2016年4月25日にこの記事の一部を訂正しました。主にサルナートの
遺跡公園の説明です。以前の記事ではブッダの初転法輪の地の説明と場所を間違えてました。
北インドの旅の8日目、本日は帰国日ですが、午前中は引き続きインドのヴァラナシの観光です。
相変わらずの早起きですわ…。
もうね。旅の間にまともに寝るのは諦めた!どうせもう帰るんだからさ。寝たければ日本に戻ってから思う存分に寝たらいいのですよっ
何キレているのか?落ち着けよ自分…。
今日帰国するという事は、スーツケースにあれもこれも詰めないとなりません。しかし、布だのスーパーでかさ張るものを買い過ぎてしまっていて…。
どないしよう~??
ハイ!取り出したるは100円ショップで買って来た圧縮袋!まずは圧縮袋に冬服を詰めて空気を抜いて嵩を減らしたらリュックサックの中へ。
圧縮袋便利なんだよね~。何度も使い回し出来るしさ。もう海外旅行では圧縮袋無双ですわ。
しかし今一番問題なのは、
ヴァラナシの本日の天気予報は晴れ。最高気温33度・最低気温21度。対して東京の明日の天気予報は、雨。最高気温13度・最低気温11度。
これだよ~。実に気温差が20度あるんですわ。ちなみに、成田到着予定時刻は午前8時です。
つー事で、まずはヴァラナシの最高気温33度に合わせ半袖Tシャツを着込みます。んで、リュックサックに折り畳み傘も詰めます。はっ!飛行機の中でメモの整理と旅の面白ネタを忘れないうちに書き出すために、ガイドブックと多めの紙とボールペンは絶対にいる!ハッ!サリーのブラウスがお直しで届いたらそれもリュックに詰めねばならんのだった!
タウン仕様のおしゃれリュックは容量が小さ過ぎっ!これ、全部詰められるのか??
しかしエア・インディアの手荷物は2個までなのです。ショルダーバックとリュックサックだけしか持ち込めないので、なんとしても詰めこまねばっ!
ショルダーバックはデジカメと水と生理用ナプキン増量(多い日用2日分)を詰めるともう一杯になるのだよ。
そして肝心のスーツケース
Mサイズですわ。
何つーの?ジャイプールで購入した親と私と義母へのお土産のインド更紗のベッドカバーは諦めてダンナのスーツケースに入れてもらおう!
ううっ。なぜに紅茶のティーパック100袋入りが2箱もあるのか!ポテトチップスなんかかさ張るだけじゃん!
捨てよう!
もうね。スリッパさよなら!かさばるフリースプルオーバーもさよなら!これ帰国したら即着る用にしたかったけど、リュックサックに入らない!あと無駄な箱は全部捨てるっ!ヒンドスタンタイムス新聞も捨てる!タオルも捨ててやるぅ~~~!!
あ・すっきり!限界まで捨てたら後は圧縮袋に詰め込むだけ!とまあ朝からいい運動してしまいました!
余った時間はテレビ番組鑑賞です。今日は…。謎のクリケットの試合をしばし…。ルールが分からない…。なぜにこの内容でそないに盛上がれるのか??
あとはヒンドゥーの伝説かな?神様も出て来るしさ。これ昨日もやってたような気が?
そんなこんなで午前7時朝食へ。
慣れたけど、生野菜が食べたい…。
暇だったのでホテルの中の土産屋もチエック。
8時モーニングコール。この時に添乗員にサリーブラウスのお直しのことを確認する。
私「サリー用の布はスーツケースに詰めてしまっていいですよね?」
添乗員「必要なのはブラウスだけです」
私「引き渡しはどこで?」
添乗員「店の人が部屋まで伺います」
という事だったのですが、8時半、ガイドさんから電話がかかってきた「今ロビーにいます。ブラウスを持って降りて来て下さい」
タイミングがあ~~。今、化粧中なんだけどォ~??
仕方ないので顔塗りの途中でサリーブラウスを手にロビー階へ。そこに通訳を兼ねてガイドさんと店の人が待っていた。
ともかく、どこがダメなのか見せた方が早いので、ロビーで着てるTシャツを脱いでランニング姿に。その上からサイズの合わないサリーブラウスを着てみせる。
「「分かりました!」」
ええ。そうでしょうよ!一目瞭然だよねっ。何しろサリーブラウスのボタンは一番上しか閉まらないのだから!
