阪神・淡路の大震災から12年が経ちました。
たまたま震災の時には阪神地域に暮らしていませんでしたが、その前後にその地に縁あって生活したオヤジにとっては決してひとごとではありません。
突然、自分の意思とは関係なく人生を奪われた人、人々の生活の積み重ねである神戸の下町の町並みは崩れ落ち燃えました。
自分が触れた風景だっただけに、復興を喜ばしく思うと同時にその変貌ぶりに寂しさを感じます。それはあまりに自分勝手かもしれませんけど。
長田の大正筋なんてのはホントちょっと錆びれてましたけど、アーケードの商店街や脇の路地など風情がありました。得意先に行く時に営業車を止めておく駐車場は長屋のような家屋の1階部分だったんです。
そこの商店街に昭和30年代に建った某スーパーの店があり、そこの業務用のエレベーターがまた当時で既に骨董品的な味がありました。
神戸からの追悼行事のテレビ画像を視ながら、柄にも無くちょっとセンチになったオヤジでした。
たまたま震災の時には阪神地域に暮らしていませんでしたが、その前後にその地に縁あって生活したオヤジにとっては決してひとごとではありません。
突然、自分の意思とは関係なく人生を奪われた人、人々の生活の積み重ねである神戸の下町の町並みは崩れ落ち燃えました。
自分が触れた風景だっただけに、復興を喜ばしく思うと同時にその変貌ぶりに寂しさを感じます。それはあまりに自分勝手かもしれませんけど。
長田の大正筋なんてのはホントちょっと錆びれてましたけど、アーケードの商店街や脇の路地など風情がありました。得意先に行く時に営業車を止めておく駐車場は長屋のような家屋の1階部分だったんです。
そこの商店街に昭和30年代に建った某スーパーの店があり、そこの業務用のエレベーターがまた当時で既に骨董品的な味がありました。
神戸からの追悼行事のテレビ画像を視ながら、柄にも無くちょっとセンチになったオヤジでした。