「TV初!1966年放送の名作がフルカラーで蘇える」という謳い文句で
5月3日から6日までWOWOWで放送された「総天然色ウルトラQ」
「色が付いたウルトラQ」を見るのは当然、新鮮だし
CG着色を担当したアメリカ企業の技術者が「仕事だからという単純な理由で受けたのではない。残すべき作品だからです」と語ってくれたのも(半分リップサービスだとしても)興味深かった。
再放送枠で初公開されたという第28話「あけてくれ!」も、
偏屈そうなSF作家が「SF作家協会などという、くだらないモノの会合への参加が煩わしく・・・」などと語るシーンで、「この人のモデル、大伴昌司さんじゃないのか?」とニヤリとさせてくれたりして
「(そこそこ知識を得た)今だから楽しめる」要素が満載でありました。
総天然色版は少しずつ視聴しようとブルーレイ・ディスクに保存したので
これから小出しに見ていこうと思います。
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・・・で記念する第1話は
1966年1月2日放映の「ゴメスを倒せ!」
円谷プロがTV番組を制作しようとしたものの、やはり東宝からの協力は必要で
ゴメスはゴジラの改造版、リトラはラドンの改造版・・という話は結構知られているそうで
また、全話を撮り終えてから放送する形で、TBSがゴジラなどの怪獣映画ブームを当て込んで、怪獣が登場する「ゴメスを倒せ!」を最初に持ってくるよう決めた・・・とか
66年放送開始の番組ながら、制作は64年から開始されていた・・・とか
その辺の話も発掘されております。
円谷プロは海外SF番組の「トワイライトゾーン」の日本版を・・・と考え「アンバランス」というタイトルも当初考えられていたそうで、その要素は「ウルトラQ」の一部エピソードから後の「怪奇大作戦」へと受け継がれ
怪獣番組としての要素は「ウルトラマン・シリーズ」へと受け継がれた訳ですな・・・。
~で
時は過ぎて昭和懐古ブーム。
特撮関係も、ブームに乗って関係者対談などが行われており
ロフトプラスONEでも「特撮ナイト」は常に盛況、ライダー関係者やウルトラ関係者のコメントも残っている。
それによると「ゴメス」のネーミングに関しては
「当時、ゴメスって名前のボクサーが日本選手と対戦したんだけど、こいつが強くて日本選手がケチョンケチョンに負けちゃった」
「だから、『ゴメスを倒せ!』って事になった」・・・なんて対談が載った本を読んで
私は「どのゴメスなんだろう?」と考え込んだのでした。
随分と前の事ですが・・・。
制作年数からすると、1964~1965年に来日したゴメスの筈だ。
小林弘が1966年の5月から行った中南米遠征でペドロ・ゴメス(ベネズエラ)に7回TKOで敗れているが
66年の時点では「ウルトラQ」の撮影は終了している。
ペドロの弟=アントニオ・ゴメス(ベネズエラ)は、来日して西城正三をKOしてWBA世界フェザー級王座を奪取しており、インパクト大だったが、これも試合は1971年だから、もっと後。
60年代で言えば、60年3月フラッシュ・エロルデに世界J・ライト級王座を明け渡したハロルド・ゴメス(米)がいて、その後も現役を続けたが日本選手との対戦なし。
オクタビオ・ファモソ・ゴメスは、宇野正高と鳴海勇三をKOしているが、これも68と69年。
福岡県・北九州市立総合体育館でロイヤル小林と対戦したのはウィルフレド・ゴメス。
凄まじい3回KO勝ちで2度目の防衛に成功したが、これも1978年1月19日の事。
なお「ゴメスを倒せ!」の脚本家は千束北男さん。
「ウルトラQ」でボクサーが登場するエピソード「燃えろ!栄光」の脚本も担当されている。
「世界王者のロニー・カンポが」「フィリピンでハミトと戦った時の話だ・・・」などという、ボクシングファンがニヤリとするようなセリフや固有名詞が出てくる回で
ジムに貼られたポスターは、「関光徳vsシチラン」「青木勝利vs李東春」「山上哲也vs芳賀勝男」などという激シブなモノ。
セリフ回しも「ダイナマイト・ジョーの名前がすたるぜ!」などという時代掛かったモノ連発、
「日活の裕ちゃん映画かよ!」という、少し赤面モノ。
しかし
他のシーンやエピソートでは古さを感じさせないのに、TVや映画の制作はボクシング=「裕ちゃん映画」で止まってるのか?
