インタビュー
ワルインゲ中山さんに遭った (2004年11月)
ボクシング・マガジン12月号の「ニュートラル・コーナー」で、岡庭慎さんが書かれていた「ワルインゲ中山さんの現在」。
読んで、ショックを受けつつ「あぁ、やっぱりか」と嘆息したのが今月の15日。
実は、それ以前に池袋駅の地下を通勤ルートにしている知人から、聞かされていたのだ。
「あなた、ボクシングファンなら知ってるだろう。数ヶ月前にニュースでやってた元チャンピオン、また池袋地下に戻ってるよ」「TVで見覚えある黒人だったから、多分間違いない」・・・と。
まぁ、だからと言って私が「どうのこうの」出来るワケではないので「あぁ、そうですか・・・」と寂しく答えるに留めていたのだが。
同じ人から「ワルインゲ氏、池袋の繁華街で倒れたらしい」
「その際、救急車が呼ばれたが、どこの病院も収容を拒否、ワルインゲ氏は夜の公園へ消えたらしい」
・・・などとの追加情報を聞き。
これも「ボクシング・ファンの業」と、池袋の公園界隈を徘徊する事、数回。
一応は・・・と「ホームレス救済」でネット検索を行い。
◆厚生労働省 社会・援護局地域福祉課
◆ホームレス自立支援センター(板橋区)
◆緊急一時宿泊所・自立支援センターに関する活動を行っている
日本共産党国会議員団ホームレス問題プロジェクトチーム
・・・・の電話番号をメモ。本人に遭う事があったら、施設への収容を切り出してみようと考えてみた。初対面で、こんなコト言っても「なんだ」と言われるかも知れんが。ホームレスの人は、行政の施設を毛嫌いする人も多いし、そもそもビザ等の問題で行政機関が受け入れるかどうかも分からない。
徒労に終わる可能性も高いのだ。
さらに、万一の事を考えて「在日ケニア共和国大使館」の電話番号もメモしておく。ここが助けてくれるかも・・・なんてのは甘い考えかも知れんが。
――駅前で座り込んでる「その手の人」に尋ね、最近ワルインゲ氏が良くいるというショッピングモールへ向かった。
某日の夕方、日テレの「ニュースプラス1」で「ホームレスになったメダリスト」が放送された。
偶々TVをつけてた為、奇しくもワルインゲ中山氏の「現在」を知るトコロとなってしまったのだ。
◆ワルインゲ中山
ケニア初のボクシング・メダリスト。メキシコ五輪フェザー級で銅、ミュンヘン五輪フェザー級で銀を獲得。
その後、来日しプロデビュー。75年に日本Jフェザー級の王者となった70年代を代表する名選手。
76年4月、WBC世界Jフェザー級の王座決定戦に出場し、リゴベルト・リアスコに8RTKO負け。
田中風太郎に判定勝ちして再起(日本王座防衛②)、1戦挟んで、カルロス・サラテのWBCバンタム級に挑戦、4RKOに退いた。
サラテ戦の後、笠原優に敗れて日本王座を失い、その後1勝3敗の戦績を残し、網膜剥離となって引退。
十条でスナックを始めたが暫くして閉店、コーチなどをして生計を立てていると風の噂は聞いていたが。
2年ほど前から池袋駅周辺でホームレスをしているそうで。TVでは、仕事探しを行うも50代後半の黒人に雇用はなく、彼を知る者に請われて公園でボクシングを教える事で数千円を得てる・・・と紹介。
駅の方針で地下道を追い出され、公園で寝泊りするようになったワルインゲ氏。
TVでは、降雨に晒され移動する一行。「だいじょうぶ?」とクルーを気遣うワルインゲ氏。いい人な雰囲気。
ボクサーである息子さんは「金を出すからケニアに帰って欲しい」と言うが、ケニアに帰っても仕事があるとは限らず。
ワルインゲ氏は、再び必死で職探しを再開。数10社に問い合わせるも全てダメ。
藁をも掴む気持ちで、千葉の弁当会社の面接に臨む。なけなしの金で中古の背広を数千円で購入して出撃。そして遂に採用!
慣れない労働に疲れ、パートのオバちゃんに怒鳴られながらも、タイムカードを押す喜びを噛み締めるワルインゲさん。
大阪には、年上で60才過ぎた日本人の奥さんが居り(ただし見た目は、お若い)。手紙と電話で連絡を取るも、現在の状況は話せない。
就職先の社長から、格安の部屋も与えられ念願の棲家も出来た。
大阪まで向かって直接奥さんにホームレスになっていた経緯などを話そうとしても、しっかり者の奥さんがショックだろうと話し出せないワルインゲ氏。
いよいよ最後になったらケニアに同行しても良い・・・とは言ってくれたが、年齢的に厳しいとも返答され。
とにかく、職は見つかったと新たな出発を祝福する形で、TVの特集は終わったのだが。
それから数ヶ月、彼は戻って来てしまったのだ。
職が見つかって、最後に池袋の「友人たち」に合いに行き、給料で酒とツマミを買って皆に振る舞い「寂しくなるヨ」と語って、最後の夜を池袋の路上で過ごすワルインゲ氏に「不安」を感じたのだが・・・・。
やっぱり戻って来てしまったのね・・・・。
「三日やると辞められない」と言われるのがホームレスだもんね・・・。
そしてネットで色々検索しても、ホームレス救済で出てくるのは「共産党」ばっかりなのね。
こっちゃ、ボランティア経験なしだい!そっち方面でもド素人ですよ!
あぁ、オレまで藁をも掴む思い。いよいよ俺も共産党入りかぁ!?!?!?(←まぁまぁ)
・・・・何度か空振りしたワルインゲさん探しだが。
正直、今回も空振りに終わりたい気分だった。
そう思いながら、某ショッピング・モールを徘徊。3Fのベンチに、それっぽい人々を見かけ、その中にTVで見た黒人さんの姿を発見。
あぁ・・・、見つけちゃった。
微妙に落胆しながら、意を決して声掛けを決意。眠たげに頭をコックリし、視線を上向きにしたワルインゲ氏に「こんにちは」と挨拶する。
「ワルインゲ中山さんですね」
そう声を掛けると「はい」と返事。
「僕、ボクシング・ファンなんですけど、お話きかせて貰えませんか?食事でもしながら」と続けると
ワルインゲさん、「あぁ、いいですよ」。
私、「じゃあ、ここじゃなんだから外のレストランかどこかで。奢らせて下さい」
ワルインゲさん「じゃあ、トイレ行ってから」
私「あ、ハイ」
ワルインゲ「あ、男子トイレ工事中だ・・・」
私「あ、女子トイレ入ったらダメですよ!!!」
――腕持って引っ張ってしまった。細かい事に拘らない人だ・・・。
表の商店街を歩きながら、話は始まった。
私「TVで見てたんですけど、決まった職はどうしたんですか?」
W「弁当屋さんは、1年の契約で切れマシタ。また、1から出直しですヨ」
私「契約更新は無かったんですか?あんな部屋まで与えてくれた社長だったのに」
W「いい部屋だったのヨ、凄く良かっタ。でも契約は1年で終わり・・・」
私「どっちが、更新しなかったんですか。社長の方が?」
W「ウ、ウン・・・」
私「・・・(どっちだったんだろう?辛くて辞めちゃったのかなぁ?それとも
TVの肝煎りで部屋まで用意してただけだったのかな?)」
W「私、もともとタイル職人ですよ。でもタイル職人、仕事ない。左官さん
までタイル職やってる」
私「組み立てるだけの壁に、最初からタイル貼られてますからねぇ・・・」
W「そう。このあいだ、前に世話になってた監督さんに連絡してけど、 やっぱり無かったですヨ」
私「厳しい御時世ですからねぇ・・・」
――さてさて、何にも考えてなかったが。
どこの店でメシ食おう?(笑)
長めに座れるトコロで、客の風貌を気にしなそうなトコロ(まぁ、ワルインゲさんはジャンパーにジーンズと普通の格好ではあったが)。
以前、連れと行った中華料理店を思い出し商店街の角を曲がり、連れ立ってエレベーターに乗る。
私「日本タイトル獲って、あのサラテに挑戦したんだから、尊敬モノですよ」
W「サラテは強かったヨ、全部揃ってた。スピード、パワー・・・」
私「他に日本絡みでサラテと戦った人いないですよね。怪物だったし」
W「身体も大きかった・・・」
店に入る。おぉ、昼食時間でバイキングだ!食べ放題なら充分に食ってもらえる。
私「食べ放題だから、お皿取ってドンドン盛って下さい。スープ飲み
ますか?」
W「ハイ、すみません」
スープとお冷をよそって、テーブルに置く。
ワルインゲさんは凄まじく盛ってきた。チャーハン、春巻き、酢豚、八宝菜、Etc.Etc.....
