天鼓はてんこと読みます。東京電力のdencoではない。
9月16日に渋谷の松濤にある観世能楽堂で能楽をみてきました。何はともあれ、天鼓のあらすじを紹介。
「古の中国。天から降ったという鼓を持つ少年、天鼓は、帝よりその鼓を献上するように命じられますが、命に背いたため捕らえられ、鼓は召し上げられて、天鼓は呂水の淵に沈められてしまいました。
その後、宮中へと運ばれた鼓は、誰が打っても音を発することはありませんでした。
勅使は、亡き天鼓の老父•王伯のもとを訪れ、宮中に来て鼓を打つように命じます、悲嘆にくれていた老父でしたが、子の罪を問われて、自分も罰せられる覚悟で参内します。
内裏に着き、命じられて、おそるおそる鼓を打つと、不思議にも鼓は妙なる音を発します。この奇跡に、帝もこれこそ親子の絆であると哀れに思し召され、老父に宝物を下されて、天鼓の弔いをすることを約束します。
やがて天鼓のために、管弦請(音楽による法要)を営むと、天鼓の霊が現れ、恨みも忘れて手向けの舞楽に感謝します。天鼓は供えられた鼓を打ち興じて舞を舞うと、姿を消していくのでした」
このお話、天鼓は生前には出てきません。帝の臣下が物語のいきさつを語ります。シテ(主人公)は帝の勅使の訪問を受ける天鼓の老父として登場します。
これがですね。もう~~~っ!延々辛気くさいんですよ。
ま、息子は帝が差し出せという天鼓を惜しんで、鼓を抱えて山中に隠れます。それを帝の家来たちが山狩りをして見つかり、その罪で川に沈められて落命してるので、まあ~、理解も出来るんですが…。
もう登場の瞬間から嘆き悲しんでいるのだね。そこへ宮中に来て天鼓を叩けといわれるんだね。もう誰が叩いてもならない天鼓。自分が叩いても鳴るわけない、と思いつつも、天鼓は息子の形見だからと出かけていく訳だ。もう鳴らないなら死罪になる覚悟を決めて。もう演者はこれでもか~~~っと悲哀に満ち満ちた演技をする訳で。
「愛別離苦の思い深く、恨むまじき人を恨み。悲しむまじき身を嘆きて。われと心の闇深く。輪廻の波に漂う事生々世々も何時までの、思いのきづな、長き世の、苦しみの海に沈むのか」みたいな~。嘆き恨み悲しみでいっぱいで宮中への道のりを行く訳だ。かわいそうなんだけど、これをねちねちやられると、もう見てるのは疲れる。
そんでもってクライマックスがやってくる。
老父は鳴る訳がないと天鼓を打つんですね。ここ、地謡もここぞとばかり盛り上げます。
すると鳴るんですよ。
あ、天鼓は名前の通り小鼓の音がこう~、笛と太鼓と共にいい感じで響くんだな。
盛り上がってきた~~~!!
と。観客も大盛り上がり。
その後、老父は息子の管弦講(音楽の法要)の為にいったん帰宅するんだね。
んで!!
ここで舞台は勅使と狂言方の場つなぎがあります。なぜなら、舞台裏ではシテ(主人公)の衣装替えをこの間にやらねばらなんのだ。
舞台は呂水の畔へ。音楽の法要を行っていると、呂水の水面に人影が現れます。不思議に思ったので「いかなる者ぞ。名を名乗れ」と問うと「これは天鼓が亡霊です」と返事が。
んでもってこのあと天鼓(死んだ息子)が「あら嬉しい」と舞踊るんですね。
なんでやねんっ!
さらにわからんのは、役者がさっきまで嘆き悲しんでいた老父と音楽法要をしてくれてありがとう、嬉しいわと舞踊る天鼓(息子)を同じ人が演じてるところがもう分けわからん!
つーか、ここでシテ(役者さん)が気持ちをきっちり切り替えて演じてくれないと、このお話は成り立たないと思う訳よ~。でも、大概演じてるのは老父と同じ位の年齢の人じゃん。心情的に、老父の気持ちはわかるけど、天鼓の気持ちはどうなんだろうな~。もうこの時の天鼓は人じゃないんだよな。
なんか、最後までわけわからんまま終わってしまいました。
この日の演目は1曲目が「杜若」でして、カキツバタの精が、中宮•高子の唐衣と在原業平の形見の冠を着けてまい踊るんですね。『唐ころも 着つつ馴れにし 妻しあれば~』の歌を業平が読んでくれたから草木までも成仏することが出来るのよ。と喜びの舞を披露する訳です。もう面も笑ってる感じのをつけて。
…わからんお話です。
ついでに間にはさまる狂言も「蚊相撲」という。これまた蚊の精が登場するという…。
楽しい能楽でした。でもなんかモヤモヤしつつ帰宅したのです。
そんなのが気になった私は、9月24日にまたまた観世能楽堂へ行きまして、またまた天鼓を見てきました。
今度は理解出来るのか??
…楽しく観たのはダンナでした。
やっぱあれね。たま~に能楽を観るだけの人が、わかってやろうと観ちゃイカンのですよ。
前回は舞台正面に座ったから、舞台装置の天鼓の置物が邪魔で老父や天鼓の顔があんまり見えなかったのが敗因かと今回は少し脇の場所から観ました。前回よりちょっとだけ理解の進んだ舞台でしたが、やっぱり後半に出てくる天鼓が舞踊るところがいまいち面白くなかった。ここ、思いっきり突き抜けて舞って欲しいよなと思ったけど、どうなんだろうな~。
Macが壊れて新しくなりました。新しいMacはPhotoshopが入ってません。となると、画像の大きさを変更出来ない~。
そんで、スキャナーも接続出来ない。新しいMacのOSのLIONというやつにキャノンが対応してないんだな…。バックアップしてなかったから、前のMacのデーターもソフトも全部すっ飛んでしまったのね。もとよりPhotoshopを使いこなしてるとjは言えなかったので、無料ソフトでなんとかならんのか?とダンナが探してくれたんですが、これもOS LIONに対応してないらしい。
ダンナはどうせ買うなら新商品とMacBook Airを購入して来てくれたんですが、新し過ぎてあれもこれも対応してなくて、どないもなりません。
あ~、ボタン一つで全部ぶっとんだ~。
消えたソフトを全部買い直すと、100万円くらいするらしい。まさかそんなにすばらしいソフトが入っていたなんて。私が使ってたのは、Photoshopとイラストレーターだけなんですが…。「これだけ買い直しでも10万円以上する」とダンナが言うので、そんな金はない!ので、ブログはしばらく放置の方向で。
画像にこだわらなきゃ、ネタはいっぱいあるんだけどね。明治神宮の清正の井戸とか、小田原の明治の邸宅巡り(去年からの旅順&横須賀三笠&乃木坂&小金井公園に続く「坂の上の雲』つながりで、秋山真之終焉の地を訪問しました。残る「坂の上の雲」巡りは、根津の正岡子規と早稲田界隈の夏目漱石関係と愛媛県松山市巡りだな。)とかとかとか~~。
画像なしでは書いててつまらん~~っ!
特に、清正の井戸はパワースポット!だからして。画像がないと、ブログが全然盛り上がらんやないか~っ!!
ってな訳で、しばらくごめんなさいデス。
9月16日に渋谷の松濤にある観世能楽堂で能楽をみてきました。何はともあれ、天鼓のあらすじを紹介。
「古の中国。天から降ったという鼓を持つ少年、天鼓は、帝よりその鼓を献上するように命じられますが、命に背いたため捕らえられ、鼓は召し上げられて、天鼓は呂水の淵に沈められてしまいました。
その後、宮中へと運ばれた鼓は、誰が打っても音を発することはありませんでした。
勅使は、亡き天鼓の老父•王伯のもとを訪れ、宮中に来て鼓を打つように命じます、悲嘆にくれていた老父でしたが、子の罪を問われて、自分も罰せられる覚悟で参内します。
内裏に着き、命じられて、おそるおそる鼓を打つと、不思議にも鼓は妙なる音を発します。この奇跡に、帝もこれこそ親子の絆であると哀れに思し召され、老父に宝物を下されて、天鼓の弔いをすることを約束します。
やがて天鼓のために、管弦請(音楽による法要)を営むと、天鼓の霊が現れ、恨みも忘れて手向けの舞楽に感謝します。天鼓は供えられた鼓を打ち興じて舞を舞うと、姿を消していくのでした」
このお話、天鼓は生前には出てきません。帝の臣下が物語のいきさつを語ります。シテ(主人公)は帝の勅使の訪問を受ける天鼓の老父として登場します。
これがですね。もう~~~っ!延々辛気くさいんですよ。
ま、息子は帝が差し出せという天鼓を惜しんで、鼓を抱えて山中に隠れます。それを帝の家来たちが山狩りをして見つかり、その罪で川に沈められて落命してるので、まあ~、理解も出来るんですが…。
もう登場の瞬間から嘆き悲しんでいるのだね。そこへ宮中に来て天鼓を叩けといわれるんだね。もう誰が叩いてもならない天鼓。自分が叩いても鳴るわけない、と思いつつも、天鼓は息子の形見だからと出かけていく訳だ。もう鳴らないなら死罪になる覚悟を決めて。もう演者はこれでもか~~~っと悲哀に満ち満ちた演技をする訳で。
「愛別離苦の思い深く、恨むまじき人を恨み。悲しむまじき身を嘆きて。われと心の闇深く。輪廻の波に漂う事生々世々も何時までの、思いのきづな、長き世の、苦しみの海に沈むのか」みたいな~。嘆き恨み悲しみでいっぱいで宮中への道のりを行く訳だ。かわいそうなんだけど、これをねちねちやられると、もう見てるのは疲れる。
そんでもってクライマックスがやってくる。
老父は鳴る訳がないと天鼓を打つんですね。ここ、地謡もここぞとばかり盛り上げます。
すると鳴るんですよ。
あ、天鼓は名前の通り小鼓の音がこう~、笛と太鼓と共にいい感じで響くんだな。
盛り上がってきた~~~!!
