映画
「チャンピオン」 金得九ストーリー
「CHAMPION」 製作年: 2002年
製作国: 韓国
上映時間: 1時間57分 配給: メディア・スーツ
2003 08/23 新宿武蔵野館で「チャンピオン」を見た。
専門誌でも紹介された、韓国映画「チャンピオン」。
'82年、ラスベガスで人気者R・マンシーニのWBA世界ライト級王座に挑み、不利の予想を覆して善戦。激しい激闘の末、命を落とした「金得九(キム・ドゥック)」の物語。
7月から新宿武蔵野ホールで公開されてるって事で。見てきました。
私自身は、マンシーニのWBA王座奪取試合であるフリアス戦を(確か)地上派で観て、金得九戦の記事も当時の専門誌で記事を読んでいるので、かなり感傷的な気分で鑑賞。
つい、所々でウルウルと・・・(情けねぇなぁ)。
やはり、ジョニー・オーエンやキコ・ベヒネス(最後の倒れ方が金得九に似ていたなぁ・・・)、金得九の名前を聞くと、今でも胸が痛みます。
映画の舞台は、70年代後半~80年代前半の韓国。
同国のボクシング界の覇気を感じる事の出来る秀作でした。
「友へ チング」のクァク・キョンテク氏が監督、「友よ」にてブレイクを果した劉五性(ユ・オソン)が半年をかけて肉体改造しボクシングのトレーニングを積んで、主人公「キム・ドゥック」を熱演。
金得九が所属した東亜ジムの関係者に取材し、金選手の若きエピソードも交えた脚本はドキュメンタリーに近く、これは正に金得九の伝記映画と言っても良いでしょう。
劇中に出て来る、元世界ランカーの金賢治・東亜ジム会長、同僚・朴鐘八(コメディアンのような役者が演じていた。意外と本人はひょうきんキャラだった?)、黄俊錫(出番は少なかったなぁ)達は、名前を聞くだけで「おっ?」と思わせてくれた。
米ラスベガスのシーザース・パレス。
金得九選手が控え室で会長の声を聞きながら試合直前のイメージトレーニング。
野外リングの眩い雰囲気を良く再現した入場シーンから、試合開始と同時にマンシーニ役の俳優と金得九(ユ・オソン)が、右フックを豪快に相打ちするトコロ(ロッキーvsアポロで、こんなの無かった?)から始まる物語。
故郷にて父を亡くし、母が再婚を繰り返した事から不幸な少年時代を送る金得九。
養父は彼を満足に学校に行かせず、同年代の少年達からは からかわれる。
金少年は家を飛び出し、ソウルへ向ってバスに無銭乗車する。
浮浪児のような生活を経て(これは後のシーンでフラッシュバックされる)
7年後、金賢治会長の東亜ジムに入門。
キムのボクサー生活が始まった。
この後、
絶対的父性の元に弟子の身心を鍛える会長の元、同僚のイ・サンボン、朴鐘八、黄俊錫らと励まし合い、プロボクサーとしての階段を上がっていく(特にイ・サンボンとは、屋台にて父親に恵まれぬ互いの身の上話を経て、義兄弟の杯を交わす)。
未熟なグリーンボーイ時代、計量後に冷たいジュースを飲んで腹を壊して敗戦。
会長に尻を棒で叩かれるシーンも。
(この時「お前は勝ったが今後も頑張るように」と叩かれる朴鐘八の大袈裟な痛がり方!)
勝利を重ねるとともに、インスタント麺(これを温めるのが「サムソン」製のボロストーブってのが・・・。韓国の人は泣けたろうなぁ)から、皆で貪る焼肉へと変わり。
ついに金は韓国のライト級王者へ。
「女は成功の敵だ!」と書いた紙を、ボロ部屋の壁に貼っていた金青年だが。
この頃、ジムのあるビルの新規テナントとして挨拶に来たOLに一目惚れ。
愚直でガムシャラな求愛が功を奏すが、女性の父親からの反対にあい、自暴自棄に。
自棄酒を飲んで合同練習に遅れた得九を、突き放す金賢治会長だが、「服を脱いで鏡の前に立て。ボクサーはミス・コリアより鏡をみるものだ。まず最初に戦う相手が鏡の中に居るからだ」と諭す。
(それにしても劇中の金賢治会長は、徹底して良き父性として描かれているなぁ。厳しい反面、「会長は他のコーチと違って夜ドタドタ歩かない。眠った俺達を起こさないように摺り足で歩くんだ」と同僚に話させたり)
奮起した得九は、OPBFライト級タイトルを奪取。
一躍、韓国ボクシング界のホープへのし上がった。
※しかし、タイトル名が、日本語字幕でも、ただ「OPBF」。
ボクシングファンなら分かるけど、
少し調べて一般の鑑賞者にも理解しやすい「東洋太平洋」の
ニュアンスを伝えて欲しかったなぁ。
ここで得九は、韓国ボクシング界のホープとしてマスコミにも取上げられ。
故郷へ感激の凱旋、
恋人とも婚約を認められ、一気に絶頂へと向い始める
(ここで結構いい気になったり、朴鐘八の世界戦無期延期の影響か、ライバルジムの引き抜きに乗りかけたりして、義兄弟イ・サンボンに諭されたりするのが人間味あってイイ)
そして、遂にWBAライト級王者レイ"ブンブン"マンシーニへの挑戦が決定
(しかし何で翻訳者は どいつもこいつも「ブーム・ブーム」って表記するんだぁ!?耳で聞ゃあ分るだろう!)
ラスベガスの砂漠でのロードワーク。
コーチに「息子がボクシングやると言ったら許す?」と訪ねる得九。
これにより婚約者が身ごもっている事がスクリーンを見つめる者に伝わる。
そしてマンシーニ戦。
ダメージで朦朧とした得九が、14Rのゴングに応じるところ、
灼熱の太陽が彼の意識の喪失を表わし・・・。
悲劇の予兆が・・・。
現地の病院に運ばれ、生命維持装置に繋がれた得九に、母親は話しかける。
婚約者は街角のTVで婚約者の絶命を知る。
泣きながら街を走る婚約者
(この辺、本当にストレートだなぁ)
そして、時は過ぎ。
閉鎖された東亜ジムの鍵を開く金賢治会長。
横には金得九の遺児の姿が。
ポスターがデラホーヤに変わっているのが時の流れを感じさせる。
壁に掛けられた歴代の代表選手。
柳明祐、張正九(右端は金相賢?)等に続き、父親である故金得九選手の写真が。
サンドバッグを叩く父親の幻。
そして、韓国という国家の青年期を懐かしむように当時の東亜ジムの活気が再びフィードバックされ。
映画はエンディングを迎える。
本当にストレートな映画です。
クァク監督は敢えて、そうしたのでしょうね。
金得九という青年の愚直なまでな真っ直ぐさを、当時の韓国の青年達の純情さを、そのまま表現したかったのだろうなぁ。
・・・というか、
「ゴッドファーザー」という映画が、米国マフィアをテーマにしつつ、「実はアメリカという国家そのものを描いた」と言われるように
クァク監督は、金得九というボクサーを主人公にしつつ、「韓国という国家の青年期」を描きたかったのではなかろうか?
その青年期は、日本の原風景にも通じる。
だから、金得九の愚直さは、我々の胸にも響く・・・。
国籍を超えて、若き日に何かに打ち込んだ人に見て欲しい映画だと思いました。
しかし、
ユ・オソンがハンサムな為、オカッパ頭の「金得九」は時に「カルロス・モンソン」や「ブルース・リー」に見えて困ったなぁ・・・。
「チャンピオン」 金得九(韓国)ストーリー 番外編
家に帰って無性に本物の試合が見たくなり、
VTRを探しまくって マンシーニvs金得九戦を見た。
米国TVの実況、
「キムのマネージャーもキムだ。セコンドもアナザー・キム(笑)。韓国で最もポピュラーな名前らしい」と、お馴染みティム・ライアン&ギル・クランシーの名コンビが語る(ゲストはS・R・レナード)。
このコメントは、そのまま映画でも再現されていた。
マンシーニが語った「映画は良く出来ているが。本物の金得九は、もっともっと凄かった」の言葉が納得できる挑戦者の善戦。
番組当初は、R・エリゾンドやH・カマチョ、E・ロサリオ、A・ガニガン等ライト級の強豪達が紹介され。
H・デービスやR・メイウェザー、G・コバーソンが登場し「マンシーニ、オレと戦え」とアピール。
ロサリオの後見人J・ジェイコブス氏がマンシーニのタレント性をコメントする。
金得九は、米国でも韓国でも限りなく勝機は少ないと思われていた。
しかし、第1Rサウスポースタイルから思い切り良く左ストレート・右フックを先制。
王者を慌てさせ、ポイントを挙げた。
放送席はクロスファイトに驚き、挑戦者の有効打に声を上げた。
15R制の廃止に繋がった試合、色々な意味で思い深い試合(これは「思い出の名勝負」にUPしたい)。
映画では、余りの悲劇のためか金得九の母親が自殺した事までは触れられていなかった。
やはり、映画を見て・現実の試合を見て思う。
世界タイトルと言う最高の舞台で、自国の選手が敗れ、命を失うなどと云う経験は、決してしたくないと。
もちろん自国選手で無くても、そんなのはゴメンだ。
「チャンピオン」 金得九ストーリー
「CHAMPION」 製作年: 2002年
製作国: 韓国
上映時間: 1時間57分 配給: メディア・スーツ
2003 08/23 新宿武蔵野館で「チャンピオン」を見た。
専門誌でも紹介された、韓国映画「チャンピオン」。
'82年、ラスベガスで人気者R・マンシーニのWBA世界ライト級王座に挑み、不利の予想を覆して善戦。激しい激闘の末、命を落とした「金得九(キム・ドゥック)」の物語。
7月から新宿武蔵野ホールで公開されてるって事で。見てきました。
