日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

主の刈り入れに投げ出される

2012-06-27 09:52:10 | メッセージ
宣教(神学校週間)  石橋 誠一 神学生

マタイによる福音書9章35節-10章1節(新共同訳)
 
35 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。36 また、群集が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」10:1 イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。
(試訳)
35 そしてイエスは全ての町と村とを歩き回り、彼らの会堂で教えたり、御国の福音を宣べ伝えたり、全ての病気と全ての疾病を手当てしたりしていた。36 で群衆を見て、彼らについて世話する者を持たない羊たちのように悩み、落胆していることに胸を痛めた。37 その時、自分の弟子たちに言う、刈入れは多い一方で、働き手が少ない。38 そこで刈入れの主に、働き手を彼の刈入れへと投げ出してくださるように願いなさい。10,1 そして彼の十二人の弟子たちを呼んで、彼らに汚れた霊の権威を与えた。それらを投げ出して全ての病気と全ての疾病とを手当てするために。
 

この、私たちの教会が加盟している日本バプテスト連盟では、毎年6月の最終日曜日からの8日間を「神学校週間」と定めているわけですが、6月は神学校週間の他に、第二主日に「バプテスト病院デー」という日も定められています。私の妻も、バプテスト看護学校を卒業した後、バプテスト病院で看護師として数年間働きましたし、私自身も、バプテスト医療団の牧師室スタッフとして1年間働く機会が与えられました。
 1つの教会だけではなしえない伝道活動を協力してやっていくための協力体としてつくられたバプテスト連盟がなぜ病院や看護学校を創立しようと考えたかというと、戦後の国土が荒廃し、多くの人が心身ともに傷ついていた時代に、キリストがなさった癒しのわざに倣い、医療を通して人々にキリストの愛を証ししたいとの願いがあったからでした。そのような医療団の創立聖句として選ばれたのが、先ほどお読みいただいた本日の聖書箇所の最初の1節、マタイ福音書9章35節であります。「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた」。この言葉は、同じマタイ福音書の4章23節にもほぼ同じ言葉で出てきています。「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」。イエス様のなさった伝道活動を一言で言い表すとすると、神の国の福音を宣べ伝えることであり、人々の病や苦しみを癒すことであったということなのでしょう。
 そこで医療伝道を、ということで病院が建てられ、看護学校が建てられたわけですが、病を癒すと書かれているからといって、医療の専門家にしかできない、そうでない者には関係ないことだ、というわけではありません。「癒す」と訳されている言葉はもともとは「仕える」とか「奉仕する」とかいう意味の言葉で、病気に関して使われる時に「看病する」とか「治療する」とかいう意味になるのです。病気の人、苦しんでいる人を看病するとかお世話するとかいうのであれば、専門家でなくてもできることです。
 

そもそもイエス様も職業は大工だったのであって、医療の専門家だったわけではありません。たとえ医療の専門家であったとしても、治療すれば必ず病気が治癒する、癒されるとは限らないのです。まして、専門家でもないイエス様が看病したからといって、いつもいつも病気が治っていたとは限りません。病気が治ってしまうというような奇跡的な出来事は、それほど多くはなかったのではないでしょうか。たまに起きる奇跡的な出来事であったからこそ、福音書にも癒しの奇跡が特筆すべきこととしていくつか伝えられているのだと思います。イエス様が触ってくだされば、病気はなんでも治る。そのようなイメージを持っておられた方、私自身もかつてはそのように考え、イエス様と同じ時代に生きていないことを残念がったりしていたわけですが、そういう方には申し訳ないですけれども、イエス様といえども、なんでもかんでも病気を治しておられたわけではないのです。福音書にも、イエス様が癒しの奇跡をほとんど起こせなかったことがあったと記されているほどです。「イエスは町や村を残らず回って、・・・ありとあらゆる病気や患いをいやされた」と書かれていますが、イエス様がなさったのは奇跡の大盤振る舞いではありません。そうではなくて、病気で苦しんでいる人、思い悩んでいる人のことを誰一人としてお見過ごしにならずに、一人一人のお世話をし、慰め、励まされたということなのです。
 

続く36節に次のように記されている通りです。「また、群集が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」。イエス様のもとに集まった人々は、飼い主がいない、お世話をしてくれる人がいない状況の中で、弱り果て、打ちひしがれていたのです。このような状況にイエス様は胸を痛められました。本田神父風に言うならば、はらわたを突き動かされたのです。そして弟子たちに言います。「収穫は多いが、働き手が少ない。38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」。
 

このイエス様の言葉は、神学校週間の時などに好んで読まれる、有名な言葉の一つです。この言葉は、キリスト教伝道を意図したものとして理解されてきました。キリスト教に回心させるべき人は大勢いるけれど、そのために働いてくれる人が少ないので、もっと伝道者が起こされるように願いなさい、というように。しかし、「収穫」ということで、本当にクリスチャンでない人をクリスチャンにするというようなことが言われているのでしょうか。まだクリスチャンになっていない人がたくさんいるから、その人たちをクリスチャンにさせるための働き人がたくさん必要だ、というようなことが言われているのでしょうか。
 

ここで、「収穫」と訳されている単語に注目してみたいと思います。「収穫」と言うと、皆さん、どのようなイメージがありますでしょうか?農作物をとりいれる作業のことを言うのはもちろんですが、とりいれた「成果」であるところの収穫物を意味することもあるのではないでしょうか。今年の収穫は多かった、今日はたくさんの収穫があったよ、とかいうようにですね。そうすると、農作物に限らず、様々な行為によって得られる成果のことをも意味する、肯定的なニュアンスを持った単語として使われることになります。そこから、伝道活動の成果と結び付けて考えられるようになったのだろうと思います。しかしギリシャ語の原文を見ますと、この単語(therismos)は、「刈り入れる」(therizō)という動詞から派生した名詞で、まずは「刈り入れ」という行為そのものを意味します。これはニュアンスとしては肯定的でも否定的でもない、中立的なものです。これに肯定的なニュアンスを含めると「収穫」の意味にもなりますが、逆に否定的なニュアンスを込めて使うと刈り入れという「重労働」を意味することにもなろうかと思います。
 

この重労働を誰が担っているのでしょうか?38節を見ますと、「収穫のために働き人を送ってくださるように」とありますが、この「収穫」という言葉に原文では「彼の」という言葉がついています。「彼の刈り入れのために」、つまり、「主が刈り入れておられる刈り入れのために」ということであります。

 
では、その主の刈り入れの業とは何でしょうか。それは単なるキリスト教の宣伝活動なのでしょうか。そうでないことは、前後の文脈から明らかです。既に神の刈り入れの業を神と共に担っておられるイエス様がなさっていたのは、飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている人々から汚れた霊を追い出し、病気や悩みの中にある人々のお世話をすることなのでした。このことは、言い換えるならば、神様に与えられている一人一人のいのちが真に生きるための援助をする働き、と言えるのではないでしょうか。私たちのいのちは、単なる生物としての生命というだけでなく、神様が一人一人にいのちの息吹を吹き込むことで、神様によって生かされているいのちなのだということを信じるのが、私たちの信仰であります。しかし、そうして生かされているいのちを生き生きと生きることのできない状況に置かれている人がいるのが現実です。病気が原因のこともあるでしょうが、病気を抱えていても生き生きと生きておられる方もいる一方で、体は健康であっても生きる喜びを失っていたり、何のために生きているのかわからないというような人もいます。誰もが神様に生かされてあるいのちを生き生きと生きられるようになるためにはどのようなことができるのか。それは決して、医療の専門家とか宗教の専門家とか、何かの専門家でなければならないというものではないのです。
 

イエス様は仰います。そのような働きを共に担ってくれる人が少ない。「そこで、刈り入れの主に、働き手を主の刈り入れへ投げ出して(ekballō)くださるように願いなさい」。今、働き手を「投げ出してくださるように」と言いました。新共同訳では「送ってくださるように」と訳されていますが、「投げ出す」というのが直訳です。直後の10章1節に「汚れた霊を追い出し」、と言われていますが、ここで「追い出す」と訳されているのと同じ単語が使われています。汚れた霊は力づくで投げ出さないと人から出ていかないのです。「働き人を送り出してください」というと、神様に特別に選ばれたスペシャリスト、プロフェッショナルを送り出してください、というような感じがしますが、「投げ出される」となると、もっと違った印象を受けます。主の刈り入れのような重要な働き、大変な働きなど、とても自分のような者には担えない、そういって尻込みをする人、まさにこの私のような者をもその働きに投げ出してください、押し出してくださいというのです。
 
 

イエス様は、弱っている人々を目の前にしてはらわたを突き動かされ、神の刈り入れの業に押し出されていった方でありました。そして、同じ神の刈り入れの業に押し出されることを人々に呼びかけたのでありました。神の刈り入れのわざ、人々のいのちに向き合うことは、時に「重労働」と思えることもあるかもしれません。しかしそれには「収穫」の喜びが伴います。そしてなにより、それは「主の」刈り入れなのであって、私たちではなく、主が主体となってなしてくださっているわざだと信じることができるのが、私たちの強みです。そのような主のわざにつらなることを私たちは呼びかけられています。私たちはどのような形でその呼びかけに応えるでしょうか。神学校週間のこの時に、神学校の働きとそこで学ぶ神学生たちのことを祈りにおぼえていただくとともに、皆さんお一人お一人に語りかけられている主の呼びかけに耳を傾け、それぞれの応答について考える時としていただけたらと願っています。お祈りをいたします。
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ほかの国々のように?

