まるみのあっちこっち巡り

ー33,000枚を超える写真とともに綴るお出かけブログー

世界遺産 富岡製糸場と絹産業遺産群

2022-11-26 16:13:23 | 訪問した世界遺産



1872年、明治政府が日本の近代化のために設置した
富岡製糸場は、それまで欧米に限定されていた
産業革命を非西欧圏で初めて達成した証で、
ほぼ完全な形で現代まで残る貴重な近代産業遺産です。

上の写真は、1872年に建てられた富岡製糸場の東置繭所、
創建当時の状態のままで保存されています。







近代化の過程で生み出された鉄道や倉庫、
原料の繭を供給する養蚕農家などが、
桑畑とともに独特の産業文化景観として保存されています。







先進的な技術は国内各地に広まり、
日本は1920年代に世界一の生糸輸出国となりました。

そこで得た外貨は産業革命を軽工業から重工業へと
進展させる原動力となり、安価で上質な生糸は、
20世紀の世界的服飾文化にも貢献しました。

世界文化遺産 2014年登録 

日本

訪問日 2020.2.10

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世界遺産 慶州歴史地区<韓国>

2022-11-15 16:34:08 | 訪問した世界遺産



韓国・慶州は、紀元前57~紀元935年までの
約1000年間、新羅の都として栄えてきました。

朝鮮半島は4世紀になると高句麗、新羅、百済が鼎立する
三国時代を迎え、その後、高句麗、百済を滅ぼした
新羅が676年に半島の統一を成し遂げました。

現在、新羅時代の史跡が随所に残る
「屋根のない博物館」とも呼ばれています。
歴史地区は史跡の性格に寄り南山、月城、大陵苑、
皇龍寺、山城の5地区に分けられます。







大陵苑地区には、新羅王族の大規模な古墳群を整備した
公園があり、唯一内部が公開されている天馬塚は、
華麗な金冠などの多数の副葬品が出土し、
新羅文化の華やかさを伝えています。

世界文化遺産 2000年登録

韓国

訪問日 2011.4.30他 

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世界遺産 富士山ー信仰の対象と芸術の源泉

2022-11-04 15:05:31 | 訪問した世界遺産



日本列島のほぼ中央に聳える富士山は、
標高3776メートルの日本一の高さを誇る独立峰、
円錐形の秀麗な山容をもつ玄武岩質成層火山。







広い裾野には数多くの溶岩洞穴群、
溶岩樹形群、湧水群のほか、
広大な原始林などが点在しています。

写真は、世界遺産富士山の
構成資産の一つ白糸の滝です。







世界遺産富士山の構成資産は、25あり、
忍野八海の池もその構成資産のうちの8つになります。

写真は、忍野八海の一つの底地池。
ここで洗い物をすると水底に吸い込まれてしまうとか。
地底には泥が厚く堆積しており深さは不明です。

古来より人々に畏敬の念を起こさせ、
霊峰富士として多様な信仰の場としても崇拝され、
江戸時代には富士講が盛んに行われてきました。

富士五湖、三保の松原、富士山本宮浅間大社、
吉田胎内樹型、人穴富士講遺跡なども構成資産です。





広大な裾野がゆるやかに天を目指して
立ち上がる美しい姿は、
創造的な芸術作品を生む母体として、
多くの人々に愛され続けている文化的景観です。

世界文化遺産 2013年登録

日本

訪問日 2019.5.11他

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世界遺産 アントニ・ガウディの建築<スペイン>

2022-11-03 14:31:26 | 訪問した世界遺産



バルセロナは、スペインの他の地域とは
異なる文化を持つカタルーニャ地方の中心地。

19世紀にスペインでいち早く産業革命を成功させ、
バルセロナは建設の時代を迎え、
そこに登場するのが、カタルーニャが世界に誇る
天才建築家のアントニ・ガウディ。







苦学して26歳で建築士の資格を得たガウディ。

実業家グエル氏と出会い、彼の邸宅や公園を
手掛けるうちに自然の有機性を重視し、
構造から装飾まで建築を一つの生命体として捉え、
幻想的な形態を大胆に使う独自の様式を確立。

1883年、サグラダ・ファミリアの建築主任となり、
晩年はその建築に没頭しますが、
1926年交通事故死、一時は建設中止になるも
再開後は現在も建築中です。







バルセロナに残るガウディの作品は多数ありますが、
世界遺産に登録されたのは下記の7件です。

バルセロナにあるグエル公園、グエル邸、カサ・ミラ、
カサ・ビセンス、カサ・バトリョ、
サグラダ・ファミリアのご生誕のファサードと地下聖堂。
バルセロナ郊外にあるコロニア・グエル聖堂の地下礼拝堂。

世界文化遺産 1984年登録

スペイン

訪問日 2018.7.14他
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世界遺産 バチカン市国

2021-09-19 15:48:07 | 訪問した世界遺産



面積0.44㎢、東京ディズニーランドにも満たない
世界最小の独立国であり、
国全体が世界遺産となっています。

無数の美術品を有するカトリックの総本山、
全世界10億人のカトリック信徒の聖地であるので、
「世界最小にして最強の国家」といえるかもしれません。







美の宝庫・バチカン博物館を擁し、
キリスト教2000年の歴史を今に伝えています。

ラファエロの間にある壁画「アテネの学堂」も必見!
ダ・ヴィンチやミケランジェロ、
ラファエロ自身も登場しています。







博物館の内部には20以上の美術館があり、
見学できる部屋数は約1400、
それらをつなぐ通路は7㎞にも及ぶ巨大施設です。

ピオ・クレメンティーノ美術館の「ラオコーン」
システィーナ礼拝堂の天井画「天地創造」
ピナコテカ(絵画館)の
「聖ヒエロニムス」などがあります。







主要な建物のもう一つが、サン・ピエトロ大聖堂。
4世紀に聖ペテロの殉教地にコンスタンティヌス帝が建立し、
16世紀に大幅な改修が行われ、現在の姿になりました。
世界最大の豪華にして荘厳な聖堂建築です。







毎日曜、教皇から祝福を受けるため大勢の
カトリック信者が集うサン・ピエトロ広場です。
広場中央に立つオベリスクは、カリグラ帝が
エジプトから運ばせたものです。

世界文化遺産 1984年登録

バチカン

訪問日 2005.1.8

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世界遺産 ローマ歴史地区<イタリア>

2021-09-18 12:00:00 | 訪問した世界遺産



歴史と芸術に彩られた「都市の中の都市」ローマ。
現代までおよそ2500年間、ほとんど途切れることなく
芸術活動が行われ、その成果の多くが街に現存。
このような都市は世界でも類例がありません。







紀元前753年の建国から、一代帝国を築き上げた
ローマ帝国の中心地、古代ローマ時代の貴重な遺産が多く、
帝国最大の円形闘技場のコロッセオはその代表格。

映画「グラディエーター」の舞台に
立つことに興奮しました。







ローマに残る古代の遺構として有名なのは、
ローマ帝国の中枢フォロ・ロマーノ、
高度な建築技術でローマ建築の傑作パンテオン、
皇帝の偉業をたたえるコンスタンティヌス帝凱旋門など。







映画「ローマの休日」でおなじみのスペイン階段。
周辺は街一番のショッピングゾーンでもあり、
冬のバーゲンセール中ということもあり
大変混雑していました。







ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂は、
ローマの中心地に位置し、
無名戦士の墓として使われています。







ローマでは、至るところに遺跡や聖堂、モニュメントがあり、
それらに直接触れることで、イタリアの歴史だけなく、
ヨーロッパの歴史までを実感としてたどることができます。

ドイツの作家ゲーテも「ローマは私の大学だ。
ローマを知ることはすべてを知ることである」と、
『イタリア紀行』に書いています。

世界文化遺産 1980年登録

イタリア・ヴァティカン

訪問日 2005.1.7他

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世界遺産 フィレンツェ歴史地区<イタリア>

2021-09-01 15:59:43 | 訪問した世界遺産



「花の都」フィレンツェは14世紀に
ルネッサンス文化が開花した芸術の街です。

中世時代にメディチ家の元で経済的、
文化的に活躍、発展した歴史のある街で、
その支配は18世紀まで続き、
フィレンツェは都市国家として繁栄しました。







イタリア・ルネッサンスを象徴するドームを頂いた
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。

ドゥオーモは、フィレンツェのシンボル、
ゴシック建築と初期のルネサンス建築を代表する建築物。







中世以前よりこの場所に架かっているヴェッキオ橋、
一度洪水で流されたあと1345年に再建されました。

橋を挟んで、ピッティ宮殿、ヴェッキオ宮殿、
イタリア美術史に燦然と輝くルネッサンス期の
名画が勢揃いするウッフィッツィ美術館があります。







フィレンツェは、屋根のない博物館とも表されるほど、
稀有な建築物や彫刻などの芸術作品が残っています。

その残されている建物、美術館、教会そして芸術などが、
現在まで、イタリアだけではなくヨーロッパに
影響を与えたことから世界遺産に登録されています。







街全体が中世時代の雰囲気で、徒歩圏内に多くの
観光スポットがあるのが魅力となっています。
上の写真は、市民が集うシニョーリア広場です。

世界文化遺産 1982年登録

イタリア

訪問日 2005.1.6

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世界遺産 ミラノのドメニコ会修道院と「最後の晩餐」<イタリア>

2021-08-31 16:15:04 | 訪問した世界遺産



レオナルド・ダ・ヴィンチの最高傑作、
西洋美術史上の傑作、「最後の晩餐」を擁するのが、
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 。

付属する修道院の食堂壁面に描かれており、
1495年から3年間で完成させています。

「このなかに私を裏切る者がいる」と穏やかに
指摘するキリストと、その言葉に動揺する弟子たち、
この劇的な瞬間の緊迫感を遠近法を駆使した構図など、
天才の名画をじっくり鑑賞したいところです。

事前予約が必要で、制限時間もありました。







聖堂は、15世紀末にゴシック様式でほぼ完成、
19世紀にルドヴィコの命で
建築家ブラマンテが改築に着手、
ルネッサンス様式の
クーポラと後陣が増築されました。

世界文化遺産 1980年登録

イタリア

訪問日 2005.1.4

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世界遺産 ベネチアとその潟<イタリア>

2021-08-28 20:33:12 | 訪問した世界遺産



ベネチア共和国は15世紀にその繁栄の絶頂期を迎え、
「ベニスの商人」は、世界中の富を集めました。

しかし、北西ヨーロッパ諸国が地中海貿易に進出すると
徐々に衰退し、18世紀には1年の半分をカーニバルで過ごす
「歓楽の都」と化し、ナポレオンの侵攻により、
1797年、ベネチア共和国は消滅してしまいます。







潟(ラグーナ)に発達した砂州からなるベネチア。
当初から治水対策が最優先課題でしたが、
地盤沈下の危機にも直面しています。

中心街は120余の島からなり、
運河と橋で結ばれ、
自動車は乗り入れできず、
移動手段は徒歩と船だけです。







市街の中心に位置するサン・マルコ広場、
サン・マルコ大聖堂、ドゥカーレ宮殿、リアルト橋、
カナル・グランデ(大運河)沿いの邸宅のほか、
潟内に点在するいくつもの島もまた
世界遺産に含まれています。

世界文化遺産 1987年登録

イタリア

訪問日2017.7.1他

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世界遺産 ドゥブロヴニク旧市街<クロアチア>

2021-08-27 00:20:08 | 訪問した世界遺産



クロアチアの最南端に位置するドゥブロヴニク。
「アドリア海の真珠」と称えられる
アドリア海沿岸の都市の中でも
特異な歴史と美しい佇まいをもつ街です。

1400年の歴史をもつ旧市街は、
城壁に囲まれており、連なる屋根瓦のオレンジが
紺碧のアドリア海に映えます。







海上交易の重要拠点として発展したドゥブロヴニク。
15~16世紀に最盛期を迎えましたが、
地中海交易の重要性が薄れてくると衰退に向かい、
19世紀初めにはフランス軍に征服され、
共和制に終止符を打つことになりました。







城壁が取り囲む旧市街には、
後期ゴシック、ルネサンスの両様式を取り入れた
歴史的建造物が多く残っています。

20世紀末の内戦で破壊された建造物なども
市民の手で中世の街並みが忠実に復元されました。

世界文化遺産 1979年登録

クロアチア

訪問日2017.7.8
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世界遺産 ブトリント<アルバニア>

2021-08-26 00:21:57 | 訪問した世界遺産



アルバニアの南部にあるブトリントは、
紀元前6~前5世紀に開かれたギリシャの
植民都市を起源としています。

ギリシャ方面に領域を拡大しつつあったローマは、
紀元前167年にこの地を支配下に置き、
ギリシャ侵攻の基地とし、
ローマ皇帝アウグストゥスは、
ここに植民地を建設していったのです。

丘の上の中心部にはイオニア式の神殿、
公共浴場や円形劇場が建てられ、やがて水道橋や
室内競技場、噴水、聖堂まで建設されました。

500年に及ぶオスマン帝国支配の間に、
大地震や伝染病の流行などで廃墟と化しましたが、
20世紀に発掘が進み、数々の遺構が蘇りました。







1912年にアルバニアは独立しましたが、
すでにブトリントにはわずかな居住者しかおらず、
遺跡は沼地に埋もれて植物の生い茂るままの
状態となっていたのです。

人の住まぬ土地になったこともあって
周辺には豊かな自然環境が保たれており、
2003年にはラムサール条約の登録地にもなっています。

世界文化遺産 1992年登録

アルバニア

訪問日2017.7.7
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世界遺産 プラハ歴史地区<チェコ>

2021-08-16 14:34:06 | 訪問した世界遺産



ヴルタヴァ(モルダウ)湖畔に広がる古都プラハ。
9世紀、西岸にプラハ城の前身の城塞が築かれ、
司教座やボヘミア王国の宮廷が置かれて
次第に発展していきました。







14世紀に神聖ローマ帝国の首都として
「黄金の都」とうたわれるほどに繁栄したプラハ。
その後、幾たびもの戦争を経験しながらも
美しい街並みは残されていきました。







赤レンガ屋根の古い建物、石畳の入り組んだ路地、
ファンタジーな世界に引き込まれたような
プラハを訪れた人にしかわからない
特別なものがあるように思います。







2002年8月、チェコ、ドイツを中心に
ヨーロッパは記録的洪水にみまわれました。

チェコでは首都プラハで所によって3~4m浸水、5万人が避難、
チェコ全土では約22万人が避難、死者15名、
約30億ユーロ(約3800億円)の被害が発生しました。
およそ200年から1000年に一度の洪水であったといいます。

一部予定を変更しての観光となりました。
だいぶ水も引いたという話しでしたが、
本来の風景とは違ったものになっていたでしょう。







写真のカレル橋は、ゴシック様式のプラハ最古の橋。
全長約520m、幅約10m、両側の欄干に30体の聖人像、
車の乗り入れは禁止されています。

プラハ城は世界最大の古城としてギネスブックに記載、
現在は大統領府がおかれています。

数百年を隔た建築物が隣り合いながら調和し、
独特な景観を紡ぎ出す、“建築博物館”とも称される
プラハは建築の街、見応えのある建物に出会えるでしょう。

世界文化遺産 1992年登録

チェコ

訪問日 2002.9.26

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世界遺産 クラクフ歴史地区<ポーランド>

2021-08-09 08:00:00 | 訪問した世界遺産



クラクフは、11世紀から1611年のワルシャワ遷都まで、
約600年にわたりポーランドの首都として栄え、
当時はウィーン、プラハと並ぶ
中央ヨーロッパ文化の中心地の一つでした。







第二次世界大戦では奇跡的に破壊を免れ、
中世の街並みが残るクラクフは、
1000年以上もの歴史と数々の貴重な建造物から、
1978年に世界遺産に登録されました。







芸術・文化・貿易・学問の中心とされていたクラクフは、
現在でも、ポーランドの歴史を語るうえで重要な存在。

上の写真は、1364年にカジミエシュ大王によって
ポーランドで最初に設立されたヤギェウォ大学です。
(ちなみにこの時のガイドさんも卒業生でした)







コペルニクスや、前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世も
このヤギェウォ大学で学んでいます。
アーチ状の回廊が美しいコレギウム・マイウスは、
15世紀のゴシック様式を今に伝える貴重な建物です。

世界文化遺産 1978年登録

ポーランド

訪問日 2002.9.24

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世界遺産 アンコール<カンボジア>

2021-07-10 00:59:56 | 訪問した世界遺産



長い眠りから目覚めた東南アジア最大級の
石像遺跡群は、アンコール朝600年の栄華の跡。

中央に5つの尖塔が聳え立つ祠堂が
配置されているアンコール・ワットは、
カンボジアの国旗の中央にも描かれています。







長年にわたる放置や内乱により崩壊の危機にありましたが、
国際的な調査、修復活動により、かつての姿を
取り戻しつつあるアンコール遺跡群は、
朝日に、そして夕陽に映えます。







アンコールワット遺跡群は、9〜15世紀までクメール王国の
アンコール王朝が栄えていたころに建てられた遺跡群。
王朝が滅ぼされた後、400年の時を経て
フランス人植物学者によって発見されました。

ゾウに乗って山を登り、ジャングルの中にある
遺跡群を見た時の感動は今も忘れがたいものです。







遺跡群の中心となるのは、アンコールワット。
12世紀前半に建設されたヒンドゥー教寺院、
中央祠堂への参拝は「神へ近づくための登山」とされ、
かなり急な階段を昇ることになりました。







10~13世紀にはインドシナ半島中央部全体を支配、
26人の王を輩出したアンコール王朝は、
正当な血縁関係によらず、実力により王位を奪取する
王位継承がほとんどであったそうです。

そのため王権を神格化し、力を都城造営で示すため、
王は即位後すぐに新しい都城と王宮、
寺院を建設していきました。







約400㎢もの広大な土地を誇るアンコールワット遺跡群は、
かつての石造寺院や都城が大小合わせると
600以上も点在し、未発掘のものを全て合わせると、
およそ1000にも及ぶというものだとか。







アンコールワットは、1113年に国内を統一した
第18代王ヌールヤヴァルマン2世によって造られました。
ヴィシュヌ神を祀るヒンドゥー教寺院であり、
亡き王を神として祀る墳墓寺院でした。







精緻なレリーフは必見です。







アンコールトムは、1181年隣国チャンパを撃退し、
王に即位した第21代王ジャヤヴァルマン7世による造営。

アンコール王朝最大の都城で、
敬虔な仏教徒であったジャヤヴァルマン7世は、
その中心に仏教寺院バイヨンを建立。







バイヨン寺院の50を超える仏面塔の仏頭は、
「バイヨンの微笑み」とたたえられています。

ヒンドゥー教から仏教へ改宗した当時の
名残りも見られます。
(現在のカンボジアは仏教徒が多い)







アンコールワットとアンコールトムを結ぶルートの
東側にある仏教寺院遺跡タプロームは、
映画「トゥームレイダー」や
「トゥーブラザーズ 」のロケにも。

世界文化遺産 1992年登録

カンボジア

訪問日 2007.1.3~1.6

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世界遺産 法隆寺地域の仏教建造物

2021-06-22 00:59:02 | 訪問した世界遺産



奈良市の西方に広がる斑鳩の里は、
1400年の歴史を刻む聖徳太子ゆかりの地、
6世紀中頃に大陸から渡来した
仏教文化が花開いた場所です。







法隆寺は日本の最古の仏教建造物であり、
その後の宗教建築に深い影響をもたらしています。

聖徳太子と推古天皇により607年に創建、
金堂、五重塔を中心とする
西院伽藍と東院伽藍に分けられます。
西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群です。







東院伽藍の中心をなすのは夢殿。
現存する八角円堂では最古のもので、
堂内には太子の等身像といわれる
救世観音立像が本尊として安置されています。







606年に聖徳太子が法華経を講説されたという
岡本宮を寺に改めたものと伝えられる法起寺。

中門に入って左に金堂、右に三重塔があり、
その位置は法隆寺と逆で法起寺式伽藍配置ともいわれ、
当時は回廊も備えていたとされます。

創建当時の建造物として唯一残る三重塔の高さは24m、
現存する日本最古の三重塔であり、規模も最大。







法隆寺を中心に法起寺、中宮寺、法輪寺など、
7~8世紀に建造された木造仏教建造物11棟が集中、
よく保存されていることに高い遺産価値が認められ、
姫路城とともに日本初の世界遺産として登録。

建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、
仏教工芸品など多数の文化財を有しています。

世界文化遺産 1993年登録

日本(奈良県生駒郡斑鳩町)

訪問日 2007.5.2他

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