あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

北島2冠の道③

2008年08月31日 | 競泳
2004年アテネ直後も「競泳伝道師」として精力的に国内試合に出場した代表
選手達、疲労も心配されたが、五輪向けの練習の余韻か、驚くほどに好調な
タイムを記録。

北島も例外では無く、ユニバシアードクラスの大会では、メドレーリレーで
自由形を披露するサービス精神も見せた。

この時期は、大きな大会ではなくても「五輪メダリスト出場」となると会場は
埋まり、ましてや2冠・北島登場となると、異例の満員になる事もあった。

そのせいか分からないが、大会入場料も、しっかり値上げになったのでした。
(選手の育成などに使われるのならイイですんけどね)

北島も、海外選手招待大会で50m平泳ぎに精力的に出場するなど、
リフレッシュを目指す姿勢が見えたが、その裏では五輪2冠による
「燃え尽き感」もあったようで、それが練習量の不足や負傷に繋がって
いったとの事。

個人的には、「スピード強化」を掲げての50m参戦も、「ゆっくり大きく
泳ぎを伸ばす」北島の本来の泳ぎのはそぐわなかったと思うのだが

いまとなっては「気分転換」としてOKだったんだろうなぁ。
O・リソゴールら「専門家」には敗れたが・・・。

そして受難の2005年。

世界戦主権の選考を兼ねた日本選手権の200m平泳ぎ決勝で、まさかの3位。
同競技の世界選手権出場を逃す屈辱を味わった。
(ゴール後の憔悴した表情が忘れられないなぁ)

ただし、続く100mでは意地の泳ぎで出場権を奪取。
この時のスタート前の表情・目つきが、200mの時とは別人のように鋭かった
のが印象的。

本当に「気持ち」「顔」「目力」で泳ぐ人なんだなぁ・・・と感じ入った
ものでした。

北島2冠への道②

2008年08月31日 | 競泳
北島康介が日本の第一人者になったのは、2000年。

日本選手権100m平泳ぎで、トップ選手にして憧れの対象だった林亨を
日本記録で破り優勝。
シドニー五輪の200m平泳ぎで予選落ち、100m平泳ぎ決勝で4位となる。
※その際、林亨氏へ「林さんと同じ(五輪)4位だったよ」
 と語って「お前はこのまま4位で終わるタマじゃない」と
 励まされたエピソードは有名。

2003年、世界水泳バルセロナ大会100m、200m平泳ぎにて、優勝。
世界記録を更新しての2冠を達成し、いよいよ世界のトップ選手に。

2004年8月、アテネ五輪平泳ぎ100・200mで金メダル獲得。
その時に発した「チョー気持ちいい」は、同年の流行語大賞に選ばれる。

五輪直前には故障が伝えられ、またブレンダン・ハンセンに世界記録を
破られた後でのレースだっただけに、北島の勝負強さがクローズアップ
された。

また、五輪期間中にハンセンの同僚であり100m背泳ぎ金のアーロン・
ピアソル(米)が、「北島は(スタート時に反則の)ドルフィンキックを
行った」と抗議したが、運営側はルールの範囲内として失格を宣するような
事はなかった。       

これは「スタート後に身体を戻す動きを推進力とする巧妙な技」なワケで。

スタートの飛び込みで体勢を伸ばしたままだと身体は沈み、そのままだと
浮力で水面に近付いた時には失速しているのだが、
この失速を防ぐためにスイマーは入水直後に身体を反らせ、速い浮き上がりの
体勢を作る。
その反った体勢から、ストリームラインと呼ばれる「一直線」の流線型に
戻す動き・・・これが「ドルフィンキック」に似た形になる。
ここに推進力が生まれる。

コンマ0.0秒のギリギリ勝負では、この推進力でさえバカにならない。
水中動作の技術が天下一品といわれる北島が、ギリギリの「技術」を磨くのは
当然とも言えた。

なお、世界水泳連盟は、2006年から「スタート、およびターン直後にドルフィン
キックを1回打つ事を認める」とし、ルールは改正された。

私は、このルール改正が北島有利に働いたと見る。
水中動作が増えるという事は、そこに「技術」が派生するという事。
スタートとターンの技術に定評のある北島が、そこで他を抜きん出る事は
容易に想像できたからだ。

北島康介、2冠への道①

2008年08月30日 | 競泳
日記が凄まじく滞った。
原因は、北京五輪後遺症・・・。

北島2冠でボ~ッとしたままだったのですよ。

横浜まで見に行った日本選手権で惨敗したり
(追い上げてきた2選手に刺されたのには驚きましたよ・・・)、
アテネ以降はB・ハンセンに全敗だったりと
「モチベーション低下」「肘や膝の負傷」など・・・