以前、私がエキストラのバイトで戦隊物に参加した時の事ですが、
ボクシングをやってる体のヒーローが
「いかにも役作りでジムに通ったのが分かる」シャドウを見せた後、戦闘シーンでショートパンチを繰り出したら、殺陣の監督さんからダメ出しが出ましてな。
その時、監督さんが叫んだ「ハンマー・パンチでイイんだよ!」てな言葉が耳に残って離れません。
まぁ、迫力優先じゃないとチビッコには分かりづらいって事でしょうが・・・
アニメもボクシングを扱うと一気に古臭くなるし、「少女革命ウテナ」でもボクシングシーンだと急に「古っ!」と言いたくなる演出になったし・・・
(まぁ、あれは幾原監督から出崎統さんへのオマージュだったんだろうが)
余談が長くなったが
ウルトラQ「燃えろ!栄光」内のポスターからして
ジョニー・ハミトを関光徳がKOして東洋Fe級王座を守ったのが64年の7月。
アナンタデス・シチランを関光徳がKOして東洋Fe級王座を守ったのが65年の5月。
脚本・構想がそれ以前になされていたら・・・と想像し、それなりに調べてみたのだが
やっぱり私の「ゴメス探し」は暗礁に乗り上げた。
「アルメンテロスを倒せ!」だったら簡単だったのに・・・。
中南米選手が台頭し、頻繁にラテン選手が来日した時期でいえば
1964年3月1日、世界フェザー級王者のシュガー・ラモスが来日、
スター選手の関光徳(親和ジム)を圧倒的な強さで6回TKO勝ちし、2度目の防衛に成功している。
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ホントは「ラモスを倒せ!」にしたかったんじゃないのかなぁ・・・。
でも「濁点がある名前の方が凄みあるんじゃない?」とか
「ゴジラが元になった怪獣だから、“ゴ”を付けた方がイイんじゃない?」とか言って
ゴメスにしたんじゃないのかなぁ・・・なんて
ベタベタなオチに辿り着いてしまう。
そんなこんなで
やっぱり結論の出ない「ゴメスを倒せ!」なのでした。
5月3日から6日までWOWOWで放送された「総天然色ウルトラQ」
「色が付いたウルトラQ」を見るのは当然、新鮮だし
CG着色を担当したアメリカ企業の技術者が「仕事だからという単純な理由で受けたのではない。残すべき作品だからです」と語ってくれたのも(半分リップサービスだとしても)興味深かった。
再放送枠で初公開されたという第28話「あけてくれ!」も、
偏屈そうなSF作家が「SF作家協会などという、くだらないモノの会合への参加が煩わしく・・・」などと語るシーンで、「この人のモデル、大伴昌司さんじゃないのか?」とニヤリとさせてくれたりして
「(そこそこ知識を得た)今だから楽しめる」要素が満載でありました。
総天然色版は少しずつ視聴しようとブルーレイ・ディスクに保存したので
これから小出しに見ていこうと思います。

・・・で記念する第1話は
1966年1月2日放映の「ゴメスを倒せ!」
円谷プロがTV番組を制作しようとしたものの、やはり東宝からの協力は必要で
ゴメスはゴジラの改造版、リトラはラドンの改造版・・という話は結構知られているそうで
また、全話を撮り終えてから放送する形で、TBSがゴジラなどの怪獣映画ブームを当て込んで、怪獣が登場する「ゴメスを倒せ!」を最初に持ってくるよう決めた・・・とか
66年放送開始の番組ながら、制作は64年から開始されていた・・・とか
その辺の話も発掘されております。
円谷プロは海外SF番組の「トワイライトゾーン」の日本版を・・・と考え「アンバランス」というタイトルも当初考えられていたそうで、その要素は「ウルトラQ」の一部エピソードから後の「怪奇大作戦」へと受け継がれ
怪獣番組としての要素は「ウルトラマン・シリーズ」へと受け継がれた訳ですな・・・。
~で
時は過ぎて昭和懐古ブーム。
特撮関係も、ブームに乗って関係者対談などが行われており
ロフトプラスONEでも「特撮ナイト」は常に盛況、ライダー関係者やウルトラ関係者のコメントも残っている。
それによると「ゴメス」のネーミングに関しては
「当時、ゴメスって名前のボクサーが日本選手と対戦したんだけど、こいつが強くて日本選手がケチョンケチョンに負けちゃった」
「だから、『ゴメスを倒せ!』って事になった」・・・なんて対談が載った本を読んで
私は「どのゴメスなんだろう?」と考え込んだのでした。
随分と前の事ですが・・・。
制作年数からすると、1964~1965年に来日したゴメスの筈だ。
小林弘が1966年の5月から行った中南米遠征でペドロ・ゴメス(ベネズエラ)に7回TKOで敗れているが
66年の時点では「ウルトラQ」の撮影は終了している。
ペドロの弟=アントニオ・ゴメス(ベネズエラ)は、来日して西城正三をKOしてWBA世界フェザー級王座を奪取しており、インパクト大だったが、これも試合は1971年だから、もっと後。
60年代で言えば、60年3月フラッシュ・エロルデに世界J・ライト級王座を明け渡したハロルド・ゴメス(米)がいて、その後も現役を続けたが日本選手との対戦なし。
オクタビオ・ファモソ・ゴメスは、宇野正高と鳴海勇三をKOしているが、これも68と69年。
福岡県・北九州市立総合体育館でロイヤル小林と対戦したのはウィルフレド・ゴメス。
凄まじい3回KO勝ちで2度目の防衛に成功したが、これも1978年1月19日の事。
なお「ゴメスを倒せ!」の脚本家は千束北男さん。
「ウルトラQ」でボクサーが登場するエピソード「燃えろ!栄光」の脚本も担当されている。
「世界王者のロニー・カンポが」「フィリピンでハミトと戦った時の話だ・・・」などという、ボクシングファンがニヤリとするようなセリフや固有名詞が出てくる回で
ジムに貼られたポスターは、「関光徳vsシチラン」「青木勝利vs李東春」「山上哲也vs芳賀勝男」などという激シブなモノ。
セリフ回しも「ダイナマイト・ジョーの名前がすたるぜ!」などという時代掛かったモノ連発、
「日活の裕ちゃん映画かよ!」という、少し赤面モノ。
しかし
他のシーンやエピソートでは古さを感じさせないのに、TVや映画の制作はボクシング=「裕ちゃん映画」で止まってるのか?
