日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

一緒にいる時

2014-04-27 12:57:31 | メッセージ
礼拝宣教 マルコ2章18~22節 


①「主イエスと共なる食卓」
今日の聖書の言葉を読み解く鍵は実は前の箇所のところにあります。イエスさまの弟子となった徴税人のレビの家で、イエスさまはレビの仲間や罪人と言われる人たち同席し、一緒に食事をしていました。ところが、その様子を見ていたファリサイ派の律法学者が、弟子たちに「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言って非難したというのです。
当時、徴税人は、高利貸し、行商人、皮なめし、羊飼いらと共に、公の職を得る事ができないばかりか、法廷で証言に立つことさえも認められていませんでした。又、ローマの手下という悪のレッテルを張られ、ユダヤの敵であり罪人と見なされていました。
しかし、主イエスはそのような徴税人のレビを招かれて、レビは神の国の救いを見出し、主イエスに従う者となったのです。その喜びからレビは家を開放し、イエスさまと弟子たち、そして自分の仲間たちで会食の場をもうけるのです。イエスさまは、罪人と言われる彼らと同席し、一緒に食事をなさいました。主の招きに応えた人々と共なる食卓は、天の国にある喜びと祝福の分かち合いの時を意味しているのです。

②「一緒にいる時」 
さて、本日の箇所であります「断食についての問答」のエピソードですが、ユダヤの人々が「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」とイエスに問いかけたというのであります。当時、ユダヤの社会で、断食は宗教的な行事としてごく普通に行われていたものです。人々はここでイエスさまや弟子たちが断食していないと、と断定していますが。それは誤りでありました。イエスさまは断食について否定されてはいません。マタイ6章で「断食するときは、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする・・・あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである」とおっしゃっています。
こういう神との誠実な関係における断食を、イエスさまはなさり、弟子たちにも勧められ、実践していたのです。それはファリサイ派の人たちのように週の何曜日に行うとか決まりごとに則したものではなかったのです。ただその時の必要と神の招きに応えてなされ、「神と私」という関係においてなされたものでありましたから、人にはそれと気づかれないことが多かったのです。
ファリサイ派の人々やヨハネの弟子たち、そしてユダヤ人たちは、断食の形式や仕方を守り行おうとしないイエスや弟子たちを裁くのですが。むしろ形にとらわれ、「私は只今断食中です」と言わんばかりに顔つきを見苦しくする彼ら、「あなたは断食していな」と人を裁き優越感に浸る彼らは、どこか断食の本質を見失っていたのでしょう。
先程、イザヤ書58章を交読しましたように、6節「悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。」10節「飢えている人に心を配り苦しめられている人の願いを満たす。」すなわち、そのような律法本来の精神を培い神に執り成すことこそ、神の望まれる断食だと聖書は語っているのです。しかし人はなかなか悟り得ないものであります。
イエスさまはそんな彼らの、「なぜあなた方は断食をしないのか」という問いに対して、次のようにお答えになります。
「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。」

イエスさまはここで、「花婿が一緒にいるのに断食できない」ということを2度も繰り返し強調しています。
ここで言う「花婿が一緒にいる婚礼の時」というのは、イエスさまが罪人と言われている人や徴税人ら、世間から白い目でみられるような人を招き、何ら排除や差別することなく共に食卓をもって神の国にある喜びと祝福を分ち合われる、救いの時を言い表しています。このマルコの福音書の冒頭には、「イエス・キリストの福音の初め」「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」とありますように、主イエスの招きによって神の国は到来し、あらゆる人々が神に立ち帰って生きる喜びと祝福あずかることとなったのです。それが婚礼の時にたとえられているのであり、この花婿は言うまでもなく救い主イエスのことであります。

イエスさまは、断食をはじめ律法を軽んじられたわけではありません。ただ、「婚礼の場に招かれ花婿が一緒にいる前で、断食などできやしない」と言っておられるのです。それをもう少し別の言い方をするなら、「こうして神の祝福から隔てられていた魂が神の国に招き入れられたことを、今わたしたちは本当に喜び合っているんだよ」というメッセージだと思うんですね。

聖書教育の中に次のような言葉を見つけました。
「聖書の物語を読むときのポイントの一つは、自分をどの登場人物に重ねてその話を聞くかにあります。今日の物語でいえば、バプテスマのヨハネの弟子たちやファリサイ派の学者たちの立場に自分を置けば、彼らの『イライラ、ムカムカ』がよくわかります。『自分たちはこんなに真面目に断食しているのに、あいつらときたら・・・』。私たちも似たようなセリフを時々口にしているのかもしれません。自分が何事かを真面目に一生懸命にしているとき、他人の行いは気になるものです。そして、つい他人の行いの無さを裁いている自分がいるのです。」
なるほど、そういうものでしょう。教会も、そもそも喜びのうえに建てられた群れであります。礼拝の場をはじめ、奉仕も、献金も、どれも主イエスさまによって神の国に招き入れられたこの上ない喜びがベースにあるのです。それは単なる宗教的儀礼や仕来たり、又仕事や義務ではありません。心を突き動かす喜びから出された行動であります。しかしイエスさまの教会の中でさえも、イライラとした感情や不平不満が起こることもあるかも知れません。そんな時、今度はイエスさまと食事を共にする場に招かれた人々の側に自分を置き替えて今一度、何の条件も資格もない自分が、イエスさまの御救いに招き入れられている喜びと感謝を思い起こしてみるとよいかも知れません。
花婿の婚礼に招かれたのは私だけではありません。互いに、何がしか不行き届きな面や失敗もあるかもしれませんが。何より、同様に花婿なる主が共におられる席に招かれた一人ひとりであり、共に喜び合うために集められた神の家族であることを感謝したいですね。