と。観客も大盛り上がり。
その後、老父は息子の管弦講(音楽の法要)の為にいったん帰宅するんだね。
んで!!
ここで舞台は勅使と狂言方の場つなぎがあります。なぜなら、舞台裏ではシテ(主人公)の衣装替えをこの間にやらねばらなんのだ。
舞台は呂水の畔へ。音楽の法要を行っていると、呂水の水面に人影が現れます。不思議に思ったので「いかなる者ぞ。名を名乗れ」と問うと「これは天鼓が亡霊です」と返事が。
んでもってこのあと天鼓(死んだ息子)が「あら嬉しい」と舞踊るんですね。
なんでやねんっ!
さらにわからんのは、役者がさっきまで嘆き悲しんでいた老父と音楽法要をしてくれてありがとう、嬉しいわと舞踊る天鼓(息子)を同じ人が演じてるところがもう分けわからん!
つーか、ここでシテ(役者さん)が気持ちをきっちり切り替えて演じてくれないと、このお話は成り立たないと思う訳よ~。でも、大概演じてるのは老父と同じ位の年齢の人じゃん。心情的に、老父の気持ちはわかるけど、天鼓の気持ちはどうなんだろうな~。もうこの時の天鼓は人じゃないんだよな。
なんか、最後までわけわからんまま終わってしまいました。
この日の演目は1曲目が「杜若」でして、カキツバタの精が、中宮•高子の唐衣と在原業平の形見の冠を着けてまい踊るんですね。『唐ころも 着つつ馴れにし 妻しあれば~』の歌を業平が読んでくれたから草木までも成仏することが出来るのよ。と喜びの舞を披露する訳です。もう面も笑ってる感じのをつけて。
…わからんお話です。
ついでに間にはさまる狂言も「蚊相撲」という。これまた蚊の精が登場するという…。
楽しい能楽でした。でもなんかモヤモヤしつつ帰宅したのです。
そんなのが気になった私は、9月24日にまたまた観世能楽堂へ行きまして、またまた天鼓を見てきました。
今度は理解出来るのか??
…楽しく観たのはダンナでした。
やっぱあれね。たま~に能楽を観るだけの人が、わかってやろうと観ちゃイカンのですよ。
前回は舞台正面に座ったから、舞台装置の天鼓の置物が邪魔で老父や天鼓の顔があんまり見えなかったのが敗因かと今回は少し脇の場所から観ました。前回よりちょっとだけ理解の進んだ舞台でしたが、やっぱり後半に出てくる天鼓が舞踊るところがいまいち面白くなかった。ここ、思いっきり突き抜けて舞って欲しいよなと思ったけど、どうなんだろうな~。
Macが壊れて新しくなりました。新しいMacはPhotoshopが入ってません。となると、画像の大きさを変更出来ない~。
そんで、スキャナーも接続出来ない。新しいMacのOSのLIONというやつにキャノンが対応してないんだな…。バックアップしてなかったから、前のMacのデーターもソフトも全部すっ飛んでしまったのね。もとよりPhotoshopを使いこなしてるとjは言えなかったので、無料ソフトでなんとかならんのか?とダンナが探してくれたんですが、これもOS LIONに対応してないらしい。
ダンナはどうせ買うなら新商品とMacBook Airを購入して来てくれたんですが、新し過ぎてあれもこれも対応してなくて、どないもなりません。
あ~、ボタン一つで全部ぶっとんだ~。
消えたソフトを全部買い直すと、100万円くらいするらしい。まさかそんなにすばらしいソフトが入っていたなんて。私が使ってたのは、Photoshopとイラストレーターだけなんですが…。「これだけ買い直しでも10万円以上する」とダンナが言うので、そんな金はない!ので、ブログはしばらく放置の方向で。
画像にこだわらなきゃ、ネタはいっぱいあるんだけどね。明治神宮の清正の井戸とか、小田原の明治の邸宅巡り(去年からの旅順&横須賀三笠&乃木坂&小金井公園に続く「坂の上の雲』つながりで、秋山真之終焉の地を訪問しました。残る「坂の上の雲」巡りは、根津の正岡子規と早稲田界隈の夏目漱石関係と愛媛県松山市巡りだな。)とかとかとか~~。
画像なしでは書いててつまらん~~っ!
特に、清正の井戸はパワースポット!だからして。画像がないと、ブログが全然盛り上がらんやないか~っ!!
ってな訳で、しばらくごめんなさいデス。