水戸藩の藩校である弘道館は、1841年に
水戸藩第9代藩主徳川斉昭により創設。
上の写真は、重要文化財の正門。
本瓦葺きの四脚門、総欅造り、
藩主の来館や正式な行事のみに開門。
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重要文化財の正庁は、学校御殿とも呼ばれる
弘道館の中心的な建物です。
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東日本大震災で甚大な被害を受けた弘道館。
ところどころ瓦の色が違うのは、
同じ瓦を用意できなかったためですが、
グラデーションのようで綺麗に見えました。
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ボランティアガイドさんとともに正庁の中へ。
正面に斉昭自筆の「弘道館」扁額が
掲げられていますが、時代を感じますね。
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正庁の玄関で、広い式台が設けられています。
舞良戸に1868年の弘道館の戦いの際の
弾痕がのこっています。
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明治維新の際、水戸藩では改革派(天狗党)と
保守派(諸生党)が激しく争い、弘道館もその舞台。
水戸藩の藩内抗争の最後の激戦で生じた弾痕。
文館・武館・医学館等多くの建物が
銃砲撃により焼失しました。
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正庁正席の間にも梅が描かれています。
藩主の臨席のもとで試験や諸儀式が行われ、
武術の試験もここからご覧になったそうです。
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最後の将軍徳川慶喜は、幼少期に弘道館で学び、
大政奉還後ここで謹慎生活をおくりました。
写真は、「弘道館記碑拓本」です。
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学問は一生行うものであるという
考え方に基いて特に卒業の概念を設けず、
若者も老人も同じ場で学んだといわれ、
学費も無料でした。
弘道館が有していた蔵書の多くは国有とされ、
現在、約1万冊程度の蔵書が現存し、
茨城県立歴史館が委託などで管理しています。
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徳川斉昭の意向により設立当初から
多くの梅樹が植えられ、
敷地跡は梅樹約60品種800本が
植えられている梅の名所です。
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日本最大規模の藩校、江戸時代の総合大学である
弘道館の敷地は、10.5haにも及びました。
水戸城三の丸に創設された藩校・弘道館は、
特別史跡に指定されています。
茨城県水戸市三の丸1-6-29
2023.2.20