日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

あかし

2008-06-29 19:22:44 | メッセージ
「よかよか」はキリストのメッセージ  S・I

 私の故郷、九州北部には「よかよか」(いいよ、いいよ、という意味)という言葉がある。私はこの言葉が大好きだ。物事を繰り返し肯定し、受け入れる人の温かさがそこにある。
 親が子を慰めるとき、他人が失敗したとき、友人と喧嘩したときに、この「よかよか」という一言を確かに言ってもらえるだけで、又は自分が呟くだけで、何も現状は変わらないけれども、明るく平安になれる。なんてすごい言葉なんだろう。
 ところが、現在の社会では、ニュースで流される言葉の八割以上が、不安になることのオンパレード。他者を「よかよか」と肯定的に捉える話はほとんどない。学校でも「みんな仲良くしましょうね。」と口では言いながら、大人たちは責め合う関係を子どもたちに教えてしまっている。昔の「よかよか」というおおらかさはどこにいってしまったのか。
 しかし、先日あるお母様から「よかよか」の心温まるお手紙をいただいた。二年生の算数の時間でのことだった。子どもとの会話が丁寧な文字で書かれてあった。
 「お母さん、先生がね、算数の時間に ゛5゛って手を広げるの。そしたら、先生の手のひらがチョークですごく汚れているの。でも、私それを見るのがすきなの。だってどうしてか分からないけど、とっても幸せな気分になれるの。」
 その子は、チョークまみれの手を「汚い」と言うのではなく、「幸せな気分になるの」と言ったのである。私は、自分のつたない授業や下手な板書まで受け入れられたようで嬉しくなった。たった八歳の子どもの心の中にも、他人を肯定的に捉えるおおらかな感性があり、母親や私をほのぼのとさせてくれたように、心の平安を周囲の人たちに分け与えることができるのだ。
 どうしたら、この子のように、相手を肯定的に捉えることができるだろうか・・・。
 思えばキリストは十字架を通して私たちに「よかよか。全部わたしが背負っているのだから」と言ってくれているのではないか。このキリストの「よかよか」に出会って初めて、自分にも他人にも心から「よかよか」(いいよ、いいよ)と言えるのではないだろうか。






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巻頭言

2008-06-22 08:00:36 | お知らせ
「神学校週間」

本日より神学校週間に入りました。私どもの教会が加盟する日本バプテスト連盟には、西南学院大学神学部をはじめ、九州、東京などのバプテスト神学校もございます。この神学校週間は特に私どもの神学校とそこで学ばれている神学生(献身者)を覚え、祈り、ささげものをなしていきたいと思います。
私は20数年前に大阪基督教短期大学神学科で2年間学び、西南学院大学神学部に編入学したものですが、大阪基督教短大神学科での2年間の授業料はフリーメソジスト教団の諸教会の貴い献金による奨学金制度によって全額免除されました。現在はこのような制度はありませんが、当時はフリーメソジストの教団以外の他教派の学徒にも寛大な門戸が開かれていたのです。西南学院大学神学部には、バプテスト連盟に加盟する教会からの学徒に対して授業料の優遇的な貸与制度はありましたが、他教派から学ぶ方々にはそのような優遇制度はありません。もし私が、20年数年前大阪基督教短大で学ぶに際し、このような全面的なバックアップがなかったとしたなら、後に西南学院大学神学部で学び、牧師として立てられていくような道が拓かれていったかどうか分かりません。
 西南学院大学神学部についていえば、神学生の生活費の一部を貸与する第二種奨学金制度が一時廃止されたのですが、全国壮年会連合の熱い祈りと働きかけによって、復活する運びとなりました。これは現在学んでおられる神学生やそのご家族には大きな励みとなっている事でしょう。全国の諸教会・伝道所が祈りを一つにして覚え、ささげものをなしていくその一端を、私どもの教会も担わせて戴けると幸いです。(牧師)
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巻頭言

2008-06-15 07:11:43 | メッセージ
「教会教育の集会に参加して」  Y・S

5月31日連合子どもデイキャンプに奉仕してきました。今回でまだ2回目ですが大好評です。私のような教育など携わったことのない者が委員をさせて頂くのには訳があります。それは息子への信仰の継承です。
イエス・キリストの救いのもとにあることの恵みと神様の愛を何とか知ってほしいのです。2年前教育委員会に、子どもデイキャンプをぜひ関西でも、と申し出たところ、ぜひ委員になって、ということで何かお役に立てればとお引き受けしました。先日は雨であったにも拘わらず子どもたちは元気いっぱい。ダンスをしながら賛美してみことばを聞き、ゲームをしたり石けんを作ったり、カレーやサラダを作って食べたり。本当に楽しそうにしている子どもたち。「どうか福音のもとに育ち、世の光、地の塩として神様の喜びとなってね」と願います。
もう一つクリスチャン子育てのための別の集会に参加しました。印象に残ったメッセージを3つ紹介します。
1)人は本質的に礼拝者として創造されている。子は神を礼拝するのでなければ、神が造られた被造物を偶像礼拝するようになる=神を礼拝することを教え、しつける
2)約束の地に入ったイスラエルの民は出エジプトの神の業と恵みをわずか1世代で忘れ、その心が神から離れてしまった。それは祭司や指導者・レビが、というより子どもの各家庭での導きが足りなかったため=各家庭家庭の導きこそ大切。
3)教会は私と家族の信仰の世界観をサポートしてくれる場=訓練の場であり、実施の場であり、さけどころでもある。
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巻頭言

2008-06-08 07:41:35 | メッセージ
本日の宣教から 「主イエスの宮清め」マルコ福音書11・15~19

なぜイエスは、「神殿の境内で売り買いしていた人々を追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返される」というような、ある意味過激ともとれる態度に出たのでしょうか。イエスをつき動かしたものとは一体何だったのでしょうか。今日はそのイエスの深い思いを行間から読み取っていきたいと思います。
エルサレムはこの頃、パレスチナのユダヤ人だけでなく、それ以外の世界、各地から集まって来た離散したユダヤ人たちで、そうとうなにぎわいを見せていました。ここ天王寺なども門前町と言われ、毎月20、21日は遠くから近くから来た人々が行き交い、教会の前の通りや四天王寺の境内には露店が軒を連ねてにぎわっています。エルサレはまさに、神殿があるということによって都が成り立っていた面が多々あったのです。
神殿の境内では、神殿にささげる動物やその他諸々のものを売る商人や神殿税を払うための両替人がおりました。またそれを買い求める者や両替をする者もいたのです。またマタイ福音書21章の同じ記事には、境内には眼や足の不自由な人々もいたようです。
イエスはそこで何を問題にされたのでしょうか。
その問題は私たちへの問いかけでもあるのです。
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巻頭言

2008-06-01 07:46:15 | メッセージ
青年会主催「平和学習会」レポート

5月24日(土)大阪国際平和センター(ピースおおさか)で平和学習会をしました。(常設の展示室と特別展:写真と絵で見る大阪~戦前・戦後・そして今~)。戦跡めぐりは雨のため中止しました。第二次世界大戦末期の大阪空襲により、大阪府では死者1万2620人、行方不明者2173人の被害があったそうです。(1945年10月調べ)

 下記は学習会参加者アンケート回答内容です。
★一番印象に残ったことは何ですか?・大阪の空襲後の写真を細かく、たくさん見れたこと。・終戦前半年の空襲で大阪も焼け野原になったことを知った。・大空襲が8回もあり、大阪府の人口の半数が犠牲になったことを知った。・人が家の下に隠れていた、でも死んでしまったこと。
★今後、どのような学習会を望みますか?・近隣の戦跡めぐり。・スタディーツアー・平和に関する映画やビデオ鑑賞。・平和集会への参加。
★今回の学習会の感想や意見。
・知ってはいるのだが、こういう機会に再確認し記憶の海に戦争への意識を埋もれさせないことが大事。・大阪も戦争の被害を多く受けており、こんな近場に戦争の事を知る場所があるので、戦争のことをあまり知らない子どもたちに伝えていくことを教会でもしていけたらいい。ものの豊かな時代に生まれた私たちは、学ばなければいけないような気がする。・戦後に生まれたから知らない、で終わらせたらいけないということを再認識した。また、被害も多く受けているが近隣の国で行った行為も忘れてはいけないと思った。・戦争は人をつぶしてしまう。世界に平和はなくてはならない、平和はほんとうに大事だと思います。
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