今週の題名のない音楽会「スポーツの祭典の音楽会」。
解説においてはスポーツライターでクラシック評論家でもある、
玉木正之さんの独壇場だったワケだが。
いきなり
「オリンピックに芸術部門があった」
「期間中は芸術祭も同時に開催される」などなど…。

そもそもギリシアの古代オリンピックでは、スポーツ競技のみ
ならず、詩の朗読や竪琴、彫刻や絵画などの「芸術競技」も
行われたという。
そこで、近代オリンピックの創始者であるクーベルタン男爵は
「芸術競技」も正式競技として採用。
1912年のストックホルム大会から1948年の第14回ロンドン大会まで、
絵画・彫刻・音楽全般などの芸術ジャンルも五輪正式競技種目と認定。
メダルも与えられたそうだ。
1952年のヘルシンキ大会以降は正式競技からは外されたが、五輪開催
都市は今も「芸術週間」を設けて、「芸術祭」を開催することが、
オリンピック憲章で義務づけられているという説明もあり。

たとえば2000年のシドニー五輪。
高橋尚子選手が金メダルを獲得したマラソンコースの背後に何度も
映し出されたオペラハウスでは、連日のようにオペラがオリンピック
芸術祭として上演されていたという。
ほかにも絵画展や映画祭なども行われ、『鉄腕アトム』や
『ジャングル大帝』『もののけ姫』などの日本のアニメも
上映されていたそうだ。
司会の五嶋龍氏に「時期が時期ならオリンピックに出られていたよ」と
話を振ると「ぜひ出たいです!」と一気の盛り上がり。
※五嶋氏と玉木氏は旧知の仲。~というか、五嶋氏の幼少期から
知っているそうな。
意外と言っちゃなんだが、五嶋氏は文武両道を地で行く人物で
NYの街を空手胴着でランニングしていたという!

さてさて
スポーツとクラシック音楽の結びつきは、オリンピックに限らず。
たとえば1990年のワールドカップサッカー・イタリア大会の決勝
前夜には、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスの「三大テナー」が
ローマで歌い合い、オリンピック以上とも言われる規模の世界大会を
盛り上げた。
この時は重病から復帰したカレーラスを祝い、チャリティとして
行われたが。
これが余りにも評判が良かったため「三大テナー・コンサート」は
4年に一度のW杯サッカーの恒例行事となったという。
そもそもカレーラス復帰を祝ってといいつつも、サッカー好きの三人は
「ぜひW杯の期間中に」と決めたというし。
いまは亡き大テノール歌手のパヴァロッティは、高校時代にはゴール
キーパーとしてイタリアの全国大会に優勝したほどの実力あり。
一時は「歌手になるかプロのサッカー選手を目指すか」悩んだ
なんていうエピソードがあるのだ。

クラシック楽団もサッカーチームを結成し、親善試合が行われるのも
好例なんだそうな。
※これはHR話だが、サッカーファンのリッチー・ブラックモアの
来日時に日本のレコード会社の急造(?)チームと「親善試合」を
行なったなんて話を思い出しましたよ。
気を使ったろうなぁ。ある意味で接待試合だもんねぇ~。
最後の東京五輪エピソードには私も感動…。
やっぱ終戦後アジア初の五輪ですからね。
玉木さん宅に皆が集まり、大人は笑顔だけど泣きながら各国選手の
入場を見たなんてグッときますよ。
泣かせるだけじゃないのが玉木さんで、作曲者の古関裕而先生を
早稲田大学応援歌、慶應大学応援歌を作曲したマーチ作りの名手と
紹介しつつも「六甲おろし」のエピソードも披露。

阪神優勝でブームになった時、
「先生、凄いブームになってますよ!」と言いに行くったら
「そんな曲、作ったっけ?」と返事され、
玉木氏、思いっ切りコケちゃった…なんてオチで会場は大笑い
~なんて事もありました。
※浪速のモーツアルトみたいなエピソードで御座います。
古関先生の作曲量も相当のモノでしょうからねぇ…。
意外だったのは
最後の1964東京オリンピックのテーマを五嶋龍氏が「初めて聴きます」と
語った事。これには驚いた…。
※好青年の五嶋氏、ウソはつけなかったんでしょうね。

ちなみに収録終わった直後に「サプライズ」あり。
なんと五嶋氏の誕生日ケーキが登場。ハッピーバースデーの合唱。
「まさか」と本当に感激しまくる五嶋クン。
声を震わせながら感謝の挨拶。なんて素直なナイスガイなんでしょ!
※ここをTVがカットしたのは意外!
当日、外は蒸し暑い夕刻だったが、会場内は爽やかな空間でありました。
スポンサーの出光興産さん偉い。

外資系と合併なんてしなくてイイです。
芸術文化活動を支援する企業として、これからも活動を継続して
欲しいと思います。
「題名のない音楽会」
これからも毎週楽しみにしていますよ。
機会があれば、また観覧に出かけたいとも思いました。
解説においてはスポーツライターでクラシック評論家でもある、
玉木正之さんの独壇場だったワケだが。
いきなり
「オリンピックに芸術部門があった」
「期間中は芸術祭も同時に開催される」などなど…。

そもそもギリシアの古代オリンピックでは、スポーツ競技のみ
ならず、詩の朗読や竪琴、彫刻や絵画などの「芸術競技」も
行われたという。
そこで、近代オリンピックの創始者であるクーベルタン男爵は
「芸術競技」も正式競技として採用。
1912年のストックホルム大会から1948年の第14回ロンドン大会まで、
絵画・彫刻・音楽全般などの芸術ジャンルも五輪正式競技種目と認定。
メダルも与えられたそうだ。
1952年のヘルシンキ大会以降は正式競技からは外されたが、五輪開催
都市は今も「芸術週間」を設けて、「芸術祭」を開催することが、
オリンピック憲章で義務づけられているという説明もあり。

たとえば2000年のシドニー五輪。
高橋尚子選手が金メダルを獲得したマラソンコースの背後に何度も
映し出されたオペラハウスでは、連日のようにオペラがオリンピック
芸術祭として上演されていたという。
ほかにも絵画展や映画祭なども行われ、『鉄腕アトム』や
『ジャングル大帝』『もののけ姫』などの日本のアニメも
上映されていたそうだ。
司会の五嶋龍氏に「時期が時期ならオリンピックに出られていたよ」と
話を振ると「ぜひ出たいです!」と一気の盛り上がり。
※五嶋氏と玉木氏は旧知の仲。~というか、五嶋氏の幼少期から
知っているそうな。
意外と言っちゃなんだが、五嶋氏は文武両道を地で行く人物で
NYの街を空手胴着でランニングしていたという!

さてさて
スポーツとクラシック音楽の結びつきは、オリンピックに限らず。
たとえば1990年のワールドカップサッカー・イタリア大会の決勝
前夜には、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスの「三大テナー」が
ローマで歌い合い、オリンピック以上とも言われる規模の世界大会を
盛り上げた。
この時は重病から復帰したカレーラスを祝い、チャリティとして
行われたが。
これが余りにも評判が良かったため「三大テナー・コンサート」は
4年に一度のW杯サッカーの恒例行事となったという。
そもそもカレーラス復帰を祝ってといいつつも、サッカー好きの三人は
「ぜひW杯の期間中に」と決めたというし。
いまは亡き大テノール歌手のパヴァロッティは、高校時代にはゴール
キーパーとしてイタリアの全国大会に優勝したほどの実力あり。
一時は「歌手になるかプロのサッカー選手を目指すか」悩んだ
なんていうエピソードがあるのだ。

クラシック楽団もサッカーチームを結成し、親善試合が行われるのも
好例なんだそうな。
※これはHR話だが、サッカーファンのリッチー・ブラックモアの
来日時に日本のレコード会社の急造(?)チームと「親善試合」を
行なったなんて話を思い出しましたよ。
気を使ったろうなぁ。ある意味で接待試合だもんねぇ~。
最後の東京五輪エピソードには私も感動…。
やっぱ終戦後アジア初の五輪ですからね。
玉木さん宅に皆が集まり、大人は笑顔だけど泣きながら各国選手の
入場を見たなんてグッときますよ。
泣かせるだけじゃないのが玉木さんで、作曲者の古関裕而先生を
早稲田大学応援歌、慶應大学応援歌を作曲したマーチ作りの名手と
紹介しつつも「六甲おろし」のエピソードも披露。

阪神優勝でブームになった時、
「先生、凄いブームになってますよ!」と言いに行くったら
「そんな曲、作ったっけ?」と返事され、
玉木氏、思いっ切りコケちゃった…なんてオチで会場は大笑い
~なんて事もありました。
※浪速のモーツアルトみたいなエピソードで御座います。
古関先生の作曲量も相当のモノでしょうからねぇ…。
意外だったのは
最後の1964東京オリンピックのテーマを五嶋龍氏が「初めて聴きます」と
語った事。これには驚いた…。
※好青年の五嶋氏、ウソはつけなかったんでしょうね。

ちなみに収録終わった直後に「サプライズ」あり。
なんと五嶋氏の誕生日ケーキが登場。ハッピーバースデーの合唱。
「まさか」と本当に感激しまくる五嶋クン。
声を震わせながら感謝の挨拶。なんて素直なナイスガイなんでしょ!
※ここをTVがカットしたのは意外!
当日、外は蒸し暑い夕刻だったが、会場内は爽やかな空間でありました。
スポンサーの出光興産さん偉い。

外資系と合併なんてしなくてイイです。
芸術文化活動を支援する企業として、これからも活動を継続して
欲しいと思います。
「題名のない音楽会」
これからも毎週楽しみにしていますよ。
機会があれば、また観覧に出かけたいとも思いました。