以前、私がエキストラのバイトで戦隊物に参加した時の事ですが、
ボクシングをやってる体のヒーローが
「いかにも役作りでジムに通ったのが分かる」シャドウを見せた後、戦闘シーンでショートパンチを繰り出したら、殺陣の監督さんからダメ出しが出ましてな。
その時、監督さんが叫んだ「ハンマー・パンチでイイんだよ!」てな言葉が耳に残って離れません。
まぁ、迫力優先じゃないとチビッコには分かりづらいって事でしょうが・・・
アニメもボクシングを扱うと一気に古臭くなるし、「少女革命ウテナ」でもボクシングシーンだと急に「古っ!」と言いたくなる演出になったし・・・
(まぁ、あれは幾原監督から出崎統さんへのオマージュだったんだろうが)
余談が長くなったが
ウルトラQ「燃えろ!栄光」内のポスターからして
ジョニー・ハミトを関光徳がKOして東洋Fe級王座を守ったのが64年の7月。
アナンタデス・シチランを関光徳がKOして東洋Fe級王座を守ったのが65年の5月。
脚本・構想がそれ以前になされていたら・・・と想像し、それなりに調べてみたのだが
やっぱり私の「ゴメス探し」は暗礁に乗り上げた。
「アルメンテロスを倒せ!」だったら簡単だったのに・・・。
中南米選手が台頭し、頻繁にラテン選手が来日した時期でいえば
1964年3月1日、世界フェザー級王者のシュガー・ラモスが来日、
スター選手の関光徳(親和ジム)を圧倒的な強さで6回TKO勝ちし、2度目の防衛に成功している。
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ホントは「ラモスを倒せ!」にしたかったんじゃないのかなぁ・・・。
でも「濁点がある名前の方が凄みあるんじゃない?」とか
「ゴジラが元になった怪獣だから、“ゴ”を付けた方がイイんじゃない?」とか言って
ゴメスにしたんじゃないのかなぁ・・・なんて
ベタベタなオチに辿り着いてしまう。
そんなこんなで
やっぱり結論の出ない「ゴメスを倒せ!」なのでした。
セレスの方が正義の味方っぽいのでガメスを倒せて良かったです。
円谷プロは
「(妖星)ゴラス」「ゴモラ」「アギラ」など、それっぽい名前が多いですね。
なお、先日は遂にバルタン星人が、名前の元ネタになったシルビィ・バルタンさんとの対面を果たしたそうで、
これまた感慨深い・・・。
>ちなみに千束北男は飯島俊宏監督のペンネーム
――そうみたいですね。
大伴昌司さんらとも大学時代から旧知の仲だったと言うことで、
ウルトラの縁は不思議な糸で繋がっていたようです。
しかし、ウルトラQ放送第1話とウルトラマン製作第1話の両方の脚本を書くなんて、千束さんも凄い方ですねぇ・・・。
Wゴメスと聞いた時に私もウルトラQのゴメスを真っ先に思い浮かべたわけです。
余談ながらゴメス全盛時に‘ゴメスに勝てるとしたら○○リトラという選手でないと勝てないのか?’と友人に話した事がありましたよ。
ちなみに千束北男は飯島俊宏監督のペンネームで、Qではケムール人編やウルトラマンでは自ら演出したバルタン星人編を両方とも脚本担当もしてます。
ウルトラマンの製作第1話がバルタン星人だったので
ウルトラQ放送第1話とウルトラマン製作第1話の両方の脚本を書いた事になりますね。