国家間の経済・教育・文化交流は、平和な環境の下でこそ発展する。
交流の促進によって、その国の人々のフトコロも心も豊かになる。
そのために、戦後多くの政治家たちは粉骨砕身の努力をしてきた。
1972年9月の田中角栄・周恩来による「日中共同声明」に至るまでの道のりは、
決して平坦ではなかった。
日本国内では、
1958年岸信介が総理大臣になると中国敵視政策を展開したのに対し、
周恩来が「①中国人民を敵視しない ②2つの中国を作らない ③関係正常化を妨害しない」
と、大人の提案をして何とかおさめた。
この年には「長崎国旗事件」が起きた年でもある。
暴徒が(言っとくけど日本人の暴徒だよ)、長崎で中国国旗を引きずり下ろした事件だ。
よく「日本人は、中国人みたいに乱暴なことはしませんよ。」という声を日本国内で聞く。
今だけの状況を見れば、そうかも知れない。
しかし、この事件だけではない。
それ以前に「満州事変」(1931.9.18 満州柳条湖付近で日本軍が自作自演の満鉄爆破をし、それを理由に中国侵略を開始)から1945年の敗戦に至るまで、
日本人は中国人の国土も権利も誇りをも、文字通り蹂躙した。
そのまた前には1894-95年の日清戦争がある。
日中関係において、先に悪いことをしたのは日本なのだ。
これは未来に、実に大きな、大きな禍根を残した…。
岸信介の弟、佐藤栄作(1965年首相就任)は親台湾派だ。
自民党政権の中で、1972年の日中国交正常化にこぎつけるまでには、
松村謙三(まつむらけんぞう)、古井喜実(ふるいよしみ)などが、「党内から『屈辱外交』『土下座外交』と罵声を浴びせられ、また中国側からも『佐藤の弁護人』『佐藤と結託』という言葉を投げつけられながら(wikipedia:古井喜実)」粘り強い交渉を続けた。
「日中国交正常化」は、両国の政治家の、未来を見据えた英知が実現させたものだと言える。
それから40年経った今、日本の政治家の中でも際立った言動を弄している石原慎太郎は、
岸信介、佐藤栄作などにつながる親台湾派だという。
日本はまた未来に禍根を残す選択をするのだろうか。
日本国民は下の老政治家の、もはや私怨の域から発する口汚い言葉を、
理性的に制止することができないのだろうか。
この文言は中国を始め、世界中に巻き散らかされているというのに。
石原都知事、尖閣侵入「気が狂ってる」
2012年9月15日 http://www.daily.co.jp/gossip/2012/09/15/0005380143.shtml
東京都の石原慎太郎知事は14日の記者会見で、沖縄県・尖閣諸島周辺の領海に中国の海洋監視船が相次いで侵入したことについて「気が狂ってるんじゃないかと思う」と批判した。
知事は「俺のものは俺のもの、おまえのものは俺のものとやられたら、世界中たまったものじゃない」と反発。「人の家に土足でずかずか踏み込んできたら、追っ払えばいい」と話した。
都による尖閣諸島購入を表明して以降の知事の言動が日中関係を悪化させているとの見方について感想を求められると「経済、利益は失ったっていいじゃないか。ほかで権益を広げたら。民族の伝統や文化を抹殺されて、あの国の属国になることがよっぽど嫌だね。日本を救うためにこっちはやっている」と反論した
交流の促進によって、その国の人々のフトコロも心も豊かになる。
そのために、戦後多くの政治家たちは粉骨砕身の努力をしてきた。
1972年9月の田中角栄・周恩来による「日中共同声明」に至るまでの道のりは、
決して平坦ではなかった。
日本国内では、
1958年岸信介が総理大臣になると中国敵視政策を展開したのに対し、
周恩来が「①中国人民を敵視しない ②2つの中国を作らない ③関係正常化を妨害しない」
と、大人の提案をして何とかおさめた。
この年には「長崎国旗事件」が起きた年でもある。
暴徒が(言っとくけど日本人の暴徒だよ)、長崎で中国国旗を引きずり下ろした事件だ。
よく「日本人は、中国人みたいに乱暴なことはしませんよ。」という声を日本国内で聞く。
今だけの状況を見れば、そうかも知れない。
しかし、この事件だけではない。
それ以前に「満州事変」(1931.9.18 満州柳条湖付近で日本軍が自作自演の満鉄爆破をし、それを理由に中国侵略を開始)から1945年の敗戦に至るまで、
日本人は中国人の国土も権利も誇りをも、文字通り蹂躙した。
そのまた前には1894-95年の日清戦争がある。
日中関係において、先に悪いことをしたのは日本なのだ。
これは未来に、実に大きな、大きな禍根を残した…。
岸信介の弟、佐藤栄作(1965年首相就任)は親台湾派だ。
自民党政権の中で、1972年の日中国交正常化にこぎつけるまでには、
松村謙三(まつむらけんぞう)、古井喜実(ふるいよしみ)などが、「党内から『屈辱外交』『土下座外交』と罵声を浴びせられ、また中国側からも『佐藤の弁護人』『佐藤と結託』という言葉を投げつけられながら(wikipedia:古井喜実)」粘り強い交渉を続けた。
「日中国交正常化」は、両国の政治家の、未来を見据えた英知が実現させたものだと言える。
それから40年経った今、日本の政治家の中でも際立った言動を弄している石原慎太郎は、
岸信介、佐藤栄作などにつながる親台湾派だという。
日本はまた未来に禍根を残す選択をするのだろうか。
日本国民は下の老政治家の、もはや私怨の域から発する口汚い言葉を、
理性的に制止することができないのだろうか。
この文言は中国を始め、世界中に巻き散らかされているというのに。
石原都知事、尖閣侵入「気が狂ってる」
2012年9月15日 http://www.daily.co.jp/gossip/2012/09/15/0005380143.shtml
東京都の石原慎太郎知事は14日の記者会見で、沖縄県・尖閣諸島周辺の領海に中国の海洋監視船が相次いで侵入したことについて「気が狂ってるんじゃないかと思う」と批判した。
知事は「俺のものは俺のもの、おまえのものは俺のものとやられたら、世界中たまったものじゃない」と反発。「人の家に土足でずかずか踏み込んできたら、追っ払えばいい」と話した。
都による尖閣諸島購入を表明して以降の知事の言動が日中関係を悪化させているとの見方について感想を求められると「経済、利益は失ったっていいじゃないか。ほかで権益を広げたら。民族の伝統や文化を抹殺されて、あの国の属国になることがよっぽど嫌だね。日本を救うためにこっちはやっている」と反論した