って事でサリーブラウスは回収されましたが…。
私「あれ?採寸しなくていいの?」と聞いたらば「見て分かったから」と。
こ~れ~は~??またインドクオリティ?納品の時に再チェック忘れないようにしないと!
9時前にはスーツケースのバゲージダウン。これで帰国するまでスーツケースはもう空けない。
ハア…。疲れた…。まだ観光もしてないのに。
ふと?窓の外を見下ろせば、ホテルの側の樹の枝から枝へと鳥が忙しく移動している。何の鳥だろう?
私「先にロビー降りてるから~。もう部屋に戻らないから~」とダンナに声かけする。
エレベーターで、どこかの国の仏教徒かヒンドゥー教徒の女性僧侶の団体と一緒になりました!
何つーの?狭いエレベーターの箱の中で、みんなそろいの衣装を着込んだ女性僧侶に囲まれると一般人は固まるしかないね。
あ。ロビー階に着いた!
まだツアーメンバーも集まっていない。ではさっさと…。
「おはようございます~」あ。旅仲間お一人様合流。
「おはようございます。」と。時間がもったいないのでこちらの方も誘って鳥が遊ぶ樹をめざす。
んが!
残念ながら上から見つけた樹は下から見上げるとシルエット!かろうじて鳥の姿は見えるんだが、鳥もシルエット!あきませ~ん。絵にならない。撤収!
と?オートリキシャの運転手の客引きに捕まった。年寄りと…。あ!昨日の私のオートリキシャの兄ちゃんだ!
「観光に行くならオレのトゥクトゥクに乗ってかないか?」
それは心動く誘いだが、残念ながら「今からサルナートへ行くんだわ。ゴメンネ~」と断ったらば、兄ちゃんは突然物乞いにジョブチェンジした。
「オレの稼ぎ少ないんだ~。親方にピンハネされるんだ~。だから金くれ」(ニュアンス)
あ~あ!昨日は真面目で英語勉強中の好ましい青年だと思ったのに。これだよ~。
それもこれも物乞いの方が真面目に働くよりずっと儲かるインドの社会構造が問題だよね~。
しかもヴァラナシはヒンドゥー教の聖地であり、巡礼の地だからさ、ヒンドゥー教徒や観光客の財布のヒモも軽いんだろう。物乞いにも気軽にカネを出していると思われる。
仕方ない!「ゴメン!急いでる!』(さっき鳥の写真を撮ってた口で急ぐはないよな~)と思いつつも撤収。
さて、ロビーでやっておかないと行けない事が…。まだ
ヴァラナシの現地ガイドさんとバスの運転手の名前を聞いてなかったのです。観光は午前中までなので、今聞いておかないと旅で不明のままになってしまいます。
あ!いた!!
私「ハロ~」
男の人「ん?」
と気軽に声をかけたのですが…。実は集まっていたツアー仲間に激震が走った事に私は気付いてません。
私「隣の席に座っていい?」
男の人「もちろん」
私「ねえ、名前教えて?」
男の人「え?私の??」
私「そうよ。ねえ、綴りはどう書くの?」
男の人「MANOJ KUMAR」
私「マノージャ・クマーラさんか。いいい名前だね」
男の人「私の名前は神様の名前なんだよ」
私「へえ~?インドの神様はすごく大勢いるって教えてもらったけど…そうんなんだぁ。あ。ねえ、うちのバスのドライバーの名前は知ってる?知ってたら教えて欲しいんだけど?」
男の人「????」
そこへ旅仲間のSさんががカットイン。
Sさん「Hさん(私の名前)、この方は知らない人よ?」
はあっ!?
Sさん「だからね。Hさんが突然『あなたの名前は?』って知らないインド人に話しかけたから、あちらでみなさん驚いて見てたのよ」
私「え?この人ってうちのツアーのヴァラナシの現地ガイドさんですよね?」
Sさん「違います!全く別人です!」
ええ~~~~~っ!!。どうやらやっちまったようです。
男の人「僕は去年の選挙の時に大統領のガイドもしたんだよ(ニュアンス)」
本当に間違ってた!
私「ミスティークです。ごめんなさい」
男の人「問題ないよ」
私「うちのバラナシの観光ガイドと間違えました」
ってな事で撤収した!旅仲間にも話題提供しちゃましたよ。やっちまったな…。
9時30分、バスは出発。
ヴァラナシから北へ8キロ程にサルナートはある。
ここは
悟りを開いたブッダが初めて説法を行った場所です。
バス中でブッダこと、ゴータマ・シッダールタの生涯についてガイドさんが紹介。
『ブッダとはサンスクリット語で目覚めた人・悟った者という意味です。
お釈迦さまというのはサンスクリット語で「シャカ族の聖者」という意味の尊称のこと。漢訳して釈迦牟尼。省略して釈迦。
ゴータマ・シッダールタが本名。シャカ(釈迦)族の出身。
彼の父はコーサラ国の属国の王で、母は隣国の執政の娘でした。出産の為に里帰りの途中、ルンビニで気分が悪くなった母親が樹に手をついた時母の脇の下から生まれたと言われている。母親は産後の肥立ちが悪く7日後の死亡。
成長したシッダールタは、バラモン教の世の中に疑問を持つ。
16才で母方の従姉と結婚。子どもが出来る。
子どもが生まれた事により、自分のヴァルナを引き継げる人材確保した事を期に出家する。シュダールタの父王は彼の護衛・侍従として5人をつけた。後の弟子である。シッダールタ29才の時であった。
出家したシュダールタは6年に渡り苦行をつむ。
断食修行の時、スジャータが差し出した飲み物を受け取ったシッダールタに幻滅し弟子達が去る。
シュダールタは消えた5人を追いかける。追いついたのがサルナート。そして会話。
この時に弟子がシッダールタを避難したのは、カースト制度に由来する。
女性のヴァルナは低かった。シッダールタは王族なのでヴァルナは2位のクシャトリア。バラモン教においてはヴァルナの同じ人でないと食べ物を受け取らないものなのだ。
シッダールタに飲み物を差し出したスジャータはシッダールタを神様だと思った。この時の彼女の境遇は子どもが出来ない事に悩んでいて、樹の下で修行するシッダールタを神様と思い、神様への捧げものとして飲み物を差し出したのだ。
シッダールタは彼女の心を受け取った。
そしてシッダールタの初めての説法がこの地で行われた。話を聞いた5人はシッダールタの弟子になる。」
さて、到着しました。シッダールタが最初の説教を行ったサルナート到着です。
場所が場所ですから、辺りには仏教信者が多い国がそれぞれに寺院を建てています。まずは正面の3本の塔が見えてる寺院へ。
寺院ですから帽子を取るのは当たり前。
でもこの寺院は靴も脱いで上がります。なので旅人は汚い靴下持参です。
● ムルガンダ・クティ寺院
1931年に建てられたスリランカの寺院。
壁にはフレスコ画でブッダの一生が描かれている。
2016.4.25デジカメ画像を差し替えました。
誕生の場面。ブッダが母の脇から生まれ「天上天下唯我独尊」と言ってる所。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
修行の場面。家族を捨て出家したブッダは、ガヤへ向い6年の修行を行う。
2016.4.25デジカメ画像を差し替えました。
悟りの場面。苦行を積んでも悟りは開かれないと悟ったブッダは菩提樹の樹の下で座禅を組む。そこへブッダ堕落させようと悪魔がやってくる。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
初説法の場面。ここ
サルナートで5人の弟子に初めて説法を行う。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
入滅の場面。布教活動の途中、貧しい信者が差し出した粥を食べたブッダは激しい腹痛に襲われ死亡する。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
実は訪問した時はフレスコ画の修復中でした。ブッダの入滅あたりはまだ修復前の場所らしく、ほとんど色がなくなってました。
フレスコ画を描いたのは日本人画家、野生司香雪。
ブッダの誕生・修行・悟り・初説法・入滅がテーマです。
ちなみに壁画の撮影は有料。お一人様10ルピ程度を正面の仏壇左右にあるお布施箱に投入する。私はダンナと私のぶんの20ルピを投入しました。
インドでは現在仏教徒は全体の1%しかいない。だから仏教の聖地であるサルナートを訪れているのは外国の仏教徒が殆どです。
ちなみに、奥の祭壇に上がり仏像を拝むのは別料金がかかります。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
ムルガンダ・クティ寺院の東隣に中国の寺がありました。
ブッダが5人の弟子に初説法した様子が1/1サイズの大きさで再現した人形がありました。
中国寺院にはチベットでよくあるマニ車もありました。これを回すだけで教典を読んだ事になるというありがたい仕組みです。もちろん回しておいたわ~。
