日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

キャンドルライトサービス・メッセージ

2007-12-26 09:14:40 | メッセージ
「主のお導きのもとで」 マタイ福音書2章13節~23節

今年もまた悲しいかな世界において、争いや自爆テロ、災害、民族紛争による残忍な虐殺が後を絶ちませんでした。日本国内にあっても、異常気象や地震による災害、凶悪な犯罪や政治の汚職など、又身近なところではガソリンや灯油など生活必需品の大幅な値上がりが、生活者や働く者を直撃しています。人がますます生きにくい、先の見えない、暗い社会になっていくように思えてなりません。

キャンドルライトサービスは、暗闇の中にもたらされる希望の光を表しています。人々が暗闇と思うそのような時代のただ中に、救い主誕生の預言・告知・降誕・喜びの知らせを聞いて訪れる羊飼い・星をめあてに訪ね来る東の賢者たちという希望の灯がひとつ一つともされてまいります。光は暗闇の中で最大限その輝きを放つものです。世相が暗ければ暗いだけ、そこに与えられた一筋の灯は威力を発揮し、その暗いところを一層明るく照らし出すのであります。

マタイ2章の後半部分の箇所が読まれました。普通このところは、クリスマスの折りにあまり読まれることがないかも知れません。それは何より、ヘロデ王による「幼児虐殺」という極めて残忍な記事が記されているからです。クリスマスという喜び祝う席にあってはできるだけ避けて通りたい箇所であります。なぜ神による出来事の中で、このようなあってはならない事が起こったのか。それはいわゆるクリスマスの歴史上の影の部分と言えましょう。
けれどもマタイは、この惨事を包み隠さずクリスマスの一連の出来事として書き記しています。あえてこの後半の影の部分を含めて記すことによって、主のご降誕のメッセージをより深く伝えているのです。このマタイのクリスマスの記事を読みます時、「救い主イエスはお生まれになられるその時から、十字架を背負っておられたのだ」と思わずにいられません。ユダヤの王ヘロデは、その王メシア誕生の知らせに「不安を抱き」、それを亡き者にしようと企てました。それは「エルサレムの
人々も皆、同様の思いを持っていた」ということであります。救い主を待ち望む反面、今の生活が失われるかも知れないという不安は理解できるでしょう。しかし、王や人々が抱いた不安は、神への信頼が薄れていたことによるものでした。やがて、その人々が「イエスを十字架につけろ」と叫ぶことになるのです。あなたも、神のともされた希望の灯を、暗闇が打ち消そうとするかのようです。
しかし、この箇所にありますように、救い主として生まれた幼子イエスさまは、家族共々、主の天使の3度にも及ぶお告げと導きとによって、エジプトへの避難、又エジプトからの帰国、さらにイスラエルにおいても、守られていくのであります。
どんなに暗闇が深くとも、希望の灯を消すことなどできないのです。

本日のメッセージを準備している折、「エリカ~奇跡のいのち」という一冊の絵本を本棚に見つけました。今から74年前の1933年から1945年までの12年間に、ドイツのナチスがユダヤ人600万人にも及ぶ人たちを虐殺するという未曾有の事件が起こりました。この絵本はその背後で実際に起こった一つの出来事を基にして書かれたものです。主人公である一人の女性エリカは、その大虐殺から奇跡的に生き延びました。エリカは当時生まれて間もない赤ちゃんでした。強制収容所に沢山のユダヤ人を送り込むすし詰め状態の貨物列車の中で、彼女は母親に抱かれていました。貨車が強制収容所の門をくくれば、二度とこちら側に戻ることができません。ところが、貨車がその収容所に入る直前に、避けられない死への道を歩んでいることを知った母親が、せめてこの子だけでも生き延びてほしいと願って、貨車の換気用口から、赤ちゃんを投げ捨てました。エリカはその出来事を回想してこう言いました。「お母さまは、じぶんは[死]にむかいながら、わたしを[生]にむかってなげたのです。」翻訳なさった柳田邦男さんはこう解説を加えています。「この作品は、単に大量虐殺の悲惨さだけを訴えているものでもないことが、読み進むうちにわかってきた。赤ちゃんを走る列車から投げ出すなどということは、平時であれば、殺人行為と見られてしまう。しかし、親も子も殺されるのが不可避という限界状況の中では、たとえ生きられる確立は1万分の1であっても、ゼロではない道をわが子のために選んだ母親の決意は、一筋の「生」の光を求める崇高なものとして、人々の心を揺さぶらずにはおかないだろう。エリカの物語は、ナチス・ドイツや戦争の問題を超えて、いのちを尊ぶことや生きることについて根元的な問いかけをつきつけている。」
絵本の最後でエリカは次のような言葉でもって締め括っています。「わたしと同じ民族の人たちは星の数だけいると、昔から言われてきました。それらの星の中の600万個が、1933年から1945年までの間に流れ星となって消えました。消えた星のひとつ一つが、かけがえのないいのちを踏みにじられ、家族のつながりを引き裂かれれた、わたしの民族のひとり一人だったのです。今、わたしの家族の樹は、再び根をはり、大きく育っています。わたしの星ーわたしのかけがえのないいのちは、今も輝いています。

クリスマス。それは、救い主イエス・キリストが、悲しみや苦しみの闇に覆われる私たちを取り巻く暗き世界に、一筋の光としてお生まれくださったことを覚える日であります。

 去る11月19日、家族ぐるみでお付き合いのある友人のご長女が14歳9ヶ月のご生涯を終え、主のみもとに・天に召されました。ご長女は生まれながらに難病を抱え、歩んでおられました。そのご家族はいちもこのご長女を中心にしながら明るく、神さまの家族としての歩みをなさっておられました。前夜式で挨拶で、「この子は生まれながら十字架を背負っていましたが、精一杯生きてくれました」とお父さんがおっしゃった言葉が印象深く残っていました。それから、数週間後のお手紙には、「彼女の親とされたことを感謝しております。彼女によってまた多くの方々との出会いが与えられたことを感謝しております」という言葉が記されていました。ご一家は、これまでご長女を守るために、ほんとうに心も体も、時間もお金もいっぱい使い、多くを尽くしてこられた。そのような中でなお、福音宣教の業とその働きに励んでおられたそのお姿に、心から敬意をおぼえます。牧師である友人のこれらの言葉をかみしめながら、今改めて思わされるのです。ご長女のEさんはご家族にとって灯であったと。それはおそらく教会にとっても、又ご長女を知るすべての人々にとってもそうであったと。私たちはその灯を守っているようでありながら、実はその灯にともされて、暖められていたのだ、と。

主イエスの誕生についての一連の記事を通して知らされますのは、マリアやヨセフらが神のひとり子イエスを必死に守り抜こうとするその姿であります。そこに、予期せぬ様々な事どもが起こります。それは人間の持つ闇の部分を示すものであります。しかし、そのような闇の中に、一筋の光が差し込んで、闇を照らし出しているのであります。私たちは、闇に輝く一筋の灯なる、この神のひとり子イエスさまを抱きあげ、ふところに包み、暖めながら、人生の旅路を歩んでゆきます。ある時は闇路のようであり、逃れの道のようです。しかし、そのようにある意味険しく厳しい道を生きているように思える時こそ、実は不思議な不思議な事どもが起こる。
それは、「この幼子イエスさまによって、その小さな灯によって、その歩みが守られ、支えられ、導かれる」という不思議。そのような経験をするのであります。

クリスマスのメッセージを、マタイは「インマヌエル」;「神が我らと共にいます」ことである、と告げます。このお約束を、世にある限られた生涯のうちにあって、経験し、神をほめたたえていく豊かな人生を歩んでまいりましょう。



































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クリスマスメッセージ②

2007-12-25 14:59:19 | メッセージ
ほんとうのクリスマス(つづき)  

①「貧しき・小さき者に臨んだクリスマス」

「マリアは初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」と聖書は簡潔に記していますが、それはおよそあり得ないような出来事がベツレヘムで起きたのであります。史上最も偉大なメシアなるお方が、宮殿でも大邸宅でもない家畜小屋の岩屋にお生まれになったのです。当時、キリスト・救い主(ヘブライ語;メシア)
が誕生したのが他のどこでもないベツレヘムであったことは、ユダヤの人々にとって非常に重要な意味をもっていました。旧約聖書の時代から、その地においてメシア到来の預言の約束が成就すると、信じられていたからです。
ローマの属領として様々な束縛や制限を受けながら、苦しみあえいでいたユダヤの人々は、誰しも、「時来たりなば、神は必ず我々と共にいて、我々を救い出してくださる」という希望を絶やさずに持っていました。ところが、このルカ福音書は救い主メシアの誕生の知らせを最初に受け、降誕の場へと招かれたのは、名もない羊飼いたちであった、と伝えます。旧約聖書の時代とは異なり、彼らはユダヤ社会にあってとりわけ貧しく、ユダヤ人として認められていなかった小さき者たち、住民登録の対象外でした。社会にあって身分が保障されていません。そういう中で生きていく他ない人々であったのです。世にあって羊飼いらは、時代や社会に取り残された者のようでした。貧しき者、身分の低き者の代名詞のような存在でした。

