毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「いつかきっと花開く日本語学習」 2012年11月15日(木) No.505

2012-11-15 18:51:17 | 中国事情
一年生が今、日本語の文字を覚えている。
授業を始めて一ヶ月半だが、
まだ、両手で手すりにつかまり、ようやく立っているスケーターのような状態だ。
ディクテーション(聞き取り)をすると、
音だけを頼りに
「はじめましで」(はじめまして)
「ちゅごくじん」(ちゅうごくじん)
「シャプペンシル」(シャープペンシル)
「エンジニーア」(エンジニア)
など、惜しいミスのオンパレードである。

それが1年後には、平仮名、カタカナが(もちろん漢字も)、
スラスラと美しく書けるようになっている。
その頃からが私にとっての楽しみの時だ。

大学からやれと言われている課目は、
1年生、2年生では「会話」だけだ。
「みんなの日本語」のⅠ・Ⅱを2年間で履修する。
もし、それだけを忠実に教えるのであれば、私の人生灰色である。
ぜ~んぜん、面白くない。
いい大学生を相手に、
「あなたはアメリカ人ですか」
「いいえ、アメリカ人じゃありません。私は中国人です。」
「あなたは先生ですか。」
「いいえ、先生じゃありません。学生です。」
とかさ。
私が退屈なんだから、学生たちも同様だろう。
そうは言ってもこれを乗り越えなければ、
彼女ら・彼らがせっかく持っている知性を、日本語で発現させることはできない。
辛抱我慢である。

では、日本語学科の学生達の知性が最も輝くチャンスはいつ訪れるのか。
この大学では、三年生の時期だと私は思う。
就職や進学の準備にはまだ少し余裕があり、
1年、2年と蓄えてきた実力はかなりなものになっている。

今週月曜日、3年の「日本文学」の時間は
宮沢賢治の「雨にも負けず」の朗読発表だった。
2グループが発表したが、
もう、私の期待を遥か超えていた。
ああ、YOU TUBEとかでお見せしたい。
(撮ってないけど)
宮沢賢治と李白がコラボとか。
「雨にもまけ~ず、まけ~ず。 風にもまけ~ず、まけ~ず。」とか。

言葉は使ってなんぼ。
覚えるだけじゃ、拷問に等しい。
明日は日本語コーナーの日だけど、雨は大丈夫かな。







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「いつまでも元気でね!ヨーコ&ポール」 2012年11月14日(水)No.504

2012-11-14 19:40:02 | 日記
かれこれ50年近く前、
中学一年生だった私の周りの友人達の圧倒的アイドルは、
The Beatles だった。同級生の女の子たちは、
「ポール、ステキ~!」
「ええ?なんだよ、あんなタレ目。やっぱジョンだよね。頭良いし~。」
「一番ハンサムはジョージだからね。ゆっとくけど。」
と、北海道の知床斜里という「地の果て」でもこんな会話で盛り上がっていた。
1965年頃の話だ。

思えばその頃、中国ではあの文化大革命が始まろうとしていたのだ。
それを想うたびに胸が痛い。

私たちが呑気に「ジョンだ」「ポールだ」
「フッ、君たち、まだまだねえ。
音楽的にはローリングストーンズが上だから~。」
などと卵焼きの弁当を食べながら口角泡を飛ばしていた頃、
同年代の中国の子供たちの多くは、とんでもなく酷い目に遭っていたのだ。

福建省出身の帰国者、山下タカコさんは私よりひとつ年上だが、
過酷な運命に遭遇した一人である。
当時、中国庶民の多くが、意味も分からずに暴力の濁流に身を任せ、
つまり、愚民となり果てて、
ターゲットを見つけては密告したり、市中引き回しをして、
殴ったりけったりしていたそうだ。
この時期に殺害されたり、自殺を余儀なくされた、
「中国の宝物」と呼ぶに値する人々の数は千人や二千人ではないという。
彼女の両親は、父が日本人、母は中国人だがその妻だという「罪」で、
札を首にかけられて市中引き回しに遭い、
しまいに紅衛兵に連れ去られて、何ヶ月も帰ってこなかった。
14歳か15歳の少女は、幼い4人の弟妹の世話をするのに、
その日食べるものもなく途方に暮れていたと言う。
山下さんの話を聞いたとき、自分とのあまりの環境のギャップに言葉が出なかった。

そんな思い出のポール=マッカートニーとオノ=ヨーコの最近の写真を見つけた。
二人とも歳は取っても元気そうで、私は嬉しい。


ビートルズが解散したとき、
「ヨーコのせいで、ジョンが変になっちゃったんだ。」
と世界中で強烈なオノ=ヨーコへのバッシングがあった。
私の同級生にもヨーコを憎んでいる子が何人もいた。
イギリスから遥か遠い日本の「地の果て」にいて、
本当のことなんか分かるはずもないのに。
ああ、踊らされる庶民。昔から、どこの国でもそうなんだ・・・。
この愚かさを如何にせん。

