あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

東大医科学研究所

2011年11月30日 05時16分49秒 | レトロ建築
勘を頼りに出た大きな道の向こうに、東京メトロ南北線の白金駅の入り口を無事見つけました!
でも入り口の左奥に見えるあのレトロ建物は何だろう??スクラッチタイルっぽいゾ??
スクラッチタイルのレトロ建物は、今までにもあちこちで見かけてます。例えば横浜。例えば上野。でもそう言えば、大学って明治の開花期に海外から招聘した設計家の設計図で建てた建物が残ってても不思議じゃないよね~。さっき見た明治学院大学のレトロな建物も現存してるんだし~?
………。ここは一つ、あの建物の正体を探るべしっ!つて、時間がないんじゃないんか~いっ!!というツッコミはなしでお願いしますっ。
敷地前の正門には
東京大学医科学研究所と表札が掲げられています。
 
なにげに大層な病気の治療のみ対象にしてるのね。
こ、ここここれっ!!なんかなんか、ドラマに出てきそうな建物&位置なんですけどっ!!カメラだったら、ここから入り口をアップにして中央奥から登場人物が現れるんだぜっ。んで、山高帽の紳士やドレスの淑女が会話をかわして馬車や、人力車かな?に乗って手前に移動してくるんだぜっ。まさか~、白金駅の入り口にこんな場所が隣接してるなんて~~~っ!!全く知りませんでしたっ!!
 
フラフラと建物に近づいて行く。画像に自動車や自転車が映り込んでいるのが不思議です。ここ、タイムスリップが味わえるよっ。 
ちなみに、今日の記事のトップ画像が、ブログの左のバーのカテゴリーの最新フォトチャンネルの「東京神奈川川越レトロ建築」の表紙に使用したものです。
東京神奈川川越レトロ建築

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重要文化財瑞聖寺大雄宝殿

2011年11月29日 05時32分38秒 | 神社・仏閣
明治学院から白金台駅へ急いでましたら、ふと左手に見えたお寺の門に掲げられてる寺名に目が止まった。
「瑞聖寺」??
…見覚えあるんですけど~?
確か瑞聖寺って東京都文化財公開ウィークの中でも「特別公開」のリストになかったっけ??
記憶が不確かなんですが、とりあえず行ってみた!

トップ画像の門は、うちの近所に無量光寺という一遍上人が暮らしてた場所がお寺になった所があるのですが、そこの門に良く似てる~。
無量光寺再び(2010年6月18日)の記事こちらで相模原市にある無量光寺の門の画像を確認出来ます。
山門をくぐって古い階段を上ると、立派な仏殿がドーンっと見えて来たっ!!
ナニコレ~~~っ!!

や。これが奈良や四国の八十八カ所ならわかるんだが、ここは港区白金台3丁目なんですっ!シロガネーゼといえば東京ではセレブの代名詞です。そこにこの仏殿はアリなのか~~~っ!!
ああっ!東京都文化財公開ウィークの絵はがき発見っ!やっぱ、私の記憶は正しかったんだ~。
絵はがきにある解説文によりますと、「紫雲山瑞聖寺は、江戸で最初の黄檗宗の寺院で、寛文10年(1670)から建設に着手し、翌年講堂が完成しました。創建伽藍は享保11年(1726)と延享2年(1745)の2回の火災で大きな被害を受けましたが、文化年間(1804-1818)に再び整備されました。
大雄宝殿は黄檗宗寺院の中心的建物で、身舎の外側に裳階を巡らせ、身舎の屋根は入母屋造り、本瓦葺きで、寺格にふさわしい雄大な規模を持つ黄檗建築の仏殿です。棟札から宝暦7年(1757)の再建と推定され、その後、何度か修理が行われました。二重屋根の外観や細部意匠に黄檗建築の特徴を保ちながら、組物の簡略化、正面吹放部分の化粧軒裏天井、背面一間通りの吹放、内部の両脇に畳敷床を設けるなどの特徴があり、江戸市中に残された数少ない本格的仏教建築として貴重な存在です。
昭和60年(1985)から63年にかけて解体修理が行われ、仏壇回りを除いて往時の雄大な姿が再現されました」
やっぱ凄いんじゃんっ!!
つーか、寺院仏閣建築好きの人は必見だよコレ。なんかねえ、黄檗宗っていうのがあんまり関東じゃない寺院だしな。
…黄檗宗。確か覚えてる範囲では、小田原の先にある長興寺がそうじゃなかったかな~??今NHK大河でやってる「江」にも出てくる徳川家光の乳母の春日局の一族、稲葉氏(小田原城守)の菩提寺が黄檗宗だった気がする。あの時は黄檗宗を「おうばくしゅう」って読めなかって覚えてるのね。
 建物裏手側。
これが軒回り。仏殿の周囲に。
建物正面側。

仏殿に入れない~。正面入り口から覗けるようになってました。文化財公開ウィーク巡りをしてる同好の人々も覗き込んでます。
話を漏れ聞くに瑞聖寺大雄宝殿の特別公開は、今日11月3日のみなんだって!
ならばなぜに入れないの~~~。い~れ~て~…。
未練たらしくしばらくウロウロしていたのですが、ええそうなんですっ!時間がないんですっ!現在時刻は12時43分!既に13時までに東大前駅徒歩7分の求道会館には既に着けない時刻なんです~~っ!
ここは諦めるっ!!
さ、白金台駅はどこだっ!!
地図を持ってないから、頼みの綱はおでかけカバンにつけてある明治神宮の旅行守りと私の勘!

