日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

逃れの町

2011-11-27 18:44:06 | メッセージ
宣教 ヨシュア記20:1-9

以前沖縄に駐留する軍属が帰宅途中、自動車で日本人をはねて死亡させたにも拘わらず、米国は軍事法廷にかけず、日本で裁判が開かれなったという事件がありました。先日、日米地位協定の見直しによって日本で裁判ができるようになったというニュースがあり、ご遺族にとっては初めて法廷で事実が明らかにされる機会が訪れたたわけです。当たり前のことですが。そうでないおかしさと、如何に沖縄の人たちの人権が軽んじられているのかを、またも知らされました。
女性連合ではその働きの一環として、「命(ぬち)どう宝の日」など、「沖縄の方々の痛みを共有し、平和を祈る時」が設けられているようですが、関心を寄せていきたいものです。

この「逃れの町」の制定については、民数記35章のところにあるように、民がカナンに入る前に主がすでにモーセに命じられていたものです。この時はヨルダン川の東部の3つの町を「逃れの町」にしなさいというものでありました。その後、イスラエルの民がヨルダン川を渡りカナンの地に入りますと、新指導者ヨシュアのもとヨルダン川の西部の3つの町が「逃れの町」として加えられます。計6つのそれらの町は、逃れられる距離として、カナンの地のどこからでもあまり遠くない、一日で辿りつくことができる距離の町であったということです。
逃れの町がつくられた理由と目的については、申命記19章のところに詳しく述べられていますが。逃れの町とは、過って人の命を殺めてしまった者が、復讐する者から逃れるための緊急避難の制度でした。たとえば、「隣人と柴刈りに森の中に入り、木を切ろうと斧を手にして振り上げたとき、柄から斧の頭が抜けて隣人に当たり、死なせたような場合、復讐する者が激昂して人を殺した者を追跡し、道のりが遠すぎるために、追いついて彼を殺すことがあってはならない。その人は、積年の恨みによって殺したのではないから、殺される理由はない」と記されています。
当時は、愛する人や家族が殺された場合、近親者はその血に対する報復の権利が正統的に認められていたのであります。古代近東の慣習では、殺された人の一番近い親族が復讐する者となって、殺害者の命を要求する権利があったのです。古代近東の法は、人を殺した者は死刑に処せられることが規定されていました。出エジプト記21章12節にも「人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる」と記されてあります。
しかしその13節に、「ただし、故意にではなく、偶然、彼の手に神が渡された場合は、わたしはあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる」と、本日のヨシュア記20章と同じ人道上の規定が記されています。

人の命を殺めた者は、その命をもって償わなければならないとされた時代でした。
日本においても時代劇などで「江戸の敵は長崎で」などと、仇討ものの場面がよく放映されたり、12月といえば「忠臣蔵の討ち入り」が放映され、相変わらずの高視聴率であります。今は死刑制度そのものについての是非が世界各国で問い直されていますが。今後も多いに主イエスのみ言葉に拠り所として考えていきたいものです。
さて、本日の個所は、人の命を殺めた者は、自分の命でもって償わなければならないとされていた時代に、意図的にではなく偶発的に人の命を殺めた場合に限定されるとはいえ、殺害者が保護されるという制度がイスラエルの法として「制度化」されたということは、画期的なことであったといえましょう。「逃れの町」がつくられた理由については、申命記19章10節にあるように「主が与えられた嗣業の土地に罪なき者の血が流され、その責任が及ぶことがないようにするためのもの」であった。つまり、意図的ではない、そのような事がらについて生じる無謀な流血や復讐の連鎖を断ち切るためであった、ということでしょう。ここに逃れの町がつくられた理由といいますか、目的があったのではないでしょうか。そこに私ども人間に対する神の愛のまなざし、慈愛が現されているように思います。

4節以降を読みますと。逃れの町に逃げ込む場合について、「その人は町の門の入り口に立ち、その町の長老たちの聞いている前でその訳を申し立てねばならない。彼らが彼を町に受け入れるなら、彼は場所を与えられ、共に住むことが許される。たとえ血の復讐をする者が追って来ても、殺害者を引き渡してはならない」と命じられています。

まず、人の命を殺めた人は、それが過失であれば自分の身についての訳を申し立て、きちんと公の場に出て証言することが求められたのです。次に、町の長老たちは、殺害者の申し立てを聞いて、町に受け入れるかどうかの判断をいたします。彼が隣人を殺したのは意図的なものではなく、以前からの恨みによるものでなかった、という判断をしたら、彼を町に受け入れ、場所を与え、共に住む者として認めます。そうなると、「たとえ血の復讐をする者が追って来ても」その町の長老はじめ人々は、断じて彼を引き渡すようなことはしない、という事であります。
私はこの殺害者と町の長老たちが、神のみ言葉を中心におきながら、真剣に向き合っていくプロセスといいますか、過程がすごく重要だと思いました。ここのところをいい加減にしてしまうと、この逃れの町の制度そのものの本質的な意味あいが損なわれ、反って害を及しかねないでしょう。その制度が悪用され、故意に人を殺して逃れる町になること、又その救済の恵みが安価なものになることを決して神は望んでおられないからです。