2012-06-17 14:44:49 | メッセージ
宣教 サムエル記上8章1~22節   

本日はサムエル記上8章より「ほかの国々のように?」と題し、御言葉を聞いていきたいと思います。この個所は、「イスラエルの民が、ほかの国々のように、自分たちのために裁きを行う王を求める」記事であります。

①エリとサムエルの事例
先週は、3章より「主の預言者サムエルの召命」の記事を読みましたが。その後サムエルは主の言葉を曲げず、まっすぐにイスラエルの民に語り続け、7章15節にあるように「生涯、イスラエルのために裁きを行った」のであります。サムエルが主の預言者として果たした働きは高く評価されて然るべきといえましょう。
しかし、そんなサムエルも年老いてまいります。いろいろな症状が身体にも出て、もはやイスラエルのために裁きを行うことは難しいと判断したのでしょう。彼は自分の二人の息子をイスラエルのために裁きを行う者として任命いたします。「しかし、この息子たちは父の道を歩まず、不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げた」というのですね。父サムエルは裁き、主の言葉を曲げることはなかったのですが、彼の息子たちは金銭を要求し、受け取って不正な裁きを行い、主の言葉、戒めを曲げていたのです。
先週の3章のところで、祭司エリと二人の息子たちの記事を読みましたが。祭司エリの二人の息子たちも父の祭司職を継承しますが、祭司とは名ばかりでした。息子たちは祭司の職権を利用してならず者のようにささげ物を搾取し、主へささげものを軽んじました。また不道徳な悪行を繰り返しては聖所を汚しました。主に対して甚だ大きな罪を犯していたのです。エリはイスラエルにおいて立派な祭司でありましたが、自分の息子に対しての宗教的な教育や指導という面においてはある意味甘かった、目が行き届かなかったのであります。そのような後悔もあってか、祭司エリはまだ幼いサムエルに主の教えと戒めをまっすぐに伝えました。そうしてエリのもとでサムエルは祭司や預言者としての素養を身につけていったのであります。
ところが、この預言者サムエルもまた、自分の二人の息子たちに対して主に仕える者としての心得や務めについて継承し得なかったのです。残念なことにサムエルもまたエリと同様、子らに関して苦い思いをすることになってしまうのです。
今日は折しも父の日でありますが。偉大な祭司や預言者であったとされるエリやサムエル、しかし父親としてはどうだったのか?一番身近な自分の子どもとの関わりが欠落していていたとは言えないか。このことは他人事でなく自分のこととして聞いていく時、ほんとうに考えさせられるものであります。

②ほかの国々のように?
子育てといえば、ちょっと話はそれますが。先日、夜回り先生として知られる水谷修さんがご講演をなさったその内容の一部が新聞のコラムに紹介されていました。水谷さんは、今の日本社会の現状について、「私たちの社会は攻撃的な社会になっている。会社などでいらいらした夫は、家庭で妻や子にあたる。妻は子どもにあたる。そして、子どもは家庭でも学校でも否定されてしまう」と、このように語られたそうであります。
否定されて育った子どもは自分を肯定することが出来ません。そこから様々な歪みや障壁が生じてくるでしょう。これは個人に留まらず、社会全体のひずみとして現れてくるわけですが。しかし、それは何も現代社会特有のものではなく、すでに今から3000年前のイスラエルの民も又、そのような攻撃的社会の中にあったといえます。

サムエルが預言者として、その働きをしっかりとなしていた時、彼は主の言葉を曲げず、まっすぐに民に語り、主に立ち帰り、主にのみ仕えていく勧めがきちんとなされていました。それによって外から責めてくるペリシテ軍の外圧に屈することはなかったのであります。しかし、サムエルが老齢になり彼の息子たちが父の務めを引き継ぐようになると、先ほど触れましたように、息子たちは父の道を歩まず、不正な利益を求め、賄賂をとって裁きを曲げ、イスラエルはサムエル以前の状態に戻り衰退します。そうして異教のペリシテ軍をはじめ他の軍事的な勢力をもつ周辺諸国の脅威にさらされていったというのであります。民はそのような不安定な状況の中で、ますます自分たちに与えられた神の祝福と恵みを見失っていくのです。
そこでイスラエルの民が欲したのは、「ほかのすべての国々のように、自分たちのための王を立てる」ということであったのですね。士師や祭司と王とではどう違うのでしょうか。
士師や祭司は、神と人の間に立って民を導き、裁く人々です。一方の王は、その権力によって民を支配し、国を存続させようとする存在です。ですから、この「ほかの国々のように、王を立てて」というのは、力と権力で民を統制し、イスラエルという国家の確立を第一の目的としていたのです。
内部の衰退化と外圧によるあつれきという二つの脅威にさらされていたイスラエル。そこで民が求めたのは「ほかの国々のように王を立て、軍事的に強い国となる」ということでありました。けれども、それはまさに「イスラエルの民をこれまで何度となくその危機から救い出し、導かれた主なる神を棄て、自分たちが立てた王の権力に従っていく」ということを意味していたのであります。結局イスラエルの民は、そのような「攻撃的な社会」の中で、主の愛と慈しみに留まって生きる恵みを、自ら手放していったのです。
現代の社会にありましても、よその力ある国にならい、王のような権力者を立て、それを讃えて、外からの脅威を解消すべく軍事力で対抗するという現状が実際あるわけですが。しかしどうでしょうか。日本が敗戦後、軍国主義的な道をあゆまず、いかなる戦争もせず、又他国の戦争に参戦することがなかったからこそ、まがりなりにも戦争のない平和が築かれてきたのです。日米安全保障条約やアメリカの核の傘に日本は守られていたから外国から侵略されることがなかったのだと、おっしゃる方がたもおられるかも知れませんが。そうでしょうか。アメリカの言う事を聞いて日本がイラク戦争(侵略的な戦争)に参戦していていたとしたら、日本の犯した罪は問われ続け、テロの脅威にさらされることになったのではないでしょうか。日本がまがりなりにも直接的に軍事力でもって参戦できなかったのは、憲法9条の平和のしばりがあったおかげです。主イエスは「武力を取る者は武力によって滅びる」とおっしゃいました。武力によって平和が築けるなどあり得ません。今、シリアで内戦が起こっていますが。映像で見る限り壊滅寸前であります。この日本の平和も、今、国会議員たちが憲法改正を狙い、日本もほかの国々のように戦争ができるような国にしようともくろんでおります。それは攻撃的な社会を助長していくことであり、与えられた平和を自ら手放してゆくようなことです。愛国心教育、かつて戦争を正当化する歴史改ざん教育と、どんどん私たちの日本も、このイスラエルの民のように「ほかの国々のように、戦争ができる国づくり」に向かっているということに、主にあって関心をもち、国の首長たちが誤りないように祈っていく必要がほんとうにあります。

③「王を立てる」とは。
もう一つ、イスラエルの民たちには自分たちの現状に対する不満や不安が極度に募っていたのではないしょうか。そこに、神に対する不信があったことは確かです。
先行きの見えない時代にあって、早く先行きの見通しがつく即答が欲しい、そんな焦りのような思いの中で、彼らは白黒、敵味方をはっきりとさせ、歯に衣着せず公言し、自分たちの不安や不満を解消してくれるような王を求めたのであります。
私たちもよく、すばらしいリーダーを立て、組織立てることで、あらゆる自分たちの問題が解決されるように思いますが。実際のところ果たしてそうなのでしょうか。イエスさまが預言なさったように、終末的世相の中で政治の混乱がいたるところで見られる昨今であります。これは今日の時代に生きる私たちにも当てはまることです。不安定な先行きの見えない苛立ちの中で、人々(世)は力をもっているような人や指導者を求めます。その指導者が敵対勢力を明確に示し、それをぶち壊す、倒すことこそ社会が変わることだと主張して、それが人々の不安や憤りのはけ口となり、すっきりした気分になり、なんだかその指導者が何もかも解決してくれるような思いになってしまう、そんな幻想を抱くのです。いつの間にか人々はその権力に取り込まれてしまい、もう後で振り返っても手遅れ、元には戻れない状態になってしまう。かつての日本の犯した侵略的な戦争も、そういうかたちで人々が権力に取り込まれていくなかで起りました。

10節、サムエルは王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えました。それはイスラエルの民が王をもつことによってこの先起こる警告でありました。
それは、主の民として生かされ、与えられていたものが、王制国家になることでその支配下におかれ、取りあげられていくという内容でありました。
第一は、「王が戦争のためにあなたたちの息子を徴用する」という事です。
第二は「王のためにあなたたちの娘を徴用し、料理女、パン焼き女にする」という事です。
第三は、「王があなたたちの最上の畑(土地)を奪い、家臣に分け与える」という事です。
(今月の26日はバプテスト連盟女性連合で、沖縄を覚える「ぬちどう宝」の日ですが。古来より受け継いできた沖縄の人々の土地や畑が米軍基地のために徴用されている、これが沖縄の現実であります。)
第四は「王があなたたちの穀物とぶどうの十分の一を徴収し、家臣に分け与える」という事です。
第五は「王のために、あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうちのすぐれたた者や、ろばを徴用し、働かせる」という事です。
第六は「王は、あなたたちの羊の十分の一を徴収する」という事でありますが。まあこのように、イスラエルの民が自分たちのために、ほかの国々のように王を立てるということは、まさに民が王の統治と支配のもとにおかれ、自分たちが神から与えられてきた恵みの賜物を、王のために、又戦争のために否応なく徴用され、徴収されてしまうということを意味していたのです。それは又、王の私利私欲や野望による戦闘的な戦争に組する義務を負わされる、ということであります。
主はサムエルの口をとおしてイスラエルの民に次のように言われます。
17節「こうして、あなたたちは王の奴隷となる。その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ」。
当初イスラエルが王を立てた時は、王と祭司とが権利と権限を分担して国を統治していたのですが、その形態が次第に崩れ、絶対王権に変わっていき、サムエルが主の警告の言葉を語ったとおり、民は王の奴隷となる苦難の時代がやがて来るのです。イスラエルの民は主にある自由を選ぶことなく、強制され王の奴隷となることを自ら選んだのです。

④真理とは
最後に、私は今日のところを読む中で、この世の王と神の国の王について思わされました。祈祷会Ⅱの時にも出されたことですが。ヨハネ福音書18章の終りの箇所に、ローマ総督ピラトによってイエスさまが尋問を受ける、そのやり取りが記されております。ピラトはイエスに「それでは、やはり王なのか」と問うと、イエスはこうお答えになります。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声に聞く。」
その後、ピラトは「真理とは何か。」と言って、そのやり取りは終わっています。

神の国の到来を信じ待ち望む者は、このイエスさまが最後におっしゃった「真理に属する人は皆、わたしの声に聞く」という言葉の意味を知っています。ローマ総督という世の王のような立場のピラトは、その真理を知る事はなかったのです。私たちはこのイエス・キリストをして真理の御声に聞き従います。その真理であられる方こそ、私たちの真の王なのです。ほかには何をも真理とすることはできないのです。どんなに立派な王や権力者をも真理とはなりえないのです。イエス・キリストは地上の王や権力者たちのようにではなく、神と人に仕えるしもべとなってこの地上に来てくださいました。そこに世の王と神の国の王の相いれない決定的違いがあります。

先週ある出来事やある牧師のお話を伺う機会があり、つくずく考えさせたれたことがあります。それは、ここでいえばこの大阪教会、又この礼拝は、見えるかたちでは世にありますけれども、しかしこの世のものではない神の支配と統治のもとにあります。
それは、礼拝や祈りを捧げようとするすべての人を神の教会は受け入れるものであり、又、礼拝や祈りを捧げるため神に乞い願う人たちすべての信仰の自由が保障されているのであります。まさにここに神の支配、神の国が存続していると信じます。ここにはいかなる世の権力や官憲が信教の自由に介入し、奪い侵害しようとしても、それは許されておりません。この世にあって小さく、弱くされている人たちが魂と平安をおける最後の砦・防波堤であると信じます。
主にあって許され、魂の平安を戴いている私たちが、主の兄弟姉妹を受け入れ、許し合い、互いに支え合っていくとき、おのずとこの大阪教会の礼拝や諸集会、又交わりの場が、様々な人たちの魂と平安の居場所になっていくことになると、そのように確信いたします。

イエスさまは言われます。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ8章31-32節)主の霊のあるところに自由があります。今の時代に目を凝らし、人をほんとうに生かし、自由を与える神の国の王であられる主イエスと、その真理の言葉に聞き従ってまいりましょう。
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主の預言者サムエル

2012-06-10 20:08:47 | メッセージ
宣教 サムエル記上3章1~21節    

①祭司エリに託された幼子サムエル
先週は、1章よりサムエルの誕生に関するエピソードの記事から、その母「ハンナの祈り」に心を留めつつ、御言葉を聞きました。切なる祈りと神のご計画によって生まれた子は、サムエル「その名は神」と命名されます。
その後、ハンナは祈りのうちに主と約束した通り、主にサムエルをささげるべく祭司エリにサムエルを託すのであります。サムエルは祭司エリのもとで幼児期、そして少年期を送る中で、主なる神さまの存在について、又主を畏れる信仰や律法についての手ほどきを受けていったであろうと思われます。サムエルは主にささげられた者としてすくすくと育ち、成長していったことが2章の記述から伺え知る事ができます。彼はやがてその名のとおり、イスラエルの人々に神の名を指し示す者となっていくのであります。

②祭司エリの息子たち
さて、その2章には祭司エリの息子ホフニとピネハスのことが書かれています。
彼らは成人して父エリと同様祭司になったのでありますが。しかし、これが祭司とは名ばかりで2章12節には、「エリの息子はならず者で、主を知ろうとしなかった」と記されています。一体彼らがどのように振る舞っていたかというと、通常祭司は礼拝者が持って来たささげものを、主にささげるために煮たり焼いたりして、その後で礼拝者と共に食するのですが。この二人の祭司は、ささげ物としてまだ煮ている最中に肉刺しで突きあげてそれらを持ってこらせたというのですね。又、礼拝者が主にささげるためにもってきたささげ物の肉を、これまた下働きを使い、主にささげる前から集めさせました。ちゃんとささげさせてくださいと人々が言っても、「今すぐよこさねば、力ずくで取るぞ」と脅して、奪ったというのです。まったく彼らはならず者同様であり、主への供え者を軽んじ、主に対して甚だ大きな罪を犯していたのです。
そして父のエリに、二人の息子が神殿に仕えている女たちとたびたび床を共にしていること、さらに様々な悪行によって聖所を汚していることが耳に入ると、エリは二人の息子らを諭すのでありますが、彼らは父の声に耳を貸すことはなかったのであります。この事を通して祭司エリの家は絶たれてしまうことになるのですが。

③祭司エリの罪
3章13節を読みますと、「息子たちが神を汚す行為をしていると知っていながら、とがめなかった父エリの罪」が主に指摘されているのですね。主の前に、正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると、主を畏れ敬う厳格な思いをもって伝えることの重要さを教えられます。その指摘を甘んじてしまったばかりに、主の厳しい裁きが下されることになってしまったエリと息子たち。
使徒パウロはローマの信徒への手紙の中で次のように勧めています。12章2節「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」二人の息子たちばかりでなく、父エリもまた息子たちに対し、そういう点において不徹底であったといいますか、曖昧にしていたのです。

ところで、エリの二人の息子とサムエルとは好対照であったといえるでしょう。エリにとって息子二人は確かに血のつながる親子でありましたが、残念ながら神の家族としてつながっていたとはいえません。一方、サムエルはエリとは血縁関係もなく、下働きとしてエリに仕える立場でありましたが、主のもとで成長するサムエルをエリはわが子のように受け容れ、サムエルも又、エリから受ける神の教えや戒めに素直に聞き従う中で、深い信頼関係を築いていたのです。それは師弟関係を超えた神の家族としての姿でありました。

③預言者サムエルの召命
さて、本日は3章でありますが。ここではサムエルが主から呼ばれて預言者として立てられてゆくエピソードが、豊かな文学的表現をもって綴られております。
この頃のサムエルは少年とありますから、10歳前後でしょうか。イスラエルでは12歳で成人とみなされていったようでありますから、その少し前の年齢ということになります。

冒頭のところには「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」と、記されてあります。これはその当時、神が語りかけるにふさわしい預言者は実にまれであったという意味で、悲しむべき時代であったということです。そういう時に、主はサムエルに御言葉をお語りになり、サムエルは「主の預言者」として立てられていくのであります。
神の人の不在、それはその時代に生きる人にとって、いのちの言葉を耳にする機会を失うということであり、ビジョンを見出せない状況に陥るということであります。私たちは神の民として、希望を見出し難い時代の中で、「主の預言者」としていのちの言葉と主の幻(ビジョン)を語る人々が立てられていくよう切に祈り求めていかねばならないと、つくづく思いますが。

ところで、主は「サムエルよ」と、2度3度と呼びかけられますが。サムエルは、それが主の呼びかけだとは気づきません。いずれも祭司エリが呼びかけているものと思い、「お呼びになったので参りました」とエリのもとに行きます。
その点について7節に、「サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった」からと書かれています。サムエルはそれまで、祭司エリから主なる神についての話や教えを聞いていたのであります。しかし、彼は実際のところまだ主と出会うという経験がなかったのであります。彼が主の呼びかけだと理解し、主を知るに至るまでに、彼は3度エリのもとに行きました。ある意味それはサムエルが主と出会う備えの時となっていったのでありまあす。そして3度目に祭司エリはサムエルに、「また呼びかけられたら『主よ、お話しください。僕は聞きます』と言いなさい」とアドバイスします。そこでサムエルは再び主の呼びかけを耳にした時、「どうぞお話しください、僕は聞いております」と、まあ主に向き合ったと申しましょうか、御前に出るようにして主が何をおっしゃろうとされているのか、何をなさりたいのかを、心を澄ませて聞いた、尋ねたのであります。
すると、「主はサムエルのところに来てそこに立たれた」というのですね。それまで主はサムエルに対して、ただ呼びかけられるだけでしたが。サムエルが主の前に「どうぞお話しください。僕は聞いております」、とそのように御前に出たときに、主はサムエルに御言葉をお語りになられるのです。サムエルはまさにここで主と出会う経験をしたのです。
このところを読んで思いますのは、主の呼びかけを聞きとり、主の御言葉を戴くには秘訣があるということです。それは主と交わりの時をもつ祈りにも共通していることでもあります。
私どもは主の御前に出る礼拝において、又祈祷会において、主の家族の交わりの場において、個々人において、主に祈る時、自分の願いや思いというものを並べ立て、「私の願いを、どうか主よ、お聞きください」と、そういう祈りをすることが多々あります。確かにこれも祈りであります。しかし、主の愛をほんとうに知り、主によって生かされている者は、さらに主の深い、豊かなみ恵みに与っていくための祈りを知っています。それは「主よ、お話しください。僕は聞いております」との祈りであります。クリスチャンにとって何よりも大きな力、支えは、その呼びかけと祈りに答えてくださる主の御言葉にあります。その御声に聞き従い、主の御心が実現されていくことこそ、主につながって生きる人の喜びであり、希望なのです。

④主の言葉を曲げない
さて、そのように主の預言者とされたサムエルは主の御言葉を聞くのでありますが。
初めて耳にするその御言葉は何と、ずっとこれまで敬愛し、自分を育ててくれた恩師エリに対する主の裁きの宣告であったのです。彼にとって主の言葉はまことに辛く、厳しいものとなるのです。15節「サムエルはエリにこのお告げを伝えるのを恐れた」とありますから、サムエルはそのことをエリに言うべきかどうか、ほんとうに悩んだのでしょう。
すると、何とエリの方からサムエルを呼んでこう言います。17節「お前に何が語られたのか。私に隠してはいけない。お前に語られた言葉を一つでも隠すなら、神が幾重にもお前を罰してくださるように。」18節「サムエルは一部始終を話し、隠し立てをしなかった。」
エリは2章のところにおいて、二人の息子のなした主への罪と不義のゆえに自分の家が絶えてしまうという主からの裁きを、すでに神の人から聞いていました。彼は主が、その裁きの言葉を預言者として立てられたサムエルを通して語られることをある程度見越していたのではないでしょうか。そのうえでエリは、語る事を躊躇するサムエルに「隠してはいけない」と、諭すように促したのです。

