さんび礼拝宣教 使徒28章17節~31節
5月も今日で終わり、明日から6月を迎えますが。もう梅雨を飛び越えて一気に夏になったような暑さが続いていますが。そのような中金曜日には口永良部島新岳で大きな火山噴火がありましたが。島民の全員が無事避難されたということは幸いでしたが。またここ大阪も先週夜中に縦揺れの地震がありガタガタという振動で私は目が覚めましたが。相当揺れたと自分では感じていましたところ、その後震度2程度ということを知り、これでその程度なのか、と思いましたね。昨晩も東京の小笠原と関東地区で震度5の地震がありました。いつ帰れるのかという不安の中におられる島民の方々、又、今も東北地方も震度5クラスの余震が続いておりますが、日々不安の中で過ごされている方々のことを想像して身につまされる思いがいたしました。又、ネパールでは地震によるとてつもない犠牲と被害が出ています。そのこともおぼえてお祈りください。
さて、本日は賛美をもって、活ける主の御名をほめたたえつつ礼拝を捧げておりますが。今回でこれまで読んできました使徒言行録は一応最後となります。聖霊の降臨によってキリストの教会は誕生し、福音の波はユダヤとサマリアの全土へ、さらに小アジアからヨーロッパへと拡がってゆくという、そのダイナミックな主のご計画とお働きが、もしこの初代教会の時代で終わるのなら、何と希望のないことでしょうか。
しかし、この初代教会に臨んだ聖霊は、その後2000年という歴史の中にも繰り返し臨み続け、時間、空間を超えて働き続けておられます。
初代教会が、一同心を一つにして祈り求めてゆく中で、主の霊がゆたかに働かれたように、今を生きる私たちの教会が心を合わせ、主の栄光が顕わされることを祈り続ける中に、聖霊は今も力をもって働いてくださるのです。
先程使徒言行録28章より御言葉が読まれました。
先週は20章の、エフェソの家の教会の長老たちに危険が伴うエルサレム行きの決意と別れを告げる箇所でしたが。この28章に至るまでに実に様々な出来事がパウロの身に起こりました。
まずパウロがエルサレムに上ると、アジアから後を追って来たユダヤ人らの陰謀によって民衆を巻きこむ大騒動が起こります。そこで彼は事態の鎮圧のために駆けつけたローマの千人隊長とユダヤの民衆との前で、ひるむことなく弁明をし、自分が正統なユダヤ人であるが、ダマスコで復活された主イエスと出会い、クリスチャンになり、福音を伝えていることを証しするのです。さらにパウロは、ユダヤの最高法院の議員たちの前でも、自分はキリストにあって死者が復活するという望みを抱いている、と大胆に証しました。そこには議員たちをその議論に持ち込んでゆくという算段があったわけですが、結果議場は非常に混乱し、パウロは牢に拘束されました。その夜、パウロはそばに立ってこう言われる主の言葉を聞くのです。「勇気を出せ。このエルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証ししなければならない。」(23:11)
その後、大祭司アナニアらによってパウロはローマのフェリックス総督に訴えられてしまうのですが、主の言葉に力づけられたパウロはそこでも、自分が律法と預言者の書に書いている事をことごとく信じ、その復活の希望を主に対して抱いていることを大胆に証しします。(24章) パウロはそこカイサリアで2年間監禁されながらも、ある程度自由が与えられ友人たちが世話をしたとされています。その後、フィリックス総督の後を継いだフェトゥス総督の下、ユダヤ人たちがパウロをエルサレムへ引き渡すようにと圧力をかけると、ローマの市民権を持っていたパウロはローマ皇帝に上訴することを宣言します。ローマ行きが決まりますと、パウロのもとにある珍客がやってきました。
アグリッパ王です。パウロは王の面前でも自分の回心の出来事を語り、王に福音を伝え、信仰を勧めたというのですね。先週読みましたが、聖霊に捕えられる、キリストの奴隷(僕)となって生きるとは、これ程までに強くされ、ある意味これほど迄に自由なのかと思わされるわけですが。
さて、そうしていよいよパウロはローマに向けて囚人として護送されるのであります。
その旅路は海路でありました。悪天候が続く中にも何とかクレタ島に到着しますが。しばらくして又、次の港に船を出そうとする人々にパウロはその危険性を忠告します。けれど聞き入れられず、港を出た船は何日も激しい暴風に見舞われ沖へと流されて皆絶望するのですが。パウロは祈りのうちに御使いによって「全員が守られる事、ローマ皇帝の前に立つべき事」を知らされ、「元気を出しなさい」と一同を励まします。船は難破しますが、276人全員がマルタ島に無事上陸することができたのです。しかしこのマルタ島でもパウロは蝮に咬まれたりするのですが、守られ何の害も受けませんでした。
