日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

ターミナル・ケアを学ぶ

2007-10-30 12:17:55 | メッセージ
 先日、関西地方連合に連なる教会の牧師たちの研修会が、「ターミナル・ケアを学ぶ」というテーマで、京都にある日本バプテスト病院において持たれました。
まず昨年新築された病院内を見学し、日夜病院で働かれている現場のホスピスの医師やチャプレンなどからお話を伺いました。
 
 ある教会の壮年の方がホスピス病棟に入られ、その教会の牧師が見舞いに来られたそうです。その牧師は病室に入るや、その家族がいる前で開口一番、「きみ天国に入る準備はもうできとるか」と言ったそうです。その言葉をもろに浴びせられた家族から、今後一切この牧師を病室に入れないで欲しい、と病院に抗議があったお話・体験談を元チャプレンがしてくださいました。          
ホスピスという身も心も魂にも苦痛を抱え日々緊張の連続で疲れ切っている患者ご本人やそのご家族に如何に寄り添い得るか、如何に患者ご本人やご家族が今一番必要としているもの・求めているものは何かを、耳を傾けて聞き、それに如何に応え得るか、ということは本当に難しく、忍耐を要することだということを教えられました。
 
 患者さんの苦痛は①身体的苦痛②精神的苦痛(心の不安や疑い)③社会的苦痛(家庭や仕事上の役割や働きの喪失)④スピリチュアルな苦痛(人間としての生きる意味、存在の喪失や絶望)といった4つの苦痛が複雑に重くのしかかっている。
まず身体的苦痛を緩和することができると、他の苦痛も和らげるケアが可能になる。その4つの苦痛をケアすることこそ全人的医療であり、その中で最も重要なケアはスピリチュアルなケアだと、ホスピスの医師はおっしゃっていました。
このスピリチュアルなケアは、医師や看護師などの専門職の人だけでなく、「その人に愛情をもって接するこのできる人なら誰でも可能」ということです。身近な家族や友人であったり、あるいは毎日病室にお掃除に来られる掃除婦の方であったりと、様々に違うそうです。医者の薬が効かなくなったとき、こういったケアが実に必要と、お話になられました。
 
 また、チャプレンのお話の中で心に残ったのは、患者さんはその病状が重度なゆえに「ノー」といつも言えない状況におかれている、ということです。医師や看護師には嫌でも言うことを聞いていたり、また家族などにはつらくても我慢していたりと、言いたいことも押し殺している。そのような患者さんの言葉に出せない思いをサポーするお手伝いがしたい、とおっしゃっていました。そこには一人の人に医者や看護師だけが関わるのではなく、様々な人との関わり(チーム)を通してその人を多面的(複眼的)に診ていく、そういうことがスピリチュアルなケアに欠かせない面であることを教えて戴きました。

 ローマ8章の次のような言葉が思い起こされました。
「霊も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」(26節・新共同訳)

「神の霊はなにごとも、神を大切にする人たち、ご計画に従って使命を与えられた人たちといっしょに働かれ、人に親身に関わるようにしてくださると、わたしたちは知っています。」(28節・本田哲郎訳)
                                  (俊)
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「祈り」について

2007-10-24 16:56:50 | メッセージ
特伝2部 「祈り」について 井置利男牧師のお話から

①過去10年間のバプテスト連盟の教勢から見えてくるもの
年間640名のバプテスマ 10年間で6400名増加となるはずだが、全体のトータル は変わっていない。信仰生活(教会)から離れている。

②その原因(信仰・教会から離れてしまう要因)と課題
プロテスタントの宣教が日本ではじまって150年、シンパが増えてはいるが、し かしクリスチャンが人口の1%は変わらない。韓国は人口の25%

韓国での体験から
・ある長老派の牧師は、「日本の軍部がかつて韓国のクリスチャンに神社崇拝など を強要し迫害したから神様が日本を祝福してくれない」と言われた。
・韓国の著名な大学の学長は「日本のクリスチャンは本音と建前が違いすぎる」と の示唆に富んだ発言をされた。 
・韓国の教会はよく「聖書を読み」「祈る」。特に祈祷会は徹底している。
徹夜(連鎖)祈祷会、早天祈祷会が盛況。ある牧師は講壇の後ろに布団を敷きつ めている。寝る間もないほど祈り続け、サラリーマンも早朝祈りにやってきては、近くの朝飯屋に寄りそのまま出勤する例が多い。
・日本の教会は聖書を研究する事には優れているが、韓国の教会のように生ける神 様に徹底して祈ること、本音で信仰する点は倣う面が多い。
・生ける神→聞いてくださる神→答えてくださる神
 祈祷会の聖書の学びと祈りこそ「いのち」
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お知らせ

2007-10-16 11:42:50 | イベント
 秋の特別集会ご案内

10月21日(日)午前10:30-12:20

講師 井置 利男先生(東大阪キリスト教会牧師)
            (前西川口教会開拓・牧師、前天城山荘チャプレン)
お話 「ああ主の瞳」 

どなたでもお気軽にお越し下さい。入場無料(席上献金あり)

なお、午後より井置先生から「祈り」について貴重なお話を戴く予定です。

 新生讃美歌486「ああ主のひとみ」

日本の若いふたりの神学生たちによって共作された歌である。そのひとりである梅田信治(1922-)は、新潟県直江津で生れ、1948年、同市の愛信教会で入信、神の召しを感じて関西聖書神学校に入学、1954年卒業して、神戸中央教会、ついで徳島県下で伝道にあたっている。また他のひとり井置利男(1926-)は、兵庫県姫路市に生れ、1949年復員後、人生の目標を失い苦悩していた時、宣教師ジェコブ・デシェザーの伝道集会に出席して光をうけ、神の召しに応じて、1951年、関西聖書神学校に入学、卒業。(1959日本聖書神学校卒業、1962西川口バプテスト教会開拓・牧師)
この歌は井置が自らの不甲斐なさを思って暗い気持ちで教会の祈祷会に行く途中、「主ふりかえりてペテロに目をとめたもう」(ルカ22・61)という聖句に示されて作った歌を、学友梅田と共に推敲して、1951年の讃美歌懸賞募集に応募、当選したものである。
※讃美歌委員会編・讃美歌略解(前編・歌詞の部)日本基督教団出版局.P.147より                             

新生讃美歌にはイザヤ書55章6-7節の「聖句引照」が記されている。
「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。神に逆らう者はその道を離れ 悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる。」
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巻頭言

2007-10-15 09:59:42 | メッセージ
関西連合の音楽研修会に参加して H・Y 

去る10月6日(土)当教会を会場として開かれた音楽研修会に参加しました。今年は大阪教会からの参加者は私も含めて2名でした。講師は去年と同じ田川和樹先生(ゲストとしてソプラノ歌手の木澤香俚さん)
はじめに「会衆讃美・聖歌隊さんびの意義」について講義がありました。さんびは主なる神様への讃美であり、信仰告白であり、祈願であり、感謝のささげ物である。ヘブライ13:15「だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。」を引用して、礼拝におけるさんびは会衆の共同のささげ物であり、応答である、と言われました。
 実技では「新生讃美歌」の中の10曲について歌詞の説明や音楽的な解説を受けながら、みんなでうたいました。詩が書かれたときのエピソードを知ると、そのさんびかの受け取り方が深められ、うたわれる言葉に更にいのちが加わる感じを味わいました。「ことばを大切に」を再確認させられました。新しいさんびかは日々生まれていくことでしょうが、そこには何百年前のさんびかと同じいのちがやどっていることでしょう。
聖歌隊のさんびもこの基本を忘れないようにつたないながら、メンバーが心を合わせて、心の底からうたい上げていきたいと思います。主日礼拝、祈祷会、日々の生活の中に、わたしたちの唇にさんびが与えられている恵みを、あらためて心から感謝いたします。
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映画「マリア」試写会

2007-10-09 14:55:28 | 教会案内
映画「アリア」試写会から

先週、12月に全国で上映予定の「マリア」という映画の試写会が大阪であり、観てきた。あの「パッション」が、キリストの受難と死の場面を凝縮した映画なら、この「マリア」は、御子の受胎告知から誕生の場面が凝縮された映画である。
この映画は、聖霊によって御子を身ごもったマリアを中心に場面が展開されていくが、聖書の行間に隠されたメッセージを豊かに描写する。
 この映画のもう一人の主人公ヨセフは、身重になったマリアを見るや非常に動揺し、苦しみ悩む。そんなある時ヨセフは夢を見て、天使の言葉を聞く。それは「神の御子を身ごもった」と申し出たマリアの言葉と同じものであった。聖霊がそのことをヨセフに気づかせ、ヨセフはマリアの言葉を信じ抜く。
 心に残る場面としては、マリアが自分と同じく身ごもった高齢のエリサべトのもとを訪ね、自分が聖霊によって身ごもったことを知るシーン。また、住民登録のために200キロという険しい道のりを、ヨセフとマリアが助け合い、信頼を築きながら命がけで旅するシーン。圧巻の家畜小屋での感動的な御子の降誕の光景、羊飼いや博士たちが喜びと希望をもって御子と出会うシーンなど、言葉で説明しきれないほど見所がいっぱいある。
「信じる」「大切なものを守る」こととは。様々なことを考えさせられた。
ぜひ12月には映画館へ足を運ばれては如何でしょうか。(俊)
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巻頭言

2007-10-01 09:56:50 | メッセージ
大阪教会バザーから (T・S)

9月24日(休・月)恒例のバザーが開かれた。お天気は閉店間際には雨が降り出したが、何とか盛況のうちに終える事ができた。お彼岸という事で、教会の前の通りは行き交う人々でにぎわった。あちこちにも露店が出ていた。
朝9時、教会に集まった兄姉が、教会の玄関前にテーブルを置きバザーの品々を並べ、開会の祈りをして午前10時バザーは開店した。テーブルには衣料品、バックや小物類、手作り品等が並んだ。また、教会内には喫茶コーナーが設けられ、「ミルク餅」(大阪教会名物)やコーヒーなどが用意された。午前10時~午後2時迄の4時間、バザーは行われた。 
このバザーは単なるバザーではない。世界祈祷献金のためと共に、地域の方々に大阪教会を紹介する機会としても用いられている。今回もバザーに来られた方に「教会案内」が手渡された。昨年は、H兄が初めて喫茶コーナーに来られ、後に大阪教会の家族となられた。その兄も、今年はバザーの奉仕者として立たれた。
早速バザーが行われた週の水曜日、午前と夕方の祈祷会に新しい方がそれぞれお見えになった。私たちの小さな働きをも神さまは用いてくださるのだ。神さまは確かに生きておられ、豊かにお働きになられる。
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