さて、一方でイエスさまは、「花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる」とおっしゃいました。「花婿が奪い去られる時。」
 これは、イエスさまが十字架に架けられて苦難を受け、死を遂げられる時を表しています。先週は主イエスのご復活をお祝いするイースター礼拝が持たれましたが。この祝いの日であるイースターは、イエスさまの受難と死を通して与えられたものです。その受難と死は、私どもが持つ罪と咎のためであり、その私の罪の性質がイエスさまを十字架に架けて死へと追いやったのです。私たちは日常の歩みの中で知らず知らずのうちにも神と人に対して罪を犯し、欺き、傷つけ、躓かせていることがあります。そういう事に対して、神に日々祈り、悔改めて、生きるのは大事なことではないでしょうか。それは、主イエスの十字架の苦痛と苦悩と死が私の罪のためであるにもかかわらず、主イエスはその私の代わりに裁かれ、その罪を贖ってくださった、という尊い恵みと救いの御業を改めて気づかせてくれます。
さらには、日々を過ごす中で、神の存在が遠く感じられる時、あるいは先行きに対する希望すら見出せずに苦境の中でうめき、苦しんでいる隣人を覚える時、すなわち、花婿はどこにおられるのか、と思える時、断食をし、祈り、とりなし、主の臨在と御業を願うということもあるでしょう。大事なのは、その私どもの間、このただ中に十字架の主イエスが一緒におられるということであります。

最後になりますが。イエスさまは「織りたての布切れを取って、古い服に継ぎ当てたりしない」「新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりしない」とおっしゃいました。イエスさまはユダヤの日常生活に身近ある題材をもちいて語られます。
古い革袋に新しいぶどう酒を入れると、新しいぶどう酒は発酵するガスの勢いで革袋を破って出てしまうということです。
 この新しいぶどう酒とは、罪人たちと、神の祝福から隔てられていた人たちと食卓を共にするイエス・キリストによってもたらされた神の国の到来。すなわち、「救いの福音」であります。それは当時のファリサイ派の律法学者や祭司たちの信仰観に収まりきれない、彼らにすれば何とも受け入れ難いものでした。彼らは自分たちの立場が危うくなることを恐れ、イエスを罪に陥れようと魂胆を計り、遂には十字架に引き渡し、殺害するのです。古い革袋をそういう勢力にたとえることができます。しかし、古い革袋は主イエスの福音の活き活きとしたその力によって打ち破られ、やがては全世界の人々の喜びの福音として拡張していったのであります。

もう一つ、始めの古い服に新しい布を継ぎ当てるというたとえですが。古い服とは一言で言ってしまえば、旧約聖書の教えを指しているのでしょう。新しい主イエスの福音も、元来はユダヤ教の旧約聖書の教えをバックボーンとしており、私たちの礼拝でも、旧約の詩編の朗読や旧約聖書からの宣教がなされております。それは旧約聖書の教えの中に、私たちの信じる神の御心や戒めが確かに示されているからです。イエスさまは律法についてマタイ5章17節で「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」と言われました。ですから、旧約聖書はユダヤ教の聖典だから読んでも意味がない、というのは暴論なのであります。ただここできちんと確認しておくことは、主イエスは旧約を完全に満たすに足り得る救い主メシア、キリストとしてこの地上に来られ、十字架の苦難と死を通られて、あらゆるすべての人に救いの道、神の国への道を備えて下さり、その新しい神の救いの真実を表すために復活なさったお方であられるということですね。

本日は、「一緒にいる時」と題し、御言葉を聞いてきました。
私たちがこの地上にあって生きる時間は限られております。その限られた時の中で、肉親、親族、友人、隣人との出会いと親交が織りなされています。今この時、一緒にいることがゆるされる方との時を大事に刻んでいけますように、祈り、願うものです。
今日はギデオン協会の方のお証しを通して、主の豊かな導きと御業を仰ぎ、その働きの尊さを覚えることができました。「花婿なる主イエスが一緒にいる今この時」。主が共におられる喜びを身近なところから分かち合ってまいりましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主イエス墓におられない

2014-04-20 13:02:21 | メッセージ
イースター礼拝宣教  マルコ16章1~8節   

「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。』(6節)

主イエスの復活の記事は「イエスが埋葬された墓」を舞台にしています。そこで主イエスの復活の知らせを最初に聞いたのは、先週の受難週の礼拝にも登場した女性たちでした。最後まで仕え、イエスさまが十字架に架かり苦しみと苦難の末に息を引き取られていくのを遠くから見守り続けた、まさにその女性たちが主イエスの復活の知らせを最初に聞くのであります。一方、イエスの弟子たちは「何が起ころうと、あなたにどこまでも従います」と豪語していましたが、イエスが捕えられると、逃げ去り身を隠したのです。

さて、「マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメの3人の女性たちは、週の始めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った」と記されています。パレスチナ地方では人が死ぬと目を閉じてから、身体をきれいな水で洗った後、腐敗するときに出る死臭を防ぐために香料を塗って、葬るという慣習がありました。
イエスさまが息を引き取られたのは、安息日が始まる日没前の午後でありましたので、安息日の間の金曜日没から土曜日没までは規定により出歩くことができなかったんですね。そのため日曜日の明け方になったわけですが。
金曜日にイエスさまが十字架から降ろされた時、アリマタヤのヨセフという身分のある議員が自ら申し出て、その遺体を亜麻布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納めた、というのでありますが。恐らく安息日が間近に迫っていたので、彼は遺体を埋葬するのに手いっぱいで、香料まで塗るいとまもなかったのでしょう。この間女性たちは事のなりゆきを見守る他ありませんでした。ですからこの女性たちは、安息日明けの土曜日の日没後、どこかで香料を買い求めて、翌日の日曜日の早朝、イエスの遺体に香料を塗るために、その納められている墓にいそいそと向かうのであります。女性たちは何と些細なことに気づくことができるのでしょう。しかしそれは彼女たちにとって決して小さなことではなく、イエスさまに対する心遣いとその愛情の深さの表れであるのです。
その心のうちは、イエスさまのその死からまだ3日しか経っていませんでしたから、心神喪失ともいえるほどの状態であり、悲しみと寂しさでいっぱいだったことでしょう。
しかし、そんな彼女らの心をさらに重くする心配事がありました。それは、「だれが墓の入り口をふさいでいる大きな石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていたとありますように、墓の入り口は女性3人の力では到底動かせない大きな石で塞がされていたのであります。

ところが、女性たちが墓の入り口に着き、「目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった」というのです。マルコの福音書記者は、「転がされてあったその石は、非常に大きかったのである」と告げています。墓を塞ぐとてつもなく大きな重い石。それは人のどんな思いも、どんな強い愛情をも受けようとしない、この地上と死者を隔てる石です。

しかし、彼女たちが見上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあったというのですね。
一体何が起ったのかと、どんなにか驚いたのではないでしょうか。
当時のお墓は、岩を掘った横穴に大きな円盤状の石を立て掛けるようにして蓋がされたのですが。もう一つのマタイの福音書には、イエスの埋葬された墓の石にはその上にさらに封印がされ、番兵がおかれていた、と記されています。そのような厳重な警備と封印のされた墓がどういうわけかすでに開かれ、番兵の姿もどこにも見当たりません。
動揺しながらも女性たちが「墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのを見て、ひどく驚いた」というのであります。

この若者は女性たちにこう言います。
「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」

いくら「驚くことはない」と言われても、そりゃあ動転したのも無理のない話でありました。墓は開いており、番兵の姿も無く、墓の中に入ると天の使いとおぼしき白い長い衣を着た若者が、「イエスは復活された」というのです。彼女らは驚きもあったでしょうが、何と言っても「イエスさまがここにいない」という事実を目の当たりにしたその衝撃というのは、さぞかし大きかったのではないでしょうか。
「イエスさまは復活された」という素晴らしい知らせも、そのような状態にある女性たちの心には届きませんで、聖書は「女性たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである」と伝えています。

さて、実はこのマルコ福音書はこのように女性たちが動転し、恐れ、震え上がっている状況を伝え、ここで唐突に終っているのです。結びとして続きがありますが、これは後になって付け加えられた部分とされていますので、元々はここで終わっているんですね。

十字架の受難と死により葬られたイエスが墓におられない。そういう現実を前に、悲嘆にくれ、恐れ、震え上がる女性たちの姿。それはそのような状況に放り込まれた人間の、ありのままの姿を何の憶測も含まず、そのまんま伝えているわけですが。しかしそのことが逆にリアリティーをもっているように思えるのも事実です。天使の話を聞いて「わぁーそうですか、まあうれしい」などというのは何だかウソっぽい。悲しいのはそのままに、苦しいのもそのままに、自分でもどう気持ちを整理してよいのかわからない中で、希望を語られても正直はいそうですか、とは言えないのが私たち人間ではないでしょうか。

今この時、この地上において起るさまざまな理解し難いような出来事や災害に遭遇されている方々、身近にも未だに先行きが見えず苦しみ、闘っておられる方々がおられます。
私たちも人生において取り乱し、考えもまとまらず、思いをどう整理すればよいのか分からない状況が生じることがあるでしょう。あの女性たちのように、もう何がなんだか分からない恐れに捕らわれることもあるかも知れません。信仰を持っているとはいえ、それが私たちの現実です。そして、たいていは嵐の日々が通り過ぎた後々になって、「ああ、あの聖書の言葉に支えられていたなあとか、祈られ導かれていたんだなあ、ということを知らされる経験がおありではないでしょうか。そういった信仰の歩みを通して、「生きて働かれる主との出会い」を日々経験しているという確信をいただくのです。