その彼らのもとに天使は現れて、「恐れるな。わたしは、民全体に与える大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」と告げたのです。

キリストのご降誕のその光景を思い浮かべてみてください。
古今東西を問わず、昔から子ども誕生は公的な出来事のようにみなされ、生まれた子どもはみんなに披露される、これが常であったようです。今日に時代のように、新生児室のガラス越しに赤ちゃんを覗いたり、消毒マスクをつけて入室するようなこともんかった時代。かつての日本もそうであったように、当時のユダヤの一般的な家庭では、子どもが生まれるとご近所がこぞって喜び合い、生まれた子を見ようと親族や友人が押し寄せ、祝福の宴が持たれたようであります。
 けれども、このヨセフとマリアの場合、子どもが生まれたといっても、自分たちの郷里のナザレから遠く離れたベツレヘムのことであり、事情も甚だ異なっていました。しかしここには、その誕生を心から祝い喜ぶ人々のがありました。このベツレヘムで起きたクリスマスの出来事を真っ先に知らされ、飛ぶようにやってきた羊飼いたちがいたのです。もしこれが、日常雑多でせわしなく、社会的地位や物質的にも恵まれ、憂い無き人であったのなら、この羊飼いほどの思いに満たされただりましょうか。主イエスはおっしゃいました。「幸いなるかな、心の貧しい人々。天の国は、その人たちのものである。」主のお誕生は、まずこのような人々によって祝われたのです。
 
彼らが夜空のもと、草原でその知らせを聞いた時、天使の突然の出現と天の大軍に恐れを抱いたことでしょう。しかし、それは何か、野獣や強盗の出現にるような恐怖の恐れではありません。彼らは、ここでほんとうに恐るべき方を知るものとされていくのです。この事が、救い主を迎えていく、クリスマスを迎えていくために欠かせないことであります。あのマリアの受胎告知の折りも、彼女は畏れを持つ者とされたのであります。主の誕生を目の当たりにした羊飼いたちは名も無き人たちであります。しかし、この羊飼いたちは、天使の告げる約束。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」との言葉を握りしめ、まことの救い主を迎え、ほんとの「平安」、神との交わりに与る救いを得のであります。

ちなみに、ユダヤ人という言葉には、「夜勤の者」という意味があるということです。これは、ルカの記事から、人々が眠りこんでいる夜中に、目を覚ましてその勤めを果たし続けた羊飼いたとこそ、「夜勤の者」、真のユダヤ人であったということが言えるのかも知れません。しかし、これは単に眠らないということではなく、「いつも霊的な眼をもち、様々な事どもに眼を注いで生きる」。そういうことではないでしょうか。このことは、今日のめまぐるしく、うつり変わりゆく時代・暴力や武力によって平和や貴い命が脅かされている時代にあって、この小さき羊飼いたちのように、いつも目を覚まして生きる、神の時を見逃すことなく、その小さきみ声を聞き逃すことなく、主にある平安と交わりに与って生きる、そのことが如何に大切であるかということを、示しているようであります。

②「ほんとうのクリスマス」

最初に、クリスマスは何時ですか、と尋ねました。
聖書が主のご降誕のクリスマスの年月日を正確に記していないのには訳があるのです。それは確かに歴史上起こったことですけれども。しかし、わたしにとってそれが「ほんとうのクリスマス」となるのは、いつでしょうか。それは、この「わたし」が、このメッセージをお読み下さっている「あなた」が、あの名も無き羊飼いたちのように心から救い主イエス・キリストをお迎えする時、実現します。「わたしのクリスマス」になる時、「ほんとうのクリスマス」になるのであります。
そのメッセージが、初めに羊飼いたちのもとに届けられ、聖書を通して代々の信仰の先達によって、世界中の人々のもとに、そしてわたしたちにも、確かに今日届けられました。心からメリークリスマス。









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クリスマスメッセージ①

2007-12-24 23:21:51 | メッセージ
「ほんとうのクリスマス」  ルカによる福音書2章1節~20節

一体「ほんとうのクリスマス」は何時なのでしょうか。先の巻頭言でM・Yさんが「イエスの誕生の日付について」、歴史的事実だが、12月25日に歴史的根拠はないと記してくださいました。私もクリスマスの日付よりも、むしろクリスマスという言葉のもつ意味が大事であると思います。クリスマス、その語源は「キリストのミサ・祝い」であります。それは、キリスト(ヘブライ語でメシア)が、世界の救い主としてお生まれくださった、そのご降誕をお祝いする日です。

