日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

見よ、あなたの救い主が来る

2013-11-24 13:30:21 | メッセージ
礼拝宣教  ゼカリヤ9:1-12

先週はミカ書5章から「いと小さき者の中から」と題し御言葉を聞いていきましたが。それはまさに、救い主・待望のメシヤが小さなベツレヘムの町に弱い赤ん坊の姿をとってお生まれになったイエス・キリストである、ということを確認いたしました。主はまた同様に、小さな群に過ぎない私たちを通してこの地に主の救いの福音をもたらせることを切に願っておられる。そういうメッセージを受け取ってまいりました。
そして本日はゼカリヤ書9章のところから、キリストがどのようなお姿で神の平和を実現しようとなさったのか、ということを心に留めながら聖書のメッセージを聞き取っていきたいと思います。

まず、この預言者ゼカリヤについては、1章1節冒頭に「ダレイオスの第二年八月に、イドの孫でベレクヤの子である預言者ゼカリヤに主が臨んだ」とあるだけですが。彼はバビロンにおける70年の捕囚の後、預言者ハガイと共に一時ストップしていた神殿再建の業を再開させた人物であります。初めにエルサレムに帰還した人たちによって神殿の再建がなされたものの、外敵による度重なる攻撃や社会情勢の影響で、人びとの関心事は生活の不安や目先の問題にあったのです。そうして自分たちの生活に日々追われ、神殿の再建は後回しにされていきました。しかし主なる神さまは彼らのことを決してお忘れになりません。  ゼカリヤという名前は「神は覚えておられる」という意味です。彼らが再び神殿を建て直すことは、すなわち神の民である彼ら一人ひとりが神さまとの関係を立て直していくことを意味していたのです。
ハガイ、さらにゼカリヤは、そのような状況にあった民に向けて、神に立ち返って生きるようにと呼びかけ、神殿の再建を成し遂げるように叱咤激励したのです。

現代に生きる私たちも又、彼らからすれば比べものにならないほど物質面で豊かで恵まれているとはいえ、日々生活に追われ目先の問題が常にあります。そのような中でこうして思いを導かれ、教会堂建築の業に参与させて戴く中において、実に豊かな祝福に与ってきたのではないでしょうか。
新約聖書マタイ福音書6章には次のように書かれています。
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」。
主は私たち一人ひとりの生活においても必ず必要を満たしてくださると信じます。

このゼカリヤ書でありますが。1章~8章までの前半部と9章から14章までの後半部とに分ける事ができますが。全体をよく読みますと、その預言の幾つかは新約聖書において引用され、事実その通りに実現していきました。
前半部は主にゼカリヤが活動していた時の預言であり、彼が見た7つの幻、すなわちエルサレムの復興と救い主・メシヤについて書かれています。
後半部の9章以下は、ゼカリヤの活動した時代からずっと後のことについて言及がなされていますので、ゼカリヤの影響を受けた後代の複数の預言者や記者たちの手が加えられたと言われています。

9章の時代については、アレクサンドロス大王によって当時世界を治めていたペルシャが破れ、その後、エジプト、地中海沿岸都市、シリアなど次々と破っていき、一大マケドニア帝国(ギリシャ)を打ち立てます。しかし不思議な事にエルサレムだけは守られたのです。
ところが、さらに時代が経過すると、このマケドニア帝国(ギリシャ)もまた混乱期を迎え、シリアが台頭して統治するようになり、エルサレムのユダヤ人たちは想像し難い迫害に遭い苦難の時代を迎えることになるのです。
そう言う中、9節から10節で「救い主(キリスト)の到来」が預言されているのです。
「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。」

先ごろアメリカのケネディ新大使が来日され精力的に表敬訪問をなさっていらっしゃるようですが。皇居には馬車で入られたそうであります。その折は車か馬車でという日本のしきたりがあって選択できるそうです。まあ権威の象徴として用いられるのが馬という動物なんですね。古今東西そうでありますから、このユダヤの人びとも王、メシヤ・救い主ともあろうお方であれば、当然勇ましく軍馬にまたがってやって来て、民を守り、救い出してくれる、とそういうイメージを持って期待したのではないでしょうか。
ところが、ゼカリヤはそのお方がろばに乗ってやって来る、というのですね。権威や戦には到底向かないろばに乗って来られる方というのは、力を求める人びとにとってはきっと頼りない気さえしたに違いありません。
ろばは通常荷物を運んだり農耕では役に立っても、戦う道具にはなりません。第一格好がつきませんよね。しかし、救い主なる王・メシヤは「ろばに乗ってやって来る」のです。さらにそのお方は「高ぶることがない」とあります。高圧的に王として君臨するのではなく、ろばに乗ったお姿がどこか笑みをさそうようなそんな柔和なお方としてお出でになるというのです。
使徒パウロはフィリピ信徒への手紙2章6節以降で、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって死に至るまで従順でした」と述べています。
イエス・キリストは栄光や誉れを受ける者としてではなく、神と人とに仕える者としてお働きになられ、その最期に至るまで高ぶることなく、神に従い続けたご生涯であられました。そのように、救い主はろばに乗って来る、とのゼカリヤ書の預言は、そのようなイエスさまのあのエルサレム入城の際に現実のものとなったのです。