帰宅後調べたら、公開時間は14時からとなってましたっ!
まっ、瑞聖寺はたまたま行き当たったんだからラッキーと喜んでおきましょう~   人気ブログランキングへ
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明治学院礼拝堂の内部

2011年11月28日 05時56分40秒 | レトロ建築
携帯電話で撮影すると、光がぼやけるんだよねえ~。こういう時はカメラの出番なんだか、この日は持って歩いてないんだよ~。
こちら入り口。画像には2階へ上がる階段がありますが、「2006(平成18)年に耐震修復に着手し、外壁の構造補強、2階席の撤去とともに、正面舞台(講壇)を創建当初の姿に復原しました」だそうで。2階席はないんですよ。んじゃ今2階に何があるのか?と思われた方います?それはね。チャペルにはつきもののコレがあるんだよ。
はい、パイプオルガンです。
礼拝堂の耐震修復工事にあわせ、パイプオルガンを制作したんですって。
新しいんですね。設置は2009年だそうで。
あれ?なんか、2階の設置位置おかしくないかコレ??
だって、左右の窓にかかってるような…。元々2階を作るなら、窓の位置をずらすんじゃないの~?や。私、建物の設計には全くのシロウトなので判断出来ないんですけど。
でもせっかくなので別角度からもう一枚。

 


礼拝堂を出るとこんな風景。
ええ、3つの歴史的な建物が集約的に並んでいるんですね。
さてと、今何時……。
「ただ今、12時26分をお知らせします」
い、いか~んっ!!
確か今日だけ限定で公開される求道会館の公開って13時からだったよねっ!!もう30分もないじゃないのっ!!あれって最寄り駅は東京メトロ南北線の東大前っ!こっから移動だけで30分はかかるう~~。
ヤバいっ。ヤバいヤバいヤバ~~~~いっ!!
「すみません、白金駅はこっちですか?」
正門で警備員さんに道を教えていただき、出来る限り迅速に駅をめざします。
…なんで、元の白金高輪駅へ戻らないのか?というツッコミななしにお願いしますっ。だって、白金駅の方が近いんだよ~。正門の位置が~~っ。予定では東門から出入り出来るハズだったんだもん…。
頭の中で愚痴りつつ、急いでます。
ん?瑞聖寺?なんだか、見覚えのある寺の名前…。
ハイ、引っかかってしまいましたっ!アホかっ!!   人気ブログランキングへ

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明治学院礼拝堂(チャペル)

2011年11月27日 05時37分40秒 | レトロ建築
ガイドブックによりますと、「明治学院のシンボルである礼拝堂は、建築家ウィリアム•メレル•ヴォーリズ(米国)の設計により1916(大正5)年に建設された。イギリスゴシック様式の礼拝堂左窓のステンドグラスは、黄色の十字架の形に配置されており柔らかな日差しが注ぎ込む。この礼拝堂は地震で壊れた旧礼拝堂(ミラー記念礼拝堂、1903(明治36)年建築)の木材を再利用して建てられた。完成当初礼拝堂は長方形の建物だったが、学生数の増加とともに1931(昭和6)年、両袖の拡張工事を行い、空から見ると十字架の形をした現在の形になった。関東大震災で被害を受け補強工事をしたが、第二次世界大戦中も建物そのものに影響を与えるような被害はなく、明治学院のキリスト教主義を象徴する場所として完成当初から同じ場所に立ち続けている。」

下の2枚の画像は裏手になります。ここに島崎藤村作詞の明治学院の校歌の石碑があります。これ、最初は島崎藤村の胴像を作る計画だったのですが、当の藤村が「明治学院の校風にそぐわない」と了承しなかったんですって!!
そ、そうだったのか~…。
そんなの知らないから、校歌の石碑を撮影し忘れちゃったよ~…。
 

 


こちら、インブリー館の2階から撮影しました。どうせなら、もう少し左手が写るように撮影したかったのですが、窓枠がぁ~
素敵な曲線の階段です。上りたい~。でもその先は立ち入り禁止で誰も上ってないの~。
チ、チキンな私っ!!
明日はチャペルの内部紹介です。ガイドブックの紹介文にある黄色の十字架の形のステンドグラスもあるよっ    人気ブログランキングへ

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明治学院インブリー館の内部

2011年11月26日 06時00分15秒 | レトロ建築
トップ画像の奥の建物は記念館。ねっ、近いでしょう。
さてインブリー館の内部を紹介します。
 
こちら、1階玄関を入った所。画像は調節で相当明るく補正しています。床は寄せ木造り。寄せ木造りって、日本の技じゃなかったの??
  
