日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

福音の証し人

2015-05-31 17:16:55 | メッセージ
さんび礼拝宣教 使徒28章17節~31節

5月も今日で終わり、明日から6月を迎えますが。もう梅雨を飛び越えて一気に夏になったような暑さが続いていますが。そのような中金曜日には口永良部島新岳で大きな火山噴火がありましたが。島民の全員が無事避難されたということは幸いでしたが。またここ大阪も先週夜中に縦揺れの地震がありガタガタという振動で私は目が覚めましたが。相当揺れたと自分では感じていましたところ、その後震度2程度ということを知り、これでその程度なのか、と思いましたね。昨晩も東京の小笠原と関東地区で震度5の地震がありました。いつ帰れるのかという不安の中におられる島民の方々、又、今も東北地方も震度5クラスの余震が続いておりますが、日々不安の中で過ごされている方々のことを想像して身につまされる思いがいたしました。又、ネパールでは地震によるとてつもない犠牲と被害が出ています。そのこともおぼえてお祈りください。

さて、本日は賛美をもって、活ける主の御名をほめたたえつつ礼拝を捧げておりますが。今回でこれまで読んできました使徒言行録は一応最後となります。聖霊の降臨によってキリストの教会は誕生し、福音の波はユダヤとサマリアの全土へ、さらに小アジアからヨーロッパへと拡がってゆくという、そのダイナミックな主のご計画とお働きが、もしこの初代教会の時代で終わるのなら、何と希望のないことでしょうか。
しかし、この初代教会に臨んだ聖霊は、その後2000年という歴史の中にも繰り返し臨み続け、時間、空間を超えて働き続けておられます。
初代教会が、一同心を一つにして祈り求めてゆく中で、主の霊がゆたかに働かれたように、今を生きる私たちの教会が心を合わせ、主の栄光が顕わされることを祈り続ける中に、聖霊は今も力をもって働いてくださるのです。

先程使徒言行録28章より御言葉が読まれました。
先週は20章の、エフェソの家の教会の長老たちに危険が伴うエルサレム行きの決意と別れを告げる箇所でしたが。この28章に至るまでに実に様々な出来事がパウロの身に起こりました。
まずパウロがエルサレムに上ると、アジアから後を追って来たユダヤ人らの陰謀によって民衆を巻きこむ大騒動が起こります。そこで彼は事態の鎮圧のために駆けつけたローマの千人隊長とユダヤの民衆との前で、ひるむことなく弁明をし、自分が正統なユダヤ人であるが、ダマスコで復活された主イエスと出会い、クリスチャンになり、福音を伝えていることを証しするのです。さらにパウロは、ユダヤの最高法院の議員たちの前でも、自分はキリストにあって死者が復活するという望みを抱いている、と大胆に証しました。そこには議員たちをその議論に持ち込んでゆくという算段があったわけですが、結果議場は非常に混乱し、パウロは牢に拘束されました。その夜、パウロはそばに立ってこう言われる主の言葉を聞くのです。「勇気を出せ。このエルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証ししなければならない。」(23:11)
その後、大祭司アナニアらによってパウロはローマのフェリックス総督に訴えられてしまうのですが、主の言葉に力づけられたパウロはそこでも、自分が律法と預言者の書に書いている事をことごとく信じ、その復活の希望を主に対して抱いていることを大胆に証しします。(24章) パウロはそこカイサリアで2年間監禁されながらも、ある程度自由が与えられ友人たちが世話をしたとされています。その後、フィリックス総督の後を継いだフェトゥス総督の下、ユダヤ人たちがパウロをエルサレムへ引き渡すようにと圧力をかけると、ローマの市民権を持っていたパウロはローマ皇帝に上訴することを宣言します。ローマ行きが決まりますと、パウロのもとにある珍客がやってきました。
アグリッパ王です。パウロは王の面前でも自分の回心の出来事を語り、王に福音を伝え、信仰を勧めたというのですね。先週読みましたが、聖霊に捕えられる、キリストの奴隷(僕)となって生きるとは、これ程までに強くされ、ある意味これほど迄に自由なのかと思わされるわけですが。
さて、そうしていよいよパウロはローマに向けて囚人として護送されるのであります。
その旅路は海路でありました。悪天候が続く中にも何とかクレタ島に到着しますが。しばらくして又、次の港に船を出そうとする人々にパウロはその危険性を忠告します。けれど聞き入れられず、港を出た船は何日も激しい暴風に見舞われ沖へと流されて皆絶望するのですが。パウロは祈りのうちに御使いによって「全員が守られる事、ローマ皇帝の前に立つべき事」を知らされ、「元気を出しなさい」と一同を励まします。船は難破しますが、276人全員がマルタ島に無事上陸することができたのです。しかしこのマルタ島でもパウロは蝮に咬まれたりするのですが、守られ何の害も受けませんでした。
パウロは3ヶ月そこで滞在する間、病を患う島民に手をおいては祈り、いやしの業が行なわれてゆきました。こうして島民たちはパウロに深い敬意を表していたというのです。

このようにパウロは幾多の困難と命の危機にさらされながらも、主が共にいてパウロは福音を証しし続けていったのですね。私たちは目に見える状況だけで判断をして、ああこれはよい時とか、あれは悪い時だと決めつけて状況を見ていることはないでしょうか。けれども、それが良いか悪いかなんていうことは一概に言えることではありません。
パウロの働きはまさに苦難と試練の連続でした。しかし彼にとって本当にピンチといえるような時も、主が共におられ、「わたしを伝えなさい、福音を証しなさい」と語られるのです。そしてパウロがそのように主に応えて生きる時、そのピンチがチャンスに、悪いと思えた時が福音を分ち合う喜びの時へと変えられてゆくのですね。そういうメッセージが先週以降の21章から28章前半までに語られているんですね。
如何でしょうか。私たちは主のご計画ならば、すべて問題なく一切が順調に進むものと考えがちですが。実はこのパウロの福音伝道の道のりがそうであったように、表される恵みが大きければ大きいほど、実は困難も伴ってくるものです。けれども、それだからといってすぐに投げ出したりしてしまのではなく、主の恵みが表され、証しへと変えられてゆくまでに忍耐強く主に祈り務めるときに、聖霊もゆたかにお働きくださるのであります。ローマ8章26節でパウロはこう述べています。「同様に、霊も弱いわたしを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」

さて、パウロはいよいよローマへ到着いたします。
その彼を何よりも元気づけたことがありました。15節「ローマからは、兄弟たちがわたしたちのことを聞き伝えて、出迎えに来てくれた。パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた。」
この兄弟たちは結構多人数であったようです。おそらく初対面であったのでしょう。
けれどもローマの教会においてアクラやプリスキラ夫妻を始め、いろんな信仰の同志たちからパウロのことを伝え聞いていたんでしょうね。私もそうなのですが、初対面のクリスチャンの方と話しをしていてとても初めて会ったとは思えないような不思議な感覚を持つことがありますが。皆さんは如何でしょうか。きっと聖霊が私たちの間に働いて下さるのだと信じます。
又、ローマの護送という折に、こうした場面を演出してくれたローマの百人隊長らの好意も見落すことができませんね。主は信仰の同志だけでなく、彼らをも一緒に実にゆたかに働かれていることが分かります。主は、必ずしもクリスチャンだけをお用いになるわけではないのです。主のお働きは実に広く、ゆたかなのです。

さて、パウロには番兵が一人つけられますが。30節以降にありますように、「自費で借りた家に丸2年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」と述べられています。
ローマに着くやパウロがなしたことは、意外にもローマに住む主だったユダヤ人たちを招き、それも2度に亘り、粘り強く福音を伝え、証ししたということです。
しかも、2回目の折は、23節、「パウロの宿営にやって来た大勢のユダヤ人たちに、パウロは、朝から晩まで説明を続け、神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとした」とあります。主イエスの福音を頑なに拒否するユダヤ人の人々に対して「わたしは異邦人の方に行く」と言ったパウロでしたが。しかし彼は、やはり自分の同胞であるユダヤ人たちを兄弟として福音を信じ、神に立ち返ってほしいという願いを強く持っていたんですね。
それはかつて自分もまた、律法と預言者とがさし示した神のご計画、すなわちイエス・キリストを知らず、迫害していた者であり、あのダマスコでの主イエスとの出会いと回心によって「神の愛と救い」を見出した者であるからです。だから彼はユダヤの同胞に語らずにはいられなかったんですね。そういう使命感をパウロは持っていたんですね。
パウロが伝えたこの福音に対して、ある者は受け入れたが、他の者は信じようとしなかった、とあります。ユダヤ人たちは「互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとした。」又、29節の底本には「ユダヤ人たちは大いに論じ合いながら帰って行った」ともあります。ユダヤの同胞に主の福音を受け入れる人が現れたことは喜ばしいことであったでしょうが、一方で頑なに律法と議論とに終始する人たちを憂いパウロはイザヤの言葉を引用しながら、異邦人に向けられた神の救いのご計画を告知します。
こうしてパウロは、その家で2年間「訪問する者はだれかれとなく歓迎し」た、とあります。そこにはローマ人を始め、様々な国の人たちが訪れたことでしょう。そしてその中に僅かながらユダヤ人も含まれていたことでしょう。
彼は又、「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」とあります。聖書には見張りの番兵がついていたとあり、囚われの身であったことには変りありませんでした。しかし、パウロは実に自由に多くの人と出会い、全く自由に何の妨げもなく、神の国の福音を語り続けたることができたのです。
獄中でパウロが書いたフィリピの信徒への手紙の1章12節にこう記されています。「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。」
イエス・キリストによって捕えられた神の僕パウロは、たとえ牢獄の身であれ、どこであれ、復活の希望の福音に与っているという確信のもと、全く自由に何の妨げもなく、福音を伝え、あかし続けることができたのですね。本物の自由とはこういうものではないでしょうか。主イエス・キリストによって集められ、立てられた教会の福音の拡がり、それは、如何なる世の権力であれ、何者であろうと、止めることができない、ということを使徒パウロをして証ししているのであります。

今も、教会と主イエス・キリストとそのご計画は、ペンテコステに臨んだ聖霊の御業とその御力をもってゆたかに働かれています。この主の御業に私たちも共に与りつつ、福音の拡がりを証しする者とされていきましょう。主の御名を賛美いたしましょう。
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聖霊の働き

2015-05-24 12:54:42 | メッセージ
礼拝宣教 使徒20章17節~24節

本日は聖霊降臨日:ペンテコステです。主イエスが十字架の救いの業を成し遂げられ天に昇られて後のことですが。使徒言行録2章以降に、「五旬節の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるように音が天から聞こえ、彼が座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」と人類史上初の聖霊降臨の出来事が記されています。
聖霊は、そのように一同が一つになっているところに臨まれます。一つになるというのは一つ心になって祈っている状態を表します。その祈りとは、使徒言行録1章8節でイエスさまが「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と言われたことが実現するための祈りです。まさにキリストの使命(ミッション)と祈りに聖霊は臨まれ教会が誕生するのです。
又、聖霊は一人ひとりの上に、とどまった、とありますように、主によって集められた教会の一人ひとりにキリストの教会を建てあげるため、そして主の救いを宣べ伝えるための炎のような舌;すなわち福音の言葉となって留まるのですね。そうして誕生した教会を起点に主の証しと福音が言葉や文化の隔たりを乗り越えて全世界に伝えられていくのです。まさに私たちの大阪教会もこの聖霊降臨の恩恵によってこの地に福音の根をはってよき知らせを宣べ伝える実に64年の歳月を経てきたのですね。

さて、本日は使徒言行録20章より、使徒パウロがその困難にも拘わらず聖霊に促されてエルサレムに向かうという決意を、エフェソの教会の長老たちに告げるその箇所から御言葉を聞いていきます。
パウロはわざわざ人をやって60kmも離れたエフェソから長老たちにミレトスに集まってもらうのですが、それは以前エフェソで起こった騒動に再び巻き込まれるとやっかいなことになるという理由からかも知れませんが、16節によると「できれば五旬節にはエルサレムに着いていたかった」という願いからエフェソには立ち寄らなかったようです。
パウロにとってエフェソでの福音伝道は様々な苦難や試練がありました。彼はそのエフェソでの福音伝道を次のように総括します。19節以降で、「すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。役に立ち事は一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。神に対する悔改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰を、ユダヤ人にもギリシャ人にも力強く証ししてきたのです」とこのように述べています。使徒パウロといえど己の無力さに涙しつつ、しかし幾多の困難の中で大きな忍耐をもってその証をエフェソにおいて地道に続けることによって、そこで神に立ち返り、主イエスを信じて救われる多くの人が起こされ、又いくつもの家の教会ができていったのも恵みの収穫であったのですね。ですから、まだエフェソにとどまって福音伝道することも彼の選択肢として十分考えられたわけです。
けれども彼は、「霊に促されて(霊に縛られて)エルサレムに行きます」との決意へ導かれるのであります。

水曜日の聖書の学びでも話題になりましたが、ここでの聖霊に促されてはいい訳ではありません。原意に近い岩波訳ではここを「霊に縛られて」と訳しています。促されるのと縛られるのとは大きな違いがあります。パウロは霊に縛られてエルサレムに行く決意へ導かれるんですね。縛られて、捕えられてと言ってもいいでしょう。そのようにエルサレムに行くというのですから、本音を言うと、人間的に自らなのり出て行こうとは思えない。けれども行かないわけにはいかない。そのような聖霊の促し以上の押し出しともいえる迫りを受けていたということでしょう。
パウロ自身「ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」と言い、エルサレムに行けば大変な艱難が待っていることは分かっていました。それにも拘わらずパウロはエルサレム行きを決意した。否、しないではおれない聖霊の力が迫ってきていたのです。

彼は次のように決意を表明いたします。
24節「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」

このパウロの決意は、彼の信念によるもではなく、彼が「霊に縛られたがゆえに」導かれたことに外なりません。
「霊に縛られる」というのは、何か変な言い方のようにお思いになる方もいらっしゃるかも知れませんが。金縛りとか何とかいいますようね。けれどそういうことではなく、パウロは自分自身のことをキリスト・イエスの奴隷とか僕、と言い表しました。主イエス・キリストとその救い、神の愛に捕えられ、それゆえに奴隷が主人に服従するように仕える者なっている。「霊に縛られる」とはそのような響きをもった言葉だと思います。
パウロはユダヤ教徒のエリートであったとき、その知識と神への熱心を誇り、排他的になってクリスチャンを異端者だとひどく迫害し、そのことさえ自らの誇りとして生きていました。そんな折、パウロはさらなる迫害のためダマスコの途上で、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」との呼びかけを聞きます。パウロが「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」との答えがありました。彼は大きな衝撃で目が見えなくなってしまいます。これまで主のためにと熱心にキリスト教徒と教会を迫害していたことが、実は主に対する迫害であったことを知ったパウロはその後、これまで自分が迫害を加えていた主の弟子アナニアによる執り成しの祈りによって、主の救いと聖霊の満たしを受け、深い回心と共に、目が元どおり見えるようになり、バプテスマを受けて、元気を取り戻すのですね。
パウロはこの自分が敵視し、迫害していた主の弟子アナ二アとの出会いによって、主イエスの十字架の意味、愛と赦しの福音を体験し、彼は神に悔改め、主イエスを信じて救いを体験するのです。そこから彼の伝道者としての歩みが始まり、3回の伝道旅行が示すとおり主の福音を様々な地に伝えていきました。しかし、それはまた主イエスと共なる、すなわち軛を共にするように、多くの苦しみや試練の始まりでもあったのですね。

本日のところにありますように、「彼は霊に縛られて、エルサレムに行こう」との決意へ導かれるのです。彼をそこまでかり立てたのは何であったのでしょう。それは先程の24節にありますとおり、「主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするとの任務を果たす」ためであったのですね。
神の恵みの福音、それはまさに罪のゆえに滅ぶ外ない者であったのに、そのような者に罪を贖ってくださった神の御子イエスとその十字架による神との和解の福音であります。その福音の圧倒的な力に捕えられたパウロは、その生涯を主のために捧げました。
エルサレムに行くことは、投獄と苦難を受けることを意味していましたが、パウロを捕える主の御霊に押し出され、主イエスによって救われた恵みを、エルサレムにおいて語る決意へと導かれるのですね。

パウロは「主イエスからいただいた神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」と、非常に重たい言葉を語ります。私たちクリスチャンはこのパウロが語った言葉に無感覚でいられるでしょうか。私どもは「主イエスからいただいた、神の恵みの福音」に捕えられた人、その深い感謝と応答を見るのであります。

先程、K姉の入会の証しを伺いました。3月に何かの力に押し出されるように大阪教会に来たのは偶然でない神さまの導きをおぼえているとのそのお証し、又、姉妹は聖書を読む度、神の言葉は生きている、と聖書に触れる毎に心動かされ、涙があふれてくるということをいつも伺っておりましたが。それは、神の招きに背を向けて来た事への悔改めと、主イエスによって神に立ち返ることができた喜びから来るものであることを、そのお証しから知らされます。そのような主の恵みを語らずにはいられない。
それがまさに炎の舌であり、聖霊のお働きなのですね。
そのようにこの大阪教会が福音を証しし、伝え、主の救い与って生きる喜びを分かち合っていくためには、まさに聖霊の力とお働きが必要です。すでに主は福音の様々な出会いと出来事を起こしてくださっておられます。私どもそれに応えていけるように、いよいよ深く、聖霊の力と助けを共に祈り求めてまいりましょう。
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この町にわたしの民が大勢いる

2015-05-17 19:41:31 | メッセージ
礼拝宣教 使徒18章1節~11節

2015年4月にこの大阪教会の牧師として着任して丁度10年が経ちました。その牧師就任式のとき、牧師受諾と決意の言葉を述べさせていただいたのですが。その中に記させて戴いたのが本日の使徒言行録18章9節「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いる」との御言葉でありました。
この10年間に召天者や転出者もございましたが。バプテスマ者と転入会者を合わせますと27名の方々を神さまは大阪教会に加えてくださいました。
それは一重に主なる神さまの御業でありますが。同時に、それは牧師と共にここまで教会につらなり、祈りとお働き、ささげものをもって共に歩んでくださった方々、兄弟姉妹がおられたからです。実に教会と主の証しは共に立てられ、なされてきたのですね。これからも主日礼拝と祈祷会がどんな状況下でも継続され、主の福音がより多くの方と分ち合われてゆくために祈りを合わせて前進していきたいと願っております。

さて、先週はパウロのアテネ伝道の記事より聞いていきましたが、本日はアテネからコリントへ舞台を移しての記事より御言葉を聞いていきます。

パウロがアテネを去ってコリントに行った当時、彼は大変疲れをおぼえていました。
Ⅰコリント2章3節につぎのようにその胸中が記されています。「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。」アテネでの伝道はパウロにとって相当厳しく、しんどいものであったことが読み取れます。知恵と力を尽くしたにも拘わらず、そこでは目に見えるかたちで大々的に回心者が起こされることがありませんでした。ある意味うまくいかなかったと落胆していたのではないでしょうか。けれども後々そのアテネも主イエスの福音が広く受け入れられてゆく事になるとは、この時のパウロは知るよしもなかったのです。何よりもパウロを悩ませ衰弱させた要因は同胞のユダヤ人たちからの反抗や迫害もあり、パウロの身心は弱り果て、恐れに取りつかれ、ひどく不安であったというのですね。

そういう中、本日の箇所には、そういうパウロの支え手となった福音の同労者が幾人も登場しているのです。
まず最初に登場するのが、アキラとプリスキラ夫妻です。彼らはローマに住んでいたのですがローマ皇帝による「ローマに住む全ユダヤ人はローマから退去せよ」との命令によって、イタリアからコリントに逃げざるを得なかった、いわば政治的難民でした。パウロは彼らがユダヤ人クリスチャンでしかもパウロと同じテント造りの仕事をしていたのを知って、彼らを訪ね、彼らの家に居候となって、一緒にテント造りの仕事をします。そうやって生計を立てながら、週に一度安息日にはユダヤ会堂で論じ、ユダヤ人やギリシャ人の説得に努めた、というのです。福音を伝えたと記されず、「説得に努めた」と記されたのは、想像しますに如何に福音を伝えることに困難と厳しさが伴っていたかを物語っているように思えます。
律法や戒律や昔からの言い伝え。又、哲学等の学問で凝り固まったその心に、主イエスの十字架と復活の救いの福音はなかなか届かず、それどころか、命の危機、身の危険を感じていたのです。
そういう中、このアキラとプリスキラ夫妻についてパウロはローマの信徒への手紙の中で、「命がけでわたしの命を守ってくれた協力者」(ローマ16章3-4節)と感謝をもって紹介しています。ほんとうに彼らはパウロにとって大きな支え手でした。

又、パウロにはシラスとテモテという支え手が与えられました。
彼らによって、パウロはユダヤ人に対して御言葉を語ることに専念できるようになった、と記されていますよね。おそらくマケドニア州での働きを経て来たシラスとテモテとの再会は、パウロの伝道スピリットを再燃させ、その使命への確信を得る機会となり、5節にあるように再び「メシア(キリスト)はイエスであると力強く証し」できる力となったのでありましょう。又、パウロが御言葉を語ることに専念できたというのは、シラスとテモテらによって家の諸集会から経済的支援が届けられたということも考えられます。いずれにしましても、パウロにとって福音の使者である同志の支えはいかに大きな力になったことでしょうか。
そこで、主にパウロはコリントのユダヤ人たちに福音を伝えることに専念して御言葉を語りましたが、ユダヤ人たちから反抗され、口汚くののしられます。すると、パウロは服の塵を振り払って、「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く」と言ってそこを立ち去るのです。
パウロは自分の出来ることをすべてなし、ユダヤ人に福音を語ったのです。あとは、
これはもう受け取る側の問題です。

パウロは、ティティオ・ユトスという人の家で福音を伝え始めました。彼は異邦人で、パウロから福音を聞いて主を信じた人であったようですが。パウロに家を提供して、集会をもつことに協力を惜しまなかったのですね。ユトスも又、パウロが福音を伝えるその働きに大きく貢献した助け手となったのです。
彼の家はユダヤ会堂と隣り合っていたようですが、それは単なる偶然ではないでしょう。パウロがそこを福音伝道の拠点にしたのは、ユダヤ人たちに対する挑戦であったようにもとれますが、ユダヤ人にも福音が開かれるチャンスを伺ってのことだったのでありましょう。
すると、何と隣の会堂司であったクリポとその一家が、福音を聞いて主を信じるようになった、というのですね。彼はパウロに反抗し、ののしったユダヤ人たちに近い立場のものであったわけですが。しかし主なる神さまのなさることは本当に人の思いを遥かに超えているのです。又、コリントの多くの人々(異邦人)も、パウロの言葉を聞いて信じ、バプテスマを受けた、というのです。素晴らしい救いの出来事が大きく起こされていったのです。
ところがそのことは、ユダヤ人たちにはパウロに対する激しい妬みと憎悪を燃え上がらせることとなります。パウロ自身も、そのことを感じ取り、恐れと不安に苛まれるようになっていったようであります。彼は一時このコリントから離れようかとまで思い詰めていたのか知れません。