師走になり、今年も日本の世相を最も映した一文字が披露されました。今年は「偽」という字でした。耐震偽装、食品の銘柄・製造日付偽装云々、生活者としては、何を信じてよいのか分からない、そのような不安と憤りを覚えます。クリスマスについても、「偽クリスマス」といえば語弊があるでしょうが、騒ぎ楽しむだけに終始するような、イエス・キリストの降誕と関係のないクリスマスが持たれているのも確かです。

ルカ2章1~20節、これがクリスマス・救い主イエスのご降誕についての記事の全容であります。

「序説~与えられている恵みの発見」
ヨセフと身重のマリアが住民登録のために、ベツレヘムに到着したのは夕刻だったようであります。もう少し早い時間帯に到着していたら、ベツレヘム近辺がいくらごったがえしていたとはいえ、これほど宿探しに苦労することもなかったのかも知れません。映画「マリア」の中で、二人が住民登録するために旅に出る場面が見事に描かれていました。郷里のナザレからベツレヘムまでは200キロもあり、その道のりも険しい荒れ野を、ヨセフと身重のマリアは越えていかねばなりません。何とも過酷な旅であったことでしょう。けれどもそのような中で、二人の信頼関係や愛の絆が、み言葉を基にして強く、揺るぎのないものへと変えられていくのです。
ヨセフは陣痛の始まったマリアに寄り添いながら、戸口から戸口へと必死に宿を訪ねて廻ります。喜びあふれるクリスマスの記事の中で、大変緊張に包まれる場面であります。ここで二人は、三人の宿屋の主人に断られるという教会学校のぺージェントの一幕が思い浮かんできます。名も知れぬ宿屋の主人は、ある意味憎まれ役になってしまいます。けれども、「宿の裏に動物を囲うための岩屋(洞窟)でいいなら」と声をかけてくれたのも、その一人の主人でありました。当時のベツレヘム周辺の丘には、そうした岩屋があったそうです。けれども、産みの苦しみの中にある妻のことを思えば、「とにかく、どんな場所でも雨露しのぎ、備える場所さえあればありがたい」と二人は思ったことではないでしょうか。ここに、クリスマスの一つのメッセージがあるように思います。
 今、この年の瀬に向かう中で、私たちは自分と周囲を比べ、これだけしかない、ということを嘆いたり、呟いたり、不平不満をぶつぶつぶつけてしまう、そんなことはないでしょうか。けれどもクリスマスは、その「これだけしかない」が「これだけもある」「ありがたい」という思いへ変えられていく、そういう日ではないでしょうか。(つづく)




















































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巻頭言

2007-12-14 13:45:52 | メッセージ
「イエス誕生の日付について」 M・Y

 クリスマスの季節になると「ルカ福音書」の降誕物語がよく読まれる。パレスチナでは羊飼いが野宿できるのは3月頃から11月までの春、夏、秋のいずれかになる。これが唯一の手掛りとなる。では、キリストの誕生日はなぜ12月25日に設定されたのか。古代のキリスト教徒がイエスの誕生日を推測はしているものの、歴史的価値はない。
 243年に出た書物にキリストの誕生日を3月26日と設定している。著者は、天地創造の際に神が光と闇とを分けた記事にヒントを得た。つまり、光と闇はその際二等分された「昼」と「夜」の長さが同じ日に開始された事になる。ローマ暦では昼夜半分の春分の日は3月28日に定められていた。天地創造物語によれば、神は太陽を第四日目の28日に創造されことになる。 旧約聖書「マラキ書」3章20節には救い主は「義の太陽」であるから、イエスは3月28日にこの世に生誕された、と主張している。
 その他、自由気ままに考えてさまざまな説がある。その中で、4世紀初頭、エジプトで発見された一葉のパピルスに一種の典礼式文には、教会の聖歌隊が司祭の朗読に続いて答唱。また、多数の指紋が検出されており、式文にはヨルダン川でイエスの洗礼を記念するというメモにより、それは1月5、6日が顕現祭の典礼式文だと判明した。聖歌隊が歌ったその式文の歌詞には「彼は、ベツレヘムに生れ、ナザレで育ち、ガリラヤに住んだ。私たちは天のしるしを見ました、輝く星というしるしを。野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いたちは恐れ、ひざまずいて歌った。父に栄光あれ。ハレルヤ。御子と聖霊に栄光あれ。ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。」とある。このように、四世紀はじめ東方教会では、キリストの降誕を一月五日から六日にかけての夜に祝っていた。
 クリスマスについて考える際に、十二月二五日にこだわるべきではない。
 
 このシーズンにわたしが愛唱しているドイツの神秘的宗教詩人、アンゲルス・シレシウスの詩をご紹介しましょう。
「キリスト ベツレヘムに生(あ)れたもうこと 千度(せんたび)におよぶとも、 キリスト汝(な)が心のうちに生(あ)れたまわずば、たましいは なおうちすてられてあり。十字架のみ 汝(なれ)をすこやかにせんに、ゴルゴダの丘が十字架 汝(な)が心のうちに立てられずば、汝(な)がたましいは とこしえにうしなわれてあり。」
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巻頭言

2007-12-06 14:06:44 | メッセージ
博多っ子の意気を感じて  T・S

 私達をキリストに導いて下さった牧師就任式のため、五島列島の旅を終えた家内と博多駅で落合い、翌朝の姪浜教会の礼拝と午後の古賀教会・金子敬牧師就任式に備えてホテルに直行しました。
[姪浜教会] 駅から歩いて2~3分、コンクリート3階建ての教会は、礼拝前のみっちり1時間の分級と、当日の巻頭言の説教要旨に基づいた説教が協力牧師の松見師よりありました。「この世界にある何かを絶対的なものとして祀りあげてしまう人間の罪」(出20:13)について語る言葉には大きな重みがありました。礼拝出席100名。たまたま主の晩餐(配皿;ぶどう酒は中程に、外側にはぶどうジュース)に与ることができ、満たされた礼拝でした。コーヒーブレイクがなかったのは寂しかった!
[古賀教会] 博多駅から小倉に向かってJRで360円の距離にあり、寂しい町でした。新会堂はバランスのとれた居心地のよいものでした。牧師就任式出席150名。西南大神学部4教授の揃い踏み、式後全員でチラシ配り。福岡地方バプテスト連合・野中会長(前平野教会牧師)の博多にわかを交えた(過大投資とも思える会堂建築を神の恵みとして語られた)祝辞は温かく心に残るものでした。秀逸!また、金子牧師の「さて、主の天使はフィリポに、ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行けと言った。そこは寂しい道である。」(使8:26-27)しかし、「この町には、わたしの民が大勢いるからだ。(使18:10)」と結ばれた就任の辞に思わず涙しました。式後の愛餐会は近隣教会の持ち寄りによるものでした。金子牧師より「この食事を教会員の皆で悔い(食い)改めますので、宜しくお願いします」との感謝がのべられ、私達は古賀での再会を約して熊本へ向かいました。古賀教会に神の栄光あれ!恵みの旅路に感謝。
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巻頭言

2007-12-01 12:25:44 | メッセージ
「五島列島・島原キリシタン史跡訪問」 K・S

11月7日~10日迄、五島列島・島原キリシタン史跡を訪ねました。長崎佐世保港より高速船で1時間30分、五島列島有川港へ着きました。140の大小からなる島が連なっています。島へは船での交通です。1587年豊臣秀吉による「キリシタン禁教令」が発令され、キリシタンへの迫害が始まります。しかし宣教師の働きは続きます。信者に踏み絵・投獄・殉教の死を迫られていきました。300年近くの年月が過ぎ1873年明治政府のもと禁教令の高札ははずされ、「信教の自由」が訪れました。と同時に、フランスのドロ神父等が次々と着任され、その働きは生活を奪われた人々、病気や親を亡くした子どもたちへ救いの手は伸べられます。ドロ神父は、教会堂建築という大きな仕事をなすがため、ヨーロッパの最新道具を取り寄せ、日本人大工棟梁・鉄川与助にその仕事を託し、明治32年五島の冷水カトリック教会の教会堂建築をはじめ、次々と教会堂が建てられていきました。ドロ神父は女性にはミシンの手法を教え、子どもたちには孤児院等を設立する中で宣教が続けられ、現在五島列島総人口の40%が信徒として、その信仰を継承しています。
 終日に訪れた島原カトリック教会は、アルメィダという医師であり宣教師が赴任され働かれた教会で、島原の乱で親を亡くした子どもたちへ先ず手が差し伸べられました。総合病院、ハンセン病療養所、熊本の恵楓園、聖マリア修道院、熊本の慈恵病院等は同系のイエズス会の働きだそうです。
島原教会の神父は、「信仰の継承は福音を広める事は元より、宣教師、神父、信徒の学び第1に教育が必要で、これが亡くなれば宗教は亡びる。400年の永きに亘った信仰は、出会い・受難・復活であって、この五島・島原は海に囲まれ、まさにイエズスが宣教を始められた『ガリラヤ湖』のように、ここから新しい教会、宣教が始まっているのです」と言われました。
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