階段。こちらも3枚全てを相当明るく補正してます。3階へ上がる階段があるのですが、3階は非公開なのね。
 2階にあった暖炉です。
 
  
以上3枚は2階。    人気ブログランキングへ
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明治学院インブリー館

2011年11月25日 05時43分52秒 | レトロ建築
記念館と隣り合わせてインブリー館は建っています。いただいたガイドブックによりますと、「この建物は1889年(明治22)頃の木造2階建てで、1880年代アメリカの木造住宅様式を取り入れた西洋館です。明治学院が白金台の地に開校した当時、学院で教える宣教師たちが住んでいた築地居留地が遠いため、構内の西南隅に3棟、東南隅に1棟の宣教師館が建てられた。インブリー館もその1つで、都内における宣教師館としては最古のもんであり、日本国内でも1、2を競う建築物である。外見上の華やかさよりも生活重視で設計された建物で、建物内部の床は部屋ごとにデザインが異なる寄せ木板張り、ドアノブは有田焼である。
インブリー館と呼称されるゆえんは、W.インブリー博士が長年住んだ宣教師であったからといわれている。」だそうで。
ってなことで、まずは外観を紹介。
 
上の2枚の画像は、記念館の2階の窓から撮影しました。


左の画像がインブリー館の入り口です。   人気ブログランキングへ
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豪徳寺から池上本門寺紅葉散歩

2011年11月24日 12時08分33秒 | 紅葉散歩
こちらは今週、11月22日の紅葉散歩です。ええ、その予定だったんですが、随分フライングで紅葉狩りしちゃいました!色づき具合の参考にして下さい。
まずはトップ画像は例年なら既に境内が真っ赤に染まってる豪徳寺です。
この日の友人との待ち合わせは小田急線の豪徳寺駅。
でも紅葉は始まったばかりで、適当に写したトップ画像だけ~。ちっ!まさかここまで全然色づいてないとは思わなかったぜ~。ちなみに、豪徳寺の紅葉が最盛期になりますとこうなります。豪徳寺紅葉散歩(2009年12月6日)の記事。この記事の中で2008年の紅葉情報もリンクしてありますので、ぜひ閲覧して真っ赤に燃え上がる境内を堪能して下さい。

でも今日は紅葉散歩とは名ばかりの、歴史散歩にスライドか?
ってな具合で、友人に豪徳寺の見所を説明しつつ散策。ここのおすすめは彦根藩の井伊家の墓所です。桜田門外の変で命を落とした有名な井伊直弼のお墓もここにある。井伊家2代藩主から13代だっけ?明治に没した殿のお墓まである。
ってなことでサクサク次へ。
道々、国士舘大学の正門前の銀杏を見上げる。イチョウはぼちぼち色づきが進んでます。
到着したのは吉田松陰を祀っている松陰神社。
こちらは松陰先生のそばに葬って欲しいと遺言した桂太郎のお墓。桂太郎といえば、NHKのドラマ「坂の上の雲」では日露戦争当時の内閣総理大臣だったような…。松蔭先生の松下村塾は、2年半ほどしかなかったので、幼かった桂太郎は学んでないんじゃないかと思うんだけど…。松下村塾で学んだビックネームは伊藤博文と高杉晋作でしたよね?これまた司馬遼太郎原作のNHKのドラマで見たんだけど~。松陰先生を演じてたのは松たか子のお兄さん!
んでもって記憶が確かならば、松蔭先生と桂太郎って親戚関係だったようなそうでなかったような…。(や。調べずに記事をリアルタイムで書いてるんで、間違ってるかもしれんが)
ここは境内も見所はたくさんあるので、歴史好きにはおすすめの神社です。特に明治時代が好きな人は必見やもしれん。
ここで歴史をひもとくと、確か吉田松陰って、安政の大獄で江戸で牢死してるんだよね。んでもって安政の大獄をやったのって、時の老中井伊直弼だったよね。…既に大老になってたっけ?や。そんなこたぁどうでもいい。ポイントはこれだ。まさか現在お互いが近所で眠ってるなんて。これも歴史のいたずらか?
そして世田谷線の松陰神社前から終点三軒茶屋駅へ移動。

ついでに駅のすぐそばにある江戸五色不動の一つ、目青不動の銀杏を確かめに。
どっちにしろまだ早い…。
すぐさま東急に飛び乗って、池上駅へ移動。
実はこっそりここの松濤園が本日のメインに据えてたのですが…。この分では紅葉してないだろうなあ~。
でも!ここで大事な注意事項が一つ。
池上本門寺のお庭松濤園は基本非公開なのです。見たいならば、境内を回りスタンプを5つ集めないなりません!
や~、良かったぜ~。以前はクイズを10問正解しないと入れなかったからね。スタンプ集めのオリエンテーションなんか軽い軽い。
 
うっかり、本門寺のスタンプ集めの罠にかかってしまいました~。
スタンプ台は、「池上本門寺を散策してみませんか?」というB4サイズのチラシなんだけど、これには本門寺の見所マップが書かれてまして、ついついうっかり、歴史の人物のお墓巡りを始めちゃったんですよ。

ちなみに、こちらは幕末の3大人斬りとして名高い熊本藩の河上彦斎(げんさい)のお墓(後ろの。前のは後に信奉者が建てたそうで)。
ここで問題です。「河上彦斎が切った有名人は誰?」
あ!それ知ってる~。でも名前が出てこないっ!アレだ。京都で、馬に乗ってる所を後ろから切られて、それが原因でお家断絶になってしまっった~~。「JIN」のっ!あれ、篠原涼子のダンナさんの劇団四季にいた市~なんとか~親さんが演じていた人っ!!
と、私はうっかりのたうちまわってしまいました。
「待ってられないんで、答えは佐久間象山です」
「そ!それだ~っ!!」
近頃すっかり名前が出てこなくなった私。でもそんな高度なお墓を広大な本門寺の墓地から私が発見出来るハズはなく、たまたま境内を散歩中だったご近所の歴史に詳しくて説明好きなご隠居さんに遭遇し、幸運にもあれこれ所在を教えて下さるだけでなく埋葬された人物の説明とか墓の形、家紋にまで詳しくレクチャー受けました。設問もご隠居さん。答えもご隠居さん。
本門寺の墓地には熊本藩の細川家のお墓もいくつかあるんですが、細川家の家紋は九翟紋なんですよ。ご隠居さんいわく「テレビ見てたら九翟紋が出て来て、なんでだろう?」と思って見ていたら、細川ガラシャがつけてた。なるほどとスッキリした」ですって!へえ~へえ~へえ~!!!ドラマは奥深い。でもそこまでこだわってるNHKも凄い、気づく歴史好きも凄い。などと。
もう、私は楽しくて楽しくて時を忘れてしまいました。紅葉散歩の記事でおさまるハズないんで、これは後日連載します。だって、1時間以上ご隠居さんの名調子でレクチャーしてもらったんだもん。も。浮かれてますよ。ええ、帰宅する頃に万歩計見てびっくりする程歩いてましたよ。2万歩超えでしたよ。

そんなこんなでスタンプを集めてようやく入れた松濤園です。

案の定早すぎました。
 
松濤園は、作庭の名手として有名な小堀遠州のお庭です。お庭だけでも楽しいのですがこちらは歴史の舞台でもあるんです。しかもまさに歴史の上での大事件の場所。西郷隆盛と勝海舟の江戸城開城の会議の舞台でもあるんです。
あれ?それって確か、品川の薩摩藩邸が舞台だったんじゃないの~?と思われた方います?実はあれは第2回。その前に池上本門寺で会談の場を持っていたのです。時はまさに幕末。池上本門寺にはこれからまさに江戸で決戦をと逸る官軍の本陣が置かれていました。率いるのは西郷隆盛。そこへ勝海舟が乗り込むんです。
残念ながら会見があった庵は既に現存していません。が、勝と西郷が会談の時に望んだ庭は今も当時のままあるのです。
とかなんとか、紅葉が全然だった庭で、紅葉から歴史に友人の目を逸らしてみる。
 
心の目で見れば、やがて美しく紅葉する庭が見えるハズ。
つーか、このお庭は紅葉散歩の穴場だと思います。入園するのにスタンプ集めをしなきゃならないんで、人も少なくておすすめです。だってこの時、松濤園にいたの私たち2人だけだったのね。つまり小堀遠州の庭を貸し切りですよ!マジでぇ~~~っ!?これでもう少し紅葉が進んでたら言う事なしだったんですが。これから近所で奇麗な所gw紅葉狩りにおでかけしたいと思う人におすすめの場所です。
ちなみに、ど~してもスタンプ集めをしたくない人は今限定の裏技があります。それはね、七五三の撮影をするなら入れちゃうんだよね~。本門寺の朗峰会館で七五三。適齢の孫を連れてけば入れます。
ちなみに、この後、日蓮上人入滅の場のある大坊本行寺に立寄り帰宅しました。
予定では、この後川崎大師と大師公園の中国庭園へ行くつもりだったんですが、うっかりご隠居さんの説明で時間を費やした私たちは池上本門寺に4時間以上滞在しちゃったんだよね~。そりゃ時間が足りなくて当たり前!
ってなことで紅葉情報の参考になったでしょうか?

え~、河上彦斎について、何げに思い出そうとした時に、「銀魂」が頭をよぎっていたんですけど、あれって鬼兵隊のギターとか持ってた人。なにげにどこがどう間違ってるかはわからんかったけど、とりあえずここでご隠居さんにアニメの「銀魂」の話をしてもジャンプの話をしてもまずいと思ったけど、これやっぱ彼がモデルだよね。ここにお墓あったんですよ。ファンの方、知ってました?