その時、ムルガンダ・ムティ寺院の塔に鳩の群れが飛んで来た。絵になるぅ~。
次にめざすのは画像奥の茶色の塔です。今いるムルガンダ・ムティ寺院から直線で300メートル程離れてるだけなのですが、バスで移動することに。ちっ!アショーカの木の道を歩くのは楽しそうなのに~~。
上の画像は近くにあった説明板ですが、見て欲しいのは上部左右にあるライオンの絵です。この実物がそばの考古学博物館に納まってます。
バスで移動。遺跡公園の前の道に、屋台がずらりと並んでいます。
歩きながら屋台見物ですわ。
遺跡公園到着。ここは有料の公園になります。
上の画像の手前の建物は、かつての僧坊跡。
こちらがかつてブッダが初めて説法を行った場所です。仏教用語でいうところの
初転法輪の地です。
ブッダガヤで悟りを開いたブッダが、5人の弟子を見つけて最初の説教を行いました。説法を聞いた弟子達は、やがて各地へ仏教を伝えて行く事になります。その為にサルナートは仏教の聖地とされました。このストゥーパの跡は、
ダルマラジカ・ストゥーパと呼ばれています。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
今では基壇だけしか残ってませんが、初転法輪の地を記念して
アショーカ王が建てたと言われています。基壇に上がろうとしたらガイドさんに「昇ってはいけません」と止められました。な、なんにも書いてないじゃん!基壇にはあちこちの金箔を貼ってあります。
遺跡公園の地図。地図の中央左に赤い文字があるのが現在地。
かつて隆盛を誇った仏教は、7世紀には数百の寺院や塔がありました。1000人を超える僧侶が修行していたとか。しかし13世紀になりイスラム勢力が入ってくると、多くの寺院が破壊されてしまった。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
遺跡にある石の全てがかつてはどこかの寺院の名残りです。
2016.4.25にデジカメ画像を追加しました。
さて、上の画像奥の柵がある場所にご注目下さい。
訂正前の記事ではここを【初説法の場所】と説明文をつけていましたが、実際は
初めて寺院が作られた場所です。ライジングって書いてあったから、「お寺が生まれた場所」と書いた方が正しいのか?
白い柵の向こうに何があるのか?と見たらよくわからないこれ(上の画像)だった。
遺跡公園の奥にそびえる塔を目指す。
上の画像右手の覆いがある場所は?
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
こちらも何かの遺跡だと思うんですが、説明は既に忘却の彼方です。金箔がべたべたと貼ってあるから、いわくあるのは確かなんだが?
近くに大切にケースで保護された一角がありました。ここに
アショーカ王の石柱がありました。
アショカ王は熱心な仏教徒で、インド各地に石柱を建てました。サルナートの石柱は、大きな石の傘を持ち、石柱の一番上に4頭のライオンの像を持つ傑作でした。現在は遺跡公園に隣接する
考古学博物館に展示してあります。
こちらはインドの紙幣と硬貨です。紙幣の左下、硬貨の裏面にアショカ王の石柱のライオン像がデザインされています。
遺跡公園の大きな樹の下で、どこかの国から来た仏教徒が説法を聞いていました。
ご丁寧に石仏と塔のレリーフから石仏の頭を全て削ってありますね。こういう事をやるのは偶像崇拝を禁止しているイスラム教徒です。イスラム教徒がインドで勢力があったのは、ムガル帝国13世紀から19世紀にかけて君臨していたから。ムガル帝国が滅んだ後は、イギリスの植民地支配に変わった。よってインドで再び仏教が信者を獲得する事もなかった。仏教の聖地サルナートに再び寺院が建てられたのは、世界各国の仏教徒が自分の国の方式で建てたお寺です。私達はスリカンカと中国の寺院だけ行きましたが、周辺にタイ・ビルマ・日本のお寺が散在しています。
小さな塔がありました。この形、似てるよね?
何にって、遺跡公園で一番目立つ、
● ダメーク・ストゥーパです。ダメーク・ストゥーパの上に傘を載せたら同じ形ですね。
ダメーク・ストゥーパは大きいです。基壇を入れると高さは42メートル。仏教全盛時代に作られた巨大な塔です。
「アショーカ王が仏教を広げてかつて84000のストゥーパが作られました。そもそもはブッダの遺骨などを納め礼拝していましたが、数が増えてからは教典が納められるようになりました」
ちなみにサルナートのストゥーパには何も入ってないそうです。元々はとても小さな塔あったものを、上から覆ってこのサイズになったんだって!
見上げると、外壁の装飾が残ってる場所も。仏教の聖地巡礼に訪れる仏教徒が、このストゥーパを回って礼拝するんだって。
ここなんか、線香と何か燃やした残り火と、画像中央下の黄色いものは、金箔を貼付けた跡ですね。こういうのってタイとかでよく見かけたな~?
