日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

わたしは何者でしょう

2015-06-28 12:58:40 | メッセージ
礼拝宣教 出エジプト3:1-15 

先週は沖縄での3バプテストの牧師・牧師配偶者研修会に大阪教会から送り出していただきありがとうござました。研修会ではたいへん有意義な学びと交流の時が与えられました。私どもバプテスト連盟、又バプテスト同盟の方々、そして沖縄バプテスト連盟の方々と共に3日間を過ごしたわけですが。時間に追われるようなかなりのハードスケジュールでしたけれども、沖縄のエメラルドグリーンの海、美しい花々にはたいへんいやされました。一方、21日の大阪教会での賛美と証の礼拝については幾人かの方から、恵みゆたかな礼拝が捧げられたとの報告を伺い、嬉しくされました。

本日は、主がイスラエルの民をエジプトから導き出し、解放を与えるためモーセに使命をお与えになる「モーセの召命」の記事から御言葉をともに聞いていきます。

エジプトの王女の加護のもとヘブライ人の母に育てられたモーセは、大きくなると王女の子としてエジプト人の中で生活を送ります。けれどもモーセはその成長とともに自分がヘブライ人であることを強く意識するようになります。成人したモーセは、同胞のヘブライ人に関わる2つの出来事によってエジプトから逃亡することになるのです。
その一つは、意を決し同胞のところへ出て行ったモーセは、そこで同胞のヘブライ人がエジプト人から重労働を課せられている現状を目のあたりにするのでありますが、一人の同胞がエジプト人に打ち叩かれている現場に遭遇した時、モーセはそのエジプト人を自らの手で打ち殺し、砂に埋めて隠したのです。どんな理由であれ殺害が肯定されるものではありませんが。それはヘブライ人への強い思い入れがあったからでありましょう。

ところが翌日、もう一つの出来事が起こります。今度はヘブライ人同士が喧嘩をしているのをみかねたモーセが、「どうして自分の仲間を殴るのか」とたしなめたところ、「お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」とののしられてしまうのです。この予想もしなかった言葉に、モーセは大きなショックを受けます。彼らの苦しみを見かねてなした事が、逆に非難とののしりとなって跳ね返ってきたのです。この事はエジプトの王ファラオに知れるところとなりモーセは命を狙われます。
育てられたエジプト人からは命を狙われ、ヘブライ人からは同胞として受け入れられないというこの二つの出来事を通して、モーセはさらに「自分は一体何者なのか」という深い問いのもとで悩み苦しみ、ついにエジプトを逃亡するほかなかったのであります。
モーセはシナイ半島の南東部にあるミデアンの地へと流れ着くのでありますが。それは自分探しの旅といえるような計画的なものではなく、ただ今の現実から逃れるほかないさすらい人、寄留者のモーセであったのです。
モーセは不思議にもこの逃亡先ミデアンで、祭司レウエルとその娘ツィポラと出会い、結婚し、家庭を築き、ゲルショムという息子を得て、羊飼いとしてかの地で40年間過ごすのでありますが。その期間はモーセにとって心いやされる平穏な時であったことでしょう。

さて、そういった経緯を経て、先程読んで頂いた本日の3章の「主がモーセに出エジプトの使命を与える」箇所に至るのであります。
彼が羊の群を追って行き神の山と呼ばれるホレブに来た時、目の前に現れたのは燃えているのに「燃え尽きない柴」であります。それを見たモーセは「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう」と言って、日常の道をそれてその燃える柴に近づくのであります。今日こうして私たちも日常の生活を一時おいてこの礼拝に臨んでいるわけでございますが、
神さまはその柴の間からモーセの名を呼んで声をおかけになります。
モーセが「はい」と答えると主はその聖なることを示されモーセに、「わたしはあなた
の父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と語られます。
「わたしは何者か」というモーセの問いがここで「わたしはあなたの父の神である」、さらに「わたしはあなたの先祖の神である」という彼のルーツにまで遡って説き明かされるのですね。モーセの存在のルーツは祖先に与えられた神の契約にあったのです。その神さまと一対一で出会ったモーセの中に畏れの念が生じ、彼はついて「神の顔を見ることを恐れて顔を覆う」のであります。

7-8節で神さまは、御自身の意志と決意を次のようにお語りになります。
「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。」

神さまはここでイスラエルの民を「わたしの民」と呼んでおられわけですが、それは礼拝の冒頭で今日の招詞として申命記7章6-8節が読まれましたけれども。もう一度そこをお読みしますと、「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛ゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。」
神の民としての選びは、彼らに力があり数が多かったからではなく逆に貧弱であったからだ、というのです。その彼らを神さまは愛してやまなかった。この愛はヘブル語でヘセドと言い:「腸わたが引きちぎれんばかりの思いをもって」という意味です。貧弱であった彼らの痛みや苦しみを断腸の思いでお受けになり、愛する宝の民と呼んでくださる神さま。そこに神さまの愛の原点を読み取ることができます。

本日のところでも、神さまは「わたしの民の苦しみを見、叫び声を聞き、痛みを知った」と語られます。
そのことから思いますのは、モーセの前に現れたこの燃え尽きない柴は、神さまご自身の燃えるようなその愛がどんなに厳しい状況の中にあっても、又どんなに時を経ても決して燃え尽きることはない、という実に大きなお約束を象徴しているようであります。どのような時代の中でも燃え尽きることなく、貧しく小さくされた民の苦しみ、叫び、痛みを御自分のこととして感受し、寄り添い導き続けてくださる神さまのお姿をそこに見る事ができます。

さて、その神さまはモーセに、「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとへ遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」と招かれます。

この神の召しに対して、モーセは「はい、わたしがまいります」とは言えず、「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さなければならないのですか」と答えるのであります。

先にも申しましたが、モーセはミデアンの地で身も心もいやされたとはいえ、わが子につけた「ゲルショム」;寄留者と名づけたように、自分は「異国にいる寄留者」であるという認識をモーセが持っていたことが伺えます。いまだ彼の脳裏には、「わたしは何者なのか」という葛藤といいますか、それはエジプトでの殺害事件や同胞のヘブライ人から見捨てられた事が記憶とともにずっと残っていたのです。
「わたしは何者しょう」「自分のような者がどうしてそのようなことができましょう」同胞からも信用されず、見捨てられたような者がどうして同胞を救い出す大任を果たし得るのか?彼はまったく自信を失っていました。それは同胞のヘブライ人のおかれた状況とその苦しみに負い目をもちながらも、どうすることもできない無力さを抱え続けてきたのからではないでしょうか。
そのようなモーセに対して神さまは、「あなたにその能力があるから」と、そんなことはおっしゃらないのですね。神さまはモーセがどうであるかという事には一つも触れず、ただ「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである」とおっしゃるのです。「わたしは必ずあなたと共にいる」。実はそれこそが「燃え尽きない柴」に顕わされた神さまのお約束であったのです。

すると、モーセは神に、「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります」と答えたというんですが。ただ、ここでモーセはイスラエルの人々が「わたしを遣わされた神についてその名前は」と問われた時、如何に答えたらよいでしょうか、と神さまに尋ねています。「神さまは何者でしょう」という問いがなされているんですね。
すると神さまはモーセに「わたしはある。わたしはあるという者だ」と、イスラエルの人々にこう言うがよい、とお答えになられます。
「わたしはある。あるという者だ」、口語訳では「あってある者」というお名前。それは「すべての存在を存在させうる者」という意味があるそうです。「わたしは何者でしょう」と、自分の存在、そのアイデンティティを見出し得なかっモーセにとって、この神さまの御名、その存在は、どんなにか力強いものだったでしょう。
モーセとってこの神さまとの出会いがなかったのなら、彼はおそらく自分の存在の根拠を見出すことなく、「自分の罪のうちに死んでいった」のではないでしょうか。彼を救い出し、生きる意味を与え立たしめたのは、「すべての存在を存在させ得る者」というお名前をもつ神さまが共にいるとおっしゃったそのお約束であったのです。
先にも触れましたが、モーセは父の神さま、さらに祖先の神との契約にあって自分のルーツを見出しましたが。さらに彼は「わたしは必ずあなたと共にいるという」約束のしるしによって「自分の存在意義」を確認したんですね。私たちはどうでしょうか。
「自分は何者か。」主イエス・キリストにおける神の新たな約束によって「神の宝の民」とされ、さらに主イエスの「わたしは世の終わりまであなた方と共にいる」との十字架の愛のしるしによって今、ここに存在し、生かされていることを今日もこの聖書から確認したいと思います。

最後に、先程Yさんから沖縄の研修から感じ取った事についてのお分ちがありました。
私はこの沖縄の地に足を運び、沖縄の教会の方やルワンダの和解のプロジェクトを実践されている佐々木さんのお話、又、ほんのわずかな時間でしたが辺野古のテント村への訪問やキャンプシュワブゲイト前の座り込みに合流しました。沖縄バプテスト連盟信愛バプテスト教会牧師の饒平名さんが講演で開口一番「沖縄を抜きにした平和論は、机上論に過ぎない」との言葉が強烈に私の中に残りました。佐々木さんからは「平和はみんなのもの。自分の平和と他者の平和は一つになっているか。そうでなければ平和とはいえない」という現地ルワンダの青年たちからの言葉をご紹介くださいました。沖縄についていえば、「日本が琉球王国を暴力によって略奪し、さらにサンフランシスコ講和条約では沖縄を日本から切り捨てた。未だに米軍の管理下のもとで沖縄に不条理と不平等を強いている。日米両国は沖縄の米軍基地に象徴される支配権と利権のために存在し続けているその沖縄の実体は琉球処分以来何も変っていない。沖縄の人たちを琉球人と日本人という二重の意識に追い込み、苦しめ、傷めつけてきた歴史、さらに今もそのようなことが繰り返されていることにどれだけ鈍感であったのかを思い知らされ、「自分は何者か」を問われました。

講演の最後に饒平名さんはこうしめくくられています。
「国家と神の国は、絶えざる緊張と抵抗関係にある。神の支配の実現の日・終末、国家は消滅する。強大な悪の力と戦いに(エフェソ6章10-18節)、時に意気消沈することもあるかもしれない。しかし、「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」(ヨハネ16章33節)
キリスト者は「キリストにあって、すでに勝利している。この終末的希望に生きるのが、キリスト者の生の実践である。辺野古の戦いは、すでに勝利している。神にのみ栄光あれ」とおっしゃったのです。

今後も、沖縄のことに関心をよせ、忘れずに、見守り、祈りながら、沖縄の方がたの思いに心を向け続けていきたいと思うものですが。同様に、ヌチドゥ宝。「いのちこそ宝」が、私たちの生きる世界、そのどのところにありましてもないがしろにされることがありませんように、人の苦しみをつぶさに見、叫び声を聞き、十字架の上でその痛みを知って下さった主イエスとともに祈り努める者でありたいと切に願います。祈ります。
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モーセの生い立ち

2015-06-14 18:12:29 | メッセージ
礼拝宣教 出エジプト記1章22節~2章10 節

本日は、一週早めての「父の日」をおぼえての礼拝をささげています。先日天王寺区の広報誌に、「父の日は、アメリカのワシントン州に住むジョン・ブルース・トッド婦人が6人の兄弟姉妹を男手ひとつで育ててくれた自分の父を敬い、教会で父の誕生日を記念して6月第三日曜日に礼拝を捧げたことが起源となった。すでにアメリカでは5月第二日曜日が母の日として制定されていたが、6月第三日曜日は、父を敬う日として1972年にアメリカの祝日になり、今日に至っている」というコラムに目が留まりました。区の広報誌に載るほど、父の日はメジャーなのですかね。デパートなどでもキャンペーンが催されているようですが。もいずれにしろ父の日も又キリスト教会の祈りから起こったのであります。
それは、モーセがシナイ山で神から授かった十戒の中に「あなたの父母を敬え」という戒めがございますように、神を畏れ敬う人たちがその事をずっと大事にしてきたからでしょう。そして何よりも、聖書は天地万物の造り主であられる神さまは、すべての人、すべての被造物造の父なるお方であることを教えています。私たち一人ひとりはかけがえのない神さまの子どもとして造られているのであります。イザヤ書64章7節にこういう御言葉がございます。「主よ、あなたは我らの父。わたしたちは粘土、あなたは陶工 わたしたちは皆、あなたの御手の業。」天の父なる神さまを敬い、その作品として生きる私たちでありたいものです。

今日はまた、「バプテスト病院ディ」として、バプテスト病院と同看護学校のことをおぼえる礼拝でもあります。先程、Nさんから、そこで学ばれ、看護師として新生児特定集中治療室で、まさにいのちをつなぐという尊い勤めをなされた姉妹の証を伺うことができ、感謝でした。

先週はエジプトの王、ファラオの陰謀によって「生まれてくるヘブライ人の男の子は皆殺すように」と命じられた助産婦たちの、ハラハラするような場面をご一緒に読みましたが。それは「助産婦たちは神を畏れていたので、ファラオの命令に背き、生まれて来るいのちを守った」というお話でした。
本日のお話では、さらにファラオがその後、全国民に、『生まれた(ヘブライ人の)男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ』と命じたというのです。もはや秘密裏にではなく公なかたちで、すべてのヘブライ人男児殺害の勅令が出されるのです。そういったヘブライ人たちの苦難と危機を背景に、「モーセの生い立ちの」記事が書かれているのですね。
ここでもその大きな働きをなすのが、モーセの母、姉、そしてファラオの王女という3人の女性たちであります。まさにこの三人の女性たちも先の助産婦に引き続き、リレー走者のようにいのちをつないでゆく尊い役回りを果たすのであります。
そのいのちのリレーによってモーセが、ひいては囚われのイスラエルの民が救われ、解放されてゆく壮大な神のご計画へと導かれてゆくのです。

今日の箇所は、まず苦難と危機に直面するヘブライ人の中の、一家族に焦点をあてます。ここにモーセの父母の名前は記されておりませんが、6章20節によれば、父はアムラム、母はヨケベドであったことが分かります。モーセには又、後にイスラエルの祭司として立てられる兄アロンと姉のミリアムの兄弟がいたのです。姉と兄ともヘブライ人男児殺害令が出される前に生まれ、ある程度成長していたのでしょう。

さて、まず、幼子のいのちをつなぐ役回りなした三人の女性たちについて見ていきましょう。母ヨケベトでありますが。彼女はおそらくあの助産婦がとり上げたであろう、「その子がかわいかったのを見て、三ヶ月間隠しておいた」とありますが。泣き声も大きくなり、見た目も男の子とわかるようになってきたのでしょうか。もはや隠しきれず、パピルスの籠にアスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いたのであります。そこはエジプトの裕福な人たちが水浴に来るところでした。幼子の入った葦の籠に防水を施し、何とかその小さい赤ん坊のいのちが守られ、生き続けるようにと祈り願う母親の心情はいかばかりだったことかと思いますが。

又、その子の姉のミリアムも生まれて来た弟を愛おしく思い、心配でたまらなかったのでしょう。葦の茂みから弟を案じながら、その様子をそっと伺っていたのです。
彼女は、身分があり裕福そうなエジプト人の女性が葦の籠を見つけ、その中をのぞきこむのを、どれほど息をつまる思いで見守っていたことでしょう。けれども、その女性が赤ん坊をふびんに思っている様子を見たミリアムは、決断し勇気をもってその女性の前に出て、「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか」と申し出るのです。彼女自身危険があったにも拘わらず、何とかその子が生きながらえるためにという一念から、このような行動に出るんですね。

そして、数奇な運命とはこういうことをいうのでしょう。その女性は何とファラオの王女であったのです。彼女は、ナイル湖畔の葦の茂みの間に置かれた籠の中に泣いている男の子を見たとき、「ふびんに思った」と記されています。その赤ん坊の様子や産着、状況を見て察知し、「これは、きっと、ヘブライ人の子です」と言ったというのです。その泣いている男の子のおかれた状況をおもんばかって王女はふびんに思ったのですね。さらに、王女はその子と関わりがあると思われる女性が、「ヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか」と申し出たとき、その背後にある状況をも察して、「これは何とかしなければ」と心動かされたのではないでしょうか。「そうしておくれ」と答えます。
これはまさに、ファラオの「ヘブライ人の男の子を殺せ」との命令に背くということでした。そう単純な事柄ではないことは分かっていました。けれども、いのちを愛おしむ思い。その単純で純粋な思いが、予想される困難や不安に勝っていたんですね。彼女は勇気をもって幼子が生き続けることを願い、このような決断をしたのです。

実に二人の助産婦から、この幼子の母、姉、さらにファラオの王女という女性たちのいのちをつなぐリレーによって、その子のいのちは守られ、生き続けることができたのであります。
私たちもそうですが、一人の人間のいのちは、いろんな人の支えによって守られ、育まれているということを今日の箇所をとおして改めて気づくことができます。そこには損得勘定を度外視した、いのちを愛おしむ思いがあります。すべてのいのちの源であられる神への畏敬の念と、そこから来るいのちの尊厳を思う心。それは時に見える形で、又、モーセの母が祈り、姉が見守り、王女が託したように、目には見えないですが、尊いそれぞれのあり方で紡がれてゆくのですね。私たち一人ひとりも気づかないうちにも、そのようにして生かされていることを感謝したいと思います。

さて、私は今日の箇所からもう一つ示されることがありました。
それは、これも人の目には見えませんが、隠れたる神さまの業についてであります。

男の子の母親がその子を三ヶ月間隠しておいた理由について、聖書は「その子がかわいかったのを見て」と記されています。使徒言行録(7章20節)には、「神の目に適った美しい子」であったからだ、とそのように記されています。もちろん男の子は見るからに可愛かったのでしょうが。大切なのは、その小さな命が「神の目に適った子」であるという事ですね。
それは、ファラオの王女が、ナイル湖畔の葦の茂みの間に置かれた籠の中にその子を見つけた時も、王女はその子の中に「神の目に適った者」としての存在を見たのです。その出会いと関わりはまったく偶然のように思えますが、実に神さまのくすしきご計画、神の摂理であったのです。

水曜日の聖書の学びで教えられたことですが。王女が仕え女をやって、籠の中にいるその子を「取って来させた」と記されていますけれども。この「取って来させた」というギリシャ語の原意は、「選び取られた」という意味があるのですね。まさに、その子は「神の目に適う」ものとして「選び取られた」存在であったのです。

さらに、その子をファラオの王女は、養子に迎え自分の子とします。そしてその子に「モーセ」と名付けるのですが。その名前の意味は「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)」というところから、そのヘブライ語読みの「モーセ」(マーシャー)と名をつけたということであります。普通、自分の子としたのならエジプト読みのアメンホップとかトトメスなどと名前をつけることもできたはずです。しかし、王女はそうしなかったのですね。その子をヘブライ人であるがまま迎え、畏敬の念をもってモーセと名前をつけたのではないでしょうか。その子の中に神の目に適った者として輝きを見たからです。
実はこの「水の中からわたしが引き上げた」の「引き上げた」にも、「選び取られた」という意味があるのです。このモーセの名には、ナイル川に象徴される世の力と支配からイスラエルの人々を救い出すために「選び取られた者」という、隠れたる神さまのご計画が示されているのですね。
このところを読む時、わたしはイエスさまがバプテスマのヨハネからヨルダン川でバプテスマをお受けになった時の場面が思い起こされます。マルコ1章10節-11節にこう記されています。「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて霊が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえてきた。」
イエスさまは神の心に適う者、神の子として父の神の御業を遂行なさる召命をお受けになるのです。モーセもこのようなかたちで、神の御心に適う者として、神の救いの御業が実現されるために選ばれ、聖別されるのですね。ここに隠れたる神さまの御業、ご計画を見ることができるのです。
 私たちキリスト者も又、小さい者でありましても、主イエスの尊い死をもって贖い取られた者である事を忘れることのないよう、主の御心に応えて歩んでゆきたいものです。

今日のモーセの生い立ちの記事から示されますのは、神さまのご計画を脅かすような勢力がたとえあったとしても、3人の女性たち、ファラオの王女まで主はお用いになり、そのいのちを守り、後の大きなご計画へと導かれるということであります。
私たちも日々の生活で、恐れや不安に襲われることがあるかも知れませんが。このいのちの主に信頼し、聞き従っていきたいと、心から願います。隠れたる神さまのくすしき御業を見ていく者とされていきたいと思います。
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新しい集いのご案内

2015-06-12 10:05:10 | お知らせ

いっしょに歌おう
    ゆうべの集い


毎週、日曜午後7:00~8:00
ギターやピアノ等の調べに合わせ、
楽しく心安らぐ歌の時間を過ごしませんか。

年齢不問、お子様連れも大歓迎


 *6月21日はお休みです。

(都合によりお休みさせていただく場合がございます。教会ホームページをご覧になるか、
 教会へお電話でお問い合わせください。) 

日本バプテスト大阪教会
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神を畏れていた助産婦たち

2015-06-07 14:44:23 | メッセージ
礼拝宣教 出エジプト記1章1節~21節

先週は、中国の客船が竜巻に遭い転覆して多くの犠牲者が出るという事故があり、心が痛みました。又、国内では「年金情報の流失」という、あってはならない事態が起こりましたが。秋にも導入されようとしている「マイナンバー制度」に年金情報もつなげようとしているということですので、これはもっと慎重に願いたいものです。神は私たち人間ひとり一人をその名をもって呼び、生かし、導いてくださるお方です。それに反して、数字や番号で国民や民族を識別し、個々人を管理しようとすることによって行われてきたおぞましい過去の歴史を数えればきりがありません。数字によって個々人の尊厳が損われることがないようにと祈るばかりでございますが。
また、先週日曜日にプレ・賛美のゆうべの集いが行なわれ13名の参加者が与えられました。まあ、歌声喫茶のような雰囲気ですね。おもにワーシップソングを歌い、ちょと体も動かしたりして楽しかったですが。今後は讃美歌以外にも福音的な響きをもったフォーク、ポップス、ゴスペルと幅を広げ、近隣の方々や歌の好きな方々とも楽しい祝福の輪を広げていきたいと願っております。ゆたかな福音伝道の場として用いられますよう、どうぞお祈り下さい。また、韓国長老教会によるアウトリーチで、教会案内の配布の奉仕と主イエスの十字架を描いた素敵な踊りを披露してくださいました。感謝。

さて、本日より8月末までの3ヶ月間、礼拝で出エジプト記を読んでいきます。
出エジプト記といえば、映画でも「モーセ」や「十戒」。最近では「エクソダス」など何度もリメークされ、上映されてきましたので、それらの場面を思い起こされる方もおられるでしょう。聖書の世界ではイスラエルの民がエジプトの奴隷の身から脱出し、解放されていく一大事件であります。しかしこのヘブライ人の出エジプトの出来事は、エジプトの記録には全く見つけることができないそうです。エジプトにとってはそれほど些細な事件であったのでしょうか。
エジプト王朝の起源は紀元前3100年頃、当時南北に分かれていたナイル王両国を統一したネメスが初代のエジプト王となり、その王朝の歴史が始ったとされています。エジプトの王はファラオ(パロ)と呼ばれますが、それは元来「大きな家」を指すもので、王宮や宮廷の意味に用いられていたのですが、それが次第に王個人をさす称号となったと言われています。ですから、ファラオとは大きな家を持ちそこに住む偉大な存在であることを誇示していたのです。
本日登場するそのファラオは、ヨセフ;アブラハムの子孫であり、ヘブライ人でありながら、神の不思議な導きでエジプトの大臣にまでなったその「ヨセフのことを知らない新しい王」とあるのみで、その名前が記されていないので誰を指しているのかは分かりませんが。ただこの王は「ラメセスの町を建設した」とされている事から、エジプト王朝の中でも大きな建築物をいくつも建て、エジプトでも偉大な王として君臨していたのであります。
ちなみに、私は15年前にエジプトとイスラエルを旅行した折、エジプトのカイロ考古学博物館を訪ねる機会があり、エジプト王の中でも栄華を極め、モーセとも対決したであろうと言われるラメセス2世のミイラを見る機会がありました。そのミイラから、彼の身長は183センチで88歳~92歳まで生きたということが分かっているそうです。当時エジプト人の平均的身長が160~165センチで、平均寿命が35~40歳であった時代に、どうしてそこまで長寿で大男であったのか、興味津津ですよね。
彼の名はウセル・マアト・ラーとも呼ばれ、「強き太陽の神」と呼ばれたそうであります。けれども、聖書はそのエジプト最大の王について名前を記さず、ただ「ファラオ」と為政者としての称号のみ記しています。
さて、そのファラオは国民に警告します。「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない。」
大きな宮殿に住み、いくつもの大きな建造物を建て、権力や軍事力を誇示してきたファラオでありますから、そこまで移住民であったイスラエルの人々が増加していったとしても恐れることはなかったとも考えられるのですが。ファラオの胸中はそうではなかったのですね。彼らを野放しにすれば、いつかは自分の身も立場も危うくなるかもしれない。さらに数が増え、強力になるかも知れない。イスラエル人がそうなる前に、強制労働でもって虐待を繰り返し、その勢いの芽を摘んでおこう、と王は考えたのです。

ところが12節「しかし、虐待されればされるほど彼らは増え広がった」というのであります。イスラエルの人々はエジプト人による虐待を受け、「その労働は過酷を極めた」とありますように、彼らはいわば民族、そして人間性までも否定されるような仕打ちをうけるのでありますが。しかし、そのような力によってしても、彼らはその魂まで束縛されてはいませんでした。彼らにはよるべきお方、活ける主が共におられ、主の民は増え広がったというのです。彼らの信仰と祈り、そして苦しみと叫びは主の御もとに届き、その大いなるご計画が始まろうとしていました。

片や、事態が思うようにならいことに苛立ったエジプトの王は、ヘブライ人の2人の助産婦にこう命じます。「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ。」
これまでの「イスラエルの人々」という呼称が、ここで「ヘブライ人」という呼称に変ります。この「ヘブライ人」という呼び方をあえて用いているのは、この当時においては「定住地をもたずに移動する遊牧民、寄留者」という蔑視を込めた言い方であり、我らにとって彼らは寄留者、定住する権利のない者だと、いわば排他的な表現としてそう呼んでいるのです。
ところが真に興味深いことに、聖書はそういう抑圧されているヘブライ人の二人の助産婦の名前を丁寧に記しているのです。エジプト王のファラオは無名ですが、この助産婦たちの名前を、一人はシフラ。もう一人はプアという女性であった、とはっきり明記しています。
この二人のヘブライ人の助産婦たちは、「生まれてくる子が男の子ならば殺せ」との王の命令に背き、従いませんでした。それは17節にあるように「助産婦はいずれも神を畏れていたので」と述べられているとおりです。彼女たちは王が怖くなかったとは思えません。王に逆らえば命さえ失う危険があったことでしょう。しかし彼女たちは活ける真の神を知っていたのです。そして、王の命令どおり生まれ出る男の赤ん坊を殺すことは神の御心に反するとの確信があったのです。
ファラオはそのヘブライ人の2人の助産婦たちを呼びつけて、「どうしてこのようなことをしたのか」と問いただします。もはや絶対絶命のピンチ。どんなにか彼女たちは怖かったことでしょうね。けれど、驚くことに鬨の権力者ファラオに向かい、彼女たちはこう答えます。「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」
シフラとプアは神を畏れていました。それは命を脅かす存在に対する恐怖を上回る「神への畏れの念」でした。

この2人の助産婦たちの言葉に対して、王の言葉は何も記されていません。
エジプト人から見下され、酷使と抑圧されてきたヘブライ人の女性たち。しかし彼女たちは、先週の使徒パウロもそうでしたが、魂まで囚われてはいませんでした。彼女たちは神にあって世の力から自由であったのです。どこまでも真理であられるお方に従うことを行動によって示したのです。そこに神からの守りと恵みが与えられます。使徒言行録でペトロと使徒たちも、ユダヤの最高法院の場で「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(使徒5章29節)と、こう証言しました。

私は今日のこの箇所を読みながら、8節の「そのころ、ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配した」というところが気になっていました。不思議な神の導きによって大臣となりエジプトの危機を救ったヨセフの存在は王に畏敬の念を起こさせました。そのヨセフのことを知らないというのは、「神を知らない」「神への畏れがない」という意味であるのでしょう。新しいエジプトの王、ファラオは「太陽の神」とも称され、又栄華を極めた王宮を持ち、宗教的建造物に囲まれ生きていたにも拘わらず、神への畏れを知らなかったのです。
彼は、イスラエルの人々の数が増し、強力になることで、自らの立場が脅かされてしまうことを恐れ、イスラエルの人々に強制労働を課し虐待し、あげくの果てには生まれて来るヘブライ人の男の赤ん坊を殺すよう破壊的な命令を下しました。神を知らないということは命の根源を知らないということです。彼にとってイスラエルの人々は、その地位と国家を脅かす集団でしかありません。彼はその集団のすべてが悪で憎むべき敵のように思い込んでしまったのではないでしょうか。すべての命の源なる方を知らない、認めようとしないことが、人格を知ろうともせず、認めようとしない偏見や差別、恐怖心へとつながっていったのです。
 それに対して、ヘブライ人の2人の助産婦たちは、日々命を生みだす出来事に関わる中で、ヘブライ人もエジプト人も、男も女の赤ん坊も、みんな同じ貴い命を神に授かった存在なんだ、ということを実感していたんではないでしょうか。だから、どんなに権力のある人であれ、人の命に線引きをするような事に対しては、神への畏れをもって、断固「否」と、態度で示すことができたんではないでしょうか。

この聖書の記事を思い巡らしている時、一つのニュースが目に留まりました。
今、新たな安全保障関連法案が国会で審議されていますが。その法案について、与野党それぞれが推薦する3人の憲法学者から意見を聞く、衆議院憲法審議会が行なわれたそうですが。その与野党から推薦された3人の憲法学者たちのすべてが、何とこの法案は憲法違反(違憲)であるという指摘がなされたというのです。政府与党が推薦した憲法学者も、これは憲法に抵触することを訴えたということです。その信念はどこから来ているのか、と思いましたね。
それは戦後日本が再び戦争をすることなく、加害者にも被害者にもならなかったことは憲法を順守してきた、という憲法学者としての「畏れ」があるからではないでしょうか。
昨年、憲法改憲という手続きによらず、ただ一内閣閣僚によって集団的自衛権行使を認めてしまった。そのことによって自衛隊は専守防衛を超え、米国をはじめとする外国の戦争にも加担できるようにしたのです。それは戦争と一体化する道を拓いてしまうことにつながりかねないことです。安全保障関連法の中身とはそういうことです。先日イラク戦争で後方支援に参加した自衛隊員のうち精神的失患で自らの命を絶った人の数が昨年最も多かったそうです。自衛隊員とそのご家族にとっても、不安の中で戦地に送りこまれることは、決してあってはならないと思います。
いずれにしろ、この安全保障関連法案は「憲法違反」と、意見をはっきり述べられた与党推薦の憲法学者は法に対する畏れをもっておられる方だと、当たり前のことなんですが、こういう社会の空気の中だから、逆に感心させられましたね。
私たちの社会においても、神を畏れる助産婦たちが、必要です。それは何か特別な宗教家が必要ということではありません。神を畏れる普通の市民。神を畏れる医者。神を畏れる科学者。神を畏れる経済人や財界人。神を畏れる教育人。神を畏れる議員や政治的指導者。あらゆるところに神を畏れる人々がいることが大切です。そのことによって、社会が誤った方向へ向かおうとした時に、この神をこそ畏れていた助産婦たちのように、日常の経験から得たことから、率直にアカンことはアカン、おかしいことはおかしい、と言っていける感覚を身につけておくことが如何に大事かということを、今日の聖書の言葉から思い知らされます。
「助産婦たちは神を畏れていた。」今日ここから私たちも又、そのような存在として世に遣わされてゆきたいと願います。新しい月と週のひと日ひと日において、主イエスの福音の拡がりを期待して祈り、執り成してまいりましょう。


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