日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

試みの中で・・・

2020-09-27 14:57:42 | メッセージ

主日礼拝宣教 出エジプト記32章1ー14節

                                

「民とアロン」

先週のところでは、神がイスラエルの民に「十の戒」を授けられましたが。

19章3節以降で主はモーセに、「イスラエルの人々に告げなさい。・・・今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあってわたしの宝となる。」彼らはこうして主なる神と契約を結ぶのです。

ところが、その民はモーセが神の山に登ったきりなかなか下りてこないことから、モーセと行動を共にした祭司のアロンに訴え、こともあろうに「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください」と言うのです。

それに対してアロンはどうしたかと言いますと、「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい」と指示し、それを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の金の像を造るのです。すると、そのことに関わった者らは「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ」と叫び、アロンもここれを見て、祭壇を築いて、民に「主の祭りを行う」と宣言するのです。

彼らが400年間住んでいたエジプトは偶像に満ちていました。それは物質的繁栄を神々と呼ぶ世界であり、形ある輝かしいものこそが確かな祝福とされる生活であったのです。彼らは目に見えるリーダーがいない状況の中で早くもそのエジプトの状態に戻ってしまったのです。ここで民は献げものをなして祭りごとを行うのですが、座って飲み食いし、立っては戯れては、安易な安らぎと楽しみを満たし得ようと勝手気ままにふるまうのです。

民とアロンはどうして、あれほど自分たちを解放し、自由の身としてくださった救いの神さまを裏切るような行為、罪を犯してしまったのでしょうか?

民は、リーダーであったモーセが山からずっと下りてこないことに、もうモーセはいなくなってしまったのではないか。この先自分たちはどうしたらいいのかといった先行きの見えない大きな不安や恐れが起こっていたのではないでしょうか。そこで民は「我々に先立って進む神々を造って下さい」と訴えをしたのでしょう。

それにしても不可解なのは、モーセと共に民を先導してきたアロンがなぜ、その民の訴えに対して、それは罪だと指摘することなく、自ら主導するかたちで民から金の耳輪を集め、祭壇を築き、偶像の型をとり若い雄牛の金の像を作ってその前に祭壇を築き、主の祭りを行おうと宣言したのかということです。

アロンはある意味、民衆の心情や感情に流されていったとも考えられるでしょう。アロン自身、最も身近な者として神の御意志を直接取り継いできたモーセがいないとなれば、

どれほどの不安と、いったいこの多くの民をどうやって導けばよいのかという重圧で追い詰められていたのかも知れません。

アロンは民の思いに心乱される中で、「あなたがたの訴えは、神の戒めに対してふさわしいことか」と、問い返すことができなかったのです。「何が神の御思いであるのか」を祈り求め、確認していくときが持てなかったのか、と考えさせられます。

アロンは自分がモーセに代わるリーダーとなる時が来たと考えたのでしょうか?

民数記の12章には、アロンとミリアムが「主はモーセを通してのみ語られるというのか。我々を通しても語られるのではないか」とモーセを非難したという記事があります。同じところには「モーセという人はこの地上のだれにも優って謙虚であった」と記されています。民から神々を造るように頼まれた時、アロンが「金」を民から集めて若い雄牛の像を造ったというところにアロンの権力欲が表れているのかも知れません。

結局アロンのこの行為は、「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」「あなたはいかなる像も造ってはならない」「あなたはそれらに向ってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない」との神の戒めを破り、罪を犯すことに自ら手を染めるだけでなく、民もその戒めを破り、罪を犯させることになったのです。

ある意味、主はアロンを試みの中におかれたと考えることができましょう。主がアロンに託されている事の重大さを思います。アロンが主を第一として主に信頼し、まず祈り求めていたなら、彼の行動は大きく違っていたでしょう。

私は人におもねることなく神に従おうとしているだろうか、と心さぐられる思いです。

 

「モーセのとりなし」

次に、その主なる神とモーセについてでありますが。

7節、主はモーセに仰せになりました。「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落した、早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげ、イスラエル、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だと叫んでいる」。主はさらにモーセに言われました。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする」。

主なる神は、偶像礼拝を行った民に対して、モーセに「あなたがエジプトの国から導き上った(あなたの)民」と言われています。そこには「もはや、わたしの民ではない」といった厳しい断罪の念がこめられているようです。

イスラエルの民はそれまでにも空腹や渇きから、エジプトにいた方がよかったと呟いたり、不平不満をモーセにいって詰め寄ったりと、試みのあるごとに神に逆らう中、実にモーセのとりなしを得てきたのです。そうして遂に大いなる祝福の契約を結んだのです。

それは、結婚に象徴されるような愛と信頼の関係を裏切るような偶像礼拝を行ってしまうのです。「熱情」の神は、ねたむほどの愛の神であられると聖書に記されています。

ここで主は「戒めを破ったかたくななイスラエルの民をもう滅び尽くすから止めるな、モーセあなたからの子孫を大いなる民とする」と仰せになられるのです。

 

それに対してモーセは神をなだめてこう言います。

11節「主よ、どうして御自分の民に向って怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導きだされた(あなたの)民ではないですか」。

もはや御自分の民とはおっしゃらなかった主に、モーセは「この民はあなたの民ではないですか。あなたがエジプトの国、囚われの地からあなたの民として導き上られ、宝の民として祝福の契約を結ばれたではないですか」と言っているのです。

12節にも「どうしてエジプト人に、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼし尽くすために導き出した』と言わせてよいでしょうか。どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください」。モーセは「御自分の民」ではないですかと言っています。

先週の「十戒」の箇所で、主が罪を問われる者には三代、四代まで罪を問い、戒めを守る者への慈しみは幾千代にも及ぶ祝福を与えられるという、このあまりにも大きなひらきに、御自分の民とされた者への「熱情」とまでおっしゃるその「愛」「憐み」を知らされたわけですが。モーセはその主の愛と憐みが確かなことを唯願いながら民のゆるしを主に嘆願しているのです。いや、すごいとりなしの祈りです。まさにモーセの身を挺しての祈りであります。

民が神に対して犯した罪は、神が義と聖であられるゆえに、さらに契約のゆえにあまりに重いものでありました。

しかし、モーセがこのように主なる神に民をとりなしたことによって、主はこのモーセにあってイスラエルの民はゆるされ、主の民として再び受け入れられていくのです。モーセは神を愛すると共に、その民をほんとうに愛していたのです。

このモーセの愛の中にまさに罪のゆえに滅びるほかないような者のためにご自身を投げ打ってとりなされたお方がおられます

主イエス・キリストのお姿を見る思いがいたします。主イエスは、御自分を十字架につけるような者、神の愛を拒み続けるすべての人々の救いのために、十字架の上からとりなし祈られました。私たち一人ひとりも、唯、この主イエスのとりなしの祈りによって罪を贖われ、ゆるされ、受け入れられて救いに生かされているのです。そうして私たちも又、主イエスにおける新しい救いの契約のもと、神と人を愛する祝福を受け継ぐ者とされているのです。

 

「試みの中で・・・」

最後に見ていきたいのは、モーセもアロンとはそのおかれた状況は異なりますが、共通していることはともにリーダーとして「試みの中におかれていた」ということです。

主はモーセに、イスラエルの子孫に約束された「わたしの民」とする契約を破棄し、「あなたを大いなる民」とすると、モーセにとってはこれ以上ないともいえる名誉を与えるとおっしゃるのです。

それに対してモーセは主に次のように答えます。

13節「どうか、あなたの僕であるアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたは彼らに自ら誓って、『わたしはあなたたちの子孫を天の星のように増やし、わたしが与えると約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせる』と言われたではありませんか」。

モーセは自分の名声のためよりも、イスラエルの民に対する主の憐みとその信実が曲げられることのないようにと、民をとりなしたのです。それが自分でなく神の栄光のためであるからです。

14節「主は御自分の民にくだす、と告げられた災いを思い直された」。

もしモーセが主なる神をなだめることなく、イスラエルの民をとりなさなかったなら、アブラハムもイサクもヤコブも、そして壮大な出エジプトの救いの出来事もみな無効になったことでしょう。神とその民を愛し、謙虚であったモーセによって神のご計画は導かれ、成し遂げられていくのです。

本日は「試みの中で・・・」という宣教題をつけさせて頂きました。イスラエルの民とアロンとモーセのそれぞれが試みの中におかれながら、如何に立ち得たか、立ち得なかったか、見せられた思いです。同時に私はどこに立っているのかを主は試みの中で問われ、私たちの思いをさぐっておられます。

どこまでも、愛と憐れみの神を神としてあがめ、その神に信頼して生きる者とされてまいりたいと願うものです。

そして私たちにとりまして最大の執り成し手であられる主イエス・キリストに感謝しつつ、そのお姿に学び、倣いつつ今週もここから歩み出してまいりましょう。

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解放された者の道

2020-09-20 16:16:19 | メッセージ

主日礼拝宣教 出エジプト記20章1ー17 

 

本日は敬老感謝をおぼえつつ礼拝をお捧げしております。

私たちの大阪教会には70歳以上の方が19名おられますが。今年はコロナ禍のために様々な状況から、出席したくてもできないという方々もおられることと存じます。礼拝の招きのことばとして詩編90篇から、「千年といえども御目には 昨日が今日へと移る夜の一時に過ぎません。生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」との御言葉が読まれました。その90篇には、「人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が80年を数える」とありますけれども。今日の日本においては90歳、100歳というご高齢の方々が身近なところでも多くおられるようになり、今後教会でもますます増えていらっしゃるでしょう。礼拝と祈祷会に欠かさずご出席なさるSさんが、よく「この礼拝、祈祷会が元気のもとです」とおっしゃるのを私は大変うれしい思いでお聞きするわけですが。

8月より出エジプト記を読んでいますけれども、イスラエルの民が囚われのエジプトを出て、荒れ野の40年を旅するうちに、当然のことですが民の、第一世代の人たちが高齢となっていきます。民を先導するモーセやアロンも指導者として神の召命を受けた時、すでに80歳でしたけれども、モーセについて言えば120歳で生涯を終えるまで、彼の眼はかすまず、気力も衰えなかったとあります。けれども、だれもが言うまでもそういうわけにはいきません。険しい荒れ野を旅するうえでいつも、民のうちの高齢者のことを考えながら、彼らは宿営の旅を続けていったのではないかと思うのです。私共も昨今の大変な状況の中で、なお健やかに生涯の日を正しく数え続けていくにはどうしたらよいのかご一緒に祈り、考えながら共に実りある日々を歩んでまいりたいと願っております。

さて、本日は出エジプト記20章の「十戒」の箇所。「解放された者の道」と題し、主の言葉に聞いていきますが。神さまはこれらの十の戒めを授けるに当って、2節で、まずイスラエルの民に次のように語られていることに注目したいと思います。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」。

神さまはイスラエルの民に対して、わたしとあなたとの一対一の関係で、「わたしは奴隷の家からあなたを導き出して自由にした。わたしはあなたの神である」と宣言しておられるということです。エジプトの国ではファラオ(王)が主(神)のように崇められていました。そこではイスラエルの民は自由を奪われ、ただ奴隷のように扱われ、苦役を負わされるほかありませんでした。神さまはその奴隷の家からご自身の民を解放し、導き出されたのです。  

この十の戒めの前半の「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」「あなたはいかなる像も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それに仕えたりしてはならない」「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」「安息日を心に留め、これを聖別せよ」との4つの戒めは、その救いの神さまに対するものであります。神さまと私との一対一、汝と我という関係性。それがまず、救いに与って生きる者の人生の基盤になっていくのであります。私たちキリスト者も、主イエスが全人類の罪を取り除く神の小羊として十字架にお架かりになって、尊い御血を流し、御体を裂かれたことによって、罪の囚われから解放を受けた者であります。主イエス・キリストにある神との和解。そこにおかれた汝と我という関係性こそが、主の御救いに与って生きる私たちの人生の基盤なのです。まずこの主の呼びかけに応えて生きる者でありたいと願うものです。

後半の「あなたの父母を敬え」「殺してはならない」「姦淫してはならない」「盗んではならない」「隣人に関して偽証してはならない」「隣人の家を欲してはならない」の6つの戒めは人に対するものであります。この10の戒めのうち「安息日を覚え、聖とせよ」「父母を敬え」以外は「~してはならない」と言う否定的な禁止命令であります。まあ、このように「してはいけません」と言われることに堅苦しい印象を持たれる方も少なくないのではないでしょうか。しかしそうではありません。その真意は、主の御救いによって自由の身となって解放された者は、その主の深い愛と憐れみを知ることのゆえに、「もはやそのようにはしないであろう」ということであります。いわば神さまの私たちに対する期待がそこにこめられているのであります。

まあこのように見てまいりますと、この10戒は、主の過越しという贖いによって解放された者が神の宝の民とされ、祝福のうちに生きるようにという招きのことばと言えるのではないでしょうか。その神さまの御意志が強く表明されているのが5-6節のところかと思います。「わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしに戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」。

わたしを否む者には父祖の罪を四代まで問うという何とも厳しい断罪、裁きが語られておりますが。その一方で、わたし戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与えるという祝福の約束が語られております。けれども考えてみますと、罪を問われる者への三代、四代というのと、戒めを守る者への慈しみが幾千代というこのあまりにも大きな祝福の違いであります。その祝福の中心にあるのが、神の「熱情」とまでおっしゃるその「愛」であります。   それは、自由の身とされた民が再び奴隷のくびきを担い、囚われの身となって滅びの道に舞い戻るようなことがないように、熱情の愛をもって神さまはご自身の民を愛しておられるということであります。

わが子がその身に危険を及ぼすような行為をしたり、人に危害を及ぼすような行為をしたら、親は厳しくわが子を叱り、その過ちに気づくようにさとすのではないでしょうか。神さまは親がその子をさとすように私たちをいつくしんで下さるお方なのです。

私の母は私が物心つくようになった時期には今で言うシングルマザー、寡婦となって女手一つで私と妹を育ててくれました。私も小さい頃はやんちゃだったようで、幼稚園か小学1,2年頃、言う事を聞かないということで、時々「やいと」をすえられたものでした。文字通り手をやいた子だったわけですが。これは痛かった怖い母の思い出ですが。そんな母ですが私と妹を育て、生活するために本当にいろんな仕事を転々とし、多くの労苦を負ってくれていたということが、恥ずかしながら青少年期になってやっとわかるようになりました。やがてそういう母が年老いていき、だんだん小さくなっていき、弱くなっていくその姿を見るようになると、どこか寂しい思いにもなりました。が、この母の愛と支えがなかったなら、今の自分はなかった。自慢の母でした。  先週木曜日、救急搬送されていた病院から意識がなく、脈と呼吸が弱くなったという連絡が入り、急きょ看取りの覚悟を決め新幹線に飛び乗って小倉に向かうも、なんとその途上でもう母は亡くなっていました。悔しいという思いでいっぱいになりました。

コロナ禍の3月末に小倉の特養のホームのガラス越しに母の顔を見たのを最後に、ずっと会う事もできず、そして最期の看取りも叶いませんでした。  しかし思えば、小倉の南ヶ丘の家で母が一人のとき、認知症が進んで徘徊を繰り返すようになり、ある時には路上に低体温のまま倒れているところ、心ある方が救急車を呼んでくださったり、又ある時は高速道路を1人でさまよい歩いているところ保護されたりと、これまで何度も母は死にかかっては命拾いするということがあったのです。そのころは妹に大変な負担をかけました。まあ、いろんな方々に助けとお支えを頂いて今日まで来れたんです。あらためて、母は幸せだったのではないかとそう思えるようになりました。私には正直実はまだ母が亡くなったという実感がありません。まだ生きているという実感しかないのです。おそらく今後、ああ、もう母は地上にいないということに気づくのかとも思えますが・・・葬儀は昨日でしたが、私が式をさせていただきました。それはまだある程度会話ができていた生前、思い切って母に亡くなったときのためのお話をして、母は自分の宗教観があったわけですが、それでも「式はお願いするね」ということになったからです。私が高校生の時にバプテスマを受ける決心を母に話した時も、仕事を辞めて神学校に行くため小倉を離れて大阪に旅立った時も、心配しながらも理解を示して送り出してくれた母でした。牧師になった時も誰より喜んでくれたのはやはり母だったと思います。ただ感謝しかありません。

今日は敬老感謝を覚えての礼拝を捧げておりますが。十の戒で、人に対して最初に語られたものが「あなたの父と母を敬え」という主の御言葉なのです。また、この「あなたの父と母」とは、モーセに先導された民の同胞、神の家族にある霊的な父母であるとうことでもあります。具体的に私たちにとりましてそれは、主にあるこの教会の人生の諸先輩、信仰の先達、キリストにある父母であるということであります。この御言葉には、「そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる」とありますように、信仰の先達によってこの教会が守られ70年、主の証が立てられてきた。その上に今の私たちの教会があり、信仰の恵みが分かち合われ続けているのです。そのお一人お一人に敬意を払いつつ、祝福と御守りとを祈り、覚えてまいりましょう。十の戒めは、人を縛り拘束するためにあるものではなく、奴隷の身から自由の身とされた神の民が、神の熱情の愛を知ること。その愛なる神を第一とし、神の愛に倣って他者を自分のように大切にして愛するなら、個々人のみならず共同体全体の祝福と平安が伴う。その神さまの宣言なのであります。新約の時至って、神は御独り子を十字架におかけになってまで、私たち罪深い者が救われるために、その熱情の愛を示してくださいました。

この主の恵みに応え、今週も御前に正しく人生の日々を数えてまいりましょう。

 

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一人では負いきれない

2020-09-13 13:14:26 | メッセージ

礼拝宣教 出エジプト18章12-27節

                               

今日は先に読まれました箇所から「一人では負いきれない」と題し、御言葉に聞いていきたいと思います。「ああ、もうとても一人では負いきれない」と感じたり、心と体が悲鳴をあげているのに、目の前のことをとにかく私がやらなければと頑張って体調を悪くしてしまったという経験をお持ちの方もおられるのではないでしょうか。しかしあの偉大なモーセさえも実はそういう状態に陥っていました。モーセにはイスラエルの民をエジプトから脱出させた後、待ち受けていました。その一つは、今日の箇所に8回も出てきます「裁く」ということです。それはモーセがイスラエルの民と神さまとの間に仲立ちして、民に日々起こっている問題を裁くことでありました。    

イスラエルの民は、生活の困ったことや仲間同士のいさかいごと等、すべてをモーセに判断してもらおうと、モーセのところにやって来ました。神の前に何が正しいのか、悪なのか。もめごとをどうすればよいのか、彼らは公正な裁きと判断を必要としていたのです。それは「行列のできる相談所」じゃありませんが毎日途切れることなく、人々は朝から晩までモーセに裁いてもらおうと待ち並んでいたと言うのです。さすがのモーセも日々務めに追われ疲れを覚え、時には判断がつけられず苦しみ悩むこともあったのではないでしょうか。

姑のエトロがやってきたときも、大勢の人々が彼の裁きを求めて朝から晩まで並んでいました。その様子を目にしたエトロは思わずこう口にします。「あなたが民のためにしているこのやり方はどうしたことか。なぜ、あなた一人だけが座に着いて、民は朝から晩まであなたの裁きを待って並んでいるのか」。

それに対してモーセは「民は、神に問うためにわたしのところに来るのです。彼らの間に何か事件が起こると、わたしのところに来ますので、わたしはそれぞれの間を裁き、また、神の掟と指示とを知らせるのです」と答えました。そこでエトロははっきりとこう指摘します。「あなたのやり方は良くない。あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ」。モーセ一人で、民の全員の相手をするのはどう考えても無理がありました。神のご意志を正しく聞き、裁くことは神が課せられた務めであるとの使命感、又責任感が強くあったのではないでしょうか。神の御前に日々立ち続けるというプレッシャーはとてつもなく大きなものであったことでしょうが、それは又、長蛇の列に並んで裁きを待ち続ける民衆にとっても大変なことだったでしょう。エトロはそれらを見抜いて指摘したのです。

こういうお話を聞きました。「ある若い牧師が、自分の初めて赴任した教会で幾つもの仕事をこなしていました。その教会では、信徒の高齢化であらゆるところにスタッフが足りていなかったのです。教会学校では、子ども向けに話をできるという人が一人しかいなかったので、牧師が月に三回メッセージの担当をしていました。パソコンを使える人がいなかったので、教会の記録や集計は全て牧師が行っていました。彼は一応オルガンを弾くことができましたが、教会には他に一人しかオルガンを弾ける人がいなかったので、牧師が奏楽とメッセージの両方をやる週もありました。牧師は毎日ヘトヘトになりながら、自分を助けてくれる人が現れるよう祈りました。「主よ、どうかこの教会に若い人を与えてください。子どもたちにお話ができる人を、パソコンで記録が打てる人を、オルガンで奏楽ができる人を与えてください」。しかし、彼がいる間、そういった人が新しく教会にやって来ることはありませんでした。数年経って、その牧師は新しい教会へ赴任することになりました。彼は疲れ果てていましたが、自分がいる間、何とかやりきったとホッとしていました。教会員の人たちも、彼が非常にがんばってきたことを知っていたので、心からの感謝をもって送り出そうとしていました。そんな時、ある信徒の一人が別れ際にこう言ったのです。「先生、本当にこの数年間、私たちの教会で多くの働きを担ってくださり、感謝しています。しかし、新しい教会へ赴任されたら、私たちの教会でやってきたように、何もかも一人で背負わないでください。たとえ、次の教会で子どもたちにお話できる人がいなくても、聖書の絵本や紙芝居なら、読み聞かせてくれる人がいるでしょう。パソコンで記録を打てる人がいなくても、手書きでよければやってくれる人がいるでしょう。オルガンを弾けなくても、ピアノだったら弾けるという人が、この教会のように一人はいるかもしれません。先生、私たちにもできることがありました。次の教会でも、あなたを助けられる人たちがいるはずです。どうか何もかも一人で背負わないでください」。牧師は思わずこう叫びました。「なぜ、皆さんは今までそれを私に言わなかったのですか?私はいつだって助けてくれる人を探していたのに!」。                       こういった意思疎通がうまく通っていなかったというような現実も、確かに至るところであるのではないでしょうか。

話を戻しますが、エトロはモーセに助言します。「あなたが民に代わって神の前に立って事件について神に述べ、彼らに掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべき事を教えなさい」。それまで民は何かあると神に問うため、すべてをモーセのところに持ってきました。けれどエトロの助言は、何か問題が起こったときには、人々の間を裁くことができるリーダを立て、その基準となる掟と指示を神から受けて、彼らに示しておくように、ということでした。つまり、モーセがなすべき務めは「常に神の御前にあって、神に御意志を尋ね求め、その神から聞き受け取ったお言葉を示す」ということです。

このエトロの助言によって、モーセはもう一度神さまが自分に託しておられる本来の役割、すなわち神の御言葉を取り継ぐことを第一とし、それを専念すべきことを再確認するのです。ひいてはそのことが、神の民全体が主なる神さまのみ言葉をしっかりと聞き、神の平和のうちに約束の地カナンへ向かう原動力となっていったことでしょう。

エトロはさらに細やかにモーセこう助言します。「あなたは、民全員の中から神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい」。

新約聖書の使徒言行録6章を見ますと、信徒が増えてくる中で、生活に困っている人に対する分配に不公平が生じ、苦情が出るようになった時、信徒の中からそれに対応する七人の人々が選び出されます。それまで使徒と呼ばれる人たちが担っていたその分配の働きを、代わって担う人が立てられます。それが、今日の「執事」の起源となったと言われていますが。彼らが代わって立てられたことで、使徒たちは「わたしたちは祈りと御言葉の奉仕に専念することにします」と、言うことができたのです。これは単に組織の便宜のためとか、人々の不満を解消するためではなく、教会という主の共同体が神のみ言葉に聞き従って歩むために必要な提案であったのです。今日のこのエトロの助言も、モーセと選ばれた人たちが共に与えられた働きを担い合いながら、神の民としてみ言葉にしっかりと聞き、それに従い、神の共同体としての平和を保つように整えられていくのであります。                                                  

それにしてもモーセはエトロから助言を受ける迄、この方法に気づかなかったのでしょうか?自分が誰かに頼ること、助けてもらうことなど考えられなかったのでしょうか?確かに、今日の箇所では直接神さまがモーセに現れて、働き方の指示をお与えになったとは書かれていません。それまでモーセには、神がモーセを選ばれたときから助け手が備えお与になられていました。「自分は口が重く、舌の重い者なのです」と言うと、神さまはちゃんと考えてくださって、雄弁で頼りになる彼の兄弟アロンを遣わされます。また、エトロがモーセを訪問する前にアマレク人がイスラエル人を襲って来た時、従者ヨシュアをモーセは任命し、彼がその指揮をとるのです。また、その時の戦いで印象的だったのは、モーセが丘の頂で両手をあげている間は神が祝福されイスラエル人が優勢となり、手を下ろすとアマレク人が優勢になったため、モーセは神に祈って両手を必死に挙げ続けていましたが、手はだんだん疲れて重くなってきます。そこで、アロンともう一人、フルという人が二人でモーセの両側に立って、日の沈むまで彼の両手を支え続け、イスラエルは無事勝利を収めたのでした。実にモーセが困難な状況に陥り助けを求めると、彼を支える人、任に堪える人が与えられてきたのです。主である神さまは表の舞台に見ることができなくとも、絶えずモーセと共におられ、その時々において彼を助ける協力者を備えてくださっていたのですね。そういうことを見ていくと、モーセが一人で頑張って倒れ込む前にエテロが送られて来たとも思えます。こうしてモーセはしゅうとの言うことを聞き入れて、その勧めのとおりにし、全イスラエルの中から「神を畏れる有能な人、不正な利得を憎む人、信頼に値する人物」を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長とした」ということであります。

さて、ここで大事なのは、共同体の中から選ばれた人たちが地位や立場、能力や知識というこの世的な力があったからではなく、まず何より「神を畏れる」人であった。それが選出の基準となったということです。箴言には「主を畏れることは知恵の初め」(1:7)とございます。神を畏れ敬う人は賄賂を受け取ったりせず、不正な利得を求めません。人を偏り見ず、神の前に公正な裁きを行うように努めるでしょう。もし、神への畏れがないような人がリーダーになれば、力の乱用が起こったり、賄賂を受け取ったり、不正な便宜を図ったりするかも知れません。神を畏れる心を持つ人こそ、世界の国々のリーダーになってほしいと、つくづく願い祈る昨今でありますが。

さて、モーセはエテロの助言を聴いて、選び出したその人たちに神のご意志と御言葉を語り、任を託すのであります。先のある牧師と信徒のエピソードではありませんが、モーセは神の務めをこれまで自分がやらなければならないとの思いで頑張って来たのでしょう。おそらくこのエトロの後押しがなければ、誰かに自分の責務を負ってもらうなんて考えられなかったのではないでしょうか。エトロの助言はモーセにとって大きな助け船となったんですね。        

本日は「一人では負いきれない」という題で、話をしてきました。特別に選ばれ有能な人物であったモーセでさえも、一人で負いきれるものではなかった。だからこそ共に担う人が必要であったということですね。私たちも又、家庭で、職場で、一人では負いきれないものを抱えているのではないでしょうか。どうか一人で抱え込まないでください。 主が共におられます。共に思いを分かち合い、祈り合っていきましょう。

コロナ禍で「新しい生活様式」という言葉が至るところで聞かれるようになりましたが。私たちも今この時、キリストのからだなる教会のあり方について問われているように思います。今日の礼拝の招詞としてヘブライ10章24-25節の「互いに愛と善行に励むように心がけ、あらゆる人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか」という箇所が読まれました。

この御言葉は、今の時代のように信教の自由が与えられた時代のものではなく、キリスト教の集会が公に認められず、迫害の危害が及ぶような中にあっても、なお初代教会が集会をやめることなく、互いにキリストにあって愛し合い、善行に励むために集会が続けられていたということです。私たちにとりましてその重みが以前にも増して響いてきます。コロナ禍においてここで守り捧げられる礼拝が、様々な状況の中におかれた兄弟姉妹を励まし続けていけますよう共に願い祈りつつ、今週も主が来られる日に向けて導きの中を共に歩んでまいりましょう。

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ヨセフの骨

2020-09-06 18:41:19 | メッセージ

召天者記念礼拝宣教 出エジプト記13章17-22節20/9/6

 

予想もしていなかったコロナ禍で、縮小したかたちでの召天者記念礼拝を行うこととなり、この場に集いたくても集うことができないご遺族の方々もおられますが。例年と変わることなく今年も先に天の御国に帰っていかれた兄弟姉妹を偲び、祈りつつ復活の希望の主に礼拝をお捧げしています。

本日の箇所は、奴隷の地エジプトから逃れたイスラエルの民を、神はカナンの地へとまっしぐらのペリシテ街道には導かれず、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられたという箇所であります。主はその旅路を昼は雲の柱によって砂漠の焼けつく暑さから守り、夜は火の柱をもって暗闇を照らし寒さから守られ、民に先立ち導かれるのです。ここには、「迂回の道」「ヨセフの骨」「雲の柱と火の柱」の3つのエピソードが続きますが、今日はこのところからメッセージを共に聞いていきたいと思います。

「迂回の道」

イスラエルの民は遂にエジプトを脱出しました。その目的地は、遥か昔彼らの父祖であったアブラハムとその子らに神が与えられると約束された、乳と蜜の流れる地、故郷カナンの地であります。けれども世代がすっかり入れ替わった彼らには、その目的地がどこなのか定かでありませんでした。そんなイスラエルの民の先頭を何と神ご自身が導いていかれるのです。 

神はエジプトを脱出したばかりのその民を、近道となるペリシテ街道には導かれません。この道はペリシテ街道を経て入るのが一般的ルートであったのですが、そうはなさらず荒れ野の道に迂回させられるのです。神がそのようになさった理由については、「民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれないと思われたからである」と記されています。エジプトとパレスチナを結ぶ公道として様々な民が往来するその道に、ゆうに200万人を超えるかというようなイスラエルの民が踏み入るなら、他民族との衝突が生じて争いになりかねなかったでしょう。

幾世代も奴隷の身として生活を余儀なくされてきたイスラエルの民が戦闘状態に陥った時、人々は恐れ、後悔してエジプトに再び帰ろうとするかも知れない。しかしそれは、再び奴隷の身として繋がれた囚われの日々でしかありません。神は近道の滅びに至る道ではなく、「荒れ野の道」にあえて迂回させられたのです。ここに神さまのイスラエルの民に対するご配慮を知らされます。まあ、スムーズに進むことのできる近道を通って目的地につけるのならそれに越したことはないと思うのが私たちであります。けれども神さまはそのように導かれなかった。私たちのその時々の状況、心理的状態までも見通しておられ、必要な最善の道へと導かれるのです。

 

「ヨセフの骨」

さて、モーセはイスラエルの民の父祖ヤコブの子ヨセフの骨を携えていました。    創世記50章24-25節に「ヨセフの遺言」が次のように記されています。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます」「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携え上ってください」。

ヨセフは10人の兄たちの策略によってエジプトに奴隷として売られましたが、逆境を忍んでエジプトの大臣にとなりますが、その兄たちを恨むどころか許して和解して、エジプトに呼び、飢饉から救い出します。

ヨセフはエジプトで満ち足りた人生を送りながらも最期には、神の約束の地に埋葬されることを望んだのです。こうしてヨセフが死んで400年以上の時を経て、その骨はついに神の約束の地に埋葬されるためにエジプトを出立するのです。気の遠くなるような永い年月を経て、ヨセフの願いどおりその骨は遂に神の約束の地に戻っていくことになるのですね。そこに神さまの顧みがあったということを、イスラエルの民は知ることになるのです。

モーセがヨセフの骨を携え上った。これは先祖や遺骨の崇拝をするためではなく、必ず自分たち顧みてくださるという神さまへの信仰であり、その行為なのです

先に荒れ野への「迂回の道」についてお話しましたが。それは人間的に見れば回り道といえるものでした。この「ヨセフの骨」のエピソードも、ヨセフの遺言が語られてから、イスラエルの民がエジプトの奴隷となり、400年以上もの年月を経て遂に実現するのであります。その間ずっとヨセフの兄弟、子、孫、ひ孫、玄孫、後世のイスラエルの民に神さまの祝福の約束は語り継がれていくのですね。時代は移り変わろうとも、神さまはそのお約束を決して変更されることなく、イスラエルの民を顧みられて、エジプトの囚われの身から解き放ち、先祖に約束された地へと導かれるのであります。人の眼には、忘れられたかのような年月がかかりましょうとも、神さまが約束なさったゆえに必ず実現するのです。そのことがこの「ヨセフの骨」のエピソードに証しされているのですね。

本日は奇しくも先に天に召された敬愛する信仰の先達を偲び、覚えつつ、主に礼拝をお捧げしています。私たちもこのヨセフに続く者でありたいものです。主が来臨されるときに共々に主と顔と顔とを、又主にある兄弟姉妹と顔と顔とを合わすことができる希望の信仰を堅くもって、地上での生涯を主にあって歩み続けてまいりましょう。

 

「雲の柱、火の柱」

次に3つ目の「雲の柱と火の柱」のエピソードについて見てみましょう。

21節に「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされた」と記されています。

これは、神さまが荒れ野の道を行かせた民を絶えず導いていて下さるしるしです。荒れ野の日昼は暑さが非常に厳しいです。そういう中を旅することは困難を極めたでしょう。その真昼の道のりにおいて民が日照りの突き刺すような暑さに疲れをおぼえるとき、神は大きな雲の柱を立て強烈な日照りから民を守り導いてくださったというのです。又、荒れ野の夜は一転して急激に冷え込みます。真っ暗で不安も襲って来たでしょう。そこは強盗をはじめ、猛獣や毒蛇に襲われる危険もありました。そういう時神は火の柱を立てて民を照らし、襲ってくるものから守ってくださったというのです。イスラエルの民はそうして神さまの導きによって昼も夜も平安を得て、行進することができたのです。

イスラエルの民の総人数は男女子ども含めますと200万人以上はいたかと思われますが。その人々を先導していった「柱」とは一体どういうものであったのか、まあそれだけの人たちが目撃し、導かれた神の柱ってほんとすごいな、と思うわけです。一説には火山の活動に伴う現象かとも言われていますが、定かではありません。いずれにしろ大事なのは、それが民を守り導かれる神さまの御意志よって現れたという事です。「昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった」。先頭を行く者が道を間違えれば大変なことです。神さま自ら、民の先頭を離れることなく導かれる。これ以上確かなことはありません。                                                          

私ども主の共同体も同様なのではないでしょうか。この地で主の福音宣教が開始されて70年という様々な時代の流れを経て今日がありますのは、主ご自身が私どものあゆみの先頭を決して離れることなく、昼は雲の柱、夜は火の柱を立てて守り導いて下さったからにほかなりません。この民の先行きが見えないような荒れ野の旅に、ずっと伴って歩んでくださる主。

この後、「たとえばわたしが」という親友が作った賛美歌を歌いますが。その元となったのがマーガレットF・パワーズさんの詩「フットプリンツ~足あと」です。機会ある度にご紹介していますが、もう一度その詩をお読みします。

ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、私は砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。一番あなたを必要としたときに、あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。
「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」   

イスラエルの民のみならず私たちも又、自分の願いとは異なる困難ともいえるような荒れ野の険しい道を行くような時、疲れや不安を覚え、ひとり孤独な思いに陥ることもあります。しかし、たとえ私たちが気づかないうちにも、主は私たちと共にいてくださる。先立って進み、昼は雲の柱、夜は火の柱で守り導いてくださるお方であります。主の確かな愛と顧みに堅く信頼しつつ、今週の歩みをここから新たに始めてまいりましょう。

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