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月亭可朝さん死去

2018年04月07日 | 芸能
上方落語の月亭可朝(つきてい・かちょう)さんが3月28日
急性肺線維症で兵庫県内の病院にて亡くなっていた…。

享年80。

数々のエピソードと快作「嘆きのボイン」で一世を風靡した上方
タレント落語家第1号として知られ、「可朝やん」の愛称と呼ば
れた月亭可朝さん。急な訃報に驚いた。



可朝さんは昨年11月に33年ぶりの新曲入りCDを発表し、
東京でギター演奏や漫談のライブを開催。元気な様子だったが
その後、体調を崩していたという。

軽妙な存在で重鎮の名が似合わなかった可朝さん。
キャリアは古く、1959年に三代目林家染丸さんに入門。
しかし翌年ちょっとした事で早くも破門の憂き目にあう。

その後、桂米朝さんの預かり弟子に。
68年、途絶えていた月亭の亭号を継いで可朝を名乗った。

69年にはカンカン帽とギターを抱えた姿で歌ったコミック
ソング「嘆きのボイン」が大ヒット。

70年代からテレビやラジオなどで活躍し、桂三枝、笑福亭
仁鶴らと共に上方落語の人気者となった。

71年と2001年には参院選に立候補するも落選。
賭博やストーカー容疑で逮捕されたりと騒ぎを巻き起こしたが、
飄々とした風情でいつの間にか復帰していた。

落語を聞いた人によると、人間国宝・米朝師匠さん仕込みで
本格派で端正…と言わしめた。実力派でもあったという。



あの立川談志師匠とも仲は良かった。
「可朝やん、可朝やん」と事あるごとにエピソードを披露した。

最高だったのは談志師匠の参院選出馬時の話。

応援演説に来るはずの可朝師匠が現れない。
「どうしたんだ!?」

…というと「向こうも立候補した!」

理由が奮っている。

「あいつらには任せておけんわい!」


…心より御冥福をお祈りします。


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