まるみのあっちこっち巡り

ー33,000枚を超える写真とともに綴るお出かけブログー

バルト三国 ラディソンBLUスカイホテル(エストニア)

2017-06-16 15:16:22 | 2016 バルト三国



午後7時過ぎ、ラディソンBLUスカイホテルにチェックイン。
エストニアの首都タリンにあるホテルは、
旧市街から徒歩10分のビジネスセンター内にあります。
(写真はエレベーターホールに近い場所からの撮影)







最近改装されたというエレガントな客室に2泊。







スタイリッシュでモダンな内装、
無料Wi-Fiでブログも更新しました。







電気ポット、セーフティボックス、空調も問題なし。
フィットネスセンター、サウナも無料で利用でき、
コンシェルジュサービスや
ルームサービスも提供されています。







クローゼットはなく、ハンガーも
これだけとエコノミー。
客室数280の四つ星ホテルですが、
ビジネスホテルのようです。







バスルームも湯量も豊富、
排水も良好、問題ありません。







間接照明が照らすタリンの地図。
ホテルから港まで約1.3km、中央駅まで約3km、
ヴィル・ショッピングセンターまでは徒歩約5分。

日本からの直行便はありませんが、
タリン・レナルト・メリ空港まで約4.5kmです。

お部屋のチェックが済んだら
レストランへと急ぎます。

エストニア・タリン

2016.9.24
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バルト三国 スィグルダでランチ、そして、国境越え

2017-06-15 14:38:28 | 2016 バルト三国



スィグルダでの観光を終えてランチタイム。
歩いたり、塔に登ったりでお腹も空きました。







落ち着いた雰囲気のレストランですが、
写真を見ても記憶がなかなか蘇ってこないのです。
とても美味しかったとかその逆とか
際立った特徴がないと・・・。







スープ







あっ、ビールがなかなか出てこないので、
催促しようかと思ったのがここだったかもと
どうでも良いことを思い出したりするまるみです。







チキン料理

5日目、ほんの少しのライスが
うれしかったような。







デザート







ランチの後は、エストニアへと向かいます。
スィグルダから首都のタリンまでは約330㎞。
バスで5時間30分と長い移動となります。







バスはトイレ付きなのですが、
一度休憩があります。

かつてはここでパスポートのチェックなども
行われた国境だったのですが・・・。







その名残はあるものの休憩所となっていて、
実際の国境は少々離れていました。







こちらが休憩場所になります。
この先は、エストニアのホテルを目指しノンストップ。
平坦であまり変わり映えしない風景に

ラトビア・スィグルダ市他

2016.9.25
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バルト三国 ラトビアのスイス スィグルダ トゥライダ城博物館保護区

2017-06-14 12:21:24 | 2016 バルト三国



ラトビア最多来館者数を誇るのがトゥライダ城博物館。
11世紀以降の様々な出来事を物語る考古学資料、
文化や芸術の歴史を知ることができます。







古城の本丸は、現在は博物館になっており、
スィグルダの歴史に関する資料が
展示されています。







塔の上から素晴らしい景色が望めると聞き、
登ってみることにしました。







しかし、中世の古城にある塔ですから
登りやすいことはありません。
朝晩は寒いくらいなので
着込み過ぎて暑くなりました。







登ってみるとトゥライダ城が、赤煉瓦が
緑に映える美しい城だとわかります。
緑の豊かな古城の散策には
欠かせないビューポイントです。

トゥライダとはリーヴ語で「神の庭」という意味だとか。
リーブ人というのは、かつてこの地に住んでいた人々、
ガウヤ川を利用した交易を営んでいましたが、
13世紀に帯剣騎士団に占領されてしまったのです。







その後、川を境に西側がリガの僧正領に、東側は騎士団領となり、
両者が城を築き、職人や商人も住み着いて町が誕生しました。
騎士団がリーヴ人の城を破壊し、リガの僧正によって
同じ場所にこのトゥライダ城が造られたのです。