私は・・・このあと泳ぎたいから、腹八分目にしなければ。
2人で中華料理を突付きながら、ボクシングの話を続ける。
私「最初のオリンピック出場は東京五輪ですよね」
W「そうそう、東京ヨ。ほとんど海外なんて行った事なかったヨ」
私「初めての海外遠征ってワケじゃないですよね(五輪に出るくらいだから)」
W「う~ん、2回目だったナ。イギリスには行ったから。コロニーの大会ネ」
私「英連邦のアマ大会ですか?」
W「そうそう。でも東京にはビックリよ。私、子供だったから」
私「確か、16歳くらい・・・」
W「そう、若かったネ」
私「バンタム級ですよね。桜井さんとは・・・」
W「対戦はしてないヨ。あの人、金メダル獲ったけど、プロの世界チャンピ
オンには・・・」
私「当時の王者がオリバレスですから・・・。サラテと一緒で怪物ですよ」
W「もう、メキシコの神様ヨ。人気すごかったヨ、サラテ。ウェルターから
ミドル挑戦した、あの、あの選手と同じヨ・・・」
私「ホセ・ナポレスですか?」
W「いや、いや、思い出せないなァ。最近だめネェ・・・。あの、プエル
トリコの・・・」
私「ウィルフレド・ベニテス?」
W「いや、いや、このまえウェルター級のチャンピオンとやった・・・」
私「あぁ、フェリックス・トリニダード!」(メキシカンじゃないじゃん)
W「そうそう!TRINIDAD!」
私「トリニダード、僕スキですよ!最近の選手も見てらっしゃるんですか?」
W「ボクシング・マガジンも見てますヨ。KOするから人気ありますよネ、トリニダード」
私「ある意味、サラテとも似てますね。長身なのにアウトボクシングせずに
KOを狙うトコロなんて。WOWOWも見てるんですか?(どうやって?
・・・とは聞けないなぁ)」
W「ハイ、見てますヨ。今もボクシング教えたいですヨ。仕事が無いから
出来ないですけど。仕事ないとダメヨ・・・」
私「トレーナーだけじゃ生活できないですもんねぇ、日本じゃ・・・」
W「チャンピオン何人も育てたらね、エディ・タウンゼントさんみたいに、
それだけで食べられるけど・・・」
私「そうですねぇ・・・・」
――あぁ、なんかダウナーな話になって来た。
明るい話に戻さなければ。
私「メキシコで銅、ミュンヘンでは銀メダル。ケニアのアマボクシング史上
初でしたよね!」
W「そう。陸上はメダル獲ってたケド、ボクシングでは初めて」
私「ミュンヘンと言えば、パレスチナ・ゲリラがイスラエルの宿舎を襲撃して
17人が亡くなるテロがありましたよね」←オイオイ、どこが明るい話
なんだよ!!!
W「オ~、そう!そんな事あったヨ!!宿舎、すぐ横だったヨ!」←でも、
凄く食いついてくるワルインゲさん
私「えっ!?その時いたんですか!?」
W「試合に勝って喜んでると思ったヨ。パンパンパンて」
私「祝勝会でクラッカーか何か鳴らしている・・・と」
W「そう!そしたら次の朝、警官がイッパイよ。ビックリしたよ!」
私「選手村の中でのテロですもんねぇ・・・。最近でも色々あるけど・・」
W「コワイよ」
ワルインゲさんが、御代わりに立った。そして、また山盛りのチャーハン、豚の角煮、麻婆豆腐、野菜炒め、Etc.Etc....
チラリと飲み物テーブルを見て「ビールは無いネ」と呟くワルインゲさん。
「昼食バイキングですからね」と、やんわり却下するワタクシ(笑)。
ホームレスの人は寒さを紛らわすための飲酒から、アルコール中毒に陥る人も多いという。社会復帰に妨げあるといかんし、私はこのあと泳ぎに行くんだから、目の前でビール飲ませるワケには行かねぇんだよ!!!!←誰に怒ってんだ?
ホントは、ビールの一本も飲んでもらえば、もっと機嫌よく話してもらえるんだろうが・・・。
つ~か、オレだって中華バイキングなんて、たまにしか食えないし。モリモリ食ってビール飲みてぇよ!!!!
――などと言う思いを隠して話を進める。
テーブル下には、資料のプリント(笑)。チラ見しながら話を続ける。
私「オリンピックではフェザー。プロではバンタムとJフェザー。減量は
厳しかったですか?」
W「バンタムの時は苦しかったヨ。体重作るだけでイッパイよ」
私「Jフェザーでは大丈夫だったんですか?アマ時代より落としてますけど」
W「そっちは大丈夫。アマにはJフェザーないし。私がWBC初めての
タイトルマッチだったヨ」
私「リアスコ戦は、初代王者決定戦ですもんね。リアスコの印象は?
大きかったですか」
W「大きかったヨ~」
モリモリ食べるワルインゲ氏。
W「でもロイヤル、ミュンヘンではメダル獲れなかったのに、プロの世界
獲れたよネ。いつの間にか強くなったヨ」
私「巡り会わせですよね・・・」
W「でも、ロイヤルがリアスコとやる時、ワタシ大阪からスパーリング・
パートナーで行ったよ」
私「ロイヤルさんの?」
W「そう、リアスコのテクニック、ワタシ分かってたからネ」
私「ロイヤルさん、パンチあったでしょう?」←お前、リアスコのテクニック
ってどんな?・・・とか聞けよな!
W「あった、あった!スゴかったよ!」
どれくらいの貢献があったか分からないが、そんな「協力」もあったんだなぁ・・・・。
W「そういえば、サラテ戦の後もう一回、世界のチャンスあったのですヨ」
私「え、決まりかけてたんですか!?」
W「うん、ゴメスとやるの決まってた」
私「え~!!!ウィルフレッド・ゴメスですか――――!?!?!?」
W「ウン」
私「また、強いのと・・・・」
私が驚き、呆れる姿を見て、ワルインゲさんは笑っていた。
・・・まぁ、晩年のロイヤル小林さんもサルバドール・サンチェスに挑戦する話も進んでたって話しだし、水面下で、ワルインゲさんのゴメス挑戦が決まり掛けてても不思議じゃないのだが。
もちろん、ロイヤルが韓国で初防衛を果たしていたら、「対ワルインゲ」なんてカードも・・・。
私「でも、サラテ戦の次で笠原優の挑戦受けて・・・(ワルインゲ氏、
日本王座の5度目防衛に失敗)。この時には身体が・・・」
W「この時には、もう左目が悪かったですヨ。見えてなかったですよ」
私「・・・(それでゴメス戦ですかい)」
W「最後の方は、ご飯食べるのも、こ~んなに傾いて食べ物見るから、家族と
一緒に食べてて『おかしいよ、病院行ったがいいよ』って言われて、
それで病院行ったらアウトですヨ」
私「はぁ・・・(あんた、笠原戦含めて5戦してんじゃん・・・)
W「でも、その病院、コミッション直属の病院だったヨ。東京に来た時の事
だったから、そんなの知らなかったヨ。すぐコミッションに知らされて
アウトよ!ハハハハ」
私「ハハハハ・・・」←おいおい、一緒に笑ってどうすんだよ!!