2013年11月30日追加記事:いつも私のブログをご覧いただきありがとうございます。
この記事の参照率が高いので、2013年の豪徳寺紅葉散歩の記事も掲載してますので参照して下さい。
豪徳寺の紅葉全編2013(2013年11月30日)の記事 こちらは2013年11月27日の訪問です。
コメント (3)
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大国魂神社紅葉情報

2011年11月24日 11時29分20秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
散歩日は11月13日。ええ。またまたもっと早くアップすべきでしてすみません。
そもそもこちらを選んだのは、東京都文化財公開ウィーク!
またかいっ!!というツッコミが聞こえてくるなあ…。
JR武蔵野線北府中駅下車。そこから徒歩で約10分。東京農工大学があります。そこの本館が、大学の学祭に合わせて公開されるのですよ。んで、お邪魔したんです。せっかくなのでついでに大国魂神社の木造の狛犬とご神木の大銀杏に会いに行ったんです。
参道は大きな…。こりゃなんだ?クスの木?ケヤキ??

ま、ちょっと詳しいことはパスして大国魂神社に着いたならば…。なにやら屋台が並んでました。

酉の市?
いや、七五三に一家でお出かけしてる皆様でごった返してました。
そそくさとご神木の大銀杏に会いに行く。

大銀杏の枝がポッキリ折れてる~~~~っ!!な、なななな、なんじゃこりゃああああああ~~ッ!!!もしかして、9月の台風でやられたのか??
(今年の3月末に立ち寄った時の大銀杏です。枝はちゃんと健在でした)
先日町田の薬師池公園の薬師堂に大銀杏を見に行ったら、剪定して今年は台無しだったし、大国魂神社のイチョウはコレかい~~。も、泣くゾ私はっ!!
がっくりと肩をかかとまで落としてしまいました。予定では府中競馬場か府中の郷土の森公園を散歩するつもりだったのですが、気力が萎えた。とぼとぼと旧甲州街道を分倍河原駅まで歩いて、新田義貞の像を見て帰宅しゃいました…。
ま、詳しいお散歩は後日にでも。今日の記事は紅葉情報なんで。
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甲州街道の紅葉

2011年11月24日 11時04分53秒 | 紅葉散歩
お散歩日は先週、11月17日です。こういうのはその日にアップすべきなんですが、すみません。
まずは色づき具合が気になるイチョウ並木の様子を紹介。

こちら、JR中央線の西八王子駅から高尾駅まで、甲州街道沿いにイチョウ並木が連なっています。場所によって、枝の剪定具合がやり過ぎだったり、丁度だったりします。色づき具合も場所によってバラつきがあります。

この甲州街道のイチョウ並木は、武蔵野陵の造成の折りに、参道として植えられたそうで、どれも同じ程の高さなので、歩いてて楽しいですよ。八王子駅から西八王子駅への車窓で、イチョウ並木が見えるので、場所は丸わかり。初心者でも絶対にたどり着けます。ちなみに、イチョウ並木のスタート地点は、信号に「追分交差点」って書かれてる場所。そっから隣駅の高雄までは約4キロ程。いい感じに歩けます。道々、食事の出来る店も点在してるので、安心。
ついでに、武蔵野陵へも足を延ばしました。

甲州街道を外れると、武蔵野陵まではケヤキ並木が参道になります。武蔵野陵までの途中に綾南公園があります。こちらでアンパンとお茶でお昼を取り、大正天皇両陛下。昭和天皇両陛下の陵を参拝。
陵の入り口に小さな池と紅葉の庭園がありました。見頃まであと少しといった具合。

時間に余裕があるなら、武蔵野陵に隣接してある森林公園もおすすめ。こちらは4月の桜の保存林ほ花見が有名ですが、訪れた先週11月17日には冬桜、十月桜、四季咲き桜などが見えました。ええ、いまの時期でもお花見可能だったんです。でもここで発見したのはコレ。

旅するチョウで有名なアサギマダラ様まさか、11月にお会い出来るとは…。つーか、この時程携帯電話しか持ってなかったことを後悔したこともない。ええ、マイフェイバリットコンパクトカメラも重いからと家に置いて出かけちゃったんですよ。
森林公園は里山にあって、アサギマダラを見かけた場所の近くには、アサギマダラの食草がありました。だからいたのね~。つーか、今年は本当にまだ気温が高いんですね。驚きました!
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明治学院記念館

2011年11月24日 05時10分59秒 | 歴史散歩
素敵な建物なのに~、建物の全体が写せない~~。
なぜって、建物の手前の芝生広場が立ち入り禁止だからです。
11月3日は東京都文化財公開ウィークです。なので建物内部も公開されてます。
入ろう~ってアレ?何コレ??
アンネのバラ。
アンネって「アンネの日記」のアンネだよね??
なぜにこんな所に??
実はこの苗木はホロコースト記念館よりいただいたんだそうで。世界平和を考え行動する学生が育って欲しいと願って植えられたそうで。ひょろい株だなあ~。…何年前に植えたんだか??もっとお手入れした方がいいんじゃないかな~?
そして正面玄関へ。
いただいたガイドブックによりますと、「小チャペル(礼拝堂)、歴史資料館、事務室を備えるこの建物は、1890年(明治23年)、明治学院の教員であったH.M.ランディス教授によって設計されたといわれている。建設当初は赤煉瓦、瓦葺きの2階建ての建築で、神学部の校舎と図書館として使われていた。明治から現在まで震災等によりその姿を変えながらも学院によって大切に保存され、煉瓦と木造の連繋構造が美しい建物として現存する」とあります。
1階にある礼拝室の中はこんなです。
 
