マーラー作曲 交響曲第5番。
1982年、大学2年生の時に初めて演奏しました。
その時はせいぜい知っていたのは第1番の「巨人」。実際にマーラーの作品を演奏するのも初めてでした。
病的なディナミークに悩まされました。自然な流れならクレッシェンドがあってフォルテへと思ったら次の小節にスビトピアノが出てくる・・・
おまけに手書きのパート譜は決してクォリティの高い仕事ではなく、細かいところが読み辛かったりしました。
楽しむというより必死に食らいついて終わったという印象でした。
1990年、芦屋交響楽団で2回目の演奏でした。
以前も書きましたが、奇しくも今回とまったく同じプログラム。
この時はセカンドヴァイオリンのトップでしたから、まず最初の演奏経験が活きない・・・だってパート譜は全く違いましたから。
音がやたら高いということはありませんでしたが、ファーストと比べると何しろ音が細かくて往生しました。
後に指揮をした松尾葉子先生の本にちょっとこの時の演奏の話しも取り上げられて、本に載った写真に何気にオヤジは写っていました。
それから22年を経て3度目の演奏が今日でした。
ファーストのトップサイド。
まあ、コンマスそっちのけで自分の世界に浸ってしまったかもしれません。
1982年に最初にマーラーの譜面と向き合って奇しくも30年。
その間に「嘆きの歌」、1番が各1回。2番を2回、9番が3回と曲の偏りがありながらもマーラーと向き合う機会があって、オヤジなりの人生も積み重ね、必死に食らいつかねばならないところは相変わらず進歩がありませんが、その中で演奏を通じて投影できるもの、楽譜から読み取って音として味わえるものなどが増えてきたように思います。
いつも一生懸命演奏しているつもりですが、演奏を終えた直後の充実感と疲労感はちょっと違うものがありました。
やっぱり演奏しがいのある名曲です。
あーあ、終わってしまいました。またしばしのお別れ、See You Again!

1982年、大学2年生の時に初めて演奏しました。
その時はせいぜい知っていたのは第1番の「巨人」。実際にマーラーの作品を演奏するのも初めてでした。
病的なディナミークに悩まされました。自然な流れならクレッシェンドがあってフォルテへと思ったら次の小節にスビトピアノが出てくる・・・
おまけに手書きのパート譜は決してクォリティの高い仕事ではなく、細かいところが読み辛かったりしました。
楽しむというより必死に食らいついて終わったという印象でした。
1990年、芦屋交響楽団で2回目の演奏でした。
以前も書きましたが、奇しくも今回とまったく同じプログラム。
この時はセカンドヴァイオリンのトップでしたから、まず最初の演奏経験が活きない・・・だってパート譜は全く違いましたから。
音がやたら高いということはありませんでしたが、ファーストと比べると何しろ音が細かくて往生しました。
後に指揮をした松尾葉子先生の本にちょっとこの時の演奏の話しも取り上げられて、本に載った写真に何気にオヤジは写っていました。
それから22年を経て3度目の演奏が今日でした。
ファーストのトップサイド。
まあ、コンマスそっちのけで自分の世界に浸ってしまったかもしれません。
1982年に最初にマーラーの譜面と向き合って奇しくも30年。
その間に「嘆きの歌」、1番が各1回。2番を2回、9番が3回と曲の偏りがありながらもマーラーと向き合う機会があって、オヤジなりの人生も積み重ね、必死に食らいつかねばならないところは相変わらず進歩がありませんが、その中で演奏を通じて投影できるもの、楽譜から読み取って音として味わえるものなどが増えてきたように思います。
いつも一生懸命演奏しているつもりですが、演奏を終えた直後の充実感と疲労感はちょっと違うものがありました。
やっぱり演奏しがいのある名曲です。
あーあ、終わってしまいました。またしばしのお別れ、See You Again!