W「カイチョーに凄い怒られたヨ、次の試合決まってたから、ハハハハ」
私「ハハハハ・・・」←だから一緒に笑ってんじゃねぇよ!
W「それまでは、スワヒリ語すこし知ってる関係者サンが、視力検査の時に
隣にいて、スワヒリ語で『ウエ』『シタ』とか教えてくれてたヨ~。
ワッハッハッハ」
私「ハハハハハ(・・・・って、オイッ!!!!)」←心の中で突っ込んで
どうする!?!?
――ワルインゲ氏の手元には、デザートが。レモン・ゼリー、杏仁豆腐、アロエベラ、フルーツ盛り合わせ・・・4杯目だ。
私「アロエベラ、身体にイイですよね」
W「うん、おいしいヨ」
私「現役時代は、フルーツ一杯食べましたか?」
W「お~、イッパイ食べたよ!」
フルーツも、皿に山盛り。マンゴー、リンゴ、柑橘類、バナナ・・・。
オレもデザート取って来よ。
再び日本デビュー当時の話に戻る。
私「最初から強い人と対戦してますね、デビュー3戦目で牛若丸原田です
もんねぇ(ワルインゲさん判定負け)・・・」
W「デビューが8回戦で、次から10回戦ヨ」
私「(ほんとにエリートだったんだなぁ、この人・・・)普通だったら、
6回戦、8回戦でキャリア積みますよ。でも、相手の人が嫌がるか、
そんな凄いアマキャリアある選手とは・・・」
W「ハハハ、それと私28才だったから。時間なかったですヨ」
私「それで、13戦目で日本タイトル奪取ですね。相手は江藤清一」
W「そう、エトウ」
私「判定でしたね」
W「ウン、私ハードパンチャーじゃなかったから。テクニシャンね」
私「ポイントは、大差でしたか」
W「ウン、大差ヨ」
私「そして沼田久美に勝って・・・」
W「ウン」
私「でも、沼田さん、その後に世界挑戦して」
W「ハハハ、そうだったネ」
――まだまだデザートを頬張るワルインゲさん。
W「日本じゃ世界タイトルマッチ出来なかったですヨ。テレビのスポンサー
付かなかったですヨ。テレビ付かないと出来ないですよ」
私「ヨネクラ・イコニなんて良い選手だったけど、米倉会長は『テレビが
付かないから世界挑戦できない』って嘆いてらしたそうですね」
W「そう、イコニもネ・・・」
私「イコニも世界挑戦してイイ実力者だったんですけど、海外でも挑戦
出来なかったですね。色々あって・・・」
W「私、みんな海外で挑戦ですよ」
私「しかもサラテですもんねぇ。43戦して42KOくらいの時でしょ?」
W「間違えたよ~(笑)。ゴメスとドッチにしようかって話で、ゴメス連続
KOだったから、サラテが良いって挑戦したら、とんでもなく強かったヨ
(笑)。ワタシ間違えたよ~」
私「ハハハ・・・、サラテだって凄いKO率だったですもんねぇ」
W「だから、ユーリが日本で世界タイトル獲った時、羨ましかったですヨ」
私「金平さんが上手かったんでしょうねぇ。ペレストロイカの話題の波に
乗って・・・」
W「金平さん、そうネェ」
私「メインにミッキー・ローク連れてきたりして、僕ら『ふざけんな!!』
って怒ったけど」
W「ハハハハ」
私「あれで他の客呼んで興行成立させて・・・。プロモーターとしたら
凄かったんでしょうねぇ」
W「そうネ。それでユーリ、世界チャンピオンになったヨ」
私「見た目も日本人に近かったから、やりやすかったのかも知れませんね」
W「・・・そうネ」
―――なんか、さり気にヒドイ事を言ってるオレ。つ~か、いつの間にか自分ばっかり喋ってるじゃねぇかよ!!!
私「サラテ戦は、メキシコのクリアカンですね」
W「(懐かしそうに)そう、クリアカン」
私「メキシコシティから遠かったでしょう?飛行機で首都に着いて、それから
汽車でクリアカンまで?」
W「そう、遠かったよ~。サラテ、凄い人気で、ワーワー凄かった」
私「メキシコ全土の英雄ですね」
W「すごかったヨ」
私「でも、ワルインゲさんの右ストレートで一瞬たじろいだ・・・なんて
当時のボクマガに載ってましたが」
W「ああ」
私「手応え、ありました?」(←ちょっとヨイショ)
W「そう、ね・・・」
・・・曖昧なリアクション。そうでも無かったのかしら。
私「クリアカンは、後にJ・C・チャベスが出てきたり
して盛んになる下地あったんですね。吉田秀三さんをKOしたファン・
アントニオ・ロペスとかもクリアカン出身だったし・・・(手元のアンチ
ョコ読みながら)」
W「ハハハ、そうネ」
私「サラテもピントールに負けて・・・。ピントールも好きだったんですけ
どね、私」
W「ピントール、サラテのスパーリング・パートナーだったよ。ず~っと
やって手の内を知ってたヨ。そしてサラテが、こうなって(手で下降線を
描く)、ピントールが、こうなった(手で上昇線を描いて)時でネ・・・」
私「それも巡り会わせですねぇ・・・。サラテ、後でカムバックしようと
したけどダメでしたね。ピントール戦の直後だったら何とかなったかも
知れなかったのに・・・」
W「難しいですヨ。選手は、ブランクあったらあった程カムバック難しい。
トリニダードだって、カムバック反対されてたですヨ」
頭に数日前の横田広明さんの姿が浮かんだ・・・・。
――話の流れで聞きそびれた事も、遡って聞いてみる。
私「ワルインゲさんが日本に来るキッカケは、スカウトですか?」
W「いや、スカウトないですヨ。向こうのコーチに日本人の知人がいて、日本で
プロならないか、って話されたですヨ。日本、あの頃プロボクシング盛ん
だったデスから」
私「じゃあ、契約金とかは・・・」
W「なしですヨ。日本チャンピオンなってもバイトしてましたヨ、私」
私「はぁ・・・(他の選手と一緒だなぁ・・・)」
W「本当はミュンヘンの前に日本に来る予定でしたヨ。でも、色々あって
3回オリンピックに行ったですヨ」
私「お国もメダル取れそうな人は、出て欲しかったでしょうね」
W「ハハハ、そうかもネ」
――ヘボ・インタビュアーが、また自分だけ喋ってる(涙)『色々あって』って『その色々』が何なのか聞けよ!