さてここで、白い衣を着た若者の言葉をもう一度よく聞いて見ましょう。
「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。」
ここでわざわざナザレのイエスと言っているのは、人と何ら変わることのない苦しみ、そして死をイエスさまはは身に受けられたということを表しています。具体的な地に人とし生まれ、人として生き、人として苦しみ死なれた。それは神の共感であり、神共にいますという事の具体的姿だったのだ、と先週のイエスの十字架の箇所からお話いたしました。
イエスさまが十字架上において最期に、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と絶叫されて息を引き取られた。それは世の人にとっては惨めで無残な敗北の死としか映りません。しかし、その壮絶な苦悩と絶叫は、実は私たち人間の抱えているものであり、イエスさまが、「神よ、なぜわたしをお見捨てになるのですか」と絶叫して死なれたのは、外でもない人の子として私たちの最も深い所からの叫びを共にしてくださったそのお姿であります。イエスの十字架刑の指揮をとるため、そばにいたローマの百人隊長はそのイエスの最期を見て、「本当に、この人は神の子であった」と言いました。彼もまた、何か鮮やかな奇跡の中にではなく、暗闇の只中で神に絶叫するイエスの姿に、人の苦しみ、死の悲しみに共鳴する神を見たからです。
墓の中にいた天使とおぼしき若者は、その十字架の受難と死を経験されたナザレのイエスはもはや死人の墓にはおられない、復活された、と伝えます。

女性たちは、白い衣を着た若者の言葉をすぐに理解することはできなかったと思いますが。
確かに向こう側から語りかけている、あの天の声を聞くのであります。
『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、言われたとおり、そこでお目にかかれる』。
やがて、復活のイエスさまとお会いし、その大いなる恵み、喜びに満たされる時が来るという予告であります。
ガリラヤ、そこはかつて弟子たちが主イエスと出会われた場所であり、日常と人々の苦悩、人生の悲しみや喜びが交差する生活の場であります。差別や偏見、貧しさの中でも一日一日を精一杯生きようとする人びとの住む地ガリラヤ。
白い衣を着た若者は、弟子たちととりわけペトロに、そのガリラヤで「復活のイエスさまにお目にかかれる」と告げています。
弟子たちはイエスさまが捕えられ十字架に架けられると散り散りに逃げてしまいました。しかし、主はそのような弟子たちを見捨てることなく、ガリラヤで会おう、とおっしゃるのです。又、ここであえてペトロを名指ししているのにはわけがありました。その時、ペトロは深い絶望の淵に陥っていたからです。あれほどどこまでも従いますと言っておきながら、イエスを3度も知らないと言い放って否定した自分のふがいなさ、その罪深さに自分を責め続けていたペトロでした。復活の主イエスは、そのペトロに対して、はじめに出会った場所であり、出発の地である「ガリラヤで待っている」と伝言なされるのです。ペトロや弟子たちが最初にイエスさまから召命を受けたそのガリラヤで再び主イエスとお会いできる。それは新たな神のご計画がすでに準備されていることを予感させます。

私たちキリスト者は多くの場合、自らの人生の必要にかられ導きをおぼえる中で、主イエスを救い主として受け入れたことでしょう。それはこの時の女性たちと同様、イエスさまを肉眼で見たから信じたのではありません。何かハッキリとした啓示を受けたから信じたという人もまれでしょう。ではなぜ信じて生きてゆく道に一歩踏み出し得たのか。
それは、神の言葉である聖書のお言葉、聖霊の導き、あるいは教会の主にある兄弟姉妹の支えや祈りによって、神の子イエス・キリストの福音の確かさを経験したからではないでしょうか。今私たちは、肉眼で復活のイエスさまを見ているわけではありませんが、主イエスは確かに生きておられ、共におられる、ということを日々体験することができます。実にそのこと自体が奇跡であります。

Ⅱコリント5章18節の、「わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」というお言葉のとおりです。

本日の聖書は、「主イエスは墓におられない。あの方は、あなた方より先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」と伝えます。私たちのガリラヤ、日常のいとなみの中に復活の主はすでに先立ち待っておられます。私たちはそこで主とお会いすることが出来るでしょう。
イースターは、主イエスの命に生かされる約束の記念日であることを、今日心から感謝します。イースターおめでとうございます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イースターは教会へ!

2014-04-13 12:39:18 | 教会案内
イースター礼拝のご案内 2014
 
4月20日(日)10:30am-12:00pm

イースターはキリスト教会のクリスマスと並ぶお祝いの日です。

天王寺の街で63年目の春を迎え、昨年建て替えられた新しい教会堂
で初めてのイースター礼拝を祝います。ぜひ教会に足をお運びくだ
さり、ご一緒に主イエスの救いと復活の礼拝をお祝いいただければ、
と願っております。心より、ご来会をお待ち申しあげております。

私たちの教会は・・・
日本バプテスト連盟(全国324教会・伝道所)
に属し、福岡の西南学院、西南女学院、重症児施設久山療育園、
京都の日本バプテスト病院、同看護専門学校も、同じバプテスト
の事業体です。


日本バプテスト大阪教会

〒543-0063 大阪市天王寺区茶臼山町1-17
  ℡ 06(6771)3865  Email: obcs@nifty.com
  HP: obcs.jimdo.com







