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大場政夫殿堂入りについて

2014年12月13日 | ボクシング
第25代WBA世界フライ級王者=大場政夫といえば
「永遠のチャンプ」である。

ルックスの良さに反し、下町出身らしい向こうっ気の強さを
感じさせる選手だった。

長身でリーチに恵まれた体型からして
ストレート中心のボクサー型だったが、今で言うトコロの「体幹の強さ」を
持ち合わせいた。
世界王者になってからはダウンを奪われた後の脅威の反撃によるKO劇で、
「逆転の貴公子」とも呼ばれた。
言うまでもなく人気ボクサーだった。

ノンタイトルで日本・東洋・世界の王者を降し、挑戦資格を得て
1970年10月、世界初挑戦でベルクレック・チャルバンチャイ(タイ)を
13回KOで降し、WBA世界フライ級王座獲得。
帝拳ジム初の世界王者となった。

1972年6月、世界1位で最強の挑戦者と言われたオーランド・
アモレス(パナマ)を5回KOに降し4度目の防衛。
この試合では、初回に左フックを浴びてダウンを喫し、荒々しく攻める
挑戦者のバッティングで額から出血するなど苦戦。
2回にジャブ連射からの右ストレートでダウンを奪い返し、5回に猛攻を仕掛け
KO勝ちを収めた。

1973年1月には、老雄チャチャイ・チオノイ(タイ)を12回KOに降し、
5度目の防衛に成功。
この試合も初回にチャチャイの右フックでダウン、しかも足を捻挫する
アクシデントに見舞わせたが、この試合でも負けじ魂を発揮。
最後は連打に次ぐ連打で元王者を沈めた。

その試合から1ヶ月も経たない1973年1月25日、
首都高を愛車シボレー・コルベットで走行中、カーブを曲がり切れず
大型トラックと正面衝突。
現役世界王者が23歳の若さで亡くなるという悲劇は、日本中の
ボクシングファンを嘆かせた。



亡くなった後も人気は高く、半ば伝説の存在として捉えられている。
ボクシングマガジンは没後約10年後の昭和57年4月号増刊、
「ボクシング魅力のすべて」にて 大場政夫の特集を組み、表紙にも
取り上げた。

シュガー・レイ・レナードやアレクシス・アルゲリョの姿もあり、印象深い増刊
でしたよ・・・。

ファンは大場の減量苦を知っており、
「バンタム級に上げて2階級制覇も可能だった」という声もあった。
反面、ダウン癖が付いた事を指摘し、
「次は立てないくらい効くダウンを貰う事になったかも」というマニアもいた。
※私は後者かなぁ・・・

とにかく、5度の防衛で殿堂入りは恵まれている気がする。
「ファンを熱狂させた存在」としての印象点が加味されたのかな。

大場の熱戦は日テレさんの世界戦の残り時間にハイライトで見て
「こんな凄い選手がいたんだ!」と感動したし、
後の深夜番組「朝までスポーツ」でフルラウンド見て感激を新たにしたので
彼の名前がメディアに大きく取り上げられるのは嬉しいですけどね。


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