先日、ポールが「ビートルズはヨーコによってバラバラにされたんじゃない。
我々は自分たちでバラバラになったのだ。」
と発言して、ヨーコを感激させたと言う。
(ヨーコさん、ずうっとバッシングを受けっぱなしだったのか)
とその記事を読んで思った。
世界中から何十年もグチャグチャ言われ続けてきても、
いつもまっすぐ堂々と生きてきたヨーコ。
ここにもいい先輩がいる。
ポールだって、
「死んだジョンができない分、自分が人権活動をする。」
と言って頑張っている。
最近もロシアの女性パンクバンド釈放を願うメッセージを出していたよね。

どうしたら踊らされる愚か者でなく、いられるのか。
それは、人の言うことを鵜呑みにせず、自分の頭で考えるしかない。
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「小沢一郎が清々しく見える」 2012年11月13日(火) No.503

2012-11-13 20:51:20 | 日記
Ichiro Ozawa: Court clears Japan's 'shadow shogun'
BBCニュースの見出しである(4月の一審判決のときの)。

政治資金規正法違反(虚偽記載)に問われ強制起訴された元民主党代表で新党「国民の生活が第一」の代表、小沢一郎(Ichiro Ozawa)被告(70)の控訴審で、東京高裁は12日、無罪とした1審判決を支持し、検察官役の指定弁護士の控訴を棄却した。

私としては、小沢裁判に対してかなり関心があった。
検察のいつ果てるともない、なりふり構わぬ小沢への攻撃の異様さと、
にもかかわらぬ小沢一郎の粘り腰、さらに彼へのフォロワーが結構いることで、
(ああ、この人は良かれ悪しかれ日本の政治の中心に君臨している人なんだなあ)と
実感した。

もともと全く好きではない。と言うか、大嫌いだった。
(いかにも悪(ワル)顔なので~(^O^))
自民党から離脱後、次々と政党を作っては代表に収まり、
右翼ではないが保守の中道、
はっきり言って私には最もカンケーない人の一人だと思っていた。

しかし、今は微妙に違う。
脱原発、
消費税法(2102年)廃止、
地域主義、
国民の生活第一。

これだけ並べたら、
あの安部晋三、石原慎太郎よりよほどマシだということがわかる。
安部、石原を叩きのめす力が欲しい。
残念ながら福島瑞穂率いる社民党にはそのパワーが全然ない。
共産党にもない。
もはや、この際小沢一郎に肩入れするしかないのか。
細かいことを言っている場合ではない。

この時代、優しい顔ではやっていけないのかも知れない。
ふてぶてしい悪顔の小沢一郎を、
ちょっと間、贔屓したくなってきたな。
この考え、ずるいかな。




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「アメリカ大統領選挙を見つめる中国人民の心」 2012年11月12日(月)No.502

2012-11-12 17:43:28 | 中国事情
下の記事を中国の大学生たちは、どう受け止めるだろう。
「アメリカ寄り」で一考だに値しないと切り捨てるには、
貴重な真実の側面を垣間見せていると、私は思うのだが。


転載記事:China Real Time Report(2012年 11月 8日 18:21 JST)

米大統領選が行われた6日、中国では多くのインターネットユーザーが
国内のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を訪れ、
選挙について状況を確認したり、コメントしていた。
その多くは、今週開始される、はるかに予測可能で、はるかに民主主義的でない
自国の指導者交代との違いを比較していた。


Agence France-Presse/Getty Images

 米国のテレビがオバマ大統領の再選を宣言すると、
中国の簡易ブログサイト「新浪微博」の「注目の話題」リストで
「米大統領選でオバマ氏が勝利」という話題が急上昇し、
2400万件を超える投稿が寄せられた。

 書き込みの多くはサイトを利用してオバマ氏への支持を表明するものだった。
科学的根拠のないオンライン世論調査によると、
中国では以前から大統領候補として好ましいのはオバマ大統領とされている。
だが、中国では今週後半から10年に1度の指導部交代が開始されるため、
米大統領選という機会を利用して、
自国の最高指導者を選択する上で自分たちにはいかに情報が不足しているか
についてコメントするユーザーも少なくなく、
中にはかなり辛辣(しんらつ)な書き込みもみられた。

 「次のボスを選ぶことを、米国では『選挙』と呼び、
われわれは『大会を開く』という」。
中国内陸部湖南省のあるユーザーはこう書いている。
「大会」が第18回中国共産党大会を指しているのは明らかだ。
そこで、ほぼ形式的に党内投票が行われ、次期指導者が明らかにされる。