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当に、この人は神の子だった

2014-04-13 12:39:18 | メッセージ
礼拝宣教  マルコ15章33~41節 

現代では十字架はファッションのようになっており、キリスト教信仰とは関係ないところでネックレスやキーホルダーやストラップになっていたりしますが。元々は到底そんな人に好き好まれるような美しいもの、かっこうのよいものではありません。それはローマ帝国が奴隷の反乱を防ぐために考案したもので、十字架に架けて長時間苦しみながら衰弱死するのを見せしめにする、そんな残酷な刑具であったのです。ですから、十字架刑による無残な死を遂げたイエスが救い主であるなどとは、当時のユダヤの人々にとっては到底あり得ないことだったのです。旧約聖書に「木に架けられた者は呪われる」という言葉にもあるよう十字架による死はまさに呪いそのものだと、多くのユダヤの人々は考えていました。彼らにとってイエスは神に呪われた者であり、十字架に架けられたその無残な姿は人々にとって躓き以外の何ものでもなかったのであります。

イエスさまは午前9時に十字架に架けられてから午後3時の最期の時を迎えられるまでに6時間苦しみ抜かれました。十字架に手と足を大きな釘で打たれ、想像を絶する苦痛の中、そこを通りがかった人々から侮辱やののしりを受けます。
「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」
彼らはほんの数日前にイエスさまがエルサレムに入城された時には、「ホサナ、ホサナ主の名によって来たるもの」と、はやしたて出迎えた人々でした。「ホサナ、我らの王ダビデの来るべき国に祝福があるように。」ローマの統治下にあったユダヤの人々は、ユダヤが再びダビデ王の時代のように国に繁栄をもたらす力強いメシヤなる王を、イエスに期待したのです。ところが、彼らの思いに反してイエスは十字架に架けられてしまうのです。期待は失望と憎悪に変わりました。
さらに、ユダヤの指導的立場にあった祭司長たちや律法学者たちからも、「他人は救ったのに自分は救えない」と侮辱され、しまいには十字架に架けられた者たちまでもが、「十字架から降りて自分を救ってみろ」と、イエスをののしったというのであります。彼らもまた、「おまえが本当に神から出たものであるなら、力ある業を示してそんなところから、そんな苦しみから逃れられるはずだろう。さもなければ神を呪ってみろ」と、挑発しているのです。イエスさまはそれらの声に対して何もおっしゃいませんでした。

そうして、「昼の12時になると、全地が暗くなり、それが3時迄続いた」とあります。
ルカの福音書には「太陽が光を失った」と記されています。それがどういった現象であったのか定かではありませんが、それはあたかも罪のないイエスさまを十字架に架けて殺害する人間の心の闇、世の権力のおぞましさを象徴しているかのようであります。十字架に架けられたイエスさまはさらに3時間その暗闇の中で苦痛と苦悩にさらされ続けるのであります。
 そして遂に、午後3時に「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と、大声を出して息を引き取られるのです。
イエスさまはご自分のありのままの思いを最期のその時に神に叫ばれました。
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」
何と衝撃的な言葉でしょうか。神の御心に聞き従い通して生きて来られたにも拘わらず、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と、絶叫する無残な姿。それは多くの人々を失望させました。
ところが、このマルコの福音書は、ここにイエスさまの十字架刑の指揮に当たり、そばに立っていたローマの百人隊長が、十字架上でイエスさまが最期に息を引き取られたのを見て、「この人は、神の子だった」と言った、という証言を記すのです。
ちなみにマタイの福音書では、イエスさまが息を引き取られた後、27章51節以降で「地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った」そういういろんな出来事を見て、百人隊長が「本当に、この人は神の子だった」と言った、と伝えています。
しかし、このマルコの福音書の百人隊長が見たのは、十字架上で何の奇跡も起こせず、ただ無残にも絶叫して死んでいった無力なイエスさまの姿であります。にも拘らず彼は、「本当に、この人は神の子だった」と口にするのであります。

「イエスの十字架の死は敗北であった」と、嘲笑う人もいるかも知れません。イエスが神の子であるならば、十字架から降りて自分を救う奇跡をなして、人々にそれを示すべきだった、という考えもあります。それは今なお変わることなく多くの人の心に浮かんでくる不信の思いでありましょう。

私たちは時に「神さまなぜこんな事が起こるのですか」「神さまどうしてこんな目に私があわないといけないのですか」というような事どもに直面することがあります。そういう危機の中で、祈ったのに何も自体は変わらない。どこに神はおられるのか、という思い。又、外からも、あなたはキリストを信仰しているが何も起こらないじゃないか。奇跡はどこにあるのか、というような冷やかな視線。しかし、そこで奇跡的な現象が起こらなかったのなら、そこに神さまはおられなかったということでしょうか。
百人隊長は人々が不信の中で失望する只中で、唯一人イエスの無力で無残なその姿に天の光を見出しました。「本当に、この人は神の子だった。」

私はどうしてこの人がこの場面でそのように言い得たのか、それをうまく言葉にすることはできません。ただ一つわかることは、ひどい目に遭わされ、どんなに人にののしられても、ののしり返さず最期のギリギリまで神に相対して祈り、叫ぶそのイエスの姿に、彼は神を見た、という事実です。
 私ははじめの冒頭に、多くの人がファッションとして十字架を好んでつけるといいましたが。実はクリスチャンでなくとも、又、キリスト教の何たるかを知らない人であっても、イエスの十字架の苦しみの中に何らかの救いを見出しているから、それを好んだり、身に着けたりする人が多いのではないかとも思えるのです。それは「わたしの苦しみ、広くは人間のあらゆる苦悩に共鳴する神の苦しみ、神の苦悩」です。
イエスさまが十字架でこのような最期を遂げたのは、神さまが私たちのどん底にある苦悩や苦痛を御自身も同じように、いやそれ以上に受けてくださった。神の共鳴、「神、共にいます」という事実があるのです。それこそイエス・キリストの起こされた最大にして、最高の奇跡!そう思いになりませんか。
来週はイースター;主イエスの復活を記念する礼拝を迎えますが、実にこの真の奇跡、神が私たちとどこまでも共におられるということを突き抜けたところに、復活のイースターは訪れるのであります。一人でも多くの方とこの救いの礼拝を共にしたいと願いますが。

本日の受難週において、改めて心に留めなければならないことがあります。
それは、イエスさまの十字架は、単に私たち人間の罪のゆるしのために起こったのではないということです。それは、私たち「人間のうちにある罪」が、イエスさまを十字架に架けて殺害したという事実であります。何で2000年前に生まれてもいなかった私が、どうしてそんな恐ろしいことができようか、という方もおられるでしょう。又、わたしとそこにいた彼らと何の関係があるの、と言われる方もおられるでしょう。しかし、それは単に物理的時間的な問題ではありません。私たちが世にある限り罪の力は働き続けているのです。信仰告白をしてバプテスマを受けたとはいえ、私たちには世にある限り罪の力が働き続け、主イエスの愛と信仰から引き離し、滅びへといざなうサタンと罪の力は働き続けています。
そういう中で、努めて日々心新たに、イエスさまが私たちと共に生きてくださるために負われた十字架の苦難と死の計り難い重たさをしっかりと心に留め、その御心に聞き従っていく日々の歩みが必要なのであります。イエスさまが御神に相対してゆかれたように、私たちも又、御神の御心を示す主イエスに相対して、祈り、御後に従って生きる者とされてまいりましょう。

さて、本日のイエスさまが十字架で最期を遂げられた時に、もう一つ記述されているのは、それを遠くから見守っていた人々の中に、「マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた」ということです。このような最期まで従い続けてきた女性たちがいたということです。これらの女性たちは、表舞台にではなくイエスさまとその一行の身のまわりや食事の世話をしてきたのでありますが。弟子たちが逃げて行く中で、この女性たちはひときわ存在感があります。それは、イエスさまの埋葬と復活の場面においても彼女たちの働きが坦々と描写されています。彼女たちは特別目立つような働きをしたわけではなく、ただ主イエスとその教えに喜びを見出し、感謝と愛をもって何も見返りを求めず自分のできることを続けていたのだろうと思います。そして、日々主イエスに仕え、従ってきた彼女らは、弟子たちに先駆けて復活の主とお会いすることとなります。その後、主を信じる者が増し加えられていく折にも、彼女たちは坦々と喜びと愛をもって仕える中で、初代教会の礎となっていったに違いありません。
 現代の教会においても、信仰においても、こうした女性の存在が大変大きいということは、言うまでもなく皆さまご承知のとおりでありましょう。

最後に、本日の十字架のイエスさまの最期の場面から、際立て見えてきますのは、「イエスが神の子だった」と証言したのが、自分たちこそ神に選ばれた民だと自負し、律法を厳守することで救われていると自任していたユダヤ人たちではなく、神の救いから除外されていると見なされていた異邦人の百人隊長であったという事であります。
そこには、キリスト(メシヤ)はもはやユダヤの王に留まらず、世界の王、救い主キリストであることが表明されているのです。島々はその救いを待ち望む。今やその救いは私たちのもとにももたらされたわけでありますが。
又、本日の箇所には姿を現わさず、それぞれどこかに身を隠していた弟子たちでありますが。彼らは、誰が主の右や左に座れるのかとか、誰が偉いのかなどと盛んに議論していたのですが。いわば最も大事な時といいますか、肝心なイエスさまの十字架の苦難を彼らは見届けることができませんでした。しかし、その彼らもその後、主イエスの復活と聖霊降臨の出来事を経験することによって、真に神の子イエスを信じる新しい歩みが始まっていくのでありますが。その時には、主イエスと過ごした日々とそのお姿、お言葉の数々をいつも思い起こしながら、主の救いを一日一日伝えるために奮闘したことでしょう。

今日のこの個所から教えられますことは、私たち主イエスを信じて救いの道を歩む者にとって、この一日一日は主イエスが十字架で苦難の末から勝ち取ってくださった恵みの日々であり、そのかけがえのない日々を、絶えざる祈り、聖霊のお働きと聖書の言葉の導きをいただきつつ、主イエスの御後に従って行くそういった歩みの積み重ねが、今のわたし、これからのわたしを形づくっていく、ということです。
十字架のイエスさまの最期の姿は、たとえ多くの人には躓きであっても、信じる私たちにはどんなに大きな魂の拠り所、又、生きる力となるでしょう。受難週であるこの一週間、あの百人隊長のように、主イエスと出会い、主告白が起こされていく方が、世界中で見出されていきますことを祈りながら、来週のイースターに備えましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イースター(復活祭)は教会で