私自身は、マンシーニのWBA王座奪取試合であるフリアス戦を(確か)地上派で観て、金得九戦の記事も当時の専門誌で記事を読んでいるので、かなり感傷的な気分で鑑賞。
つい、所々でウルウルと・・・(情けねぇなぁ)。
やはり、ジョニー・オーエンやキコ・ベヒネス(最後の倒れ方が金得九に似ていたなぁ・・・)、金得九の名前を聞くと、今でも胸が痛みます。
映画の舞台は、70年代後半~80年代前半の韓国。
同国のボクシング界の覇気を感じる事の出来る秀作でした。
「友へ チング」のクァク・キョンテク氏が監督、「友よ」にてブレイクを果した劉五性(ユ・オソン)が半年をかけて肉体改造しボクシングのトレーニングを積んで、主人公「キム・ドゥック」を熱演。
金得九が所属した東亜ジムの関係者に取材し、金選手の若きエピソードも交えた脚本はドキュメンタリーに近く、これは正に金得九の伝記映画と言っても良いでしょう。
劇中に出て来る、元世界ランカーの金賢治・東亜ジム会長、同僚・朴鐘八(コメディアンのような役者が演じていた。意外と本人はひょうきんキャラだった?)、黄俊錫(出番は少なかったなぁ)達は、名前を聞くだけで「おっ?」と思わせてくれた。
米ラスベガスのシーザース・パレス。
金得九選手が控え室で会長の声を聞きながら試合直前のイメージトレーニング。
野外リングの眩い雰囲気を良く再現した入場シーンから、試合開始と同時にマンシーニ役の俳優と金得九(ユ・オソン)が、右フックを豪快に相打ちするトコロ(ロッキーvsアポロで、こんなの無かった?)から始まる物語。
故郷にて父を亡くし、母が再婚を繰り返した事から不幸な少年時代を送る金得九。
養父は彼を満足に学校に行かせず、同年代の少年達からは からかわれる。
金少年は家を飛び出し、ソウルへ向ってバスに無銭乗車する。
浮浪児のような生活を経て(これは後のシーンでフラッシュバックされる)
7年後、金賢治会長の東亜ジムに入門。
キムのボクサー生活が始まった。
この後、
絶対的父性の元に弟子の身心を鍛える会長の元、同僚のイ・サンボン、朴鐘八、黄俊錫らと励まし合い、プロボクサーとしての階段を上がっていく(特にイ・サンボンとは、屋台にて父親に恵まれぬ互いの身の上話を経て、義兄弟の杯を交わす)。
未熟なグリーンボーイ時代、計量後に冷たいジュースを飲んで腹を壊して敗戦。
会長に尻を棒で叩かれるシーンも。
(この時「お前は勝ったが今後も頑張るように」と叩かれる朴鐘八の大袈裟な痛がり方!)
勝利を重ねるとともに、インスタント麺(これを温めるのが「サムソン」製のボロストーブってのが・・・。韓国の人は泣けたろうなぁ)から、皆で貪る焼肉へと変わり。
ついに金は韓国のライト級王者へ。
「女は成功の敵だ!」と書いた紙を、ボロ部屋の壁に貼っていた金青年だが。
この頃、ジムのあるビルの新規テナントとして挨拶に来たOLに一目惚れ。
愚直でガムシャラな求愛が功を奏すが、女性の父親からの反対にあい、自暴自棄に。
自棄酒を飲んで合同練習に遅れた得九を、突き放す金賢治会長だが、「服を脱いで鏡の前に立て。ボクサーはミス・コリアより鏡をみるものだ。まず最初に戦う相手が鏡の中に居るからだ」と諭す。
(それにしても劇中の金賢治会長は、徹底して良き父性として描かれているなぁ。厳しい反面、「会長は他のコーチと違って夜ドタドタ歩かない。眠った俺達を起こさないように摺り足で歩くんだ」と同僚に話させたり)
奮起した得九は、OPBFライト級タイトルを奪取。
一躍、韓国ボクシング界のホープへのし上がった。
※しかし、タイトル名が、日本語字幕でも、ただ「OPBF」。
ボクシングファンなら分かるけど、
少し調べて一般の鑑賞者にも理解しやすい「東洋太平洋」の
ニュアンスを伝えて欲しかったなぁ。
ここで得九は、韓国ボクシング界のホープとしてマスコミにも取上げられ。
故郷へ感激の凱旋、
恋人とも婚約を認められ、一気に絶頂へと向い始める
(ここで結構いい気になったり、朴鐘八の世界戦無期延期の影響か、ライバルジムの引き抜きに乗りかけたりして、義兄弟イ・サンボンに諭されたりするのが人間味あってイイ)
そして、遂にWBAライト級王者レイ"ブンブン"マンシーニへの挑戦が決定
(しかし何で翻訳者は どいつもこいつも「ブーム・ブーム」って表記するんだぁ!?耳で聞ゃあ分るだろう!)
ラスベガスの砂漠でのロードワーク。
コーチに「息子がボクシングやると言ったら許す?」と訪ねる得九。
これにより婚約者が身ごもっている事がスクリーンを見つめる者に伝わる。
そしてマンシーニ戦。
ダメージで朦朧とした得九が、14Rのゴングに応じるところ、
灼熱の太陽が彼の意識の喪失を表わし・・・。
悲劇の予兆が・・・。
現地の病院に運ばれ、生命維持装置に繋がれた得九に、母親は話しかける。
婚約者は街角のTVで婚約者の絶命を知る。
泣きながら街を走る婚約者
(この辺、本当にストレートだなぁ)
そして、時は過ぎ。
閉鎖された東亜ジムの鍵を開く金賢治会長。
横には金得九の遺児の姿が。
ポスターがデラホーヤに変わっているのが時の流れを感じさせる。
壁に掛けられた歴代の代表選手。
柳明祐、張正九(右端は金相賢?)等に続き、父親である故金得九選手の写真が。
サンドバッグを叩く父親の幻。
そして、韓国という国家の青年期を懐かしむように当時の東亜ジムの活気が再びフィードバックされ。
映画はエンディングを迎える。
本当にストレートな映画です。
クァク監督は敢えて、そうしたのでしょうね。
金得九という青年の愚直なまでな真っ直ぐさを、当時の韓国の青年達の純情さを、そのまま表現したかったのだろうなぁ。
・・・というか、
「ゴッドファーザー」という映画が、米国マフィアをテーマにしつつ、「実はアメリカという国家そのものを描いた」と言われるように
クァク監督は、金得九というボクサーを主人公にしつつ、「韓国という国家の青年期」を描きたかったのではなかろうか?
その青年期は、日本の原風景にも通じる。
だから、金得九の愚直さは、我々の胸にも響く・・・。
国籍を超えて、若き日に何かに打ち込んだ人に見て欲しい映画だと思いました。
しかし、
ユ・オソンがハンサムな為、オカッパ頭の「金得九」は時に「カルロス・モンソン」や「ブルース・リー」に見えて困ったなぁ・・・。
「チャンピオン」 金得九(韓国)ストーリー 番外編
家に帰って無性に本物の試合が見たくなり、
VTRを探しまくって マンシーニvs金得九戦を見た。
米国TVの実況、
「キムのマネージャーもキムだ。セコンドもアナザー・キム(笑)。韓国で最もポピュラーな名前らしい」と、お馴染みティム・ライアン&ギル・クランシーの名コンビが語る(ゲストはS・R・レナード)。
このコメントは、そのまま映画でも再現されていた。
マンシーニが語った「映画は良く出来ているが。本物の金得九は、もっともっと凄かった」の言葉が納得できる挑戦者の善戦。
番組当初は、R・エリゾンドやH・カマチョ、E・ロサリオ、A・ガニガン等ライト級の強豪達が紹介され。
H・デービスやR・メイウェザー、G・コバーソンが登場し「マンシーニ、オレと戦え」とアピール。
ロサリオの後見人J・ジェイコブス氏がマンシーニのタレント性をコメントする。
金得九は、米国でも韓国でも限りなく勝機は少ないと思われていた。
しかし、第1Rサウスポースタイルから思い切り良く左ストレート・右フックを先制。
王者を慌てさせ、ポイントを挙げた。
放送席はクロスファイトに驚き、挑戦者の有効打に声を上げた。
15R制の廃止に繋がった試合、色々な意味で思い深い試合(これは「思い出の名勝負」にUPしたい)。
映画では、余りの悲劇のためか金得九の母親が自殺した事までは触れられていなかった。
やはり、映画を見て・現実の試合を見て思う。
世界タイトルと言う最高の舞台で、自国の選手が敗れ、命を失うなどと云う経験は、決してしたくないと。
もちろん自国選手で無くても、そんなのはゴメンだ。
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