宣教 ヨシュア記20:1-9
以前沖縄に駐留する軍属が帰宅途中、自動車で日本人をはねて死亡させたにも拘わらず、米国は軍事法廷にかけず、日本で裁判が開かれなったという事件がありました。先日、日米地位協定の見直しによって日本で裁判ができるようになったというニュースがあり、ご遺族にとっては初めて法廷で事実が明らかにされる機会が訪れたたわけです。当たり前のことですが。そうでないおかしさと、如何に沖縄の人たちの人権が軽んじられているのかを、またも知らされました。
女性連合ではその働きの一環として、「命(ぬち)どう宝の日」など、「沖縄の方々の痛みを共有し、平和を祈る時」が設けられているようですが、関心を寄せていきたいものです。
この「逃れの町」の制定については、民数記35章のところにあるように、民がカナンに入る前に主がすでにモーセに命じられていたものです。この時はヨルダン川の東部の3つの町を「逃れの町」にしなさいというものでありました。その後、イスラエルの民がヨルダン川を渡りカナンの地に入りますと、新指導者ヨシュアのもとヨルダン川の西部の3つの町が「逃れの町」として加えられます。計6つのそれらの町は、逃れられる距離として、カナンの地のどこからでもあまり遠くない、一日で辿りつくことができる距離の町であったということです。
逃れの町がつくられた理由と目的については、申命記19章のところに詳しく述べられていますが。逃れの町とは、過って人の命を殺めてしまった者が、復讐する者から逃れるための緊急避難の制度でした。たとえば、「隣人と柴刈りに森の中に入り、木を切ろうと斧を手にして振り上げたとき、柄から斧の頭が抜けて隣人に当たり、死なせたような場合、復讐する者が激昂して人を殺した者を追跡し、道のりが遠すぎるために、追いついて彼を殺すことがあってはならない。その人は、積年の恨みによって殺したのではないから、殺される理由はない」と記されています。
当時は、愛する人や家族が殺された場合、近親者はその血に対する報復の権利が正統的に認められていたのであります。古代近東の慣習では、殺された人の一番近い親族が復讐する者となって、殺害者の命を要求する権利があったのです。古代近東の法は、人を殺した者は死刑に処せられることが規定されていました。出エジプト記21章12節にも「人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる」と記されてあります。
しかしその13節に、「ただし、故意にではなく、偶然、彼の手に神が渡された場合は、わたしはあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる」と、本日のヨシュア記20章と同じ人道上の規定が記されています。
人の命を殺めた者は、その命をもって償わなければならないとされた時代でした。
日本においても時代劇などで「江戸の敵は長崎で」などと、仇討ものの場面がよく放映されたり、12月といえば「忠臣蔵の討ち入り」が放映され、相変わらずの高視聴率であります。今は死刑制度そのものについての是非が世界各国で問い直されていますが。今後も多いに主イエスのみ言葉に拠り所として考えていきたいものです。
さて、本日の個所は、人の命を殺めた者は、自分の命でもって償わなければならないとされていた時代に、意図的にではなく偶発的に人の命を殺めた場合に限定されるとはいえ、殺害者が保護されるという制度がイスラエルの法として「制度化」されたということは、画期的なことであったといえましょう。「逃れの町」がつくられた理由については、申命記19章10節にあるように「主が与えられた嗣業の土地に罪なき者の血が流され、その責任が及ぶことがないようにするためのもの」であった。つまり、意図的ではない、そのような事がらについて生じる無謀な流血や復讐の連鎖を断ち切るためであった、ということでしょう。ここに逃れの町がつくられた理由といいますか、目的があったのではないでしょうか。そこに私ども人間に対する神の愛のまなざし、慈愛が現されているように思います。
4節以降を読みますと。逃れの町に逃げ込む場合について、「その人は町の門の入り口に立ち、その町の長老たちの聞いている前でその訳を申し立てねばならない。彼らが彼を町に受け入れるなら、彼は場所を与えられ、共に住むことが許される。たとえ血の復讐をする者が追って来ても、殺害者を引き渡してはならない」と命じられています。
まず、人の命を殺めた人は、それが過失であれば自分の身についての訳を申し立て、きちんと公の場に出て証言することが求められたのです。次に、町の長老たちは、殺害者の申し立てを聞いて、町に受け入れるかどうかの判断をいたします。彼が隣人を殺したのは意図的なものではなく、以前からの恨みによるものでなかった、という判断をしたら、彼を町に受け入れ、場所を与え、共に住む者として認めます。そうなると、「たとえ血の復讐をする者が追って来ても」その町の長老はじめ人々は、断じて彼を引き渡すようなことはしない、という事であります。
私はこの殺害者と町の長老たちが、神のみ言葉を中心におきながら、真剣に向き合っていくプロセスといいますか、過程がすごく重要だと思いました。ここのところをいい加減にしてしまうと、この逃れの町の制度そのものの本質的な意味あいが損なわれ、反って害を及しかねないでしょう。その制度が悪用され、故意に人を殺して逃れる町になること、又その救済の恵みが安価なものになることを決して神は望んでおられないからです。
この逃れの町は、過失で人の命を殺めた者と町の長老たちとが、相互に真剣に向き合い、真実を明らかにし、主に赦しを乞い、祈る過程・プロセスを経てはじめて、一人の罪人が受け入れられていくのです。そうして彼を神の前に受け入れた町の長老をはじめ、人々は彼を引き渡せと復讐する者が追って来ても、決して引き渡すようなことはしなかったでしょう。
今日のこの「逃れの町」についての記述を読みながら思い浮かんできますのは、詩編32編7節の「あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもってわたしを囲んで下さる方」というみ言葉であります。
新約の主イエス・キリストが十字架につけられた時、イエスさまを裏切り見捨てた弟子たちや、手をくだしたローマ人は、「自分がイエスさまを十字架につけて殺した」と、その罪を自覚したことでしょう。ルカによる福音書には、十字架につけろ、と叫んだ群衆も、その死の様を目の当たりにして胸を打ちながら帰っていったとあります。
けれども、それから2000年を経た時代に生きる私たちはどうでしょうか。世間でイエスさまを十字架につけて殺したなどと言えば、もの笑いになったり、馬鹿にされるだけでしょう。が、しかし聖書は、「あなたが気づかなくとも、知ろうとしなくても、確かに神の子・イエス・キリストを十字架につけて殺した罪過がある。その罪はあなたの中に今も働いている」と語ります。
聖書は「すべての人間は、意識する、せざるに関わらず、又どのような人も、みな罪人である」と語ります。それはこの世の法的な意味で犯罪を犯したとか、道徳的に反する事をしたとか、そういった問題ではないのです。すべての人間はその根底のところで、神に逆らって生きている存在である、ということであります。それを聖書は罪というのです。ですから、2000年前に神のみ子イエス・キリストを十字架にはりつけ殺した罪、それは現代を生きる私たちのうちにも脈々と今も働いているのです。そのことを心の底から認めるところから生き方が変わります。罪の呪いの十字架が、救いの贖いの業に変わるのです。その救いのもと、犯し続けている罪を日々悔い改め、主の御ゆるしを乞い求めて生きる。そこに罪を告白したクリスチャンの生き方があります。その過程・プロセスを経て初めて「真の避けどころとなられる神」の救いに与ることができるのです。私ども逃れの町、それは「贖いの主、イエス・キリスト」なのです。
最後に「逃れの町」は、9節を読みますと、イスラエルの人々のためだけでなく、彼らのもとに寄留する者のためにも設けられた町であるとあります。これはこの旧約の時代のものとしては画期的な事であったでしょう。イスラエルだけでなく、そこに寄留するすべての人々の「いのち」と「正しい裁きを受ける権利」が保証されていたということです。これはまさに、新約における主の救いの先取りとして読むことができます。
使徒パウロはローマ3・29で「神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります」。さらに10章12節で「ユダヤ人とギリシャ人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人に豊かにお恵みになるからです。「主の名を呼び求める者はだれでも救われるのです」と言っています。このように私たちの信じる主なる神さまは、全世界の主であり、すべての人々の「いのち」の源であられ、すべての人々を「救い」、さらにすべての人々を正しくお審きになるお方であります。
主なる神はこの旧約の時代から、罪のない者の血が流されないようにしなさいとイスラエルだけでなく、外国人に対しても命じます。私どもは何よりも「無実の神の子イエス・キリスト」が罪ある人間のために血を流し、殺されたその罪の重みを知っています。このイエス・キリストによってもたらされた真の和解の福音を、到るところに告げ広めていく者とされていきたいと願います。
以前沖縄に駐留する軍属が帰宅途中、自動車で日本人をはねて死亡させたにも拘わらず、米国は軍事法廷にかけず、日本で裁判が開かれなったという事件がありました。先日、日米地位協定の見直しによって日本で裁判ができるようになったというニュースがあり、ご遺族にとっては初めて法廷で事実が明らかにされる機会が訪れたたわけです。当たり前のことですが。そうでないおかしさと、如何に沖縄の人たちの人権が軽んじられているのかを、またも知らされました。
女性連合ではその働きの一環として、「命(ぬち)どう宝の日」など、「沖縄の方々の痛みを共有し、平和を祈る時」が設けられているようですが、関心を寄せていきたいものです。
この「逃れの町」の制定については、民数記35章のところにあるように、民がカナンに入る前に主がすでにモーセに命じられていたものです。この時はヨルダン川の東部の3つの町を「逃れの町」にしなさいというものでありました。その後、イスラエルの民がヨルダン川を渡りカナンの地に入りますと、新指導者ヨシュアのもとヨルダン川の西部の3つの町が「逃れの町」として加えられます。計6つのそれらの町は、逃れられる距離として、カナンの地のどこからでもあまり遠くない、一日で辿りつくことができる距離の町であったということです。
逃れの町がつくられた理由と目的については、申命記19章のところに詳しく述べられていますが。逃れの町とは、過って人の命を殺めてしまった者が、復讐する者から逃れるための緊急避難の制度でした。たとえば、「隣人と柴刈りに森の中に入り、木を切ろうと斧を手にして振り上げたとき、柄から斧の頭が抜けて隣人に当たり、死なせたような場合、復讐する者が激昂して人を殺した者を追跡し、道のりが遠すぎるために、追いついて彼を殺すことがあってはならない。その人は、積年の恨みによって殺したのではないから、殺される理由はない」と記されています。
当時は、愛する人や家族が殺された場合、近親者はその血に対する報復の権利が正統的に認められていたのであります。古代近東の慣習では、殺された人の一番近い親族が復讐する者となって、殺害者の命を要求する権利があったのです。古代近東の法は、人を殺した者は死刑に処せられることが規定されていました。出エジプト記21章12節にも「人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる」と記されてあります。
しかしその13節に、「ただし、故意にではなく、偶然、彼の手に神が渡された場合は、わたしはあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる」と、本日のヨシュア記20章と同じ人道上の規定が記されています。
人の命を殺めた者は、その命をもって償わなければならないとされた時代でした。
日本においても時代劇などで「江戸の敵は長崎で」などと、仇討ものの場面がよく放映されたり、12月といえば「忠臣蔵の討ち入り」が放映され、相変わらずの高視聴率であります。今は死刑制度そのものについての是非が世界各国で問い直されていますが。今後も多いに主イエスのみ言葉に拠り所として考えていきたいものです。
さて、本日の個所は、人の命を殺めた者は、自分の命でもって償わなければならないとされていた時代に、意図的にではなく偶発的に人の命を殺めた場合に限定されるとはいえ、殺害者が保護されるという制度がイスラエルの法として「制度化」されたということは、画期的なことであったといえましょう。「逃れの町」がつくられた理由については、申命記19章10節にあるように「主が与えられた嗣業の土地に罪なき者の血が流され、その責任が及ぶことがないようにするためのもの」であった。つまり、意図的ではない、そのような事がらについて生じる無謀な流血や復讐の連鎖を断ち切るためであった、ということでしょう。ここに逃れの町がつくられた理由といいますか、目的があったのではないでしょうか。そこに私ども人間に対する神の愛のまなざし、慈愛が現されているように思います。
4節以降を読みますと。逃れの町に逃げ込む場合について、「その人は町の門の入り口に立ち、その町の長老たちの聞いている前でその訳を申し立てねばならない。彼らが彼を町に受け入れるなら、彼は場所を与えられ、共に住むことが許される。たとえ血の復讐をする者が追って来ても、殺害者を引き渡してはならない」と命じられています。
まず、人の命を殺めた人は、それが過失であれば自分の身についての訳を申し立て、きちんと公の場に出て証言することが求められたのです。次に、町の長老たちは、殺害者の申し立てを聞いて、町に受け入れるかどうかの判断をいたします。彼が隣人を殺したのは意図的なものではなく、以前からの恨みによるものでなかった、という判断をしたら、彼を町に受け入れ、場所を与え、共に住む者として認めます。そうなると、「たとえ血の復讐をする者が追って来ても」その町の長老はじめ人々は、断じて彼を引き渡すようなことはしない、という事であります。
私はこの殺害者と町の長老たちが、神のみ言葉を中心におきながら、真剣に向き合っていくプロセスといいますか、過程がすごく重要だと思いました。ここのところをいい加減にしてしまうと、この逃れの町の制度そのものの本質的な意味あいが損なわれ、反って害を及しかねないでしょう。その制度が悪用され、故意に人を殺して逃れる町になること、又その救済の恵みが安価なものになることを決して神は望んでおられないからです。
この逃れの町は、過失で人の命を殺めた者と町の長老たちとが、相互に真剣に向き合い、真実を明らかにし、主に赦しを乞い、祈る過程・プロセスを経てはじめて、一人の罪人が受け入れられていくのです。そうして彼を神の前に受け入れた町の長老をはじめ、人々は彼を引き渡せと復讐する者が追って来ても、決して引き渡すようなことはしなかったでしょう。
今日のこの「逃れの町」についての記述を読みながら思い浮かんできますのは、詩編32編7節の「あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもってわたしを囲んで下さる方」というみ言葉であります。
新約の主イエス・キリストが十字架につけられた時、イエスさまを裏切り見捨てた弟子たちや、手をくだしたローマ人は、「自分がイエスさまを十字架につけて殺した」と、その罪を自覚したことでしょう。ルカによる福音書には、十字架につけろ、と叫んだ群衆も、その死の様を目の当たりにして胸を打ちながら帰っていったとあります。
けれども、それから2000年を経た時代に生きる私たちはどうでしょうか。世間でイエスさまを十字架につけて殺したなどと言えば、もの笑いになったり、馬鹿にされるだけでしょう。が、しかし聖書は、「あなたが気づかなくとも、知ろうとしなくても、確かに神の子・イエス・キリストを十字架につけて殺した罪過がある。その罪はあなたの中に今も働いている」と語ります。
聖書は「すべての人間は、意識する、せざるに関わらず、又どのような人も、みな罪人である」と語ります。それはこの世の法的な意味で犯罪を犯したとか、道徳的に反する事をしたとか、そういった問題ではないのです。すべての人間はその根底のところで、神に逆らって生きている存在である、ということであります。それを聖書は罪というのです。ですから、2000年前に神のみ子イエス・キリストを十字架にはりつけ殺した罪、それは現代を生きる私たちのうちにも脈々と今も働いているのです。そのことを心の底から認めるところから生き方が変わります。罪の呪いの十字架が、救いの贖いの業に変わるのです。その救いのもと、犯し続けている罪を日々悔い改め、主の御ゆるしを乞い求めて生きる。そこに罪を告白したクリスチャンの生き方があります。その過程・プロセスを経て初めて「真の避けどころとなられる神」の救いに与ることができるのです。私ども逃れの町、それは「贖いの主、イエス・キリスト」なのです。
最後に「逃れの町」は、9節を読みますと、イスラエルの人々のためだけでなく、彼らのもとに寄留する者のためにも設けられた町であるとあります。これはこの旧約の時代のものとしては画期的な事であったでしょう。イスラエルだけでなく、そこに寄留するすべての人々の「いのち」と「正しい裁きを受ける権利」が保証されていたということです。これはまさに、新約における主の救いの先取りとして読むことができます。
使徒パウロはローマ3・29で「神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります」。さらに10章12節で「ユダヤ人とギリシャ人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人に豊かにお恵みになるからです。「主の名を呼び求める者はだれでも救われるのです」と言っています。このように私たちの信じる主なる神さまは、全世界の主であり、すべての人々の「いのち」の源であられ、すべての人々を「救い」、さらにすべての人々を正しくお審きになるお方であります。
主なる神はこの旧約の時代から、罪のない者の血が流されないようにしなさいとイスラエルだけでなく、外国人に対しても命じます。私どもは何よりも「無実の神の子イエス・キリスト」が罪ある人間のために血を流し、殺されたその罪の重みを知っています。このイエス・キリストによってもたらされた真の和解の福音を、到るところに告げ広めていく者とされていきたいと願います。