2014-04-10 09:51:58 | 教会案内
イースター礼拝のご案内

日時;4月20日(日)午前10時30分~12時


イースターはクリスマスと並ぶキリスト教会の大きな祝祭です。
主イエスのご復活を祝い、礼拝をささげます。

礼拝プログラムは、讃美歌、祈り、聖歌隊、聖書のお話、献金などあります。
(献金は自由献金です)

初めての方でも、お気軽にご来会ください。
みなさまのご来会をお待ちしています。

教会所在地はブログ又、ホームページをご参照ください。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イエスの福音に見出されて

2014-04-06 13:22:42 | メッセージ
礼拝宣教 マルコ1章9~14節 

①「霊によって生まれた神の子イエス」
このマルコの福音書には、マタイやルカの福音書に記されているような「イエスの降誕物語」の記事はありません。しかしここに、「主イエスがバプテスマを受けられ、水の中から上ってくるとすぐ、天が裂けて霊が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」とありますように、マルコはマタイやルカの福音書と同様、イエスさまが神の愛してやまない独り子としてお生まれになられた、ということを明確に物語っているのであります。
主イエスは、バプテスマのヨハネからヨルダン川でバプテスマをお受けになった、とありますが。それは4節にあるとおり、罪の赦しを得させるための悔改めのバプテスマでした。イエスさまが神の子であり罪なきお方であるなら、なぜヨハネからそのような罪の悔改めのバプテスマを受けなければならなかったのか、と疑問を持たれる方もおられるでしょう。マタイやルカ、さらにヨハネの福音書では、神の子が私たちの人間の肉体をとってこの地上にお生まれくださったこと、神の子イエスさまが肉をとって私たちの間に宿られたということが語られていますが。このマルコではイエスさまがヨハネからバプテスマを受けられたエピソードを通して、まさに主イエスが私たち人間の姿をとってどこまでも罪深い人間と共に生きてくださる方であることを表しているのです。
ちなみに、イエスさまがバプテスマを受けられたヨルダン川は、ガリラヤ湖の北側にあると言われており、その地帯の海抜はマイナス200メートルもの低地にあるそうです。
ついでにさらに南下して死海に至りますとその海抜はマイナス400メートルにまで達するまさにどん底に位置するのでありますが。死海の水はこのままでは近い将来涸れるそうで、パレスチナ諸国間で何とかその水を涸らせないために協力がなされているとの報道を知り驚いていますが。
いずれにしろ、まあイエスさまがヨハネから受けたバプテスマは、そういう最も低いところにまで身をおかれての沈めのバプテスマであったということであります。
私は本田哲朗神父とお会いすると、その度ごとに、「バプテストは、最も低いところに身をおいてその沈めのバプテスマということを大事にされている」と、よく言われた事を思い出すのですが。神の御子でありながら人の子としてお生まれになられたイエスさまは、貧しさも病も、人の弱さも痛みをもって体験なさり、来週は受難週を迎えますが、そのイエスさまは十字架の処刑場に引き渡され、蔑みと嘲りの中、人の闇の底にまでも下られるようにして死なれたのです。イエスさまのバプテスマは、そのように人の闇の底にまでも身をおいて、共に生きようとなさる、主イエスの決意の表明であったのであります。

②「霊が荒れ野に送り出す」
さて、その後イエスさまは、「荒れ野でサタンの誘惑をお受けになられる」のでありますが。ここには、荒れ野にイエスさまを送り出したのは誘惑するサタンでなく、イエスさまのバプテスマの折に降った「霊」であった、と語られています。
私たちも時に、喜びも楽しみも見出せず、荒れ野のような状況におかれることもあるかもしれません。又、神の御心に敵対する勢力や存在の中にあって、孤独を強く感じることもあるかもしれません。けれども、イエスさまを導かれたのは神の霊の働きであったように、たとえそれが荒れ野とも思えるところであっても、そこに神の霊の導きと計画、御心があるということであります。
イエスさまにとってこの荒れ野の40日間というものは、その後ガリラヤから始まる宣教活動の試金石となるものでありました。
マタイやルカの福音書には、イエスさまの荒れ野での40日間における巧みなサタンの試みとそれへのイエスさまの対応についての詳細な報告がなされていますが。このマルコの福音書には、「イエスさまは40日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた、その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」と、淡々と報告がなされるのみです。そして何より大きく違うのは、サタンの誘惑に勝利されたという記事がマルコにはないということです。そこには、この後も絶えずサタンの誘惑があり、神の御心が成ることを妨げようとする力が働いていたことを示唆しているように読めます。マルコにとってイエスさまの勝利は神の御心に聞き従って、十字架の苦難と死を通る以外の何ものでもなかったのです。
さて、荒れ野といえば、シナイ半島やパレスチナを思えば確かに何もない、自然の環境も厳しく危険な場所、又、人けのない寂しいところということができるでしょう。          しかしどうでしょうか、今日に時代においても、たとえば財や物資があり栄えている人であったとしても、何か心の中に満たされない思いや恐れや不安を抱えて日々生きている人がいます。又、聖書教育の資料コラムに、「私の人生論ノート」の著者である哲学者の三木清さんの言葉が次のように引用されていました。「孤独は山にはなく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の間にある。」
そのような状態も現代の荒れ野ということができるでしょう。そういうところにサタンは巧妙に働いて人を神の御心とその愛から引き離し、背きと滅びへ向かわせようと誘うのであります。
イエスさまは、私たちが現代の荒れ野でも経験するような孤独、飢えや渇き、無力の中でさまざまなサタンの誘惑を受けつつも、神の御心に聞き従ってゆかれました。そこには「天使たちが仕えていた」とあります。荒れ野は、孤独や苦悩、不安や恐れを与えるような場でありますが、しかし神の霊に導かれる者にとっては、天使たちが仕えるところ、すなわち祈りと執り成しと献身がなされ、養われる場でもあるのです。

③「ガリラヤでの宣教開始」
さて、このように霊の導きのもとで荒れ野に送りだされてサタンの誘惑を受けられたイエスさまは、いよいよ14節以降、福音宣教の活動をガリラヤの地で開始されるのでありますが。9節に、イエスさまはバプテスマを受けられるために、「ガリラヤのナザレから来た」と記されています。
マルコの福音書においては、イエスさまが「ガリラヤ」から出た者であるということが強調されているのです。霊によってお生まれになられた神の子イエスさまは、ガリラヤから出た。マタイやルカの福音書のように「ユダヤのベツレヘム生まれの、ダビデの系図をもった人」とは紹介せず、ガリラヤの人と紹介しているのです。
イエスさまの時代のガリラヤは、都のあったエルサレムと常に比較され、神なき異邦人のガリラヤ、田舎者や外国人の住むガリラヤ、とユダヤの社会からは蔑み見下されていました。しかし、イエスさまの福音宣教はガリラヤから始まっていったのであります。それはまさに、神殿のあったエルサレムのユダヤ人たちよりも、ガリラヤには神の御救いを求める人々の叫びや訴え、神の助けと救いを切実求める人々が大勢いたからではないでしょうか。権力や圧政のもとでの虐げや苦しめに遭っていた人々がガリラヤにはいたからです。そのようなところから、イエスさまの福音宣教の活動は始められます。主だったユダヤの人々は、「ガリラヤから何のよいものが出ようか」と言い嘲笑っていました。けれども神の恵みは最も救いを必要とする人たちの間で始められたのです。聖書は、それがイエスさまにバプテスマを授けたヨハネが捕えられた直後から、開始されたと伝えています。
イエスさまのガリラヤから始められた福音宣教もまた苦難と試みが伴うものであり、そこには既に十字架への道が暗示されているようでもあります。


④「神の国に入る福音」
イエスさまは神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔改めて福音を信じなさい」と言われました。ここにイエスさまの最も伝えたい思いがあらわれています。
イエスさまの時代、ユダヤ人たちはやがて王なるメシヤが到来し、世の終わりが来て、最後の審判がなされる。その時、神に選ばれたアブラハムの子孫である自分たちは神の永遠の祝福に入れられ、イスラエルの民でない異邦人は、永遠の滅びにと苦しみに入ると、信じていました。それがいわゆる彼らの天国観であったのです。
これに対して、バプテスマのヨハネは、最後の審判の日がいますぐ到来する、審判者であるメシヤはすでにそばにきている、悔い改めてその備えをしなさい、といって罪の悔い改めのバプテススマを宣べ伝えたのです。それは単に神に選ばれたユダヤ人、アブラハムの子孫であるということだけで救われるのではなく、心からその罪を悔改めて、神に立ち帰って生きる道こそ大事だ、ということを説いたのであります。
しかし、この人間の側の悔改めをいくらなしても、なお神の国は人の罪のゆえに遠く隔てられていました。ただ一度清めのバプテスマを受けたところで、そのまま生涯罪を犯さずに生きられる人などいないのです。

バプテスマのヨハネは、「わたしは水であなたがたにバプテスマを授けたが、その方(イエスさま)は聖霊でバプテスマをお授けになる」と言いました。決してつきることのない「生ける神の霊、聖霊でバプテスマを施される神の子イエスさまが、わたしの後にお出でになる」と、ヨハネは説いたのであります。
イエスさまはおっしゃいました。「時は満ち、神の国は近づいた。」
それは、定められた神による救いの時が今成就した、遠く隔てられていた神の国が今や近づいた、という意味です。「悔い改めて福音を信じなさい。」ここで言う「信じる」とは、神と御子イエスに全幅の信頼を持つことです。

イエスさまが宣教された神の国は、福音を信じて入いるところであります。私たち人間の姿をとってお生まれになり、地上の荒れ野において私たち人間が経験するあらゆる苦悩、痛み、不安や恐れ、サタンの誘惑を受けられ、十字架の低みから愛し執り成し続けて下さる主イエスに全幅の信頼を持つ、今、そこに天の国は開かれているのであります。
ここで「悔改めて」といわれているのは、罪への悔改め、後悔のことではありません。イエスさまのみ救いと聖霊の導きを受け入れて、そのイエスさまの方に自分の生きる方向を変えて生きよ、という救いの招き以外の何ものでもないのであります。それは私の側がどうこういうのではなく、イエスさまとその福音に見出されて生きるという事であります。
今、御自分の進む道を求めておられる方もここにおられると思いますが。どうか、このイエスさまにご自分の道をゆだね、イエスさまと共に歩み続ける。ここに救いがあるのです。その信仰が与えられますよう、お祈りいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする