「支援とは」
先日、連盟ホームレス支援特別委員会の講演会が行われ、釜ヶ崎でアルコール依存症の方々の支援をしている「喜望の家」(日本福音ルーテル教会・釜ヶ崎ディアコニアセンター)の代表者である秋山仁師より貴重なお話を聞いた。
その後、フロアーから「アルコール依存症の場合、本人が底打ちしないと、底まで落ち気づかないと援助にならない、診らないという病院が殆どで、その「底打ち」は誰が、何によって判断するのか」という質問が出た。
秋山師は「本人の主観」だと答えた。再度フロアーから「自分がどう思っているかで判断するのなら、自立支援法の「自立の意志のある者だけを助ける」という論理と変わらない。マルコ福音書で、悪霊につかれ墓場に住んでいた男が「ほっといてくれ、もう関わらんでくれ、私と何の関わりがあるのか」とイエスに言うが、イエスは「黙れ」と宣言した。イエスというのは、確かに手を出し過ぎてもいかん、お互い共依存の関係になってもいかんし、いろんなリスクは負うけども、一方で、本人がどう思っているかということを判断基準に底打ちを待つとしたら、底打ちしない人は死んでいってしまう。イエスにはなれないけど、やっぱり底打ち以前の段階、ああだこうだいって飲んでいる段階の野宿のおっちゃんに「黙れ」と言う瞬間があるんちゃうかな、関わることが大事やなと思う」という問いかけがなされた。こういうやり取りがあったが、強く心に残った。(俊)
先日、連盟ホームレス支援特別委員会の講演会が行われ、釜ヶ崎でアルコール依存症の方々の支援をしている「喜望の家」(日本福音ルーテル教会・釜ヶ崎ディアコニアセンター)の代表者である秋山仁師より貴重なお話を聞いた。
その後、フロアーから「アルコール依存症の場合、本人が底打ちしないと、底まで落ち気づかないと援助にならない、診らないという病院が殆どで、その「底打ち」は誰が、何によって判断するのか」という質問が出た。
秋山師は「本人の主観」だと答えた。再度フロアーから「自分がどう思っているかで判断するのなら、自立支援法の「自立の意志のある者だけを助ける」という論理と変わらない。マルコ福音書で、悪霊につかれ墓場に住んでいた男が「ほっといてくれ、もう関わらんでくれ、私と何の関わりがあるのか」とイエスに言うが、イエスは「黙れ」と宣言した。イエスというのは、確かに手を出し過ぎてもいかん、お互い共依存の関係になってもいかんし、いろんなリスクは負うけども、一方で、本人がどう思っているかということを判断基準に底打ちを待つとしたら、底打ちしない人は死んでいってしまう。イエスにはなれないけど、やっぱり底打ち以前の段階、ああだこうだいって飲んでいる段階の野宿のおっちゃんに「黙れ」と言う瞬間があるんちゃうかな、関わることが大事やなと思う」という問いかけがなされた。こういうやり取りがあったが、強く心に残った。(俊)