エリのこの姿から、ほんとうに主にある者としての謙遜さを伺い知ることができます。
エリは、これまで自分の息子たちに悪い事は悪いと、間違いは間違いだと、曖昧にしか指摘してこなかったことに対して後悔の念があったのかも知れません。この過ちをサムエルには犯させてはいけないという思いを持っていたのではないでしょうか。そういう愛情の伴ったエリの言葉に呼応するように、サムエルはエリに隠し立てをせず、一部始終を話しました。主の前に間違っていることは間違っていると、厳格さをもって正せなかったエリ。言いにくかった。痛みが伴った。けれども神の御心を、敬愛の念を持ちつつ隠しだてせず、すべて伝えたサムエル。
 こうして主に立てられた預言者サムエルは、預言者として必要な「主の御言葉をまげず、まっすぐに語る」ということを、この主の預言者とされていく上で最も厳しく高いハードルを、彼は恩師エリの教訓を踏まえた諭しによって越えていくことができた、といっても過言でないでしょう。

サムエルはその後も「成長し、主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。イスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認めた」と記されています。
耳に心地よいことを伝えるのは簡単なことです。しかし、主の真実とその裁きを伝えること、語ることは、愛と勇気、そして何よりも主への信頼が不可欠です。私たちも又、小さくとも、主に従いゆく者として、その御声に聞き、主の言葉に立ち続けてまいりましょう。

最後に、このエリとサムエルのことを通して、私たちはやはり、何を大事にし、何を畏れて生きるかということに、心を留めていくことがほんとうに大切でることを思わされます。
今週の聖句にこうあります。「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ。
これこそ人間のすべて。」(コヘレトの言葉12章13節)
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ハンナの祈り

2012-06-03 20:20:24 | メッセージ
宣教 サムエル記上1章1~20節    

①士師記からサムエル記へ
本日から2カ月の予定で、サムエル記を礼拝で読んでいきます。
まずこのサムエル記についてでありますが、時は起源前1000年頃のお話です。先回まで礼拝で士師記を読んできましたが、その士師記の時代のイスラエルは一つの国家として成立しておらず、王もいませんでした。主である神さまこそイスラエルを治め、民を司るお方であったのです。当時12の部族による連合体としてイスラエルは構成されていましたが。この部族連合の政治、経済、宗教、軍事などをリードしていたのが、神が立てられた士師たちでありました。しかしサムエル記の時代になりますと、その12部族が一つのイスラエルの国として成立し、サウルやダビデといった王が立てられ、その王制もとでイスラエルは統治されていきます。イスラエルが一つの国家として成立し、王制を立てていくための橋渡しをなしたのが、最後の士師でもあったサムエルであったのです。

②サムエル誕生前
本日は、このサムエルの誕生についてのエピソードから御言葉を聴いていきますが、イスラエルの歴史に一人の女性の祈りと信仰が深く関わっていたということに驚きをもちながら、着目していきたいと思います。

さて、サムエルの父はエルカナといい、レビ族の家系であり、二人の妻がいました。
一人はハンナ、もう一人はペニナといいました。当時の時代一夫多妻というのはよくあることだったようです。エルカナは最初の妻ハンナに子どもができなかったという理由で、二人目の妻としてペニナを迎えたのでしょう。ペニナは息子と娘に恵まれました。
一方、子どもがなかった、ということにハンナの嘆きと苦しみは如何ばかりであったことでしょう。「私はもはや神さまから祝福されていないのか」「主は私をお忘れなのか」と、彼女の信仰も又、大きく揺さぶられます。
さらに追い打ちをかけたのは、もう一人の妻ペニナのハンナへの敵対心でした。ペニナはすでに息子、娘に恵まれていたのですから、ハンナに辛く当ることもなかったように思えますが、ペニナはハンナのことが恨めしく憎しみをもっていたのです。何がそれほどまでに恨めしかったかというと、それは5節に「彼(夫エルカナ)はハンナを愛していた」と記されているように、子宝に恵まれても夫エルカナの愛を自分が得ることができないという、その不満でした。そんな激しい嫉妬の念が、ハンナに対する敵対心となったのです。一夫多妻制という制度にも問題はありますが、何よりも家庭の一対一という夫婦の関係性が損なわれるところに様々な悲劇や不和が起こって来る、と言う見本のような本日のエピソードでありますが。

さて、ハンナは毎年、シロにある主の家で礼拝を捧げる度に、ペニナことで苦しんだ、とあります。まあ日常生活の中でも、ペニナのいけずはあったんでしょうが。年に一度の特別な主の家の礼拝でまざまざと見せつけられるその現実は、ハンナに神の祝福から隔てられているような惨めな感情を起こさせたでありましょう。
そのため、ハンナは食事の席で「今度も、泣いて、何も食べようとしなかった」というのですね。夫エルカナは「ハンナよ、なぜ泣くのか。なぜ食べないのか。なぜふさぎ込んでいるのか。このわたしは、あなたにとって十人の息子にもまさるではないか」と言葉をかけますが、ハンナは何も答えません。彼はハンナを慰めたつもりかも知れませんが、その言葉が彼女の心を軽くするどころか、かえって重荷ともなっていったようです。夫エルカナも本当の意味でハンナの苦しみの深さを計り知ることはできなかったのです。

③ハンナの祈り
ハンナは食事の席を離れ神殿で悩み嘆き、激しく泣きながら祈り、主に誓願を立てます。
「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげします」。

人はたとえ信仰をもっていなくとも願い、求める存在です。又、私どもの祈りも又、神さまに対して「~こうなりますように」「~が与えられますように」と、祈る場合が多いですね。確かにそれも祈りでありますが。
けれどもこのハンナの祈りの中で心に留まりますのは、「私の苦しみをご覧ください」「はしために御心を留め、お忘れにならないでください」というふうに、彼女が主に相対して強く訴えているということであります。ハンナの祈りは、何よりも主との閉ざされたかに思える関係を得ることにあったのです。彼女にとって何よりも辛かったのは、自分の苦しみを知り、理解してくれる者がいないという、その孤独から来ていました。
けれども、ハンナはそこであきらめずにといいますか、決して引き下がらずに「このはしための苦しみを御覧ください」「御心を留め、お忘れにならないでください」と、主なる神に訴え続けた。まさにそこにハンナの祈りの芯があったのです。

さて、そのようなハンナの祈りは、祭司のエリに酒によっていると誤解されるほどに必死な祈りでした。そうして彼女は話しかけてきた祭司エリに自分の心の奥底に「深い悩みがある」ことを祭司エリに話します。しかし具体的なことは何も話さず、ただ「主に訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです」とだけ話しています。それは訴えるべきは主、という彼女の信仰の表れと解することもできるでしょう。
そこで、祭司エリはハンナに「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」と、祝福の言葉をかけるのですが、それを聞くとハンナは「はしためが主の御厚意を得ますように」と言ってそこを離れ、食事をした、とあります。
祈る前は食事の席で、泣いて食べようとしなかったハンナでしたが、祈り終えると自ら食事をとり、しかも「彼女の表情はもはや前のようではなかった」というのです。何が起こったのでしょうか? 何が変わったのでしょうか?

ハンナはこの段階で子どもを授かったわけではありませんでした。つまり現状は何も変わっていないのです。では、何が彼女に変化をもたらしたのでしょうか。
それは「祈り」であります。主に祈る中でハンナは変えられていったのです。彼女は祈って、祈って、その思いの丈をぶつけるように主に相対して祈る中で、主が彼女に心を留めておられることを確信したのではないでしょうか。「私は忘れられてはいない」「主は私を覚えていてくださる」。その信仰の確信は子どもを授かることにも勝る彼女の平安となったのではないでしょうか。さらに、祭司エリの祝福の言葉にも後押しされ、彼女は生きる力を取り戻して食事をします。彼女にとって主との交わりを確信していく祈りがあること、そこに何よりも大きな恵みがあり、平安があったのですね。それがもう一人の妻ペニナとの大きな違いであったのです。

④「サムエル」の誕生
心に平安を得たハンナは翌朝早く起きて一家で主の御前で礼拝し、ラマにある自分たちの家、生活の場へと帰って行きます。そういう主にある平安の中で、夫エルカナとの間にも心の一致が与えられ、夫婦の心が結びつきます。「主は彼女を御心に留められ、ハンナは身ごもり、男の子を産んだ」のです。主はハンナの祈りを「忘れることがなかった」のです。

ハンナの産んだ男の子は「サムエル」と名付けられました。「その名は神」という意味があるそうですが。それはきっと、「ハンナを忘れることなく、御心に留められた神さまの御名を讃えます」、との意味を込めて「サムエル」と名付けたのではないでしょうか。彼ら夫婦は、このサムエルをして「神さまは生きておられる」、とのあかしを日々立てていったことでありましょう。

最後に、このハンナからサムエルが生まれる本日の物語から思い浮かびますのは、アブラハムと妻のサラ、又ヤコブと妻ラケルの夫婦であります。それぞれサラからイサクが生まれ、ラケルからはヨセフが生まれ、イスラエルを導く偉大な働きをしましたが。イサクが生まれる時も、ヨセフが生まれる時も、サムエルと共通したものを含んでいました。長いこと子どもが生まれなかったこと、そのために夫婦や妻同士の間にハンナと同じような不和不幸が生じ、特に女性として大変苦悩を強いられていくのです。
しかし、その小さく弱くされた女性たちが、その信仰の祈りを通して神の造りたもうその歴史に深く関与し、用いられてゆくのです。

今日私たちはハンナの祈りを通して、もう一度、祈るとはどういう意味を持っているのか、を教えられました。望み願ったまま叶えられることもあれば、思い描いた形とは異なることもあるでしょう。しかし、いずれにしても祈ることは、神に覚えられることであり、神のご計画に参与し、用いられていくことなのです。
私たちには「祈り」によって、神さまの力を戴き、神さまのみ業を行う働き人として用いられている、ということを心に留めていきたいと思います。何よりも、私たちは祈りの中で、主は私を決して「忘れず、覚えていてくださる」その体験をさせて戴き、恵みと平安を得ることができます。
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第一主日夕礼拝開始

2012-06-03 18:25:04 | 教会案内
みなさまへお知らせ

先月から、
月に一度ですが、夕礼拝が第一主日(日曜)午後7時より行われることとなりました。
よって、宣教の掲載が第一主日のみ、午後8時以降になります。
ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

日本バプテスト大阪教会
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