そんなある夜、主は幻の中でパウロに語られます。
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」

パウロは大きな励ましとなる神の言葉を受けるのです。
「わたしがあなたと共にいる。」実はパウロはコリントにおいてすでにそのことを経験していたのですね。彼が極度に衰弱しきっていた折、異邦人のアクラとプリスキラ夫妻との出会いがあり、さらに行き詰まりの中で、同労者だったシラスとテモテとの再会があり、さらに異邦人のユトスとの出会い、ユダヤ人の会堂司クリスポ一家の救いの出来事と、それらすべては、実に、主なる神さまがパウロと共にいて働いてくださる証であったのです。それらの出来事の中に先立ちの主が共におられたのです。
さらに、アテネ同様伝道が難しいと予想されたこのコリントにおいて、実に多くの人たちが、福音を聞いて主を信じました。それはまさにこのコリントの町に主の民が大勢いるといわれたことの証明でありました。だから「恐れるな。語り続けよ。黙っているな」と、主はパウロに叱咤激励なさるのです。
パウロはこの主の御言葉によって、その後1年6カ月コリントの町にとどまって、人々に神の言葉を教えた、というのですね。このとどまってとう言葉は、「腰を据えて」という意味です。コリントにパウロはそこまでいると想定していなかったかも知れませんね。しかし、彼はその地で腰を据えて神の言葉を伝えたというのです。
 私ども大阪教会もこの地において伝道開始されて64年の歳月を経てきたわけです。本日は午後から伊丹バプテスト教会の伝道開始50周年記念礼拝が予定されておりますが。伊丹教会の前身の伊丹伝道所は、今から50年前、この大阪教会から12名の信徒が株分けされて1965年5月23日のペンテコステに伊丹伝道所の最初の礼拝が捧げられたということです。この1965年当時、大阪教会には10の伝道所があったそうですが、ほんとうに生み出す教会であったのですね。
 しかし、同時にこの天王寺においてこれまで64年間変ることなく福音が語られ続けてきました。それは歴代の牧師が一人でなしてきたものでは決してありません。牧師の福音宣教は教会の祈りによって導かれ、その御言葉は私どもを取り巻く様々な出来事とつながっているのです。共に賛美し、共に祈り、共に聖書に聴く。そのような主の交わりの中で、福音は伝えられ続けてきましたし、これからも変わることのない私どもの福音宣教の業であります。
福音がどう人に聞かれ、受けとられるかどうかは、人の領域ではなく神さまの領域です。大切なのは、時がよくてもわるくても御言葉を伝え続け、福音を証しし続けることです。ローマ書10章14節に「信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう」とパウロは記しておりますが。救いの恵みと喜びに与って生きるクリスチャンは、その福音をさらに他者、隣人と分かち合う祝福に招かれています。
御言葉を伝え、福音を証しするといいましても、自分の能力や頑張りでするとかえって難しいですよね。それは自分ではなく、神さまがなしてくださった一つひとつの恵みの出来事を語り伝えればよいのです。そのことに目をとめる時、そこに福音と呼べる主の証しが日々のあゆみの中に沢山起こされていることに気づくでしょう。そのような神さまがなしてくださる出来事に目をとめ、その恵みを共に分ち合うことが大事なのですね。恵みというと、何か人の目に良いことばかりを思うかも知れません。しかし、むしろ困難の中で生まれる祈りと賛美の中に福音の証しは立てられていきます。パウロは同胞であるはずの人たちからの反抗と攻撃に衰弱する最中にも、十字架と復活の主イエスが共にいて働き続けておられることをまさに知らされ、励まされて、その地に腰を据え、福音を語り続けました。
大阪教会は新会堂に建ってからというもの、イエスさまが「新しいぶどう酒は、新しい革袋に」とおっしゃったような新たな出会いと出来事が次々に起こされております。さらにここ最近何か神さまの恵みの風に吹かれているような、これまでとは違う格別な主のご計画が新たに進み出したような思いがしてなりません。また、私たちはそれぞれに何がしかの課題を抱えおりますが。主はそんな私たちに助け手、支え手を送ってくださっておられるのです。福音を信じてあゆむ恵み、幸いを、日々かみしめていきたいものですね。
「恐れるな。わたしがあなたと共にいる。この町には、わたしの民が大勢いる。語り続けよ。」この御言葉の励ましと促しに応え、主の御業を見させていただきましょう。
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あなたがたが知らずに拝んでいるもの

2015-05-10 15:33:43 | メッセージ
礼拝宣教 使徒17章22節~34節


今日は「母の日」です。お母様方の日頃のお働きに感謝を表したいと願います。又、お母様をすでに天に送られた方がたもおられることでしょう。いずれにしましても、それぞれにお母さまへの感謝の思いを込め、主に礼拝をお捧げしていきたいと願います。

本日は使徒言行録17章使徒パウロのアテネでの伝道の記事から、御言葉を聞いていきたいと思います。当時このアテネはギリシャの首都コリント同様政治、文化が大変栄えていました。特にアテネは哲学をはじめ、科学、天文学、医学、美学などの学者や大家が世界中から集まっていた、いわゆる大学都市、学問が発達した地でした。ところが、その先端の文明、文化が栄えるアテネの丘や街頭、家々にも、偶像が祭られ、祭壇があり、銅をいったり、大理石に刻んだ女神像や男女の裸の像、動物の像などがアテネの市内や市外地のいたるところに立ち並んでいたのでありました。まあこの日本の国も仏像や動物など様々な像が立ち並んでいるような場所がいくつもございますが。都会のど真中のオフィースビルの屋上を見上げると、「赤い鳥居」や「祠(ほこら)」があったりします。通天閣の回りはビリケンさんだらけですけど。近頃野球場の敷地にも神社らしきものが作られ選手やファンが必勝祈願をしているようですが。まあ科学技術がこれだけ進んだこの文明のど真ん中に鳥居やほこらといったものがあるというのはどこか不釣り合いのようにも思えますが。しかし、それがどんなに文明や科学技術が進んでも、人は本来拝むべきお方を求める存在であるかを示しています。今日はそのような文明社会の中で使徒パウロが如何にその人たちと向き合い、生きておられる真の神を伝えようとしていったのかを、心に留めていきたいと思います。又、神は教会という建物に宿られるのではなく、神を信じる交わりの内に生き生きと働いておられるのです。