10節に続きますが。
「わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を断つ。戦いの弓は断たれ/諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ/大河から地の果てにまで及ぶ」とあります。

エフライムとは北イスラエルのことです。主はまず選びの民である全イスラエルに向けてあらゆる武力と戦力を断つ、と告げます。注目すべきは、主はいわゆる交戦力だけではなく防衛力ともなるあらゆる武力、武器、兵器などを取り除くことによって平和をもたらす、と宣言なさいます。
まあこれを読むときに、今のイスラエルの状況とかけ離れているじゃないか、とお思いになる方もおられるでしょう。そういう意味ではこの預言はいまだ実現されているとはいえないのかも知れません。けれども柔和なろばに乗って来られた救い主・メシヤは、今も信じる私たちの王としてそのご生涯と救いの御業を通して平和を教え、その実現へと促し続けておられます。ほんとうに柔和な平和の道を祈るものでありますが。

私たちの日本は敗戦後、一度も戦争をしていません。それはほんとうに幸いなことです。そこには憲法による縛りがあるからです。が、しかし今後、憲法が変えられ、にわかに国民の耳と口を封じる特定機密保護法の制定、集団的自衛権の行使、国家安全保障会議の創設、などなどの戦争が出来る国となる体制が整いつつあります。この流れこそ国民主権という民主主義が崩れ、またたく間に先の戦争の悲劇が繰り返されることになるのではないと危惧します。「私には関係のないこと」では決してない今日の状況であります。

さて、この10節の「諸国の民に平和が告げられる」との預言でありますが。この預言のすごいのは、それはイスラエルを取り巻く周辺諸国にも平和が告げられ、それがさらには海を越えて地の果てにまで及ぶ、と世界規模の預言として語られていることです。     来週からアドヴェント(待降節)を迎えますが、まさにその預言はゼカリヤの時代から約500年の長い年月を経て、ユダヤの小さな町ベツレヘムから始められ、救い主、イエス・キリストの平和が今や全世界に告げ広められている、ということであります。私たちも又、小さな者ではありますが。その平和を主と共に告げ広めてゆく者としてそれぞれが召されていることを覚えたいと思います。

ついで11節でありますが。
「またあなたについては/あなたと結んだ契約の血のゆえに/わたしはあなたの捕らわれ人を/水のない穴から解き放つ。希望を抱く捕らわれ人よ、砦に帰れ。今日もまた、わたしは告げる。わたしは二倍にしてあなたに報いる」とあります。

旧約聖書で「契約の血」といえば、かつてシナイ山でモーセを介して神と民が契約を結んだ折に、犠牲の動物の血が注がれたそのことを指しますが。ここではそのシナイの契約ではなく、エルサレムでなされる新しい契約のことを意味しているのです。
実はそれこそ、イエス・キリストが十字架上で肉を裂かれ流された血を表しています。それは主イエスが罪深い人間の罪の代償をかぶり、審きを自ら負い、その救いとともに神の義を全うしてくださった、その罪を完全に贖いとってくださったその尊い血しおを表しているのです。
ここに「捕らわれ人」という言葉が二度出てまいりますけれども、特に12節には「希望を抱く捕らわれ人」と書かれていますね。捕えられて何もかも奪われ失ってしまう経験をしたシオン、エルサレムの人々。彼らはハガイ、ゼカリヤの叱咤激励によって神殿を再建しますが、しばらく平和の後に再び苦難の時代がやって来ます。そこで彼らを支え続けたのは他でもない「神との契約」、救いの約束の御言葉です。
「夜と霧」という著名な作品を残されたユダヤ人のビクトール・フランクルは、自らの体験を通して捕虜収容所という過酷な中でも生き延びることができたのは、「希望」を失わなかったからだと言っています。

「主は、エルサレム、シオンの民を捨ておかない、砦に帰りなさい。主のもとに立ち帰りなさい、わたしは二倍にして報いる」。倍返しの祝福が必ずある、というのです。その希望によって今もイスラエルは存続していると言えるでしょう。それは又、救いの契約の血を、キリストの十字架の御業に見る私たちにも語られている希望の約束であります。全世界の救い主キリストもまた、私たちに向けて、主に立ち帰って生きることの報いを約束され、私たちはそれを希望として戴いて生きているのです。

最後に、前の教会にいた時に毎週夕方の祈祷会に出席されていた女性の青年が、重篤な病になったけれども願っていたホスピスでの入院生活ができるようになり、大変感謝されていた、そのお証しを紹介させて戴きましたが。その後も気になっていましたで、先週は丁度西南大神学部のミッションデーのシンポジウムも同じ日にあるということで、思いきって福岡の入院しているホスピスに姉妹をお訪ねしました。「先生無理をなさらないでください」と言われたものの、とにかくご様子を伺いたくてシンポジウム後すぐに、向かいました。お部屋に入りますとベットを少し起こして待っていてくださったのですが。思っていた以上に身体はおやせになられて、元気な頃を知る私には少しショックでしたが。お会いした瞬間満面の笑顔で迎えてくださいました。約1時間そこで姉妹のお話し、こちらの状況などいろんなことを話せましたが。
一つ強く心に留まったのは、彼女の口から「先生ガンは憎めないですね」という言葉です。どんなにそのせい苦しみ痛みを感じて日々療養生活を送っておられるかと思うのですが、その姉妹はこのようにも話されたのです。「私がガンになったことで、今まで全く疎遠であった兄、時には自分に対して攻撃的であった兄が、ほんとうに変わった、いや変えられたのですよ。実はこのホスピスに入れるようにがんばり、手配してくれたのも兄だったのです。それが本当に不思議で、また嬉しくて、今も兄は自分のことを大事にしてくれ、ほんとうに夢のようです。だからガンは憎めないのです。」そう彼女は言うのです。そしてこうも言っておられました。「神さまはマイナスといえるようなものを通して、何倍ものプラス、兄との和解のプレゼントを与えてくださった。そのことが何よりも感謝です。」私は励ますために彼女を訪問したのですが、その私の方が逆に励まされ、福岡を後に大阪に帰ってきました。主は生きておられます。その主にある希望が私に、人と人の間に豊かに起こり、働いておられます。
生きたイエス・キリストと共に歩み行く一日一日には希望があります。今日は世界バプテスト祈祷週間です。世界の救い主、キリストの平和の到来を祈り、喜びをもって共に仕えてまいりましょう。
最後にゼカリヤ9章16節をお読みして宣教を閉じます。
「彼らの神なる主は、その日、彼らを救い/その民を羊のように養われる。」
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いと小さき者の中から

2013-11-17 13:10:29 | メッセージ
礼拝宣教 ミカ書5章1~4節a

「はじめに」
ミカは1章の冒頭にあるように南ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤという3代の王が統治した時代に立てられた預言者であります。
サウル、ダビデ、ソロモンと続いたイスラエルの統一王国は、神に対する罪ゆえに南と北に分裂し、南北それぞれに王が立てられ、紀元前8世紀あたりまでは北も南もそれぞれに反映していたのですが、やがて北イスラエルはアッシリアによって滅ぼされ、南ユダも常にアッシリアの脅威にさらされるという混乱の中におかれるのです。
 ミカはユダのエルサレムの都からずっと南西部外れにあるモレシュトという農村に生れ育ち、貧しい農夫であったとも言われていますから。言わば彼自身いと小さき者の中から遣わされた者であったと言えましょう。ミカはそのような激動の時代に北イスラエルと南ユダの特に都エルサレムに向けて預言を語っていったのであります。預言者イザヤと同時代です。

大国の脅威に常にさらされるという政治的混迷の時代、エルサレムの都市部でどのような生活がなされていたかと申しますと、そんな緊迫した状況であるにも拘わらず、指導者たちの間では贈収賄の不正と汚職が繰り返されており、民の間においては繁栄を願うための偶像礼拝が広がっていました。それは神殿も例外ではありません。宗教的指導者らはそれを阻止するどころか、アハズ王がそれを自ら推進することに加担していたのです。
さらに、農業や牧畜から離れ、交易や商業によって金を得て豊かになった裕福な者らが、今度は貧しい者の相続地、又家や畑を搾取していったのです。
ミカはユダの国外れの村のその小さな農村で、これらの搾取やしいたげを投げかける神のみ声を聞いたのでありましょう。それはミカ自身の深い嘆きであったに違いありません。

「神の審きの預言」
ミカ書1~3章にかけては、そういったユダの国の救いの神を忘れた社会、神の戒めを棄て、神をも畏れない社会に対して必ずや神の審判が下る、とのミカの預言がなされます。

私たちの日本はどうでしょうか。グローバル化が進み、何でも欲しいモノがあればネットで世界を越え、手に入れることができるような世の中ですが。反面持つ者と持たない者の格差、貧富の差は拡がるばかりです。物を生産しないのに利益を得る商取引が幅を利かせ肥大化し、バブル経済をもたらしてきました。額に汗を流すことなく富を得る背後に、常に知識のない人や力関係において立場の弱い人が利用されるような構図があります。経済成長や景気の回復ばかりが叫ばれていますが、ミカの時代と同様、ほんとうに大切にされなければならない本質的事柄、真理と命の事どもがないがしろにされているように思えてなりません。
このミカの神の審判の預言の後、南ユダも実に100年を経て都エルサレムが陥落し、その民はバビロニアの捕囚の身となって連行されていきました。

「苦難の意味」
本日の5章2節にこう記されています。
「まことに、主は彼らを捨ておかれる。産婦が子を産むときまで。そのとき、彼の兄弟の残りの者は/イスラエルの子らのもとに帰る」。

70年という捕囚の時はユダの人びとにとってどれほど重い神の試みの時であったことでしょうか。彼らにとってそれは「神に捨ておかれた」ようにさえ思える苦難の時代であったのです。しかしそれは、産婦が子を生む産みの苦しみであり、時が来たなら「残れる者はイスラエルの子らのもとに帰る」、その日が訪れると言っているのです。

エルサレムへの帰還については4章7節にも記されています。
「その日が来れば、と主は言われる。わたしは足の萎えた者を集め/追いやられた者を呼び寄せる。わたしは彼らを災いに遭わせた。しかし、わたしは足の萎えた者を/残りの民としていたわり/遠く連れ去られた者を強い国とする」。

むろんバビロン捕囚とされたすべてのユダの民らがエルサレムに戻ってきたわけではありません。長い長い捕囚生活の間に世代も代わっていきました。エルサレムに帰還したくても出来ない理由、家族事情、年齢などによってやむを得ずバビロン及び、その周辺に留まった人びともおられたことでしょう。エズラ記2章には捕囚から帰還した民の総数は42360人であったと記されています。これは捕囚の民の総数からすればごく少数でありましたが。このように思いをもって帰還した彼らこそ聖書に「残りの者」と言われる「神に忠実な者」
「いと小さき神の僕」であったといえましょう。
ユダの歴史を振り返りますと。エルサレムの人たちの多くは、預言者たちを通して警告される神のみことばに耳を傾けず滅びの道を選びました。社会は目に見えるところ豊かで繁栄し、災いが来るなどとは考えられなかったからです。けれどもわずかな人たちは、預言者たちの言葉を心にずっと留め、バビロン捕囚という苦難を経ても、主の命の言葉を保ち、その教えを胸にエルサレムへと戻ってきたのです。実にこの残りの民たちの中からまことに主に立ち帰る信仰の基盤が据えられ、旧約聖書が編集されていくのであります。今やその御言葉に私たちも与り、救いと命の道を見出しているのでありますが。

「いと小さき者の中から」
さて、5章1節のところに、救い主(メシヤ)到来の預言がなされています。
「エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの部族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」。

ここには救い主(メシヤ)がベツレヘムからお生まれになることが預言されています。
このベツレヘムとはどのような場所だったのかいいますと。不正と腐敗がはびこっていた大都市エルサレムとは対照的な小さな小さな田舎の町であったのです。けれど、そこはかつてイスラエルの偉大な王ダビデがお生まれになった町でもありました。救い主・メシヤはこの小さきベツレヘムの町からお生まれになる。それは神の御心、ご計画でした。
 実にその預言の700年後であります。まことのイスラエルの王・救い主(メシヤ)はエルサレムの神殿やきらびやかな王宮にではなく、小さな小さなベツレヘムの町の家畜小屋にお生まれになられたのです。ミカ書のこの預言は確かに実現いたしました。救い主イエス・キリストの誕生です。

この救い主(メシヤ)について、ミカ5章3節以降にはこう記されています。
「彼は立って、群れを養う/主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となり/その力が地の果てに及ぶからだ。彼こそ、まさしく平和である」。

救い主(メシヤ)は、いと小さき者の中から起こされたとあります。それはすなわち私たちの主が、人の世にあって弱く、小さくされた者の苦しみや痛みを御自身のものとして知っていてくださる、ということです。人間は力や権力を頼みとし、富によって自分を守り養おうとします。けれど神さまは「いと小さき者の中から」救いを起し、民を養い、回復を与え、平和をもたらそうとなさるのです。
 このミカ書では捕囚から帰って来る残りの者、その小さき者の中から救いが実現していくことを約束しています。私どもは主イエス・キリストにその約束の完成を見ています。
私どもも又、その歴史から見ればほんとうに小さな小さなものに過ぎません。しかし、その小さな私たちを通して主はこの地にキリストの救いとその平和の実現を起こそうとなさっておられる、とそう信じております。

この仮会堂での礼拝も残すところ次週の世界祈祷の礼拝のみとなりました。世の中の動き、又私たちの日常も様々な出来事が起こります。予想もできないことも起こるやも知れません。そういうことを思いますと、二度と繰り返されることの無い一日、一日を大切に歩んでいくことの尊さを思わされます。互いの一日一日が主に守られ、支えられ、平安が得られますようにと、共に祈り求めてあゆむことの大事さを強く感じます。又、私どもに与えられている地上での限られた時を、主の栄光のために共に活かし、用いて生きることができますよう、祈り求めてまいりましょう。
12月1日からいよいよアドベント、主の御降誕を待ち望む週に入り、新会堂での礼拝がスタートいたします。希望に胸ふくらませての帰還となりますが。いと小さき者の中から始まった全世界の救いとその平和の実現を祈り求めつつ、この混迷する時代の中でキリストのともし火を掲げ続けてまいりましょう。

最後に本日は子ども成長感謝としての礼拝を捧げています。
小さな子どもは理屈や計算だてを致しません。自分の興味あるにどんどん一直線です。
ある意味恐れを知らず。純粋です。主イエスさまは、幼子を人々の真中に立たせて「だれでも幼子のようにならなければ決して天の国に入ることはできない」とおっしゃいました。そういう真直ぐな心を今日は大人である私たちも戴いていきたいと思います。
新会堂が子どもたちの笑顔であふれるように、大人たちもまた、幼子のような純粋な信仰の賛美で満ちるようにと願うものです。
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主を仰ぎ見る人

2013-11-10 12:54:49 | メッセージ
礼拝宣教 ヨブ42章1-7節

先週の月曜日は連合の社会委員会主催の「人権デー」が開かれ、「今のフクシマの現状を中心に」講演があり、原発の問題性、又、フクシマの原発事故以降に起こっている大変ショッキング事どもを知らされました。      
その一つは、フクシマ原発事故後のフクシマの子どもたちに甲状線ガンが疑われる比率についてであります。それはあのチェルノブイリ原発事故では3年後から甲状線がんの発症者が出ているそうですが、フクシマの場合それを超える速さで発症と疑われる人の数が既に出ており、主にそれは子どもたちだそうです。
さらに、東京電力福島原発4号機の放射能漏れの数値は未だ知らされていませんが。今週にも本格的に東電は倒壊しかけている4号機の使用済み核燃料プールに保管している1533体にものぼる燃料を取り出しそうとしているということです。実にその400数トンの燃料棒は広島の原爆で放出された放射能よりも15000倍以上という想像を超えた放射能を放出する危険性のある恐るべきもので、その取り出し作業は困難で危険極まりないということです。取り出し作業は1年かかるともいわれていますが、その間にもし万が一大きな地震や事故が生じたら取り返しのつかない大惨事になりかねない。そういうことは決してあってはならないのですが。緊急事態が生じた時の対応、つまりフクシマの原発近辺にお住まいの方がたの避難先として、東京、中京、関西への受け容れが必要になってくるので、関西の諸教会でも何がしかの受け容れができるような備えが必要だ、ということを知らされました。これらのことをぜひ覚えて祈っていただきたいと願います。

さて、先週はヨブ記1章から、ヨブがサタンの試みに遭い、家族と財産を失うという苦難に見舞われる中でも、神の僕として「神を非難せず、罪を犯さなかった」そのようなヨブの姿を心に留めてまいりました。本日はヨブ記42章の最終章から「主を仰ぎ見る人」と題し、御言葉を聞いていきます。

まずこの最終章に至るまでには先週も触れましたが、ヨブはさらなる試練に遭い、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病に罹り、素焼きのかけらで体中をかきむしって、3人の友も見分けられないほどの姿になったとあります。ヨブも苦痛が長引く中で遂に3章に至っては自分の生れた日を呪い、「生れてこなければよかった」「死んだ方がどれほどよいことか」と嘆きます。さらに4章から27章までは、そのヨブのもとを訪ねてきた3人の友人エリファズ、ビルダド、ツォファルとの議論が繰り返されていきますが。友人たちはそれぞれの主張をもってヨブを説得し悔い改めさせようといたします。彼らはヨブに「あなたは神の罰を受けているのだから、ゆるしを願い求めるように」と言うのです。ヨブは友人に「それならば、知れ。神がわたしに非道なふるまいをし/わたしの周囲に砦を巡らしていることを」と神に対して非難するような言葉さえ口にし、「わたしは断じて罪を犯していない」「こんな苦痛に価するようなことはしていない」と反論します。
ヨブは「神に守られていたあの日を。どうか、過ぎた年月を返してくれ」と、激しく訴え、さらに自分の正しさは神に証明されてしかるべきだ、ともいうように神に挑戦的に挑むのであります。
ヨブは、なぜ自分や家族にこのような苦難や災いが及ぶのかということについて痛み、苦悩し続けます。自分は間違ったことはしていない、悪いことをしてきたわけではないのに、なぜ神はこんな目に遭わせるのか、どのような正当な理由があってこんな事になるのか。その説明や答えが欲しい、と彼は神の正しさを問い、神に詰め寄るのであります。

そんなヨブに決定的な出来事が起こります。主なる神の言葉がヨブに臨むのです。
38章1節で、主は嵐の中でヨブにこう仰せになりました。「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて/神の経綸を暗くするとは。また40章2節では「全能者と言い争う者よ、引き下がるのか。神を責め立てる者よ、答えるがよい」。8節では「お前はわたしが定めたことを否定し/自分を無罪とするために/わたしを有罪とさえするのか」。
神に対して挑戦的にその義を問うヨブが、今度は逆に神から挑戦的に問いかけを受けることになります。
主なる神は38章から39章にかけて、世にあるすべての生きとし生けるものは神の経綸によって成り立っていることを示されます。つまり何ものをも神のご支配とご計画のうちに存在しているのであって、地の基、星、海、星、雲、光、雪、風、雨、露、氷、霜から、獅子、鳥、山羊、鹿、ろば、牛、駝鳥、馬、鷹、鷲、(へベモット)カバ、(レビヤタン)ワニにいたるまで、すべてのものは創造主なる神さまがご支配と計画のもとにおかれ、人間もまた同様に主の計りがたい御業の中に「よし」とされ、生かされている、とおっしゃるのです。
主は人間のヨブに、「その被造物の一つでもおまえはわたしのようにすることができるのか」と言われるのでありますが。まあここを読みますと神さまもまたまるでヨブと対峙するかのように厳しいお言葉で臨んでおられます。
さて、それに対してヨブはどうしたかと申しますと、40章4節「わたしは軽々しくものを申しました。どうしてあなたに反論などできましょう。わたしはこの口に手を置きます」と答えています。つまるところ神さまに対してお手上げですと、白旗をあげたということでありましょうが。
ヨブは、すべての生きとし生けるものは主なる神のご支配とご計画のうちにおかれている。人間の知恵、知識、経験からしてどんな理不尽と思えること、不条理なことすらも、すべてを知り、それを治めておられる方の支配とご計画のうちにおかれていることを知るのです。ヨブはこうして神の義を問うていた自らの思いあがりを悔改めるのであります。

東日本大震災の折、被災地のある高校の卒業式で生徒代表が語った言葉が多くの人を感動させました。彼は「このような出来事が私たちの身に振りかかって来ましたが、天を恨まず前を向って歩んでいきます」というようなことを語ったのです。若いのに困難の中でそういう言葉が発せられたことに驚きを感じましたが。人は苦しみの中でなぜ私の身にこんなことが起こるのか、と悲しみとともにやり場のない怒りにさいなまれます。ヨブもまた、そのような感情にさいなまれたに違いありません。
しかし、そんな嵐の中で聞こえて来た主の御声にヨブは答えるに至るのであります。
42章2節以降「あなたは全能であり/御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。『これは何者か。知識もないのに/神の経綸を隠そうとするとは』そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた/驚くべき御業をあげつらっておりました」。
「神は全能であり、御旨の成就を妨げることはできない」。神のご計画を一体誰が知り得るでしょうか。ヨブは遂に「自分(自我)を退け、悔い改めた」とあります。

5節「あなたのことを、耳にしておりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます」。
本日の宣教題はこの5節から「主を仰ぎ見る人」とつけさせていただきました。
聖書に書かれていることについて知識をもつ人はどれほど多いことでしょう。けれども聖書の言葉を体験し、主である生ける神を仰ぎ見る人はどうでしょうか。それほど多くいないのではないでしょうか。
ヨブの悔改めは人間の後悔とは違います。それは天地万物の神、主なる神と出会い、その偉大な御業に触れた者の聖なる畏れであり、その神に立ち帰っていく(神に向きを変えて生きる)、神との交わりの回復なのです。それは単に頭の理解や知識で得られるものとは異なる命の交わりです。

最後に本日は7節のところまで御言葉を聞いていきたいと思います。
7節「主はこのようにヨブに語ってから、テマン人エリファズに仰せになった。
『わたしはお前と二人の友人に対して怒っている。お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ』」。

ここでヨブの3人の友人に対して主の怒りが臨みます。
具体的に彼らの何が正しくなかったか、ということは語られていませんが。彼らはヨブに対して罪を悔い改め、懺悔するよう説得したのでありますが。しかしそれは彼らがヨブの負っている苦しみや痛みを分かってもいないのに、分かったふうな口をきき、神について何も知らないのに知った者のように神を弁護するかのごとく語った、そのことに対して主は怒られたのではないでしょうか。彼らはヨブに「あなたは罪を認め悔い改めるべきだ」と主張しました。が、神さまから御覧になれば、むしろ彼らの方が的外れであり、高慢であったということでありましょう。
一方神さまはヨブに対して「正しく語った」とおっしゃいます。この「正しく」とは「率直」という意味があります。ヨブは自分の心を偽らず「主と向き合って主に訴え続けた」のです。そのあるがままの心を「主に率直に語った」のです。そこに「主を仰ぎ見る人」の姿を読み取ることができます。

私たちもまた、この地上にあって様々な悩みが尽きません。しかし、こんな事が起こったのは、このようなったのは、私が何か罪深かったからなのか?そう自問自答し自分を追い詰めることはないでしょうか。また、私は何も悪いことをした覚えはないのに、どうしてこんな思いをしなければならないのか。そんなやり場のない怒りにさいなまれることはないでしょうか?                                    
ヨブは、そのような思いの中でこのように語っています。
19章25節~27節。旧約聖書新共同訳P,800お読みします。7「わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう」。
どんな時もまっすぐに、率直に主と向き合いながら、「わたしを贖う方」生ける主を仰ぎ見る人とされてまいりましょう。祈ります。
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わたしの僕

2013-11-03 12:50:33 | メッセージ
礼拝宣教 ヨブ記1:1-22 

「はじめに」
本日と来週はヨブ記から御言葉を聞いていきます。このヨブ記の著作年代ですがまだはっきりとしたことは分かっていませんが、おおまかに紀元前6世紀~3世紀の間であることは
確かなようです。その場合やはりユダの崩壊とバビロニアの捕囚といった苦難の道を経てきたユダヤの人々の歴史と重なっていると解して読むこともできます。
古代中近東には「神々や超自然的な存在が義人を試練に遭わせて苦しめる」という民話があり、バビロニアの文学にも「義人が受けた痛ましい苦から、恐ろしい病が回復されていった感謝の歌」などがあるそうです。
しかしそれらとヨブ記が大きく違う点は、「天地万物を造り、生けるもの死ぬものをすべ治められる主なる神にどこまでも従って生きる」という一本の柱がある、ということです。それがヨブ記全体のテーマになっているのです。
今日は主がそのようなヨブのことを「わたしの僕」とおっしゃいました。その言葉が心に留まりましたので、本日の宣教題をそのようにつけさせて頂きました。

「ヨブの人となり」
まず、この書の主人公ヨブについての1~3節までに、その人となりが紹介されています。彼は無垢な正しい人。そして神を畏れて悪を避けて生きていた、とあります。妻と7人の息子、3人の娘を持って家族にも恵まれ、さら羊7千匹、らくだ3千頭、牛5百くびき、雌ろば5百頭の財産もあり、使用人も多く、東の国一番の富豪であったということで、誰が見てもヨブは神から祝福された人だと思うような生活を送っていたわけです。しかしヨブはその祝福に溺れず、あぐらをかくことがなかったのであります。

4節~5節には、7人の息子たちがそれぞれ順番に、自分の家で宴会を開き、三人の姉妹たちも招いて食事がなされていたようですが、その宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた、とあります。
愛する子どもたちが「罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない、万が一そのようなことがあったなら、どうかおゆるし下さい」と、執り成し祈るヨブ。どこまでも主を畏れ、悪を避けて生きた無垢で正しいヨブの姿が読み取れますね。


「サタンと神の対談」
そのようなヨブに対して主は8節で、又2章3節でも、「わたしの僕ヨブ。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている」と、お認になられというのであります。
ところが、その信仰、その信頼の麗しい関係を妬むかのごとく6節から登場するサタンが主とある意味賭けをするのです。
このサタンについては、70人ギリシャ語訳では「告発人」「訴える者」という意味をもっています。サタンは地上を巡回しながら、主に告発する者を調べ、見張っているのです。主を呪い、主を裏切る者を、主に訴える役割をもっているのがヨブ記のサタンです。サタンは主のご支配の下にあるのです。ですから主に先んじて勝手に手を出すことはできません。主のお許しがあって初めて行動することができるのです。それはすべての出来事、それがたとえ人の目に見えるところどんな理不尽なものであったとしても、神の許しによらないものはない、ということを指しています。ヨブをしては、主を愛し、主に従うがゆえに「神が許された」試練の時であった、ということであります。


ここでサタンは主に問いかけます。
「あなたはヨブのことを「わたしの僕」と言っておられますが。ヨブに利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたがヨブを祝福し、彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさり、彼の家畜はその地に溢れるほどです。ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません」と、主なる神さまを挑発するのです。
ヨブは家族や財産すべてに恵まれ東の国一番の富豪になったわけですが、そのようにヨブに与えられた恵みがことごとく失われるようなことになれば、いくら無垢で正しいヨブであっても神を恨み、呪うようになるに違いありません。所詮人は、悪い事や不幸が起これば信仰なんかもろくも崩れ去るものだ、というのがサタンの考えなのです。

すると主はサタンに、「ヨブの命には手を出さず、彼のものを一切、お前のものにして見るがよい」と言われるのです。ヨブが利益のために神を礼拝してきたのかどうか試みることを許されたのです。
ここを読みます時、「主の祈り」の中の、「我らを試みに会わせず悪より救い出したまえ」
と、思わず祈らないではおれないわけですが。私どもの日常の生活の中にも、実に様々な試みがあります。ヨブとは逆に財産や地位や名声、生きがいや楽しみを手にして、主の恵みを忘れそうになることがないでしょうか。あるいは又、人間関係でのつまずきや不満といったこともあるかも知れませんが。私たちの内に外に不信感や不和を抱かせようとするような力が常に働いているわけですが。