この逃れの町は、過失で人の命を殺めた者と町の長老たちとが、相互に真剣に向き合い、真実を明らかにし、主に赦しを乞い、祈る過程・プロセスを経てはじめて、一人の罪人が受け入れられていくのです。そうして彼を神の前に受け入れた町の長老をはじめ、人々は彼を引き渡せと復讐する者が追って来ても、決して引き渡すようなことはしなかったでしょう。
今日のこの「逃れの町」についての記述を読みながら思い浮かんできますのは、詩編32編7節の「あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもってわたしを囲んで下さる方」というみ言葉であります。
新約の主イエス・キリストが十字架につけられた時、イエスさまを裏切り見捨てた弟子たちや、手をくだしたローマ人は、「自分がイエスさまを十字架につけて殺した」と、その罪を自覚したことでしょう。ルカによる福音書には、十字架につけろ、と叫んだ群衆も、その死の様を目の当たりにして胸を打ちながら帰っていったとあります。
けれども、それから2000年を経た時代に生きる私たちはどうでしょうか。世間でイエスさまを十字架につけて殺したなどと言えば、もの笑いになったり、馬鹿にされるだけでしょう。が、しかし聖書は、「あなたが気づかなくとも、知ろうとしなくても、確かに神の子・イエス・キリストを十字架につけて殺した罪過がある。その罪はあなたの中に今も働いている」と語ります。
聖書は「すべての人間は、意識する、せざるに関わらず、又どのような人も、みな罪人である」と語ります。それはこの世の法的な意味で犯罪を犯したとか、道徳的に反する事をしたとか、そういった問題ではないのです。すべての人間はその根底のところで、神に逆らって生きている存在である、ということであります。それを聖書は罪というのです。ですから、2000年前に神のみ子イエス・キリストを十字架にはりつけ殺した罪、それは現代を生きる私たちのうちにも脈々と今も働いているのです。そのことを心の底から認めるところから生き方が変わります。罪の呪いの十字架が、救いの贖いの業に変わるのです。その救いのもと、犯し続けている罪を日々悔い改め、主の御ゆるしを乞い求めて生きる。そこに罪を告白したクリスチャンの生き方があります。その過程・プロセスを経て初めて「真の避けどころとなられる神」の救いに与ることができるのです。私ども逃れの町、それは「贖いの主、イエス・キリスト」なのです。

最後に「逃れの町」は、9節を読みますと、イスラエルの人々のためだけでなく、彼らのもとに寄留する者のためにも設けられた町であるとあります。これはこの旧約の時代のものとしては画期的な事であったでしょう。イスラエルだけでなく、そこに寄留するすべての人々の「いのち」と「正しい裁きを受ける権利」が保証されていたということです。これはまさに、新約における主の救いの先取りとして読むことができます。
使徒パウロはローマ3・29で「神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります」。さらに10章12節で「ユダヤ人とギリシャ人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人に豊かにお恵みになるからです。「主の名を呼び求める者はだれでも救われるのです」と言っています。このように私たちの信じる主なる神さまは、全世界の主であり、すべての人々の「いのち」の源であられ、すべての人々を「救い」、さらにすべての人々を正しくお審きになるお方であります。

主なる神はこの旧約の時代から、罪のない者の血が流されないようにしなさいとイスラエルだけでなく、外国人に対しても命じます。私どもは何よりも「無実の神の子イエス・キリスト」が罪ある人間のために血を流し、殺されたその罪の重みを知っています。このイエス・キリストによってもたらされた真の和解の福音を、到るところに告げ広めていく者とされていきたいと願います。
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エリコの町の周りを回りなさい

2011-11-20 17:57:56 | メッセージ
宣教 ヨシュア記6:1-21

近年の考古学の調査によりますと、このエリコの起源はヨシュアの時代よりずっと遥か昔であり、その時代から分厚い石造の城壁で囲まれ、それほど大きな町ではなかったのですが、驚くほど高度な文化的発展を遂げて来たといわれます。エリコの城壁が堅固で高かったのは海面下250mという低地であったことから、外部からの侵入を防ぎ防御する必要があったからでしょう。

先週はヨシュア記4章のろころで、モーセから引き継がれた新しい指導者ヨシュアとイスラエルの人々が、神の箱、それは石の板に書かれたみ言葉の納められた箱に導かれながらヨルダン川を渡りカナンの地に歴史的一歩を踏み入れるという記事を読みました。本日の個所もその神の箱(み言葉)が中心におかれる中でエリコに入っていく出来事となっています。
ヨシュアは2章のところで、エリコに2人の斥候(スパイ)をエリコに送り、予め周辺を探らせていました。その時今日の17節に登場する遊女ラハブが、この2人の斥候をエリコの兵士からかくまって助けます。彼女は「イスラエルの民と共に神がおられること、又神がこのエリコの町をすでにイスラエルのの民にお与えになったこと」を伝え聞いていました。そこで彼女は助けた斥候にイスラエルが攻め込む時、「彼女と親族らを助けてくれるように神のみ前で私に誓ってください」と約束させるのです。それで17節に彼女の名が出てくるわけですが。彼女は、主を畏れ、御心は必ず成ると信じた信仰によって救い出されるのです。新約聖書のマタイによる福音1章のイエス・キリストの系図に、このラハブの名が連ねられているのは驚きでありますが、その信仰のゆえにであったのでしょう。

さておき、イスラエルの民にとってエリコはカナン定着のためには確保したい大事な要の町であったわけです。しかし、エリコの城壁は外部からの攻撃に対して非常に堅固なものであり、城門はかたく閉ざされていました。

ここでまず、主はヨシュアに2節「見よ、わたしはエリコとその王の勇士たちをあなたの手に渡す」と約束されます。この先立つ主の約束がまず重要であります。ヨシュアはその主のみ約束に信頼することが求められます。

続けて主はヨシュアのなすべきことを命じます。
3節「あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい」。
ヨシュアは主の命じられたとおり、まず祭司たちを呼び集め、6節「契約の箱を担げ。七人は、各自雄羊の角笛を携えて主の箱を先導せよ」と命じ、次に民に向かって、7節「進め。町の周りを回れ。武装兵は主の箱の前を行け」と命じました。

七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携え、それを吹き鳴らしなら主の前を行き、主の契約の箱はその後を進みます。又、武装兵は、角笛を吹き鳴らす祭司たちの前衛として進み、また後衛として神の箱に従います。行進中、角笛は鳴り渡っていた、とあります。このような事が7日間に渡って繰り返されたのです。この記述からイスラエルの民はそれぞれにヨシュアの命じることを忠実になしたことがわかります。
又、ヨシュアは他の民に対しては、10節「わたしが鬨の声をあげよと命じる日までは、叫んではならない。声を聞かれないようにせよ。口から言葉を発してはならない。あなたたちは、その後で鬨の声をあげるのだ」と命じます。不思議に思えるのですが、これも実は主のご計画であり、7日目に行なうようにと命じられたのです。
六日間に亘って、イスラエルの民はエリコの町の周りを一周回ることを繰り返しましたが、
ヨシュアは、15節「七日目には朝早く、夜明けとともに起き、その町の周りを七度回った。町を七度回ったのはこの日だけであった。七度目に、角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に『鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ』」と命じます。
20節「角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した」とあります。

ここを読みますと、主のみ約束、すなわち「エリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す」とのみ約束のもと、それが実際に成就していく2つの過程(プロセス)が示されていることに気づきます。
一つは、イスラエルの民には六日間という備えの時と申しましょうか、ただ沈黙と信じ従うことに努める時が必要であったということです。「鬨の声をあげよと命じる日までは、叫んではならない。声を聞かれないようにせよ。口から言葉を発してはならない」とあります。己の思いで先走って行動することによって主のご計画が台なしにならないように釘をさしているのです。
この時はひたすら主の計画に信頼してエリコの町の周りを黙して回る時であったのです。
イスラエルの民は六日間淡々と言われたことを行います。何のためかわからないけれど、どんな意味があるのか、この事がどう戦いの勝利に結びつくのかわからないけれど、主にただ信頼することを自らに言い聞かせ、エリコの町を回ったのです。これはある意味、霊的訓練の時ということができましょう。
もう一つは、「鬨の声をあげる時」があるということです。
この七日目は先の六日間と明らかに違っていました。この日は六日間の集大成ともいえましょう。六日間エリコの町の周りをただ回るという積み重ねの中で、遂にこの七日目が訪れるのであります。イスラエルの民はこの日エリコの町の周りを集中的に七度回ります。事に当たるときに集中的になさねばならない時があります。そして七周目、それを終えた後、祭司の角笛が響き渡る中、ヨシュアは民に命じます。「鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた」。遂に鬨の声をあげる時が訪れるのです。
このように2つの時といいますか、ただ主に信頼して従う時。そして、集中して事を行い、信仰を持って成し遂げる時。そのようなプロセスを経て、主のみ約束が実現されるのです。
ここに七人の祭司、七日目、七周という七という聖書で言う完全数が三度も記されていますが、主のみ約束の完成が実現されるためには、しかるべき従う人たちと、それだけの備えの時を要し、普段の七倍くらいのパッション;情熱と気力をもって成し遂げてゆく信仰が必要とされた事が、象徴的に示されているように読めます。
大事なことは、主のみ約束はみ言葉に聞き従うことによって実現するということですが、それはまた「備えの時」と「行動(アクション)の時」があるということです。「すべてに時がある」というあの伝道の書3章のみ言葉にも通じます。備えの時と、行動の時。このことは私たちの信仰の旅路においても共通することであります。

さて、聖書教育では本日の個所、殊に21節「エリコの町にあるものはことごとく皆殺しにした」ことについて、ヨシュアの行きすぎた行為と指摘されています。今の私たちからすれば指導者や兵士だけを処罰すればそれでよいのではないかと読むこともできるでしょう。しかし、旧約聖書では宗教的な意味での破滅、絶滅について確かな規定、律法があり説かれていたのです。これを「聖絶」といいます。聖なる戦いによって勝利し残された敵やその町、財産はすべて主にささげられなければならなかたのです。これを怠り、勝手に自分たちのものとすることは偶像に身を汚したものとして、呪われ、処罰されたのです。17節にあるように「町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ」というそれが規定であったのです。ですから、これをヨシュアの行きすぎた行為として今日的視座から捉えるには無理があります。7章には、アカンの罪が指摘されています。これはアカンが滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取ったことをに対して、主がイスラエルの民全体に激しく憤られたとあるとおりです。
しかし、イエス・キリストの到来によって、預言者イザヤが語った、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」というキリストの福音が私たちのもとに今や実現しているのです。ですから、私どもはこのキリストの平和を造り出す者、実現する者として今、この時代を主イエスはどう捉え、何を願っておられるのか、ということをいつも思い巡らして祈り、行動していくことが大事であります。そういうことで、ヨシュアの態度を行きすぎと捉える聖書教育の読み方には異議といいますか、無理があると思います。
今日の個所から私が祈りのうちに示されましたことは、主のみ約束のもと、「エリコの町の周りを回りなさい」というみ言葉に示される信仰のチャレンジであります。イスラエルの民に与えられた信仰のチャレンジへと、今日私たちもまた招かれているということであります。

最後に、本日は子ども成長感謝を覚えての礼拝でもあります。私は思うのですが、赤ん坊には赤ん坊として大いに泣く時、がむしゃらに自己主張したり甘える時というものがあり、その時を着実に通過することで成長していきます。大人になってからもう赤ん坊や幼児のようにはなれません。赤ん坊、幼児、そして子ども、少年少女、青年と、それぞれに通過していくべき時というのがあるでしょう。そういう、それぞれの「時に適った体験」を与えられ、それを十分に満喫していくことができる人は幸せです。昨日この場で、連合の少年少女会が行われました。私は今だに少年少女会の顧問をさせて戴いているのですが。彼らに対しては、自分が少年少女の時のことを思い返しながら向き合うことをしています。私がその頃教会の関わり、交わりの場を通して得た経験は、その時に適って私によい成長を与えてくれるものでした。それは家庭や学校の勉強では得難い豊かな体験でした。そこに主が共におられ、いやしがあり、励ましがあり、よき仲間が与えられたのです。それで、私は大人の視線からでなく、自分が少年であった時の思いをもって、関わることにしています。幼子には幼子としての時、幼児には幼児の時、少年少女には少年少女の時があり、その時にしか体験できない事柄があります。その時に適った輝きが大事にされ、よい成長が与えられるように祈り、覚えていきたいものであります。もちろん、青年になっても、中年、高齢になりましても、それぞれの時に適った輝きがあり、また成長があります。聖書にございますように、「成長させて下さるのは神であります」。これまでの歩みに感謝しつつ、新たな命の力により、成長させてくださる主に信頼してまいりましょう。今の時を生かすためにも。今日は特に、主の時を意識しながら、子ども成長感謝、また収穫の恵みを感謝する時として、主に祈り、祝福をお祈りいたします。
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御言葉の生きた証し

