小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

京都の道 その1、花見小路ー4

2010-11-19 21:21:52 | 旅行
河合寛治郎記念館。では、再び順路にもどりましょう。


<中庭を隔てて、書斎や陶芸工房があります>


<書斎>
















<陶房の隣の休憩所みたいな所、椅子や机が魅力的>







<彼の陶芸はいろいろな試みを常に行っています>
<この手法も、水絵からヒントを得たようなユニークな手法です>


<この模様と同じ模様のぐい飲みが売っていたので、少々高いと思いましたが買ってしまいました。河合寛次郎さんの作か、河合博次さんの作か書いてありません。河合寛次郎さんは名をいれなかったそうです。それともコピーにすぎないのかな??>

展示してあったほとんどの陶芸作品の写真をとったのですが、なぜかこの時、撮影の失敗が多くて、一部しかのせることができません。少し、河合寛次郎さんの生きざまがおわかりになりましたでしょうか。もっともっとユニークな作品があったのですが、せひご自分でたずねて、気に入った作品を見つけてください。

以前、ブログで河合寛治郎さんを詳しくご紹介したので、今回はあまり書きませんでしたが、覚えていることをすこし書き足してみましょう。河合さんは最初、古い中国・朝鮮の陶器に引かれて、きわめてすぐれた中国・朝鮮風陶器を作っていました。私も古い朝鮮の陶器に一番ひかれるのです。その後、人間国宝第一号の陶芸家、浜田庄司と接触して、またウイリアムモリスからはじまった、バーナードリーチとか柳宗悦の民芸運動に触発されて、全く違った陶器を作るようになったのです。あちこち、沖縄にもいって、手法を学んでいます。晩年になればなるほど、自由奔放な陶器や彫刻を作るようになりました。わびさびでなく、生命の本質を追及するといいましょうか。ものすごい転換に次ぐ転換を重ねて突き進んでゆきました。人間国宝になることになったのですが、それを断りました。そんなものもらったら人間おしまいだといって。作品に名前を入れなかったのも、これは芸術作品ではない、一介の民芸品をつくっているのだという主張と思います。
 では、河合寛次郎さんが長くなりましたが、道にもどりましょう。五条を過ぎると、六波羅蜜寺から建仁寺です。


コメント
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