2階への階段はこんな~。

今の建物と違って、手すりがとても低いんです。これはオリジナルから?
2階には卒業生である島崎藤村作詞の校歌が流れ、学院の歴史を紹介する資料が並んでます。こんなモダンな部屋で神学の勉強をしていたんですねっ。うらやましい~~っ!!
あ。ちなみに、今年私のブログでちょくちょく登場している高橋是清さんですが、是清さんも明治学院大学の卒業生です。是清さんはNHKのドラマ「坂の上の雲」では、西田敏行さんが演じていました。
こちらはかつての図書館です。
古の頃、明治の黎明期、キリスト教の書家が並んでたんですかねえ~。現在は大会議室として利用されてます。
ん?
なんかある。

リードオルガンだそうです。
「このオルガンは、アメリカのMason and Hamlin会社製のLiszt Organと言い、1914年当時、明治学院教授A.K.ライシャワー博士の尽力で米国プレスビテリアン•リフォームド両ミッションから学院に贈られたもので、現在我が国においてはほとんど唯一のものではないかと思われる」譜面台に解説文が置いてありました。

この角度だと、煉瓦の1階、木造の2階の連繋構造がよくわかりますね。

帰りに銀杏並木の隙間から撮影しました。   人気ブログランキングへ

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清正公?

2011年11月23日 05時58分15秒 | 神社・仏閣
11月3日、朝暢気に漫画を読んでたら、ダンナが「今日出勤」とポソリ。
き、聞いてないよ~~~っ!!
「5分ちょうだいっ!!」
飛び起きて、超特急で朝ご飯を作り、ダンナを送り出した所で気づいた。
今なら行けるっ!!
どこにじゃ~~~っ!!
それは明治学院大学のレトロ建築の限定公開へです。この建築物は、東京都文化財ウィークの事業の一環で、毎年11月3日を含むほんの数日にのみ外見だけでなく内部も公開してくれるんですよ。去年だっけ?ダンナを誘ったんですが、彼の食指は動かず「一人で行ってくれば?」とつれない返事がかえってきて、諦めたんでした。
急いで用意を整えて、携帯電話をチェックしてがっくし!
じ、充電出来てな~いっ!!
見れば、電池のレベル状態が悪いっ。上一つ空っぽの表示が…。もうっ!!
自分で自分にダメ出ししつつ充電完了を待って飛び出しました。既に10時前になってました。

到着したのは東京メトロ南武線の白金高輪駅。え~と?明治学院はどっちだ??
出口で迷っていると、親切なおじさんが「あそこに見える上にドームのあるビルね。あれがそうだよ」と教えていただける。ラ、ラッキー~。お礼を述べて向かう。
と?
ンン??信号機に付いてるプレートに「清正公前」と書いてあります。
清正って誰だ?
信号の向こうで石柱発見!「清正公大神儀」とある。
石柱の向こうにいわくありげな建物もある。なんだろう~?
で、道から見えたのがトップ画像です。
両方の柱になにやら書いてあります。え~と?右手は「開運守護 清正公大神儀御鎮座」と。左手には「山手七福神 大毘沙門天王御霊」と。ちなみに、山門は安政3年(1856)に再建。…覚林寺は弘化2年(1845)に全焼してます。

…さっぱりわからんっ!
仕方ないなあ~。時間はないんだけどなあ。
中に入ります。

覚林寺は、日蓮宗の寺院。山号は最正山。加藤清正の位牌が像が祀られていることから清正公と通称される。
やはりっ!
清正公は、加藤清正だったのですね。あ~、スッキリ!

付近の住民からは「清正公さま」と呼ばれ、勝負祈願の寺として信仰を集める。
毎年5月4日5日に大祭が行われ、清正公像が開帳され、菖蒲の入った勝守りが授けられる。
ちなみに、清正公堂は慶応元年(1865)に再建されたもの。
なんか、変わった感じの境内…。変わった感じが画像で全く出てないのが残念ですが。
先を急ぎます。
清正公堂からしばらく行くと、右手に明治学院大学がありました。
あったけど??入り口はどっちだ??
と、ウロウロしてたら、にぎやかになってきた。
今日は文化財公開ウィークですが、明治学院大学の学園祭でもあったのです!

人出の多さに腰が引けつつ、レトロな建物は正門からすぐに見えて来ましたよ!

ってな事で、今日から11月3日の東京都文化財公開ウィーク巡りを連載します。   人気ブログランキングへ
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小田急登戸駅が面白い事に

2011年11月22日 05時32分02秒 | ヒーロー&怪獣&妖怪
10月18日だったっけ?昭和記念公園にコスモスを見に行きました。
うちから昭和記念公園へは、登戸駅でJR南武線に乗り換えて終点の立川駅までという路線になります。
行きは先を急いでいたので、帰りに小田急登戸駅の構内を撮影してきました。
   

 

 
どうせなら、全部藤子不二雄さんのキャラにしちゃえばいいのに。構内の一部だけがこうなってます。

エスカレーターにも藤子不二雄さんのキャラのイラストがありました。撮影したのですが、エスカレーターに乗りながらだと画像がブレてしまいました。
エスカレーターを上がると、すぐに電車がやってきたので、じっくり撮影出来なかったけど、ホームにもキャラがいた!
 
んでもって、お聞かせ出来ないのが残念ですが、電車の到着を知らせる接近音も藤子不二雄だった!
なんで小田急登戸駅がこんな藤子不二雄押しになってるのかと言うと、今年の9月に藤子•F•不二雄さんのミュージアムが川崎市に誕生したからです。徒歩だと駅からちょいと歩くので、ドラえもんファンのお子様たちには疲れる距離になります。だからミュージアムと登戸駅を結ぶ直行バスが走っているんですよ。なので、ミュージアムに行く人の為に、登戸駅が大変なことになっているんですね。
ち~な~み~に~。ミュージアムまで歩こう!という人は、最寄り駅は小田急向ケ丘遊園駅か、JR宿河原駅になります。
向ケ丘遊園駅は何度か利用したことありますが、ミュージアムがオープンしてからは降りてないんで、もしやせんでも向ケ丘遊園駅も大変なことになってるかもしれない…。   人気ブログランキングへ
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薬師池公園の古民家

2011年11月21日 05時52分00秒 | レトロ建築
薬師堂から赤い幟の連なる階段を降りると、そこに古民家がある。こちらは旧永井家住宅。
家屋の前に東京都文化財公開ウィークの旗が立ってるけど、家屋に続く道には立ち入り禁止の札が揺れてて近づけない。
確か公園内にもう一つ古民家があったハズ…。
探し歩いて間もなく、いい感じに古びた茅葺き屋根を発見しました。
こちらは旧荻野家住宅。
訪れたのは11月1日でしたが、木々には秋の気配が感じられました。
都指定有形文化財(建造物)指定:昭和49年8月1日
文化財公開事業なので、家屋の中に説明文が表に書いてあるハガキを発見。「江戸時代末期、荻野衛門が町田市三輪町(旧:上三輪)に医院として建てたものです。
茅葺き、入母屋造り、建坪44坪(145、53平方メートル)で、4つの部屋と2つの土間から成っています。
表の向かって右側の6畳間には薬だながあり、調剤室として使用され、隣の9畳間で診察を行っていたと思われます。手前の2間続きの部屋を居住部分としていました。
明治元年(1868)に衛門は亡くなりましたが、その後も荻野家の住宅として使用されました。」だそうで。
家屋内に入ったんで、ここはぜひとも画像を納めようと思っていたのですが…。
何コレッ!!真っ暗なんですけどっ!!
普通、雨戸はしまっておくもんじゃないの~?なんつーか、障子戸さえあれば、屋外から採光出来ると思うんだが…。
ってな訳で、ハガキの説明文にある薬だながあるかどうかもわからんのですっ!
その当たりどういう公開になっているのか聞こうにも、誰~もいないんですわ…。
ちっ!!撤収~~っ!!

古民家を出たら門が見えてきた。こちらの周りには、モミジの木が多数あって、もう少ししたら素敵な紅葉になるんだろうなあ~。

さて。実はここ薬師池公園の中でして、薬師池公園とは、福王寺の旧園地なのです。この池は寛永期(1624-43)に耕地を潰して溜井にしたと言われています。海抜約60メートルに位置する約8000平方メートルの薬師池。西方の傾斜地に梅林があり、稜線上の山林の大部分はコナラ、クヌギを主体とする落葉広葉樹の雑木林です。

もう少ししたら、こちらもいい感じに色づくんでしょうね。
カワセミを待つおじさんを横目に、先へ進むと…。菊花展が始まっていました。

丁度本日11月1日よりスタートした所でした。
なかなかにいい散歩だった!満足してバスに乗り、町田駅に戻ったところで、気づいた。
今日は調子に乗って、町田まで自転車で来たのでした…。ううっ。七国山は丘みたいなものですが、それでも衰えた身体にはこたえています。町田から相模台へ戻るには、結構な坂道があるんだよねえ~。
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町田薬王寺旧園地

2011年11月20日 05時34分14秒 | 神社・仏閣
町田ダリア園を見物した後、歩き足りなかったので、七国山をハイキングすることに。
期待した白いソバの花は既に終了し、ソバの実を刈り取るのを待つばかりとなってました。
あ~あ。つまんないの~~。
ふと、ハイキングコースから薬師堂へ行けることを思い出す。
薬師堂のイチョウの巨木は、黄色く紅葉すればさぞ見応えがあることでしょう。でもさすがに11月1日ではムリかな~?
でも、少しでも色が変わってるだけでも、後は妄想で補えるハズっ!と。紅葉が始まってることを期待して寄り道しました。
ん?
幟がたくさん立っている?お祭りじゃないハズだけど、これはどうしたことだ??
赤い幟に誘われるように足早になりつつ、薬師堂が見えて来ました。

あ~れ~?
イチョウがショボい…。見れば、イチョウの木の根元に、剪定したイチョウの枝が積み重ねてありました。
あ~~。切っちゃったんだあ~…。も。ガックリ!
でもまあ、ここまで来たんだから、薬師堂にお参りしておこう。と。お堂に近づいてゆきましたらば!
んん??
本堂の扉が開いている。これはどうしたことだ??