パウロは3ヶ月そこで滞在する間、病を患う島民に手をおいては祈り、いやしの業が行なわれてゆきました。こうして島民たちはパウロに深い敬意を表していたというのです。
このようにパウロは幾多の困難と命の危機にさらされながらも、主が共にいてパウロは福音を証しし続けていったのですね。私たちは目に見える状況だけで判断をして、ああこれはよい時とか、あれは悪い時だと決めつけて状況を見ていることはないでしょうか。けれども、それが良いか悪いかなんていうことは一概に言えることではありません。
パウロの働きはまさに苦難と試練の連続でした。しかし彼にとって本当にピンチといえるような時も、主が共におられ、「わたしを伝えなさい、福音を証しなさい」と語られるのです。そしてパウロがそのように主に応えて生きる時、そのピンチがチャンスに、悪いと思えた時が福音を分ち合う喜びの時へと変えられてゆくのですね。そういうメッセージが先週以降の21章から28章前半までに語られているんですね。
如何でしょうか。私たちは主のご計画ならば、すべて問題なく一切が順調に進むものと考えがちですが。実はこのパウロの福音伝道の道のりがそうであったように、表される恵みが大きければ大きいほど、実は困難も伴ってくるものです。けれども、それだからといってすぐに投げ出したりしてしまのではなく、主の恵みが表され、証しへと変えられてゆくまでに忍耐強く主に祈り務めるときに、聖霊もゆたかにお働きくださるのであります。ローマ8章26節でパウロはこう述べています。「同様に、霊も弱いわたしを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」
さて、パウロはいよいよローマへ到着いたします。
その彼を何よりも元気づけたことがありました。15節「ローマからは、兄弟たちがわたしたちのことを聞き伝えて、出迎えに来てくれた。パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた。」
この兄弟たちは結構多人数であったようです。おそらく初対面であったのでしょう。
けれどもローマの教会においてアクラやプリスキラ夫妻を始め、いろんな信仰の同志たちからパウロのことを伝え聞いていたんでしょうね。私もそうなのですが、初対面のクリスチャンの方と話しをしていてとても初めて会ったとは思えないような不思議な感覚を持つことがありますが。皆さんは如何でしょうか。きっと聖霊が私たちの間に働いて下さるのだと信じます。
又、ローマの護送という折に、こうした場面を演出してくれたローマの百人隊長らの好意も見落すことができませんね。主は信仰の同志だけでなく、彼らをも一緒に実にゆたかに働かれていることが分かります。主は、必ずしもクリスチャンだけをお用いになるわけではないのです。主のお働きは実に広く、ゆたかなのです。
さて、パウロには番兵が一人つけられますが。30節以降にありますように、「自費で借りた家に丸2年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」と述べられています。
ローマに着くやパウロがなしたことは、意外にもローマに住む主だったユダヤ人たちを招き、それも2度に亘り、粘り強く福音を伝え、証ししたということです。
しかも、2回目の折は、23節、「パウロの宿営にやって来た大勢のユダヤ人たちに、パウロは、朝から晩まで説明を続け、神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとした」とあります。主イエスの福音を頑なに拒否するユダヤ人の人々に対して「わたしは異邦人の方に行く」と言ったパウロでしたが。しかし彼は、やはり自分の同胞であるユダヤ人たちを兄弟として福音を信じ、神に立ち返ってほしいという願いを強く持っていたんですね。
それはかつて自分もまた、律法と預言者とがさし示した神のご計画、すなわちイエス・キリストを知らず、迫害していた者であり、あのダマスコでの主イエスとの出会いと回心によって「神の愛と救い」を見出した者であるからです。だから彼はユダヤの同胞に語らずにはいられなかったんですね。そういう使命感をパウロは持っていたんですね。
