また新学期が始まった。
「新学期」とは言え、3年目ともなると新鮮味がほとんどない。
顔ぶれは同じで、それぞれ1年→2年、2年→3年へとスライドしているだけだ。
それは始めは分かっているのに、
自分で授業をしながら頭がクラ~っとするような、
目眩がするような、ねじれちゃったような感じを味わっている。
時の経つのが速いのだ。
原因はきっとそれだ。
3年なんて、ついこの間まで『みんなの日本語』をワイワイやっていたのに、
今など急に、
「文学=言語芸術である。では芸術とは何ぞや?」
などと講義をしているんだから。
(吉本隆明の「言語にとって美とは何か」なんてタイトルの本があったな。
あれ、今読んだらバッチリ役立ちそうだな)
なんて心で呟きながら。
「自分の頭で考えよう」と言いながら、結構参考書を頼るこの頭。
骨組みが分かるとあれこれの思考がスッと秩序だつのだ。
自分で骨組みから考えられたら、ああ、どんなにいいでせう。
と、言いつつそこまで粘り強く思考を深める気もない。
吉本隆明は、昔憧れていた。
名前がリュウメイなんてカッコイイ( ´∀`)というレベルでしたが…。
彼は自分の身を持って、
人間が組み立てた論理が全てを説明できるわけもない、と証明してくれた。
「原発」しかり、「麻原彰晃」しかり。
彼の間違いの源は、『幾何学的思考』と村瀬学さんが名づけた思考の方法だったのではないだろうか。
紙が空中をヒラヒラ舞い落ちるのを正確に狙撃する者が、
蝶(鳥でもいい)が同様にヒラヒラと舞い落ちて来た時に、思わずたじろぐことが出来るか否か。
幾何学的思考は、そのたじろぎを欠落させる。
その欠如が、「原発O.K.、麻原O.K.」につながる気がする。
あれ、何の話やねん?
なんやかんや言って『言美」が読みたくなったという話でした~。
(#^.^#)チャンチャン。
「新学期」とは言え、3年目ともなると新鮮味がほとんどない。
顔ぶれは同じで、それぞれ1年→2年、2年→3年へとスライドしているだけだ。
それは始めは分かっているのに、
自分で授業をしながら頭がクラ~っとするような、
目眩がするような、ねじれちゃったような感じを味わっている。
時の経つのが速いのだ。
原因はきっとそれだ。
3年なんて、ついこの間まで『みんなの日本語』をワイワイやっていたのに、
今など急に、
「文学=言語芸術である。では芸術とは何ぞや?」
などと講義をしているんだから。
(吉本隆明の「言語にとって美とは何か」なんてタイトルの本があったな。
あれ、今読んだらバッチリ役立ちそうだな)
なんて心で呟きながら。
「自分の頭で考えよう」と言いながら、結構参考書を頼るこの頭。
骨組みが分かるとあれこれの思考がスッと秩序だつのだ。
自分で骨組みから考えられたら、ああ、どんなにいいでせう。
と、言いつつそこまで粘り強く思考を深める気もない。
吉本隆明は、昔憧れていた。
名前がリュウメイなんてカッコイイ( ´∀`)というレベルでしたが…。
彼は自分の身を持って、
人間が組み立てた論理が全てを説明できるわけもない、と証明してくれた。
「原発」しかり、「麻原彰晃」しかり。
彼の間違いの源は、『幾何学的思考』と村瀬学さんが名づけた思考の方法だったのではないだろうか。
紙が空中をヒラヒラ舞い落ちるのを正確に狙撃する者が、
蝶(鳥でもいい)が同様にヒラヒラと舞い落ちて来た時に、思わずたじろぐことが出来るか否か。
幾何学的思考は、そのたじろぎを欠落させる。
その欠如が、「原発O.K.、麻原O.K.」につながる気がする。
あれ、何の話やねん?
なんやかんや言って『言美」が読みたくなったという話でした~。
(#^.^#)チャンチャン。