まぁ、ワルインゲさん食べるのでイッパイだし、訛りある日本語が聞き辛いってのもあるんだが・・・・。
ボクシングへの愛着は尽きず、ワルインゲ氏は最近も後楽園ホールを訪れる事があるそうな。
W「息子が選手してるんですヨ。その時は行ってますヨ」
私「でも、最近は試合されてないような・・・」
W「そうねぇ、試合が決まらないと練習しないですヨ。ワタシ、試合なくても
練習してましたヨ。毎日毎日ネ」
――指導者の顔を見せるワルインゲ氏。
W「ホントはね、ケニアにジム作って選手教えたいですヨ。そこから日本に
選手連れて来たいですヨ。でも、ケニアいま厳しい。ドリームないですヨ」
私「若い人が目標もってジムに通えない程・・・」
W「そう、ドリームないですヨ。ワタシ4年前まで、3年に1度はケニアに
帰ってたけど、どんどん厳しいになってマス」
私「そうですか・・・(無知だなぁ、オレ)」
W「ワタシも仕事ない。ドリームないです・・・」
私「・・・ケニアも厳しいし、日本も厳しい。私なんかも『給料安い』とか
言いながら辞めたら他に仕事ないから、我慢してヤってますよ」
W「ハハハ、そう」
私「後楽園ホールでも安い席ですよ。一時は月に35万もらって、そこそこ
の席で見れるようになったけど、立ち見に逆戻りですよ。上京したてで
若い頃はOKだったけど、もう長い時間立ちっ放しは辛いですよ(笑)。」
W「ハハハハ、そうね」
――さてさて。
ぼちぼちワルインゲ氏の今後の話でも伺おうか・・・。
事前の下準備として、豊島区の窓口対応を探るため色々と連絡はしてはいたのだが。
「ワーキング・ビザの事もあるし、本人の意思もあるから、区の保護課で対応できるかは何とも言えない」・・・当然のような反応を貰い。まずは本人の意志を確かめる。
私「ケニアに帰る予定は無いんですか?」
W「ケニア帰っても厳しいデスよ。日本の方がマシです」
私「TVで見たら、奥様も『最後は行ってもイイ』との事でしたが・・・」
W「でも、奥さんもトシだから厳しいですヨ。奥さんに今のコト言ってない
ですヨ(苦笑)」
私「しっかりされてる奥さんに見えましたが」
W「ハハハ、そうネ!」
私「ビザなどは・・・?」
W「ワーキング・ビザ、更新してマス。大丈夫ですヨ」
私「じゃあ、生活保護など行政の支援は・・・」
W「日本人の奥さんいるから、大丈夫と思いますヨ。それよりパーマネント
ビザに切り替えしたいですネ、次の更新では」
私「永住ビザですか」
W「そう、永住ビザ」(←こんな日本でも永住したいですか・・・)
私「普段は食事とかは・・・?」
W「友達に貰ったり、炊き出しに行ったりしてますヨ」
私「炊き出しですか(ドキュメントではコンビニの余り弁当をホームレス仲間
から貰っておいでだったが・・・)」
W「新宿や板橋、大久保・・・。教会での炊き出しもありますし、区役所で
クラッカー貰う事もありますヨ」
私「新宿ですか・・・。交通手段は・・・?」
W「歩いてですヨ。上野まで歩く事もありますヨ」
私「(行政機関の食料支給は受けてるワケか・・・)じゃあ、夜などは?」
W「寝る所は、ネパール人の友達の所へ世話になったり・・・。公園の方に
いるですヨ」
私「テントですか?(それとも段ボールハウス?)」
W「いや、まぁ・・・ね」
――もう寒さも厳しい、このままでは冬越せませんよ。
んな身も蓋もない事を言わねばならないワケだが。そんな義務は無い筈だったのだが。
何を勝手にそんな行動を取っているのか私は。
私「でも、もう寒いですよ。11月も後半、これから12月・・・」
W「そうね」
私「身体、大丈夫ですか?」
W「元気、ゲンキよ」
私「でも、少し前に倒れたって話ですけど・・・」
W「(怪訝そうに)アナタ、どこで知ったのですか?」
私「知り合いが教えてくれまして」
W「大丈夫、いま元気ですヨ」
私「そうですか・・・」
腹減って目ェ回しただけならイイけど。倒れたとき自国のお言葉つぶやいていたって話じゃないですか・・・(涙)。
W「冬は寒いですからネ。日本の冬は今でも慣れないですヨ」
私「どうするんですか?夜の寒さは厳しくなる一方ですよ」
W「ハイ、板橋区の一時保護センターへ入るつもりなんですヨ」
私「は・あ、そ・そうですか・・・!」(←拍子抜けで呆ける)
W「手続きして、12月の13日から入る事になったんですヨ」
私「それがイイですよ!このまま寒くなったら冬越せないですよ」
W「しばらく、そこに入ってますヨ」
私「期間は・・・?」
W「3ヶ月・・・ですネ」
私「そうか、冬の間ですね。そうか、それがイイですよ」
――既に「所謂シェルター入り」の準備はされていたようだ。ホームレス同士の情報交換があったのかも知れないし、私より前に行動された方がいらっしゃるのかも知れない。
ま、私じゃ役者不足だし。良かった良かった・・・。
私「でも、まだ半月近くあるし。寒さは深まるから、気を付けて下さいよ」
W「そうね、気をつけますヨ。仕事も見つけないとネ」
私「そうですね。頑張りましょう」
W「ガンバリましょう」
――店も混んで来た。そろそろ出ますか・・・と席を立つ。
勘定を払う間、ワルインゲ氏は壁に貼ってある同店スタッフの交流写真を見入っていた。
W「このお店は・・・中国人の人ばかりですネ」
私「華僑は世界中にネットワークありますからね。(ケニアのコネクション
が日本にデカく展開されてたらなぁ・・・・)」
W「ケニアにもチャイニーズ・レストランありますよ」
私「チャイニーズの人は、どこに行ってもコミュニティ作りますからねェ
(ワルインゲさんも同じ事を考えておいでか・・・)」
――お値段は割安で、食べ放題バイキングで1人1000円であった。
私「安かったですよ、あれだけ食べて1人で1000円」
W「ホ~、高くはないネ」
私「お腹一杯になりましたか?口に合いましたか?」←愚問だ!
W「お~、こんなにお腹イッパイなったの久しぶりですヨ!おいしかった
ですヨ!」←そりゃそうでしょ、すんごい食ってらしたもんなぁ
私「具合悪くならないで下さいよ(笑)」
W「ダイジョ~ブ!ありがとう」
―――いやいや、すんごい、お腹膨れてますよ(笑)。
結局、事前の下準備など・・・徒労に終わった。
しかし、良い徒労だった。
ワルインゲ氏は、準備済みだった。
ワルインゲ氏は、優しい良い人だった。
ワルインゲ氏は、悪インゲ氏ではなかった。
良インゲさんだった。
まぁ、だからと言って予断は許されないが。12月13日まで、まだ日にちあるし。
急に健康を害する事だってあるだろうし。豊島区の窓口には、顔を出して緊急時の受け入れ関係を確認しといたがイイだろうな・・・。
オレが出来る事もタカが知れてるし。職を世話できる程のチカラ無いし。
結局は本人次第だし。
ボクシング・ファン300人が1万ずつカンパして、ワルインゲさんに飲み屋など持たせたとしよう。
多分、すぐ潰す。
直接話して。彼の大らかさ、優しさは社会生活に適さない部分も感じさせた。
雇用に恵まれない事、救急車での搬送を病院に拒否された事。
これは、明らかに人種差別が作用しているが。声高に、今それを糾弾しても何も変わらない。
選手としても機会に恵まれず(世界戦2度は充分とも言えるが、いずれも敵地で、しかも1度は強豪王者サラテと・・・って意味じゃ恵まれたとは言えないだろう)、いま雇用の機会にも恵まれず・・・。
彼自身、社会生活を送るに足りうる「自身への厳しさ」が欠落している感もあるが(飲酒が現状への引き金になったとの話も聞いたし)・・・。
「ワルインゲさんは日本に来て良かったと思ってますか?」
・・・この質問は出来なかったなぁ。
◆P.S.
別れ際、ボクシングHP管理人である事を告げた。
私「あの~、僕、HPなんて作っててですね」(・・・オズオズ)
W「ア~ハ~ン(ちょっと怪訝そう)」(外人風)
私「今日、お会いして話した事をですね・・・」(・・・オズオズ②)
W「ア~ハ~ン」(やっぱり英語風)
私「・・・HPに書き込んでイイですか?」
W「オゥ、いいですヨ!」
――メシ食わせて貰ったから何でもイイよ!