2011-11-13 17:54:12 | メッセージ
宣教  ヨシュア記4:1-9

まず3章のところを見ますと、エリコの地を目前に、眼下に立ちふさがるヨルダン川の岸に立つイスラエルの民が、新しい指導者ヨシュアのもと、ヨルダン川を渡っていくという印象深い場面が記されています。
主はモーセからバトンタッチした新指導者ヨシュアに3章7~8節、「今日から、全イスラエルの見ている前であなたを大いなる者にする。そして、わたしがモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、すべての者に知らせる。あなたは、契約の箱を担ぐ祭司たちに、ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい」。さらに3章12節「今、イスラエルの各部族から十二人を選び出せ」とお命じになります。ヨシュアと民らがそのみ言葉を聞いて行なう時、まさに主のみ業が現わされ、眼下に道が開かれていくのであります。 
15~17節には「春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていたが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、川上から流れてくる水は、壁のように立った。民はエリコに向かって渡ることができた。主の契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川の真ん中の干上がった川床に立ち止まっているうちに、全イスラエルは干上がった川床を渡り、民はすべてヨルダン川を渡り終わった」とあります。春の刈り入れといえばその地では雨季でありますので、かなりの水かさも増し流れも速かったことでしょう。あいかしそのヨルダン川を越えなければカナンの地には入れません。けれどそこで、主の言葉に聞き従った時にヨルダン川の流れはせき止められ、すべてのイスラエルの民はそこを渡ることが出来たというのです。

わたしはここで、この祭司たちが担いだ契約の箱という言葉が目に留まりました。この契約の箱の中身は十戒が書き記された2枚の石の板が収められていたのです。つまり祭司たちは神の言葉、み言葉を担いでヨルダン川に足を踏み入れたということであります。まあ、日本の春の小川のように「さらさらゆくよ」と流れているところに足を踏み入れることは簡単なことでありますが、雨季で増水し、流れも速いところに足を踏み入れることはそうとうな勇気がいったことでありましょう。けれども、祭司たちが神の言葉、み言葉を担いで水の満ちる川の中に足を踏み入れた時、川上から流れてくる水はせき止められ、ヨルダン川の水は壁のように立ち、そこにイスラエルの人々が渡る道が拓かれたというのです。
現代に生きる私たちも、時には世の力や苦しみに押し流されそうになる時があるかも知れません。又、越えなければならない問題や課題に対して踏み出す一歩をためらうことがあるかも知れません。そんな時「み言葉に信頼し、それを担いで進みゆくとき」、神がその状況を造り変え、新しい道を拓いてくださる、ということであります。
さらに3章10節を見ますと、この川を渡ることについて主は「生ける神があなたたちの間におられて、カナン人、ヘト人、ヒビ人、ギルガジ人、アモリ人、エブス人をあなたたちの前から完全に追い払ってくださることは、次ぎのことで分かる」といっています。つまり、イスラエルの民が「主のみ業によってヨルダン川を渡ったという体験をする」ことで、後々の戦いにおいても「あの時の主が、生ける主がわたしたちの間におられる」という力と励ましを戴くことになるということです。主から恵みを戴いた時、み言葉を戴いた時はメモしておきましょう。その体験は後々の力や支えとなっていくでしょう。

さて、本日のところにですが。
主はヨシュアに「民の中から部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜宿営する場所に据えなさい」と命じました。ヨシュアは主のお言葉どおり、予め選んでいた12人を呼び寄せ、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を一つずつ肩に担いで来て、野営する場所に置くように指示します。イスラエルの人々もまたみ言葉に従い、ヨシュアの指示どおりに十二の石をヨルダン川の真ん中から拾い、それらを携えて行き、野営する場所に据えます。このようにこの4章でもみ言葉を聞いて行なうことが重要なキーワードとして繰り返されていますが、ここで注目したいのはイスラエルの12部族の代表はヨルダン川の真ん中から、主の言葉の生きた証しの石を拾い、野営する場所に携えたということであります。

少し話が飛びますが、今年も連盟総会において様々な議題が審議され、祈りと主の先立ちのもと採決が行われ採択されていきました。今年は特に3・11東日本大震災と東京電力福島原子力発電所の事故によって多くの貴い命が奪われました。そういう中、東北地方の諸教会からも代議員が出席され、大変励まされました。未曾有の大震災によって多くの人々の命が奪われていったことに対して、私たちは、そして何よりも被災地の方がたは、「神よ、どこにおられるのですか」「神よ、なぜですか」と叫びを発せずにいられない。その中で「私たちの神は一体どういうお方なのか?」「私たちは如何なる神を信じているのか?」という問いの前に、全国から出席した主にある同士それぞれが立たされました。
総会では被災地の教会から出席された方々より、お証しを伺う貴重な機会があったのですが。その方がたより、「私たちの神は被災地のただ中にあって今悲しむ者、苦しむ者、途方に暮れ、行き詰まっている者に寄り添いながら、共に苦闘し共にあゆんでおられるお方。主は生きておられる」という出来ごとをお証しされました。又、被災地であり、原発事故の恐怖と不安の中で立つ教会の牧師からお証しを戴きながら思わされましたのは、み言葉は暗闇のような中にあって逆に力強く輝きを放ってその闇を照らしている、という福音の真理であります。そういう被災地から逆に励ましを私は戴いて帰ってまいりました。関西の地より連帯し祈りに覚えましょう。

聖書に戻りますが。
イスラエルの諸部族から選ばれた12人は、ヨルダン川の真ん中からそれぞれに拾ってきた石を野営する場所に据えました。これは6節にありますように、「後日、あなたたちの子供が、これらの石は何を意味するのですかと尋ねるときには、こう答えなさい。「ヨルダン川の流れは、主の契約の箱の前でせき止められた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の流れはせき止められた。これらの石は、永久にイスラエルの人々の記念となる」と。
23節に、主が葦の海の出来事、紅海を打ち割ってエジプトから救い出して下さったのと同様、ヨルダン川を水をせき止めて渡らせてくださったとありますが。モーセと共に葦の海を渡った人々がこの時どれくらいいたでしょう?5章6節には、荒野での40年の間に「エジプトを出て来たイスラエルの民、戦士たちはすべて死に絶えた」とあります。まあこのヨルダン川を渡った人々の殆どは先の葦の海を渡った経験をしていない人々であったのでしょう。40年という荒野での旅路においてイスラエルの人々の多くは葦の海を渡して下さった神のみ恵みとみ業をきちんと心に留めることもなく、又その救いと恵みの出来事を後世の息子・孫・曾孫に伝えていなかったのではないでしょうか?
人はすぐに忘れてしまうのです。どんなに感動したことも、あり難かったことも、よくしてもらったことも、時々思い起こさなければ色あせ、忘れ去ってしまう、それが人間であります。
葦の海を打ち割り、救い出された体験でさえ忘れ、不信や不満が頭をもたげてしまう。それはイスラエルの民に限ったことではないでしょう。ましてやそのみ業をまだ知らない後の世代はどうなることでしょう。そういう歴史を踏まえたうえで、主はここで再びヨルダン川を渡るイスラエルの民に向け、信仰の訓練といいますか。み言葉にしっかりと聞き、信頼をもってヨルダン川を渡る。信仰によってカナンの地に足を踏み入れるよう招いておられるのです。そして、まず自分たちがみ言葉に聞き従い、恵みを体験し、その証しを後の世の子ども、孫、曾孫たちにきちんと示すようにと促されるのです。

又、荒野と異なりカナンの地に渡ると、物質面においてはいろんな豊かさを享受することができます。乳と蜜の流れる肥沃な地において地の実りも豊かに与えられます。それは子どもたちの世代も、その後の世代にも受け継がれるべき祝福です。
けれども、それらの祝福の源は何でしょうか?イスラエルを導き出し、エジプト脱出の瀬戸際で葦の海を打ち割って出エジプトさせて下さったのも、荒野からヨルダン川をせき止め、渡らせて実り豊かなカナンの地に入ることを得させてくださったのも、すべては主の御手によってなされたということであります。すべての恵みの源は主にあるということであります。そのことを忘れてしまうことは滅びを意味しています。神の宝の民とされた祝福を放棄することです。
だからここで主は、後日、あなたたちの子供がギルガルに立てられた12の石のモニュメントを見て、「これらの石は何を意味するのですか」と尋ねたときには、「主の契約の箱の前でヨルダン川の流れはせき止められたその時のしるしの石である」と証しできるようにしておきなさい、というのです。

キリスト教会もその信仰もそうでしょうが。それらが生きた証しよりも神学的な解説や議論だけになりますと命を失ってしまいます。まさに主がその時、ヨルダン川の中から石を拾って12の石を立て、証しするように促されたように、私どももまたそれぞれに主によって救われ、導かれている「その生きた証しを立ててゆく」ことが大事なのです。
伝道ということも、人に伝えるとか、分かち合うということもそうです。まず、自分自身がキリストにある生きた証しを持つことが、一番の伝道じゃないでしょうか。そしてそうした証しは自己完結いたしません。主にある様々な兄弟姉妹と共に礼拝し、祈り、出会いや親睦、又奉仕活動を通じて日々新たな証しが与えられるのです。もちろんそれは教会の中だけに留まらず、近隣教会、他の教会、又生活の場、外へ向かって溢れるものであるでしょう。そうして私どもが人と人の間に遣わされる時、起こってくる様々な出来事を通して、主は生きた証しを私どもの手に託してくださるのです。関われば時には痛い思いをする、しんどいこともあるでしょう。しかしむしろそのような時こそ、十字架の主のみ姿を仰ぎつつ、きっと後には主の栄光を現わす証しに変えられるものと信じます。私どももまた、この12の記念の石をそれぞれに拾い携えたごとく、み言葉の生きた証しを立てゆく人生とならせて戴きましょう。
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途上を生きる者として

2011-11-06 16:41:43 | メッセージ
宣教 申命記34:1-12

先週は関西黎明教会の献堂式に教会の有志で出席いたしました。元工場であった建物を教会堂にリーフォームされたということでしたが。何か式に臨んだ私たちも何ともいえない主の祝福を感動をもって共に与らせて戴きました。もちろん新しくされた会堂自身も素晴らしいのでありますが、私は何よりもその新会堂が建てられていくプロセス、過程を知らされて、神のなさる事は時に適って素晴らしいなっと思わされました。建築業者の方から、元工場が新会堂にリフォームされていく作業工程を記録した映像が映し出されたのですが、倉庫のような工場内が徐々に教会として打ち変えられてゆく、その最初から完成に至る工事の過程のわくわく感が伝わってまいりましたけれども、そのことと同時に、この工事のプロセス・過程における牧師夫妻、教会員、建築業者、その他の多くの方々の熱い祈り、不安と期待、御苦労、そして喜びがいっぱいつまっているということを、垣間見た思いです。
主の栄光を現わす目に見える新会堂の背後で、決して英雄とは言い難い、普通の人々、救い与った小さな者を喜び祝し、用いていかれる主イエス・キリストのみ業を見せて戴いたということが、私は何よりも感謝でした。来客を迎える輝くような教会員のみなさんの笑顔、私どもが教会前に着くや小さな子どもから少年、青年たちが率先して傘を持って出迎えてくださったその姿に感心し、心熱くされまし。やはり、連合や連盟の諸教会や兄弟姉妹と顔と顔を合わせて共に主を賛美し、交わりを持ち、又語り合うという時というのは貴重だと改めて思いました。

本日は申命記34章より、み言葉を聞いていきたいと思います。
エジプトを出てからの長い長い荒野での40年もの歳月を経て、いよいよイスラエルの民はカナンの地に入ろうとしていました。指導者のモーセは全イスラエルに向かって最後の勧告をいたします。申命記32章45節以降「あなたたちは、今日わたしがあなたたちに対して証言するすべての言葉を心に留め、子供たちに命じて、この律法の言葉をすべて忠実に守らせなさい。それはあなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたちの命である。この言葉によって、あなたたちはヨルダン川を渡って得る土地で長く生きることができる」。
その同じ日にモーセはヨルダンのネボ山に立っていました。
主はモーセに、主の嗣業の土地、約束の地であるカナンの土地の全土が見渡せるようにされますが、モーセはそこに入ることが許されません。

旧約聖書の中で、モーセといえば突出した指導者、又預言者でありました。その業績や貢献度も高く評価されるものでありました。しかし、本日の個所で、そのモーセであっても「乳と蜜の流れるカナンの地に渡っていくことが許されなかった」というのです。それは先月のお話にもありましたように、メリバの泉でモーセがイスラエルの人々の中で主の聖なることを示さなかったと、その理由が書かれていたわけですが。しかし、モーセがどれ程の重い務めを主の前で、又民の間でなしたかは聖書に記されたとおりです。

私たちは人の功績や貢献などによって、人生の価値や評価というものが決まるように考えます。世や社会はそういう事がものを言い、幅を利かせているということは確かにございます。
そうだとしたら、当然偉大な指導者であったモーセは真っ先にカナンの地に入ってもおかしくない、いや、それが当然と見なされるような人物であると言えるでしょう。けれどもモーセは「そこに渡っていくことが許されなかった」のであります。
聖書は、そこに人間の見る尺度と天の尺度の違いを示します。物語としてここを読みます時に、「優れた指導者のモーセが遂にイスラエルの民を引き連れてカナンの地に入りました。ジャジャン、めでたしめでたし」。私などは単純にそんなハッピーエンドを期待するのですが。しかし、そうなるとカナンの地がすべてのゴ―ル、終着点になってしまうような気もいたします。
申命記が単なるモーセの英雄伝になってしまったかも知れません。モーセがカナンの地を渡ることができなかった。その事の中に、人の思いや考えとは異なる聖書のメッセージが示されているのであります。

申命記の始めの1章37節-38節にモーセの言葉が次のように紹介されています。
「主は、あなたたちのゆえにわたしに対しても激しく憤って言われた。『あなたもそこに入ることはできない。あなたに仕えているヌンの子ヨシュアだけはそこに入ることができる。彼を力づけなさい。イスラエルに嗣業の土地を継がせるのは彼である』」。かつて神への不従順のゆえにカナンの地に入ることができず滅んでしまった人々と同様モーセもそこに入ることが許されないというのです。
これはモーセにとっては到底受け入れ難いものであったことでしょう。彼はその後何度も主に「嗣業の土地に入れるように」と切望し、乞い求めるのですが、その願いは叶いませんでした。
しかしモーセが偉大であったのは、自分がその土地に入る事を許されないにも拘わらず、主が託された民をみ言葉のもと、忠実にカナンの地へと先導していったということであります。どこまでも主の言葉に忠実なそのモーセの後姿は、どれだけ民の心を主に向かわせ、神の民として歩む道を示すものであったことでしょうか。モーセはカナンの地を遥か遠く、その先々まで望み見る時、神の救いのご計画を信仰の目で仰ぎ、自らの人生をその神の歴史の一コマとして捉え、捧げていったのではないでしょうか。

本日の記事はモーセについて、5-7節「主の僕モーセは、主の命令によってモアブ(現ヨルダン)の地で死んだ。今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。モーセは死んだとき120歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった」と記しています。

まだまだ彼には余力があった。人の目に、まだ十分働きが出来たということでしょう。世界最高齢者が確か115歳でヨーロッパのどこの国でしたか忘れましたがおられるそうですが。日本でも日野原さんが100歳で現役のクリスチャンドクターとして活躍しておられますが。私どもの大阪教会にもご高齢の兄姉がおられ、礼拝と祈祷会を大事に守っておられる方、また礼拝に出席できなくともそれぞれの場にあって教会の群を覚えて祈り続けて下さっている方もおられますことは、真に貴く、感謝なことであります。まあ、モーセは120歳であり、目もかすまず、活力もあったわけですが。しかし神はそのモーセの働きに終止符を打たれるのです。コヘレト3:1には「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」と記されていますが、イスラエルの民をエジプトから導き出し、40年もの間、荒野で指導者として務めた神の人モーセにも、遂にこの世の務めを終える時が来るのであります。

聖書はこのモーセの人となりを伝えるのに5節にありますように「主の僕モーセ」と言葉で言い表しています。「主の僕モーセ」。僕というのは己をむなしくして主人に仕える存在であります。モーセはどこまでもそのように神に仕える人としてその人生を歩み抜いたということです。
私たちには個々の人生の計画や将来に向けた生活設計というものがあるでしょう。それを持つことは人生を有意義なものにするでしょう。それらは目に見えるかたちで叶えられるものもあれば、願いつつも道半ばに叶わないものもあります。しかしそれを成功とか失敗だとか一括りにすることはできません。少なくとも救い主によって人生を新しくされた者は、そういう世の捕われから解放されて生きてゆきます。それがすべてのゴ―ルでないことを知っているからです。又真に仕えるべきは誰であるのか。何であるのかを知らされているからです。クリスチャンは、お一人おひとりが贖いとられた尊い存在でありますが、そんな神の貴い作品として人生の中で、主のみ業のために如何に用いられるか、それが人生の課題であり、同時に生きがい、喜びでもあります。
神は壮大な救いの計画という大きなキャンパスを前に筆を握られ、様々な色の絵具を用いて、それを完成しようとなさっています。その筆や絵の具は私たち一人ひとり一人なのです。
モーセが神の僕として仕え用いられたように、たとえ小さな私たちであったとしても、主に用いられていく者、神の壮大な作品のワンピースとしての人生でありたい。そう願うものであります。

最後に、モーセは天に召される直前にヨシュアに按手をして、後継者として立てる任命式がなされました。神の前で引き継ぎがなされたのです。ここを読む時、教会における牧師の引き継ぎ、去り際、次の牧師へバトンタッチされていくという事柄と重ね合わせて読むことができます。
祈祷会の時に話題にもなりましたが、この継承が人の思いであやふやになされた場合、前任者がいつまでも教会にいて力を持ち、後任牧師の働きの妨げになっているケースもあるということを残念ながら耳にします。モーセはここで、「これからはヨシュアが指導者なので、彼に聞き従いなさい」と民にきちんと命じ、民もそれに忠実に従ったということですね。これは主のご計画に信頼し、委ねることができたから、次に託すことができたのでしょう。けれどもこれは何も指導的な立場にある人だけに示されることではありません。主のご計画の内に歩む者はすべて、「主こそが成し遂げて下さる。私はその『主の僕』。感謝をもって仕え、信頼をもって委ねます」という、そのような信仰が問われています。

最後にもう一つ。モーセは120歳で死にましたが、それは道半ばでの断念や中途での挫折ではありません。モーセは神から託された彼の働きをすべて果たしたのです。神の救いの歴史は、モーセが死ぬことで終わるものではありません。否、次の役割を担っていく人に受け継がれることによって、神の救いの歴史は「新しいイスラエル」という主の群である教会、その信仰の共同体のうちに更に遂行されていきます。

私たちのいのち、人生は限りあるものであります。今というこの瞬間が人生で一番新しい時だと言いますように。「主の救いの歴史の途上にある私たちである」ことをもう一度心に留めつつ、主の終わりの時、神の国の到来を楽しみに待ち望みながら、主に描かれる人生を共に歩んでまいりましょう。いつもその起点、出発点がこの礼拝であるということを覚え、感謝しながら。
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