「庭師の家」の前で微笑むご婦人。
数回の改築をしながらも
その立体構造を維持している
19世紀中期の貴重な建築文化財です。







教会の内部も見学できます。
古の荘園についての物語が秘蔵されています。







領主邸、召使の家、鍛冶屋、猟犬係の小屋、
倉庫、蒸し湯、馬車置き場、
生け簀地下室などが荘園経営地に点在、
りんご園、ダイナの丘、ヤーニ丘などがあります。








四季がありますが、春と秋は短く、
冬の長いラトビアですが、
花々も短い秋を楽しんでいるようです。







衣類や雑貨、民芸品などのお土産も並んでいました。

ラトビア・スィグルダ市

2016.9.25
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バルト三国 ラトビアのスイス スィグルダへ ガウヤ川国立公園

2017-06-13 15:16:49 | 2016 バルト三国



リガを離れて約50㎞、ラトビアのスイスと呼ばれる 
深い渓谷と豊かな緑のスィグルダへ。

スィグルダは、19世紀末からリゾートタウンとして
賑わいを見せてきた場所で、新緑、紅葉、スキー、
季節を問わず静かで魅力的な雰囲気がします。







1207年に要塞陣地として建てられたリヴォニア騎士団の
古城であるスィグルダ城は、後に修道院として
改築されましたが、度重なる戦争で破壊されました。

写真はスィグルダ新城で、1878年に新ゴシック様式で
荘園領主クロポトキン家の居宅として建てられたのもので、
現在はスィグルダ県庁舎となっており見学はできません。







見どころとなる古城や景観は、ガウヤ川に点在しています。
このガウヤ川両岸周辺に見受けられたデポン紀からの
数多くの砂岩露頭を保護すべく、バルト三国最大で
ラトビア最古のガウヤ川国立公園が誕生しました。







こちらはグートマニャ洞窟、バルト三国最大の洞窟で、
最古の観光地ともなっているようです。

多くの出来事を目撃してきた赤砂岩の洞窟には
びっしりと落書きで埋め尽くされています。
中には16世紀の恋人達の名前もあるとか。







これは何だか新しそうですが・・・。







トゥライダの薔薇と呼ばれた美女が
洞窟前で恋人のヴィクトルと
会っていたという物語の舞台とか。







お土産よりシーソーが気になるまるみでした。







驚いたことに日本語の「おすすめ観光ルート」という
地図と案内が製作されていました。
(この記事作成にも利用しています)
スマホアプリで英語音声ガイドも利用できます。

右側は化粧室です。

ラトビア・スィグルダ市

2016.9.25
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バルト三国 オルガンコンサートを終えてのディナー

2017-06-10 12:00:50 | 2016 バルト三国



午後7時から約1時間、リガ大聖堂でのオルガンコンサートは、
屈辱的な席のために楽しんだとすると嘘になります。
オルガンは見えず、合唱団も見えず、
取り残されたような席でした。

オルガンの音色は聖堂内に響き渡っていますが、
太い柱が音を遮っているようで、
少年達の声は聞こえては来るものの寂しすぎました。

そもそもなぜここに席があるのかといった感じなのです。
(少年達の入退場は良く見えたのですが・・・。)







コンサートが終わってからのディナーは、
こちらのレストランで午後8時半スタート。







建物の奥にあるまるで中世の食堂のような部屋。







ワインで乾杯







スープ







メイン料理は、ロールキャベツ







デザート







食事が済むと各自ホテルまで歩いて帰ります。
日本よりも安全かもしれないかと思うほどです。
(再びバルト三国の領土を狙っているような動きもあり、
現在は、状況が違うかもしれません。)







オトナも自転車に乗って集合といった感じの
金曜日の夜でした。







かつては【バルトのパリ】と呼ばれたリガの街も
ソ連時代には手荒く扱われ、
【零落した貴婦人】と言われたとか。

今では、中世からの時を刻む旧市街、
魅力的な建築の新市街と
観光客を惹きつけています。

ラトビア・リガ

2016.9.23
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バルト三国 世界遺産リガ旧市街巡り③ 猫の家他

2017-06-07 14:09:36 | 2016 バルト三国



猫の家

大ギルド会館への批判を込めて作られた
屋根の上の猫の像は、当時と猫の向きが違うとか。

ラトビア人ということでドイツ人が支配する
ギルドの加入を拒否された商人が怒ってしたことですが、
大ギルド会館がコンサートホールに変わり、
猫は音楽に誘われて向きを変えたとか。







