日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

神さまからのプレゼント

2017-03-26 16:44:12 | メッセージ
あかしのメッセージ ヨハネ15:16 Ⅰヨハネ4:9~10 

今日はいつもの聖書教育の箇所からではなく、私のあかしを礼拝のメッセージとさせて頂きます。

◆教会に行くはめになったことからの始まり。
私が初めて教会に行くことになったのは小学校4年生の時でした。
その頃近所の同年代の仲間たちとよく家の近くにあった西南女学院中学の空き地で草野球をしていました。
その仲間の一人に学校では秀才と言われていた男がいまして、彼と草野球の対戦をしたとき、ひょんなことからあるかけをしたのです。
彼は、「俺のチームが勝てば俺のいうことを聞いてほしい。ただしお前のチームが勝てば、何でもいうことを聞く」と言ってきたのです。
どういう意味かは深く考えず、よしゃ受けてやろうということになりましたが、試合の結果は私のチームが負けてしまい、結局彼のいうことを飲むはめになったのです。
その言う事というのが、「次の日曜日に教会に来いよ」というものだったので、ちょっと面くらったのですが。ともかくその日曜日から、朝9時から始まるシオン山教会の教会学校に行くようになった、というのがそもそもの始まりだったのです。
まあ、教会学校での礼拝や分級は正直よく分からなかったのですが、何がよかったのか不思議と通い続けました。何が楽しかったんだろうか。教会学校の行事で遠足に行って遊んだり、花の日に消防署を訪問して消防自動車が間近に見れたことが嬉しかったのか、教会学校の分級後にクラスの仲間たちと騒ぎまくれたのがよかったのか、ともかくそんなことが小学4、5、6年生と続きました。

◇少年会の恩師との出会い。
教会とのつながりがさらに密になったのは、中学生になってからのことでした。
中学になるや、「毎週土曜日の夕方から少年会という集まりがあるから、おいでよ」と、教会の中学、高校、さらに大学生のお兄さんたちが誘ってくれて、例の友人と参加するようになったのです。この当時は少年会と少女会が別個にあって、それぞれ活動をしていたのです。   
少年会のメンバーはだいたいコンスタントに5、6人くらいが集まりました。
夕方になってから教会に行くと、玄関の内側から、中学や高校のお兄さんたちのワイワイガヤガヤと時に奇声も聞こえてきます。何事かと入ってみるとピンポンがエキサイティグに繰り広げられていました。当時は巷でもピンポンがはやっていてピンポン台がある教会も多かったようです。
白熱した時間を過ごした後、少年会の部屋に案内されて、今度は何が始まるんだろうと緊張していると、何やら30歳くらいの青年のような少年会の顧問の方が、「讃美歌453番を歌いましょう」と言い出して、皆が一斉に「聞けや愛の言葉を・・・」と歌い出すのです。
祈りに続いて、聖書の輪読が行われた後、そこからのお話がその顧問よりなされます。
そのやや緊張した約40分間が終わると、またフリータイムの始まり。トランプ、人生ゲームやモノポリーというゲーム、再び卓球をする者など様々でした。
だいたい午後9時頃に終わり、家に帰り、また翌日日曜日の礼拝に行くと言うのが以来私の土、日の生活パターンになっていったのです。
 少年会では今思えばゾッとするような事もしでかしたものです。教会の横に学生寮が建っていたのですが、そこへ向けてロケット花火を飛ばして遊んだのもその一つでした。
土曜の少年会の翌日はよく婦人会の方から、少年会の部屋がいつもきたない、と怒られたものでしたが。そこで決まってしりぬぐい役となったのは少年会の例の顧問でした。日曜日教会で、妙に落ち込んでいる顧問の様子を見ても、何ら意に解せず騒ぎまくっていた私たち少年会でしたが。しかし、ある時すごい剣幕でこの顧問の方が、「ボクはこの少年会のある土曜日の時間を何とか確保し、ここに自分をかけて来ているんぞ」と、本気で自分たちを叱りつけたことがありました。
当時この方は中高の教員であり、教師としてとても忙しい日々の中で何とか自分とご家族の貴重な時間を少年会のために割いて来てくださっていたのです。今思えば、単に楽しいだけでなく、少年会のみんなで讃美し、祈り、聖書を開いて読み、お話を聞く機会を作って頂いたこのような顧問の方との出会いがあったから、自分は教会につながることができたんだと、そう思うのですね。

◆さて、その少年少女時代私は神さまからすばらしいプレゼントを頂きました。
その一つはバプテスマです。
中学生になってからの教会の活動でもう一つ大きなものをあげるとしたら、北九州地方連合、略して北九連の少年少女会でした。当時北九連の少年少女会では1年に春修、夏のワークキャンプ、クリスマス会並びに刑務所慰問という3つのイベントがあり、他に例会が数回持たれていました。春修はその中でも一大イベントでした。特に印象的だったのは、夜のゴールデンタイムに、りらっかし会なるプログラムがあり、文字通りリラックスして互いのあかしを聞き合うというものでした。それはよく少年少女が抱えている学校、恋愛、身近な問題や社会の問題についてであったり、又障害者の抱えている問題、自殺の問題、戦争や飢餓の問題を取り上げ、真剣に考え、意見を出し合う時そのような場でした。みな若いですから、時にはあまりに議論が白熱し、涙を浮かべながら意見を戦わせるような場面、緊張した空気が張り詰めてシーンと静まりかえるような場面などもありましたが、いい思い出です。
こういった北九連の少年少女会の活動を通して、私は神さまと出会いクリスチャンとなるきっかけをもらいました。そして中3の時に参加した伊豆の天城山荘で開かれた全国少年少女大会で、イエスさまを救い主として信じる決心を表し、高1のイースターに信仰告白して、バプテスマを受けたのです。
そこまでに至る道のりは、教会とその暖かく寛容な交わりに支えられ、背後で私はずっと祈りに覚えられていたということをその時初めて知りました。そしてやはり連合の少年少女会での出会いや交流によって支えられ、励まされてきたのも大きかったですね。このようにして主イエスはいつも私を招き育み導いてくださったのですね。今こうして高校1年の春のイースターから今年のイースターでもう38年という随分な年月を迎えようとしていますが、このバプテスマは少年少女時代に与えられた私の人生において最も大きな神さまからのプレゼントです。
神さまの前で不完全で決して純粋とはいえない者であったにも拘わらず、それを神さまはダメだと否定なさることはありませんでした。その時のあるがままの私をまるごと受けとってバプテスマへと導いて、新しくされた者として生きる祝福を与えて下さったのです。多分この高校1年のイースターの時を逃していたら、バプテスマを受けていたかどうか?その後、教会につながっていたかどうか分かりません。
 ここには既にバプテスマを受けた方も多くおられるでしょう。その方にお尋ねしますが。あなたはどのような信仰告白をされましたか?思い出せる方もおられるかも知れませんが、「ずっと前だから思い出せん」「もう忘れた」という方。又「親や牧師に勧められて受けた」という方もおられるかも知れませんね。中にはあの時の信仰はあいまいで動機も不純だったので、もう一度バプテスマを受け直したいと思っている方もおられるかも知れませんが。そうではないんです。どんあ形で始まったにせよ、イエスさまとつながっている今がある。そのイエスさまが今も共におられる。又それは、どんなに大変な出来事や辛く悲しい出来事があろうとも、そのイエスさまのもとにいつでも帰るところがあるということですね。それが大切なんですね。
実は私はバプテスマを受けた後、高校生時代にいじめに遭いめちゃ悩み苦しみました。
社会人になってからも、上司とうまが合わず日々顔を合わすのがしんどかったり、企業のやり方にもやるせなさを感じたり、挫折も経験しました。
けれども、そんな時にも、イエスさまの十字架と復活の救いを信じて、知識においては足りない者でありましたが、そのあるがままの信仰でバプテスマを受けたことが、前に進んでいく原動力になっていったんですね。苦しく辛い時にも、イエスさまとつながっているということが私を支え力づけてくれました。そのように、自分のあゆみの原点、出発点がこのバプテスマにあるという経験を何度もいたしました。バプテスマを受けるということは、そういう祝福であると思います。

