宣 教 詩編103編
今週の9月24日、私たちの大阪教会は宣教開始60周年を迎えます。
クリスチャン1世から2世、あるいは2世から3世へバトンタッチされていくそのような過渡期に今この大阪教会はあるといえましょう。
この詩編からまず示されましたのは、長生きや長寿であることがそのまま祝福、幸いといってはいないということです。そこには罪を赦し、病をいやし、命を墓から贖い出して下さるお方との交わりがあるから幸いなのであります。。それゆえに「長らえる限り良いものに満ち足りる。鷲のような若さを新たにしてくださる」とその祝福が言い表されています。
二つ目に心に留まりますのは、2節「主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」というみ言葉であります。それは、詩人が個人的に「罪をことごとく赦され、死に至る病からいやされ、命を墓から贖い出された」主の御計らいを忘れるなということであり、私どもにとっても「数えてみよ、主の恵み」という賛美歌にもありますように、すべての恵みの源は、十字架の主から来るのです。このことをしっかりと心に留め、主にことあるごとに感謝をささげ、賛美してまいりましょう。
三つ目は、7節に「主は御自分の道をモーセに、御業をイスラエルの子らに示された」。又、17節に「恵みの御業は子らの子に」と詠われていますように、主の御計らいと恵みの御業を次世代の子どもたち、孫たちに語り継ぎ、信仰を継承していくことがとても大切な働きであると指摘されているのです。
本日は信仰の先輩方のあゆみに感謝しつつ、主に礼拝を捧げています。私たちはこうした信仰の先輩方から信仰のバトンを受け継いでいることを心に留めると共に、今度は私たちが次の世代の子や孫たちに、信仰のバトンを渡していくという役割が託されています。お年寄りから赤ちゃんまでのあらゆる世代が集う教会とされていきたいと願っています。
今週の9月24日、私たちの大阪教会は宣教開始60周年を迎えます。
クリスチャン1世から2世、あるいは2世から3世へバトンタッチされていくそのような過渡期に今この大阪教会はあるといえましょう。
この詩編からまず示されましたのは、長生きや長寿であることがそのまま祝福、幸いといってはいないということです。そこには罪を赦し、病をいやし、命を墓から贖い出して下さるお方との交わりがあるから幸いなのであります。。それゆえに「長らえる限り良いものに満ち足りる。鷲のような若さを新たにしてくださる」とその祝福が言い表されています。
二つ目に心に留まりますのは、2節「主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」というみ言葉であります。それは、詩人が個人的に「罪をことごとく赦され、死に至る病からいやされ、命を墓から贖い出された」主の御計らいを忘れるなということであり、私どもにとっても「数えてみよ、主の恵み」という賛美歌にもありますように、すべての恵みの源は、十字架の主から来るのです。このことをしっかりと心に留め、主にことあるごとに感謝をささげ、賛美してまいりましょう。
三つ目は、7節に「主は御自分の道をモーセに、御業をイスラエルの子らに示された」。又、17節に「恵みの御業は子らの子に」と詠われていますように、主の御計らいと恵みの御業を次世代の子どもたち、孫たちに語り継ぎ、信仰を継承していくことがとても大切な働きであると指摘されているのです。
本日は信仰の先輩方のあゆみに感謝しつつ、主に礼拝を捧げています。私たちはこうした信仰の先輩方から信仰のバトンを受け継いでいることを心に留めると共に、今度は私たちが次の世代の子や孫たちに、信仰のバトンを渡していくという役割が託されています。お年寄りから赤ちゃんまでのあらゆる世代が集う教会とされていきたいと願っています。