さて、記念写真を撮ったら出口へ……。
うわぁ~~、遺跡公園の入場は有料です。もちろん私達はツアーなので、添乗員が一括で料金を支払っているのですが、遺跡公園の柵の向こうから何本も手が突き出されています。物乞いですね。柵の向こうは無料だそうですよ。見たくない~~。
2016.4.25にデジカメ画像を追加しました。
物乞いの手が突き出てる柵の反対側を見たら、先ほどのどこかの国の仏教徒の姿が見えた。私達は行きませんでしたが、あちらに行くと鹿がいます。ブッダの話を聞いていた聖なる鹿ということらしい。そもそもサルナートの名前も「鹿の王」=サーランガ・ナーダが語源とか。
実はこの後、道を挟んで建つ
考古学博物館を見学しましたが、画像がありません。
ガイドさん「
考古学博物館にカバンもカメラも一切持ち込めませんので、バスに置いて来て下さい。持ち込んでいいのは財布とパスポートだけ」とアナウンスがありましてね。
いやに厳しいのは何故だ?
ガイドさん「考古学博物館には遺跡公園の発掘品や仏像が展示してあります。小さな展示物も多い。しかし
悪い人が小さな展示品をカバンに入れて持ち去る出来事がありました。以後、カバンの持ち込みが禁止になりました」
ハイ出た!インドクオリティ~!!
何つーの?一度何かが起きると全て禁止にしちゃうんだよね。
例えばクトュブミナールの塔に上がれなくなったのは遠足の学生が塔から落ちたから、以後上るの禁止!
例えばファテープル・シークリーの五重の塔に上がれなくなったのは、塔から投身自殺した人がいたから、以後上がるの禁止!
デリーに所属するの全てのバスからカーテンを取り外したのは、バスの中でレイプ事件が起きたから、以後カーテン禁止!
なんつーの?インドって極端なんだよね。
さて、大いに期待して入った考古学博物館ですが、
アショーカ王の4頭のライオンの石彫は確かに興味深かったけどさ。他にはガイドさんいわく「世界一ハンサムな仏像です」という石像があった他は大したものがなかった!ま、な。イスラムの信者が偶像崇拝にあたる仏像や仏教寺院は徹底破壊してから焼いてますからますからさもありなん。
博物館からバスへ向う途中でガイドさんの側を歩いたので、最後のQ&Aをする。
私「ホテルでインドの男の人に名前を尋ねたらmanoj kumarって教えてもらって、神様の名前だって聞きました。インドの人の名前の付け方ってどんなのがありますか?」
ガイドさん「神様の名前をつける事はあまりない」
例えば英語だとブラックスミスで鍛冶屋さんとかドイツだとシュナイダーで散髪屋さんとか。エジプトの人は宗教的とか人間の美質を現すものと決っていたのね。
私「生まれた月日を大切にするなら、ヒンドゥーの神様はとても多いから生まれた日の神様を大切にするとかありますか?」
ガイドさん「しません」
私「なら花の名前とか山の名前をつける事はありますか?」
ガイドさん「そうですね」
何つーの?インドの人の名前の付け方に特別な決まりも法則もなさそうです。時間が足りなくてこれ以上突っ込んで聞けませんでした。
添乗員「
バラマキ土産用にスナック菓子が買いたいとおっしゃっていたお客様~」
それは私。
「はい!買いたいです。ダンナの会社の人へのばらまき用に欲しいです!」
添乗員「先ほどの歴史公園の前に並んでいた屋台で売ってましたからご案内します」
後続する人も加わってお買い物です。しかしざ・残金が…。残り30ルピで帰るのか?
と思ったら、ムング豆のフライ(塩味)が一袋10円程度でした!6袋ゲットです~。ダンナに何人分必要か聞きたい所ですが、彼は既にバスに戻ってしまってるから有り金全て使いました(自分土産に10ルピ札2枚と2ルピ硬貨だけは持ち帰りましたが)。って事で、12時半、バス発車です。
明日の記事で旅日記は最終回です。
な、長かったぁ~。後半でデジカメ画像を読み込めるようになってからが画像の差し替えや予約投稿済みの記事にデジカメ画像追加とかの作業でいくら作業しても終わらなくてね。いつ終わるのかと…。ようやくここまで来ましたよ。
2016.4.25にデジカメ画像を13枚追加しました。&遺跡公園の遺跡の間違えていた説明文を訂正しました。