2つ目のプレゼントは3人の友です。
少年少女時代に与えられたもう一つの大きな神さまからの贈物といえば、やはり教会を通して与えられた友です。小学生から中学生、青年になり就職し、さらに神学校に行き、それから牧師になってから今に至っても、教会、そして連合の少年少女時代に出会った私の場合3人の友との永い付き合いがずっと続いています。

1人目の友は、最初にお話しました、私が教会に行く羽目になった原因の奴です。彼は小学生の時から伝道熱心でした。教会の牧師先生に伝道新聞を作りたいから教会案内を書いてくださいと直談判し、自作のマンガを入れてガリ版に刷り込んだ100枚の教会新聞を教会の周辺に配りたいから、一緒にやろうと強引に誘われ道連れにされたことがありました。彼は普通の住宅以外に神社やお寺にも押しかけては、「教会に来て下さい」と教会新聞を宮司さんや住職さんにひたすら手渡していくのです、そして何と大きな創価学会の会館にまで押しかけていったのですが、さすがにここは取り合ってくれませんでしたが。
まあ教会では、彼こそ将来牧師になるに違いない、と言われていたものです。その彼は、日本で一番の難関を突破し、その大学を出たのですが。何と国際飢餓対策機構の仕事がしたいということでエチオピアでの飢餓対策の働きを数年しました。その後、外務省の関係の仕事をイギリスでし、今は東京で大学の教員をしています。

2人目の友は、同じ日にバプテスマを受けたやつです。教会は互いに違っていたのですが。臆病だった私は彼に同じ日にバプテスマを受けようと約束を取り付けたんですね。
彼は1つ年上なのですが、私が小5で彼が小6の時に山口県の秋吉台の国民宿舎で行われた北九州連合の夏期学校で初めて出会ったのです。
その時からホンマに仲良くなり、いろんな話ができる友だちになれました。後で分かったのですが、私の家と彼の家とはほんの車で5分弱で行ける距離だったのです。
彼と中高時代意気投合したのは、やはり信仰問答でした。彼も結構熱かったのですが、それ以上に彼の人柄というか、それは優しく暖かい男であったのです。そんな彼とは北九連の役員やリ―ダーを一緒にさせてもらったり、青年になってからも青年会でクリスマスコンサートなどを喫茶店で打ち上げたりしていましたが。その大学当時、彼が自分で訳して作った「あしあと」という歌はよく唄われていますよね。ほんとうに一緒にいろんなことをしました。そんな彼もやはり神さまが離さなかったのか、今は牧師になって大活躍されています。皆さんもよくご存じの牧師さんです。
お互いに牧師になってよかったことが一つあるんですが。それは、もし何かあって天に召された場合、「葬儀の司式はよろしく」と互いに約束ができた事です。これは一つ安心ですね。

3人目の友は、北九連の春修で初めて出会った男です。当時少年少女会の修養会でもピンポンがはやっていまして、熱中していた白熱していた時に、「一緒にやらせろ」と声をかけてきたのが始まりです。彼は牧師の家庭に育つ3男坊でしたが。作詩作曲をしてはギターを自由に操る賜物がありました。春修では私も好きなフォーク系のシンガーソングライターの曲をコピーして弾き語りをするものですから、話が盛り上がり遂に2人で当時は好きだった曲目の「案山子」という名をかりて素人バンドを結成してしまいました。下手なりにもいろんなコンテストやフェスティバルに応募してチャレンジしては予選敗退ばかりでした。どうも私が彼の足を引っ張っていたようですが。
彼のオリジナルのゴスペルソングも春修でよく歌ったものです。恋愛曲とゴスペル曲のオリジナルを合わせると100曲以上あったようです。今でも讃美歌を作っていると思います。連盟の新生讃美歌の中にも彼のオリジナルが何曲か載っています。彼は牧師になるつもりはないと断言していましたたが、「愛のポストマン」という歌を作ったこともあってか、今も福岡で郵便局長さんをしています。
この3人の友を少年少女時代に与えられた事は、私にとってほんとうに大きな財産になっております。今でも、どこにいようが、何をしてようが、変わることのない友、神さまからの贈物なのです。

◇次にお話しますことは「神と私との関係」についてです。
先にも少しお話ししましたが、私は高校を卒業して、家庭が経済的にも厳しかったもんで紙業会社に就職して現場で働きました。主な仕事内容は種々の産業用パッケージ袋を、ドイツ製ボトマーという機械を通して、一日に数万枚も出荷していました。連日機械と向き合い格闘しながら1日が終わるのです。オーダーの出荷が機械のトラブルで遅れて間に合わない時は残業が続き、午前さんになる日もありました。
それくらいはよかったのですが、日曜出勤も時にはあり、それがほんとうに辛かったで
す。というのは、学生時代は日曜日はまったく考えなくとも、この日は教会に行く日、
礼拝の日というのが当然のようになっていたわけですので。社会人になるとそれが当た
り前にはできなくなったというのが苦しかったですね。しかし、そういう信仰の闘いが
起こることになってから、神さまと自分との関係、信仰を見つめ直すようになっていっ
たのですね。それで教会の日曜礼拝の他にも水曜祈祷会に極力出るようにしました。
仕事帰りの肉体的には疲労していても、この水曜祈祷会に出て、共に御言葉を聞き、讃美し祈り合うことで、ほんとうに心が元気にされましたね。次の日曜日が出勤で礼拝に出れなくなったとしても、水曜祈祷会で信仰の給油をしていたら、また次の水曜日までの1週間あゆんでいく力を蓄えることができたんです。
信仰の油を切らさないようにする。神と私との関係をしっかり築いていくことの大切さを、社会人になってからほんと知らされましたね。
少年少女の学生時代は教会の友や仲間がいたこともあって楽しく、又、自然に教会や礼拝にゆくことができていた。まあそれを妨げるような信仰の戦いや葛藤がなかった。それは確かに良かったともいえます。しかし、どうなんだろう、その後順調にいって、信仰の戦いや葛藤もないまま、ただみんなが教会に行っているから自分も行っている、というような薄っぺらな気持だけでいたなら、多分自分は青年時代になれば教会を離れていたのかも知れないと思うのです。ある意味、日曜出勤で礼拝が守れない、残業で祈祷会に出れない、そういう妨げや障害が生じることで、神と自分との関係を再び見つめてみる機会ができたといえると思います。

◆「母の存在」の再発見についてもお話しますが。
話は随分さかのぼりますが。私が小2の時に父の大病と入院が度重なり、経済的なこと様々
な事情で両親は止む無く離婚の道を選びました。母はそれから働きに出るようになり、妹
と二人で日中は過ごすようになりました。幼いながらも動揺があった私は、近所の悪そグル
ープに誘われ、彼らのいうままにお菓子やガムを集団で盗む犯行に加わったりしました。し
まいは店のおじさんに見つかり、こっぴどく叱られましたけども。この頃の自分の心は幼い
ながらにすさんでいました。これも不思議ですが、最初にお話したようにそんな時、友人と
草野球でかけをして、負けてしまい教会に行くはめになった。神さまに拾われたんです。そ
うなんです、この思ってもみないようなタイミングというか出会いがなかったら、どうなっ
ていたんやろうか、とホンマに思うのです。
その頃母に「ボク教会に行くからね」と言うと、母は「反対はしないが、信者にはなりなさんなよ。あれは自分を犠牲にしなければならないからね。そこまでなることはないよ」と、そう答えが返ってきました。今から思えば、一理あるなと思いますが。まあその頃自分も信者になるつもりなどなかったのです。けれども、中学になってからの少年会の恩師との出会い、連合の少年少女会や3人の友との出会い、さらにいつも暖かく受けとめ、祈り支えてくださっていた教会のいろんな人たちを通して、「神さまが生きておられる」ってことを私に気づかせてくださったのですね。
中3の時に母にバプテスマを受けたいと、ストレートに伝えると、初めは反対されまし
たが。あきらめず粘り強く、少し恥ずかしくて勇気がいったんですが、手紙を書いて手渡
すと、母が「としやが選んだ道なんだから、そうしなさい」といってバプテスマを受ける
ことを許してくれたのです。思いをきちんと伝えられ、それが伝わったこと、ほんとうにう
れしかったですね。

そうしてクリスチャンになり先ほどお話ししたように、自分と神との関係について見つめ
直す時期があり、20歳過ぎた頃でしたが。私はもっと聖書を学びたいという思いに導かれ
ました。
それで、大学でも短大でもいいからとにかく神学が学べるところはないものかと。とはいっ
ても自分は高校卒業以来勉強といえる勉強もせず学力もない、どうしたらよいものか相当
悩みました。それで、あらゆる大学の入試情報が載ったリクルート誌をしらみつぶしに探し
ていくと、大阪にキリスト教の短期があり、そこに神学科もあるというのを見つけたのです
試験科目は、聖書、英語、小論文、面接の他に、もう1つ「讃美歌」というものに目にとま
ったんです。年齢は神学科の場合問わないということでした。「これや」という思いが起こ
り、そこを受験することに決め、勤めていた会社に退職届を提出し受理されました。が、
入学するためには2つの関所を越えないといけません。1つはむろん入試ですが。1番の難
関は母です。どう自分の思いを伝えるか。バプテスマを受ける時もそうでしたが。その時な
何とか理解してくれましたが。今度は、仕事を辞め家を離れて出て行くことになりますから
相当悩みました。でも自分の思いはきちんと伝えようという決意をもって母にそのことを
打ち明けました。最初の反応は、当然ですが母に泣かれ、叱りとばされました。しかし、そ
れでも最後は、「俊也、お前の道だから」と、いってくれました。確かに、こんな親不幸者
がいるかと思います。母親の腕一本で育て、高校まで出してもらったの
に、家を出て行くというわが子の親不幸。
 そして21歳の春、大阪にあるキリスト教短大神学科に晴れて入学しました。ちなみに
その入試のできは、学びたい思いを率直に伝えたことと、讃美歌テストで、その時歌った「主
よみ手もて」という讃美歌がおもいきり讃美できたので、どうも拾ってもらえたようです。神学科には2年在籍しましたが、このキリ短の神学科のすごいところは、あくまでも当時
ですが神学科生の授業料はすべてキリスト教短大の母体でありますフリーメソジスト教団
の奨学金によって私の授業料は全額免除されたのです。あとは生活費を育英会の奨学金や
アルバイトで何とか補うことができました。

大阪での2年間は天王寺にあるこの大阪教会に在籍し、お世話になりました。
親から離れ1人でバイトし、生計を立てていく苦労を痛感しながら、母のこれまでの愛と支えの尊さを実感しました。
旧約聖書で「母」という言葉は元来「土地」のことを指していました。「母なる大地」という言葉を聞いたりもしますが、そこから来ています。出エジプトをしたイスラエルの民の目的地として「カナンの地」が与えられていくのですが、エイリッヒ・フロムという社会心理学者は、この土地は「乳と蜜の流れる母なる大地」とあることから、そこには母親の2つの愛が象徴的に示されているというのですね。1つは、母親が乳飲み子にお乳を与えるという面です。1人の命が世に誕生した時に、赤ん坊が1番最初にオギャーオギャーと泣き叫びます。それは母親に愛情とお乳を一心に求める声です。その切なる求めに応えることができるのが母親であります。自らのお腹を痛め、身体の一部から産まれ出たという本能から愛情を注ぎ、お乳を与えることができるのです。けれどもこのフロムという人は、母にはお乳を与えるだけでなく、さらに蜜を与える面があるというのですね。そこにいわば本来の母の証があるというのです。どういうことでしょう?
私のことでいうなら、自分の腹を痛め、乳を与え、誠心誠意尽くし愛情込めて育ててきたわが子を手元から手放していくその決断は、本能的な母性からくる辛さや寂しさを越えて、ひとり立ちしていこうとする私に与えてくれた愛情と信頼こそが、蜜を与えるという豊かな言葉で言い表されている、と思うのです。

Ⅰヨハネの手紙4章10節で、ヨハネは「神の愛」についてこう語ります。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛した」。ここに神の愛があると。ヨハネ福音書15章16節にも「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と神さまの先立つ選びについて記されています。

私の思いすべてに先立つ神さまの愛。それは私にとっての母の存在と教会や連合の主にある方々、兄弟姉妹とのつながりの中で知らされ、拡がり、深められていきました。
「わたしが神を愛したのではなく、様々な主にある出会いを通して、神さまがわたしを愛してくださっている」ということを、それらの体験を通して本当に知る事ができたのです。
みなさんお一人おひとり神さまとの出会いの時、救いの日、信仰のあゆみがおありでしょう。その中で教会の主にある交わりは、つながっていくほどに、主は神の愛の広さ、深さを豊かに与らせて下さいます。どんな時も主と主の教会につながっていく祝福。今日の私のあかしはこのことをまずお伝えたかったのです。
その主、神さまは今も生きて、信じる者と共におられます。祈ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

用意していますか?

2017-03-19 14:51:35 | メッセージ
宣教  マタイ25章1-13節 

この「十人のおとめ」のたとえ話は、通常、主イエスの来臨、又終末に如何に備えるかという事を示していると言われています。そしてそれは、花婿である主イエスが再びこの地上にお出でになるその時に、花嫁なる教会に呼び集められた私たちひとり一人が主イエスを如何にして迎えるか、という問いかけでもございます。
今日は「用意していますか?」という題で、この主イエスのたとえ話からメッセージを受け取っていきたいと思います。

さて、ここに「花婿が来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった」とあります。この「花婿の来るのが遅れた」というのは、主イエスの到来、終末がいつ来るのか。私たちにはそれがいったいいつになるのか分からない、ということを示しています。カルト教団の中には「何年何月何日に主の再臨がある」とお告げがあったから、すべてを教団にささげなさいとか、教祖という指導者の言うとおりにしないと滅びるとか脅して、信じ込んでしまった当人や家族に悲劇をもたらした、というようなことが実際世界各地に起っております。けれど主イエスさえ「その日その時がいつくるかわからない。唯父なる神だけがそれをご存じなのだ」とおっしゃっていますね。ましてや私たちにその日その時が分かるはずありません。唯はっきりしているのは「必ずその時は来る」という御言葉の宣言と約束であります。

花嫁なる教会は、その御声に聞き呼び集められたキリスト者の群れであり、やがて来られる主の日に備えて、ともし火をかかげ続ける一人ひとりによって聖霊のお働きのもと形づくられているのです。

そうした上で、今日のところは花嫁なる教会にあって主を迎えるものみなが、眠気がさして眠り込んでしまったというんですね。私たち人間はいつも緊張感をもって過ごすというのは大変難しく、困難なことでしょう。

主イエスが受難の十字架を前にして最後の祈りを捧げるべく、ゲッセマネの園に弟子のペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われて行かれたとき、イエスさまはその弟子たちに「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」と言われて、少し離れたところにおられたのですが。彼らのところに戻って来ると、彼らは眠っていたのです。そこでイエスさまはペトロに「わずか一時でもわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い(マタイ26:35以降)」と、おっしゃいました。
「心は燃えても、肉体は弱い」。弟子たちはイエスさまのただならぬご様相やこれから何が起ろうとしているのかという不安もあったのかも知れません。ルカ福音書には「彼らは悲しみのあまり寝てしまった」と書かれています。人間、体が疲れると眠くなるものですが、気疲れや悩み悲しみがつのる時も眠くなるんですね。「目を覚ましていなさい」。そう聖書を通して再三語られ頭では分かっていても体は正直です。そういう限界をもっている、それが私たち人間であります。

今日のたとえには、花婿をちゃんとお迎えすることができた賢いおとめたちと、お迎えすることができなかったおとめたちが出てまいりますが。興味深いのは、そのどちら側のおとめたちも、思ったより花婿の到着が遅いので、「みな居眠りをしてしまった」ということです。賢いと言われたおとめたちも緊張感や頑張りだけでは身がもたなくなって遂には眠り込んでしまったというのは、どこかほっといたしますけれども。
まあそうしてみな寝入ってしまったわけです。
ところが、花婿が突然真夜中、遂にやって来た。とうとうその日その時が現実のものとなった。その時に、「賢いおとめは皆起きて、それぞれのともし火を整え」、花婿を出迎えて一緒に婚宴の席に入り、祝宴にあずかります。
しかし、一方、慌てふためき右往左往してしまった愚かなおとめたちは、なんとも残念なことに、その喜びの祝宴にあずかることができないのです。

この違いは何でしょうか? 
その違いは唯一つ、ともし火を灯し続けるための「油」を十分に壺に入れて持っていたおとめたちは賢かった。遅れて花婿が来ても対応できるようにと備えを怠らなかった。一方のおとめたちは、十分に油を常備してなかった。すべての条件は同じで用意しようとすればできたのに、それをしなかったことにおいて、彼女らは愚かでであった、とイエスさまはおっしゃるのです。そこに両者のおとめたちの決定的な違いがあったのです。
絶やさずにともし火を灯し続け、いざという時にそれをかかげ周りを照らしたり、ほんとうの花婿の主イエスであるかを確認するためには、欠かすことのできない油を常に切らすことがないようにすることが必要なのですね。

では、この油とは何でしょうか? いろんなことが言われていますけれども。
それは聖霊の油とか、あるいは信仰の油だとか。いろんな解釈があるでしょう。
みなさんは何だと思われますか?イエスさまはその答えとなることは何もおっしゃっていません。しかし、ここに一つだけそのヒントとなることが語られています。
それは、この油がその人それぞれのものであり、それは人に分けてあげたりすることはできないものだということです。
8節のところで「愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです』と言うと、賢いおとめたちは『分けてあげるほどありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい』と答えた」とあります。ここを読みますと、賢い5人のおとめたちの答えは一見冷淡にさえ思えます。「クリスチャンであるならちょっと分けてあげたらいいのに、それが隣人愛じゃないか」という考え方もあるでしょう。
しかしここで語られていることは人の情や親切といった道徳ではなく、神との一対一の確かな関係性なのです。この油は、他の人には代用できない神との関係性のなかで保たれる油です。神と私という一対一の関係によって与えられる油ですから、ほかの人に分けてあげることはできません。分けようがないんです。
10人のおとめはみな同じように灯をもっていました。しかも同じ場所で、同じ時間にそこにいたのです。ただ、ともし火をともす油を絶やさなかったか、気づいた時には手遅れとなるほど油が欠乏していたか、この違いが決定的なものとなったのです。それは外から見ただけは分かりません。本人さえ分からないのかも知れません。遂に花婿が来たという声を聞き、「あっ、これでは油が足りない」と気づくまで。

さて、このたとえ話の中で、花婿が遅れて到着した。しかしそれは真夜中であったというのは考えさせられます。10人のおとめたちにとっては、今か今かという期待がやがて、もうおいで下さってもいいのではという焦りに変わり、夜の冷え込みとともに闇が深まっていく中で不安や疲れ増して、ついには寝入ってしまうのです。

ここで覚えたいのは、主を待ち望む教会も私たち信徒ひとり一人も、その時代その「時代に起って来るさまざまな苦難や闇とも思える状況、又困難な問題に直面し、揺さぶられ、試みられるということです。しかし、そういうような状況の中にあっても、なお賢いおとめたちは活きた信仰という壺に油を絶やさなかった。一方、ともし火は持っていたものの、壺に油を常備していなかったおとめたちは愚かな結末となってしまったということであります。

それにしても、油が足りないことに気づいたおとめたちは、分けてもらうわけにもいかず随分焦りながら、一応油を買いに行くのですが。戻ったときにはもう花婿が到着していて戸が閉められており、「ご主人様開けて下さい」と言ったけども、「わたしはおまえたちのことを知らない」と言われた。これはあまりに衝撃的で悲しい結末のようにも思えます。でも、これはあくまでも、主の日の約束に備えてのたとえ話であるということですから。そこで私たちはこのたとえから今を如何に生きるかということを具体的に読み取って活かしていきたいものです。

私は今回、この10人のおとめのたとえ話から、ともし火をともす「油」の備えというのは、今年度の大阪教会にとっては「祈り」であると思いました。年間標語に掲げています「祈りの教会」の私たちひとり一人の祈りだと、そう思ったのです。

私たちもまたしんどい時には眠気をおぼえるような弱い時もあるかも知れませんけれども。日々祈り続けることは出来るのではないでしょうか。主イエスの御もとに座してその救いと神への感謝の祈りを捧げる目覚めの時。主の愛を思い起こし、隣人のため執り成し祈る夕べの時。神の国と神の議を求めて祈る。それらの祈りは神との活きた対話の時であり、今日主が語っておられる「ともし火を灯し続けるための油の備えときっとなっていきます。
 先週の祈祷会でも、教会に来ることの出来ない方のところへご訪問くださっている方が、「信仰は個人的なもの(神さまとの一対一の関係)であって、人が代わりようのないものだけれど、教会はその私たちひとり一人の信仰のサポーターだと思います」とおっしゃったのですが。ほんとうにそうですね。祈られていること、又主にある兄弟姉妹としての関わりはどんなにか大きな支えであり励ましであるでしょう。
又、その日の夕方の祈祷会である方が、「自分はいろんな宗教といわれる施設にも行きましたが、キリスト教会とそこに集まっている人は、いわゆる家内安全というような祈り、自分のための祈りだけでなく、人のために祈るんですね」と、言われていましたが。その背後には聖書の救い主イエス・キリストの愛と祈りが今も活き活きと生き、信じる私たちのうちに働いておられるんですよね。
互いにおぼえ合い、祈り合っていくことで、油を携えていたおとめたちと同様、ここに集うだれもが花婿なる主イエスを迎えるためのともし火を、絶えずかかげ続けることができれば何と幸いなことでしょう。

「日々ともし火を灯す油の用意をする」ということで、最後に、以前にもいたしましたお話をして宣教を閉じます。
私どもの教会で3日のうちに2名の方が天に召され葬儀が続いたことがありました。
お一人は90歳の男性で求道者でしたが、病のため昏睡状態になりながらも不思議に意識を戻され、その与えられたチャンスの中で、主イエスを信じる信仰告白をされ病床受洗なさり、その後10日間ご自宅でご家族と過ごされて天に召されました。
その二人目の方は、まだ当時52歳でしたが。いくつかの病気を抱えておられ独り暮しでした。彼は悩みと病のために死ぬばかりでありましたが、教会を訪ねて来られ、主イエスの福音に触れ、バプテスマに与り、教会の奉仕とクリスチャンとの出会いや関わりを恵みとしておられました。随分と病も重くとうとう独り静かに息を引き取られたのです。その知らせを聞いたのが、先に天に召された方の葬儀が終わり火葬場から帰宅したばかりの時で、私は大変ショックを受け、頭の中が真っ白になりました。しかしこの方を通して神さまは幾つかの奇跡ともいえる出来事を見せてくださったのです。
一つは、訪問ヘルパーさんが彼のことを私に知らせに来てくれたことです。もし、それがなければ全く連絡がとれないまま一体彼の身に何が起こったか、もはや知るよしもなかったでしょう。話を聞いて分かったのは、実はこの訪問ヘルパーさんが、生前彼から「自分はクリスチャンで大阪教会に通っている」ということを常に聞かされていたそうなのです。彼は日頃から証しすることで、信じて救われたキリストの教会で兄弟姉妹に見送られ祈りとさんびの中、天国に帰ることが出来ました。
二つ目は、彼が天に召される数日前の水曜祈祷会に、2年近く大阪教会に来られていなかったある姉妹が突然いらっしゃったそのことです。姉妹はその兄弟と仲が良く、時々家族ぐるみでお食事をしたり交流があったのですが。その兄弟からいつも大阪教会に来るようにいわれていたようです。けれどそれがなかなか出来なかったんですね。ところが、その日の水曜日に何か不思議と教会に行こうという思いが起こったそうです。そしてそれが姉妹にとっては彼との最後の貴重な時間となりました。その祈祷会後バザーの残ったお弁当が丁度人数分あったのでみんなで頂き、それが彼との最後の晩餐となったのです。姉妹は、これはきっと神さまがお働きになってひきあわせてくださった事と、私にそう話されました。。姉妹はその故人の遺志を受け継ぐように教会の礼拝に再び出席されるようになりました。
三つ目は、彼のお母さんと連絡が不思議にもついて私と連れ合いがお母さんの家を訪問した時のことです。お母さんは重い病気を抱えていて、お友達がいつもお世話をしておられたのですが。「お話はありがたいですけど、福祉の方にお葬儀は全部お願いしていますので、お断りします」といわれたのです。福祉の葬儀は仏式で行うということです。意志は固く3度も「せっかくですがお断りします」といわれました。実は私たちが来る前に既にお二人で申し合わせて堅く決めておられたそうなのですが。それでも彼のことを思うとあきらめきれず、「お母さん。息子さんはクリスチャンとなって教会の礼拝や祈祷会に毎週こられ奉仕されていました。そこでいつもお母さんのご病気がいやされるようにと祈っておられました。その信じるところに沿うかたちのキリスト教のお葬儀で送ってあげることを、ご本人もきっと望んでおられるのではないでしょうか」と、そういう言葉が私の口から自然に出たのです。
するとお母さんのお隣にいらしたお友達の方が、お母さんに向かって、「私の思いを言っていいかなあ。私だったら息子が一番願っていることをしてあげたいと思う。お話を聞いて初めて、息子さんが教会によく通い、奉仕をされているその様子が私には分かりました」といわれたのです。そうするとお母さんが、「そうやね、それならぜひ息子のお葬儀をお願いします」とおっしゃったんですね。私たち夫婦は兄弟が亡くなられてから、どうか神さまあなたの御手と導きがありますようにと祈ってたのですが。まさに、その時、私は神の手が動いたと感じました。教会の祈りは主に聞かれていたのです。