パウロが伝えたこの福音に対して、ある者は受け入れたが、他の者は信じようとしなかった、とあります。ユダヤ人たちは「互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとした。」又、29節の底本には「ユダヤ人たちは大いに論じ合いながら帰って行った」ともあります。ユダヤの同胞に主の福音を受け入れる人が現れたことは喜ばしいことであったでしょうが、一方で頑なに律法と議論とに終始する人たちを憂いパウロはイザヤの言葉を引用しながら、異邦人に向けられた神の救いのご計画を告知します。
こうしてパウロは、その家で2年間「訪問する者はだれかれとなく歓迎し」た、とあります。そこにはローマ人を始め、様々な国の人たちが訪れたことでしょう。そしてその中に僅かながらユダヤ人も含まれていたことでしょう。
彼は又、「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」とあります。聖書には見張りの番兵がついていたとあり、囚われの身であったことには変りありませんでした。しかし、パウロは実に自由に多くの人と出会い、全く自由に何の妨げもなく、神の国の福音を語り続けたることができたのです。
獄中でパウロが書いたフィリピの信徒への手紙の1章12節にこう記されています。「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。」
イエス・キリストによって捕えられた神の僕パウロは、たとえ牢獄の身であれ、どこであれ、復活の希望の福音に与っているという確信のもと、全く自由に何の妨げもなく、福音を伝え、あかし続けることができたのですね。本物の自由とはこういうものではないでしょうか。主イエス・キリストによって集められ、立てられた教会の福音の拡がり、それは、如何なる世の権力であれ、何者であろうと、止めることができない、ということを使徒パウロをして証ししているのであります。
今も、教会と主イエス・キリストとそのご計画は、ペンテコステに臨んだ聖霊の御業とその御力をもってゆたかに働かれています。この主の御業に私たちも共に与りつつ、福音の拡がりを証しする者とされていきましょう。主の御名を賛美いたしましょう。
5月も今日で終わり、明日から6月を迎えますが。もう梅雨を飛び越えて一気に夏になったような暑さが続いていますが。そのような中金曜日には口永良部島新岳で大きな火山噴火がありましたが。島民の全員が無事避難されたということは幸いでしたが。またここ大阪も先週夜中に縦揺れの地震がありガタガタという振動で私は目が覚めましたが。相当揺れたと自分では感じていましたところ、その後震度2程度ということを知り、これでその程度なのか、と思いましたね。昨晩も東京の小笠原と関東地区で震度5の地震がありました。いつ帰れるのかという不安の中におられる島民の方々、又、今も東北地方も震度5クラスの余震が続いておりますが、日々不安の中で過ごされている方々のことを想像して身につまされる思いがいたしました。又、ネパールでは地震によるとてつもない犠牲と被害が出ています。そのこともおぼえてお祈りください。
さて、本日は賛美をもって、活ける主の御名をほめたたえつつ礼拝を捧げておりますが。今回でこれまで読んできました使徒言行録は一応最後となります。聖霊の降臨によってキリストの教会は誕生し、福音の波はユダヤとサマリアの全土へ、さらに小アジアからヨーロッパへと拡がってゆくという、そのダイナミックな主のご計画とお働きが、もしこの初代教会の時代で終わるのなら、何と希望のないことでしょうか。
しかし、この初代教会に臨んだ聖霊は、その後2000年という歴史の中にも繰り返し臨み続け、時間、空間を超えて働き続けておられます。
初代教会が、一同心を一つにして祈り求めてゆく中で、主の霊がゆたかに働かれたように、今を生きる私たちの教会が心を合わせ、主の栄光が顕わされることを祈り続ける中に、聖霊は今も力をもって働いてくださるのです。
先程使徒言行録28章より御言葉が読まれました。
先週は20章の、エフェソの家の教会の長老たちに危険が伴うエルサレム行きの決意と別れを告げる箇所でしたが。この28章に至るまでに実に様々な出来事がパウロの身に起こりました。