見れば「東京都文化財公開ウィーク」の旗が閃いてます。
あ。
そうだっ!今日は11月1日じゃないのっ。という事は、文化財公開ウィークの最中なんだっ!!
ら、らっき~。
早速、本堂に近づいていきますれば、中から「どうぞお入り下さい」と誘う声が。
ありがた~く、入堂し、ご本尊を近くに見つつ拝みます。
すると、デープの音が流れて来ました。
「中央におまつりされているご本尊さまは、薬師如来さまです。お薬師さまの右は日光菩薩さまが、左には月光菩薩さまが脇仏としてまつられています。更に左右に6人づつの神様がまつられていて、全部で15体の仏像が祀られています。
この御堂の薬師如来様は、天平年間(今から約1270年前)に行基さまが彫られたものであると、現存する巻物に記されています。古来よりお薬師さまは、眼病にご利益のある仏様として信仰されてきました。町田市内にある木で彫られた仏像としては、最も古い仏像であることが認定されて昭和62年町田市の文化財に指定されました。
ご本尊さまは秘仏です。12年に1度、虎年の四月上旬から5月上旬の1ヶ月だけ扉が開かれ、拝観することが出来ます。普段は拝観出来ませんので、写真を撮って飾ってあります…」
なにっ?
ご本尊は仏教界のビッグネーム行基作だって?!
それでもって、12年に1度の1ヶ月間しか見られないのに、文化財公開ウィークには公開してるんかいっ!!
一気に萌え度はアップしました。
テープは続きます。
「天井には、墨絵の龍と彩色された二人の天女様が描かれています。


描いた人は、ふすま絵や屏風絵で有名な狩野派の絵師、狩野信矩という人です。明治30年(1897)に描かれた事が天井の右の隅に記されています。龍を描く時には、村人が総出で墨をすらされたそうです。どちらの絵も、この御堂の分家である華厳院の広間で描かれた後、この御堂に運ばれたまつられました。
この御堂は、明治16年(1883)に再建されたものです。この御堂の特徴は、彫り物と総欅造りである事です。又、御堂の中には2匹、外には13匹の獅子が彫られています。御堂の入り口にまりを抱えた獅子が彫られていますが、まりの中の玉は、ころころと動くようにまりの外から彫りぬかれています。
お賽銭箱の上の龍の彫り物や外廊下の角の木組みの他、御堂と外はしらとの間をすかし彫りにした曲がっているえびごうりょうは特に素晴らしい作品です。どうどゆっくりご覧欄下さい。」
テープが終了してまずした事は、天井の龍を見る事です。でもねっ。真上を見るのは大変です。
見づらそうにしていたら、ご住職が「龍を上手に鑑賞するコツは、寝転がって見上げる事です」とおっしゃって下さったのですが、さ~す~が~に~っ!!行基様の薬師如来さまの前で寝転がるのは、チキンハートな私には無理でした~。
そんでもって、次にしたのは「天女様はどこですか?」と尋ねましたらば、ご本尊&日光月光菩薩像の両脇の天井に天女様がお二人いらっしゃいました。
う~つ~く~し~い~~っ!!
ご住職に「天女様を携帯電話で写してもいいですか?」と伺いましたれば、「撮影くらい問題ないです」とのお返事をいただいたので、撮影してみました。
ああ~。この時程、ちゃんとしたカメラを持ってくるんだったと後悔しました。

せめてものお礼に、私としては最大限の謝意を込め50円のお賽銭をお賽銭箱に投入しておいた。
たった50円かいっ!というツッコミはなしの方向でお願いします。
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町田ダリア園

2011年11月19日 05時51分16秒 | 花見散歩
今年の夏は猛暑。9月になると台風が2個もやってきて、特に15号は凄かったので、もとより風に弱いダリアなんか大ダメージだろうと、花見に行くのを諦めてたのですが、町田ダリア園の公開が11月3日までとなりました。
…丁度ウォークングもしたいのでね。と、なぜか自分で自分に言い訳してお出かけしたのが11月1日。
当日は日差しがまぶしい日本晴れでした。
花色が奇麗に出るのは薄曇りなんだけどね。ま、こればっかりは仕方がないんです。途中、町田までは自転車で。町田の市営駐輪場に預けてバス停へ。
ってなことで、町田ダリア園に到着。

 花数は少なめでしたが、それでもダリアは美しかった!
 
残念なのは、これ、携帯電話で撮影してるのね。ピ、ピントがっ!!ボケボケじゃあ~~っ。
 
ごまかしの効きそうな画像をピックアップしてお届けしました。
 
確かコレ、プリンセス•マサコっていう名前のダリアです。

開園最終日の翌日、ダリアは全て花束にされ超安価で売り出されます。近いと買いに来るんだけどな~。さて、お天気がいいからついでに七国山を散歩するか?
ちなみに、以前町田ダリア園を散歩した記事はこちらです。秋の町田ダリア園(2009年11月10日)の記事です。
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