そんな感じで快諾を受け、このたび、当BBSにUPする事となりました。
取り敢えず、ワルインゲさんの今冬は何とかなりそうです。
以上、池袋リポートはオシマイ。
ホント、身体に気を付けてくださいね・・・・。
【P.S.】
このインタビューから2年過ぎ
池袋には再び徘徊するワルインゲ氏の姿が見られたという・・・
ワルインゲ中山さんに遭った (2004年11月)
ボクシング・マガジン12月号の「ニュートラル・コーナー」で、岡庭慎さんが書かれていた「ワルインゲ中山さんの現在」。
読んで、ショックを受けつつ「あぁ、やっぱりか」と嘆息したのが今月の15日。
実は、それ以前に池袋駅の地下を通勤ルートにしている知人から、聞かされていたのだ。
「あなた、ボクシングファンなら知ってるだろう。数ヶ月前にニュースでやってた元チャンピオン、また池袋地下に戻ってるよ」「TVで見覚えある黒人だったから、多分間違いない」・・・と。
まぁ、だからと言って私が「どうのこうの」出来るワケではないので「あぁ、そうですか・・・」と寂しく答えるに留めていたのだが。
同じ人から「ワルインゲ氏、池袋の繁華街で倒れたらしい」
「その際、救急車が呼ばれたが、どこの病院も収容を拒否、ワルインゲ氏は夜の公園へ消えたらしい」
・・・などとの追加情報を聞き。
これも「ボクシング・ファンの業」と、池袋の公園界隈を徘徊する事、数回。
一応は・・・と「ホームレス救済」でネット検索を行い。
◆厚生労働省 社会・援護局地域福祉課
◆ホームレス自立支援センター(板橋区)
◆緊急一時宿泊所・自立支援センターに関する活動を行っている
日本共産党国会議員団ホームレス問題プロジェクトチーム
・・・・の電話番号をメモ。本人に遭う事があったら、施設への収容を切り出してみようと考えてみた。初対面で、こんなコト言っても「なんだ」と言われるかも知れんが。ホームレスの人は、行政の施設を毛嫌いする人も多いし、そもそもビザ等の問題で行政機関が受け入れるかどうかも分からない。
徒労に終わる可能性も高いのだ。
さらに、万一の事を考えて「在日ケニア共和国大使館」の電話番号もメモしておく。ここが助けてくれるかも・・・なんてのは甘い考えかも知れんが。
――駅前で座り込んでる「その手の人」に尋ね、最近ワルインゲ氏が良くいるというショッピングモールへ向かった。
某日の夕方、日テレの「ニュースプラス1」で「ホームレスになったメダリスト」が放送された。
偶々TVをつけてた為、奇しくもワルインゲ中山氏の「現在」を知るトコロとなってしまったのだ。
◆ワルインゲ中山
ケニア初のボクシング・メダリスト。メキシコ五輪フェザー級で銅、ミュンヘン五輪フェザー級で銀を獲得。
その後、来日しプロデビュー。75年に日本Jフェザー級の王者となった70年代を代表する名選手。
76年4月、WBC世界Jフェザー級の王座決定戦に出場し、リゴベルト・リアスコに8RTKO負け。
田中風太郎に判定勝ちして再起(日本王座防衛②)、1戦挟んで、カルロス・サラテのWBCバンタム級に挑戦、4RKOに退いた。
サラテ戦の後、笠原優に敗れて日本王座を失い、その後1勝3敗の戦績を残し、網膜剥離となって引退。
十条でスナックを始めたが暫くして閉店、コーチなどをして生計を立てていると風の噂は聞いていたが。
2年ほど前から池袋駅周辺でホームレスをしているそうで。TVでは、仕事探しを行うも50代後半の黒人に雇用はなく、彼を知る者に請われて公園でボクシングを教える事で数千円を得てる・・・と紹介。
駅の方針で地下道を追い出され、公園で寝泊りするようになったワルインゲ氏。
TVでは、降雨に晒され移動する一行。「だいじょうぶ?」とクルーを気遣うワルインゲ氏。いい人な雰囲気。
ボクサーである息子さんは「金を出すからケニアに帰って欲しい」と言うが、ケニアに帰っても仕事があるとは限らず。
ワルインゲ氏は、再び必死で職探しを再開。数10社に問い合わせるも全てダメ。
藁をも掴む気持ちで、千葉の弁当会社の面接に臨む。なけなしの金で中古の背広を数千円で購入して出撃。そして遂に採用!
慣れない労働に疲れ、パートのオバちゃんに怒鳴られながらも、タイムカードを押す喜びを噛み締めるワルインゲさん。
大阪には、年上で60才過ぎた日本人の奥さんが居り(ただし見た目は、お若い)。手紙と電話で連絡を取るも、現在の状況は話せない。
就職先の社長から、格安の部屋も与えられ念願の棲家も出来た。
大阪まで向かって直接奥さんにホームレスになっていた経緯などを話そうとしても、しっかり者の奥さんがショックだろうと話し出せないワルインゲ氏。
いよいよ最後になったらケニアに同行しても良い・・・とは言ってくれたが、年齢的に厳しいとも返答され。
とにかく、職は見つかったと新たな出発を祝福する形で、TVの特集は終わったのだが。
それから数ヶ月、彼は戻って来てしまったのだ。
職が見つかって、最後に池袋の「友人たち」に合いに行き、給料で酒とツマミを買って皆に振る舞い「寂しくなるヨ」と語って、最後の夜を池袋の路上で過ごすワルインゲ氏に「不安」を感じたのだが・・・・。
やっぱり戻って来てしまったのね・・・・。
「三日やると辞められない」と言われるのがホームレスだもんね・・・。
そしてネットで色々検索しても、ホームレス救済で出てくるのは「共産党」ばっかりなのね。
こっちゃ、ボランティア経験なしだい!そっち方面でもド素人ですよ!
あぁ、オレまで藁をも掴む思い。いよいよ俺も共産党入りかぁ!?!?!?(←まぁまぁ)
・・・・何度か空振りしたワルインゲさん探しだが。
正直、今回も空振りに終わりたい気分だった。
そう思いながら、某ショッピング・モールを徘徊。3Fのベンチに、それっぽい人々を見かけ、その中にTVで見た黒人さんの姿を発見。
あぁ・・・、見つけちゃった。
微妙に落胆しながら、意を決して声掛けを決意。眠たげに頭をコックリし、視線を上向きにしたワルインゲ氏に「こんにちは」と挨拶する。
「ワルインゲ中山さんですね」
そう声を掛けると「はい」と返事。
「僕、ボクシング・ファンなんですけど、お話きかせて貰えませんか?食事でもしながら」と続けると
ワルインゲさん、「あぁ、いいですよ」。
私、「じゃあ、ここじゃなんだから外のレストランかどこかで。奢らせて下さい」
ワルインゲさん「じゃあ、トイレ行ってから」
私「あ、ハイ」
ワルインゲ「あ、男子トイレ工事中だ・・・」
私「あ、女子トイレ入ったらダメですよ!!!」
――腕持って引っ張ってしまった。細かい事に拘らない人だ・・・。
表の商店街を歩きながら、話は始まった。
私「TVで見てたんですけど、決まった職はどうしたんですか?」
W「弁当屋さんは、1年の契約で切れマシタ。また、1から出直しですヨ」
私「契約更新は無かったんですか?あんな部屋まで与えてくれた社長だったのに」
W「いい部屋だったのヨ、凄く良かっタ。でも契約は1年で終わり・・・」
私「どっちが、更新しなかったんですか。社長の方が?」
W「ウ、ウン・・・」
私「・・・(どっちだったんだろう?辛くて辞めちゃったのかなぁ?それとも
TVの肝煎りで部屋まで用意してただけだったのかな?)」
W「私、もともとタイル職人ですよ。でもタイル職人、仕事ない。左官さん
までタイル職やってる」
私「組み立てるだけの壁に、最初からタイル貼られてますからねぇ・・・」
W「そう。このあいだ、前に世話になってた監督さんに連絡してけど、 やっぱり無かったですヨ」
私「厳しい御時世ですからねぇ・・・」
――さてさて、何にも考えてなかったが。
どこの店でメシ食おう?(笑)
長めに座れるトコロで、客の風貌を気にしなそうなトコロ(まぁ、ワルインゲさんはジャンパーにジーンズと普通の格好ではあったが)。
以前、連れと行った中華料理店を思い出し商店街の角を曲がり、連れ立ってエレベーターに乗る。
私「日本タイトル獲って、あのサラテに挑戦したんだから、尊敬モノですよ」
W「サラテは強かったヨ、全部揃ってた。スピード、パワー・・・」
私「他に日本絡みでサラテと戦った人いないですよね。怪物だったし」
W「身体も大きかった・・・」
店に入る。おぉ、昼食時間でバイキングだ!食べ放題なら充分に食ってもらえる。
私「食べ放題だから、お皿取ってドンドン盛って下さい。スープ飲み
ますか?」
W「ハイ、すみません」
スープとお冷をよそって、テーブルに置く。
ワルインゲさんは凄まじく盛ってきた。チャーハン、春巻き、酢豚、八宝菜、Etc.Etc.....
