小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

ペンタックス、オールドレンズとリコーGXR+マウントA12で遊ぼう その8

2012-07-26 21:02:03 | 日記
ペンタックス、オールドレンズとリコーGXR+マウントA12で遊ぼう その8
(行田の古代ハス編)

古代蓮の里から、シャトルバスで埼玉古墳群はすぐです。本当はそこまで歩く予定でしたが。あまりの暑さにメゲました。
行田の埼玉古墳群のあるところは、古墳時代には、東京湾につながる埼玉沼という大きな湖に突き出た半島だったそうな。 埼玉(さきたま)は無論埼玉(さいたま)の地名の由来で、奈良時代にはすでに<さきたま>という記述があるそうな。 この古墳群は今から1300年から1500年くらい前に建造され、大きなものだけでも9基もあります。古墳群のうち、丸墓山(まるはかやま)古墳は日本最大の円墳であり、二子山(ふたごやま)古墳は武蔵野国(現在の埼玉県、東京都、神奈川県の一部)で最大規模を誇る前方後円墳です。さらに、稲荷山(いなりやま)古墳は、昭和43年(1968)の発掘調査によって、国宝の「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」を出土し有名です。しかし、意外なことに、どういう人が葬られているのか、学術的には定かではないらしい。大昔武蔵の国に大きな勢力を持って支配していた人々なのは間違いないでしょうが。当然ながら、さらに、この古墳群にはいろいろな謎があるようです。



この古墳群の図面をみてもいろいろな疑問がわいてきます、1)なぜ前方後円墳のなかに一つだけ円墳なのか?2)なぜ前方後円墳はいずれも後円部をほぼ北に向け築かれているのか?3)5世紀末から6世紀末の100年間にわたって、狭い地域に大型古墳が周濠を接するような近さで、一貫した計画性をもって次々と築造されたのはなぜか? 4)大和地方の天皇陵クラスの大古墳にしか見られない二重周濠が、一地方の古墳にすぎない前方後円墳のほとんどに巡らされているのはなぜか?  まあ、いろいろあります。 当方にとって疑問なのは1)なぜ、古墳を発掘しながら、こうもその歴史を解明できないのか?出雲に行った時も、古墳がいっぱいあるのに、まだ調査もしていない古墳がいっぱいあり、田んぼの真ん中にポツンと貴重な古墳がほぼ放置されている、その時から日本国の歴史に対する日本人の扱い方にとても疑問を持ち続けているのです。2)なぜ、いままで当方は関東にいっぱい古墳があることを知らなかったのか。古墳はみんな奈良にあるとおもっていました。まったくバカですね。



でも、埼玉県は偉いですよ。この古墳群をさきたま古墳公園として、きれいに整備して、無料で開放しているのですから。


ペンタックスK7, ペンタックスSMC 28mm, F2.8 丸墓山(まるはかやま)古墳


ペンタックスK5, ペンタックス15mm limited 丸墓山古墳からの眺め稲荷山古墳がみえます。


ペンタックスK7, ペンタックスSMC 28mm, F2.8 丸墓山古墳からの眺め、稲荷山古墳


ペンタックスK7, ペンタックスSMC 28mm, F2.8 丸墓山古墳からの眺め、将軍山古墳


ペンタックスK7, ペンタックスSMC 28mm, F2.8 丸墓山古墳からの眺め


ペンタックスK5, ペンタックス15mm limited  丸墓山古墳


ペンタックスK7, ペンタックスSMC 28mm, F2.8 丸墓山古墳

15mm limitedのその場の雰囲気をそのまま伝える不思議な技、そしてSMC 28mmの雰囲気をズバっとわし掴みにする技。ペンタックスの磨いてきた技です。


ペンタックスK5, ペンタックス15mm limited 丸墓山古墳の裏手


ペンタックスK5, ペンタックス15mm limited  芝生広場


ペンタックスK5, ペンタックス15mm limited 二重の堀に囲まれた二子山古墳


ペンタックスK7, ペンタックスSMC 28mm, F2.8 

二子山古墳は一部破壊されて、その後修復されたそうです。どこにでも、いつでも古いものを壊すのが好きな人種というのがいるものですね。


ペンタックスK5, ペンタックス15mm limited 二子山古墳

東京都心にも古墳がたくさんあるとネットにかいてありました。当方のすぐそばの芝公園にも芝丸山古墳というのがあったのです。いつも知らずに、通り過ぎていました。東京都心で一番大きな110mmもある古墳だそうです。 東京都古墳マップというのまであって、87の古墳の印がついていました。当方も含め、東京の人は現在・未来や海の向こうばかり見ていて自分たちの過去に気を留めない。行田の観光案内パンフにおける古墳群の説明だって、数行のあっけないものだ。夢もロマンもあったものじゃない。京都だったら、こんな無粋なことはしない。古墳時代に、行田は東京湾につながる埼玉沼という大きな湖に突き出た半島の先端だったという記述はとってもうれしい。関東平野は広すぎる。でかい湖や森があってもいいじゃないか。東京は人が乾きすぎているよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする