日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

生ける神による養い

2012-08-26 11:36:37 | メッセージ
宣教 列王記上17章1~16節 

「お帰りなさい」。今日は私も「ただいま」と申しあげます。七日間の夏季休暇を戴き、郷里福岡に帰省し、リフレッシュして帰ってくることができました。19日は大阪教会の礼拝が主にあって捧げられましたことを感謝いたします。私たち家族は新会堂となった西南学院教会で礼拝を捧げ、礼拝牧師夫人が礼拝堂をはじめ各設備を懇切丁寧に説明しながら案内くださいました。西南学院教会はまあ何でもビッグサイズで、立派な教会堂でした。21日の火曜日は久山療育園のワークキャンプに家族で一日のみ部分参加し、草取り作業、入所者とのふれあい、又天神での街頭募金活動などにも勤しむことができ、懐かしい方がたともお会いする時が与えられ、充実した一日となり、ほんとうに感謝でした。お祈りありがとうございました。


先週の礼拝で読まれた列王記11章には、神殿建設を成し遂げた後のソロモン王の偶像礼拝と神への背信、その末路について記されていました。ソロモン王の神さまへの背信と罪の結果、一つであったイスラエル王国は北イスラエルと南ユダの二つの王国に分断されるという事態を招きます。
本日の箇所は北イスラエル王国のアハブ王の時代のことが記されていますが、このアハブ王はいわゆる悪王であり、その諸悪については16章に詳しく書かれてあります。
彼はシドン人の王の娘イゼベルとの結婚により、異教のバアル神の礼拝所を設置し、さらに北イスラエルの都サマリヤにまでバアルの神殿や祭壇を建て、その民に偶像礼拝を推奨し、自ら進んでそれを行いました。北と南に分裂する前の統一王国時代のソロモン王は、シドンの女神アシュトレトと異教の神ミルコムに礼拝をささげて主なる神への背信行為を犯しましたが、このアハブ王も又、ソロモン王と同じ過ちを繰り返したわけです。その最たる罪は、一人の権力者アハブ王によってもたらされた偶像礼拝が、その民全体に広がったということであります。

①「神の言葉に聴き従う人」
この一人の悪王によって民の心は偶像礼拝に向かい、生ける神の怒りを招いたのであります。そうして遂に預言者として遣わされたのがエリヤであります。彼の人となりについてはギレアドの住民でテシュベル人であったということ以外、何も記されていません。
彼が誰の子で、どういう家系かということについて何も触れられていないのです。それはこのエリヤという人が、何か身分や位のある人から、あるいは権力のあるものから遣わされたのではなく、直接「神から遣わされた預言者」であるということを表しているようです。言い方は悪いですが、「どこの馬の骨かわからない」。しかし、ただ神によって、神から遣わされた人、それがエリヤなのであります。
彼はアハブ王の前にただ一人で出て行き、主の言葉をまっすぐに伝えます。
「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」。これは、その生ける主に背くアハブへのいやみともとれますが、エリヤは1節「わたしが告げるまで(主のお言葉があるまで)数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう」とそのように主の言葉を伝えるのであります。すごい度胸といいますか、一国の王様の前でよくぞ言ったものだと思いますが。きっとエリヤだって不安や恐れがなかったわけではないでしょう。
しかし、彼は王ではなくすべての命を司る生ける神をこそ畏れる人であったのです。
さて、神が天を閉じ、雨も降らず、露も降りない、となりますと、これは一大事であります。飲み水だけでなく、野菜も作物も採れなくなり、飢餓が来ます。けれども、そのような主の言葉を聞いたアハブ王が畏れの念を持ち、悔い改めたかといえば、そうではなく、逆にエリヤは命を狙われることになります。多少雨が降らなかったといって、蓄えや他国との物流もあるというおごりがあったのかも知れません。現代に生きる私たちもまさにそのようではないでしょうか。私たちの国においても昨年東日本大震災と原発事故が起こり、飲料水や生鮮食品など食生活について様々な不安が募っています。さらに局地的な大雨による水害が度重なり、お米や農作物に多大な被害が及んでおります。米国でも大豆の先物価格が急騰しているそうですが。とはいえ、ス―パ―に行けばあらゆる食物が豊かに並び、雨は降らなくとも蛇口をひねれば水が出るという生活の中で、この時代に対する神の御心を聴き分けることができなくなっているのではないでしょうか。
今日まずここで、預言者エリヤを通して注目すべきは、「わたしが告げるまで」、すなわち「主の言葉があるまで」という点であります。大地に露も雨も降らないこの危機的状況は、「主の言葉の飢饉」の状態を実は指しているのです。御言葉がないという危機的状況をアハブ王は全く理解できません。今日の日本のこの状況の只中で、私たちはたとえ小さくとも、この時代に向けて語られる主の御言葉を切に祈り求め、真摯に聴き従ってまいりましょう。

②「神の計らいと養い」
さて2節、「主の言葉がエリヤに臨みました。主はエリヤに、「ここを去り、東に向かい、ヨルダンの東にあるケリト川のほとりに身を隠せ。その川の水を飲むがよい。わたしは烏に命じて、そこであなたを養わせる」と語られます。
主の御言葉を忠実に行なうエリヤに主は共におられ、災いから守られるよう計らってくださるのです。
このケリトの川というのは「断ち切られた小川」という意味があるそうで、その川のほとりはまさに分断され、人里離れた寂しい地でありました。当然食べ物も無いようなところであり、誰だってそのような処に行きたいとは思わない場所です。
けれどもエリヤはここでも、「主が言われたとおり直ちに行動し、ヨルダン川の東にあるケリト川のほとりに行き、そこにとどまるのです」。まあ着いてみればやはりそこは本当に糧を得られない何もないような寂しい地でありました。エリヤも人の子であります。主の導きとはいえ、不安や心配がなかったはずはありません。
私どもも時に、神のみ心だと確信し歩み出したものの、自分の考えた通りではない事態が起こって、これははたして本当に御心であったのか?自分の判断は正しかったのか?と思いあぐねるといったことがないでしょうか。しかし主は、その名を呼び求める者の道を知っていてくださるのです。
このエリヤでありますが、何とカラスが毎日朝と夕の2回、パンと肉を彼のところに運んで来て、水もその川から汲んで飲むことができ、飢え渇きを十分しのぐことができたというのであります。主はカラスを用いてエリヤを養ってくださったのです。

しかし、カラスが人間にパンや肉を運んでくるなんて何ともユニークです。カラスといえば生ごみや残飯の入ったごみ袋を突いて物色し、辺りかまわず散らかしまくって去っていくという迷惑ものという印象がありますので、そのような人助けのできる配慮に富んだカラスも居るのかと思ってしまいますが。このカラスですけども、実はイエスさまのお話にも登場してまいります。それはルカ12章24節です。イエスさまはカラスを引き合いに出しこうおっしゃいました。「カラスのことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神はカラスを養ってくださる」。神はカラスにも深いご配慮といつくしみ深い思いをもっておられるのです。まあ旧約聖書の世界でも、カラスは汚れた鳥として食べることが禁じられていたとか、人の目を突き、荒れ果てたような地に住みつくことから嫌われ、不気味な鳥として見られていたのです。けれども神の目からご覧になれば、つまらないもの、存在価値のないものでは決してないとうことです。イエスさまは敢えて空を飛ぶ鳥の中からカラスを選び、そんなカラスでさえ神は養って下さる。ましてやあなたがたは、鳥よりどれほど値打ちあることか。だから思い煩わなくともよいとおっしゃっているんですね。
神はこのカラスを用いて、身も心も疲れ果て、不安と恐れにさいなまれていたエリヤにパンと肉を毎日朝と夕の2回運ばせなさったのです。孤立無縁、孤独であったエリヤに、嫌われもののカラスが寄り添うように日々食物をもってきた。

私たちも行き詰まったように思える時、万策尽きたと思いあぐねるその時、主は不思議とみ言葉を与え、導かれ、人を遣わして、道を開いてくださいます。
エリヤはどんなにか神のご配慮とその計らいによる支えに、身も心も魂をも強められたことでしょう。逆に名もなき小さな私たちがこのカラスではありませんが、主の名のもとに遣わされ用いられることもあるでしょう。まさに、主は御言葉に聴き従う人の道をご存じでおられ、行く先々の必要と助けを送ってくださる、また遣わしてくださいます。それが私たちの生ける真の神さまなのです。

③「何を第一とするか」
今日のこの箇所にはもう一つのエピソードが記されてあります。
ケリトの川のほとりでカラスに養われたエリヤでありましたしたが、この地方に雨が降らなくなり、川は枯れてしまい飲み水もなくなってしまいます。
そのとき主の言葉がエリヤに臨みます。8節「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる」。
エリヤは主の言葉どおりに、立ってサレプタの町に行きます。シドンは異教徒の地でありましたから、エリヤにとってその町へ入ることには躊躇や戸惑いがあったと思われます。   ある意味エリヤの御言葉に聴き従う信仰が主に試されます。
彼は一人のやもめを見つけると、まず「水を飲ませてください」と声をかけ、この人こそ主がおっしゃったやもめと確信すると、さらに「パンも一切れ、手にもって来てください」と言います。
するとこのやもめは答えます。「わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしとわたしの息子の食べ物を作ってそれを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです」。
そこでエリヤはこう言います。「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。主が地の面に雨を降らせる日まで、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない」。
 エリヤはこの貧しいやもめを前にして遠慮や迷いがなかったのでしょうか。何もこんな困窮している人でなくても、この地方には他に食物を提供することのできる家があったのではないでしょうか。ところが、主はこの何も持たないような、何も頼るものがないようなこのやもめをお用いなさるのです。かえってその主にすがる他ないような貧しさゆえに彼女をお用いになることができた、といえるかも知れません。
一方、エリヤは主の言葉に期待し、信頼していく者を豊かに祝福してくださる生ける神と、その言葉を確信していたからこそ、そのようなやもめにパンを要求し、このように言う事ができたのではないでしょうか。
ここでエリヤが「まずわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って来なさい」と言っていますが、その本意は、「まず、すべてを造り、すべてを治めておられる主なる神さまに、それを捧げなさい」ということです。エリヤは異教のやもめに生ける主なる神さまを指し示し、その「神さまに信頼をし、従って命を得なさい。主はあなたがたを顧みてくださる」と、証しし、信仰のチャレンジをなげかけたのであります。
 エリヤから御言葉を聴いたやもめは、「行ってエリヤの言葉どおりにした」とあります。
壺の粉も瓶の油もあとごく僅かしかなかった。いやむしろ一食分でなくなるほどであったからこそ、彼女はエリヤから聴いたお言葉にかけていったのでありましょう。
すると、どうでしょう。「彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった」というのです。このエピソードが強調していることは、「まず何を第一としていくか」という御言葉であります。そこには信仰が問われます。今日私は何を第一として生きるのでしょうか。イエスさまは言われます。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」。

私たちもまた、神との交わり、人との関わり、生の全領域において、まず神の国と神の義を求めていくことが求められています。そして何よりも、私たちがそのように生きていくところに、主の祝福の約束があることを、今日心新たに確認したいと思います。今日の箇所から「主の言葉は真実である」との恵みの体験と、神の国の豊かな交わりに希望をもって共に与ってまいりましょう。
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物質文明の限界

2012-08-23 11:43:21 | メッセージ
奨励 M・Y  聖書:列王記上11:1~13 

列王記上を読みますと、ソロモンが登場するところには金銀で散りばめられた豪華な世界を見せつけてられます。でも、驕る平家久しからず、といわれるあの豪華絢爛で名を轟かせたソロモンも老境にはいっていくと今までとは様子が違ってくる。
 この11章に入りますと手厳しい批判の矢がソロモン王に突き刺さって参ります。あわれな最期を迎えイスラエルは南北に切り離されます。なぜ、そのような事態になっていったのでしょうか。
3章では、神さまはソロモン王の夢枕に立ち、何事でも願うがよい、慈しみ深い声をお掛けになりました。彼は自分がまだまだ取るに足らない若者であり、どのようにふるまうべきか知りません。したがってイスラエルを正しくさばき、善悪を見分ける判断力を、イスラエルの国民が言う意見に聞き分ける心を、知恵をお与えくださいと懇願するのであります。すると、神さまはソロモンの姿勢にことのほかお喜びなって、おまえに富と栄光を与えよう。そして、ずばぬけた知恵を与えよう。ただし、お前の父親ダビデの歩んだように、わたしの掟(おきて)を守って、わたしの道を歩むならば、という一つの最も大切な条件をお示しなった。そのとき、ソロモンはハット目が覚めた。それから、ソロモン王はエルサレムに帰ると、さっそく神の天幕に入って契約の箱の前に立ち、完全に焼き尽くすいけにえと和解のいけにえを捧げました。役人を招き、盛大な祝宴を開いたのです。
 この続きに、大変有名なお話が、一人の赤ん坊をめぐる話をとおして、ソロモン王の大岡政談がまっています。私は現役のころ、この赤ん坊をめぐる、ソロモンの名裁判のくだりを入学試験の問題に用いた事がありました。4章はソロモン王の閣僚名簿が披露され、彼の聡明な専門職ともいえる知識である、文化の所産がイスラエルの繁栄を築いっていったことが述べられている。ソロモン王の在世中、ユダとイスラエルの全国民は平和に暮らした。彼が法律、学問、芸術、宗教などと言った文化に関する外国の文物をどんどん取り入れ、また、外国との貿易も盛んになっていった。ソロモンが神殿建設にかかったのは王に即位して、4年目の春、イスラエル国民が奴隷になっていたエジプトを出てから480年後の事でした。壮大な神殿建設には三万人の労働者がつぎ込まれ、この仕事の監督にあたったのは、ソロモン王の側近、労務長官アドニラムであった。7章にはさらに13年かけて宮殿を建てたのです。それはそれは眩いばかりの資材をつかって、熟練工たちが腕をふるった。いよいよソロモン王はイスラエルの部族や氏族の代表者をエルサレムに集めて、「契約の箱」を神殿に運び入れ、盛大な祝典を挙行するのに、数え切れないほどの羊や牛を、いけにえとして捧げました。また、熱心に心から祈りを捧げたのであります。彼の名声はたかまり周囲の国々から多くの代表者たちが訪れるようになりソロモン王が神殿と宮殿、を合わせて20年がかりで完成させた時、神さまにソロモンは両手を天に述べたまま、ひざまずいて祈り終えてから、祭壇の前から立ち上がり国民を大声で祝福した。     

さて、ところが11章の最初にはそのソロモンが完全に有頂天になって、唯我独尊の世界に、もてあそび、遊ばされる状況になっていった生き方が記されている。ソロモン王が神に背を向けた、その背信行動の原因であることが記されています。本日の聖書の個所には、ソロモン王が何人もの外国の女を愛した、という有名なところです。
これは当時この王国が置かれていた国際的な地位の高さを表しているのだとも読めます。列王記はこの王がやったことを全面的に肯定などしてはいません。しかし、神殿建設に関しては実際に起こったことよりもずっと美化して出来事を描いているように思われる。物事を斜に構えて見るならば、この神殿建設の事業がソロモンの知恵と栄華の関係を具体的に示す歴史的出来事であったことです。神殿を建てるために実際に必要なのは信仰よりも、むしろ経済力と宗教建築にかんする専門的知識であった、と皮肉な見方をしてしまいます。
第2神殿を大々的に改築したヘロデ大王のことを考えて見ればすぐわかります。神殿建築と信仰は必ずしも結びついていない。神殿と栄華(経済的繁栄)、神殿と知恵、(それとも悪知恵)はただちに結び付きます。
聖書には神殿や、そこでの祭儀にマイナス評価をあたえている個所が多く見出されますが、このことと関係がないとは言えないのではないか。ソロモン王国崩壊の理由がここに明記されている。彼女たちにうつつを抜かし、ソロモンは自分を見失っていった。神は、異教の女との結婚を明らかに禁じておられた。その目的は信仰の純潔のため、女たちによって偶像礼拝とその乱れた行動に染まることのないためであった。
5節「シドンびとの女神アシタロテはバアル神の妻と考えられておりまして、当時、多産と性愛の神と信じられていました。明らかに偶像によって人々の心は神から引き離される。また、アンモンびとの神である憎むべきミルコムは幼児を犠牲に捧げたものです。(エレミヤ32:35)こうした偶像礼拝の弊害は、ソロモン王宮のみにとどまることなく、国民をも毒して偶像礼拝と不道徳に導き入れた。彼には絶大な地位に安住したために倫理観がなくなってしまった。
ソロモンの知恵について考える時に一番問題になるのは、自分に与えられた知恵を実際には何のために使ったか、またその結果はどうであったかです。ソロモン王は知恵をもっぱら王室の富を増大させ、自分の宮廷の豪奢な生活を自慢するために用いた。巧みな王の外交政策によって、大きな戦争は起こらなかった。だが、国内での紛争は多発した。このことがソロモンの死後における王国分裂にもつながったのです。
これが、4節「彼の心は父ダビデのようには、その神、主に真実でなかった」(ダビデの心とは異なっていた)現代的な表現で言えば、ダビデは物質文明の限界を認めていた人であります。
 科学技術文明自身がブレーキもハンドルも効かずに暴走しているのが、現代の特色であります。
ダビデは自分の罪を素直に認めるひとでありました。ダビデは砕かれた心で告白したひとでありました。ダビデは罪のゆるしを信じて主に依り頼み、ここから感謝と讃美、また力を得ると言う信仰の持ち主でありました、そのことが判るのは、彼が祈った内容が記されている。詩篇32篇の罪のざんげに続くゆるしの確信と、新しい霊をいただいて、喜びを持って歩んだ信仰が現れています。

その懺悔(ざんげ)の告白の一節を読んで終わります。
詩篇32:1・2「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことでしょう。主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。」
~祈ります~
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ソロモンの神殿奉献の祈り

2012-08-12 11:53:10 | メッセージ
宣教 列王記上8章10節~29節 

本日は列王記上8章より「ソロモンの神殿奉献の祈り」の場面より、御言葉を聞いていきたいと思います。この個所は歴代誌下6章にも並行記事がありますので、併せて読まれるとさらによいでしょう。

①「主の約束が成就した祈り」
神殿が完成した時、ソロモン王はイスラエルの全会衆を祝福し、感謝をもって主の御業をほめ讃えます。ソロモンは父ダビデが願いつつも叶わなかった神殿建設という事業を7年で果たすのでありますが。それはソロモン自らの願いから行ったものではありません。
主が約束された「ダビデの息子がわたしの名のために神殿を建てる」というその約束が「ソロモンを通して実現された」と、聖書はあかしします。

ソロモンはイスラエルの全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、両手を天に伸ばして、「あなたは、御口をもって約束なさったことを今日このとおり御手をもって成し遂げてくださいました」と、祈りました。

私たち大阪教会も「来年2013年のクリスマスは新会堂」で、という希望を抱きつつ、いよいよ会堂建築に向けての具体的な行動(アクション)が始動いたしました。来年のクリスマスにはソロモンの神殿奉献の祈りを、私たちも捧げられるようにと切に願うものです。
このソロモンが神殿建設の業を人の手によるものとせず、ただ24節「主が御口をもって約束なさったことを今日このとおり御手をもって成し遂げてくださった」とあかししたように、私たちもこの事業に主の御業を見い出しつつ、あかしとしていきたいものです。

ここで、主が御手をもって成し遂げて下さったというのは、何か神さまが手品でハトを次々と出すようにパッパと建てられたということではないでしょう。そこにはソロモンの献身と祈り、またイスラエルの人々の貴い捧げものや想い入れ、それらの具体的な一つひとつの働きがあり、それを主がお用いになって成し遂げてくださったのであります。

先日ある人との話の中で、現在教会で使っている講壇やイスなど利用できるのは新会堂になっても使った方がいいんじゃないか、という話題が出ました。人間的にいえば経費削減ということなのですが。けれども少なくとも礼拝に用いるものは、神さまに捧げるものであり、最善のものを捧げていくことが望ましい、ということで意見が一致しました。私たちにできる最高のものを主に捧げていく、そのことがほんとうに新会堂というかたちになっていく、と信じます。
神殿建設に臨んだイスラエルの人々同様に、私たち一人ひとりが、主に貴い捧げもと熱い祈りをもってあゆむ中に、主の御手が豊かに働いてくださる御業を見ることができるのであります。