 さらに別のユーザーによる次のような書き込みもあった。
「奇妙な状況:
1)われわれは自分たちのものよりも米国の選挙を気にかけている。
2)われわれは米国の大統領選の仕組みを明確に知っているが、
中国のそれについては全く知らない」。
この投稿はのちに削除された。

 中国国営英字紙グローバルタイムズは米大統領選について、
フロリダ州の投票所では早い時間に訪れた一部有権者が
最大7時間も待たされる事態が発生していたと報じ、
今回の大統領選を「恥」と表した
米アトランティック紙電子版に掲載された論評を引用した。

 この報道も新浪微博で嘲笑の的となり、
もっと長い時間でも中国人は喜んで待つだろうとの書き込みが多く寄せられた。
「われわれは63年待っているが、いまだに投票がどのようなものかさえ分からない。
恥ずかしいのはどっちだ?」
と、あるユーザーは匿名で記している。
(以下略)
記者: Josh Chin and Lilian Lin

http://jp.wsj.com/World/China/node_544680?reflink=Goo&gooid=nttr
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「南昌暮らしに意識変化あり」 2012年11月11日(日) No.501

2012-11-11 22:04:03 | 日記
ここに来たばかりの頃から比べて自分の生活意識に変化がある。

まず来たての頃はスーパーの品物の数々が珍しく、
ワクワクして商品棚を見て回ったものだ。(*゜∀゜*)
高いのか安いのか、値段の感覚がわからずに、
地元の人が見たら無駄遣いに思える買い方をしていたかもしれない。
ある時など、1枚5元のステンレスのお皿を3枚買おうとしてレジに持って行ったら、
5枚分のお代を取られた。
実際、よく見たら5枚張り付いていた。
その時、心の中では
(5枚といってもたったこれくらいの値段なんだからまあいいわ)
といった鷹揚な考えが浮かび、2枚余分に買ってしまった。
最近は5元のお金も(もったいない)という実感がある。
5元は日本の円に換算したら63円~64円だが、日本での64円よりこちらの5元は遥かにいろいろなものが買える。
今日買った大きな白菜1つが4.1元。日本では200円ぐらいはするだろう。
上品な甘さの干し柿6個が5.5元。大阪のコーヨー鮮度館では600円ぐらいだ。
このように物価の感覚が身についてきた今日此の頃、
買い物をするにしても地に足がついてきた気がする。

もう一つ、顕著な違いは例えば次のようなことだ。
(冬の靴を買わなければ・・・)と思ったとき、
以前はすぐに、
大阪の地元「三津屋商店街の○○靴屋」の女将さんや主人の姿が頭に浮かんできた。
そして(冬休み、大阪に帰ったときあの店に行って買おう)と思うのだった。
ここで暮らしてはや3年目を迎えた今、
三津屋商店街の女将さんの顔が微妙に霞んできたのだ。
言い換えれば、以前は単にここに「一時滞在している」とか「ちょっとお邪魔している」のであって、私にとって「地元」は100%大阪の淀川区三津屋商店街だったのだが、
今、その「地元度」は80%ぐらいの比率になってきている。
20%は南昌にスライドしているのだ。
その分、異国情緒みたいなものも減り、
言葉は通じないけど一応わが町っぽくなってきた。
そして昨日、楼さんについて来てもらってこの冬に履く高い靴を買った。

住めば都。馴染みのお店やさんも増えてきた。
久しぶりに行くと「好久不見!」と声をかけてくれる店員さんもいる。
激しい「反日」デモの前も後も店員さんの笑顔は全く変わりない。

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「外国語学院の新入生歓迎会を観てきた」 2012年11月10日(土) No.500

2012-11-10 22:28:19 | 中国事情
ふう、やれやれ。
宿舎にさっき帰ってきたばかりだ。
土曜の夜にどこを浮かれて・・・と思うなかれ。
我が財経大学外国語学院(英語学科と日本語学科がある)の新入生歓迎会に招待されたので行ってきたのだ。
夜7時からというので、麦盧キャンパスと宿舎の車の送迎は新平老師が引き受けてくださった。
大学はいまだに日本人教師の安全対策を考慮してくれているのである。
ありがたいことだ。
大学院に進学した楼晨けつさんも誘って一緒に行った。
彼女は昨年のこの歓迎会で浴衣姿で司会をしたのだが、
あれからもう一年が過ぎたとは!

さて、どんな会だったかというと、
1年から4年までの学生たちが入れ替わり立ち代り出演して、
歌ったり踊ったり、二胡や琴などの演奏や漫才、劇などを繰り広げる
盛りだくさんのショーである。
貸衣装屋さんでステージ衣装を整え、メイクもバッチリ。
かなり本格的だ。
それだけでなく、
なんと先生方も大変積極的で、
英語学科の老師たちは総動員でプログラムの第一番に中国風ダンスを披露し、
ロシア語担当の先生の「カチューシャ」(もちろんロシア語)
学院副院長の何だか知らないがドイツ語の歌、
学院共産党副書記(学院で2番目にエライ人らしい)の社交ダンス、
英語の先生の独唱「Don't Cry For Me Argentina」
など盛りだくさんの出し物を見せていただいた。
自分たちの学科の先生達が出たら学生たちも喜ぶだろう。
昔、教師たち(つまり自分たち)が主役みたいに気合を入れて出演していた日本の学校の卒業茶話会を思い出した。

しかし、今夜の歓迎会出演者の中には日本語学科の先生たちが誰一人としていない。
(なぜ老師たちは歌の一曲も歌わないのか)という疑問が当然湧いた。
日本語学科の学生たちは、英語学科の半分も人数がいないのに、随分活躍していた。
片や先生方は、
今日、新平先生と私が初めて参観しただけで、今まで毎年誰も見に行きもしなかったという。
「日本語学科の先生たち、ダメじゃないですか。」
と運転してくれる老師に向かって、私は文句を言った。
「そうですね。高先生は『北国の春』が歌えますから、来年出てもらいましょう。」
と、新平老師は安全運転をしながら
どこまでも穏やかに来年の約束をしてくれた。
(「北国の春」かあ。選曲としてちょっと・・・)
私は新平老師の優しい言葉と運転に心地よく身を任せつつ、
忙しい授業の合間に一生懸命練習したに違いない出演者たちの姿を思い出して、
心を温めながら寒い宿舎に戻って来たのだった。
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「どこの国の子も注射は嫌いなのね」 2012年11月8日(金)No.499

2012-11-09 20:52:31 | 中国事情
エーッ、注射~!
壁際に後ずさりする「杭杭」ちゃん。

インターネット利用者の「super陶太太」さんが先ごろミニブログで発表した、友人宅の子どもの写真。
杭杭ちゃんの表情が何とも言えない。



右上と右中の追い詰められた杭杭がみせる絶望とも諦念ともつかぬ表情・・・。
右下はとうとう看護師さんにやられている(注射を)決定的瞬間。
杭杭ちゃんの人生に幸多かれ


「人民網日本語版」2012年10月24日
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「今日から十八大スタート」 2012年11月8日(木) No.498

2012-11-08 18:42:25 | 中国事情
中国共産党第18回全国代表大会(十八大)が始まった。
北京では、この十八大のために、一千万人以上が動員され、
治安維持(中国の言葉は”維穏”)にあたっているとのことだ。
毎年維穏の費用は軍費を超えるとインターネットで披露されてもいる。
こういう時に、日本とは体制が全く異なるのをつくづく感じる。
日本でそんなことに対して公に大金を使うことなど、想像もつかない。
(裏では何をやっているものやら、疑わしいが)

国家による言論統制も、健全な国家建設という観点から見て、
正しいこととは到底言えない。
中華人民共和国という立派な名前がついている割に、
人民はあまりにも知らされていないことが多い。
(これ以上はリスクを考えて、書かないけどさ

下はある大学院生のつぶやきだ。
本当は、こんなふうにぼかして書かなければならないのも異常なことなのだが、
身の安全が第一である。
私たちは生き延びなければならない。


実は、私は今、迷っています。
民族とか、国家とか、私たちにとって、いったいどんな意味がありますか。
一昨日の授業で、先生は、
「これから中国の戦略はどこに重点を置いたほうがいいか」
と問題を出しました。
学生たちは中国の将来の為に、いろいろなアイディアを提出しました。
その時、みんなの意見を聞いて、なんとなく悲しい感じが流れています。
たとえ自分の国が富強になったとしても、どんな関係がありますか。
みんな自国のことしか考えていません。
中国の富強、中国の安全、中国の・・・等々。
他国の人間に対する優しい心はどこに置いていますか。

我が国はいい戦略を制定し、国民が豊かになります。
しかし、中国のこの発展は他国の資源を代価にもたらされます。
地球の資源は限界があり、いつかある日、きっとなくなると思います。
その時、私たち人間はどうすればいいか。
中国だけでなく、世界の国々も自らの利益ばかりに関心を持っています。
釣魚島について、中日政府、そして学者たちはいろいろ解決案を出しました。
けれども、全て政治的な目的で、自国の利益だけを獲得する解決案です。
私から見ればとても不思議だと思います。
国も人間の国で、世界も人間の世界ですよ。
みんな助け合ったほうがいいじゃありまんか。

 
これはただ私の感性的な思いです。
各国の政府が人間への優しい心を忘れないで欲しいです。


どこの国の政治家も、この学生の言葉に応える高潔な精神を持って欲しい。
政治家こそ、最も美しい心の持ち主でなければならないと私は信ずる。
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「ご馳走になってばかりの一日」  2012年11月7日(水) No.497

2012-11-07 20:32:56 | 中国事情
もう日本は暦の上では冬だ。
ここ南昌でも
足元はスースーするし、風邪は引くし、
暦の上でも下でも「冬」であることに異論はない。

最近、キャンパスの歩道には、
街路樹のクスノキの黒い実がたくさん落ちている。
学生達が通った後、多くは踏まれてぺちゃんこに潰れているが、
私はまだ潰されていない実を注意深く見つけながら進む。
見つけたらもちろん、靴で踏む。
「プチッ」という音を聞きたいからだ。
立て続けに3つ以上踏んだときには、ニヤリ顔( ̄ー ̄)になる。

今日も、外は穏やかないい天気だった。
昼、クスノキの実をさんざん踏んでニヤニヤしながら資料室に行くと、
隣の部屋のドアが開け放されていて、
新平老師がパソコンに向かい、声に出して日本語を読んでいた。

その姿を見て(よし、やるぞ)と私もコーヒーを飲みながら採点などしていると、
その新平老師が赤いスーパーの袋に一杯入ったリンゴを持って来てくれた。
「富士」という日本からの輸入品種だ。
富士にもいろいろあって、瑞々しく、甘いのは高い。
安いのは、固過ぎて美味しくない。
私は本能的に高いものは避けて通る性格なので、おのずと安もんばかり買い、
不味いと文句を言いつつ林檎ジャムを作ったりして暮らしているが、
今日いただいた富士は、本当に美味しかった~!
やっぱり、ケチくさく、しみったれた生活ばかりしていてはダメだ。
一ヶ月に一度ぐらいは香り高い高級リンゴを買うべきでは、
と心が揺らぐ程の美味しさだった。

午後の会話授業の後で、2年生の余りゅうくんさん達に連れられて、
いわゆる「第三食堂」、つまり、キャンパス北門の外の食堂街に行った。
お目当てはおいしい麺の店である。
「蘭州麺」と看板が出ているその店に入ると、
入口のガラス窓のすぐ向こうで、麺の制作実演をしていた。
小麦粉を捏ねて、綿棒のような細さに引き伸ばし、さらにそれをビューンと空中に振り回してまな板にバシッと叩きつける。
その作業は、ずっと見ていたいほど魅力的だった。
(ああ、暇になったらこんな麺を作って暮らしたい!)
小さくて丸い白帽(いかにも料理人という感じの帽子)をかぶった店員さんは、白い割烹着のような服を着ている。とても清潔な店だった。
(第三食堂にしては珍しい、本格的食堂だな)と私は感心した。
大体多くは、食堂というより掘っ立て小屋といった雰囲気の店が多いのがこの食堂街なのだ。

奢ってもらうつもりじゃまるでなかったのに、私は100元札しか財布になくて、
余さんがサッと先払いしてくれたのに、甘える結果になってしまった。
教師が学生におごってもらうとはナサケナイ。
と言っても実は、ここに来て以来数年間、私は何回も学生に奢ってもらっている。
何故ならば、皆とても素早く、ササッとお金を払ってしまうのだ。
私がそのタイミングをいまだに習得できず、モタモタしているうちに
またもやご馳走になるという結果になる。

今日ご馳走になった「刀削麺(卵焼きを上に乗せたもの)」は、
これまた、実に、美味しかった。
ぜひまた行きたい。
(今度こそ、私がご馳走しなくちゃ)




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「いのちは時間の中にある」 2012年11月6日(火) No.496

2012-11-06 20:22:50 | 日記


ほぼ日刊イトイ新聞に、
料理家の辰巳芳子さんのインタビューがあった。
その中で辰巳さんは
「いのちは時間の中にある」という発言をされていた。
いい加減な仕事をして時間を潰すということは、
命の無駄遣いと同じことだという趣旨だった。

ギクリ!
自分の一週間の生活を振り返ってみたら、
ところどころ胸を張れる時間もあるが、
土曜日なんか、一日中ダラダラして過ごすことが多い。
辰巳さんの前ではひれ伏すしかないな。


その辰巳芳子さんは、戦争で連れ合いを失った。
たった「三週間」の結婚生活だったそうだ。
結婚を申し込まれた時には、既に連れ合いは出征が決まっており、
辰巳さんのお父さんが
「三週間後に戦争に行くような男に娘はやれない。」
と断りに行くと、お連れ合いは泣いてしまった。

そのとき、辰巳さんは
「これから死ぬかもしれない人を 泣きっぱなしにさせてはいけない。」
と言って、結婚を決意した。
連れ合いは、三週間後に戦争に行って帰らぬ人になったが、
辰巳さんはそれからずっと、50年ものあいだ、
結婚してよかったのかどうか、ずっと結論が出せなかった。
結婚して、本当によかったのか。
「戦死」ということがどういうことなのか分からなかった。

戦争から50年が経ったときに、
テレビで連れ合いが亡くなったセブ島あたりの、
野ざらしの日本兵の死体を見た。
それは、本当に「不自然な死」だった。

辰巳さんが戦争に反対する理由は、ただひとつ。
それは、その死が「あまりに不自然」だからだという。

辰巳さんはそのとき、
「見てほしい、見てほしい」という呼びかけのようなものを、感じた。
「自分が死んだところを、見てほしい」という声だった。

実際にその島に行き、その場に立ってみたら
あの「野ざらしの空しさ」が、わかった。

そして、待ってくれている人がいるのといないのとでは、全然違うと思った。
自分の心に寄り添ってくれる人がいるのと、いないのとでは、全然違うと思った。

そのとき(結婚してよかった)と思った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・
戦争はダメだ。
何が何でもダメだ。


参考:「ほぼ日刊イトイ新聞」辰巳芳子さんが教えてくれたこと
 http://www.1101.com/home.html   
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「お天道様に祈る、どうぞ石原が落ちますように」 2012年11月5日(月) No.495

2012-11-05 10:16:18 | 日記
なんかね、石原慎太郎のことを書いていると
バカバカしくなってくるのよね。
こんなひどい発言を繰り返すヒト、見たことない。

「(東京都の尖閣買い上げ発言で)(野田)政府にホエヅラかかせてやる」
「生殖能力を失ったババアは存在が罪である」
「同性愛者は可哀想。美輪(明宏)も気の毒になってきた。日本じゃテレビにも同性愛者が平気で出る。野放図になりすぎている」
「(重い障害を背負う人の病院を見舞って後の記者会見)ああいう人ってのは人格あるのかね」
「原発に反対するのはサルと同じだ」
「西洋人の柔道は獣の喧嘩みたい」
「パンダぐらいで(中国に)ありがたがることはない」
「共産党の皆さんも、日本人としてよく考えてもらいたい。あ、そうか。日本人じゃないのか。」
「(2011年菅首相と全閣僚が靖国参拝しなかったことに対して)日本人が堕落したからこんなになったんだ。あいつら日本人じゃない。」
「(2011年6月20日、憲政記念館で)日本は核をもたない限り、一人前に扱われない。麻雀で言ったら一翻だ。一翻がなかったら上がれない。日本が生きていくには軍事政権を作ったらいい。そうでなければどこかの国の属国になる。徴兵制もやったらいい。」
「(2011年、3月14日)日本人のアイデンティティは我欲。この津波をうまく利用して一度我欲を洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う。」
「東京裁判は無効です。『戦犯』は英雄です。東条大将への侮辱は許されません。」
「(黒川紀章氏が知事に立候補した際)建築家が知事になるのはちょっと怖い」

参考:「石原慎太郎の失言・問題発言集」
   http://matome.naver.jp/odai/2129161684892120001


‥‥‥‥‥‥(文字を打ちだした画面が汚れるような気がする)。 

こういう発言をする人に対していちいち真正面から怒る気持ちはなれない。
生きてる時間は限られている。時間がもったいない。
石原慎太郎とは、日本国憲法で言論の自由が定められているのをいい事に、
我が儘勝手、言いたい放題、相手をめちゃくちゃに非難中傷攻撃ばかりしている
人格と品格が破壊されたひとりの人間である。
問題なのは、この攻撃的発言をいかにもありがたいもののように思い込み、
「石原さんだけだよ。日本を憂慮して一生懸命なんだから。期待しているわ。」
などという日本の人々の頭の中である。
集団注射でもされたのかと疑う。

オウム真理教信者たちは、素直で真面目で一途で頭のいい人たちが多かったと聞く。
一体、いい頭をもつ信者達は何をどう判断してオウムに自分の未来を託したのだろう。
この思考停止オカルト状態は、石原慎太郎を支持する人たちとピッタリ重なる。
スゴイ。
今は、石原&大阪維新、その他魑魅魍魎どもが、
お天道様のお力で消滅するように祈るのみである。
きっと、日本の多くの人々が、ある日ある時突然に、
(あら、私、今まで何考えてたのかしら?)
と目が覚めるその日が来るんじゃないかな。
何てったって、お日さまには殺菌作用があるからね。
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「石原慎太郎を選挙で叩き落とそう!」  2012年11月4日(日) No.494

2012-11-04 15:18:08 | 日記
〈その1:オウム真理教と石原慎太郎の関係をきちんと把握しましょう〉

10月25日、東京都知事の石原慎太郎が全く突然、知事を辞任すると発表した。
理由は「国政に復帰して、仲間と一緒にやっていく」というものだった。
ぽか~ん。
病気とか止むに止まれぬ理由ならともかく、
自分から都知事選に立候補して都知事になったくせに、
気分が変わったからといって途中で放り出すなどと、
余りに我が儘勝手で無責任ではなかろか?
(ははあ、尖閣問題で日本中を引っ掻き回したり、あんまりいろいろしたものだから、
ついに都民から白い目で見られだしたかな?)
なんて思ってあれこれ調べていたら、
にわかには信じられないような大ごとが浮かび上がってきたのだ!
(て言うか、知らなかったの私だけかも・・・
以下、知り得たことを整理してみた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
石原慎太郎の突然の辞任劇は今回だけではない。
1995年、1月16日阪神淡路大震災、
同年3月20日、オウム真理教の地下鉄サリン事件と、
立て続けにとんでもない事件が日本を揺るがして、
当時日本社会党の村山富市首相は窮地に立たされた。
そのサリン事件直後の4月14日に、石原は突然、衆議院議員を辞職している。
それはオウム真理教と石原慎太郎がつながっていたため、
その責任を取らされて、唐突に辞任する結果になったということなのだ。

オウム真理教と石原慎太郎の関係は、日本の人々全員が知っておくべきだろう。
それは決して単なるゴシップにとどまらないからだ。
オウム真理教が1989年、それまで認められていなかった「宗教法人」の認可を受けた。
その背景には当時運輸大臣だった石原慎太郎の力があったとされる。
なぜか?
その2年前亡くなった弟の石原裕次郎は、何度も慶應病院で手術を受けた。
執刀医は心臓外科医の林郁夫だった。
あの地下鉄サリン事件でサリンを撒いた林郁夫だ。
その後の裁判で、サリンを散布した電車内で死者が出ていない横山が死刑で、
死者を複数出した林郁夫が死刑を免れるという最高裁の判決があった。

参考:「なぜ、横山が死刑で、林郁夫は死刑回避なのだ?」
  http://www.tomabechi.jp/archives/50355710.html

これは私の憶測だが、影の力が働いたのだ。誰の力だろう・・・。

オウムとのつながりはそれにとどまらない。
宗教学者の中沢新一の証言によると、
石原慎太郎の四男の画家、石原延啓はオウム真理教の幹部であったとされる。
麻原彰晃が瞑想していた座の後ろにあった曼荼羅は四男延啓の作である。
浜田幸一は自著『ハマコーの非常事態宣言』の中で、
石原が、山口敏夫と共にオウム真理教への資金提供を行っていたと名指しで批判している。

検察当局との「司法取引」により、公職即ち国会議員を辞職することで、
この話は闇に葬り去られた。
また、石原の四男、延啓はオウムの準幹部(官房長官副秘書官)だったが、
第7サティアンで"救出"され、保護、その後暫くの間、
高尾病院に強制入院させられていたことも初めて明らかにされた。

参考:①「オウムと石原の意外な関係」http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/691.html
②「石原慎太郎とカルト宗教(オウム)と暴力団(住吉会)」逝きし世の面影
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/61b1a52b8d1f18b77ec6459b1eee73f2#comment-list


オウム真理教は単なる呑気な宗教団体ではない。何の落ち度もない普通の生活者に多大な害を与えた。戦争と同じだ。その団体は「宗教法人」として認可されたことによって、社会に自由に放たれてしまった。
認可した者には非常に重い責任がある。刑務所に入らなあかんのじゃないか、と思う。
ましてや国政に出るなど、空いた口がふさがらない。
決して石原を当選させてはならない。
日本人の良心にかけて。



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「ああ、なんて楽しい節約ライフo(^o^)o」 2012年11月3日(土) No.493

2012-11-03 14:40:17 | 日記
ここ9月から財布の紐を引き締めている。
もともと全く、お金持ちじゃない。
て言うか、明確にビンボーグループに属すると自負している。
にもかかわらず、こちらに来たばかりの頃は何でも珍しくて、
あれこれ要らんもんを買ってしまい、後から途方にくれたこともしばしばだった。
(その代表例が「老人用粉ミルク」だ。味覚の違いを否応なく認識させられた

最近に至り、ようやく新しいものを試す癖も次第に落ち着いて、
欲しいもの、食べたいものが定まってきた。
どんなものを買うかと言うと、
まず果物と野菜だ。
ここの果物は本当に安くて美味しい。
安くて生活費全体にかかる負担も少ないのだ。
片や、インスタントコーヒー、乳製品、肉などの値段は、
(なんでここまで高くする!?)と不愉快になるほどだ。

たとえインスタントであっても、コーヒーがなくては、
生活にメリハリがなくなるので、どうしても買わざるを得ない。
だが、たった100gのインスタントコーヒーが40元もする。
(雀巣珈琲;ネッスル。去年は50元だった
日本円に換算すると500円前後だから、
日本的感覚では(まあちょっと高いな)と思われるだけかもしれない。
BUT!そうではないのです。
ある老師曰く、ここでの一ヶ月の食費は約500~600元が庶民的平均だそうだ。
私もそれぐらいで暮らしている。
自分の月々の食費の10分の1近くをも、たった100gのインスタントコーヒーが占めると想像して欲しい。なんか、腹たってくるでしょ。

このインスタントコーヒーは、我が金融引き締め政策に於けるたった一つの汚点ではあるが、それ以外では、清々しい節約ライフをエンジョイしている。
白菜とかキャベツとか大根とか人参を、どれほど食べても家計を圧迫することはない。
一元もお金を使わなかった日は、自分が聖人になった気にすらなる。

ちなみに今日の昼ごはんは、
茉莉香米のご飯にたっぷりの生姜(おろし金で擂ったもの)、削りかつお、胡麻をかけ、北海道の姉に送ってもらった昆布醤油をかけて混ぜる。そして食べる。
これとキャベツ、ニンジン、生姜、冷凍ギョーザ入のスープ。
河童のクウ風に言えば、
うんめ~!!
この料理の留意点は、おろし金で生姜を擂るときに指まで一緒に擂らないことである(痛いですから)。
 
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「校内日本語コーナー始める」 2012年11月2日(金) No.492

2012-11-02 21:01:00 | 中国事情
先週金曜日は東華理工大学との合同日本語コーナーだったが、
それに刺激を受けて、
財大でも独自の日本語コーナーをやってみることにした。
理工大の2年生の会話力にただただ舌を巻いているだけでなく、
いいことはどんどんやっていこうと、
早速今週から開始したのだ。

定刻の5時半になったが、ペンギン池前の集合場所には
2年、3年合わせてもたったの10名ちょっとしか集まらない。
心中、かなりがっかりしたが、
せっかく夕御飯も食べずに集まって来たこの人たちだけでも
できるだけたくさん会話できたらいい。
そう気を取り直して、グループを作っている最中に
後から後からどんどん参加者が増えて、
最終的に2年生16人、3年生18人、総勢34人にも膨れ上がった。
こうでなくちゃね!

心なしか、たった2週間連続しただけで、
皆少し会話が上達したような気がする。
会話時間も意外に長続きしている。
これは明るい未来が開けるかも。
来週からは、
さらにパートナーを決めて、毎日40分の日本語ペア練習も始める。
今月で一気に実力を延ばすぞ~!

先週に引き続き、今日も日本語コーナー終了後は、
男子学生2人にエスコートされ、ミニバスで蛟橋の宿舎に戻った。
それにしても、そのミニバスは折り返し2人の学生(2年の董かいほうさん、朱そうさん)を乗せて麦盧園へ戻ってくれたらいいものを、私たちを下ろすとさっさとどこかへ走り去ってしまった。
夜暗くなって、晩御飯も食べていない2人は、
嫌な顔一つせず私を外国人教師宿舎の真ん前まで送ってくれて引き返して行った。
2人は自分たちでお金を払って他のミニバスに乗って帰るのだ。
本当に申し訳ない。またいつか、マイ・カレーをご馳走してお礼をしなきゃね。
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「中国の先生たちは強い」 2012年11月1日(木) No.491

2012-11-01 20:48:46 | 中国事情
「日本語?! この売国奴が!」
とチャットやミニブログで口汚く罵られる悔しさ、悲しさに耐え、
学生たちは勉強している。

一方、
日本語学科の先生たちはどうだろうか。
やはり、世間の目は厳しいものがあるのでは?
と心配していたところ、
ナント!
中国人の先生たちったら、
吹きすさぶ世間の反日の風をものともせず、
この大学の大学院に日本語学科を作る話を進めているとのこと。
まだ先生が見つからないので本格的に決められないが、
来年か再来年をメドに、と聞いて、
かなり本気であることが分かった。

さすが中国の民だ。
こんな状況でも、(そのうちまた収まるわい)と、
どんと構えているんだなあ。

この姿に、
母が生きていた頃語ってくれた話の中の中国の人々の姿が重なる。

1945年の敗戦時、山東省の日本軍下請け石炭会社で働いていた父は、
母を連れて生きて帰れるかどうかの厳しい状況だったが
翌1946年2月に何とか引揚げることができた。
その際、我が父母は、石をぶつけられるどころか、
逆に、近所の人たちから餞別をもらい、
リュックサックにギュウギュウ詰めに食べ物を入れられ、
「平和になったら、また遊びに来いよ~!」
と言って、手を振ってもらい、別れたという。
「中国は、昔から、戦い、平和、の繰り返しだ。
きっとそのうちまた落ち着くから。」
とも。
この話は、母が亡くなる直前まで何度も聞かされたものだ。


反日デモで
「日本人は皆殺せ!」と叫ぶ中国人の数より、
(そのうちまた落ち着くわい)と思って、
淡々といつもどおり暮らしている中国人の人数の方が、
文句なし、圧倒的に多いことが
ここ中国にいれば実感できる。





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