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キリストを探し求めて

2024-12-15 12:29:23 | メッセージ
礼拝宣教   マタイ2章1—8節 アドベントⅢ 

羊飼いたちは、帰ってきました。博士たちは、帰ってきました。
彼らが帰って来たのは、どんな「ところ」だろう?
羊飼いたちがいた「ところ」博士たちが帰った「ところ」、
聖書の言葉はどちらも同じ。それらは、どんな「ところ」だったのか、
どちらもそこには、夜の風景がありました。
夜・・・、あなたの夜は、どんな夜ですか?そして、あなたの今は、夜ですか?
羊飼いたちが、主の栄光に照らされ、博士たちが、星を見た、それは夜のこと。
羊飼いたちは帰ります、その「ところ」、そこで、今日という日々が始ります。
私たちも、いつもの「ところ」に帰ります。そこはまた、夜が訪れます。
でもそれは、昨日とは違う夜なのです。光の訪れを待ち望む夜、そして、
ここに、その光!(一枚の届いたクリスマスカードより)

「お帰りなさい。」アドヴェント最終週となりました。いよいよ来週は主のご降誕をお祝いするクリスマス礼拝を迎えます。ご家族、また友人知人にもこの良き知らせを伝え、分かち合えると幸です。共に祈り備えてまいりましょう。

本日は、東方の占星術の学者たちの記事より、み言葉を聞いていきます。
彼らはユダヤのエルサレムに全世界の王なる主を探し求めて旅し、遂に神の御子キリストのもとに導かれていくのです。学者たちはベツレヘムでお生まれになったユダヤの王のしるしと思われる不思議な星を見て、ヘロデ王のもとを訪ねます。
この東方の学者は「マギ」とも言われていました。口語訳や新改訳では「博士」と訳されておりますが。それは当時のペルシャで広く知られた天文研究者や自然科学者を指していたようです。彼らは東方から来たとありますが、それはバビロンやペルシャという国の方角です。その地はかつてユダヤの人々が長い間捕囚の寄留民として暮らし、多くの人がそこに移住しました。そう考えますと彼らのルーツはユダヤ人や混血の人かもしれません。あるいは彼らの先祖を通して預言者エレミヤが語った王なるメシアの預言を知るようになった可能性も十分あります。その彼らが特別に輝く星を見つけ、「これは伝え聞いてきた王なるメシア、救い主がお生れになったしるしに違いない。」と確信し、贈り物まで用意して遠く危険な道のりをやって来るのです。いや、すごい信仰だなと思いますが。彼らは夜空の満天の星を見上げる時、天と星をお創りなった主なる神の存在を思い、畏れ敬う確かな信仰が与えられていたのではないかと想像いたします。その神の御子がついに地上に王として来られる。彼らは胸をときめかせながら、遙々エルサレムのヘロデ王の宮廷を訪れるのです。そうして「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちはその方を拝みに来たのです」と、真正面から尋ねるのであります。
主イエスは、「だれでも幼子のようにならなければ、神の国に入ることはできない」とおっしゃっていますが。まさに、この東方の学者たちは、神の救いの御子を礼拝したいという一途な心でエルサレムのヘロデ王の王宮を訪ねるのです。
今日もそれぞれに、主を礼拝するために対面・オンライン如何を問わずお一人おひとりが誰に強いられたわけでもなく、自ら進んでこの礼拝に集っておられます。遠方で1時間いやそれ以上の時間をかけて来られている方、歩くのが大変であるにも拘わらず来られている方、遠回りをして乗り合わせて送迎してくださる方もいらっしゃいます。先週は心臓のカテーテルの手術後間もない方が本当に喜びと感謝いっぱいの思いをもって礼拝に集われていましたね。素晴らしい笑顔でした。

もう15年も前になりますが、ある方が大阪教会のブログに寄せて下さった文章が目に留まりました。
「先日、教会のクリスマス・ツリーの飾り付けをしていたとき10月11日に入信したばかりの9歳のT君も一緒に手伝ってくれた。そのうちに彼は大きな星を見つけて『これどこにつけるの?』と聞いてきたので、その星の由来を説明した。東方の博士たちを導いた星のことを!すると、彼は『僕が飾りたい!その木のてっぺんに飾りたい!』小さい彼にはとても無理な話であった。人の助けが必要であることは勿論である。『ぼくが』という強い意志が彼を動かした。彼を抱っこしても届かない。ツリーは階段近くにあったので、階段の間から手を伸ばす方法を彼は思いついた。その木の先端に手が届く方向へ下にいる者が曲げてやると、苦心の末ついに届いた。見事にその星は定位置に収まったのである。T君の顔は『やった!』という満足感でみなぎっていた。多くの方々の祈りに導かれ、でっかい星を『ぼく』」飾りたいのだと小躍りしたことが遂に実現につながった。背丈が問題ではなかったのだ。T君の意欲が周辺にいる人たちを巻き込んだ。その星が他の飾りに先駆けてあるべき位置に就いたとき、彼のよろこびようは尋常ではなかった。彼は信徒になってはじめてのクリスマスを迎える準備に大役を果たしたのです。じっとしてはおれなかったあの異国の博士たちは遠く山河をこえてエルサレムにやってきた。途上けわしい道もあったであろうが東方でその方の星を見た彼らを導かないはずはないと固く信じてひたすら進んできたと思う。博士たちの努力や熱心が、救い主を見つけたのではない。救い主の誕生と、そのしるしが彼らを動かしたのだ。信仰者があらゆる努力をして救い主を造り出すのではなく、救い主はすでに生まれているのです!」(Y)
ほのぼのとしたエピソードでありますが。その彼も救いの主、キリストを迎え入れてから青年になり今年で16回目のクリスマスを迎えます。
そうですね。この方のおっしゃる通り、東方の博士たちの努力や熱心が救い主を見つけたのではなく、救い主の誕生と、そのしるしか博士たちを動かしたのですね。信仰者があらゆる努力をして救い主を作り出すのではなく、救い主はすでに生まれているのです。この素晴らしい恵みに与るばかりの私たちであります。

さて、東方の学者たちの「ユダヤの王がお生まれになった。その方を拝みに来た」という言葉を聞いた、3節「ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」と述べられています。
これは救い主・キリストの誕生が、ユダヤの王ヘロデやエルサレムの人々には決して喜ばしものではなかった事、祝われるような出来事ではなかった事を物語っています。 
そこには神の民としての畏れや渇きはありません。権力を掌握していたヘロデ王にとって、自分に取って代わるような新しい王が誕生するという知らせは、自分の地位や権力を揺るがしかねない都合の悪いものであったのです。エルサレムの住民もまた、自分たちの生活が守られるならよいが、それを揺るがすようなことは不安の材料にほかならなかったのです。
自分のライフスタイルや生活を守ろうとする中で、真正面からみ言葉を聞けない時、祈れない時があるかもしれません。先週の礼拝では、ヨセフが主の天使から「婚約者マリアの胎の子は聖霊によって宿った。」とのお告げを受ける箇所を読みましたが。
事の次第を聞かされたヨセフに驚きと「恐れ」が生じ、彼は非常に戸惑いました。けれどもヨセフはヘロデ王やエルサレムの人々のようにただ「不安を抱く」のではなく、主のみ言葉に目を覚まされ、主に聞き従う歩みへと方向転換されていくのですね。また、ルカの福音書を読みますと、時を同じくして登場する羊飼いたちは、ヘロデ王のように地位や権力もなく、又エルサレムの住民のように安定した暮らしもありませんでした。彼らは自分を守るものを一切所有していない人たちであったのです。一日一日羊を飼う者として生きていた素朴な人たちであり、自然の中で神に祈らずにはいられない人たちでした。にぎやかな街の華やかさから置き去りにされ、町の人たちから疎外されていたその羊飼いたちに、真っ先にあの天使のみ告げ、「あなたがたのために救い主がお生まれになった」という喜びの知らせが届けられたのです。主は、どんな人が最もこの良き知らせを聞いて喜ぶかを知っておられたのです。彼ら羊飼いたちは大変恐れおののくのですが。その恐れは、ヘロデ王やエルサレムの住民たちが抱いた「不安」とは全く違ったものでした。彼らは「自分たちのもとに救い主がお生れくださったという知らせが届くとは、一体どういうことか」という驚きとともに、神さまは私たちを忘れることなく覚えていてくださる」という、偉大な神の愛に心震えたのです。この羊飼いのように素朴で柔らかな心で福音、良き知らせを受け取れる、そんな歩みを続けていきたいものです。

さて、本日の箇所でもう一つ注目したいのは、救い主の誕生をはじめに知り、拝むために探していたのが、ユダヤの人々でなく、ユダヤ以外の異邦の地に住む人々であった、ということです。
それは神の祝福から隔てられていた人びとです。
このマタイの福音書は神の民であるユダヤ人に向けて書かれているのですが。救い主がお生まれになって最初の知らせが届いて、それを大いに喜んで受け取っていったが、何と異邦人たちであったことを記しているのです。キリストによる神の救いはエルサレムから始められ、全世界にもたらされることはイザヤ、エレミヤ、ミカといった預言者たちが語って来た、神のご計画でありました。
世界の王、メシアの誕生について語り継がれた預言は東方の学者たちから始まって今日の私たちキリスト教会にもたらされているのです。
今日の礼拝招詞として申命記4章のみ言葉が読まれました。「しかし、あなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めねばならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたの神に出会うであろう。」と記されています。
神が主体としてお働きくださるその救いの出来事を一途に求めて、あのキリストを探し当てた東の国の学者たちのように、それは私たちにも語りかけられている生きたみ言葉なのであります。

最後に、ヘロデ王はメシアが生まれる場所についてユダヤの祭司長や律法学者たちに調べさせると、「ベツレヘムです」と答えます。
まあこれは、当時のユダヤでは一般的な理解でした。しかし、肝心なその「時」については何も知らなかったのです。救い主、キリストと出会う上で決定的なことはこの「時」ギリシャ語で「カイロス」ということであります。ギリシャ語にはもう一つ「クロノス」という時を指す言葉があります。こちらは日常的な時間のことです。一方、「カイロス」とは神の時を指しているのです。それは神の宣教の時、神の伝道の時、神の救いの時、神の恵みの時ということです。それは時間的な基軸ではなく、主なる神さまの支配、神の国が歴史の只中に差し込んでくる時であります。
そのカイロス、神の時はいつなのか、それがわからなければ、そのすばらしさを体験することはできません。また、それがどれほど価値あることか知らなければ自分の事とはならないのです。ヘロデ王やエルサレムの住民はせっかく救い主が来られたのに、その時をわきまえ知ることができなかったのです。それは今を生きる私たちにとっても重要な教訓ではないでしょうか。
神の呼びかけ、神のご計画と導き、救いと祝福の出来事が今起こっていることに気づけるか。神の時のしるしを見分け、探し求めながら生きているかどうかにかかっています。
主イエスは、「いつも目を覚まして祈っていなさい」と言われました。神の救い、キリストを探し求めているなら、あの異邦人の学者たちのように、その時、その価値を知らせてくださる神のしるし、聖霊のお働きに導かれ、探し当てることができるでしょう。神はすでに用意して下さっています。

祈りましょう。
愛と恵みの神さま、全世界の人々のためにあなたが救い主イエス・キリストを贈ってくださったクリスマスを前に、今日は東方の星の学者たちの行動から、み言葉を聞きました。私たちは今日こうしてあなたに礼拝を捧げることができます幸いを感謝します。闇のような中にあっても、あなたの救いの星は変わることなく世界中を照らし続けています。神さまその救いの星は私たちがどこにいようとも、どのような折も、曇りであっても、雨が降っても、変わることなく輝き、照らし続けてくださっていることをみ言葉から今日知ることができました。今、クリスマスシーズンの華やぎの中で戦争、気候の変動に伴う食糧問題、疫病や様々な災害があります。あなたは、世界のこの状況を誰よりも知っておられるお方です。主よ、私たちが時を見分け、キリストを見出し、主のみ言葉に聞き従って、あなたの慈愛に生きることができるように導き、助けてください。また、世界にもたらして下さるこの驚くべき救いの喜びと希望を一人でも多くの方に知っていただけますよう、先に福音に与り、生かされている私たちを用いてください。
救いの主、イエス・キリストの御名によって祈ります。
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