私は・・・このあと泳ぎたいから、腹八分目にしなければ。
2人で中華料理を突付きながら、ボクシングの話を続ける。
私「最初のオリンピック出場は東京五輪ですよね」
W「そうそう、東京ヨ。ほとんど海外なんて行った事なかったヨ」
私「初めての海外遠征ってワケじゃないですよね(五輪に出るくらいだから)」
W「う~ん、2回目だったナ。イギリスには行ったから。コロニーの大会ネ」
私「英連邦のアマ大会ですか?」
W「そうそう。でも東京にはビックリよ。私、子供だったから」
私「確か、16歳くらい・・・」
W「そう、若かったネ」
私「バンタム級ですよね。桜井さんとは・・・」
W「対戦はしてないヨ。あの人、金メダル獲ったけど、プロの世界チャンピ
オンには・・・」
私「当時の王者がオリバレスですから・・・。サラテと一緒で怪物ですよ」
W「もう、メキシコの神様ヨ。人気すごかったヨ、サラテ。ウェルターから
ミドル挑戦した、あの、あの選手と同じヨ・・・」
私「ホセ・ナポレスですか?」
W「いや、いや、思い出せないなァ。最近だめネェ・・・。あの、プエル
トリコの・・・」
私「ウィルフレド・ベニテス?」
W「いや、いや、このまえウェルター級のチャンピオンとやった・・・」
私「あぁ、フェリックス・トリニダード!」(メキシカンじゃないじゃん)
W「そうそう!TRINIDAD!」
私「トリニダード、僕スキですよ!最近の選手も見てらっしゃるんですか?」
W「ボクシング・マガジンも見てますヨ。KOするから人気ありますよネ、トリニダード」
私「ある意味、サラテとも似てますね。長身なのにアウトボクシングせずに
KOを狙うトコロなんて。WOWOWも見てるんですか?(どうやって?
・・・とは聞けないなぁ)」
W「ハイ、見てますヨ。今もボクシング教えたいですヨ。仕事が無いから
出来ないですけど。仕事ないとダメヨ・・・」
私「トレーナーだけじゃ生活できないですもんねぇ、日本じゃ・・・」
W「チャンピオン何人も育てたらね、エディ・タウンゼントさんみたいに、
それだけで食べられるけど・・・」
私「そうですねぇ・・・・」
――あぁ、なんかダウナーな話になって来た。
明るい話に戻さなければ。
私「メキシコで銅、ミュンヘンでは銀メダル。ケニアのアマボクシング史上
初でしたよね!」
W「そう。陸上はメダル獲ってたケド、ボクシングでは初めて」
私「ミュンヘンと言えば、パレスチナ・ゲリラがイスラエルの宿舎を襲撃して
17人が亡くなるテロがありましたよね」←オイオイ、どこが明るい話
なんだよ!!!
W「オ~、そう!そんな事あったヨ!!宿舎、すぐ横だったヨ!」←でも、
凄く食いついてくるワルインゲさん
私「えっ!?その時いたんですか!?」
W「試合に勝って喜んでると思ったヨ。パンパンパンて」
私「祝勝会でクラッカーか何か鳴らしている・・・と」
W「そう!そしたら次の朝、警官がイッパイよ。ビックリしたよ!」
私「選手村の中でのテロですもんねぇ・・・。最近でも色々あるけど・・」
W「コワイよ」
ワルインゲさんが、御代わりに立った。そして、また山盛りのチャーハン、豚の角煮、麻婆豆腐、野菜炒め、Etc.Etc....
チラリと飲み物テーブルを見て「ビールは無いネ」と呟くワルインゲさん。
「昼食バイキングですからね」と、やんわり却下するワタクシ(笑)。
ホームレスの人は寒さを紛らわすための飲酒から、アルコール中毒に陥る人も多いという。社会復帰に妨げあるといかんし、私はこのあと泳ぎに行くんだから、目の前でビール飲ませるワケには行かねぇんだよ!!!!←誰に怒ってんだ?
ホントは、ビールの一本も飲んでもらえば、もっと機嫌よく話してもらえるんだろうが・・・。
つ~か、オレだって中華バイキングなんて、たまにしか食えないし。モリモリ食ってビール飲みてぇよ!!!!
――などと言う思いを隠して話を進める。
テーブル下には、資料のプリント(笑)。チラ見しながら話を続ける。
私「オリンピックではフェザー。プロではバンタムとJフェザー。減量は
厳しかったですか?」
W「バンタムの時は苦しかったヨ。体重作るだけでイッパイよ」
私「Jフェザーでは大丈夫だったんですか?アマ時代より落としてますけど」
W「そっちは大丈夫。アマにはJフェザーないし。私がWBC初めての
タイトルマッチだったヨ」
私「リアスコ戦は、初代王者決定戦ですもんね。リアスコの印象は?
大きかったですか」
W「大きかったヨ~」
モリモリ食べるワルインゲ氏。
W「でもロイヤル、ミュンヘンではメダル獲れなかったのに、プロの世界
獲れたよネ。いつの間にか強くなったヨ」
私「巡り会わせですよね・・・」
W「でも、ロイヤルがリアスコとやる時、ワタシ大阪からスパーリング・
パートナーで行ったよ」
私「ロイヤルさんの?」
W「そう、リアスコのテクニック、ワタシ分かってたからネ」
私「ロイヤルさん、パンチあったでしょう?」←お前、リアスコのテクニック
ってどんな?・・・とか聞けよな!
W「あった、あった!スゴかったよ!」
どれくらいの貢献があったか分からないが、そんな「協力」もあったんだなぁ・・・・。
W「そういえば、サラテ戦の後もう一回、世界のチャンスあったのですヨ」
私「え、決まりかけてたんですか!?」
W「うん、ゴメスとやるの決まってた」
私「え~!!!ウィルフレッド・ゴメスですか――――!?!?!?」
W「ウン」
私「また、強いのと・・・・」
私が驚き、呆れる姿を見て、ワルインゲさんは笑っていた。
・・・まぁ、晩年のロイヤル小林さんもサルバドール・サンチェスに挑戦する話も進んでたって話しだし、水面下で、ワルインゲさんのゴメス挑戦が決まり掛けてても不思議じゃないのだが。
もちろん、ロイヤルが韓国で初防衛を果たしていたら、「対ワルインゲ」なんてカードも・・・。
私「でも、サラテ戦の次で笠原優の挑戦受けて・・・(ワルインゲ氏、
日本王座の5度目防衛に失敗)。この時には身体が・・・」
W「この時には、もう左目が悪かったですヨ。見えてなかったですよ」
私「・・・(それでゴメス戦ですかい)」
W「最後の方は、ご飯食べるのも、こ~んなに傾いて食べ物見るから、家族と
一緒に食べてて『おかしいよ、病院行ったがいいよ』って言われて、
それで病院行ったらアウトですヨ」
私「はぁ・・・(あんた、笠原戦含めて5戦してんじゃん・・・)
W「でも、その病院、コミッション直属の病院だったヨ。東京に来た時の事
だったから、そんなの知らなかったヨ。すぐコミッションに知らされて
アウトよ!ハハハハ」
私「ハハハハ・・・」←おいおい、一緒に笑ってどうすんだよ!!
W「カイチョーに凄い怒られたヨ、次の試合決まってたから、ハハハハ」
私「ハハハハ・・・」←だから一緒に笑ってんじゃねぇよ!
W「それまでは、スワヒリ語すこし知ってる関係者サンが、視力検査の時に
隣にいて、スワヒリ語で『ウエ』『シタ』とか教えてくれてたヨ~。
ワッハッハッハ」
私「ハハハハハ(・・・・って、オイッ!!!!)」←心の中で突っ込んで
どうする!?!?
――ワルインゲ氏の手元には、デザートが。レモン・ゼリー、杏仁豆腐、アロエベラ、フルーツ盛り合わせ・・・4杯目だ。
私「アロエベラ、身体にイイですよね」
W「うん、おいしいヨ」
私「現役時代は、フルーツ一杯食べましたか?」
W「お~、イッパイ食べたよ!」
フルーツも、皿に山盛り。マンゴー、リンゴ、柑橘類、バナナ・・・。
オレもデザート取って来よ。
再び日本デビュー当時の話に戻る。
私「最初から強い人と対戦してますね、デビュー3戦目で牛若丸原田です
もんねぇ(ワルインゲさん判定負け)・・・」
W「デビューが8回戦で、次から10回戦ヨ」
私「(ほんとにエリートだったんだなぁ、この人・・・)普通だったら、
6回戦、8回戦でキャリア積みますよ。でも、相手の人が嫌がるか、
そんな凄いアマキャリアある選手とは・・・」
W「ハハハ、それと私28才だったから。時間なかったですヨ」
私「それで、13戦目で日本タイトル奪取ですね。相手は江藤清一」
W「そう、エトウ」
私「判定でしたね」
W「ウン、私ハードパンチャーじゃなかったから。テクニシャンね」
私「ポイントは、大差でしたか」
W「ウン、大差ヨ」
私「そして沼田久美に勝って・・・」
W「ウン」
私「でも、沼田さん、その後に世界挑戦して」
W「ハハハ、そうだったネ」
――まだまだデザートを頬張るワルインゲさん。
W「日本じゃ世界タイトルマッチ出来なかったですヨ。テレビのスポンサー
付かなかったですヨ。テレビ付かないと出来ないですよ」
私「ヨネクラ・イコニなんて良い選手だったけど、米倉会長は『テレビが
付かないから世界挑戦できない』って嘆いてらしたそうですね」
W「そう、イコニもネ・・・」
私「イコニも世界挑戦してイイ実力者だったんですけど、海外でも挑戦
出来なかったですね。色々あって・・・」
W「私、みんな海外で挑戦ですよ」
私「しかもサラテですもんねぇ。43戦して42KOくらいの時でしょ?」
W「間違えたよ~(笑)。ゴメスとドッチにしようかって話で、ゴメス連続
KOだったから、サラテが良いって挑戦したら、とんでもなく強かったヨ
(笑)。ワタシ間違えたよ~」
私「ハハハ・・・、サラテだって凄いKO率だったですもんねぇ」
W「だから、ユーリが日本で世界タイトル獲った時、羨ましかったですヨ」
私「金平さんが上手かったんでしょうねぇ。ペレストロイカの話題の波に
乗って・・・」
W「金平さん、そうネェ」
私「メインにミッキー・ローク連れてきたりして、僕ら『ふざけんな!!』
って怒ったけど」
W「ハハハハ」
私「あれで他の客呼んで興行成立させて・・・。プロモーターとしたら
凄かったんでしょうねぇ」
W「そうネ。それでユーリ、世界チャンピオンになったヨ」
私「見た目も日本人に近かったから、やりやすかったのかも知れませんね」
W「・・・そうネ」
―――なんか、さり気にヒドイ事を言ってるオレ。つ~か、いつの間にか自分ばっかり喋ってるじゃねぇかよ!!!
私「サラテ戦は、メキシコのクリアカンですね」
W「(懐かしそうに)そう、クリアカン」
私「メキシコシティから遠かったでしょう?飛行機で首都に着いて、それから
汽車でクリアカンまで?」
W「そう、遠かったよ~。サラテ、凄い人気で、ワーワー凄かった」
私「メキシコ全土の英雄ですね」
W「すごかったヨ」
私「でも、ワルインゲさんの右ストレートで一瞬たじろいだ・・・なんて
当時のボクマガに載ってましたが」
W「ああ」
私「手応え、ありました?」(←ちょっとヨイショ)
W「そう、ね・・・」
・・・曖昧なリアクション。そうでも無かったのかしら。
私「クリアカンは、後にJ・C・チャベスが出てきたり
して盛んになる下地あったんですね。吉田秀三さんをKOしたファン・
アントニオ・ロペスとかもクリアカン出身だったし・・・(手元のアンチ
ョコ読みながら)」
W「ハハハ、そうネ」
私「サラテもピントールに負けて・・・。ピントールも好きだったんですけ
どね、私」
W「ピントール、サラテのスパーリング・パートナーだったよ。ず~っと
やって手の内を知ってたヨ。そしてサラテが、こうなって(手で下降線を
描く)、ピントールが、こうなった(手で上昇線を描いて)時でネ・・・」
私「それも巡り会わせですねぇ・・・。サラテ、後でカムバックしようと
したけどダメでしたね。ピントール戦の直後だったら何とかなったかも
知れなかったのに・・・」
W「難しいですヨ。選手は、ブランクあったらあった程カムバック難しい。
トリニダードだって、カムバック反対されてたですヨ」
頭に数日前の横田広明さんの姿が浮かんだ・・・・。
――話の流れで聞きそびれた事も、遡って聞いてみる。
私「ワルインゲさんが日本に来るキッカケは、スカウトですか?」
W「いや、スカウトないですヨ。向こうのコーチに日本人の知人がいて、日本で
プロならないか、って話されたですヨ。日本、あの頃プロボクシング盛ん
だったデスから」
私「じゃあ、契約金とかは・・・」
W「なしですヨ。日本チャンピオンなってもバイトしてましたヨ、私」
私「はぁ・・・(他の選手と一緒だなぁ・・・)」
W「本当はミュンヘンの前に日本に来る予定でしたヨ。でも、色々あって
3回オリンピックに行ったですヨ」
私「お国もメダル取れそうな人は、出て欲しかったでしょうね」
W「ハハハ、そうかもネ」
――ヘボ・インタビュアーが、また自分だけ喋ってる(涙)『色々あって』って『その色々』が何なのか聞けよ!
まぁ、ワルインゲさん食べるのでイッパイだし、訛りある日本語が聞き辛いってのもあるんだが・・・・。
ボクシングへの愛着は尽きず、ワルインゲ氏は最近も後楽園ホールを訪れる事があるそうな。
W「息子が選手してるんですヨ。その時は行ってますヨ」
私「でも、最近は試合されてないような・・・」
W「そうねぇ、試合が決まらないと練習しないですヨ。ワタシ、試合なくても
練習してましたヨ。毎日毎日ネ」
――指導者の顔を見せるワルインゲ氏。
W「ホントはね、ケニアにジム作って選手教えたいですヨ。そこから日本に
選手連れて来たいですヨ。でも、ケニアいま厳しい。ドリームないですヨ」
私「若い人が目標もってジムに通えない程・・・」
W「そう、ドリームないですヨ。ワタシ4年前まで、3年に1度はケニアに
帰ってたけど、どんどん厳しいになってマス」
私「そうですか・・・(無知だなぁ、オレ)」
W「ワタシも仕事ない。ドリームないです・・・」
私「・・・ケニアも厳しいし、日本も厳しい。私なんかも『給料安い』とか
言いながら辞めたら他に仕事ないから、我慢してヤってますよ」
W「ハハハ、そう」
私「後楽園ホールでも安い席ですよ。一時は月に35万もらって、そこそこ
の席で見れるようになったけど、立ち見に逆戻りですよ。上京したてで
若い頃はOKだったけど、もう長い時間立ちっ放しは辛いですよ(笑)。」
W「ハハハハ、そうね」
――さてさて。
ぼちぼちワルインゲ氏の今後の話でも伺おうか・・・。
事前の下準備として、豊島区の窓口対応を探るため色々と連絡はしてはいたのだが。
「ワーキング・ビザの事もあるし、本人の意思もあるから、区の保護課で対応できるかは何とも言えない」・・・当然のような反応を貰い。まずは本人の意志を確かめる。
私「ケニアに帰る予定は無いんですか?」
W「ケニア帰っても厳しいデスよ。日本の方がマシです」
私「TVで見たら、奥様も『最後は行ってもイイ』との事でしたが・・・」
W「でも、奥さんもトシだから厳しいですヨ。奥さんに今のコト言ってない
ですヨ(苦笑)」
私「しっかりされてる奥さんに見えましたが」
W「ハハハ、そうネ!」
私「ビザなどは・・・?」
W「ワーキング・ビザ、更新してマス。大丈夫ですヨ」
私「じゃあ、生活保護など行政の支援は・・・」
W「日本人の奥さんいるから、大丈夫と思いますヨ。それよりパーマネント
ビザに切り替えしたいですネ、次の更新では」
私「永住ビザですか」
W「そう、永住ビザ」(←こんな日本でも永住したいですか・・・)
私「普段は食事とかは・・・?」
W「友達に貰ったり、炊き出しに行ったりしてますヨ」
私「炊き出しですか(ドキュメントではコンビニの余り弁当をホームレス仲間
から貰っておいでだったが・・・)」
W「新宿や板橋、大久保・・・。教会での炊き出しもありますし、区役所で
クラッカー貰う事もありますヨ」
私「新宿ですか・・・。交通手段は・・・?」
W「歩いてですヨ。上野まで歩く事もありますヨ」
私「(行政機関の食料支給は受けてるワケか・・・)じゃあ、夜などは?」
W「寝る所は、ネパール人の友達の所へ世話になったり・・・。公園の方に
いるですヨ」
私「テントですか?(それとも段ボールハウス?)」
W「いや、まぁ・・・ね」
――もう寒さも厳しい、このままでは冬越せませんよ。
んな身も蓋もない事を言わねばならないワケだが。そんな義務は無い筈だったのだが。
何を勝手にそんな行動を取っているのか私は。
私「でも、もう寒いですよ。11月も後半、これから12月・・・」
W「そうね」
私「身体、大丈夫ですか?」
W「元気、ゲンキよ」
私「でも、少し前に倒れたって話ですけど・・・」
W「(怪訝そうに)アナタ、どこで知ったのですか?」
私「知り合いが教えてくれまして」
W「大丈夫、いま元気ですヨ」
私「そうですか・・・」
腹減って目ェ回しただけならイイけど。倒れたとき自国のお言葉つぶやいていたって話じゃないですか・・・(涙)。
W「冬は寒いですからネ。日本の冬は今でも慣れないですヨ」
私「どうするんですか?夜の寒さは厳しくなる一方ですよ」
W「ハイ、板橋区の一時保護センターへ入るつもりなんですヨ」
私「は・あ、そ・そうですか・・・!」(←拍子抜けで呆ける)
W「手続きして、12月の13日から入る事になったんですヨ」
私「それがイイですよ!このまま寒くなったら冬越せないですよ」
W「しばらく、そこに入ってますヨ」
私「期間は・・・?」
W「3ヶ月・・・ですネ」
私「そうか、冬の間ですね。そうか、それがイイですよ」
――既に「所謂シェルター入り」の準備はされていたようだ。ホームレス同士の情報交換があったのかも知れないし、私より前に行動された方がいらっしゃるのかも知れない。
ま、私じゃ役者不足だし。良かった良かった・・・。
私「でも、まだ半月近くあるし。寒さは深まるから、気を付けて下さいよ」
W「そうね、気をつけますヨ。仕事も見つけないとネ」
私「そうですね。頑張りましょう」
W「ガンバリましょう」
――店も混んで来た。そろそろ出ますか・・・と席を立つ。
勘定を払う間、ワルインゲ氏は壁に貼ってある同店スタッフの交流写真を見入っていた。
W「このお店は・・・中国人の人ばかりですネ」
私「華僑は世界中にネットワークありますからね。(ケニアのコネクション
が日本にデカく展開されてたらなぁ・・・・)」
W「ケニアにもチャイニーズ・レストランありますよ」
私「チャイニーズの人は、どこに行ってもコミュニティ作りますからねェ
(ワルインゲさんも同じ事を考えておいでか・・・)」
――お値段は割安で、食べ放題バイキングで1人1000円であった。
私「安かったですよ、あれだけ食べて1人で1000円」
W「ホ~、高くはないネ」
私「お腹一杯になりましたか?口に合いましたか?」←愚問だ!
W「お~、こんなにお腹イッパイなったの久しぶりですヨ!おいしかった
ですヨ!」←そりゃそうでしょ、すんごい食ってらしたもんなぁ
私「具合悪くならないで下さいよ(笑)」
W「ダイジョ~ブ!ありがとう」
―――いやいや、すんごい、お腹膨れてますよ(笑)。
結局、事前の下準備など・・・徒労に終わった。
しかし、良い徒労だった。
ワルインゲ氏は、準備済みだった。
ワルインゲ氏は、優しい良い人だった。
ワルインゲ氏は、悪インゲ氏ではなかった。
良インゲさんだった。
まぁ、だからと言って予断は許されないが。12月13日まで、まだ日にちあるし。
急に健康を害する事だってあるだろうし。豊島区の窓口には、顔を出して緊急時の受け入れ関係を確認しといたがイイだろうな・・・。
オレが出来る事もタカが知れてるし。職を世話できる程のチカラ無いし。
結局は本人次第だし。
ボクシング・ファン300人が1万ずつカンパして、ワルインゲさんに飲み屋など持たせたとしよう。
多分、すぐ潰す。
直接話して。彼の大らかさ、優しさは社会生活に適さない部分も感じさせた。
雇用に恵まれない事、救急車での搬送を病院に拒否された事。
これは、明らかに人種差別が作用しているが。声高に、今それを糾弾しても何も変わらない。
選手としても機会に恵まれず(世界戦2度は充分とも言えるが、いずれも敵地で、しかも1度は強豪王者サラテと・・・って意味じゃ恵まれたとは言えないだろう)、いま雇用の機会にも恵まれず・・・。
彼自身、社会生活を送るに足りうる「自身への厳しさ」が欠落している感もあるが(飲酒が現状への引き金になったとの話も聞いたし)・・・。
「ワルインゲさんは日本に来て良かったと思ってますか?」
・・・この質問は出来なかったなぁ。
◆P.S.
別れ際、ボクシングHP管理人である事を告げた。
私「あの~、僕、HPなんて作っててですね」(・・・オズオズ)
W「ア~ハ~ン(ちょっと怪訝そう)」(外人風)
私「今日、お会いして話した事をですね・・・」(・・・オズオズ②)
W「ア~ハ~ン」(やっぱり英語風)
私「・・・HPに書き込んでイイですか?」
W「オゥ、いいですヨ!」
――メシ食わせて貰ったから何でもイイよ!
そんな感じで快諾を受け、このたび、当BBSにUPする事となりました。
取り敢えず、ワルインゲさんの今冬は何とかなりそうです。
以上、池袋リポートはオシマイ。
ホント、身体に気を付けてくださいね・・・・。
【P.S.】
このインタビューから2年過ぎ
池袋には再び徘徊するワルインゲ氏の姿が見られたという・・・