私は主に救われた喜びをもって日々証しする者として生きているだろうか。感謝と祈りの日々を生きているだろうか。
今日のたとえ話の「賢いおとめたちが、ともし火をともす『油』の備えを怠らず」主と共によろこびにあふれて婚宴の席に入っていくその姿を思い描きつつ、今週もここから主に遣わされてまいりましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SOUND CLOSER vol.8 ~陽ののあたるところに温かな音楽を~

2017-03-17 10:46:22 | イベント
2017.4.9(日)

1st:16:00-
  (open15:45-お子様連れ歓迎)

2st:18:00-
  (open17:45-)

ticet:前売り ¥1,800/当日¥2,000

会場:日本バプテスト大阪教会
   各線天王寺駅より徒歩5分(大阪市天王寺区茶臼山町1-17)

  
   出演

ゆかり☆ゴスペル
YOSHI BLESSED
野田常喜(piano)/住吉健太郎(uitar)/酒匂賛行(drum)/MC YUSHI(rap)

info)http://yoshiblessed.com





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ろばの子に乗った主イエス

2017-03-12 15:36:22 | メッセージ
宣教 マタイ21章1~11節 

「主イエスのエルサレム入場」
さて、受難節・レントの第二週を迎えましたが。今日のマタイ21章の箇所からイエスさまは救い主としていよいよここからエルサレムに入城されます。しかしそれは世に言う勝利者のようなエルサレム行進ではなく、十字架:受難へと向かわれるための道なのであります。
今日の箇所は他のマルコ、ルカ、そしてヨハネの福音書にも共通して記されています。それほど聖書は「イエスさまのエルサレム入城」を、神の救いの重要なご計画として示しているということですね。
中でも、9節「主の名によって来られる方に、祝福があるように」という讃美は、全ての福音書に同じ言葉で記されています。それはこのイエスさまこそ、すべてを統めたもう神さまによって「救いのご計画」を成し遂げるために来られた救い主、キリスト(メシヤ)であるということを表しています。その主の名によって来られるお方、イエス・キリストは、今も世界の一人ひとりの魂を救い続けておられ、私のところにもおいでくださり、生きてお働きになられる救い主なのです。まさにアーメンです。

「ろばに乗った柔和な王」
さて、イエスさまはエルサレムに入城されるためにろばを用いられたということであります。王としていかにも勇ましく格好のよい軍馬ではなく、ろばに乗られるのです。
私も幼少の頃、親に到津動物園・遊園地に連れられてろばによく乗せてもらった思い出がありますが。ろばは、通常旅行者がその旅の便宜のために乗ったり、荷を運ぶのに用いられていました。又、労働力として家畜用にも飼われていたのです。ろばは労働や奉仕をするための動物だったのです。一方の馬は、軍事的な戦力、又王の行進のために用いられるなど、権力を象徴するものでした。
イエスさまはエルサレム入城というここ一番の時に、自らを英雄としてアピールしようなどとはなさいません。自らの勇ましさや力を誇示するために馬をお用いになるのではなく、軍事力や権力とは関わりのない、人々の日常の生活ときってもきれないろば、地道に奉仕し、労働するろば、しかもまだ一人前とはいえないような未熟で小さく弱々しい子ろばをお用いになられるのです。

そのことについて、4節以降に「それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった」とございます。そしてその預言者ゼカリヤの「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」という言葉から引用されています。ちょっとそこを開いてみましょう。旧約1489頁。ゼカリヤ9章9節「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る。」まあ少し違いますが。
いずれにしましても、ここで大事なことは、旧約時代において「娘シオン、娘エルサレム」は、つまり、アッシリア、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、そしてローマなどの大国の支配のもとで打ちひしがれ、翻弄され、神に見捨てられてしまったかのようなユダヤの人々のために「救いの王である主が来られる」という神のご計画と約束が記されているんですね。その預言が、イエス・キリストによって今や実現されるに至ったということであります。
そのように救世主である王は、「高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って来る」という預言が今まさに目の前に実現されているのです。
人々の熱狂的な歓迎ぶりには、そのような重く暗い時代背景と祈りとがあったのです。「ダビデの子にホサナ」。このホサナは「主よ、救ってください」「主の救いバンザイ」というような意味合いがありますが。まさにイエスさまの到来にユダヤの民はかつてのダビデ王の統治と栄光の時代が取り戻されることを大いに期待していたんですね。
とりわけこの群衆の多くをしめていたのはガリラヤやエリコといった都エルサレム周辺の地からイエスさまを追って来た人たちでした。エルサレムの都の傀儡政権のもとで比較的安定した生活を送る人たちより、貧しく置き去りにされたような郊外の人たちの方が切実さもあって救い主の到来を歓迎したのです。この5節の「柔和なろば」の「柔和」というのは、国語辞典等見ますと「性質や態度がやわらかであること」とありますが。その言葉の原意は詩編37:11の「貧しい人々は地を継ぎ」の「貧しく打ちひしがれているさま」。あるいは又、イエスさまが「貧しい人々は幸いである」とおっしゃった、その貧しさと区別できないほど同じ意味だということですね。

救い主を待ち望むほかない打ちひしがれた貧しいシオンの娘、取るに足りないもののようにされたエルサレムの住民たち。その痛み苦しみ、悲しみ悩みを神は知っておられる。柔和というよりどこか貧弱ともいえるようなそのろばの子に乗って来られたイエスさまのお姿にイ彼らも、そして今も、私たちも神の救い、ご慈愛を見るのであります。

「主がおいり用なのです」
今日の箇所はこれまで何度も読んでいたんですが、今回改めて気づかされたことがありました。それは「主がお入り用なのです」というお言葉についてであります。

これまで私はこのくだりを読むとき、今日はイエスさまのエルサレム入城について聖書から聞いてまいりましたが。私は個人的に、自分をこの2人の弟子に置き換えて、主の御言葉に聞き、お言葉に従っていくことによって主は栄光を顕わされると、そこに焦点をおいて読んでいたのです。まあ牧師という仕事がら、自分はイエスさまの弟子であるから罪や悩みに縛られている人の縄目を解いて主のもとに連れてくるようにと主イエスが言っておられると、そこを気にかけて読んでいたんですね。気負いがあったのです。
けれど、今回この「主がお入り用なのです」と言いなさいという主のお言葉を聞くとき、この引いてこられた「ろばの子」こそ、まさに私、自分なんだと思ったんですね。私はこの子ろばのように、神の前には何も誇れるものが一つもなく、未熟なものであるということにハッとさせられたのです。ろばが「つないであり」というのは、罪につながれ、その縄目に縛られている自分であります。主イエスの救い、「あなたの罪は赦された」という宣言によってしか自由になることのできない私自身であります。そんな私を主は罪の縄目から解き放ち、ご用のために用いてくださる。主は私のような罪深き者、取るに足りない者を、救い、解放の喜びのうちに用いてくださる。そのもったいなさといいますか。アーメン、唯感謝です。主が勇ましく戦いに優れている軍馬ではなく、小さく未熟な子ろばを神の救いのご計画のためにお用いになられる。それは人の業がたたえられるのではなく、だれも誇ることがないように。唯主のみ救いであることが明らかにされるために敢えて、ろばの子のような者をお用いくださるのですね。

私たちは自分の能力や賜物を用いて神さまの栄光を表したいと願います。もちろんそれは良いことに違いありません。けれども、すべてに優って大事なことは、罪や囚われから解き放ってくださる主、それも自ら貧しく小さき者、柔和な者となられる主の、その愛と救いに生かされている証しと感謝です。それを主は、何が出来るかということにも優っていることなんですよね。

レントの只中、この「柔和なろばの子に乗って来られた私たちの救い主イエスさま」に、「ホサナ」と、感謝と喜びを賛美しながら今日もここからそれぞれの生活の場へ遣わされてまいりましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3・11を忘れない

2017-03-11 09:54:42 | 巻頭言

東日本大震災から6年目を迎えました。
日本政府は「節目を越えた」ということで、3・11東日本大震災のこれまで例年この日に続けてきた政府会見をしないということですが、
未曾有の大地震・大津波・原発事故は終わっていません。日本政府としての説明責任をきちんと果たす必要があります。
未だに12万人以上の方々が避難生活を余儀なくされておられることを忘れてはなりません。
先行きが見えず悲しみ苦しみの中におかれている被災者とそのご家族の方々がたくさんおられます。
「3・11を忘れない」を合言葉に、被災者の方々の心に負っている精神的ケアと回復のため、又財政的支援がなされていくために覚え祈り続けてまいります。

今日は「大阪人権博物館:リバティ大阪」にて「今日の難民問題、日本ができること」と題して、国際連合難民高等弁務官事務所・UNHCR副代表の小尾尚子さんのご講演が行なわれます。
現在特別企画のブースで、世界の各地にも難民として悲しみ苦しみの中におかれている方々の現状とさまざまなかたちで難民支援の活動なさっている団体の働きについて知ることもできます。
日本は今から36年前の1981年に「難民条約」を批准し、難民を受け入れる責務を持った難民受入国となりました。2015年の時点で紛争や迫害によって難民として移動を強いられた方々が世界で6,530万人にものぼるということです。一方、2015年のデータとして日本に難民認定を申請した方が7,000人を初めて超えたそうですが。そのうち難民として認定されたのがたわずか27人で、不認定率が99.62%という現状でここ数年不認定率99%が続いているそうで、日本の難民の方々に対する非情な受け入れの現状について心痛みながら知ることができましたが。その背後には「治安が悪化する」などといった「外国人」に対する誤った理解、偏見があるからだと思わされました。これからの難民と私たちというパネルの言葉にこう記されていました。
「難民の人々は平和な祖国と家族との安全な生活を望んでいる人たちです。あなたがこの問題に関心をもってくれることを必要としています。一人でも多くの市民が日本の難民の受け入れの問題に関心を寄せ、できることから『やってみようと』と思ってほしいのです。」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆるし

2017-03-05 16:14:27 | メッセージ
礼拝宣教 「ゆるし」 マタイ18章21―35節  

遠藤周作さん原作の映画「沈黙・サイレンス」の上映は終わったのでしょうか。御覧になられた方の感想も様々おありですが。Kさんが私に「”沈黙”を見て感動しました。踏み絵の際のイエスの言葉も感動しましたが、散々裏切ったキチジロウに一緒に居てくれてありがとう!と言う場面は正にキリスト教だ!と感動しました」という熱い感想を語ってくださいました。そうですね。実はここにキリスト教の神髄が「ゆるし」であることが示されていると思います。それは、どんなに私たちが迷い疑い多き者、小さく弱い者、負い目のある者、罪深い者であったとしても、主は決して見捨てる事なく、ゆるしと愛をもって招いておられる。そのメッセージが「沈黙」という作品をして物語られていると私も思いました。

今日の箇所ですが。はじめにペテロが「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」と問いかけています。「兄弟が」と言うのですから、イエスさまの弟子たちの間でもなにがしかのいざこざがあったということでしょうね。まあそういう問いかけに対してイエスさまは、「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」とお答えになるのです。
 この七の七十倍というのは単なる数字を示すものではありません。七というのは旧約時代からの完全数を示します。その七十倍ということですから、もう制限無くというような意味なのです。一応計算上は490回という上限があるわけですが。もうそれ以上ゆるしたらあとは神の審きの領域だから神に委ねなさいというとり方もできるかも知れませんが。いずれにしてもとことんゆるしなさいということですね。

さて、ペトロがどうして「罪の赦し」についてイエスさまに尋ねたのか。
それは恐らく前の段落で「罪を犯した兄弟に対するイエスさまのみ教え」を受けてのことなのでありましょう。まあ12弟子以外にも多くの弟子がいたのですから、何らかのトラブルがあったとしても不思議ではありません。イエスさまはそういう時「あなたがたが黙って我慢するように」とはおっしゃいません。ともすれば、我慢が美徳のように思われたりするものですが。しかしイエスさまは相手と直に対話することの意義を説かれます。それは審くためではなく、本質的には兄弟を得るためであることがこの文脈から伝わってきます。まあそれを聞いたペトロが、何度忠告しても同じように罪と思えることをなしてくる弟子仲間に対して、「何度まで赦すべきでしょうか」、完全数の7回までですか、と尋ねたわけです。そこで、イエスさまは今日の「仲間を赦さない家来」のたとえをなさるのでありますが。

ここで興味深いのはこのたとえを読む限り、イエスさまは何一つ道徳的な理由付けをなさっていない、ということです。言ってあげた方が相手のためになるとか。相手をゆるすことはあなたの功徳、徳になるからとか。そういう解説をなさらないんですね。
イエスさまはそうではなく、ただ「天の国は次のようにたとえられる」と、実は「天の国」について語られている。そこが大きな特徴です。「天の国」とは兄弟姉妹という神の共同体、それは教会ともいえるでしょう。さらに広く地上のいたる所に実現されるべき「天の国」というようにも考えられるでしょう。いずれにしても、イエスさまはこの「天の国」のたとえを通してペトロに「ゆるし」ということをお示しになるのです。