さて、16節で、「パウロはアテネでシラスとテモテが来るのを待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した」と記されています。
パウロにしてみれば、真の神は人間が作った偶像に留まるような方ではなく、自由に生きて働くお方であるのに、人々がそれら偶像を神のように崇拝の対象としていることに強い憤りをおぼえたのでしょう。
そこでパウロは、アテネのユダヤ会堂に行っては、ユダヤ人や神をあがめる人々と論じ合い、広場では居合わせた人々と毎日議論を交わします。また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者とも討論し、イエスと復活についての福音を告げ知らせます。まあアテネは哲学をはじめ様々な新しい話題に毎日事欠くことなく、いつも町かどの至るところで議論されていたようです。
そんな中、パウロは哲学者たちから「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか」という提案を受けます。これは、彼らが心から神の言葉を聞こうとしていたというより、パウロを試して自分たちの好奇心を満たすためであったのですが、パウロはその機会を用いて、アレオパゴスの評議所でアテネの町の人たちに、イエスと復活についての福音を改めてそのような公の場において告げ知らせた、というのが今日の箇所であります。

パウロはまず最初に、22節「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。」23節「道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇を見つけたからです」と語りかけました。

「彼は初めにアテネの町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した」とあるわけですけど、ここではかなりソフトに聴衆に向けて語りかけていますね。それは彼がアテネの人たちに対して憤慨していたのではなく、彼らが生きておられる神を知らないがゆえに、偶像に囚われているそのことに憤りをおぼえていたのですね。そして彼らも実は真の生ける神を求めているのだけれども、その方向が的外れであるということを知るのです。パウロはまずこのようにアテネの人たちの信心について理解を示した上で、23節「それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう」と、いよいよ本題に入っていきます。
信仰というものは時に信念を持つがゆえに人を裁くということが起きがちです。「それは間違っている」「それはこうあらねばならない」と裁き、押しつけたりすれば、そこに溝ができ福音を分ち合うことはできなくなってしまうでしょう。正しいことは正しいとしながらも、相手の状況や立場に思いを向けることは大切な事です。

さて、パウロは24節から25節において「この世界と、その中にある万物をお造りになられた神は、手で造った神殿などにお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人々にその命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです」と語ります。
旧約聖書の申命記4章を見ますと、偶像礼拝に対して次のような警告がなされております。おそらくこのところがパウロの言葉の中に語られているのでしょう。そこには「自分のためにいかなる形の像も造ってはならない。男や女の形も、地上のいかなる獣も海に住むいかなる魚もとあります。さらに、「目を上げて天を仰ぎ、太陽、月、星といった天の万象を見て、これらに惑わされ、ひれ伏して仕えてはならない」とあり、「それらは、あなたの神、主が天の下にいるすべての民に分け与えられたものである」と記されていますね。
真の神さまは、わたしたちが生きるために必要なものをすべて備えてくださるお方であります。自然の空気や水も太陽の熱や雨も、命の糧も、その源は神の賜物です。そのような恵みの神であるお方がおられるのに、その恵みの神を知らず、手で造った偶像を神として拝むということは、神に罪を犯すことで、如何にむなしいことでしょうか。

さらに26節から29節において、「神はひとりの人から、あらゆる民族をつくり出して、地の全面に住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました」とあります。
言葉や肌の色、文化の違いはそれぞれ創造主の賜物であり、すべての人は神の家族であるのです。パウロはそれをギリシャの詩人の「我らは神の中に生き、動き、存在する」「我らもその子孫である」との言葉を引用して、アテネの人々に語りかけます。

この文脈の27節で「神が世界中にその子孫をそのお定めになったところに住まわせたのは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見出すことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人ひとりから遠く離れてはおられません」と、そのようにパウロは語っているのですが。それは実に、このアテネの人々もまた「知られざる神に」と刻んだ祭壇まで築いて、神を探し求めている人々であり、神の子孫であって、探し求めさえすれば、生ける真の神を見出すことができる。神はあなた方から遠く離れておられない、というのですね。
パウロはここで、アテネの人たちを前に、自分の持てる限りの信仰とその知識と、又彼らに馴染み深いギリシャの詩人言葉を引用して、アテネの人たちが理解できるように彼らの土俵にあがって、神の存在について説き明かしているのですね。彼は後に訪問し開拓していったコリントの信徒たちに送った手紙でこう書き記しています。第一コリント9章の中の一部ですが。「わたしはユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」彼は主イエスの福音を何とかして伝えるため、相対する人とその背景にまで思いを至らせ、思いやりをもって大胆に福音を伝えていったのです。
足もとにも及びませんが、この福音伝道のスピリットに私たちも倣う者でありたいと思います。先日、「ふうけもん」という元祖便利屋さんの実話に基づいた映画のアンコール上映を観賞いたしました。もう何度も泣ける場面がありました。どうしようもなくさまよっていた主人公の男が路傍伝道でイエス・キリストを信じて救われ、便利屋となるのです。それは「人のために人となる」をモットーに新しく生まれ変っていくという物語で、その人を変えていく福音の力に魅せられました。

さて、いよいよ30節から31節で、パウロの最後の訴えがなされます。
30節「神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。」
「今」というのは、イエス・キリストによって万人のための救いが成し遂げられた「今」という意味であります。
31節の「先にお選びになった一人の方」とは、まさしくイエスさまでありますが。
パウロは、この主イエスによってアテネの人々が偶像礼拝から解放されて、「まことに拝むべき神に立ち返って生きるように」と、力を込めて訴えているのです。

アテネの人たちが「知らずに拝んでいるもの」とは、まさに主イエス・キリストなる神であったのであります。
24節で、パウロが言っているように、「彼らは神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えて」、偶像崇拝を繰り返し、その神さまに対して罪を犯し続けていたのです。その行く末は滅びでしかありませんでした。それにも拘わらず、その当然受けなければならない偶像崇拝の裁きを、神の御独り子イエスさまが負われ、その死によって清算してくださったのであります。しかるに、パウロは「神はこの方(御独り子イエスさま)を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになった」と、最後に締めくくっています。生ける神の力と業の証明は、まさにこの真の神さまが生きて働いておられる、ということにあります。

このアテネの町でのパウロの福音伝道の成果について32節から33節にこう記しています。「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシモ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。」
初めに「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか」と言った人たちは、自分たちの期待した学問的話や真新しい話が聞けなかったことに不満を持ち、ある者はあざ笑い、ある者は「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言ったとあります。パウロもその場を立ち去ったとあります。
一見すると、このパウロの福音伝道は失敗したかのようにも見えるわけですが。決してそうではありませんで、町の人から信頼を得ていたアレオパゴスの議員と、一婦人と、他にも何人かが、パウロの説き明かしを通して、主の恵みによって、悔改め、福音を信じるに至ったことは、どれほどパウロの心に、慰めを与えたか知れません。このアテネでの伝道、さらにこの後のコリントでの伝道はパウロにとって厳しく、苦しい体験をすることになりますけれども、しかし着実に主の福音の種があまたの地に蒔かれ、主の恵みによって救われる人たちが起こされていくのであります。そしてついに小アジア一帯、そしてアテネを含むローマ全土へ、そしてヨーロッパ、さらに全世界に福音が拡がっていく道備えとなっていくのですね。
 もちろんすべては主なる神さまの導き、聖霊のお働きによるものであることに違いありません。また、12使徒や名も知れぬ弟子たち、さらに迫害のため各地に散らされた名もなきクリスチャンたちの証しと働きがあったことは言うまでもありません。
今日はパウロのアテネ伝道におけるメッセージより聞いてきました。そこには主が福音伝道のために選ばれたパウロの、「福音のためにはわたしはどんなことでもする」というスピリットがあふれていました。それはきっとパウロ自身がただ主の恵みによって救われ、生かされているという体験をしていたからこそ、彼はどんな立場の人にも、どんな生活をしている人にも誠実に向き合い主の福音を伝え続けることができたんですよね。私たちも、今日のこの箇所からたくさんの励ましや希望を戴きます。それぞれに、福音を分かち合う者とされるよう、主に用いていただきましょう。
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主イエスの恵みによって

2015-05-03 13:24:38 | メッセージ
礼拝宣教 使徒言行録15章1節~21節 

先週は中野先生(日本バプテスト同盟高槻バプテスト教会牧師・ピアニスト)をお迎えしての特別礼拝と午後からのピアノコンサートが主の先立ちと導きのもと行われました。コンサートには初めて教会に訪れる方、久しぶりの方と、多くの方々が集われ盛会となりました。うれしかったですね。中野先生のメッセージ、ピアノ演奏と語りも素晴らしく、心に沁み入るように響き、平安と潤いをいただきました。こうして教会堂が用いられコンサートや催しを重ねていくことによって、福音の種が蒔かれていくなら何と幸いなことでしょう。ここから、いつの日か必ず主イエスの救いの実を結んでゆくにちがいないと、喜びと希望が与えられました。
今日は又、日本国憲法が1946年(昭和21年)に公布されて69回目の憲法記念日であります。改憲の動きが急速化するなか、これまで国家権力の暴走を防ぎ、国民の基本的人権や生存権を保証してきた日本国憲法が変容されようとしていることに、危機感を強くおぼえます。この改憲の動きに対し見張り人として警鐘を促し、現憲法のもつ尊さを発信していきたいと願うものです。
さて、本日から使徒言行録15章の方へ戻りまして、本日は15章のいわゆるエルサレムの使徒会議の記事です。この箇所はキリスト教が広義の意味でユダヤ人以外の異邦人に伝えられることになった大きな分岐点となったところでありますが。その議論の中心は、そもそも、主イエスの救いに与ったクリスチャンも、ユダヤの律法の戒律を厳守すべきか否かという大変大きな問題であったのです。それは、主イエスによって成し遂げられた「神の救い」の働きを否定するまさに福音の危機にあったのです。

主イエスが十字架の救いと復活の栄光を顕わされ天に昇られた後、約束された聖霊が降りキリストの教会が誕生します。神の御業はユダヤ人の間だけに留まりませんで、12使徒をはじめ先々週読みましたパウロとバルナバらの働きをとおして、異邦人にも主の御救いが起こされてまいります。本日の15章の前にでてまいりますアンティオキアの教会は、パウロやバルナバを送り出すなど異邦人伝道の拠点となりました。そんな主の恵みがあふれ出るような教会に、今日の1節の冒頭にありますように、「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』(アンティオキアの教会)と兄弟たちに教えていた」というのです。
割礼というのは、イスラエルを神の民とする約束のしるしとして、男子の包皮を切り取ることで、その共同体の一員とみなされという慣習でありますが。アンティオキアの教会にはバルナバやパウロの福音伝道によって救われた、多くのユダヤ人以外のクリスチャンがいたわけですから、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と言われると、それは大変な問題であったのですね。まさに、割礼という律法の慣習的儀式が神の救いにとって替えられてしまう。そういった危機感がパウロとバルナバに生じたのです。それは異邦人に割礼を受けさせてユダヤ人となる同化を強要することであり、神の救いの業よりも、人の業を重視することでもあったんですね。

神は御独り子イエスを通してすべての人びとの罪を贖い、救いの道を開いてくださいました。それにも拘わらず、その神の一方的救いの業を阻むように、「いや、割礼を受けなければ救われない」というのは、聖霊の働きを邪魔する、それは聖霊を汚すことに外ならなかったんですね。ですからパウロとバルナバは毅然と立ち上がり、そう主張する人々と激しい議論をしたのですね。
パウロが断固そのことに対して譲れないのにはわけがありました。彼もかつては非常に熱心なユダヤ教徒としてモーセの慣習や割礼を忠実に守り仕えていたのです。けれども主イエスとの出会いによって、彼は自分の義を立てようとするところに救いは得られないこと、そればかりか、自分の正しさを貫こうとしてクリスチャンを迫害してきたことが、実は主であるお方を苦しめ傷めつけてことを思い知らされるのです。彼は主イエスの十字架の苦難と死を目の当たりにし、打ち砕かれます。そしてそのような罪深い自分が神さまを傷めつけていたにもかかわらず、その主の贖いの恵みによって救われるという経験をしたのですね。だから、パウロは「ユダヤの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」という神の恵みを否定する教えに対して、自分の存在をかけて断固立ち向かうのです。
これは私たちも忘れてはならないことです。クリスチャンは何か立派な行いをしたかたクリスチャンなのではないんですよね。又、聖書の学びや知識があるからクリスチャンとされたのではないのです。私たちは、ただ主イエスの恵みによって救われている。
もっといえば、私たちは主のおそばにいつもおいていだだかなければ、滅びゆくほかないような者なのです。そのような者の救いのために、主イエスは十字架にかかり、血潮を流され、御体を裂かれて私たちが負うべき裁きを受け、神の義を全うなさったのです。主イエスの恵みによって救われるというのは、そういう非常に重たい出来事をとおしてもたらされたものなのであります。

さて、「この件(福音の危機の問題)について、使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上った」とあります。「一行は(アンティオキア)教会の人々から送り出された」とありますから、そこにはアンティオキアの兄弟姉妹たちの委託と派遣の祈りがあったことでしょう。一行がエルサレムに到着しますと使徒や長老たちの歓迎を受けます。その中で彼らは4節にあるように、「神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告し」ます。
彼らは又、その議論の中でも、12節「自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話した」とあります。
エルサレムの教会の使徒ペトロも又8節で、「神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らも受け入れられたことを証明なさったのです。(神は)彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別もなさいませんでした」と立って証言します。ペトロも、かつて自分が固執していた思いが壊される経験をしていました。彼はそのことをとおして、神が恵みによって、異邦人も福音を聞いて信じ、救われることを願っておられることを示されます。それは自分の心から出たことではなく、神さまのご意志から出たことであったと、明言するのです。
このバルナバ、パウロ、そしてペトロといずれにも共通しているのは、それが自分の思いではなく、神を主として、その「神がなさったことについての証し」をしていることです。
このペトロの証言の中で大事なのは、割礼によっては人は救われない、ということです。「神は、ユダヤ人だけでなく、律法を知らない異邦人にも聖霊を与えて、受け入れられた。神は彼らの心を信仰によって聖なる者として聖別してくださった。そこには何ら差別はない。それなのに、先祖も負いきれなかった律法の重荷を、異邦人の信徒に負わせ、神を試みようとするのか。」
ペトロは自分たちユダヤ人が救われたのは、律法によるのではなく、主イエスの恵みによるもの。このことは「異邦人たちも同様だ」と語りました。
 このペトロの言葉を聞いたエルサレム教会の全会衆は静かになったとあります。
「異邦人にも割礼をうけさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と主張していた人たちは、そこで救いの原点について深く問われたのではないでしょうか。

今日のエルサレム使徒会議の場において、エルサレム教会の実質的な指導者であったヤコブが最後に意見を述べます。彼はイエスの弟子のゼベタイの子ヤコブではなく、イエスの兄弟の一人であったヤコブだとされる人ですが。彼はシメオン、これはペトロのことですが、その彼が証言したことを受けて、その根拠を旧約聖書の預言者アモスの書から引用し、16節「その後、わたしは戻って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。その破壊された所を建て直して、元どおりにする」と語ります。
 この「わたし」というのは主ご自身です。主イエスの救いの到来によって倒れたダビデの幕屋、それは神の目からご覧になったイスラエルの民の霊的な姿を表わしているのでしょうが。それを主は元どおりにする、と言われるのです。これは主イエスによる救いの御業を示しています。
さらに17節~18節『「それは、人々のうちで残った者や、わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、主を求めるようになるためだ。」昔から知らされていたことを行う主は、こう言われる。』
 ヤコブはこのように旧約聖書で示された、主を求める異邦人についての預言が、今成就したとして、「神に立ち返った異邦人を悩ませてはなりません」との判断を示します。
 それは主イエスの御業における救いが、人のどのような行いにも勝って完全であることが確認された何とも感動的な瞬間でもありました。
ところが、ヤコブはそれに加えて、異邦人クリスチャンたちに4つの提案を示します。
それは偶像に供えた汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けることでした。これらは、ユダヤ人が非常に忌み嫌うことでした。しかしこれらとて、異邦人クリスチャンたちを「悩ませる」ことと変わりないように見えるのですが。
実はこのヤコブの提案にはある意図があったのです。
21節に「モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているからです」とヤコブが述べたように、異邦人クリスチャンの周りには、安息日ごとにユダヤ教会堂で律法朗読を聞いているユダヤ教徒がいるわけで、そういう人々の躓きにならないように配慮する、気づかうようにと言っているのですね。別にこの4つの提案は救いに必要だということではないのです。しかし、長い間守られ、受け継がれてきたユダヤ社会の背景と律法の教育の中にある人たちに対する心づかいとして、この4つのことは避けるように心がけてほしいと呼びかけているのですね。もしそれに反して自由だと主張し、勝手気ままなことをしてしまえば、ユダヤ人たちは、異邦人クリスチャンたちとの交流に心閉ざし、福音の拡がりを妨げることになることをヤコブは知っていたのですね。
ここに私たちも学ぶべき点が語られているように思えます。
教会生活に慣れてしまうと、ある意味兄弟姉妹への感謝も配慮も希薄になり、それが言葉や態度となって傷つけてしまったり、裁いてしまったりということも起こり得ます。私たちも弱く罪深い者であります。しかし、もう一度、自分自身が主イエスの十字架の苦難と死によって勝ち取られた者、ゆるされている者であることを、主の恵みによって立ち返るとき、主は兄弟姉妹お一人おひとりのうちにいまし、生きてお働きくださっていることを、信仰によって知ることができるのであります。

最後に使徒パウロの言葉をいくつか読んで本日の宣教を閉じます。
「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」ガラテヤ5章6節
「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。」
ガラテヤ6章15節
「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです。」
ガラテヤ5章13-14節

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