10代将軍家治の治世です。
エレキテルの隣に旅行ようにコンパクトにした箱がありました。あれだ。東海道中膝栗毛とかで弥次さん喜多さんが胸から下げてる手荷物。あれですね。小さな箱に行灯・硯・筆・枕・そろばん・薬入れなんかがコンパクトにまとまってます。日本人って江戸の頃からすでにコンパクトにするの好きだったのね。

無尽灯。さっき出てきた田中久重の発明。そもそもろうそくの火はチラチラする。でも無尽灯は灯油なの。明るいの。科学博物館に展示してある無尽灯は思ったより大きくて驚き。

2階には大きな展示物も多い。零戦です。外装を剥がしての展示なので、内部がよく見える。周りには零戦の設計図も展示してあり、自由に閲覧できます。設計図は本ですわ。何枚も綴ってあるからね。周囲には車とかハヤブサのレプリカとか。興味を持つ男の子には何時間でもいられる場所なんでしょうねえ。
3階へ移動。3階はみっしりと動物の剥製が並んでます。
これさ、ハワイの日系の富豪のコレクションらしい。寄付してもらったんだって。だからですかね?展示物のアマサギの剥製は、アマサギの特徴的なオレンジ色の頭の個体でなく、一見コサギに見える白頭の個体を展示してあります。筑波に科学博物館の収蔵倉庫があって、時折特別展示に合わせ展示替えがあるとかなんとか。ザッと流し見する。つ、疲れた。休憩しよう!向かったのは屋上です。

屋上スカイデッキでおやつ休憩。ボ〜ッとトーハクの建物を眺めて疲れた脳みそをリセットしてから日本館へ移動します。ちなみに、書き洩らしましたが、訪問した11月3日は、各階に係員さんによる説明ブースが設置されてました。どこかの子連れのお母さんが恐竜フロアで「専門的な話を聞きたいわけじゃないのに」とぼやいてたのを覚えてます。説明は子供向けじゃなくてお母さんはがっかりだった模様。子供にはちょっと難しいことを聞くのも大切だと思うんだ。お母さんはがっかりだったけども。そこが面白い!と思う子だっていると思うの。うちの近所のJAXAでは毎年7月末に特別公開があるんだけども、子供らは専門的なことよく知っててたまげるよ?
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世界遺産の国立西洋美術館

2017年12月28日 05時12分30秒 | 上野・根津・湯島・神田
2017.11.3訪問。11月3日は文化の日ということで、上野の西洋美術館の常設展の観覧料が無料になると知り出かけました。
国立西洋美術館は、フランス近代の絵画・彫刻を中心とする「松方コレクション」の展示する場所として1959年に設立しました。
実業家松方幸次郎(1866-1950)は、日本最初の西洋美術館の建設を目指し、1916年から約10年かけてヨーロッパで美術品を収集しました。しかし第二次世界大戦中にフランス政府に接収され、戦後日本へ寄贈返還された約400点を除きコレクションは散逸しました。
常設展は中世末期から18世紀にかけての西洋絵画や19世紀後半の写実主義や印象派ぁら20世紀半ばまでの近代絵画、ロダンを中心とした近代彫刻などが見られます。」
複数回目の訪問でしたが、新しい収蔵物が増えてて楽しかったです。最近寄付収蔵された宝石コレクションは数が10点ほどと少なかったけども、コレクションとして質が高いと思えました。

西洋美術館の本館は、1959年に建てらてたもの。フランス近代建築の巨匠ル・コルビジェ(1887-1965)の設計です。収蔵作品が増えるのを前提で拡張する「無限成長美術館」のアイデアを基に建てられました。柱・床・階段という単純な構造を基本のユニットとする<メゾン・ドミノ>の建築形式・古い西欧の石造建築では実現できなかった建築の可能性をまとめた「新しい建築のための5つの要点」、建築と身体の調和を目指して彼が考案した尺度「モデュロール」などです。
2007年に国の重要文化財に指定。2016年7月にユネスコ世界遺産に登録」以上、頂いたパンフレットより抜粋。

上野に到着したらすごい人!どこへ向かってるんだろうか?西洋美術館にも観覧入場列がありました。てっきり地下の企画展示室の入場列だと思って、列をスルーして常設展入り口に向かったら、スタップに止められた。あれ?今日は無料公開日だよね??なんで?
スタッフさん曰く「無料入場券」を発券してます。受け取ってから入場してください。
そうなのか?で、その無料入場券はどこで手に入るのかな?
まさかまさかの企画展示入場列と同じでした!まじか〜!!行列は西洋美術館の敷地をはみ出し、外の外周にまで伸びてるんですけど〜??手際悪すぎ!無常入場券は別口で配布テーブルを設置すべきです!動線考えろや!年末に有明に行ってコミケスタッフの仕事見てこい!!
で。なんだかんだあってようやく入れた。で、スタッフさんに確認しましたら「本日は館内撮影禁止です」だって!
まじか〜。建物がル・コルビジェの作品なのです。建物を撮影したいのですよ。
でもダメなものはダメでした。建物を撮影したいならば、常設展の観覧料500円を支払い平日に入館すれば可能らしい。で、せっかく世界遺産の建物見学に来たならば、ボランティア・スタッフによる「建築ツアー」の参加をお勧めします。
●国立西洋美術館基本情報
開館時間:9:30-17:30 金曜日は常設展・企画展とも20:00まで 土曜日は常設展は20:00まで(企画展の入場時間は展覧会ごとに異なります)
休館日:毎週月曜日、年末年始 (12/28ー1/1)
常設展観覧料:500円 大学生250円 18歳以下・65歳以上無料
無料観覧日(常設展のみ)毎月第2・第4土曜日、国際博物館の日、文化の日
てな事で、世界遺産の建物を紹介しようと思ったのですが、館内撮影禁止であえなく企画倒れになってしまいました。

ちなみに、上の画像の階段は使用禁止です。本館2階は天井が低い。内部は暗め、よく言えば絵画鑑賞には差し支えない。
新館(1979)部分は一転明るい。天井に屋外の明かりを取り入れる工夫が素敵。確か天井の明かり取りの形が面白かったけども、新館部分はル・コルビジェ作品ではありません。それって、巨匠の構想を不採用にしたって事だよね?世界遺産作品全否定か?とか思っちゃったよ。でも建築ツアーに参加しないと詳しいところはわからないなあ〜。11月3日は建築ツアーをやってなかったけども。
ブログを書くにあたり調べたところ建築ツアーは予約制で西洋美術館のホームページで募集してます。
建築ツアー
開催日時:第2・第4水曜。日曜日 15:00~(約50分)
定員:各回20名(先着順)
料金:無料(常設展の観覧券が必要)
参加方法:事前申し込み ツアー実施日の2週間前、午前10時から申し込み可能。だそうです。
収蔵作品はロダンの作品とスケッチが大量です。ロダンといえば代表作は何と言っても「考える人です。しかし考える人は地獄門の一部なんだよね。実は。

西洋美術館の屋外に地獄門を展示してあります。上の画像の中央上部を見て欲しい。ここに考える人があるの。
この門耐震対策をしてある。

地獄の門には大量の彫刻があります。

この彫刻のスケッチや思いつきが常設展で見れます。新館の1室をすべてスケッチの展示に当ててあるので是非見て欲しいです。帰宅後たまたまテレビ番組でロダンの特集をやっていて、地獄門にどのようにどの彫刻を飾るか?結局ロダンが生きてるうちに決められなかった。死後友人は現在の形に配置したとか言ってましたね。ロダンの奥さんは長年未入籍のままロダンを支え、死亡する直前に正式に婚姻し、パトロンの未亡人に作品を勝手自由にされ、弟子の才能豊かなカミーユに結婚を迫られ拒否ったらカミーユが狂ってしまい大後悔とか。なんだろか?ダメ男じゃん?それで地獄門とか大それた作品作ろうとしたらそりゃあ煮詰まるよな。とか思いつつ番組をみました。ちなみに、ロダンは視力が悪くて画家を諦めて彫刻家になったとか。大分人間ぽい。でも作品は大人気で「考える人」などは世界中にある。これさ、1点ものじゃないんだね。
てな事で、西洋美術館の前庭には作品がいくつか展示してあります。