まずパウロがエルサレムに上ると、アジアから後を追って来たユダヤ人らの陰謀によって民衆を巻きこむ大騒動が起こります。そこで彼は事態の鎮圧のために駆けつけたローマの千人隊長とユダヤの民衆との前で、ひるむことなく弁明をし、自分が正統なユダヤ人であるが、ダマスコで復活された主イエスと出会い、クリスチャンになり、福音を伝えていることを証しするのです。さらにパウロは、ユダヤの最高法院の議員たちの前でも、自分はキリストにあって死者が復活するという望みを抱いている、と大胆に証しました。そこには議員たちをその議論に持ち込んでゆくという算段があったわけですが、結果議場は非常に混乱し、パウロは牢に拘束されました。その夜、パウロはそばに立ってこう言われる主の言葉を聞くのです。「勇気を出せ。このエルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証ししなければならない。」(23:11)
その後、大祭司アナニアらによってパウロはローマのフェリックス総督に訴えられてしまうのですが、主の言葉に力づけられたパウロはそこでも、自分が律法と預言者の書に書いている事をことごとく信じ、その復活の希望を主に対して抱いていることを大胆に証しします。(24章) パウロはそこカイサリアで2年間監禁されながらも、ある程度自由が与えられ友人たちが世話をしたとされています。その後、フィリックス総督の後を継いだフェトゥス総督の下、ユダヤ人たちがパウロをエルサレムへ引き渡すようにと圧力をかけると、ローマの市民権を持っていたパウロはローマ皇帝に上訴することを宣言します。ローマ行きが決まりますと、パウロのもとにある珍客がやってきました。
アグリッパ王です。パウロは王の面前でも自分の回心の出来事を語り、王に福音を伝え、信仰を勧めたというのですね。先週読みましたが、聖霊に捕えられる、キリストの奴隷(僕)となって生きるとは、これ程までに強くされ、ある意味これほど迄に自由なのかと思わされるわけですが。
さて、そうしていよいよパウロはローマに向けて囚人として護送されるのであります。
その旅路は海路でありました。悪天候が続く中にも何とかクレタ島に到着しますが。しばらくして又、次の港に船を出そうとする人々にパウロはその危険性を忠告します。けれど聞き入れられず、港を出た船は何日も激しい暴風に見舞われ沖へと流されて皆絶望するのですが。パウロは祈りのうちに御使いによって「全員が守られる事、ローマ皇帝の前に立つべき事」を知らされ、「元気を出しなさい」と一同を励まします。船は難破しますが、276人全員がマルタ島に無事上陸することができたのです。しかしこのマルタ島でもパウロは蝮に咬まれたりするのですが、守られ何の害も受けませんでした。
パウロは3ヶ月そこで滞在する間、病を患う島民に手をおいては祈り、いやしの業が行なわれてゆきました。こうして島民たちはパウロに深い敬意を表していたというのです。
このようにパウロは幾多の困難と命の危機にさらされながらも、主が共にいてパウロは福音を証しし続けていったのですね。私たちは目に見える状況だけで判断をして、ああこれはよい時とか、あれは悪い時だと決めつけて状況を見ていることはないでしょうか。けれども、それが良いか悪いかなんていうことは一概に言えることではありません。
パウロの働きはまさに苦難と試練の連続でした。しかし彼にとって本当にピンチといえるような時も、主が共におられ、「わたしを伝えなさい、福音を証しなさい」と語られるのです。そしてパウロがそのように主に応えて生きる時、そのピンチがチャンスに、悪いと思えた時が福音を分ち合う喜びの時へと変えられてゆくのですね。そういうメッセージが先週以降の21章から28章前半までに語られているんですね。
如何でしょうか。私たちは主のご計画ならば、すべて問題なく一切が順調に進むものと考えがちですが。実はこのパウロの福音伝道の道のりがそうであったように、表される恵みが大きければ大きいほど、実は困難も伴ってくるものです。けれども、それだからといってすぐに投げ出したりしてしまのではなく、主の恵みが表され、証しへと変えられてゆくまでに忍耐強く主に祈り務めるときに、聖霊もゆたかにお働きくださるのであります。ローマ8章26節でパウロはこう述べています。「同様に、霊も弱いわたしを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」
さて、パウロはいよいよローマへ到着いたします。
その彼を何よりも元気づけたことがありました。15節「ローマからは、兄弟たちがわたしたちのことを聞き伝えて、出迎えに来てくれた。パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた。」