五輪の半年前までは明るいニュースは少なかっただけに、
今回の「金」は、見てる方も感無量。

そりゃ、北京直前の国内試合で「200m世界新」という、希望が再び灯る大きな出来事はありましたが

「なあに、大一番でこそ地力を発揮する男だ、北京で勝って、『結局、ハンセンは五輪で北島に勝てなかった』ってな事になるさ」・・・と
希望を述べつつも、どこか痩せ我慢だったワタクシ・・・。

でも、やってくれたのですよ。
現実に五輪2冠、うちひとつは「世界記録」。

参った。
100m準決勝でリキんだと云われる泳ぎから、決勝での「前半抑えて後半上げる」泳ぎへの「修正」。
平井コーチとのミーティングで弾き出された「修正点」を、決勝で実践した底力。

参りましたよ。
本当に凄いアスリートです。個人的には、今、最強です。

北京オリンピック雑感⑦

2008年08月29日 | 競泳
中村礼子の200m背泳銅(ここも高速化の波に埋もれる可能性も少なくなかった)
男子メドレーリレー堂々の銅(北島の快泳に彼の「伸びしろ」を感じた)
・・・と
素晴らしい結果も記憶に残る。

泳いで泳いで泳ぎまくった北川麻美(スイム・オフで記録伸ばすなんて・・・・)、
ハンサムな風貌でも注目を浴びた宮下純一、
素材爆発を期待された伊藤華英(メダル届かず・・・)など
印象深い選手は多かった。

そして「レースが終われば健闘を称えあう」選手たち。
コースロープを越えて北島を祝福に来たブレンダン・ハンセンの笑顔・・・
「やりきった」爽快感さえ見られたダーレ・オーエンの表情・・・
武者修行の地に「日本」を選び、平井門下にもなった好漢デュボス(仏)・・・

みな素晴らしかった。
彼らの勇姿を見る事ができた幸せを噛締めつつ、感謝あるのみです。

北京オリンピック雑感⑥

2008年08月28日 | 競泳
今大会の日本メダリストは、「連続獲得」選手が目立ったが。
無冠で帰国した選手も当然いるわけで。

柴田亜衣、中西悠子、森田智巳は、その時点でのベストを尽くしながら
「丸腰」の結果となった。

柴田は腰痛(ケガがなかった事が長所だった選手が故障を抱えるとキビシイ)
中西は他選手の脅威の伸び(高速化が最も目立った女子バタフライ・・・)
森田も同様(男子背泳もピアソルが200mでロクテに敗れる混戦、高速化・・・)
・・・・と
敗因は幾つか上がるが、ここは労いの言葉しか浮かびません。

国内選手も記録を伸ばし、五輪出場権を獲得する事さえ並では無い状況の中
フォーム矯正などで自己記録を伸ばし続けた中西など、賞賛に値したと思うが、
結果は「中国選手が世界新でワンツーフィニッシュ、女王ジェシカ・シッパーが銅」
という予想外のもので
「実力者イエジェイチャクでさえメダルに届かない現実」に、仕方ないか・・・とのサバサバ感もあり。

連続メダルは叶わなかったが、皆さんが「五輪メダリスト」である事実に
変わりは無い。
必ず今後の人生の糧になるものなのだから、その実績を誇りとして、日々を
生きて欲しい・・・と、切に思う。

北京オリンピック雑感⑤

2008年08月27日 | 競泳
「自分色のメダル」と
銅メダルを見つめながら語った松田丈志。

世界選手権でメダル獲得の経験ある選手だが、それでも五輪のメダルは格別だろう。

「ビニールハウス・ヒーロー」として有名になった松田だが、
それとは別に、その努力家ぶりから「正しい日本男児」の趣きあり。

世界選手権での200mバタフライでも
「良かった、松田の努力が報われた!」と思った人は少なくなかっただろう。

もちろん、選手はみな努力していて、ファンや関係者は全ての選手にメダルを獲って欲しいのだが、
なにか松田には、特にそう思わせる雰囲気がある。同情とかでなしに。
今回も松田のメダル奪取に深い感慨を覚えた人は多いだろう。

松田には、北島康介とは別の人間的魅力がある。

北島は「自分が勝つことで皆に影響を与える勝負師」。
松田は、別の意味での「好青年」「好男子」。

彼には、日本チームをまとめるリーダーとしての人格が備わっているのはないか。
または地域の名士として、九州のスポーツ界に貢献する可能性もある。

そういった意味でも「今後の松田丈志」に興味がある。

北京オリンピック雑感④

2008年08月25日 | 競泳
朴泰桓(韓)の「男子自由形アジア初」の金メダルに、これまた驚愕。

数年前、松田丈志が自由形で敗れた時にゃ
「なんでぇ、松田、10代半ばの子に負けんなよ~」とか思ったが。
いやいや、とんだ金の卵でした。

朴泰桓さんと松田丈志さんにお詫び申し上げたい。ペコリ。

朴泰桓は、200mでもフェルプスを追って銀。大したもんです。
奥村雄大の200m決勝進出だけでなく、アジア人自由形選手に希望を与える活躍でした。

400m自由形は、銀も中国選手だったしね。

Casa BRUTUS特別編集 安藤忠雄×旅 総集編 (MAGAZINE HOUSE MOOK)

2008年08月24日 | 生活
CasaBRUTUS特別編集 (MAGAZINE HOUSE MOOK)
マガジンハウス (編集)
価格: ¥ 2,000

「元プロボクサー」として最も成功している人物。
おそらく安藤忠雄氏は、その一人だろう。

その評価は高く、海外の建築賞受賞も数知れず。

メディアへの登場も多く、TVでもダミ声の関西弁と
バイタリティー溢れる行動力は衆目を集める。



CasaBRUTUSでは、2002年9月号の「安藤忠雄×旅」から
数度の特集が組まれているそうだが。
ムックとして一冊にまとめた「安藤忠雄×旅 総集編」は、
集大成ともいえるお得本だ。

安藤忠雄は、
ボクサーから突然変異的に建築家へ転進した人物ではない。

双子の弟が先に始めた事がきっかけで、
17歳でボクシングを始め、2ヶ月でプロデビューし、
13勝3敗7分けの戦績を残した彼だが

「リングに飛び出す緊張感、誰にも頼れない孤独な戦いで
得た経験は、その生きてく上で大いに役立っている。仕事は
常に真剣勝負だから」と語りながらも

幼少時には既に建築に興味を持ち、10代にして自己流で
設計を始め、20代で欧州などの建築を巡る旅に出ている。

特に建築家「ル・コルビュジェ」の影響は大きく
全集の収集から、現地への建築物詣で・・・など、相当の
刺激を受けておいでだ。

なにか、建築とは総合芸術なのではないか・・・などと、
興味が広がった。

そりゃ、ガウディの「サグラダ・ファミリア」などは知って
いたが

なんか、他の物も見たくなったなぁ。

北京オリンピック雑感③

2008年08月23日 | 競泳
往年の快速スイマー達の斜陽も印象深かった。

ピーターファンデンホーヘンバンド(オランダ)、
ローランド・スクーマン(南ア)がメダルに
絡めなかったのには寂しさを覚えた。

男子100フリーは予選から世界新の応酬で
「絶対王者」の時代では無い事を感じさせられた。

そして「水の王者」グラント・ハケット。
(こちらは長距離選手だが)

ハケットは、世界選手権で韓国の新鋭・朴泰桓に敗れ、
斜陽は感じていたが
「五輪では王者の貫禄を見せるか」と期待されただけに、
無念の銀メダル。

「彼に勝ったら数億!」と、米水泳界から懸賞金も
掛けられたほどの実力者が、若手選手の後塵を拝する
のは辛かったかも知れないが
それでも最後まで全力で泳ぐ様には「王者の威厳」が
感じられた。

妙な同情は不要か。

とにかく、彼らには「感謝と敬意」あるのみです。

北京オリンピック雑感②

2008年08月22日 | 競泳
競泳

やはり「フェルプス、大車輪の活躍」につきたか。
世界記録連発で8冠。

競泳決勝が米国のゴールデンタイムに合わせて午前にセットされたように
本国での注目度も並ではなかっただろう。

その中で当然のように金メダルを量産するタフネスには驚嘆するのみ。
「抗乳酸」「疲労回復」の素養が常人を超えるレベルと聞くが、
その素質を幼少からの豊富な練習量が伸ばした結果とも取れる。

彼も「競泳のみならず、全アスリートを代表する存在」だろう。
(特に米国では)

まあ、ミラクルも彼を救ったが、それも実力の内でしょうな。

※200mバタフライでの「神タッチ」
 抵抗ある水中で手を伸ばすより、空中から持って行った方が
 速いとは言え、あのタイミングは神がかっている!

 100mメドレーリレーでの「レザック快泳」
 世界記録を保持する相手に脅威の追い上げ・・・
 凄かった!同僚に恵まれるのも「実力のうち」か

・・・ただ
メドレーリレーでの「奇跡勝利」の後、喜びようがねぇ・・・
アホっぽかったというか・・・

イアン・ソープのような「品」には欠けるのな、スーパースターになるには。

ワールド・ボクシング創刊号

2008年08月21日 | ボクシング
ワールド・ボクシング創刊号

09年6月号にて休刊となったワールドさん。

購入を中断していた時期もあったが、
最近はワールドさんだけ買ってましたよ。
休刊は実に残念です。



感傷的になりながら・・・
創刊号をUP。

格闘技全般をカバーしていた「ゴング」誌から独立する形で
創刊された「WORLD BOXING」1982年5月号。

表紙はT・ハーンズ。
ネタ集めの為、全国のジムに「取り上げて欲しい事があったら」
~と呼びかけているのが、新刊雑誌らしかったな・・・。

北京オリンピック雑感①

2008年08月20日 | 競泳
競泳中心の観戦。

やはり
ブレスト北島の2冠に感動
・・・というか驚愕。

100m登場時の目つき。
研ぎ澄まされた目ぢからに「これは、やってくれるかも」。

準決勝の力みに
試合前の不安が当たった気がしたが。
決勝では「理想の泳ぎ」「パーフェクト」。

そして世界新。

もう ただただ脱帽。

そして200mでも横綱相撲
1位でゴールも 世界新ならず 場内はため息。

舞台が大きければ大きいほど力を発揮する。
こんな「次元の違う」アスリートが過去の日本に居ただろうか・・・。

「浮かび上がってトップは北島」
実況の声で心が躍り 「いける!」と こらがガッツポーズ。

インタビューで
「なんにも言えねぇ!」と
また、べらんめぇ口調で名言を残す。

競泳史上のみならず全スポーツ史上に残る選手だろう。
同時代に活躍を(苦しい時代も含め)見てこられた事を誇りに思う・・・。

世界名ボクサー100人

2008年08月19日 | ボクシング
世界名ボクサー100人

昭和55年に初版が発行されたが売り切れ、
これは増刷改訂版。

具志堅、アリ、ホームズ、モンソン、ナポレス、レナード、ハーンズ、
クエバス、ベニテス、デュラン、アルゲリョ、ゴメス、サラテ、
オリバレス、ジョフレ・・・・

穴が開くくらい読んだ。
紹介文も名文句だらけ。

気が付きゃ自分も似たフレーズを書いている。



企画監修は、
ゴング編集長・舟木昭太郎氏。

執筆者として、
朝熊伸一郎氏(デイリー)
芦沢清一氏(デイリー)
川名宏美(日刊)
小池幸雄氏(フクニチ)
佐藤武夫氏(東京中日)
早乙女貞夫氏(サンケイ)
前田忠夫氏(日刊)
吉田友美氏(東京中日)
・・・等、スポーツ紙記者の名前と

津江章二氏(共同通信)
足立健氏(フリー)
ジン・谷井氏(フリー)
前田吏氏(評論家)、
森屋了一氏(研究家)
寺内大吉氏(作家)
・・・といった方々の名前が並ぶ。

ボクシングは、当然ボクサーが居ないと成り立たないが
伝える人が居ないと、その感動は広まらない。

全ての方に感謝を述べたい。

日本名ボクサー100人

2008年08月18日 | ボクシング
日本名ボクサー100人

これは国内ボクサー版の「名選手100傑」。

日本スポーツ出版社「ゴング」の増刊。
「世界名ボクサー100人」が好評だったので国内版が
企画されたのかな?



「白井義男から具志堅まで」の副題どおりだが、スピーディ章や
千葉信夫、金沢和良らの「世界王者以外」の選手に対する記述も
印象深い。

巻末
「ゴングにはボクシングの記事が少ないと苦情が寄せられますが、
少しでも罪滅ぼしが出来れば」と編集のコメントが述べられている。

記録に関し、森屋了一氏への感謝も・・・。

北京オリンピック  競泳結果

2008年08月17日 | 競泳
8月17日( 日 ) 競泳
【男子1500m自由形決勝】
ウサマ・メルリ(チュニジア) 14分40秒84
グラント・ハケット(豪)   14分41秒53  
ライアン・コクラン(カナダ) 14分42秒69

【男子400mメドレーリレー決勝】
アメリカ合衆国(USA)  3分29秒34 世界新
オーストラリア(AUS) 3分30秒04
日本(JPN)      3分31秒18

米         豪           日
A・ピアソル H・ストッケル  宮下純一
B・ハンセン   B・リカード    北島康介
M・フェルプス A・ローターステイン 藤井拓郎
J・レザック   E・サリバン  佐藤久佳

【女子50m自由形決勝】
ブリッタ・シュテフェン(独) 24秒06
ダラ・トレース(米)      24秒07
ケート・キャンベル(米)   24秒17

シュテフェンは10代で金獲得。
トーレス、41歳でこの結果は立派!

【女子100mメドレーリレー決勝】
オーストラリア(AUS) 世界新 3分52秒69
アメリカ合衆国(USA)    3分53秒30
中国(CHN)          3分56秒11

豪             米
エミリー・シーボム   ナタリー・コーグリン
リーゼル・ジョーンズ  レベッカ・ソニ
ジェシカ・シッパー  クリスティン・マグナソン
リスベス・トリケット  ダラ・トレース