ではその内容について見ていきたいと思います。
まずこの家来が王から借りていた1万タラント。その1万分の1の1タラントが当時の労働者の6,000日分の賃金ですから。その6,000日分の賃金の1万倍に当たるというとてつもない莫大な金額です。王の家来はその莫大な借金を返済できなくなった。損害を被った主君は、はじめこの家来に自分も妻も子も身売りして持ち物全部を売り払って返済するよう命じるのですが。彼がひれ伏してしきりに懇願する様子を見て、憐れに思って、赦し、何とその国家レベルで扱うような莫大なその借金を帳消しにしてやった。
つまり、主君は自らその損害を与えた家来の莫大な借金の肩代わりを「ただ憐れみ」のゆえに無条件ですべて負ったのです。
 この「憐れみ」というのは、ただかわいそうというのではなく、腸がちぎれるような心情を表す意味の言葉なのです。主君はそれくらい憐れに思ったからこそ家来をゆるし、自らそれを負ったのです。家来はどんなにか喜びながら帰っていったに違いありません。

ところが、この家来が外に出て自分に100デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、つかまえて首を絞め「借金を返せー」。私はこのくだりを読むとなにか吉本新喜劇の世界みたいだと、このたとえ話にイエスさまのユーモアを感じたのですが。
とにかく、自分はそれだけ赦して頂いて喜び感謝もつかの間、自分に借金している者の首根っことっ捕まえて「返せ-」と。その仲間も自分が主君の前でしたようにひれ伏して「どうか待ってくれ。返すから」としきりに頼むわけですが、承知せず、引っ張っていき、借金を返すまでと牢に放り込む、ということをやるわけです。
100デナリオンとは、100日働けば稼げる金額です。6,000万日分の1万タラントに比べれば実に取るに足りない金額ですよね。
この家来は主君から無限ともいえる憐れみ、腸がちぎれるほどの痛みを伴う憐れみによってゆるしを頂いたにも拘わらず、自分の仲間は赦しませんでした。
この家来は、主君が自分に施した愛と赦しがどんなに莫大で尊いものか、又自分がいかに借り多き者かを自覚できず、自分に対して些細な借りがある仲間を赦せないのです。

ペトロは「わたしに対してなされた罪を何回ゆるすべきでしょうか」とイエスさまに尋ねました。このペトロは主イエスの弟子たちすべてを象徴する存在として描かれています。それは又、現代の私たちにも様々な人間関係の中で、時に起ってくる問いかけなのではないでしょうか。そして、このたとえに出てくる主君の憐れみとゆるしによって莫大な1万タラントンという借金を無条件に赦された者。それも又、主なる神さまの前にとても償いきれない罪や咎を憐れみのゆえに赦されている私であり、主イエスの十字架の愛によって肩代わりして頂いている私であるのです。
そのようにこの家来同様ただ主の憐れみに与る外ない存在であるということを自覚した者、それがクリスチャンでありましょう。唯、主君の憐れみと恵みに与って赦しを得ている。ここに「天の国」が示されています。私たちはいまここにおいてこの天の国に与っているのですね。

しかしこのたとえは、そこで終わらず、この家来は借金のある仲間を憐れまず、ゆるすことなく、借金を返すまでと牢に入れた。その非情な姿を示します。それも又、些細なことに腹を立て、何度も思い出しては苦々しい思いが頭をもたげてくるような私自身の姿かも知れません。このたとえの王、主君はそんな家来に「『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきでなかったか』
そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した」とあります。
主は言われます。「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう」。

この最後のイエスさまのお言葉は、単に私たちが自分の感情や思いを押し殺して、見逃してやりなさい「ゆるしてあげなさい」とおっしゃっているのではありません。「クリスチャンは何でもゆるさなければいけない」と言うのは思い違いです。神の前に違うことは違う、いけないことはいけない、と言ってよいのです。傷つけられ痛んでいる人に、相手を「ゆるしなさい」ということは憐れみに欠くことです。人の心に受けた傷はいえにくいものですし、その痛みや感情は第三者がゆるせと言っても赦せるものではないでしょう。
私たちはここから何が何でも赦せということを聞くのではなく、ここでイエスさまがおっしゃっている「ゆるし」とは、天の父こそが「ゆるし」の主であるということです。その深い憐れみの中にわたし自身がまずゆるされている。100%の愛とゆるしの中に、すなわち「天の国」に迎え入れられているということにまず気づき直すこと。それが、同時に主にある兄弟へのゆるしへとつながってゆくであろうという期待がここに語られているのですね。それは又、天の国に与る私たちに対する実はユーモアーとあたたかなまなざしに満ちた主の招きと励ましなんですよね。

現在私たちが礼拝の中で共に祈っている「主の祈り」は、マタイ6章とルカ11章でイエスさまが弟子たちにお教えになられた「祈り」がベースになっています。
その祈りの中で「ゆるし」についての祈りがあります。それは「我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」(文語訳)となっていますが。もともとイエスさまのお教えは、まず「わたしたちの罪(負い目を)をゆるしてください」という祈りが先なんですね。そこには「如何に自分は主にゆるされるのでなければ救い難い者であるか、どうかこの私の負い目(罪)をおゆるしください」という信仰の告白があります。そうしてから「わたしたちも自分に負い目のある人をみなゆるしましたように、と言うんですね。ルカではさらに「わたしたちが赦しておりますように」という現在時制で語られていますが。
いずれにしろ、主の祈りの「ゆるし」は人間の側から出る感情ではなく、神さまから頂くゆるしに与るという神の国の訪れによって、自ら意志をもってゆるしと和解の御国を造り出していく者とされていく、そこにございます。


最後なりますが。バプテスト連盟医療団の機関誌「シャローム」の聖書の小道というコラムにチャプレンが書かれたエッセイにたまたま目が留まりました。少しご紹介します。
「トルストイ原作の『火は早めに消さないと』という絵本は、隣家といがみ合う息子に父親が繰り返し伝えた言葉がタイトルになっています。たった一個の卵から始まった二軒の農家の争いが、最後は村の半分近くを焼いてしまう火事に発展しました。物事が大事になり、その時始めて息子は自分とその心に目を向け、悔いるのでした。
人の魂の痛みは「ゆるし」に関するものがあり、これはスピリチュアルケアにおいて、人生で、特に最後を迎えるにあたって取り組む大切な仕事の一つに数えられています。
マザーテレサは言いました。「誰かをゆるしていない痛みはないか。誰かからゆるしてもらっていない悲しみはないか。」

受難節を迎えた私たちそれぞれもまた、主の十字架の深い愛とゆるしの恵みをおぼえながら、今日の主イエスの真理と、ユーモアーに満ちたたとえ話に背中を押されつつ、兄弟姉妹、隣人との和解に「天の御国」を求めてまいりましょう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする