京都の道 その1、花見小路―1
毎日、写真を掲載するのは結構しんどい。写真はいっぱいあるのだけれど、みなさんすぐ飽きるのが厄介な問題だ。ちゃんと社長業をやりながらのブログ書きですから、ひまを持て余している人と同じようにはいきません。長編を淡々と書きたい。現代は携帯電話文明で、ショートコメントを頻繁に発信する、それもたわいなく、シンプルで、すぐ役立つことしか受け入れられない。皆でワイワイやりながら、といって深い意味はない。私は、情報を伝えるために写真を撮っているのではなく、情報雑誌のようなつもりでブログを書いているのでもない。じっくりと自然の本質を引き出したいと思っているだけだけれど。といいつつ、どうやったら、携帯文明に乗れるのかと考え込んでみたりもする。京都の道シリーズは、季節のイベントのない時の谷間をうめる目的で、少しずつ書き溜めたものです。これまで、なぜか、なかなか谷間が生まれなかったので、この谷間用物語が登場するチャンスがありませんでした。 いぜんより、一日に掲載する写真と文を大幅にふやしたので、回転がよくなって、とうとう谷間がやってきました。いよいよ京都の道シリーズの出番です。その1は短いですが、その2、その3とどんどん長くなります。昔書いたとおりに、手直ししないで掲載します。京都の深い味がでるだろうか? それとも退屈で、もういいといわれるだろうか?
京都の道シリーズ1 花見小路 <★は2009年5月24日、レンズはペンタックス16~50mmそれ以外は2008年2月15日、レンズはタムロン18~250mmの取材>
御承知のように、京都の道は東西南北へ碁盤の目のように走っています。平安京発祥の時から碁盤の目であることはかわりありませんが、1000年以上経ちますので、その間にはこの碁盤の目にはいろいろな変遷があったに違いありません。一つ一つの道を端から端まで歩きながら、今や昔を色々考えてみましょう。シリーズとして道の名前を書いていますが、ただその道、一本を歩いて写真をとるのでは、あまりに堅苦しい。左に入ったり、右に入ったり、お寺に入ったり、お店に入ったり、気のむくままに写真をとります。
花見小路といえば祇園の道という認識でしたが、歩いてみると、色々な顔を持っていました。今回は、道々の京都の古い家から、京都のセンスとして、参考になるデザインやイクステリアを勉強させてもらうつもりで写真をとっています。ご期待される風景写真は少なく、当方のいつもの<パターン研究>の為の部分写真ですが、お付き合い願えれば幸いです。
<一つの典型的、京都民家の風景です。イクステリアとしてのすだれは東京では和風料亭のごく一部で使われるにすぎませんが、京都では極めてポピュラーです。東京の目でみると、とても魅力的です。この植木の鉢の配列に、京都の方の気持ちが伝わってきます>
<あるお店の部分です。この3種の天然素材の組み合わせが、マチエールといい、色といい、やわらかな自然と人間の融合を感じさせてくれます。これが京都です。普通の家でも、知らず知らずのうちに、視覚にはいって、京都の風情を作り上げています。>
<実はこの店は皆さんが知っている「わらじや」といううなぎ屋さん。七条から入った本町です。>
<この天然素材の組み合わせも、京都でよく見かける風景です。この情景を維持するのはコスト、手間が大変と思います。一般の家ではさすがに、維持するのは難しいようですが、お店では、風情作りの目的でしっかりと、この情景を守っています。>
<この家の木の桟のパターンは、もう東京では見られません。このリズムを楽しむには東京では大変です。うらやましい。>
<前の写真の家のこだわりにもうお気付きですか。瓦にのった焼き物人形は「鍾馗(しょうき)さん」というのだそうです。中国で生まれた「鬼より強い鍾馗」が、京都の屋根に載るようになったのは、文化二年。とネットにでていました。この写真は違う家の「鍾馗さん」のアップです。結構、京都のあちこちで見ることができます。>
<ずうっと路地が続いています。こういう路地があちこちにあります>
<もう一つ、あちこちにあるのが、小さなお地蔵さんです。1つの町内に1つはあるようです。あるだけでなく、きちんと守られていて、それぞれ生活の中で生きています>
<路地の向こうにお地蔵さんという風景もあります>
毎日、写真を掲載するのは結構しんどい。写真はいっぱいあるのだけれど、みなさんすぐ飽きるのが厄介な問題だ。ちゃんと社長業をやりながらのブログ書きですから、ひまを持て余している人と同じようにはいきません。長編を淡々と書きたい。現代は携帯電話文明で、ショートコメントを頻繁に発信する、それもたわいなく、シンプルで、すぐ役立つことしか受け入れられない。皆でワイワイやりながら、といって深い意味はない。私は、情報を伝えるために写真を撮っているのではなく、情報雑誌のようなつもりでブログを書いているのでもない。じっくりと自然の本質を引き出したいと思っているだけだけれど。といいつつ、どうやったら、携帯文明に乗れるのかと考え込んでみたりもする。京都の道シリーズは、季節のイベントのない時の谷間をうめる目的で、少しずつ書き溜めたものです。これまで、なぜか、なかなか谷間が生まれなかったので、この谷間用物語が登場するチャンスがありませんでした。 いぜんより、一日に掲載する写真と文を大幅にふやしたので、回転がよくなって、とうとう谷間がやってきました。いよいよ京都の道シリーズの出番です。その1は短いですが、その2、その3とどんどん長くなります。昔書いたとおりに、手直ししないで掲載します。京都の深い味がでるだろうか? それとも退屈で、もういいといわれるだろうか?
京都の道シリーズ1 花見小路 <★は2009年5月24日、レンズはペンタックス16~50mmそれ以外は2008年2月15日、レンズはタムロン18~250mmの取材>
御承知のように、京都の道は東西南北へ碁盤の目のように走っています。平安京発祥の時から碁盤の目であることはかわりありませんが、1000年以上経ちますので、その間にはこの碁盤の目にはいろいろな変遷があったに違いありません。一つ一つの道を端から端まで歩きながら、今や昔を色々考えてみましょう。シリーズとして道の名前を書いていますが、ただその道、一本を歩いて写真をとるのでは、あまりに堅苦しい。左に入ったり、右に入ったり、お寺に入ったり、お店に入ったり、気のむくままに写真をとります。
花見小路といえば祇園の道という認識でしたが、歩いてみると、色々な顔を持っていました。今回は、道々の京都の古い家から、京都のセンスとして、参考になるデザインやイクステリアを勉強させてもらうつもりで写真をとっています。ご期待される風景写真は少なく、当方のいつもの<パターン研究>の為の部分写真ですが、お付き合い願えれば幸いです。
<一つの典型的、京都民家の風景です。イクステリアとしてのすだれは東京では和風料亭のごく一部で使われるにすぎませんが、京都では極めてポピュラーです。東京の目でみると、とても魅力的です。この植木の鉢の配列に、京都の方の気持ちが伝わってきます>
<あるお店の部分です。この3種の天然素材の組み合わせが、マチエールといい、色といい、やわらかな自然と人間の融合を感じさせてくれます。これが京都です。普通の家でも、知らず知らずのうちに、視覚にはいって、京都の風情を作り上げています。>
<実はこの店は皆さんが知っている「わらじや」といううなぎ屋さん。七条から入った本町です。>
<この天然素材の組み合わせも、京都でよく見かける風景です。この情景を維持するのはコスト、手間が大変と思います。一般の家ではさすがに、維持するのは難しいようですが、お店では、風情作りの目的でしっかりと、この情景を守っています。>
<この家の木の桟のパターンは、もう東京では見られません。このリズムを楽しむには東京では大変です。うらやましい。>
<前の写真の家のこだわりにもうお気付きですか。瓦にのった焼き物人形は「鍾馗(しょうき)さん」というのだそうです。中国で生まれた「鬼より強い鍾馗」が、京都の屋根に載るようになったのは、文化二年。とネットにでていました。この写真は違う家の「鍾馗さん」のアップです。結構、京都のあちこちで見ることができます。>
<ずうっと路地が続いています。こういう路地があちこちにあります>
<もう一つ、あちこちにあるのが、小さなお地蔵さんです。1つの町内に1つはあるようです。あるだけでなく、きちんと守られていて、それぞれ生活の中で生きています>
<路地の向こうにお地蔵さんという風景もあります>