「サタンの試みとヨブの勝利」
さて14節以降には、ヨブの上にサタンによる4つの災難が次々と起こっていきます。
初めは、牛やろばがジャバ人;複数の南アラブ人たちの襲撃に遭い、略奪されてしまい、牧場で家畜の世話をする牧童たちが切り殺されました。続いて、落雷で羊も羊飼いも焼け死んでしまいました。さらに、カルデア人;バビロンを建設した民ですが、彼らが3部隊に分かれてらくだの群れを襲い、奪っていき、牧童たちが切り殺されました。そして挙げ句の果てには、ヨブの息子たちと娘たちが長男の家で宴会を開いていると、そこに荒れ野の方から大風(パレスチナ東方砂漠から吹きつける激し熱風)が吹いて来て四方から吹きつけ、家は倒れ、息子娘たちは死んでしまいました。
つまり、ヨブはこれまでヨブの人生を豊かにしていた一切の財産、子どもたちを一挙にことごとく失ってしまうのです。ヨブは悲嘆のあまりにその心が引き裂かれんばかりであったことでしょう。
聖書には、この時「ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して(口語訳では「伏して主を拝し」)『わたしは裸で母の胎から出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、奪う。主の御名はほめたたえられよ』」と、言ったとあります。
そしてそのように彼から愛する息子娘、すべての財産を奪われた災いの時にも、「ヨブは神を非難することなく罪を犯さなかった」と記されています。2章に至りましては、さらなる試練に遭い、ヨブは頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病に罹り、素焼きの欠片で体内をかきむしって、友人も見分けられないほどの姿になったとあります。そんな有様に呼ぶの妻は、「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って死ぬ方がましでしょう」と嘆きます。しかしヨブは「『わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか』そのようになっても彼は、唇をもって罪を犯すことがなかった」と記されています。
 ここまできますと、ヨブはすごい人だ、私など到底及ばない、と思われるかもしれませんが。完全ともいえるヨブも苦痛が長引くと、かつての幸せな日々、子どもたちへの愛が心に甦って来るとき、3章に至って、「自分の生れた日を呪った」、「生れてこなければよかった」「死んだ方がどれほどよいことか」と嘆きます。ヨブもまた人の子、血の通った人間なのです。しかしそれは、主である神を信じればこその嘆きであり苦悩であります。


「主に相対して生きる」
このヨブ記の扱っている問題は、正しい人になぜ災いが及ぶのか?という神の正義を問う「神義論」にあるということを私は昔神学校で学んだのですが。しかしその「なぜ」という問いに対する答えは人間の側からは出せない、わからないというのが実感で正直な答えです。その答えは永遠にでないだろうと思うし、むしろそこではその答え自体が重要なのではなく、問題はヨブのように「なおそこで主と相対して生きるか」ということが問われているように思うのです。
もちろん、私たちは何らかの希求や願いをもって主を礼拝することは否定されるものではありません。私たちの願いや希望を主に祈り求めていくことや、試みに遭わせず悪より救い出してください、災いに遭う事がないように守ってください、と主に祈り求めていくことそれは、主を畏れ、主を信頼していればこそできることなのです。
が、その一方で主を畏れ、無垢で正しい人であったとしても、突然に災いに遭う事、大切なものを失くすという悲劇に見舞われるような事が、起こることもあります。その時、如何に主と相対してゆくのか。

以前おりました教会で祈祷会にずっと出席をされていた姉妹がおりました。私が大阪に来てからお父様を亡くされたのですが。姉妹はいろいろとご苦労され、様々な問題を抱えながらも、そのまっすぐな祈りと献身的な越冬支援のボランティア活動をなさるその姿は、主の福音にいかされている人の証しでありました。ところが今年の始めその姉妹が重篤な病に罹られた、という知らせがありました。私はすぐに電話をして姉妹の現状をお聞きしたのですが、姉妹の心の痛みを和らげることはできず、ただ主に祈ることしかできませんでした。まだ40代の若さです。ご自分の病気の事、お母様のことをはじめ心配事は尽きなく、どんなにか不安であったと思います。姉妹はキリスト教のホスピス病棟に叶うなら入りたいと切望しておられたのですが、なかなか入るのは難しいのです。先日気になり電話をしてみますと、電話の向こうから姉妹の声が聞こえてきました。「先生、あれからほんとうに不思議な事が次々にあり、願っていたホスピス病棟に入れ、安心しました」という姉妹の声でした。その穏やかな口調の裏にはたくさんお涙と心残りもあったのではなかろうかかと想像いたしますが。天の御もとに召されるその日まで礼拝を捧げることのできる場所で、主に寄り添われて生きる時間を得られた姉妹の声には、希望の光さえ感じられました。


「主イエスの苦難と死を重ねて」
今日のヨブ記の「正しい人がなぜ苦しまなければならないのか」という問いに対しては答えは出ませんが、しかし私たちは十字架の苦難と死を経験された主イエスもまた、ヨブのように実は全く正しいお方であられたのに、苦難と死を身に負われたのです。それはきっと、私たちが人生において起こるなぜといった耐え難い苦しみや不条理で理解し難い出来事を、主イエスも又、あの十字架のうえで身に負われたということであります。主は人が負うその痛みをすべて知ってくださいます。主に信頼して生きる者を、主は「わたしの僕」と呼んでくださいます。どこまでも、どんな時でも、一生涯この主に信頼して歩んでゆくことが出来ますように。お祈りしましょう。
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