考える人

地獄の門の右に。

地獄の門の左に。
で、トップ画像はカレーの市民。これ、ロダンの代表作的な作品。元はフランスのカレー市の発注で、勇姿溢れる感じでと言われたのに、苦悩する作品作ったものだから、受け取り拒否られたとかなんとか。変な人ですよね。まあ芸術家だから波乱万丈上等!なのかしら?
おまけ:ブールデル作「弓を弾くヘラクレス」

なぜに1点だけロダンでない作品が、屋外展示になってるか謎です。
あ。モネの睡蓮の作品も数点あります。フランスの建築家が設計した建物に、近代フランス画家や彫刻家の作品を収蔵してるのが国立西洋美術館なのですね。ちなみにフジタ・ツグハルの絵画が最後の部屋に飾られていて、彼の作品は西洋絵画で堂々と展示される作品なんですね。少し嬉しい。
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紅葉の六義園

2017年12月27日 05時32分47秒 | 紅葉散歩
六義園は垂れ桜を見に複数回訪問済み。しかし紅葉の季節は初訪問でした。
旧岩崎邸庭園から東京メトロ縛りで移動すると結構不便で、岩崎邸を出たのが13:59で、新御茶ノ水で丸ノ内線に乗り換え。

乗り換えの途中、聖橋の上から湯島聖堂に向けて撮影しました。いい感じで色づいてますが、先を急ぐのでまた今度にして、後楽園で南北線に乗換、最寄りの駒込で下車。地上に出てびっくり。普段閉門してる染井門が開いてます。しかも入場列があり、最後尾は六義園の北の塀を西へ続いてました。ええ〜〜!!なぜにこないに大人気なのか?それは訪問日の12月3日は夜間ライトアップされるのだ。仕方ないので最後尾へ。
六義園の入園料は300円ですが、小田急東京メトロ切符を使うと240円で入れました。
記念スタンプを押印して客の後をついていく。時刻はもう14時53分になってしまった〜〜!!うわ〜まずい〜。日差しがもう夕日になっちゃったよ。となると、ゆっくり紅葉を探してそぞろ歩きなんかしてられない!まずはトップ画像の紅葉の見所をチェックして、後入り口でゲットしたチラシに紅葉写真が掲載されていたツツジ茶屋・滝見茶屋・渡月橋の3ポイントは必ず見たいです。

染井門から直進して正門へ移動。垂れ桜の前を西へ。宣春亭とモミジの撮影。

出汐湊から妹山・背山。
わからん!入り口でいただいたチラシによりますと、六義園は、5代将軍徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が元禄15(1702)年に築園した和歌の趣味を基調とする「回遊式築山泉水」の大名庭園です。
明治に入って三菱の創始者岩崎彌太郎の別邸になりました。その後昭和13(1938)年に岩崎家より東京市(都)に寄付され、昭和28年(1953)に国の特別名勝に指定された。」
だそうで。見物客が本当に多く、撮影を楽しめない。まずは紅葉スポットの一つ目。

滝見茶屋へ。滝見茶屋から千鳥橋を望んで撮影。赤い石が印象的。

滝見茶屋から滝を見ると逆光で色が飛んでしまいました。上の画像は千鳥橋から滝見茶屋に向かい撮影したもの。滝は茶屋の建物の奥にあります。
この先で道が2つに分かれてました。つい吹上茶屋を目指してしまった。お洒落なこも巻きがあった。泉に垂れる木の枝の形が素敵。

吹上茶屋の周辺に紅葉スポットはないので、2つ目の紅葉スポットツツジ茶屋へ向かう。

この辺り高台。一度上がって下がる。

つつじ茶屋です。明治の頃、つつじの木材で作った建物。珍しい。この周辺はモミジが多く植栽されている。

つつじ茶屋から細い水路が伸びていて、モミジが多く紅葉スポットです。


が、小高い丘を登って降った後。西日が届かない。もう日暮れが近いのでほとんど日陰になってて、ピンボケ画像を増産してしまいました。構図はバッチリなんだけどね。がっくり〜。

紅葉スポットの3つ目。渡月橋に到着。橋の上からも紅葉が観れるけども、撮影してる人がいるのは芦辺茶屋跡の丘です。そっちに行ったら2段3段になってた。もう来園者が多すぎなので、ここはモデルになってもらうことに。待っても人がどんどん来るから人を入れないで撮影するのは諦めた。

で撮影したのがこれ。結構お気に入りの一枚。
15時50分、六義園を後に。JR町田駅に向かう。
この日1月3日の指定席予約券を提出した人は49人。○は希望通り指定席券をゲット。△は第一希望は撮れなかったけど、第二希望は取れた人。✖️は希望の指定席をとれなかった人。私は無事第一希望の新幹線と特急しおかぜの指定席をゲット出来ました。長いことお世話になったJRの指定席事前受付でしたが、今年で終わりです。正確には平成30年3月1日(4月1日分の指定席券予約)で終了となります。以後は自力でえきねっとで予約してね!となるらしい。う〜む。来年から頑張れるかな?

年末までかかりましたが、これで今年の紅葉散歩は終了です。今年の秋は足早に過ぎてしまいました。もうすこしゆっくり季節が移り変わってくれたらば、もうすこしたくさんのポイントを見回れたのに。地図や時刻表などウォーキング資料を用意したけど行けなかった御岳渓谷〜御岳山散歩殿ケ谷戸公園〜武蔵野公園〜多磨霊園紅葉散歩は来年の楽しみに取っておきますかね。
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旧岩崎邸庭園の大銀杏

2017年12月26日 05時59分11秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2017.12.3訪問。東京メトロ大手町→湯島駅。12:33旧岩崎邸庭園に到着。入園料¥400の所、小田急東京メトロ切符で¥320円で入れました。

ここの売りはなんといっても洋館の内部が予約なしでいつでも観覧できること。建物見学の前にお昼を食べたい。ってなことで、裏手の芝庭へ向かう。ここにテーブルと椅子がありそこは飲食OKなのです。

皇居周辺散歩の後なので、気持ち休憩タイムを長めに。おやつも食べる。
入り口でいただいたチラシによりますと、旧岩崎邸庭園は、明治29年(1896)に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造られました。往時は約1万5000坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいました。現在は3分の1の敷地となり、現存するのは洋館・撞球室・和館大広間の3棟です。
戦後GHQに接収され、返還後、昭和27年(1952)に国有財産となり、最高裁判所司法研修所として使用されました。
昭和36年(1961)に洋館と撞球室が「旧岩崎家住宅」として国の重要文化財に指定。昭和44年(1969)に和館大広間と洋館東脇にある袖塀が、平成11年(1999)にレンガ塀を含めた敷地全体と実測図が追加指定されました。

撞球室

撞球室は中に入れませんが、外から覗けるようになってました。

間取り図です。撞球室は洋館から地下道で繋がっていて、直接移動出来る仕組みです。ちなみに地下道は非公開。
旧岩崎邸を訪問した目的は、大銀杏です。

黄葉は見頃になってます。

樹齢は400〜600年とざっくり。江戸時代にここが大名屋敷だった時代からここにあった大銀杏。いい感じに撮影出来るポイントを探しましたが、大銀杏の足元は、東側に券売所がある。(トップ画像です)裏手は立ち入り禁止の鉄鎖が貼ってある。近くから見上げて撮影できません。ベストポイントはトイレ!ええ。トイレ。しかしそこからだとど〜してもトイレの建物が入ってしまう。ギリギリトイレ前で膝まづいて撮影したのが今日の記事の2枚目です。

洋館の窓に大銀杏が写り込んでました。

旧岩崎邸庭園のメインはこの洋館です。
中は素晴らしい!ですが、内部は全て撮影禁止!ベランダでもダメ!こっそり撮影したいと思っても、内部も職員さんや警備員が巡回してるので諦めてください。

以前は撮影できたんだけどね??で、旧岩崎邸庭園のWEBページを閲覧すると「よくある質問」のところに平日は室内撮影可能とありました。
いただいたチラシによりますと「この洋館はジョサイア・コンドルの設計により、明治29(1896)年に完成した、17世紀の英国ジャコビアン様式の見事な装飾が随所に見られ、イギリス・ルネサンス様式やイスラム風のもチーズなどが取り入れられています。
画像がないので中は実際に訪問して感動してください。ちなみに、内部に入る時は靴からスリッパに履き替えて、自分の靴をビニル袋に入れて見学中に持ち歩きますので、脱ぎ履きしやすい靴で訪問してください。

出口は和館の大広間の濡れ縁から。ここ、すごく贅沢です。わかりにくいのですが、広い障子&ガラス扉が上下2段。中も長い1枚板の天井とか。桟も全て面取りしてあって、建築家や大工さんは必見じゃないでしょうか?大広間しか和館が現存してないのが惜しいです。

あと、岩崎家ゆかりの〜となると、どこの庭の庭石も立派です。大広間前の石も素晴らしい〜。

ちなみに、訪問した時には可愛いお正月飾りがそっと展示してありました。

洋館1階ベランダから芝庭へ降りる階段です。

見上げると、2階のベランダが。

ちなみに、1階ベランダ部分のタイルは、英国のミントン社製。

で、こちらはサンルーム。
さて、旧岩崎邸の庭は芝庭です。しかし外縁部には日本庭園ぽい石灯籠とか石碑も点在してて、往時の名残ですかね?
訪問時にはモミジやイチョウの紅葉が楽しめました。

そこそこ大きなイチョウです。

真っ赤なモミジと洋館のコラボ画像を思いがけずゲットでき嬉しいです。
時刻は既に13:59。思いがけず時間が経ってしまったので湯島駅へ戻ります。
ん??

さっき芝庭の奥に緑の工事の壁がぐるりと巡っていて、あれ?と思ったのですが、正体はこれだったみたい。芝庭を一部往時に復元するようです。併せて塀も復元するっぽい。どう変わるのか?楽しみです。

ついでに洋館の外壁も痛みがあるので補修に入るんだって。来年1月中旬から10月末の工期を予定してるので、来年の紅葉は現在より綺麗になってるかも?
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皇居二の丸庭園

2017年12月25日 05時58分55秒 | 皇居・丸の内・永田町・九段下
皇居東御苑の二の丸庭園は、江戸時代に小堀遠州が造り、3代将軍徳川家光の命で改修されたと伝えられる庭園でありましたが、長い年月の間に度々火災で焼失し、明治以降は荒廃していました。現在の回遊式の庭園は、昭和39年(1964)に、9代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたものです」
説明板を読んでこれは現代の作庭家が徳川将軍時代の庭をドリーム想像して作った庭だと知る。んで?作庭したのが前回の東京オリンピックの時って世界からくる人達のおもてなしだったのかも?と想像してみる。

諏訪の茶屋は二の丸庭園にある建物で、二の丸庭園にある建物はこれだけなので、来るたびに撮影してしまう。

築山に上がると赤いモミジの向こうに池が見える。凄いですわ〜。視力がいい人は、池の石橋や石灯籠も見えるのかな?

で、池です。池は浅い。ヒレの長い綺麗な鯉が泳いでます。どこかの国から先の陛下への贈り物だったものを、国民の皆にも見れるようにと放されたとか。でも数がね。池の広さに比べ少ない。前回来た時はもう少し多かったと思うのですが。いつだったか鳥が鯉を狩るので何度鯉を入れても食べられてしまう。というニュースを見たことあるんだけども。野生には勝てないね。

回遊式の庭なので、池の周りをぐるりと。池の奥に雑木林が見えます。昨日紹介した武蔵野の雑木林を再現した場所。中央の大きな木の下に、ベンチがたくさんありました。そこでおやつ休憩しました。5月にはツツジ(さつきかもしれん)がお花畑になる場所です。

場所は上の地図で確認して下さい。

二の丸庭園にあるトイレと休憩所。ダンナを待つ間紅葉を撮影。気づいたのですが、外国人が多いのね。彼等は日本の観光場所をよく知ってます。感心するわ〜。

一つ上の画像右奥に写ってる照明です。もともとは皇居正門の橋の照明でした。
ここにも皇居の電燈がっ!!(2011.5/21)の記事こちらの記事に江戸たてもの園・皇居伏見櫓・東京芸術大学にあるかつて皇居正門の橋の照明だった電燈の画像があります。
大手門から外へ。
濠沿いに東京駅へ向かいます。

皇居に残る江戸城の名残。奥は富士見櫓です。江戸城の本丸が焼失した後は、富士見櫓が代用されてました。将軍様はここから隅田川の花火を眺めたとかなんとか。手前の櫓とのコラボもあって、人気の記念撮影ポイントです。

東京駅から続く行幸通りの銀杏並木を楽しみに来たのですが、あれ?この道って中央にこんなに大きな歩道があったっけ??
残念ながら楽しみにしていたイチョウ並木はすでに見頃過ぎの木が多かったです。まあね、12月3日だし。仕方ないですね。

ちなみに、お濠端の街路樹もイチョウです。逆光なのが残念ですが、実際にはもうチョイ水面に逆さに映るイチョウは綺麗でした。不精せずに行幸通りの反対側へ渡って撮影すべきだったなあ〜。
丸ビルのクリスマスツリーをちょい見。昼間だからイルミは灯されていない。

丸ビルからKITTEへ。画像奥左に東京駅。右手前が東京中央郵便局。で、今日は時間が惜しいので2・3階に入ってる東京大学の博物館をパスして5階へ。

目的は東京駅の建物を見下ろすことと、映画『シン・ゴジラ』の最終決戦池を見ること。

ついでにしばらく東京駅を発着する列車や新幹線を眺めました。列車爆弾はロマンでしたね。まさか映画で見れるとは思いませんでしたが。

さあ、次だ!とエスカレーターへ。ふと?上からツリーを見下ろすのもアリかも?と写してみた。ここもイルミがあるんだけども、今は昼間なので(二度目)

千代田線大手町駅へ移動する途中、工事の終わった東京駅を正面から撮影してみた。逆光だった。ここさ、順光撮影できる時間帯ってあるんですかね?ちなみに撮影時刻12:10です。
皇居乾通り通り抜けのついでにお勧めの散策コース(2017.12/4)の記事 こちらの記事は12/3の散策のまとめ記事です。
どっちも岩崎家ゆかりの庭園です(2017.12/5)の記事 こちらの記事は、皇居周辺散策の後に行った場所のまとめ記事です。
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皇居東御苑の二の丸雑木林の紅葉

2017年12月24日 05時29分25秒 | 皇居・丸の内・永田町・九段下
2017.12/3 10:30~。皇居乾通り通り抜けに参加。東御苑から二の丸庭園へ。ここに昭和天皇が東京近郊から失われていく武蔵野の雑木林を皇居内に造ろうと、昭和58年から(1983)3年かけて造成した雑木林がある。なんと土壌も武蔵野の雑木林から移したので、土に混じって植物の根や種子、昆虫や土壌植物も一緒に移されて、とてもここが皇居と思えない素晴らしい武蔵野の雑木林が復元されている」と、去年昭和記念公園で開催されてた写真展でオススメされていたので期待してきました。

期待を上回る素晴らしい雑木林が眼の前にっ!!

雑木林の中に何本もある細い散策路を、足の趣くままに進みます。圧倒的な暖色系の色の洪水が、進むごとに次々と展開されてもう大変!

なんで今までこなかったんだ〜!!私のアホ〜~っ!!二の丸庭園へは既に何度も訪問済み。梅・ツツジ・花菖蒲・紅葉と季節を変えて訪問していたのに、雑木林には注目してませんでした〜。手抜かりしたわ〜。

普段私の散歩に付き合っても撮影はほぼしないダンナも撮影を楽しんでる様子。案内してよかったよ。

武蔵野の雑木林って私の田舎の讃岐の雑木林と違い、落葉樹が多いんですね。讃岐は常緑樹が多いので冬でも緑色の木が多めなんだよね。

歩くの楽しい〜〜っ!!

上の画像は既出のこの日の散歩のまとめ記事に載せたもの。ここも二の丸庭園の雑木林にあるので載せてみた。
上の画像の右奥にある照明はこちらです。

元は皇居正門の石橋にあった照明です。現在はあちこちで飾られてます。確か上野の芸大で見た記憶があるわ。

二の丸庭園の紅葉が素晴らしかったので、記事を2つに分けて明日は日本庭園部分を紹介します。
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皇居乾通りの紅葉見物

2017年12月23日 05時56分13秒 | 皇居・丸の内・永田町・九段下
2017.12.3訪問。例年11/30&12/3は帰省新幹線の指定席事前受付で町田駅に予約券を提出した足で紅葉散歩をします。今年も同じく朝一に町田駅でダンナをホームの待合室に残し私だけ下車し予約券の受付を済まし、小田急東京メトロ切符を購入。東京メトロ千代田線二重橋駅へ。予測して日比谷公園側の馬場先門・明治生命館最寄出口へ。
地上に出て異変に気付く。皇居乾通り通り抜け参加は今回で3度目です。でも前回は大勢の参加者で溢れてたんですよ。なぜに休日の通り抜けに人出が少なめなのか?疑問に思いつつ足は止まらない。途中で楠木正成像がある広場からの団体客がどんどん合流し、それなりの数の参加者と共に皇居前広場を目指す。
やがて見えてきた行列の最後尾。短いっ!なぜだっ??
理由はすぐに判明した。皇居乾通り通り抜けは10時スタートなのですが、既に開始されており行列もとおに動いていたのです。やっちまったわ〜。

行列が少し進んでは止まる。ある程度の参加者をテントの持ち物検査場に通して、検査待ちの参加者が終わったら次を通すを繰り返してました。上の画像で9:38です。この後、ボディチェックテントがあり、後は行列の後ろを追いかけて坂下門から入場する。

坂下門に9:42到着。ボディチェックからここまで行列はスムーズに流れました。

最初の見所は、富士見櫓を背景の紅葉したモミジと記念撮影です。前回もここで記念撮影しました。
前回に比べ紅葉の盛りを超えてる気がスル。紅葉の先が痛んでるのもきになるわ。

でもまだ見物客が少ない時間帯なのは嬉しい。背景に宮内庁の建物をバックに〜も楽に撮影出来ました。

コース地図発見。

山下通りは紅葉の名所ですが、既に落葉済みのモミジが多く見栄えがイマイチ。

兜門の紅葉。手前のオレンジ色に輝く紅葉が綺麗です。人気です。撮影者がいっぱい。
この先に富士見多聞と美しい石垣のコラボポイントが。ついでに紅葉も入れて3つをコラボしたのがトップ画像です。

ここも人気の撮影ポイントですね。

これで紅葉の見頃の盛りだったら言うことなしだったのに。

春の公開では大人気のしだれ桜が美しい道灌濠。上の画像右手に天皇陛下の御住まいの吹上御所があります。

この先が出口の分かれ道。直進すると乾門。右折すると東御苑です。前回の公開時は2度とも直進して、北の丸公園から靖国神社へ向かいました。北の丸公園の紅葉山。靖国のイチョウ並木も素敵でした。

今回は二の丸庭園の雑木林が見たいので、右折します。

西はね橋から乾通りを振り返って撮影。前回も同じ場所から撮影しましたが、今回は前回より早い時間だからか太陽の位置が悪い。逆光で太陽の光が入っちゃった。

水のたまった水路は蓮池濠。夏には蓮が美しい場所ですが、それを見るには皇居見学ツアーに申し込まねばなりません。これまた逆光です。でも石垣が美しく輝いてます。
橋の先は2段構えの石垣が出迎えてくれた。
 
中には大名が納めた石もありますね。

野面積みかな?

道なりに抜けたら江戸城の天守台が目に飛び込んできた。そりゃあ登るでしょう。既に登りの行列ができてるけど、行列は長くない。

天守台から北の丸公園を撮影。奥に日本武道館の玉ねぎ屋根が見えます。手前の門は北はね橋門、乾通りを通り抜けて右折するとここから東御苑に戻ってきます。

見物客が次から次にやってくるので、足早に移動します。

秋の雅楽演奏会を聴きに来た時に開館時間待ちに行列した場所から、天守台を振り返る。行列がどんどん長くなる。ここから道なりにくだり坂。美しい石垣の白鳥濠へ出ます。

長いスロープの石垣の奥に二の丸庭園の紅葉してる雑木林が見えた!これが見たかった!!
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樹齢700年の大イチョウの王子神社

2017年12月22日 05時17分04秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2017.11/26の都内大銀杏巡りの最後は東京メトロ南北線王子駅から徒歩3分にある王子神社(東京十社北方守護)です。初参拝。
駅からの最短コースで来たら石段があったので登ったら、視界の先に大イチョウ。探すまでもなく目的達成です。

全景が写せない〜。石段の下から見上げた画像(トップ画像)が一番上の方まで撮影出来たけども。大イチョウのある場所がダメ。狭い。せっかくならば青空を背景に撮影したいのですが出来ません。残念です〜。
説明板発見:東京都指定天然記念物 王子神社のイチョウ
音無川(石神井川)左岸崖線の肩の部分に一際高くそびえ立つ大イチョウです。幹囲り5、2メートル、樹幹の先端部は欠損していますが、高さは24、2メートルあり、全体的にはほぼ自然樹形を保っています。
王子神社の創建については、飛鳥公園内にある「飛鳥山碑」(都指定有形文化財・古文書)に書かれています。それによれば、元享(げんこう)年間(1321-24)に豊島氏が勧請したことが始まりとされていますので、その頃にこのイチョウが植えられたとすると、600年近い樹齢と考えられなす。
戦災によって王子神社の社殿や太田道灌が雨宿りしたという伝説を持つシイの大木など多くのものが失われた中で、このイチョウは生き延び、今も高台から東京の街の移り変わりを静かに見つめています」

あれ?ここのイチョウも元享年間に植えられたのか?イチョウを植えるのが流行ったのですかね?

王子神社
ご祭神:イザナギの命・伊邪那美命・天照大御神・速玉之男命・事解之男命
ご由緒:王子という地名は元亨2年(1322)に領主豊島氏が熊野より当社を勧請した事に由来します。以来、熊野信仰の拠点として尊崇を集め、戦国時代は小田原北条氏も当社を崇敬し朱印状を寄せて社領を安堵しています。
徳川時代、初代家康は天正19年(1591)に朱印地200石を寄進、将軍祈願所と定められてそれより「王子権現」の呼称で江戸名所の一つとなります。3代家光は社殿を新造し、林羅山に命じて「若一王子縁起」絵巻3巻を作らせて奉納しました。
その後も代々将軍の崇敬篤く特に8代吉宗は紀州ゆかりの当社を崇拝して元文2年(1737)に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて庶民遊楽の地としましたこれが現在の花の飛鳥山の基です。
明治元年には明治天皇より皇都守護「准勅祭社」の東京十社に定められ、現在まで北方守護として鎮護しております」
都内の寺社の大イチョウ巡りですが、色々かぶってますね。最初から分かっていれば、見物ポイントも変わってたかも?もう一周かな?

11/26の訪問ですが、家族で七五三詣りに来てました。これまたあちこちの神社仏閣でかぶってましたね。日本情緒あって嬉しい出来事でした。
さて?次は?と振り返ったら、正式な入口を見つけた。

こっちですね。でも視界の隅に赤いお社が飛び込んできた。あれは何だろか?

説明板発見:「髪の祖神」関神社由緒略記
ご祭神:蝉丸公・逆髪姫・古屋美女
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも逢坂の関」の和歌で有名な「蝉丸公」は延喜帝の第4皇子にして和歌が巧みなうえ、琵琶の名手であり叉、髪の毛が逆髪である故に嘆き悲しむ姉君のために侍女の「古屋美女」に命じて「かもじ・かつら」を考案し髪を整える工夫をしたことから「音曲諸芸道の神」並に「髪の祖神」と博く崇敬を集め「関蝉丸神社」として、ゆかりの地滋賀県大津の逢坂山に祀られており、その御神徳を敬仰する人達が「かもじ業者」を中心として江戸時代ここ「王子神社」境内に奉斎したのが、当「関神社」の創始なり。
昭和20年4月13日の戦災により社殿が焼失したのを、人毛業界が惜しんで全国各地の「かもじ・かつら・床山・舞踊・演劇・芸能・美容師」の角界に呼び掛け浄財を募り昭和34年5月24日に再建された」
髪は可能な限り長い付き合いをしたい私とダンナは本気で拝みました。年のせいか、私も最近抜け毛が増えてるので本気です。
さてと、王子駅に戻るか。

王子神社の本来の入口を南へ。と?奥に紅葉の見頃の飛鳥山が見えた。で、手前には立派な橋がある。
あ!そうだ!石段を登ったから、駅に戻るにはここを降りないと!

立派な橋の下は親水公園になってます。
オレンジに色づいてるのは紅葉してる桜の葉っぱですかね?綺麗です。
説明板発見:「日本の都市公園100選」は、公園緑地に対する愛護精神を喚起するため、全国から募集した都市公園の中から、勝れた景観、独創的なデザイン、個性的は施設などを総合的に判断して選定したもので、全国の都市公園の模範となるものです
都内では、音無親水公園のほかに、国営昭和記念公園、日比谷公園、上野公園、水元公園、代々木公園が選ばれています」
この後の予定は南千住駅最寄の玉姫稲荷神社で開催の靴のめぐみ祭り市(14:00よりタイムセール)があるのだ。現在13:04。小田急東京メトロ切符を利用したら、一端南北線を南下して、どこかで日比谷線に乗換えてまた北上する。所要時間は1時間ほどかな?なので!JRを使い南千住へ。(荒川線で三ノ輪行き徒歩で玉姫稲荷神社へ〜という移動方法があると、コメント書き込みで教えていただきました)

王子駅のホームから、王子神社のイチョウが見える。なるほど高台に大イチョウが立ってます。
日暮里で乗換えて南千住駅へ。駅西側の高架を越えて吉野通りを南へ。徒歩しばらく、お囃子が聞こえたら通りを左折(東へ)。すぐに立ち並ぶテントが見えて来ました。
靴のめぐみ祭り市(2017.11/25-26)の開場、玉姫稲荷神社さんに到着13:50です。14時からのタイムサービスに間に合いました。ダンナの靴を探す。私の足は左右でサイズが違い、ウオーキングシューズは大概ピタッとくるのが見つからないので、普段使いのちょっとスーパーへ用の安っすいのを探す。
ダンナの方はそこそこの靴が見つかり購入。同じ店で私用を探したけども、お店の人も探してくれたけども。ピタッとくるのが見つからず諦める。ううっ、2足買えば1足は半額になったせっかくのタイムサービスを生かせなかった〜。残念ですわ。で、福引き。

外れのテッシュをいただく。ベルト2本で1000円のタイムセールの店を冷やかす。1本は私用。1本はダンナ用で探す。バックルがピタッとこなかったのでパスしちゃいましたあ〜。
もう帰るう〜〜。
ん?賑やかなお囃子が聞こえてきたと思ったら。

靴の乗ったお神輿と、ハイヒールの乗ったお神輿がやってきた。

インパクトあるわ〜。境内が狭いので通りにお神輿が進んでいきます。見送って帰宅する。
残念ながら私にピタッとくる靴が見つかりませんでしたが、靴のめぐみ祭り市はお買い得満載の靴の市です。半期の一度やってるらしい。次は来年4月の末らしい。
連載した11/26の紅葉巡りはこれでおしまい。下の記事がこの日のまとめ記事になってます。興味を引かれたらご覧ください。
23区大銀杏巡り2017.11/26現在(2017.11/28)の記事 こちらの記事はこの日銀杏巡りののまとめ記事です。

おまけ:連続で出て来る元号「元享」について。
1321年から1323年までの期間。
天皇は後醍醐天皇(1331年鎌倉幕府を倒し、建武の新政をしいたものの、足利尊氏の離反で奈良の吉野へ入り、南朝を樹立した人)。
鎌倉幕府は14代執権北条高時(高時は1304生まれ。9歳で父がなくなり中継ぎで執権に。元享時代は17〜19歳。1326年病で執権を辞職。1333年新田義貞が挙兵。高時は邸宅の裏手にあった東勝寺で北条一属・家臣とともに自刃した。享年31歳)の時代。
日本史が動く嵐の来る直前の時代でした。イチョウが植えられた理由は分かりませんでした〜。
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旧古河庭園の紅葉

2017年12月21日 05時41分59秒 | 紅葉散歩
東京メトロ南北線西ヶ原駅から約徒歩10分、旧古河庭園に到着11:20。入園料¥150ですが、小田急東京メトロ切符を利用すれば2割引の¥120で入れました。

まずは庭園スタンプラリーのスタンプを押しに展望台へ。
運良く展望台のベンチが空いてました!ラッキーです。少し早いけどここでパンと熱い紅茶でお昼ご飯にします。
食べ足りないのでおやつも出す。
いい感じの真っ赤なモミジがあられをグレードアップして見せてくれる。実家のあられがモデルみたいでしょ?(何を言ってるのか?既に疲れてますね。特に人疲れ)

展望台は紅葉スポットです。見物客が次々に押し寄せて来てゆっくり出来ない。よって、あられをしまい直し散策を再開です。

こちらは展望台から日本庭園方面の展望。

さて古河庭園ですが、敷地が武蔵野の台地の上・斜面・低地という地形になってます。
台地の上には洋館を建て、斜面にバラをメインに西洋庭園。低地に日本庭園を池付きの回遊式に作られています。都立庭園の中でも異色の庭園です。ちなみに、古河庭園が一番輝くのはバラが咲き誇る5月です。バラと洋館のコラボ画像を求め多勢の客が来園します。でも今回初めて紅葉の季節に訪れましたが、素晴らしい赤です。

訪問したのは2017年11月26日で、秋バラの季節は盛りを過ぎてしまい、美しい薔薇は残ってません。メインはバラじゃないの〜!!後ろ後ろ〜〜!!

ってな訳で、洋館のある台地を降りる。振り返る。

ふおおおおお〜〜〜っ!!!
素敵〜〜!!
一段下がった斜面部分から洋館を見上げて、真っ赤なモミジをアーチ状に取り入れて撮影しました。紅葉の撮影スポットは、日曜ですから大人気。

記念撮影もままならないので、早々に日本庭園に移動しました。

日本庭園は中心に心字池があり、周囲に見所をいつくか配置してあります。上は水を使わずに山水を表現した「枯れ滝」です。見下ろした位置からの撮影では、周囲の石組みしか写ってないので見晴し台を降りて見上げる感じで撮影します。

逆光〜〜。晴天なので、太陽の光が強過ぎる!日影で真っ黒にならないだけマシ。あ〜、一眼レフの撮影フードが欲しいけども、ガラパゴス携帯にそんなものはない。

ちなみに、こちらは見晴し台から心字池を見下ろして撮影しました雪見灯籠がポイントの構図にしてみました。惜しむらくは、来園客が多過ぎて、待っても人が写り込んでしまったのだ。ちっ!紅葉の盛りの日曜だししょうがないね。
心字池の周りにはこんな素敵な仕掛けが。

雪吊りです。

日本庭園はあっちもこっちも撮影ポイントだらけ。皆さん夢中になってシャッターを切ってます。
私も混じりたいが、茶室の場所が見たい。バラの季節に古河庭園を訪問した時に、茶室の周りにモミジが沢山あるのを知ったので、この季節は期待出来るんでは??

見頃には少し早かったけど、充分素晴らしい。

撮影ポイントを探して茶室周りの遊歩道を歩く。途中から上り坂。茶室を見下ろすポイントで脚を止めて撮影。
遊歩道を進み一端斜面を降りる。茶室に向う入口に門。そこに「お茶席500円」の案内が出てた。一服500円!この素晴らしい紅葉を愛でながら?それ、安いよねっ!大分葛藤した。もしこの後の予定がギチギチでなければ入ったのに〜〜。

一端降りた散策路の斜面を引き返し登る。書庫がある。古河邸は睦奥宗光の邸宅でした。大磯の古河邸の所も素晴らしい石組みの石壁が残ってて驚きましたが、古河邸の石もなかなかです。書庫の石もいい味出してます。

日本庭園の散策路に戻り、斜面を降りる。上の写し方では見えにくいのですが、奥に大滝があります。十数メートルの落差を確保してあります。地形を巧みに使ってますね。ただ訪れた日は晴天で、暗がりは光量が足りなさ過ぎ。日なたのモミジと休憩してるベンチ周りとの構図は光量差が大き過ぎてうまく撮影出来ませんでした。無念じゃ。

台地の上へ戻ります。

洋館が真っ赤なモミジに映えますね。

石造りの洋館は英国貴族の邸宅にならった古典様式で、天然スレート葺きのレンガ造り。外壁は真鶴産の赤みを帯びた新小松石(安山岩)で仕上げてある。ちなみに、新小松石は現在では資源が枯渇してほとんどとれなくなりました。
配布のパンフレットによりますと、古河庭園は、もと明治の元勲睦奥宗光の邸宅でしたが、宗光の次男が古河家の養子になった時、古河家の所有となりました。(当時の建物は現存していません)
現在の洋館と洋館庭園の設計は、明治から大正にかけて、鹿鳴館・ニコライ堂・旧岩崎邸庭園洋館などを手がけたジョサイア・コンドルです。
日本庭園の作庭は京都の庭師、小川治兵衛です。
平成18年(2006)に国の名勝に指定された。
さて。時刻は12:20。素晴らしい景色に魅せられてうっかりまる1時間も滞在してしまいました。先を急がねばっ!

東京メトロ南北線西ヶ原駅に戻ります。途中で平塚神社さんの紅葉が美しく撮影。
入口左に平塚亭さんがあります。名探偵浅見光彦一家がよくお茶請けに買ってるお団子はここのもの。1本買いたいと思ったのですが、日曜は定休日のようです。

駅までの途中に紅葉ポイントがもう一つ。滝野川公園です。

滝の川公園の入口にこんな石碑があった。石碑のある敷地は、現在花と森の東京病院がある。その先が西ヶ原駅ですが、ダンナがさらに先の国立印刷局滝野川工場に反応して見に行っちゃったよ〜。戻って来て〜時間がオセオセなのよ〜。そこはお札を印刷してるの。見学出来ないから〜。
ブログを書くにあたりしらべたら、国立印刷局滝野川工場の見学は予約したら出来るようです。但し土日祝日は休館です。
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大塚の天祖神社の縁結びの大イチョウ

2017年12月20日 06時29分38秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
今回の大イチョウ巡りは去年の今の時期必見の「東京の紅葉案内」(2016.11/17)の記事 昭和記念公園で開催されてた写真展の開場に貼ってあった表を参考にまわってます。そこに「天祖神社 豊島区 2本いずれも 高さ30メートル 太さ7メートル 樹齢600年」と書いてありました。
え?どこそこ??私、四国は讃岐人なんですよ。東京の神社はよくわからん。仕方ないので「天祖神社」で検索かけたら沢山ヒットした。豊島区でダブル検索してもまだ1カ所に絞れない。の上に、WEBの地図を表示したら、大塚駅南にある天祖神社はとても敷地が狭くてですね。とても樹齢600年の大イチョウがあると思えないんだが?しかも「2本いずれも」という事は2本の大イチョウがあるハズです。本当にここでいいんだろうか?と駅から現地に向いながらもまだ疑ってました!
通りの左側は上りの斜面になってます。JR大塚駅手前の信号で左に折れてすぐ大きな黄色い樹がニョキっと出てるのが見えた。ここで良かったんだ!とすんごく安心しました。なにしろダンナが一緒だからね。一昨日(11/24)の都内銀杏巡りではうっかりして国会前庭から六本木まで1時間も徒歩移動しちゃったから。(都営1日券で都バス移動も都営三田線で日比谷駅利用も出来たと帰宅後気付きました)ええ、うっかりで1時間も無駄にしたので。
天祖神社に10:20到着。

まずはお参りといきたい所ですが、2本の大イチョウのインパクトがすごい。そっちを先に見たい〜。

確かに2本。でも形が変。

イチョウの上部がパッツン!見事に空間が空いてるんですけど〜??ええ〜??
説明板発見:ご神木 夫婦鴨脚樹
推定樹齢600年
樹高30メートル 太さ6メートル

縁結びの大イチョウとして知られる当社の一対の大樹は、むかって右が雌、左が雄であります。
この地の有為転変を何百年と眺めてきたこの樹々ですが、昭和20年4月13日の城北大空襲の際に、米軍による爆撃で被災。今も大きく黒焦げた跡が残っております。枯れる事を懸念された時期もありましたが、素晴らしい生命力で再び蘇り、今また大きく枝葉を広げております」
マジか〜。ってか、空襲で焼けた樹って多いんですね。イチョウは空襲か落雷か台風で折れても再生してて都内銀杏巡りでは大分驚きました。

ところでなぜにWEB地図上で確認した歴史ある天祖神社さんの敷地が狭かったか?ですが、どうも戦後区画整理があった模様です。
上の2本並んでる画像の奥にはビルがありますが、かつての2本並ぶイチョウの間は開けてます。この先にかつては神社の敷地が続いてた模様です。

説明板発見:天祖神社
ご祭神:伊勢の皇大神宮(天照大御神)
境内社:稲荷神社(保食神)・巌島神社(市杵島姫神)・菅原神社(菅原道真公)・三峯神社(日本武尊)・榛名神社(埴山姫神)・熊野神社(伊佐奈美命)
なんだかビックネームな神様が揃ってます。こんな神様の家系図が貼り出してありました。

神社名とご祭神には密接な繋がりがあるのですね。ぼんやり気付いてたけど、家系図にするとインパクト大きいです。
「ご由緒:天祖神社は今からおよそ六百数十年前すなわち元享年間、当時武蔵の国豊島郡の領主であり豊島氏中興の祖をいわれた景村のとき、巣鴨鎮護の神として祀られたと伝えられています。
江戸時代、鬼子母神の信仰が盛んになり一時十羅刹女神を併せ祀ったこともあるが、明治になって分離された。当神社は神明宮ともまた神明社ともいわれていたが、明治5年、ご祭神のの伊勢の皇大神宮が天津御祖の大神であるところから、天祖神社と改称され今日に至っている。
天明年間改築された旧社殿は昭和のご大典記念事業として昭和8年に造営され壮麗を極めたものである。その後、第二次世界大戦も終わりに近い昭和20年4月の大空襲によってその一切が鳥宥に帰した。その際境内にあった樹齢500年を誇るご神木夫婦銀杏も戦火を被り、近年ようやく芽吹いて繁茂するようになったものである。
昭和25年復興奉幣会が結成され、同年ひとまず拝殿が造営された。その後に区画整理がはじまり造営は一時中断され、境内を3分の一に縮小されることとなった。38年にいたって区画整理が完了をみたので、氏子、崇敬者により造営工事に着手することとなり、昭和39年8月改めて復興奉幣会を結成して、48年起工した」
上記ご由緒の文章は石碑に彫ってある。一部判読出来なかった場所があり、そこは想像で補完しました。間違っていたらごめんなさい。

江戸名所図絵に、かつての天祖神社の姿があります。上の画像の中央に鳥居が描かれてます。鳥居の左上に2本並んで立つのが今の樹齢600年超えの大イチョウかな?

分かりにくいけれど、かつての天祖神社の周囲の地図です。現JR大塚駅が2番。地下鉄丸ノ内線の新大塚駅が6番。今は都会のビルが立ち並ぶ場所。ぽっかり江戸の天祖神社が敷地を1/3にしつつも残されてよかったわ。
氏子さんらがイチョウ祭りをやってるようですね。

ちなみに天祖神社さんの絵馬にも夫婦銀杏が描かれてます。10:34神社を後に。東京メトロ丸ノ内線新大塚駅に戻ります。新大塚→後楽園・南北線に乗換→西ヶ原駅へ。旧古河庭園の紅葉が見たいんじゃ!イチョウ巡りから寄り道します。
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雑司ヶ谷鬼子母神は樹齢600年以上の大銀杏

2017年12月19日 05時59分54秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2017.11.26、都内23区イチョウ巡りをしました。
23区大銀杏巡り2017.11/26現在(2017.11/28)の記事 こちらの記事は23日のまとめです。今日から訪問先を一カ所づつ記事立てして紹介します。
小田急東京メトロ切符を利用。東京メトロなら1日乗降り自由です。副都心線雑司ヶ谷駅から徒歩数分。
鬼子母神の参道に9:21到着。ここの参道は東京都指定天然記念物で、鬼子母神大門ケヤキ並木となってます。中には江戸からの木もある。上半分が切断してる木もあって面白い。参道途中に豊島区の観光案内所もあるのですが、訪問時は時間が早過ぎで閉まってました。

訪問目的は高さ30メートル超えの大銀杏です。過去何度かイチョウを見にきてるのですが、タイミング悪く黄葉の見頃を外してました。
雑司ヶ谷鬼子母神堂の大イチョウ(2016.12/11)の記事 こちらの記事は去年の12月5日の訪問です。大イチョウはすでにほとんど落葉して根元は黄色いじゅうたんになってました。
さて、参道は途中で90度左へ曲がります。左折すると黄色く色づいた大イチョウが目に飛び込んできた。
やったぜ〜〜!!遂に黄葉の盛りにこれたわ〜〜!!

説明板発見:東京都指定天然記念物 雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ
イチョウ(銀杏・公孫樹)は、一属一種のイチョウ科に属する、裸子植物の落葉高木である。耐寒耐暑性があり、社寺の境内樹・庭園樹・公園樹・街路樹などに広く植栽されている。中国原産といわれ日本へは、遣唐使の帰国によってもたらされたという説もある。雌雄異株で、4月に開花し10月に種子(ギンナン)は成熟し、黄葉する。
樹高30メートル、幹周り8メートルの雄株で、都内のイチョウでは、麻布善福寺のイチョウ 麻布の樹齢750年の善福寺(2017.12/16) こちらの記事に麻布の大銀杏の画像を掲載してます に次ぐ巨樹であり、樹勢は盛んである。応永年間(1394-1428)に僧日宥が植えたと伝えられている。古来『子授け銀杏』といわれ、戸張苗堅の「ろ楓』によると、婦人がこのイチョウを抱く後継がみられ、注連縄を張るようになったのは、文政年間(1818-29)の頃という。」
植樹された年がわかってるのですね。応永年間だから600年超え!!
すげえ〜〜!!少し前に鎌倉の鶴ケ岡八幡宮のご神木の大イチョウが台風で倒れた時に、イチョウの寿命ってどれくらいだろうか?と考えた事があります。今回都内に残る大イチョウを何カ所か見て回ったのですが、100年超えくらいで乳房のように幹から垂れ下がるようになるみたい。あと、昭和20年の空襲で焼けた樹が多かったけども、復活してます。イチョウは強いんですね。まあ、焼けて上半分が焼失してしまった樹もチラホラありましたが。そういう意味では雑司ヶ谷の鬼子母神の大イチョウは欠けがない。素晴らしい樹です。

イチョウを巡るように赤い鳥居が立ってます。これは境内にある神社のものな気が。でも黄色と赤のコラボが出来てフォトジェニックです。

少々不安なのは、画像を見ても分かるんですが、下の方の枝が見るからに重そうなんです。乳房状の垂れ下がってるし、大きな枝の途中から小さな枝がいくつも別れてて、小さな枝に一杯葉があるからさ。いつか折れそう〜。

さてと、訪問目的は大イチョウですが、参拝もしたい。

ふと、目に入った石燈籠。裏を見てうなる。「宝暦6年丙午5月18日再興」と彫ってありました。
え〜と?宝暦6年を西暦に直すと1756年ですね。暴れん坊将軍吉宗の息子、9代将軍徳川家重の治世です。
さすがは歴史ある鬼子母神さんだねえ。歴史を経たものがあちこちにあるわ。

本堂です。説明板発見:国指定重要文化財 雑司ヶ谷鬼子母神堂
雑司ヶ谷の鬼子母神は、永禄4年(1561)に清土(現在の文京区目白台)で掘り出された鬼子母神像を、天正6年(1578)に現在の場所に堂を建てて安置した事に始まる。
寛永2年(1625)には社殿の造営が始まり、正保3年(1646)のは宮殿が寄進された。
江戸時代前期から将軍のお成りがあるなど、武家から庶民まで、子育て・安産の神として広く信仰され、現在でも多くの参詣者が訪れている。
現在の鬼子母神堂は、手前から「拝殿」・「相の間」・「本殿」の3つの建物で構成される「権現造り」。
拝殿
本殿の開堂供養は寛文6年(1666)に行われたことが記録にあるが、屋根裏の束に書かれた墨書から、寛文4年に上棟されたことが判明している。拝殿と相の間は元禄13年(1700)に建てられた。広島藩2代目藩主浅野光あきらの正室満姫の寄進により建てられ、その建築には広島から呼び寄せた大工が従事している。

そのため、本殿の三方の妻を飾る梁や組み物の彫刻には広島地方の寺社に用いられている建築様式が見られる。

拝殿は、江戸時代中期の華やかな建物ではあるものの、装飾を簡素なものに変えるなど、幕府による建築制限令への対応をうかがわせる特徴がみられる。
これらのことから、江戸時代の大名家による寺社造営の実像を示す事例であり、本殿と拝殿とで異なる特徴を持つ建築物であることから、歴史的・意匠的に価値が高いという点が評価され、平成28年7月25日に重要文化財に指定された。
女の人好みの装飾だなあという印象は、建物を寄進したのが満姫という女性だから正しかったのかな?あと、拝殿を再度見て欲しい。横から見ると、参拝する正面部が長いのと、一番上まで上がって参拝する所があるのが珍しいです。ん〜??分かりにくいか?一つ上の画像では、横の壁部分が大きく開いてます。この距離が他ではあんまりないんですよ。江戸の風情を感じられて素敵です。で、参拝終わると視線が拝殿中の右手にかけてある絵馬にいく。鬼子母神の絵馬ですからもちろん石榴の絵です。

拝殿の右手に大きめの石像があった。これまた珍しい像です。何かしら?と近くで見たら画像手前の袖に線刻でザクロが描いてあります。ということは、鬼子母神像ですね。これ。
境内には大黒天のお堂もありました。そこでスタンプを押してふと?変な形のベンチがあるのに気付いた。

フクロウ?や、耳があるからミミズクかな?奥に樹齢600年超えのイチョウが写り込んでます。
さあ、次に行こう!むむ??また石像があるわ〜。2個。

これ、仁王様だよね?め、珍しいわ〜。仁王門がないからか?ここ。不思議すぎ。時刻は9:47。
次は副都心線雑司ヶ谷→池袋で丸ノ内線に乗換えて一駅、新大塚へ。
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芝東照宮の徳川家光手植えの大銀杏

2017年12月18日 05時41分51秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2017.11/24都内銀杏巡り連載最終回。(外苑銀杏並木→六本木21_21DESIGN SIHGT→赤坂氷川神社→山王日枝神社→国会前庭→麻布善福寺→綱町三井倶楽部→芝公園の東照宮。今ここです。15:22到着。

芝東照宮
ご祭神:徳川家康
創建:元和3年(1617)
ご由緒:当初、増上寺境内に勧請された。増上寺は天正18年(1590)家康公の江戸入府の折、徳川家の菩提寺に定められた。当時は日比谷にあったが、慶長3年(1598)江戸城拡張に伴い移転。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となった。増上寺境内の家康公を祀る廟は、家康の法名から安国殿と称された。
安国殿のご神体は、家康が60歳の時に自ら命じて彫刻させた等身大の像で、元和2年(1616)に遺言で「増上寺に像を鎮座して永世国家を守護する」とした。
その後、3代将軍家光により寛永10年(1633)に新社殿を造営。以後寄進・移築・造営され豪華になった。
昭和20年(1945)5月の東京大空襲でご神体とイチョウを残し全て焼失した。現在の社殿は昭和44年に再建したもの。

今ある社殿はこじんまり。この小さいお社だけで後は殆どない。歴史的背景を知らないとたいそうな神社に見えません。

こちらは変わった絵馬。鳩森神社さんとかは鳩だったなあ。
鳩森八幡神社(2012.4/15)の記事 鳩森八幡神社は千駄ヶ谷一帯の総鎮守です。境内の富士塚は一見の価値あり。
でもこれは鷹だよね?何故かしら〜?
では訪問目的の大銀杏です。

訪問日の11月24日にはまだ全く色づいておらずがっかりでした。イチョウってさ、なぜにこんなに紅葉する時期に差があるのだろうか?分からない。
説明板発見:東京都指定天然記念物 芝東照宮のイチョウ
このイチョウは、寛永18年(1641)安国殿の再建に際し、三代将軍徳川家光が植えたものと伝えられている。
平成5年(1993)の調査では、高さ約21、5メートル、目通り幹囲約6、5メートル、根元の周囲が約8、3メートルある。
イチョウの前に切り株の椅子があるので、イチョウを見上げつつおやつ休憩。イチョウはまだ色づいてなかったけどとりあえず疲れたのでこの日のイチョウ巡りはこれでおしまいです。予定ではこの後門前仲町駅もよりの富岡八幡宮のイチョウを見て、両国駅近くの旧安田庭園を見に行くつもりだったけどハスです。国会前庭から六本木まで徒歩で移動の失敗で体力を消費したのが敗因ですね。

芝東照宮は現在芝公園の一角にあります。帰りの駅に都営地下鉄大門駅を選択したので徒歩で移動です。
芝公園もかつては元は増上寺の敷地もしくは門前町で1873年(明治6)に上野恩賜公園と並ぶ日本一古い公園です。戦後、増上寺の敷地とは独立した都立公園となる。
なんてことはどうでもいい。上の画像の赤門は実はかつては2代将軍徳川秀忠こと台徳院の霊廟の入口の惣門です。台徳院の霊廟は空襲でほとんど焼失したのですが、総門が立ってる場所は霊廟の入口です。画像奥に続く上り坂はかつての霊廟の参道なのです。今は何もありませんが。登った先で左折れ。台徳院の宝塔が納められた奥院がありました。奥院の場所は現在ホテルがある所とほぼ同じ。焼け残った4つのもンは、西武ライオンズの西武球場そばの不動寺に移築されました。
徳川秀忠の勅使門(2013.8/5)の記事
徳川秀忠の御成門(2013.8/4)の記事
西武ゆり園と狭山不動尊(2013.7/29)の記事 こちらの記事に徳川秀忠の正室お江の丁字門の画像があります。

芝公園の並びに芝増上寺がある。もう大分薄暗くなったので門を入ってすぐの紅葉をちょろっと撮影。

ちなみに、こちらはグラント松。説明板には「米国18代大統領グラント将軍は明治12年7月に国賓として日本を訪れ、増上寺に参詣し記念としてこの樹を植えました」
門のそばに「通期特別公開 徳川将軍家墓所拝観 10時ー16時 火曜休館(祝日は開館)拝観料500円」と立て看板が出てました。ダンナが見た事なさそうなので立ち寄りたかったのですが、時刻が既に15時45分だったのです。残り15分しかない!今回はパス!
ちなみに、お江と秀忠の墓(2012.3/1)の記事 こちらの記事に現在の徳川秀忠のお墓と戦前に撮影された豪華な墓廟の画像があります。
大門駅へ着いた。都営地下鉄大江戸線の大門駅に来たつもりだったのに、なぜか都営地下鉄浅草線の大門駅ホームを経由して大江戸線のホームにつながるスタイルだった。分かりにく〜。
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綱町三井倶楽部から東京タワーへ

2017年12月17日 05時23分26秒 | ぶらぶら散歩
2017.11/24都内大イチョウ巡り(外苑銀杏並木→六本木21_21DESIGN SIGHT→赤坂氷川神社の大銀杏→山王日枝神社→国会前庭→麻布善福寺の樹齢750年超えの大銀杏)今ここです。
善福寺さんを14:41後に。芝公園内の芝東照宮目指しお散歩開始。善福寺さんの南の細い道を東へ。麻布通りを過ぎ、首都高の環状線の高架を超えると緩いい上り坂になる。
北側に園徳寺さん。なにげに屋根が兜の形に見えるのは私だけ?

細い道といったが何気に格調高い道です。格の高さを街路樹の紅葉が増してくれる。

なんだか素敵な現代建築です。これは何かな?む!建物の上の方についてるのはカンガルーか?ならば鳥はダチョウでなくエミューって事?
分かりました〜。ここはオーストラリア大使館ですね。ここにあったのか〜。
大使館を過ぎると日本に思えない建物が見えた。

どこぞのヨーロッパの街並みですわ。

綱町三井倶楽部です。画像に映ってる建物は本館です。帰宅後調べた。WIKIによりますと、綱町三井倶楽部は、通称三井倶楽部といい三井グループの迎賓館。一般公開はされていない。
1910年(明治43)、島津氏の日向佐土原藩の江戸上屋敷跡に、三井家10代当主三井八郎右衛門高棟が、ジョサイア・コンドルに設計を依頼して建築。1913(大正2年)竣工。
煉瓦石混造スレート葺きルネサンス様式、地階つき2階建て。延べ面積2876平方メートル。
終戦後の昭和20年に米軍の将校倶楽部として使用。昭和28年三井グループに返還。以後三井グループの会員制倶楽部として利用。現在に至る」
外観だけでも見てみたいけれど、実は洋館の本館・別館の裏に約6000坪の和風庭園があるとか。凄過ぎる〜。
さてと、レトロ建築の本館も素敵ですが、この日は都内イチョウ巡りがメインなのです。

ここの大銀杏も相当の大きさです。

ちなみに、上の画像は綱町三井倶楽部の向いにあるかんぽ生命東京サービスセンター本館です。立派過ぎ!
更に東へ移動。細い道の左手には三田高校が現れる。実はこの時ポツポツと雨が落ちて来てて携帯電話で撮影はあんまりしたくなくて画像がないのですが、三田高校の校舎はごつい耐震補強をしてありました。窓の中に太い鉄骨がいくつも見えたのですよ。ついでなのでWIKIで検索かけたら、三田高校の設立は1923年(大正12年)でした。現在の校舎は1977年に完成とのこと。今とは建築法も違うんでしょうねえ。坂を下る。ちなみにこの坂は「つなのてびきざか」平安時代の勇士源頼光の四天王の一人、渡辺綱にまつわる名称である。姥坂(うばざか)とも呼んだが、馬場坂の説もある。」という木の立札がありました。

ちなみに、綱町三井倶楽部の角に上のようなウォーキング地図がありました。三田坂めぐり散歩か。チェックポイントが多そうな散歩道ですね。

桜田通りに到着。ここから桜田通りを北上して芝公園へ向おう。進行方向を確認してびっくり!
東京タワーが足元まで見えるっ!
芝増上寺を訪問すると東京タワーの足元が見えない。ここからだと足元まで見通せるので東京タワーがすっくと立ってて素敵です。いい撮影ポイント見つけた!と思ってしまいました。

赤羽橋交差点で信号待ち。ここからも東京タワーの周りに大きなビルがないからいいね。
ん?今、目の前、いや、足元を何かが駆け抜けた。
振り返る。

何あれ!世界一有名な配管工じゃないの?なんで??いや、それより、日本の道路交通法でカートが一般道を走っていいのか?マスコミはぜひともトラック運転手か都バスの運転手にインタビューしてほしいところ。一見面白い!と思いましたが、カートを運転してたの外国人だったんですよ。日本の道路標識知らないでしょ?あれと事故ったらどっちが悪いんだろうなあ?問題ないのかな〜??
さて、芝公園に15:20到着。今一天候が回復せず、空が暗く撮影画像がピンぼけになってしまった。芝公園内にある芝丸山古墳です。ここの上には伊能忠敬記念碑とか大野伴睦石碑があるとか。既に疲れ切ってたので見物しに古墳を登ってない。
芝公園に来た目的は、芝東照宮の徳川3代将軍家光が植えた大銀杏です。でも境内に黄葉したイチョウがない!む〜ん?

ちなみに、上の画像は芝東照宮に向う階段脇にあった冬桜と黄葉のイチョウです。右手前に既に葉が散った桜の木が。桜の葉っぱってすぐに散っちゃんですよね〜。

芝東照宮に15:22到着。
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