私たちは7月8日の臨時総会で連盟からの借入申請を行うことを決議いたしました。もちろんそれは返済していくという責務を共に負っていく決断を表したということもあり、これで大阪教会が連盟諸教会に向けて、会堂建築をしていくことを表明したことになります。議場でも出ましたように、今大阪教会は雨漏りもしていないし、礼拝も捧げられる状態です。「それなのにどうして会堂建築をしなければならないの?」と諸教会の方から尋ねられた時、私たち大阪教会は一つの同じ方向性をもった回答を共有していなければならないし、それぞれの想いがバラバラであってはならない、ということです。
その回答については、少なくともこれまでの建築準備委員会、建築委員会がリードして来られた中で、すでに私たちは一つの方向性をもった回答を与えられていると私は信じています。具体的な問題としては、礼拝堂の天井の低さ、玄関の段差、トイレの問題、食堂がないなどがありますが。本質的な事としては、主がこの大阪教会に与えられた使命・ミッションに十分に応えていくための相応しい教会堂をお捧げするということであります。主を第一とし、そのように礼拝できる教会堂を建てるという想いが強められてきました。そして主はそれを後世に先送りするのではなく、建築の想いが強い今こそ、それを実現にうつす時であるとの理解を与えてくださった、ということであります。
「あなた方のうちに願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは主であります」。その主が与えて下さった導きに応え、信頼してあゆんでまいりたいものです。私たちにとって大事なのは、主が御手をもって成し遂げてくださるその一つひとつの御業をしっかりと見、主に栄光を帰していくことであります。
主の御業を見る事も、主に栄光を帰することもないまま、たとえ順調に進み、どんなに大きな教会堂を建てたとしても、それは虚しいことです。それは人の業であり、主のあかしとはならないからです。
詩編127編1節に「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい」と謳われているとおりです。私たちもまた、主ご自身が建ててくださるとの約束を信じ、主の御手の業を仰ぎ見ていく者とされてまいりましょう。

②「主の顕現なさる場所;祈りの家」
さて、主のために神殿を建てたソロモンですが、彼は27節で「神は果たして地上にお住みになるでしょうか。天も、天の天もあなたを納めることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません」と言います。それは人間が神さまを自分の思いで納め、一定の場所に留めることなどできないということです。どんな立派な業、どんな高い志であっても、人の思いで神さまとそのお働きを限定することはできません。主なる神さまはご自分の意志をもって生きて働かれるお方なのです。
それは12節で「主は、密雲(暗闇)の中にとどまる、と仰せになった」とソロモンが言ったように、主はご自分の意志で、この闇のような世界、地上のただ中に身を寄せ、とどまってくださった、とあるとおりであります。密雲(暗闇)のただ中に主が身を寄せ、とどまってくださった、というこの御言葉は、聖書の救いの神の豊かな使信であります。
その主の御名を心からほめ讃え、感謝をささげ、主との交わりをますます豊かになすために祈り求めていく、そのためにソロモンは神殿を建てたのですね。
地上の神殿は神さまの栄光を顕わす場所なのです。決して神殿そのものは神さまがお住まいになる住処ではないのですが、主が暗闇の地上に身を寄せ、とどまってくださることに感謝と賛美、さらに主との交わりを求めて生きる。その拠点として神殿があるのですね。
このように考えてみますと、神殿は神さまの臨在がなければむなしい箱、神さまをほめたたえ、その栄光を仰ぎ見ることがなければただの建物です。教会堂も同じことが言えます。神さまの臨在のもとでその栄光をほめ讃え、仰ぎ見ることがなければただの建物でしかないのです。教会堂そのものが聖なるものではなく、その神殿や教会堂の交わりの中に臨んでくださる主なる神さまが聖なるお方であられるのです。そのことをしっかりと心に留めていくとき、ほんとうに教会の礼拝、又交わりや奉仕は生き生きとされてくるのではないでしょうか。

神殿が神さまとの交わりの場所、新約的には聖霊が臨んでくださる場所であることを知っていたソロモンは、この主の臨在のもと28節「御前で捧げる叫びと祈りを聞き届けてください。そして夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが、『わたしの名をとどめる』と仰せになった所です」30節「僕とあなたの民イスラエルがこの所に向かって祈り求める願いを聞き届けてください」と懇願します。神殿は罪のゆるしを乞い、正しき審きを願い、祈願と献身を立てる祈りの家であったともいえます。
 イエスさまもおっしゃっていましょうに、主は「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである」(イザヤ56:7→マタイ21:13b)と言われています。それは主が罪に覆われる世に身を寄せ、そこに留まり、共にいてくださる、その計り知れない恵みに対して私たちが如何に生きていくかを、主はご覧になっておられるのです。

③「平和を覚える日として」
本日は、先ほどS兄からお証しがあったように、平和を覚えての礼拝を捧げています。
過去の戦争への過った道を進んだことを本当に日本は国家として、又全国民は悔い改めを曖昧にしてきたのではないか、という言葉が心に残りました。ほんとうにそれは当時の時代を生き抜いて来られた方でないと語り得ないことであります。その生きた証言は後世の人たちが同じ過ちを繰り返すことがないためにも、語り伝えていかなければならないことです。
私たちは今日こうして主の祈りの家に招かれました。真の平和、和解とゆるしをもたらすため、暗闇のようなこの世界においで下さった主。その主は、今も十字架の上で血を流し、傷ついた姿でもって、苦しみ悩んでいる一人ひとりのその痛みを知り、平和の実現を切望しておられます。主は「私たちの祈りの家」そのものであられます。この主と共に、日々世界に、キリストの平和が築かれていくようにと主に執り成し、祈り求めてまいりましょう。

最後にイザヤ書66章1~2節の御言葉をお読みします。
「主はこう言われる。天はわたしの王座、地はわが足台。あなたはどこに、わたしのために神殿を建て得るか。何がわたしの安息の場となりうるか。これらはすべて、わたしの手が造り、これらはすべて、それゆえに存在すると、主は言われる。わたしが顧みるのは、苦しむ人、霊の砕かれた人、わたしの言葉におののく人。」
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わたしたちの教会は

2012-08-07 11:39:21 | 教会案内

日本バプテスト大阪教会にようこそ!


わたしたち日本バプテスト大阪教会のブログにようこそいらっしゃいました。

わたしたちの教会は地域に福音を伝えて62年目を迎えました。
「バプテスト」というのは、キリスト教のプロテスタントの教派の一つで、イギリスからアメリカへと広がりました。公民権運動に尽力したマルティン・ルーサー・キング牧師や、カーター元大統領などもバプテストです。日本では、福岡にある西南学院、西南女学院、京都にあるバプテスト病院などが関連団体です。


日本バプテスト大阪教会 (日本バプテスト連盟)

543-0063 大阪市天王寺区茶臼山町1-17
Tel:06-6771-3865
 Email:obcs@nifty.com

牧師 下川 俊也
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全国少年少女大会に参加して

2012-08-06 11:54:56 | 巻頭言
                         
7月31日~8月3日まで全国少年少女大会が開催された。私は分団リーダーとして今回も奉仕させて戴きました。また、息子は少年少女として、連れ合いはリーダーキャンプに参加することがゆるされました。皆さまからのお祈りとお支えを戴きました事をまず感謝いたします。
北は旭川から南は沖縄より151名の少年少女たちが天城山荘に集いました。大会スタッフ、分団リーダー他、並行して開催されたリーダーキャンプ参加者をあわせると総勢213名にもなりました。今回の大会講師は、藤岡荘一先生(宮城県:錦織バプテスト教会(同盟)伝道師)。あの未曾有の3.11大震災直後より自分の家を失い仮設住宅等で生活を余儀なくされた被災者の方々一人ひとりを訪ねて回り、卵やお豆腐を配り続けられたそうです。そして訪問後は「また来ます」といってその場所を後にされていたそうです。藤岡先生は、「また来ます」という約束は不確かなものではあるが、主は、「私たちにまた来ると約束してくだっている、その信頼の約束は確かなものである」と語られました。けれども、人として自分の出来得る限りのことをなされていったその原動力とは一体何なのか?ご講演を通じて、「ソウルフード(魂の食物)」「ソウルホーム(魂の家)」について、幾つかの御言葉に思いを深めることができました。つくづく思わされたことですが、教会はこの地上にあって「魂の食物」を届け、「魂の家」となっていくことをあきらめてはならないのです。そこに「主の家に帰り、主と共に食卓に与る」究極の希望があるからです。 T・S
                                       
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アサナギ(Asanagi) コンサート in 大阪

2012-08-04 10:31:23 | イベント
関西地方バプテスト教会連合音楽委員会主催

東日本大震災復興支援チャリティーコンサートのご案内


日時:8月5日(日)午後3時半受付 4時開始~5時半

入場無料:自由献金あり(日本バプテスト連盟:東日本大震災被災地支援募金として全額ささげます)

会場:日本バプテスト大阪教会


アサナギ(Asanagi);北九州のインストゥルメンタル讃美デュオ

メンバー Shuhey Nishino&Rocky Ayatsuka

1stアルバム;「Peaceful Morning」 2stアルバム「Breeze&Prayer祈りのそよ風」



休日の午後のひととき、さわやかなギターの音色とトークにココロ安らいで戴ければ幸いです。

お気軽にお越しください。
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