今日もVIPだ(嬉しくない)。
車での送り迎えだけでなく買い物まで主任の小紅老師が付き添ってくださった。
一週間ぶりのスーパー全家百貨の店内が懐かしかった。
店員さんたちもいつもと同じ雰囲気。
ヨーグルトが品切れだったので、道路を隔てた財大購物広場(これもスーパー)に足を伸ばした。
そこも、いつも通りの落ち着いた雰囲気で、暴漢など居そうにもない。
小紅老師は、卵でもヨーグルトでもやたら高い物ばかり私に勧める。
彼女の夫は、
「服はどうでもいいから食べ物は高いものを食べたい。」
という食道楽だそうだ。
しかし、小紅先生の服装はいつも洒落ていて、毎回違うものを着て現れる。
食道楽と着道楽が夫婦でちゃんと成り立っているから、やはり経済的ゆとりが十分にあるのだ。
午後、宿舎でパソコンに向かっていると、携帯が鳴った。
6月に卒業した王ホンケンさんだ。
何を隠そう、彼は私が赴任した2年前の日本語作文で、次のような作文を書いた学生だった。
「自分はもうこれ以上日本語を勉強したくない。私は中国を愛しているので、日本語を話すことも書く事も苦痛だ。私は日本を憎む。責任をもって製品作りに取り組む姿勢は認めるが、もっと大切なことには責任を取っていない。侵略戦争の謝罪をしていないじゃないか。中国人民に対してこの上なく残虐非道な行いをしていながら、小泉総理は戦争責任者を祀った靖国神社に総理大臣として参拝した。この作文に日本人の先生はどう答えてくれるのか。」
とまあ、真正面からの質問状だった。
その時は、1995年の村山談話の内容をノートに挟んでそっと渡した。
その後授業の合間に、
日本の政治は、中国のように一枚岩ではなく、
保守革新が、時に拮抗し、時に右に左にブレながら戦後の歴史を刻んできたこと、
国民もその流れとともにあったこと、
1995年に当時の総理大臣村山富市が、戦争で被害を与えたアジア諸国に正式謝罪したこと、
バブルの崩壊以降日本社会は右傾化が顕著であること。
しかし、日本には日本国憲法という平和憲法があるから
絶対戦争はしないこと、などボツボツと話していった。
これらは日本語学科の彼ら彼女らにとっては、初めて聞いたことだった。
日本の皆さんにぜひ知ってもらいたい。
中国の多くの若者たちは、
日本が戦争を永久に放棄していることを知らないのだ。
政権が変わるたびに言うことも変わることが、理解しづらいのだ。
日本人の多くが自分を「愛国者である」と思っていないことも信じられないのだ。
日本人が平和を望んでいるのも、半信半疑なのだ。
政治的発言を禁じられている日本人教師の苦悩(沙*・ω・)、分かってもらえるだろうか。
そんな元愛国者ホンケンさんから電話が来て、
私はちょっとドキドキ・・・だった。
(その②に続く)
車での送り迎えだけでなく買い物まで主任の小紅老師が付き添ってくださった。
一週間ぶりのスーパー全家百貨の店内が懐かしかった。
店員さんたちもいつもと同じ雰囲気。
ヨーグルトが品切れだったので、道路を隔てた財大購物広場(これもスーパー)に足を伸ばした。
そこも、いつも通りの落ち着いた雰囲気で、暴漢など居そうにもない。
小紅老師は、卵でもヨーグルトでもやたら高い物ばかり私に勧める。
彼女の夫は、
「服はどうでもいいから食べ物は高いものを食べたい。」
という食道楽だそうだ。
しかし、小紅先生の服装はいつも洒落ていて、毎回違うものを着て現れる。
食道楽と着道楽が夫婦でちゃんと成り立っているから、やはり経済的ゆとりが十分にあるのだ。
午後、宿舎でパソコンに向かっていると、携帯が鳴った。
6月に卒業した王ホンケンさんだ。
何を隠そう、彼は私が赴任した2年前の日本語作文で、次のような作文を書いた学生だった。
「自分はもうこれ以上日本語を勉強したくない。私は中国を愛しているので、日本語を話すことも書く事も苦痛だ。私は日本を憎む。責任をもって製品作りに取り組む姿勢は認めるが、もっと大切なことには責任を取っていない。侵略戦争の謝罪をしていないじゃないか。中国人民に対してこの上なく残虐非道な行いをしていながら、小泉総理は戦争責任者を祀った靖国神社に総理大臣として参拝した。この作文に日本人の先生はどう答えてくれるのか。」
とまあ、真正面からの質問状だった。
その時は、1995年の村山談話の内容をノートに挟んでそっと渡した。
その後授業の合間に、
日本の政治は、中国のように一枚岩ではなく、
保守革新が、時に拮抗し、時に右に左にブレながら戦後の歴史を刻んできたこと、
国民もその流れとともにあったこと、
1995年に当時の総理大臣村山富市が、戦争で被害を与えたアジア諸国に正式謝罪したこと、
バブルの崩壊以降日本社会は右傾化が顕著であること。
しかし、日本には日本国憲法という平和憲法があるから
絶対戦争はしないこと、などボツボツと話していった。
これらは日本語学科の彼ら彼女らにとっては、初めて聞いたことだった。
日本の皆さんにぜひ知ってもらいたい。
中国の多くの若者たちは、
日本が戦争を永久に放棄していることを知らないのだ。
政権が変わるたびに言うことも変わることが、理解しづらいのだ。
日本人の多くが自分を「愛国者である」と思っていないことも信じられないのだ。
日本人が平和を望んでいるのも、半信半疑なのだ。
政治的発言を禁じられている日本人教師の苦悩(沙*・ω・)、分かってもらえるだろうか。
そんな元愛国者ホンケンさんから電話が来て、
私はちょっとドキドキ・・・だった。
(その②に続く)