1階は現在カフェのようです。
この猫はリガのシンボルとなっており、
多くのお土産のデザインとしても
見ることができます。







中世のロマンを感じるような建物群、
ラトビアの首都リガは1201年建都の古い街、
コンパクトながらも魅力的な街です。

リガの街を最初に造ったのはドイツ人、
ドイツに似た風情があります。







屋根の上に座って本を読んでいるようですね。
夜は月や星の明るさを頼りに学んでいるのかしら?
こちらはアマトゥ(職人)通りにあります。







リガの街では空を見上げてみましょう。
屋根にいるのは猫だけでないのです。

この辺りは新市街となりますが、
20世紀初めに輝きを放った
ユーゲンシュティール建築の宝庫。
(独語でアールヌーボーの意味)
アルベルタ通りを中心に華麗な建物が並びます。

リガの大建築ブームと重なり、
市内中心部の建築の約4割は
ユーゲンシュティール様式なのだとか。







オブジェなのか石が転がっていたりもするので、
上ばかり見ていてもいけませんよ。







ブレーメンとは姉妹都市になっており、
ブレーメン市から贈られたブレーメンの音楽隊。
ロバを撫でながら願い事をすると願いがかなうと
ガイドさんに言われ皆が撫でることに。

このようなわけで撫でられたところは輝いています。







耳を澄ませばここかしこから
音楽が聞こえてきたりする魅力的な街。

1698年にスウェーデン軍兵舎の前に
建設されたスウェーデン門は、
リガに唯一残るかつての城門です。







リガ旧市街地区を防衛するために作られた
全長2kmにわたる牙城壁、
修復された姿で一部のみ残存しています。
ラトビアは従来要塞都市でした。

旧市街ではロマネスク、ゴシック、バロックなど
各時代の建築物を楽しむことができる世界遺産の街。
上を向いて、下を向いて、耳を傾けて歩けば、
この街の虜になってしまうかもしれません。

ラトビア・リガ

2016.9.23
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バルト三国 世界遺産リガ旧市街巡り② 三人兄弟他

2017-06-06 14:22:49 | 2016 バルト三国



ブラックヘッド会館

ハンザ同盟に参加していたリガの未婚の貿易商の集会所、
第二次世界大戦で14世紀に建造された建物は焼失。
1999年に忠実に復元された現在の建物(写真右端)は、
当時の華やかさを伝えるリガを代表する建築です。







聖ペテロ教会

ルーテル教会の教会で、教会についての最も古い記録は1209年。
数々の戦争、落雷、大火で焼失、尖塔が崩れましたが、
ソ連の崩壊とラトビアの独立で
再び教会として用いられています。

高さ123.25mの塔にエレベーターが設置され、
リガ市街を一望できるようです。







三人兄弟

リガに残る最古の一般住宅が右側の建物で15世紀、
2棟は17世紀の建造で、
真ん中の建物は建築博物館です。

窓税があった最古の建物は、
窓が小さいので暗い感じになりますが、
デザインに工夫を凝らしているようです。







入り組んだ細い路地がたくさんある旧市街。
その路地を歩けばどんな出会いが
待っているかしら?







Congratulation!!

えっ、グラス片手に移動ですか?







自転車で颯爽と。

リガは、バルト三国の中で最大の
都市で、人口は約70万人。
ヴィリニュスのような
のどかさはなく都会的です。

ラトビア・リガ

2016.9.23
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バルト三国 世界遺産リガ旧市街巡り① リガ大聖堂

2017-06-05 15:10:51 | 2016 バルト三国



13世紀からハンザ同盟の港町として繁栄したリガに戻り、
世界遺産に登録されている旧市街を巡ります。

リガの旧市街は、ダウガヴァ川と堀に囲まれた
0.5㎢ほどの地域で中世と近代の
二つの街並みが調和する古都。

旧市街北側の中心は、リガ大聖堂がある
ドゥァマ広場周辺の通りはほとんどが
この広場を始点にして四方に伸びています。







現存するバルト三国最古の建築の一つで、
1211年から建設が始まり、
その後何度も増改築がなされ、
18世紀後半に現在のような姿になったとか。

そのため、ロマネスクからバロックにいたる
様々なスタイルが混在している教会です。







高さ90mの現在の塔は1776年に建て直されましたが、
以前の塔はさらに50m高かったのだそうです。







美しいステンドグラスなどの装飾も見どころです。
聖堂内に響き渡るオルガンコンサートも有名で、
この日の夜の日程に入っていました。







騎士団が占領したリヴォニア
(現在のラトビアと南部エストニア)の
宗教的中心をなした教会です。







1883年に造られた重厚なパイプオルガン。
木彫りの彫像で装飾された
フレームは16世紀以来のものが
慎重に保存され、使用されています。

パイプは6718本、長いものは10mにも達するとか。
造られた当時は世界に並ぶものがない
最大級のオルガンであったのです。







教会の内部には墓碑銘や、
司祭やギルドの墓石などが展示、
やはり目をひくのは、
美しいステンドグラスの数々です。







現在は教会としての活動の他、
博物館ともなっています。
大聖堂南側にはかつての修道院の
回廊があります。

ラトビア・リガ

2016.9.23
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バルト三国 ルンダーレ宮殿でのランチ(ラトビア)

2017-06-04 15:22:46 | 2016 バルト三国



ルンダーレ宮殿と庭園を散策し、空腹を覚えた頃、
宮殿の中のレストランでランチとなりました。







真っ白な壁に高い天井、清潔感のある店内ですが、
ゴージャスな宮殿を見学した後だけに、
質素な感じもしてくるような。







一品目は彩りも美しいサラダ







メイン料理も彩り良く、
魚料理ということもあって完食。







デザートのアイスクリームもタップリ。

今回のツアーは総勢32名、全国から参加されています。
この日のお隣の席は三重県から参加されていて、
この年には2度三重県に行ったまるみの
記憶も鮮明なため、お話も盛り上がりました。







食事を終えると宮殿の敷地内の小路を歩き、
駐車場へと戻ります。







森の中に佇むルンダーレ宮殿を後にします。







再びリガへと戻りました。

ラトビア・バウスカ

2016.9.23
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バルト三国 ルンダーレ宮殿(ラトビア)

2017-06-02 14:43:18 | 2016 バルト三国



ホテルのあるリガから約80㎞、
ラトビアのゼムガレ地方の中心地バウスカへ。

こちらには「バルトのヴェルサイユ」と
例えられるルンダーレ宮殿があり、
4日目の観光はここから始まりました。







1736−40年にロシアの宮殿を手掛けた
ラストゥレリにより建てられ、
建設には延べ1500人の職人が参加したという
バロックとロココ様式の豪華な宮殿です。







ロシアの女帝アンナに愛された
ビロン公の夏の宮殿として用いられました。







宮殿内に入場するとロココ調の装飾に目を奪われます。







見どころは2階になります。

ヴェルサイユ宮殿より控え目な感じもしますが、
ロシアの女帝の愛人で意地が悪く、
不誠実で、金に汚いロシアの嫌われ者の
ビロン公にはもったいない宮殿。







宮殿の中は有料になりますが
写真撮影がOK







このようなシールを張ることになります。
リトアニアでもそうでしたが、
入場料とは別に撮影代がかかります。







東側の即位の広間として使用されていた「黄金の間」は、
この宮殿の中で最も代表的な部分で、
群を抜く豪華さです。
寄木細工のような床に温かさを感じます。







白の広間で結婚式などいかがでしょう?

宮殿内のボールルームとして使用されていた
真っ白な壁に囲まれたこの広間で
結婚式を執り行うのも可能なのだそうです。







豪華な天井を見上げるだけでも
首が痛くなりそうですが、
宮殿には138の部屋があります。






城の広大な庭はまさに緑の劇場。
フランス式の庭園になります。







西側は公爵や支配者階級の家族の
住居に使われていました。







宮殿と一緒にデザインされた庭園は南側に広がります。
ローズガーデンの大きさは9,000平方メートル、
12,000種とラトビアで最大の
コレクションを誇ります。

ラトビア・バウスカ

2016.9.23
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バルト三国 ラディソンBLUラトビアホテル(ラトビア)

2017-05-31 14:15:58 | 2016 バルト三国



「ラディソンBLUラトビアホテル」にチェックイン。
リガ中心部の世界遺産の旧市街から400mの
4つ星ホテルとなります。







スタイリッシュなインテリア、
スーツケースも床に広げられるスペースもあり、
寝に帰るだけの場所には申し分ないでしょう。
もちろん、無料Wi-Fi付。







シャワーブースはありませんが、
清潔で広々としたバスルーム、
湯量もタップリ。







ミニバー、紅茶/コーヒーも揃っています。







レストランEsplanadeでは種類豊富なビュッフェ、
リガで唯一の24時間営業のレストラン。
ディナー、朝食もこちらを利用しました。







ランチが軽かったのでちょっと欲張りました。
リトアニアのホテルよりずっと味が良くなりホッ。







デザートの種類も豊富で助かります。







和食を提供している「将軍」というレストラン、
「スカイバー」、カジノもあります。

クルーズの旅に慣れてしまったのでしょうか、
バスで長距離の団体ツアーは
疲れてしまい寝るだけです。







フロントは広々とスッキリしています。

ラトビア・リガ

2016.9.22
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バルト三国 ラトビアの首都リガへ

2017-05-30 14:01:54 | 2016 バルト三国



バスは国境を越えてラトビアへと入っていきます。
正式名称はラトビア共和国、
公用語はラトビア語、EU加盟国です。







車窓から虹が見えていました。

北ヨーロッパに位置し、バルト海に面する小さな国、
北海道の77%程の面積に
約200万人の人々が暮らしています。
平坦な国土の大半を森が占めます。







ラトビアの首都リガのホテルに2連泊となります。
この日のバスの移動距離は約390km。
チェックインも午後7時頃となりました。







リトアニア同様にラトビアも
トロリーバスが街の中を走っていました。
排気ガスを出さない環境に優しいトロリーバスは、
広い道路での少量の輸送に向いています。

日本では市街地を走るトロリーバス路線は廃止。
社会主義国・旧社会主義国の都市には
今も多く残されています。

バス、トラム、ミニバスもあり、毎朝5時頃から
深夜近くまで運行しているのだそうです。







リガの人口は約70万人、バルト三国では最大の都市で、
旧市街全体が世界遺産に指定されています。

ラトビア・リガ

2016.9.22
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バルト三国 十字架の丘を目指して

2017-05-28 13:09:08 | 2016 バルト三国



ランチの後はバスはラトヴィアのリガを
目指して緑の中を進んで行きました。

車内では2005年に放映された反町隆史主演テレビドラマ
『日本のシンドラー杉原千畝物語
六千人の命のビザ』のビデオが流され、
眠りたいところですが、久しぶりに見ることに。







途中、十字架の丘を目指します。
ここでまるみも十字架を選んで購入しました。







迷いに迷ってこちらの十字架に決定
十字架を購入する日があるとは
思ってもいないことでした。







十字架を持って丘を目指して歩きます。
もちろん強制されるものではありませんが、
折角来たので世界の平和を願いましょう。







リトアニア北部、シャウレイの北12kmに位置する
巡礼地である十字架の丘は、リトアニアの観光名所。

シャウレイという街は、北部リトアニアの
経済、文化の中心地ですが、2度の世界大戦で
旧市街や建物は破壊されました。







初めてここに十字架が建てられたのは1831年の
ロシアに対する11月蜂起の後であると
考えられているそうですが、今では十字架だけではなく
イエスの受難像、聖母マリア像、ロザリオなども。







そして、色々な国の言葉で
祈りや願いが書かれていました。







十字架の正確な数は分かってはいないでしょう。
今では誰でも自由に出入りし、
十字架を立てることができます。

この日だけでも多くの人が訪れて十字架を立てました。
朽ち果てそうなものもありました。







リトアニアがソ連の統治下にあった1944年から1990年、
十字架の丘は特別な意味を持っていたそうです。

丘へ行き十字架を捧げることで、
リトアニアの人々はリトアニアの
宗教や遺産への忠誠心を示し、
非暴力による抵抗を表していたのです。







ソ連は3度にわたりブルドーザーで
この丘にある十字架を撤去しようとしました。







ある本によると教科書で杉原千畝氏の人道的な行動を学び、
世界有数の親日国になったリトアニア。
天皇皇后両陛下のご訪問も他国の王族とは
どこか違うと尊敬の念を抱かれたとか。







