J・ヘンダーソンがW・ショーと組んで1970年9月24~26日、カルフォルニアのHermosa Beachにあるライトハウスでライブ録音した作品。2枚目(右)の2曲はそのライブものですが、残りの3曲は約半年後、G・ケイブルス(eⅼp)を除きC・フラー(tb)を加えた別のメンバーでのスタジオ・セッション(NY)ものです。
リアルタイムで聴いた時はこれと言った特別な印象を受けなかったけれど、年齢を重ねた今、聴き直すと30代前半のヘンダーソン、20代後半のショーの心身共に充実したエネルギッシュなパフォーマンスに、素直に「若さ」って何物にも変え難いものと再認識します。
一枚目(左)の小難しいサブタイトルは政治結社ブラックパンサー党(Black Panthers )の指導者エルドリッジ・クリーバー の言葉を引用し、同名のオリジナル曲も演奏している。2枚目のタイトルもその流れを汲み、果たして党員だったかどうか分りませんが、かなり影響を受けていたようです。そうした政治的言動がジャズ・ファンから疎まれ、更に、当時の人気ブラス・ロック・バンド、BS&Tに参加するなど、迷走し始め、散発的にリーダー作を出しながら本来のスタイルに戻すものの忘れられた存在でしたが、80年代中期、BNの「ヴィレッジ・ヴァンガード」で舞い戻り、90年代にVERVEの強力なバック・アップにより復権した経緯は周知の通りですね。
ただ、その切っ掛けとなった1987年7月、イタリアのジェノバでのライブ”AN EVENING WITH JOE HENDERSON ・・・・・”(伊RED)を決して見逃してはならない。ジョー・ヘン、会心の、そしてテナー・マンとしての真骨頂を聴かせる畢生の名演です。
話を本2作に戻すと、この後、ヘンダーソンが右肩下がり、ショーは右肩上がりになって行く理由が何となく分かります。
ヘンダーソンは調子が良過ぎたのか、どの曲も目一杯、手の内、引き出しを開けてしまい、一本調子ではないけれど途中からどれも同じように聴こえてしまう。それに対し、ショーは描いているイマジネーションにまだスキルが追い付いていない部分が垣間見えるけど曲想をそれなりに理解し、吹き分け、2枚目のヘンダーソンの十八番曲”Invitation”ではスキップを踏むような軽やかなペットが冴えている。3ヶ月後、ショーは初リーダー作をコンテンポラリーに吹き込んでいる。一言でいえばこの時点での「伸びしろ」の差を感じます。
それはともかく、1970年、モダン・ジャズのあの熱気はまだ消えていなかった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます