さて、「金王八幡宮」を参拝した後、もう一つお詣りするところを計画しておりました。
昨年渋谷の年中行事の後、麻布の個展を見に出かけた時、途中で「永平寺東京別院 長谷寺」を見かけていたのです。正確に言いますと昨年のその日、途中で雨が降り出し、長谷寺の山門で雨宿りしたからです。その時は雨宿りに専念したのと御朱印帳を用意しておらず、御朱印拝受に思い至らなかったのです。
今年は違います。5月に本山永平寺で立派な御朱印帳を頂いておりますから、6月末の渋谷行では何とか御朱印を本山の御朱印帳で頂くつもりでした。
本堂でお参りし、さらに観音堂で「十一面観音」をお詣りしました。10mもある大きな観音様ですが、木造ですが金を施していない質素と言いますか曹洞宗らしい観音様をしばらく見上げておりました。また修行のための僧堂も立派なものが立っておりました。

御朱印は、大庫院の寺務所で頂きました。普通の大きさの寺務所でしたが、永平寺東京別院です。大勢のお坊さんが部屋にあふれてていました。永平寺だけでなく總持寺にも何度もお詣り行っておりますので、なんとなく最近お坊さんたちの僧衣の違いが分かるようになりました。
正装ではなく普段の僧衣ですがはっきりと違いがあり、事務所でのお仕事の格付けみたいなものも感じられました。
さて余談ですが、麻布にある「永平寺東京別院 長谷寺」のお墓についてです。手水舎の近くに看板が立っており、名のある蘭法医のお墓があると解説されていました。案内図を頼りに捜したのですが見つかりません。案内図がとても簡単でどうしてもわかりません。最近蘭方医の登場する時代小説を読んでいるのでとても気になったのです。
それはいいのですが、麻布にある有名なお寺の墓地です。とても立派なお墓が多いのには驚きました。麻布だけではなく、江戸の昔から山の手の代々続く名家のお墓なのでしょうか。
私がお参りする直前に、山門をベンツが入ってきて運転手がトランクを開けて供花や桶など墓参り道具を、若い奥様風の方に手渡ししているのを見ました。奥さまはいつもの事といった風で墓地に入って行かれました。さすが麻布と、見とれてしまいました。
昨年渋谷の年中行事の後、麻布の個展を見に出かけた時、途中で「永平寺東京別院 長谷寺」を見かけていたのです。正確に言いますと昨年のその日、途中で雨が降り出し、長谷寺の山門で雨宿りしたからです。その時は雨宿りに専念したのと御朱印帳を用意しておらず、御朱印拝受に思い至らなかったのです。
今年は違います。5月に本山永平寺で立派な御朱印帳を頂いておりますから、6月末の渋谷行では何とか御朱印を本山の御朱印帳で頂くつもりでした。
本堂でお参りし、さらに観音堂で「十一面観音」をお詣りしました。10mもある大きな観音様ですが、木造ですが金を施していない質素と言いますか曹洞宗らしい観音様をしばらく見上げておりました。また修行のための僧堂も立派なものが立っておりました。

御朱印は、大庫院の寺務所で頂きました。普通の大きさの寺務所でしたが、永平寺東京別院です。大勢のお坊さんが部屋にあふれてていました。永平寺だけでなく總持寺にも何度もお詣り行っておりますので、なんとなく最近お坊さんたちの僧衣の違いが分かるようになりました。
正装ではなく普段の僧衣ですがはっきりと違いがあり、事務所でのお仕事の格付けみたいなものも感じられました。
さて余談ですが、麻布にある「永平寺東京別院 長谷寺」のお墓についてです。手水舎の近くに看板が立っており、名のある蘭法医のお墓があると解説されていました。案内図を頼りに捜したのですが見つかりません。案内図がとても簡単でどうしてもわかりません。最近蘭方医の登場する時代小説を読んでいるのでとても気になったのです。
それはいいのですが、麻布にある有名なお寺の墓地です。とても立派なお墓が多いのには驚きました。麻布だけではなく、江戸の昔から山の手の代々続く名家のお墓なのでしょうか。
私がお参りする直前に、山門をベンツが入ってきて運転手がトランクを開けて供花や桶など墓参り道具を、若い奥様風の方に手渡ししているのを見ました。奥さまはいつもの事といった風で墓地に入って行かれました。さすが麻布と、見とれてしまいました。