29日礼拝の聖書 出エジプト記40章36節~38節 より
「雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである。」
先週は、日本のWBC連覇のニュース一色に湧いた。手に汗にぎる展開にハラハラ、ドキドキ、そして久しぶりに心躍った。韓国チームのチャレンジャー精神にも感服した。決勝打を放ったイチロー選手はその塁上で表情一つ変えなかった。「普段と変わらない自分でいることが僕の支え。この支えを崩すと、タフな試合の中では、自分を支えきれなくなってしまう」という矜持からだそうだ。予選リーグでは絶不調が続きスランプのどん底にあった時も、この矜持は生きていた。そのどん底を通り抜けた末に放った決勝打。好不調(浮き沈み)に左右されず、ひたむきにプレーするイチロー選手の言葉として重く響いてきた。
上記の聖書のみ言葉を読んで思いますのは、主を信じてはいても、「希望を持て」「がんばれ」と言われても、そうできない時がある。「出発する」にも「休止する」にも時がある。荒れ野の旅路をあゆむ人々は、日常(雲)からそのことを、学び取っていった。しかしそこで、「投げ出さず」「あきらめず」主に忠実なあゆみをなしていった時、「主が彼らとともに生き、働いてくださる」との体験と確信をもつことができた。それは今も聖霊を介し、私たちにも体験できる出来事、「福音」であります。
「雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである。」
先週は、日本のWBC連覇のニュース一色に湧いた。手に汗にぎる展開にハラハラ、ドキドキ、そして久しぶりに心躍った。韓国チームのチャレンジャー精神にも感服した。決勝打を放ったイチロー選手はその塁上で表情一つ変えなかった。「普段と変わらない自分でいることが僕の支え。この支えを崩すと、タフな試合の中では、自分を支えきれなくなってしまう」という矜持からだそうだ。予選リーグでは絶不調が続きスランプのどん底にあった時も、この矜持は生きていた。そのどん底を通り抜けた末に放った決勝打。好不調(浮き沈み)に左右されず、ひたむきにプレーするイチロー選手の言葉として重く響いてきた。
上記の聖書のみ言葉を読んで思いますのは、主を信じてはいても、「希望を持て」「がんばれ」と言われても、そうできない時がある。「出発する」にも「休止する」にも時がある。荒れ野の旅路をあゆむ人々は、日常(雲)からそのことを、学び取っていった。しかしそこで、「投げ出さず」「あきらめず」主に忠実なあゆみをなしていった時、「主が彼らとともに生き、働いてくださる」との体験と確信をもつことができた。それは今も聖霊を介し、私たちにも体験できる出来事、「福音」であります。