この兄弟たちは結構多人数であったようです。おそらく初対面であったのでしょう。
けれどもローマの教会においてアクラやプリスキラ夫妻を始め、いろんな信仰の同志たちからパウロのことを伝え聞いていたんでしょうね。私もそうなのですが、初対面のクリスチャンの方と話しをしていてとても初めて会ったとは思えないような不思議な感覚を持つことがありますが。皆さんは如何でしょうか。きっと聖霊が私たちの間に働いて下さるのだと信じます。
又、ローマの護送という折に、こうした場面を演出してくれたローマの百人隊長らの好意も見落すことができませんね。主は信仰の同志だけでなく、彼らをも一緒に実にゆたかに働かれていることが分かります。主は、必ずしもクリスチャンだけをお用いになるわけではないのです。主のお働きは実に広く、ゆたかなのです。
さて、パウロには番兵が一人つけられますが。30節以降にありますように、「自費で借りた家に丸2年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」と述べられています。
ローマに着くやパウロがなしたことは、意外にもローマに住む主だったユダヤ人たちを招き、それも2度に亘り、粘り強く福音を伝え、証ししたということです。
しかも、2回目の折は、23節、「パウロの宿営にやって来た大勢のユダヤ人たちに、パウロは、朝から晩まで説明を続け、神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとした」とあります。主イエスの福音を頑なに拒否するユダヤ人の人々に対して「わたしは異邦人の方に行く」と言ったパウロでしたが。しかし彼は、やはり自分の同胞であるユダヤ人たちを兄弟として福音を信じ、神に立ち返ってほしいという願いを強く持っていたんですね。
それはかつて自分もまた、律法と預言者とがさし示した神のご計画、すなわちイエス・キリストを知らず、迫害していた者であり、あのダマスコでの主イエスとの出会いと回心によって「神の愛と救い」を見出した者であるからです。だから彼はユダヤの同胞に語らずにはいられなかったんですね。そういう使命感をパウロは持っていたんですね。
パウロが伝えたこの福音に対して、ある者は受け入れたが、他の者は信じようとしなかった、とあります。ユダヤ人たちは「互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとした。」又、29節の底本には「ユダヤ人たちは大いに論じ合いながら帰って行った」ともあります。ユダヤの同胞に主の福音を受け入れる人が現れたことは喜ばしいことであったでしょうが、一方で頑なに律法と議論とに終始する人たちを憂いパウロはイザヤの言葉を引用しながら、異邦人に向けられた神の救いのご計画を告知します。
こうしてパウロは、その家で2年間「訪問する者はだれかれとなく歓迎し」た、とあります。そこにはローマ人を始め、様々な国の人たちが訪れたことでしょう。そしてその中に僅かながらユダヤ人も含まれていたことでしょう。
彼は又、「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」とあります。聖書には見張りの番兵がついていたとあり、囚われの身であったことには変りありませんでした。しかし、パウロは実に自由に多くの人と出会い、全く自由に何の妨げもなく、神の国の福音を語り続けたることができたのです。
獄中でパウロが書いたフィリピの信徒への手紙の1章12節にこう記されています。「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。」
イエス・キリストによって捕えられた神の僕パウロは、たとえ牢獄の身であれ、どこであれ、復活の希望の福音に与っているという確信のもと、全く自由に何の妨げもなく、福音を伝え、あかし続けることができたのですね。本物の自由とはこういうものではないでしょうか。主イエス・キリストによって集められ、立てられた教会の福音の拡がり、それは、如何なる世の権力であれ、何者であろうと、止めることができない、ということを使徒パウロをして証ししているのであります。
今も、教会と主イエス・キリストとそのご計画は、ペンテコステに臨んだ聖霊の御業とその御力をもってゆたかに働かれています。この主の御業に私たちも共に与りつつ、福音の拡がりを証しする者とされていきましょう。主の御名を賛美いたしましょう。