複雑な歴史の中で痛みに耐えたリトアニアの人々
だからこそ理解してくださるのでしょう。
若年層は日本のアニメの影響かもしれませんが、
親日国の期待を裏切らないようにできたらと思います。

リトアニア・シャウレイ

2016.9.22
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バルト三国 カウナスでのランチ

2017-05-26 14:32:05 | 2016 バルト三国



カウナス市内観光も終了して、
ホテルでのランチタイムとなりました。







国内旅行では昼からビールは飲まないのですが、
海外では甘いジュースを飲むよりビール、
あるいはミネラルウォーターをいただきます。
それにしても量が多いです。







リトアニア料理の中で一番有名な食べ物が黒パンで、
「聖なる食べ物」とも呼ばれるそうです。
その黒パンを使ったおススメ料理が、
黒パンをくり抜いた容器に入ったスープ料理。

こちらはお皿に盛りつけられただけのスープですが・・・







こちらはじゃが芋を使った伝統料理で
「ツェペリナイ」という料理です。
品質改良が進んでいる日本のじゃが芋とは違い、
素朴な味わいとでもいうのでしょうか。







デザートはフルーツ。







ツアー料金に見合ったお食事なのだと思います。
お隣のポーランドを訪れた時は、グルメなツアーで
ランチでも食べきれないほどの料理が出ましたが、
それを思い出す旅でもありました。

リトアニア・カウナス

2016.9.22
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バルト三国 カウナス市内観光(リトアニア) 

2017-05-25 14:40:50 | 2016 バルト三国



広場の中心にある白い教会のような旧市庁舎、
建物の様子から「白鳥」とも呼ばれるようです。

市庁舎の建設は1542年に始められ、その建築様式は
主にゴシック、バロック、初期古典様式の3つから成り、
塔の高さは58m、現在は結婚登記所であり、
ミュージアムでもある存在感のある建物。

カウナスの見どころは、ヨーロッパでよく見かけるように
市庁舎前広場の近くに点在しています。







「ペルクーナスの家(雷神の家)」
リトアニアの貿易の拠点であったと考えられている
ペルクーナの家は、オリジナルのゴシックの
モニュメントで15世紀後半に建てられたそうです。

「ペルクーナス」という名前はリトアニアの
多神教の伝統を敬うためにつけられたといわれます。







聖ペトラスと聖パウリュスの大聖堂は、
カウナス市で最初の石造りの建物の一つで、
1413年頃にヴィタウタス大公の命により
設けられた大聖堂です。







残念ながら修復中ですが、ゴシック及び
ルネサンス様式の建築です。







1946年3月24日にこの町を襲った洪水の水位表です。
大きな被害を被ったことが想像できます。







アリとキリギリスのオブジェが気になり目を止めました。
機器や道具などを展示した通信に関する博物館とか。
カウナス市は美術館や博物館も多い街です。







目に留まるアートギャラリーもあったり、
豊かな歴史と若さに満ちた街を感じました。







学園都市カウナスの雰囲気が漂うようでしょう?







リトアニアでショッピングといえば、琥珀が有名です。
「リトアニアの金」とも呼ばれているようです。
かつてリトアニア人は琥珀を魔除けとして身に着けていました。
今では琥珀のセラピーも人気が高まりつつあるとか。







第一次世界大戦時、カウナスは
9つの砦に囲まれていたとか。
逃げ隠れできない道でちょっと怖い
ところに出てしまいました。







1503年完成のゴシック様式の教会は、
聖ゲオルギ教会。

17世紀の戦時中は3度の火災に遭い、
ナポレオンは倉庫に、ソ連占領時代は薬品庫と
数奇な運命を辿るものの現在は
本来の教会として活躍しています。

リトアニア・カウナス

2016.9.22
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